はてなキーワード: フェイスブックとは
ふじょしがあつまる漫画だから自分もふじょしなんじゃないかと思われるんじゃないかと思って会話とかに話題出てくるとこわい
アニメ何見るの いやみねぇよ同類にすな 寄るな もうオタクを自称する人きもい
フェイスブックとかやってる人きもい 個人情報発信しまくってる人きもい
私は想像するのが好きなのに汚いおまえらの二次創作物想像の産物ばかり見せんな
みんな寄るなきもちわりい
俺ふじょしの子に妄想漫画描かれたことあるわ〜(笑)とか言わないで私の前で
なんかふじょしじゃないのに私にあてて言われてるみたいでこわい。やめて
隠れキリシタンじゃなくて隠れふじょしを面白がってあぶり出す姿勢?
いやふじょしじゃねーから仮に男同士でアナルにちんこズコズコする漫画書くにしてもお前をモデルにしたりアニメキャラクターモデルにしねぇわ
まじでそーゆーめでみないで。
★アベノミクスによる、東京アッパークラスの「消費回復」って、言ってみれば「フェイスブック景気」。
「アベノミクス、いいね!」の感覚で高額消費していたのが実態だと思う。
言い方を変えれば、「自分がリア充である証」として、アベノミクス的にタワーマンションを買ったり、百貨店で高額消費していた。
★フェイスブック界隈、アイスバケツチャレンジをしている界隈って、人脈ネットワークが広いようでいて狭いから、
2012年末の「自民党大勝」の頃から、一部の「直接、アベノミクスの効果を享受する人」の高揚感が、他のフェースブックユーザーに伝播して、
★一方、元々リア充界隈とコネクションのない一般ピーポーは、別にアベノミクスに対して「いいね!」ボタンを押す必要性を感じてない。
日本全体ではフェイスブック非ユーザーの方が多数派だから、景気は別に回復していない。
★今回、エコノミストの予想全ハズレしたが、エコノミストの全員が東京在住。また、かなりの割合でフェイスブックユーザー。
東京経済・フェイスブックユーザーの皮膚感覚を先入観で持ってしまって、そのまま経済予想を立てて、全滅したんだろう。
そういう東京エコノミストの見立てを信じて解散戦略建てた首相が馬鹿を見た
地方ではガソリンが高いと、「クルマを使った買い物・レジャー支出」までも縮小に入る。その辺の波及逆効果を、電車経済圏の東京エコノミストはわかってない
悪魔のツールフェイスブック、たいてい学生時代のクラスメイトやリア充やらがキラキラリア充ライフや子供の写真を載せて自慢大会してるところだけど、
虐めてたくせになんだよこいつとおもいつつページを覗いたら見事にメンヘラ系統のシェアばっかり。
やたらイイハナシダナーとかそんなのばっかシェアしている。
とりあえず承認しておいたのだが、どうやら底辺大学を出たあとブラック会社に就職し、案の定鬱病になり、仕事で怪我して下半身不随になっていた。
もうね、ざまーーーーーーみろwwwwwwwwwwwwww
まず底辺大学行ってるところで、負け組に転落してたけど更に転落しててほんと笑える。
いじめられていた頃、絶対大人になったらこいつよりいい生活してやるんだ、だから勉強頑張るんだとしがみついてきたけど…
まさにその通りになって本当に最高。
当時は死ねしねって思ってたけど、今はどんどん障害増えて苦しみながら生きてほしいなぁって心から思う。
で、そんな彼が私が旦那といった海外旅行の写真にイイネして「おれもいきたいなぁー」とかコメントしてるのを見ると本当に笑えるwwwwww
足がない奴がハイキング前提の海外なんていけるわけないしwwwwww
そもそもお前かねないじゃんwwwwwwwwww
あーほんと愉快愉快。
思い出すだけで苛々する。
検索してみたら同じような思いをしている人が他にもいるようだ。
http://okwave.jp/qa/q7703721.html
http://ddrdiet.jugem.jp/?eid=1631
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12134183402
http://d.hatena.ne.jp/gan_jazz/20120829/p1
ここ最近、フェイスブックの「スポンサー記事」を筆頭に、ウェブ界隈の各所にて、しつこいほどに出て来るgifアニメの広告がありまして…ちょっとウザいのです。
