はてなキーワード: フォークダンスとは
クラスメイトとバリクソ上手くやれなかったキモオタク中学生だったから、「体育の体操で〇〇さんと触り合うのめっちゃ嫌なんだけど」って言われたじゃない?
「自分はされて嫌なことは人にしてはいけない」という教育が行き届いていたものだから、それ以来人に触ると不快にしてごめんなさいね嫌わないでくださいすみません体積があって…毛とか生えてるし…肌に穴が空いてて体液が出てくるのもヤバい…キモい!!なんで罪悪感って死因にならないんだ?人に触るくらいならここで死にてえ…ってなるようになったじゃない?
フォークダンスするくらいならキャンプファイヤーで腕燃やした方が楽しいしな
もちろん私からは人に触らないけど、「触られる」も肌が接触して「私が触ってる」と区別つかないじゃん?
人に触るのも触られるのもめっちゃ嫌っていうかゴメンって気持ちになるんですけど
フレンドリーな友人後輩、すれ違うときふざけてハグのポーズするのは勘弁してください ハグを断るのとハグ嫌さでギクシャクしながらハグするのどっちが失礼なんだ?ってなって困っちゃうからよ〜〜
でも本当に好きな人なら触るの嫌じゃないはずって思ってて
その人への好意、触りたさが触るのしんどさを上回る日が来ると思ってて
だから趣味が合う同期の男性から花火大会に誘われたときも浮かれて行ったんだけど
人混みだから手をつなごうってなって手を繋いだら普通にしんどかった
しんどくなった原因は500%私にある ごめんな…触ったのはしんどかったけど花火もすごかったし浮かれた容器入りのかき氷も楽しかったしりんご飴も美味しかったんだよ…
二度と触りたくないけど
でもコレってデートだよな…触りたくないのにデート第2回に応じるのは良くない と思ってそれ以降のアポを全て断ってごめんなさい
ていうかじゃあどうすればいいの?
増田さんアマプラのバチェラー(男一人を女二十人が取り合うドキュメント的な番組)観てくださいよ!推しの子話したいじゃないですかー!!みたいに言ってくれるの
こんな萎びたおっさんに気さくに話しかけてくれて感謝しかないんだけど、私はSerial experiments lainが全話無料になったからそっち見たいわけ
私もその子にlain見ようよ!確かにサイバーエージェントの小柳津林太郎もバリバリ完全無欠でかっこいいんだけどlainもとい岩倉玲音はサイバーエージェントどころかサイバー世界そのものに住んでるような存在でめっちゃwiredなweirdでかわいいよ!
って叫んでやりたい
あとバチェラーはCM無しで1話1時間あるから土日が家族サービスで潰れる身としては結構きつい
さてさてlainの2話観よーっと
「彼氏が途切れたことがない」=ダメンズウォーカーじゃないですか。
奇麗な方なんでしょうけれど。
男性には「直ぐ付き合えるイイ女(都合のいい女)」
男性にも言えると思う。たくさんの女性と付き合ってケロッとしている人って女性不信じゃないのかなぁ。
同じタイプの軽い女性とばかり付き合って世の中の女性をたいがい判ってると思い込んでいるのでは。
世の中は軽い女性と軽い男性が浮名を流し、彼らは似た者同士でどんどんフォークダンスのようにパートナーをチェンジする。
そして、その輪に入ってない、地味だったり真面目な人に「どんだけ自分の相手が駄目な奴か」をぐちぐち言ってくるのです。
その輪に入ってない人は、ダンスの輪の中ですったもんだしてる人たちの傾向を知ってるので、
真面目、地味、臆病だったり堅実な人は、そういう軽い人と、たぶん付き合うのが怖いです。
ありがちな「○○菌」とかってやつ。
俺が触ったものはバイキン扱いだったし、席替えでとなりになった女子が泣いたこともある。
フォークダンスはこっちが気を使ってエアハンドだったし、ジェンカは常に一人だった。
死のうと思ったことも一度や二度ではない。
今思えば教師は気がついていたはずだけど、特に何もなかったな。
いじられと思っていたのか、単に事なかれで見逃していたのか。
多分、ないだろうな。
少しずつエスカレートしていって、誰もが引き返せなくなる。
たしかに見た目が少し特殊で、からかってもニヤニヤ笑うだけで気味が悪かった。
ゴメンと心のなかで誤りながら、無視してた。
(1巡目)
目「ワークライフバランスを大切にしたい増田さんは~」
読み上げ係「ワームホール クライシス……スパイシー オン ザ フューチャー (楽しくなってきた) エターナル デスティニー ラブ アンド ピース OK☆」
意識「えっ?なにそれ絶対おかしい!ちょっと目!もっとよく確認してちゃんと解析班に渡して!!」
(2巡目)
目「ワークライフバランス……」
意識「うぉーくらい & ばらんす?……!もしかして、ワークライフバランス?」
(3巡目)
意識「やはりワークライフバランス!……で、ワークライフバランスがどうしたって!?もっかい最初から!急いで!」
(4巡目)
読み上げ係「フォークダンスライブを大切にしたい増田さんは~」
意識「ふんふん、ワークライフバランスの話、そしてこの人はフォークダンスが大事な趣味なのか」
意識「ホバリ…?おいフォークダンスどこいった!?どこから間違った!?目ェ!!」
目「……ワークライフバランスを~」
http://anond.hatelabo.jp/20160520232557
私と同じかわいそうな目にあった人をみかけたので、ダンスの練習法を残しておきたいと思う。いくつかの条件があるので、役に立たないかもしれないが…。
私も体育のダンスはとても苦手であった。小学校の運動会で踊ったRYDEENも辛かったし、中学校の体育祭のダンスコーナーも最悪だった。休んで逃げたかった。高校のフォークダンスは休んで逃げた。
運動も初期値でパラメータが高いわけではないので、体操系やマット運動などは嫌いであった。本当に公開処刑だよね。体育が嫌いな諸先輩方の主張の通り、体育は練習や訓練の場ではなく、ぶっつけ本番の発表の場なのだ。
バレーボールでもバスケットボールでもサッカーであろうと、やっているというだけで、スポーツとしての本質に迫ることはなかった。
体育のサッカーは、みんながボールに群れるような状態で、戦略的にコートの中を移動するクラスメイトは皆無であった。キャプテン翼がサッカーのすべてのような情報量だったせいもあるのかもしれない。キャプテン翼の再現としては顔面ブロックをして鼻血をだしてりもした。
社会人になってから誘われたフットサルでは、ボールがこなくても、キャプテンの指示のもと、コートを縦横無尽に動くことを要求された。ボールの位置と相手のポジションに応じて、おのおのが相手の戦略を邪魔するようにコートを最大限の運動量で走り回らなければならなかった。
ボールがこなくても自分の動きで次第で、相手の動きが大幅に変わってくるので、それだけでも面白かった。
指導者の力量によって、スポーツの楽しみは大きく変わることが分かった。
私が出会った学校の教員はそこまでの能力がなかったのであろう。指導者が悪くても学校は逃げ場がないんだよね。
いろいろな事情で、ハレ晴レユカイを踊らなくてはならない状況に追い込まれた。事情は想像していただきたい。いっしょに指導してくれる人もいた。
・早い動きのところで、同じ動きを2回するところは1回に省略(見ている人は気が付かない)
・足のボックスの動きをずっと練習(とりあえず踊っているように見える)
・指導者のおすすめのYouTubeの「踊ってみた」を見ながら振り付けを覚える(アニメの映像は情報量が少ないことと踊る人によって、細部の解釈が異なっている)
指導者からのノルマの通り、アニメED版の1分30秒を1日に10回踊ってみた。正確には、フルコーラス版を1番で終わるようにつなぎ合わせて編集をしたバージョンだ。アニメED版は、1小節カットされているのだ。
2週間後にはなんとか体が動くようになった。そして、なんとか、本番のステージを乗り切ることができた。
この試練を乗り切ったあと、副産物として、体の動きについて、洞察力が深くなった。
たとえば、振り上げた指先の動きであったり、手のひらが体の前のほうを向いているか後ろを向いているのかなどといったことが区別がつくようになった。
さらにフレーズというのか、定型的なダンス向けの体の動きがあり、それの組み合わせで、ダンスっぽく見えることが分かった。プリキュアのEDダンスくらいであれば解析と再現が可能となった。が、ほとんど使い道のない知見なのであった。
学生時代にその域まで達していれば、別の人生があっただろうにと思うととても残念に思う。しかし、視野が広がったのはよかったと思う。
ここまで書いてきて、サッカーのときとダンスのときでいくつかの共通項がある。一つは、指導者の存在だ。人に教えることがうまい人との出会いは上達することを容易にする。二つ目は自分でやろうとする意志だ。やらされている体育ではここまでの持続的な情熱は持てないだろうと思う。
と、ここまで書いてきたのだが、この年になるとあのステージ以来、ダンスを披露する場はない。もっぱらカラオケのネタにしか使えないのであった。
今同じ部署で働いてるのが合計7人で僕以外は6人全員女性、っていう環境なんだけど、
先日出張ってほどじゃないけどメンバー全員ちょっとだけ出先に行かなきゃ行けない状況になったのよね
経理事務みたいな仕事でメンバー全員ほとんど事務所の外に出ることすらないような職場だから自分含めて車とか持ってないメンバーも結構いて、免許持ってる誰々さんと彼彼さんの車でまとめて行こう、みたいな流れになってたからメーリングリストに「どなたか私もついでに乗せて行ってくれる方はいませんか?」
みたいなメールを前々日くらいに送信したのよ
で、そのお願いについてめちゃくちゃ渋られたというか、当日の直前まで返事が帰ってこなくて、え、どうしようっておろおろしてたところを見かねた男性社員の上司(メーリングリストに載ってた)が「困ってるから誰か乗せて行ってあげて;;」みたいなことを言ってくれてどうにかはなった。
「え、誰々さんの車も彼彼さんの車もめっちゃ余裕あるじゃんなんで?」って思ったんだけど、どうやら普通に「自分を」車に載せるのが嫌だってことだったみたい。
理由らしい理由は車中で話してたけど矛盾しまくりで深く考えなくても嘘っていうのがまるわかりだった。
唯一の異性ってこともあるし、そういう面もあるのかな?って思ったんだけど、別に全く二人っきりとかじゃないし、途中で参加することになった別の男性社員が自分と同じようなメールを送ったときは光の速さでOKが返ってきてたし、
なんかもうこれって「例え仕事上やむを得ない状況でろうとお前と同じ空間にいるのは耐えられないくらいお前は気持ち悪い」って言われたのと同じような気がしちゃって、
確かに自分は社内では結構舐められてるし、イケてない部類に含まれるし、授業のフォークダンスで◯◯君に触るなんて嫌だとか女子に言われてきたような人種だけど、
この類の、この次元の感じのプライドの傷つけられ方を社会人になってまでしなきゃいけないとはちょっと予想してなかった。