…コレっす。(↓)
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gan_jazz/20120830/20120830085549.gif
TwitterやフェイスブックやMixiなどをひとつのコミュニティごとにそれぞれのアカウントを作成して分けて使っている。
ネトゲで知り合った人達はこれ、リアフレはこれ、また違うコミュミティで知り合ったらこれという感じ。
最初のきっかけは、まだネット(SNS)をしてる事時代がそんなに一般的でもない感じの時に、リアフレにバレないようネット用のアカウントを作って住み分けはじめたのがはじまりだった。
そのまま今まで来てるんだけど、どれもそれなりに長い事使ってきたので今更統合させるのも恥ずかしい、でもどのコミュニティも良い付き合いをしてもらっているから統合して楽になりたい感もある。
最近じゃあ猫も杓子もバイラルメディア、バイラルメディアとうるさい。
お手軽にネット上のコンテンツをかき集めて写真を転載、文章をコピペして、
煽情的な見出しをつければ一丁上がり。引用元がひとつのサイトのみってこともある。
自分が書いた文章をまるまるパクられたこともあって良い印象はないが、
ユーザー目線から見たらクリックしたページがおもしろければ何でもいいんだろう。
だからそんなパクリコンテンツがどんどこツイッターやフェイスブックでシェアされる。
だけど気になっているのは著作権違反だとかデマ拡散装置だからタチが悪いとか、そんなことじゃない。
まとめサイトやバイラルメディアを見るのが、スマホをユーザーなら当たり前になった状況にそのものだ。
今までネットに接してこなかったふつうの人々も、「ネット的」なコンテンツに触れるようになった。
山手線に乗っている派手な若い女性が「○○した結果wwww」なんて記事を読んでいるのを何度も目にしたことがある。
経済学者のタイラーコーエンが「フレーミング」の中で、文化(コンテンツ)を「小さなピース」と「大きなピース」分けて、
「アクセス・コストが低ければ、大小さまざまなピースが選択可能になるが、どちらかといえば小さいピースのほうが好まれる」
と書いているが、まさにこれが当てはまると思う。
スマホで消費しやすい「小さなピース」を供給する役割を果たすのがこれらのメディアだ。
古くからネットコンテンツを単に消費していた自分としては困惑している。
環境の変化によってやってること(ネットサーフィン)は変わっていないのに、おもしろくなくなってきたのだ。
ネットが一部の「情強(笑)」にとっての「おれたちだけがわかる」遊び場ではなくなり、物事を斜めに見るだけで優越感に浸れるものではなくなった。
「おれたち」とそれ以外を分ける境界がスマホ普及・まとめサイト台頭で融解したと言っていい。
そうみると反アフィリエイトを掲げる「嫌儲」スレは、金儲けを単に毛嫌いしているだけでなく、
ネット原住民である「おれたち」の最後の牙城のような役割を果たしているのかもしれない。
過剰な女性叩きやツイッター叩きはひどいものだが、古くからの「おれたち」以外を排除する志向なんだと思う。
でもどんなにあがこうと限界があるし、単なる痛いやつらの吹き溜まりにみたいになっている。
では、今後どうすればネットを楽しめるかというと、全然わからない。とりあえず消費する側から発信する側にまわらないといまのネットは楽しめないって実感はある。
でも発信するやつらの数もあまりに多い。母数が多いと確実に埋もれるから、まずは見てもらうことに力を割かなくてはならない。
匿名ダイヤリーだって自分のブログじゃあ全然アクセスを稼げないから、書いてる人は多いはずだ。
簡単に情報が手に入るし、簡単に情報が発信できるし、簡単にSNSで繋がれるはずなのに、
フラットになったようで競争も激しくなっていて、いい年になってネットの使い方がほんとうにわからなくなってきた。
おそらく10代ぐらいの若い子のほうが複アカを使いこなしながら、しなやかにサバイブしているはずで、
見習ったほうがいいのかなーなんてぼんやりと考えている。
「ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか?
いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。
え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。
例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。
この場合は相手がツッコミ待ちだからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw
だから間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そんなんじゃねえよツッコミってモンはよ、ってね。これツッコミじゃなくてガチダメ出しなw
もひとつ例をあげようか。んーそうだな・・・例えば「人すくな!」。こういうツッコミってどうなんだ?誰にでも言えるよな?見れば誰でも分かる違和感を口にする意味ってなんだ?代弁とか?おもに代弁だな。
でもタイミングが難しい。速すぎても遅すぎてもだめ。特に遅すぎないのが大事。遅れて「人すくな!」と言うと「見りゃわかるわ」と言われるのがオチ。これではツッコミのつもりがボケになっちまうw
みんなが「人少ないな」と思いかける瞬間に「すくな!」と代弁するから賛同される。
なぜ俺はこんな話をしたのか?ちょっと考えれば分かる分析を披露するため?いやそうじゃなく、ツッコミは単なる違和感の訴えなんかじゃないってこと。それが言いたかった。
違和感を訴えるだけなら、どのタイミングで「人すくな!」と言ってもよいはずだ。訴えるだけなら簡単なもんだ。そうじゃないって。ツッコミは鋭くないといけない。
鋭いツッコミとは、人々の違和感をスッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙なタイミングで違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。
もう分かっただろう。ツッコミは間違いの訂正でも違和感の訴えでもない。ツッコミは違和感からの解放。人々のモヤモヤをスッキリさせるから「人心掌握」できるのだ。だから人生の必須スキルなのだ。
みんなそのことを多かれ少なかれ分かってるから「ツッコミスキル鍛えたい!」と思ってる。でも間違いの訂正や違和感の訴えを頑張ってもダメなんだ。それではツッコミスキルが鍛えられない。
ここまで読んだ読者にはもう分かっただろう。ツッコミスキルを鍛えるには、違和感に着目すればいい。常日頃感じた「違和感をメモする」ことから始めてみては。
ただーし、文句を言うのではない。違和感の解決が目的だ。文句ばかり言ってたら違和感が強まるだけ。これはつまらないお笑い芸人になる罠である。
ツッコミスキル鍛えるつもりが文句スキルを鍛えてたなんて笑えない。笑えないし笑わせることもできない。これは文句たれるだけのつまらん人間から脱却するチャンスでもある。
じゃあ違和感はどうやって解決すればいいのか?秀逸なツッコミはどんな具合に違和感を解決していたか思い出してみよう。
フットボールアワー後藤のツッコミ集botをここに置いておきますね。 https://twitter.com/gotosmart_bot 好みが合わない場合は各自用意するように。
秀逸なツッコミというのは例外なく「的確すぎるwww」と笑いたくなるだろう。ただ違和感を表明するのではなく的確に表現するから「たしかにwww」と笑いたくなる。
しかも、ごく当然のことを的確に言いながらも斬新さがあるでしょ?つまり、みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける。だから「たしかに!」と感動され賛同される。これが鋭いツッコミってやつ。
言い換えると、あやふやな説明しか与えない既存の認知をくつがえし、そしてスッキリした枠組みを与えることで、人々の違和感を解決する。それが鋭いツッコミ。
言われてみると当たり前だけどこれがツッコミスキルを鍛えるために重要なんよ。
ここでFAQに答えると、「世の不条理を的確に表現するだけなら批評家でもできるじゃん。でも笑えないこと多いじゃん。」そう思った?
笑える批評もあるよ。映画や音楽の評論家に多い印象があるな。批評が笑えないことが多いのは、抽象的な不条理は「みんなの違和感」として共有するのが難しいから、
視点の斬新さは必ずしも必要ないから、的確さといってもインパクトある的確さにすると暴論になりがちだから、だな。
もひとつ。「詩はユニークで的確な表現を使うけど、だからって笑えるわけじゃない。笑いなんて理屈で説明できないんだよ。」そう思った?