しかも行きも帰りも車中で散々人格否定みたいなことまでされちゃって(もちろん車内では二ヘラ二ヘラしながらすいませんって連呼してた)、なんかもういろいろと怨嗟とか怒りとか悲しみとか入り乱れた感情の中勢いでこれ書いてるんだけど、
「付き合っている人がいるんだ」
耳を疑った。
「えっ、そうなの…。知らなかった。ごめん」
今まで行った自分のアプローチがすべて空虚となり、恥ずかしさと同時に申し訳ない気分になった。
やさしく微笑むと、どんなヤツなんだと想像する隙もなく、聞いてもいないのに恋人について語り始める。
失恋直後の自分には残酷過ぎた。これ以上は詳しく聞けなかった。
今週末もデートするに違いない。先週末もデートだったに違いない。それどころか今までずっと週末はデート三昧だったに違いない。毎年クリスマスを一緒に過ごしていたに違いない。お正月は二人で初詣に行ったに違いない。家族ぐるみの付き合いをしているに違いない。ご両親も認める仲に違いない。「昔はここで一緒に遊んだっけねー」なんて言って、近所の公園でもデートしているに違いない。「あの先生はどうだった」「あのクラスメイトはどうだった」なんて話題が尽きないに違いない。修学旅行は一緒の班で回ったに違いない。運動会も同じチームで協力し合ったに違いない。体育のときはフォークダンスで手をつないだに違いない。バレンタインデーには机の中にチョコを仕込み合ったに違いない。席替えのとき、クラス替えのときは「一緒になれたらいいね」なんて言い合ったに違いない。同じ学校に進学するか話し合ったに違いない。受験勉強も励まし合ったに違いない。学校卒業するときは一緒に泣いたに違いない。卒業式の日、伝説の木の下で告白したに違いない。初めてのエッチは照れまくりだったに違いない。そして休みの日は猿のようにやりまくったに違いない。子どもの時から「結婚しようね」なんて約束しているに違いない。好きなこと嫌いなこと、すべてを知り尽くしている仲に違いない。今まで生きてきた分の、語り尽くせない思い出がいっぱいに違いない。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
勝てない…。
「恋人がいる人を好きになった」「略奪愛」「彼氏持ちを落とす方法」「彼女持ちを落とす方法」なんてキーワードを検索して出てきた恋愛指南の記事を要約すると、こうだ。
「諦めずに良好な関係を続けよう。そして、ケンカするときを待とう。不仲を相談している隙に心を奪おう。長期戦は覚悟だ!」
そもそも、幼なじみ同士が別れることなんてあるのだろうか。あまりに強すぎる絆。越えられない壁。どうやったって今から相手の幼なじみになることはできない。
ふと、自分には何故こんな素敵で仲の良い幼なじみがいないのか。いらだちを覚えた。
http://anond.hatelabo.jp/20130619231753
モテるとかモテないとかではない。ただ無価値であり無碍に扱われることだ。
他人に価値がないのは誰だって同じだろう、ようはSEXしたいんでしょw、よく飛び交う言葉だが、まあそのとおりで、子供の頃の話だよ。
大人になればどうでもいいさ、社会的な我々は誰だって平等であり、自分の価値をアピールしなければ他人に関わることすら出来ないのだから。
強制的に半日、30~40の人詰めの箱のなかに閉じ込められて、共同生活を強いられる。社交辞令も保身も知らないために残酷で、動物のように群れを作る子供な。
居ただろ。何かにつけてキモいと言うやつ。
子供の遊びで、イジリだったのかもしれないけども。
黴菌扱い。触らないで、菌が付くからw
申し訳ない、存在して。
給食配らないで、触らないで、なんでそんな酷いことするの?
誰だってやっただろう。私だってやったと思う。清廉潔癖ないじめられっ子なんていないんだ。
確かに笑わなかった人もいたが、黴菌はクラスか学年に1人くらいなので、消毒される側から見れば誤差なのだ。
思春期。
だいたいルールがわかってくる。私のような人間は、人格の自由度が低いのだ。
気持ち悪い、存在が不快、デフォルトではそのように扱われている。
自然な成り行きとして、一等低く無碍に扱われる。
仕方ない。これはそういうことになっているのだから。別に差別でも偏見でもない。
従って私は、妖怪人間だった。
外形的な気持ち悪さから来る性的価値の低さという、社会性におけるディスアドバンテージを抱えているので、埋め合わせなければならなかった。
思春期同年代が構成する市民社会からの排斥を受けないために、彼らに要請された私を演ずる演技。
今で言うリア充、一段下げて一般的な未成年が、同年代の中で取る態度。
人並みに感情を表に出したり、遊んだり、色気づいたり、あるいは恋愛について話したり。
残念ながら、私の行うそのような態度は、思春期同年代にとって異物であり、共感の外である。
思春期とは性的な時期であり、それを通じて社会性を育む性徴期。
思春期の社会的な関わりにおいて性は重要であり、だからこそ保健体育は古くよりあり、最近では日本社会でもセクマイ概念などが教育に取り入られ始めているわけだが、しかしながら、セクハラ概念が示す事実は、自身の性的身分を超えた性的な態度は嫌がらせである。
運動会のフォークダンス、遠足の二人組、給食当番、席替え、班作り。
社会性も、性愛観念も未熟な時期に、同級生が露骨に示したその態度。
それは社会の要請であり、学童期よりも幾らか高度化した義務教育課程で学ぶ、ひとつの実習だった。
必要なのは、性的に老いること。オッサン臭いというか、ババアというか。
老人ではない。老賢とは別物だ。
完全に枯れているわけでもなく、しかし肉体は老いており、故に独特の醜さを発露する。