これはそもそも違和感がたりない。詩は美を表現するものだ。違和感が表現されることもあるが、そればかりでは美しくならない。そういうことだ。
大事なことなので2回言います。「みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける」。これが面白いツッコミよ。
となれば、ツッコミスキルの鍛え方はもう完全に分かっただろう。
まず違和感をメモする。メモする時は文句にならないように。これはもう言った。普段から「おや?」と引っかかる物事にアンテナを拡げておくのがいいな。
次に、違和感を的確に表現する練習。これも愚痴にはならないように。表現に斬新さは必要ない。ここまで読んだ君なら、表現を奇抜にするだけじゃ無意味だって分かるだろ?
斬新さが必要なのは視点だ。単に表現が斬新なだけで視点がありきたりなままでは、違和感は解決されない。ありきたりな視点で解決できるならみんな違和感にモヤモヤしてない。
さて、1つの違和感に対して的確な表現を模索してると、突然頭がピカッと光ることがある。新しい視点のひらめきだ。
この回路を鍛えるために練習するのよ。1日に何十回もピカッとするようになったら人生(QOL)も変わる。
最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。
むしろ些細なことのほうがいい。エロ画像集めてると後で見たらあんまエロくないのに保存しちゃうことがあるだろ?興奮してると些細なエロでもエロく感じる。
それと同じで日頃から些細な新しさでも積極的に興奮していこう。派手な新しさの中に本当の新しさは少ない。些細な新しさの中にこそ可能性がある。
だから新しさの感度を高めていくのだ君達。ただし、フェイスブック式の機械的な「いいね!」にはならんように。それでは逆に感性が鈍くなる。
ちゃんと新しいと感じることが大事。ほんのわずかでも新しいと感じてるのを確認してからメモする。
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いやあ、みんなありがとう。以下返信。
まず「なるほど」「こういう能力が欲しい」ってコメントしてくれた人達。ありがとう。
本エントリをツッコミ待ちと解釈した人達、ツッコミ入れた人達。バレちった?w皮肉じゃなく本心なら半分正解。なかなか鋭い。
>「秀逸なツッコミ」は「秀逸」だと気付かれないツッコミです。ツッコまれた人だけが「あ、なんか話しやすい」と思えるのが理想です。目立ちたがりのツッコミは存在がうるそうなる。
確かにそういうものかも。気付かれないほうが気付かせることができる。そう思うんだ。人にツッコむときは気をつけたい。
なるほど。そういう役割もあるね。いろいろ考えてみる。桂枝雀にも興味もったよ。ありがとう。
> 要は、何か違和感のある空気となった時、違和感へ触れることがタブーな雰囲気になる前に即ツッコミをいれてフラットな雰囲気に戻す事ができる能力=ツッコミ力ということでしょうか。
あぁ、場のみんなが違和感に触れやすくする役割もあるのか。他に、触れやすくても言葉にしにくい違和感を代弁して解放させる役割もある。両方ツッコミだけど想定してたのは後者。
> 例えツッコミが復活してきたのって、流れとしてはツッコミのボケ化だと思う。ボケはほんとセンスでやる行為だから真似できない、でもツッコミは例え上手くすりゃ形は真似できる。しかし本当はそっからが大切なんだ
面白い見解だね。ボケ的センスを加えたツッコミ。高圧的に間違いを訂正するツッコミから、ボケて違和感を解放してあげるツッコミへ。
> ツッコミキャラの自負持ってる奴はたいがいクソだと思うけどね
> ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。
いやそれは本当にそう思う。「鋭いツッコミ」ってある意味鋭くないものだよな。
> フリスビーをどこに投げても取ってくれるのがツッコミなのであって、違和感だの非常識だのは関係ないな・・と思ってるのでツッコミを鍛えたいなんて思ってなくて、だから関東の人の会話はフリスビーが飛び交ってる。
なるほど。確かに相槌に近いところがある。どんな暴投でも拾ってくれる相槌。拾う気があればスキルなんて鍛える必要ないとも言える。違和感というよりもっと広く「興味」でどうだろう。
> 笑いの話でいうと、司会者気取りでつまらん無茶振りをしてくるやつが不快。ボケをやりたがる人って少ないよね。
たしかにね。ツッコミが暴力装置になっててボケは損な役回り。だからツッコミの再定義が必要。また、意図せぬボケをしても関西風に「おいしい」と思えるかどうか。
> 日常生活で「面白いツッコミしよう」って思ってる人は、99%がスベッてる。自分の周りの『面白い人』を思い浮かべてみれば、無理に面白いこと言おうとしてないでしょ
うん。身体に染みついてないとな。ツッコミは笑いの道具である前に認識様式でないと。本読む時ツッコミ入れながら理解するけど、そのとき無理してるか?って話。
> 長いよ!自称Sですと同じニオイがする
> ツッコミは多分普段からのキャラの方が重要だと思うけどな。いじられる要素持ってたら言葉に何も説得力を持たないから。
そう。世間ではツッコミキャラ=いじり役になってる。それに目指す価値があるかってことだと思う。
> ツッコミスキルで一番重要なのは、望まれないツッコミはしないということではなかろうか。
批判的ツッコミは危ないね。人々の否定感情を代弁する批判的ツッコミも誰かを傷つけうる。
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補足。
ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感からの解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。
例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解や表現を与えないといけない。
だから、常識や固定観念でしか考えられないでいると、なかなか違和感を解決できないことが多い。違和感を解決できないから、文句を周りにブーブー垂れる。
また、違和感だけでなくその背後にある問題もなかなか解決できない。常識にとらわれて理解が不足し視野が狭くなってるからな。
そう考えると、文句ばっかり言うのは、SOS信号を出してるともみなせる。視野の広い人による愛あるツッコミ待ちってこと。
世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。
当時バイトが一緒で七年前に6回程セックスをした友達が結婚した。
いい歳だったので心配していたが、つい先日フェイスブックで結婚の報告があった。
旦那もアップされていたが俺とは違うタイプでちょっとビックリした。
彼女は顔は可愛く背も小さい。おっぱいも小ブリだがスレンダーな体型。
愛想も良く、当時お客さんからも好かれていた。
とってもいい子だと思う。
表題の件。
それはそれはとてつもなく臭い。
私は現在2人のマンコが臭い人間とセックスをした事があるのだがなんか共通するツンとくるものがあるにおい。
これは嗅いでもらわないと理解出来ないと思う。
今も臭いのかな。
旦那も気付いてると思うんだけど、なんか他人と秘密の共有をしているみたいでドキドキする。
お宅の奥さんマンコ臭いですよね?って言ったらどんな反応するのかな。言わないけど。
この気持ちに名前を付けたいと思うんだけど何がいいか考え中。
携帯電話キャリア各社で通話定額プランが始まってから、徐々にくだらない電話が増えている。
など。一番ひどいのは、
電話だからこっちが何をしていようがお構いなしだ(こっちが見えないのだから)。
1回の電話は数十円程度なので、今まで ”節約のためにかけなかった” というわけではないだろう。
でも、通話定額プランが始まってから、”聞きたければすぐに電話する”という習慣が、彼らの中にできつつある。
しかも言い訳も付けるから長い。「今、外にいてネット使えなくてね…」とか(←そのかけているスマホで調べられるので言い訳になっていない)。
1回1回は数分もかからない程度だし、持ちつ持たれつ助け合い、ということもあるので、抗議はしない。本当に困っている時にまで遠慮されるのは不本意だし。
と、こちらはこれくらい考えた上で、そのくだらない電話に応えているんだよ!