気持ち悪い性欲の象徴としての中年。
自らの不快さを理解しているからこそ、弁えを知り、抑制されて、節度を保った憐れな中年。
私は老いてはいなかったが、印象的に気持ち悪かった。
それに思春期らしい子供の欲求を捨てきれず、また賢さもなかったので、老人にはなれなかった。
明るく溌剌と多感な周囲について、人並みに感心はあり、またそう有りたくもあったが、表に出してはいかんのだ。
私には分相応な態度、人格が決められている。
私がどのような人間なら、理解しうる人間としてシンパシーが得られるか。
声に出す者も居たし、出さないものも居た。
やがてどうでも良くなる。
人間関係という蜘蛛の網に絡み取られて、私に向けられた他人の視線が、あるべき態度を規定する。
必要に応じて演じた態度が、人格として身についていき、成人する頃には私という人間性が確立される。
根底に身についたのは諦念であり、どうでもよさだ。
しかしながら、それでも時々思うのは、性的価値が人並みにあるものが羨ましい。
凡夫であり、賢くもない、一般的成人である私は、人生を冷徹に見つめる達観も得られなかった。
もちろんSEXに興味はあった。
だが、それより今は思うのは、子供の頃に子供らしく過ごしたかった。
思春期の頃に平均的な思春期らしく自分の日常を過ごせれば、もう少し、何か違ったかもしれない。
いや、私は平均的なのだろう。
私が送ってきた人生こそが、実にありふれた性的無価値者の日常だった。
幼児期から始まる社会での私の立ち位置が、私の内面を擦り減らし、予定された枠組みに相応しい人間性を形成したのだ。
あの頃諦念に師事しなければ、もう少し何かが違ったのかもしれない。
現実が過ぎ去り記憶になると、もっとうまく立ち回れたのにと後悔することがあるにはあるが、まあ、それよりも、私は随分頑張ったと思う。
はっきり言って、重苦しかった。
あの頃の私にはそうする他なかった。
これこそ単なる諦念なのかもしれないが、常に近くにあったが決して得られなかった同年代の日常は、私にとって眩しかったが、あれこそ他人の物であり、これが私の人生だった。
内面と演技のアンバランスの抑圧にフラストレーションを沸き起こしていた精神も、加齢によって安寧となってきた。
何かをこじらせているわけではない。
こじらせ系とは似て非なる、直道だった。
長文失礼。
仕事の内容はともかく、今時の婚活でも書類選考の際に収入ではじかれることは無い自信がある。
問題はお金で解決できるようになった。
彼女が居たことがない。
女性と手をつないだのは中学のフォークダンスが最後なので、コンビニ店員からお釣りを受け取る際にちょっと手が触れるとドキドキする。
キスももちろんしたこと無いし、魔法使いだがMPがゼロなので何もできない。
妹は結婚し出ていった。
俺は別に家庭に対する憧れとか無いし、嫁や子供が出来たとしてそんなモノを背負える能力が無いのは分かっているのに結婚やら子供だ家庭だというのは無責任だと思ってる(今後高齢化社会で若者が暮らしにくくなるのが分かっているのに子供作るなんて子供が苦労するだけだろうが)。
お金が出来たので、「お金で解決できることはお金で解決してみればいいじゃない」と思うようになった。
何事も、経験せずに否定するのは良くない。
緊張しすぎると逆に頭は冷静になるタイプなので、結構何とかなった。
最初に想定していた嬢は色々あって予約できなかったので、受付お勧めの嬢を予約した。
ブスでなければ誰でもいいのだ。
どうせ行ってみなければ分からないし。
2時間で6万円。
さぞかしスゴいのだろうと思った。
失礼があってはならないと、取っておいたホテルでシャワーを浴び、丁寧に髭まで剃った。
借りたレンタカーで店へと向かう。
汗をかかないための措置だ。
店に行くのに難儀した。
ラブホを改築した店らしく、フロア毎に同じグループの別店舗が入居している。
エレベータで予約した店へ。
客が他にいなかったのか、1人掛けソファーが5つだか並ぶ待合室に俺1人。
6万を払いドリンクを飲みながら待っていると準備が整ったとのこと。
部屋に案内されると、常夜灯ぐらいの明かりで暗い室内に、嬢が三つ指ついていた(暗くてどこにいるか分からなかった)。
写真では顔は向こうを向いていて判別不能だったが、それでも"写真と違くね?"と思った。
ブスではないのでよしとするが、よく言えばスレンダーで、ちょっと好みと違う...
椅子に案内され、会話しながらゆっくり服を脱がされ、嬢も脱いだ。
なんか凝視したら失礼な気がして、チラチラ見てた。
緊張で元気がなくなったりしないか不安だったが、とりあえず立つものも立っておりホッとする。
椅子洗い中に○ェラされるが、刺激が少なく感じた。
とは言え相手も仕事なので達してあげないといけないような気がしたので快楽に任せて達してみた。
このあたりで、自分はあれほどあーでもないこーでもないと思い描いていた行為に、非常に冷めていることに気づく。
気づくと騎○位で挿入されていたが、その時はちょっと感動的なほど暖かかった。
マット開始直後、肩・首をなでられたのはすごく気持ちよかった(ただのマッサージじゃねぇかこれじゃ)。
足の指の股まで舌で舐めとられながら、"仕事とはいえ嬢にここまでさせるものは何なのだろう"と考えてしまう。
ベ○ド。
「正○位でしてみる?」と言われるままに合体。
そんなに気持ちよくない。
気を使いつつも何とか中で達することが出来た。
その後はお互いの身の上話から鬱病闘病の話で盛り上がり時間に。
...6万も払って2回ですか?こんなもの?
そういえばキスもしてないような...プロはキスしないと言うけど...
何事も、1度の経験で物事を判断するのは良くない。
そういうわけで、吉原高級店で二輪をしてみるという発想に行き着く。
この店はメルマガ会員になると初めてでも1週間前から予約可能だった。
前日に再度確認の電話をすると、予約の嬢1名が急遽休みとの事だったが、より評価の高い嬢の予約に成功したのでよしとする。
当日は駅まで送迎を頼む。
危険なので止めて欲しい。
店につくと、待合室に俺含めて合計3名。
残り2名は客先行ってきますと言い残して来ているオヤジにしか見えない。
一番最後まで待たされ、お呼びがかかる。
写真写りがいいんだなぁ、ぐらいの嬢2名と対面。
手をつないだか腕を組んだか覚えていない。
B嬢に股間をわさわさされる。
下着にシミが出来てた。
タオルを掛けられ下着を脱がされる。
手コキ→○ェラとキスの同時進行。
キスは初めてだったので、A嬢の「もっと舌を伸ばして」との指導に言われるがまま従うのみ。
その後、A嬢の騎○位とB嬢のリップ同時で達した。
A嬢から「イク時は教えて」と言われていたが、どのタイミングで教えればいいか分からず、ちょっと怒られた。
洗ってもらい、湯船へ。
パイ○リを所望し、B嬢にしてもらったが、期待していたほどではなく、そうでもないと感想を漏らしたら、B嬢はプリプリと怒った。
マットは...これもそうでもなかった。
うつ伏せ状態で股間のモノを腹とは逆向きにセットされ色々されたのは初めての刺激で言葉にならない感じだった。
再びのベッド。
B嬢と正○位→座○→バック、A嬢と騎○位→手コキ。
一連の行為の最中、"この人達も仕事なのだから中でイカないと失礼なのだろうなぁ"と思いながら汗だくになりながら腰を振った。
そんなことを考えながらなので、全く達する気配がない。
結局、中で達することができず、A嬢の手コキで達した。
送迎のミニバンに3名押し込まれ最寄りの駅に。
そこでこれから店に行く3名と交代するように車を降りた。
2時間13万も払っているのだから、余程のことでない限り、こちらの好きにすればいいのに、"相手に申し訳ない"などと考えてしまい、"気持ちいい!最高!"とまでは思えなかった。
ここで、俺は自分がS○Xに向いていないんだと気づいた。
一目惚れもしたこと無い。
誰かをどうしようもなく好きになったことも。
恋愛もできず、S○Xもできないとなれば、俺はどうすればいいのだろう。
したようだ、というのは、式を挙げたが呼ばれなかったからだ。
正確には「(恋愛することに対してコンプレックスを持っている俺は)素直に祝ってやれる自信がないから、招待しなくていい」と断ったからだ。
とはいえ、仮に式に呼んでもらったとして、どんな顔をしていればよかったのだろうか。
式が無事に終わった旨連絡を受け、ここ数日、どうしようもない孤独感に苛まされている。
俺はこれからもこうやって生きてゆくのだろうか。
定番の○○菌ってやつ。
自分が触ったものには○○菌がついているから、だれも触らない。
フォークダンスは手を握っているフリ。終わった瞬間に結構な距離を置かれる。
なんだか、こっちが悪い気がしてくる。
学校では日記を先生に提出するんだけど、ある日に親友がそれを見かねて書いてくれたらしい。
その友達も号泣。いじめに加わっていた多数のクラスメイト達も号泣。
「許してね」「悪かった」と口々に謝ってくれていた。
そんな中、やっぱり「我関せず」とばかりに帰る奴もいて、そいつらとは疎遠のままだった。
表立っていじめるようなことはしないけど、あからさまに無視をされている状態。
謝罪された奴らとは仲直りしたけど、やはり何か違う。距離を置かれているというか、心は許されていない感じ。
そんな中、親の仕事の都合で転校する。
転校先の学校では、いままでの自分は知られていないから皆が普通に扱ってくれている事がすごく嬉しい。
やっと自分が生まれ変われた気がしていた。
しかし、どこの学校にもいじめというものはあるもの。やはり、別のクラスの児童が同じようにいじめられていた。
主に精神的な暴力に見舞われていた。「キモい」腐るほど聞いた言葉だと思う。
よく「キモい」と言われていた。実際鏡を見ると肌がキモかった。どうしようもないなと小学校2年にして思った。悟ったような心地だった。どうしようもないのでどうしようもないとしか思わなかった。
だが人にいじめられるのは辛かった。
でもそれよりも辛いことがあると知った。
ある時気付いたが、俺は何もしてなくとも、俺の存在がアンタッチャブルになっていると知った。俺の机や椅子が病原菌の発生源扱いされているのだ。『気持ち悪いのが移る』といった、菌が移るとか、放射能が移るとか、そういった扱いだ。
いつのまにか俺自身が罰ゲームの道具と化していた。同級生が遊びで罰ゲームの流れになった時に、罰の度合いによって、俺の椅子を触る、俺の机を触る、俺の頭部を触るというふうに設定されていた。俺と握手をするといったものもあった。俺と握手をすることは、それだけで極めて罰ゲームの対象になるほどの扱いだったらしい。とにかく、俺個人だけが他人と接することは罰に値する行為と設定されていた。
懐かしい話。
小学校給食の時、俺に絶対に配膳をしないで欲しいと頼まれたことがある。私がやるから!と。
同級生の転校見送りで全員と握手。俺だけ飛ばされた。