せめて緊急でない用事の時くらいは、
https://twitter.com/sahoobb/status/505525364521570304
要するに、「音楽の話をせずに」、「好きなもんを好きな様に聞けば」いいのだ。
そうやって過ごせれば、こんなに平和なことはないなんて赤ん坊でもわかる。そうやって過ごせればどんなにいいか。
「音楽に国境はない」。とても有名で、とてもすてきな言葉だ。たぶんボブ・ディランの歌詞だろう。音楽関係の名言の九割はボブ・ディランの口から発しているとされおり、すごく有り難い。
ところが現実はボブ・ディランではない。各国の土着・民族音楽に使用されている音源はおのおので笑えるくらいに異なり、「国境なんてないんだ」などとほざいて通じるように聞こえる西洋音階によるポップチャート侵略主義の結果に過ぎない。しかしだ。ここはあえてボブ・ディランに百歩譲りたい。音楽に国境はない。その呑気なテーゼを容認したうえで、ボブ・ディランはこう付言する。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togech.jp/2014/08/30/12027
ここにコメントを書いているブクマカ(死語)は全員、本質を見誤っている。
音楽の話において、人が他人を見下すのはそいつがマイナージャンルを好きだからではない。過去の自分を見ているからでもない。人間は見下すように生まれた動物だから、というのはちょっとあるが、決定的ではない。
女が泣くのは、音楽の話をコミュニケーションの道具に使うからだ。
そもそも音楽の話はコミュニケーションの媒介として非常に燃費が悪い。なんせ、実物がないとその曲がどういうものか、ぼんやりとすらわからない。小説や漫画には筋がある、映画には役者がいる、スポーツには様式化されたアクションが、アイドルや芸能人にはゴシップが、文学にもゴシップが、それぞれ素人にも言語化しやすい形で道具として可視状態にある。
音楽には何もない。楽器に触れたこともない素人二人が互いに片方しか知らない曲の話をする場合、だいたいはエモーショナルでよくわからない表現に頼るしかない。あるいは「いいんだよ」だ。「うまく言えないけど、とにかくヤバイの」。これでは何も伝わらない。即時性を重要視するコミュニケーションの現場では、音楽など、口下手な二人の間で放置され冷めたフライドポテトよりも価値がない。すくなくとも冷めたポテトは「まずい」という互いがすぐに了解しあえる話題のフックを備えている。
なんだ、当たり前の話じゃないか、そんなことは昔からわかっているよ、とあんたは言うだろう。
ところがあんたは昔とおなじくらいに何もわかっちゃいない。
順序を間違えている。
人は他人を見下す生き物であり、だから、音楽の話でコミュニケーションを取ろうとすると悲劇が起こる、あんたはそう考えている。でなければ、あんた以外の誰かはそう考えている。
違う。逆だ。
音楽の話でコミュニケーションを取ろうとするから、他人を見下す生き物としての人の顔が顕現してしまうのだ。これは理屈でも論理でもなく、真理だ。
音楽は門戸がビッチの(ピー)なみにガバガバに広い。食べ物と似た感覚で「うまい」と「まずい」を直感的に判断できる。その直感は、一見まじりけなく、自分の本質、アーイデーンティーティがぁーー♪に直結しているように思われる。
だが、アウトプットしようとなると、童貞のケツ穴のごとく狭窄だ。和音? コード進行? ポリフォニック? Perfumeのゴリラ?
なんだそれは? なんだそれは? なんだそのわけのわからない……専門用語は?
そして、俺を含めた素人の九割はその意味を知ろうとしない。「しろうと」だけに。これは駄洒落でも冗談でもなく、真理だ。いや、ほんとうに。
ゆえに、聞く行為そのものが直感的な好みへ直ケツし、下痢気味の短腸生物のごとく未消化でそのまま「おれのアイデンティティ」へ繋がる。
すると、どうなる?