席替えの時、俺と隣の席になっただけで泣いた女子がいた。俺の席は地雷扱い。とても悲しかったが、俺よりも泣いている女子が被害者扱いされていた。○○ちゃんを泣かすなと言われた。なんだか自分が犯罪でもしたような気持ちになり、謝った。
林間学校。同じく略。
中学に入ると更に悪化した。ニキビが酷い。もうどうしようもないので諦めることにした。
ちゃんと洗顔してるの?などと言われたり、不潔にしてると嫌われるよ?と説教されたりしたが、説明すら面倒なので、他人との関わりは事務的に対処することにした。
小学校の頃は泣くこともあったが、それはなくなった。「キモい奴」の感情は、それがどんなものであっても、須らくキモいと扱われることを学習した。泣いても誰も慰めてくれるわけではないのだ。「うわ、泣いてるよキモーイ」という言葉は飛んでくる。泣いたとき、誰かに慰めてもらい、誰かに甘えることができるのは、泣き顔のかわいい子供だけに与えられた特権だ。かわいいは正義。
高校の時にネットを始め、その時既にあやしいは現役ではなかったが、油日記(復刻版)を発見した。俺の虐められ方とは違ったし、創作だが、同調した。その後2chに行き着き、喪板などを読んだ。わりと面白く、同胞感を得た。
基本的に話したことは「一般人」の世界観に沿って理解されると学習した。
こういった経験がある。
自分は彼女が欲しいなどと他人に表明したことは一度もないのだが、何故か「つまりさあ、彼女欲しいんだろ?それならもう少し清潔な格好をしろよ!それくらいしないのに彼女が欲しいと考えるのは甘えだろ!くどくど・・・」と説教された覚えがある。
意味が分からない。はじめの「つまり」は、何がつまりだったのか今も理解出来ない。
他にも「それオナニーのしすぎでしょ? エロゲ? もう少し運動したほうがいいよ 汗かくと肌の調子良くなるって知ってる?」
皮膚炎が故に面倒なので、オナニーとか殆どしないんだが。下手に汗をかくと悪化するんだが。ちなみにオタ趣味も特にない。
ここまで来るともうどうしようもない。そもそも思ってないことを俺が思ってるかのごとく決めつけて説教してくるわけなので、反論すらできない。反論しても「自分のことを隠すのはよくないぞ!友達が出来ないのは自分から拒絶してるからだよ!」と、ズレた説教をされるので、もはや相互理解不能であるとして諦めることにした。
大学に上がる頃には最早、人と接する場合は出来るだけ機械的事務的に接する癖がついていた。情緒的交流を行うと、キモがられると理解したから。キモいやつが「人間らしく」話しかけるとキモがられるんだ。経験則である。だから機械的事務的な交流に徹していた。もちろん打ち解けたいとかいう欲求はあった。でも、無理だから。ずっとキモがられて拒絶されてたから、諦念。実現不能な欲求は消すに限る。
で、俺は出来るだけ全般的に対人交流では機械的事務的に接していた。その中で事務的な理由で同学年女性と交流する必要が出てきた。それで事務的に交流をしていた。
その後数カ月したある時に女性の友人に話しかけられた。「下心」を持って○○さんに接するなと。嫌がっている。貴方に個人的好意は持ってないし、もっと言えば生理的に気持ち悪い、と。これ以上するならセクハラでもあるから気をつけて欲しい、と。
・・・は?となった。意味が分からない。俺は、出来るだけ、機械的、事務的に、接してたつもりなんだが。当然俺だって人間なので、感情的な部分が透けて見えることもあるだろうが、だが、一連の事務処理の流れの中でのみの対人交流だったはずだ。
弁明はしようと思ったが、「またか」という思いが強く、即諦めた。どうせこのタイプの「勘違い」をされたら、弁明不可能なのだから。そもそも無い下心でも、そんなものは無かったですと言った所で、もっと本心を認めろよ!自分のことを隠すな!とクソ下らない説教をされる経験が頭を過ぎった。
「下心」が見え透いていたらしくて申し訳ないね。自分は下心どころか、ほとんど、誰かに「本心」を表明しようとした覚えすら無かったつもりですが。その「本心」も、「セックスしたい」といった類ではなくて「もういい加減に誰か助けてくれないか」というものなのだけども。
セックス欲求は殆ど無い。ある欲求といえばただ。人並みに人と接し、出来るならむしろ、子供の時に、いじめられてた時に歳相応に人に慰めてもらい、もっと言えば甘えたりしたかった。それくらいである。
大学はやめようと考えたが、既に3年次だったしやめなかった。ここまで事が重なると人間、耐性が付くものだなと思った。
就職は女性との関わりが少ない職場となった。非定型発達的な気質を感じる職場で、その後はいくらか楽だった。今まで俺を容姿で差別してきた人間は主に女性だった。ただ、女性でも自閉症圏に属するような雰囲気を醸し出す個人には差別されなかった。推測だが男性より女性のほうが、特に対人コミュニケーションに長けた女性ほど、生理的に受け付けない人間への嫌悪感が強く、またそれを社会的に排除することに抵抗が無いのではと考えている。男性では女性に対して積極的“女性にやさしい”ほうが露骨に差別的だった。
しかしセクハラとはいうが。懐かしいな。小学校での、あの罰ゲームにそっくりだ。
俺はその時もまた加害者として扱われてたんだろう。だが俺は何の被害によって傷ついているんだろうな。俺の被害は誰も恢復してくれない。被害とすら扱われていないし、俺は常に加害者の地位に押し込まれている。
生理的にムリで申し訳ない。“俺が加害者“で悪かった。キモい、近寄らないで、と思わせてしまったなら謝るよ。
この社会では、人にキモいと思わせる雰囲気があったことが、存在するだけでセクハラでスティグマに値するんだろう。
生まれてきて悪かったね。
いや、生まれた時代が悪かったのか。
興味8割、期待2割で行ってきた。なんともいえない暗い気分になったので、書いておく。
俺は30代前半、金融系正社員。彼女いない暦1年。キモメンではないが、かっこいいと言われたことは無い。普通にコミュニケーションはとれる。自分では中の下だと思っているが、人からは下の上くらいと思われているかもしれない。
先週の日曜日、一日予定も無く暇だったので、以前から友人と「いってみてーな」「どんなかんじなんだろうな」と話していたお見合いパーティーに行ってみようとふと思い立ち、ネットで検索。最大手のお見合いパーティー会社のサイトで、当日すぐに参加できるパーティーを探してみた。すごいな、東京のいろんなところで、平日も含めて一日何ショットもパーティーが開催されてんのな。友人を誘おうかとも思ったが、なんとなく一人で行くことに。
とりあえず、銀座で16時半スタートのパーティーに申し込む。参加費は、男性4,500円。女性1,500円。男性は大卒、年収が600万以上という条件付き。この条件が無くなると、男性の会費がもうちょっと高くなって、女性の会費はもうちょっと安くなる。年齢は男女とも26歳〜40歳ということだったけど、実際にはそれ以上の人も以下の人も来ていた。
会場に行くと、男女別に受付があって、そこで会費を払って(俺はネットでクレカ払いしてあったので不要)、身分証明書と名刺を見せて、番号の入った胸バッジと書類を色々もらう。受付の雰囲気は、結婚式の2次会みたいな感じかな。
中は高校の教室くらいの広さで、椅子がたくさん並んでいる。どの椅子も、1対1の対面式。そこに男女が向かいあって座る訳だ。ざっと見ると、結構かわいい子もいるけど、ちょっといまいちな女性もいる。その比率は普通に街中を歩いている女性をランダムにサンプリングした場合と、ほとんどかわらないと思う。男性も、普通の世間のレベルと同じくらいだろうと思う。純朴そうなやつもいれば、さわやかなイケメンもいる。どうやら男性の方がだいぶ多いみたいで、男性55人くらい、女性40人くらいがいた模様。
番号で指定された椅子に座って、まずは「プロファイルシート」というのを書く。要するに自己紹介ペーパーだ。名前、職業、年収、趣味、好みのタイプとかを書く。
16時45分ごろになったところで、スタッフの人のアナウンスでパーティーというのが始まる。最初は、とりあえず全員、すべての異性と話てみようというコーナーだ。まずは対面の女性に挨拶し、プロファイルシートを渡して、会話をする。黙ったままプロファイルシートを熟読するのもなんかまずい気がするけど、それ以外にきっかけが無いので、とりあえず「趣味」とかの欄をざっと見て会話を始める。「仕事大変ですか?」とか「あ、家近いですね」とか毒にも薬にもならん会話をしていると、スタッフが「時間です!男性は席を立って、次の女性の前に移動してください」とマイクでアナウンスする。そうなると、会話を手じまいさせて、渡していた自分のプロファイルシートを返してもらい(相手のプロファイルシートを返して)、男は一つとなりの女性の前に移動する。そして、挨拶、プロファイルシート渡す、会話、「移動してください」、移動。それをひたすら繰り返す。体育の時間にやったフォークダンスみたいなもんだ。一人の人と会話できる時間は1分くらい。スタッフは開始時に「2分くらい」と行っていたが、実際始まってみたら1分単位でどんどんまわしはじめた。この会社のサイトを信じるならば、通常は1人との会話に3分くらい与えられるらしい。今回は人数が多かったので、時間を短縮したようだ。当然、1分でまともな会話なんかできない。そして、これもフォークダンスと同じなんだけど、男の方が多ければやっぱりあまる男が出てくる。余った男は男と踊る…わけじゃなくて、ところどころ「1回やすみ」の席がある。女性と話ながら椅子をどんどん移動していって、対面に女性がいない席にきたら、そこは「1回やすみ」というわけ。その隙に、直前に話した数人の女性の「評価」をメモする。1分の会話では性格なんかほとんどわからないので、ほとんどは顔と年齢(個人的に年上は好みじゃないので)だけで決める。
全員との会話が終わったところで、アプローチカードというものを記入させられる。一人あたり2枚ずつ渡される。要するに、自分が興味をもった女性を2人選んで、その人にメッセージを伝えられるというものだ。ちょっと複雑なんだけど、これはパーティーの最後にある「カップル成立」のためのアンケートとは別物だ。このアプローチカードは、単に相手に渡して、自分が興味をもっていることを伝えることだけが目的だ。スタッフが回収して、後で相手に渡してくれる。