コミュニケーションバトラーたちは「○○を聞いている俺=俺自身」で勝負するしかなくなる。変化球も切り札も伏せカードも強欲な壺もない、各種ジュアルルールも適用されない生の殴り合い。怯んではならない。ダウンしてはならない。なぜなら、その曲は「俺」の魂そのものであるからだ。
それはかつて冷戦下で想定された最悪のシナリオに酷似している。発動されてしまった相互確証破壊戦略。スクリーンを飛び出してしまったスター・ウォーズ。後には誰も残らない。灰と水曜日以外、残らない。
20XX年、ここは音楽の話の核の炎に包まれた日本だ。モヒカン(ゲスの極み乙女。)が汚物(イグザイル)をルールする日本だ。
みんなが音楽の話をしている。フェイスブックで、twitterで、日常会話で、好きなアーティストを主張しまくっている。もう手遅れだ。
最初の女の嘆きに戻ろう。すまない。君には嘘をついた。「君一人が黙ればすむ」だなんて。
でも、さっき言ったように、ほんとうはもう全世界的に手遅れなの、君一人が黙ってももうダメなの、ごめんね、でもほんとうです。
しかし、本当のおわりが来る前に試みることができる解決策が二つ、ある。もちろん、択一だ。どちらかが正解のコードかもしれないし、どちらを切っても結局爆発するのかもしれない。なんであれ、やってみるだけの価値はある。
一つ目、耳を塞いで今君のいるコミュニティ(フィジカルなものもバーチャルなものも)から遁走し、誰も音楽になんてプリミティブな代物以上の興味を持たない新天地(老人ホームがおすすめだ)を探し出し、そこに逃げ込んで、鼓膜を破り、二度とiPhoneの再生ボタンを押さないことだ。
二つ目――これはきみが臆病者でない場合のプランだ、当然、保険はきかない。
とりあえず、だれでもいい、きみの周囲のモヒカンを無作為に選び出し、襟を拳で持ち上げ、殴れ。
ボコボコにしろ。そして、耳をかっぽじってよく言い聞かせるのだ。
「これから二度と私の前で、音楽の話なんてするんじゃないよ」と。
相手は腫れ上がったクチビルで言い返すだろう。「勘弁してくれ、音楽は俺の魂なんだ」と。
言ってやれ。「あんたは○○○かい? 音楽なんざいくらでも聞きな、あたしは『音楽の話』をするな、って言ってんだ!!」
それから、相手の携帯を出すように命じろ。ロック解除のパスワードを聞き出したなら、フェイスブックとその他諸々のSNSへアクセスしろ。まず、プロフィール欄の「好きな音楽」を抹消しろ。twitterのプロフィールは「わたしは卑怯なネオナチの豚野郎です」と書き換えろ。
それから、そいつが過去にweb上で行ったあらゆる音楽関係の発言を消してまわれ。終わったら、君はその携帯を愛をもって持ち主に返却するか、悪魔の笑みを浮かべて膝で叩き割るか、電子レンジでチンするか、そのどれかを選べる。この選択は択一ではない。
君に関係する豚野郎どもの携帯がすべてアルミのメルトチーズと化したころ、君はようやくお気に入りのイヤフォンであるATH-CKN70を耳孔に接続できる。
もはや君の周囲で音楽の話をする豚はいない。君に話しかける人間もいない。誰にも邪魔されない。
本物の安寧と平和が手に入る。
本物の安寧と平和、いい言葉だ。きっとボブ・ディランが作ったに違いない。あるいは残りの一割を司るアジカンの眼鏡が。
ピース。
ツイッター、フェイスブックその他SNSで海外のテロリストとコミュニケーションをとってはいけません、外交問題になりますと
すぐ明確に声明を出すべきなんじゃないかな
それをやるとコミュニケーションがとれることを知らなかった人にも情報が伝わることになり問題になるのかな。
今回の件、
「なにかやらかした人間にはネット上ではどんな制裁を加えてもいい」という風潮が、行くとこまで行った感じ。
人の人生を崩壊させることに快感を覚える人たちが、外交問題になるとも考えず、やらかしちゃった。
このテロリストへの「告げ口」、喫煙中高生を学校に「通報しますた」みたいなノリでやったんだろうなぁ。
怖いなぁ。そして浅はかだなぁ。