その後、フリータイムが始まる。これは、好きな女性の席に移動して、その人と会話できるというものだ。フリータイムは3分間×4回。ただ、かならず1対1でなければいけないので、人気の女性の前の席は椅子とりゲーム状態になる。中には、1回ぶんを犠牲にして、「順番待ち」をしている男もいた。また、男の方が多い訳なので、当然余る男も出てくる。そうした男は、ぼーっと立ったり、トイレに行ったりして時間をつぶすことになる。そして、これが何よりも残酷だと思うのだが、男が余っているにもかかわらず、人気のない女性の前の席はからっぽだったりする。そんな女性にとって、その3分間は地獄だろう。
フリータイムの間に、スタッフが紙を配りはじめる。さっき記入した「アプローチカード」だ。自分に対して興味をしめしているアプローチカードを、本人に配るのだ。残念ながら、俺の所には1枚も来なかった(やっぱり下の上か?)。見ていると、男も女も一部の人がたくさんのカードをもらっていて、大部分の人はゼロだったようだ。
4回のフリータイムが終わると、いよいよ最終的な「気に入った異性選び」だ。所定の紙に、カップルになりたい女性の番号を書く。第6希望まで書ける。これをスタッフが回収していく。10分ほど待たされる。スタッフが登場して、成立したカップルの番号を読み上げていく。今回は11組が成立したらしい。俺の番号は呼ばれなかった。
そして、パーティーが終了。まずは女性が先に退出する。「カップルが成立した女性は、ビルの下のカフェの前で相手の男性を待っていてください。」とスタッフのアナウンス。なるほど、さすがに会場の中でカップル成立組と不成立組がはっきりしちゃうとまずいだろうからね。
女性が全員退出したところで、男性が退出。エレベーターに乗って、会場を出る。帰り際、1Fのカフェの前を見ると、もじもじと恥ずかしそうに立っている女性が数名と、あと成立したと思われるカップルが見えた。
これが俺のお見合いパーティー体験記の顛末。
もうね、始まって30分くらいで面倒くさくなって帰りたかった。
お見合いパーティーって、合コンとかと比べるとより「確実」「堅実」なイメージがあったんだけど、実際は全然違ったよ。合コンの場合なら、例えば4対4で飲みにいけば、一人の子と30分くらいはしゃべれる。4人のなかにはかわいい子もいまいちな子もいるかもしれないけど、いちおう全員とそれなりに会話をしなきゃなという意識くらいはみんな持つと思う。話せば、最初は気づかなかったいいところが見えてきたり、意外と話があったりして驚いたりすることもある。
でも、お見合いパーティーでは1分。あいては40人、50人。そして、これは男も女も同じだと思うんだけど、40人とか50人の異性がずらっと並んでいたら、無意識に相手を「あり」と「無し」にレベル分けしてしまう。どれくらいの相手を「あり」と思うか、つまり興味を持つかの比率は人によって違うと思うけど、40人に平等に興味を持つなんて言うことは絶対に無いと思う。普通は、1〜2割だけを「あり」になって、それ以外は第一印象だけで検討対象から外れるんじゃないか。少なくともそうしないと、あの場所では処理ができない。そして、男性がその1〜2割に選ぶ人は、ほとんどの男性がおなじ女性だろ。そして、女性が選ぶ1〜2割も同じだ。だって、みんな外見でしか選ばない(選べない)んだから。
つまりだ。
40人、50人があつまることで、トップ1〜2割以外は必然的に「雑魚」になる。男性も女性も50人いたって、実際に可能性があるのはトップ10人同士だけのことなんだ。
なんとなく、お見合いパーティーって合コンよりお見合いに近いイメージがあったけど、実際は合コンよりも弱肉強食の世界で、トップ1〜2割だけが一人勝ちする世界だった。逆に言えば、イケメンかつ1分間でトークを盛り上げる自信がある男は、お見合いパーティーに行ってみるといいと思う。多分入れ食いだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090326132240
共学って、青春できていいよなぁ~
僕の出身の群馬の場合、いわゆる進学校に分類される県立高校は、一部の例外を除いて男女別学になっている。
僕の通っていた高校も、県内有数の進学校だったのだけど、例に漏れず男子校。
一部の部活動では、近所の女子高と一緒に練習する機会があったりするらしいのだけど、あまりそこでカップルが誕生したという話は、意外なほど聞かなかったなぁ。
(そもそも、女子高の女の子はブs・・・以下自粛)
文化祭のイベントで女子高生と一緒にフォークダンスというだけで、異様に盛り上がってたたし。
ほとんど唯一の女性教師で、赴任してきた当初は、みんな用も無いのに職員室を覗きに行った思い出が(笑)
まぁ、校内に「恋愛カースト」が存在しなかった分、ある意味、のびのびと育つことができたのだけど、大学へ入ってからが大変だった。
僕の観察によると、男子校出身者が大学へ入って男女ともにいる環境に曝された場合、その環境変化への対応は、大きく分けて2つのグループに分けることが出来る。
これまでの不遇な環境を埋めるべく、やたらめったとくっつきまくる。元々、恋愛というよりエロへの強烈な欲望を持っていたにもかかわらず、不遇な高校時代に欲望を極度に抑圧してきた事への代償と思われる。変態ちっくな方向へ走る者も多い。
そもそも、女子という存在自体に無視を決め込むタイプ。まったく未知の生物である女子にどう接していいのかわからず、心の平静を保つため、初めから存在しないものとみなして行動する。主に、学部自体に女子学生の少ない理系で多く見られる。