はてなキーワード: デシベルとは
デシベルが同じなら、でけえ声はでけえ声だよな
むしろ俺の声のほうが低いし、普段声出してないから多分大した声でねえから、子供の方がうるさい可能性大
電車とか高級ではないレストランとかで俺がギョエエエエ!!つってたら排斥されて、ガキだったらセーフな理由って、実際なんなんだ?
というか、マジな話、たぶん、実際のところ排斥されないよな
俺はさ、本当は、スタバで突然「フンガー!こんクソ〜!!!オアアアアア!!!!!」つって暴れていいんだよ
まあ暴れるっつってもコップ投げたりし出すと話が変わってくるけど、少なくともでけえ声上げて地団駄踏むくらいはいいはずだ
というか、実際そういうヤベー奴っているもんな
そうなんだよ 世界って意外と寛容で、俺が勝手にルールを見出して、勝手に守ろうとして窮屈なだけなんだ
だから、ガキがスタバでギャアギャア騒いでたら、俺も騒げばいいんだ実際
「んあああああ!!!!うるさいよお!!!!!うるさくて我慢できないよーーーー!!!!!」つってさあ
ガキは別に、あのオッサンキモくて臭いよ〜!つって俺に攻撃してきてんじゃないんだから、ガキのうるささを直接攻撃したらフェアじゃない
ああああああ!!!!!うあああああああああ!!!!!!!つってさあ
もうぜってえ静かになんじゃん
ガキもヤベー奴って分かるからさあ
やべー奴が突然でけえ声出して、みんな静まり返ってんのに、そうそう騒がねえよ
なのでですね、うるせえガキがムカつくんだったら、やるべきことはひとつだけですよ
お前も騒げ
同じ音量なら許容されるって意味なんだよ
なんか言われたら、じゃああっちの子供もなんとかしてくださいよ、俺は彼の姿をみて、あの音量がこの店の許容範囲なんだと判断したんです、と言えばいい
トシとってるからデケー声出すな、なんてのはサイテーのエイジズムだから無視してOK
サマソニ大阪8/21に参加した。takaの発言を、フェスに行ってない奴らが叩いているけど実際のところ声出しはコロナ前に戻ったと言っていいくらい普通にやっていたし、アーティスト側が歌え・騒げと促すことも当たり前のように行われていた。コロナ中に行われていた本当にまったく発声しないライブも経験したが、あの頃とは明らかに空気が変わったと感じたし、客もそうした空気を読んで「声出しはOKなんだな」と認識していた。
しかしこんなのは運営側が厳しく禁止すれば以前のような発声禁止のフェスは実現できたはず。発声に関しては完全に「見逃されて」いたと感じたし、それを許す世間的な空気の醸成があったとも感じている。そもレギュレーションにしてからが「大声・歓声」の禁止で、「何デシベル以上が大声・歓声」なんて線引きができる訳がないので実質解禁状態だった。また、途中何度も行われたラジオパーソナリティによるアナウンスでも、ダイヴ・モッシュといった客同士の接触は絶対ダメだと念を押され、「リストバンドを切って一発退場」と脅されていたし、マスクの着用に関しても要請されていたが、発声に関して注意しているのは一度も確認できなかった。しようと思えば注意できるチャンスは何度もあったし、うるさく言われれば客も自粛したはず。運営(クリマン)も同罪であることは明らかだ。
先日行われたフジロックにしても、配信で見る限り今回のサマソニと同じくらい客は発声していたのが確認できたし、これも(実際のレギュレーションにかかわらず)「大目に見られていた」のは明らか。フジロック時、ツイッターではいくつか「アーティストが歌うのを促していた。どういうことか」と憤るツイートも見かけたが、特に問題視されることもなかったし、「ああ、空気が変わったんだな」と思った。たまたま今回takaがはっきり口にしたので騒ぎになっただけで、それがなければ発声のことなど誰も問題にしなかっただろう。いずれにせよ、今回の騒ぎにも関わらず、この夏で発声に関しては完全にOKの空気ができたので、これはもう後戻りすることはないと思う。運営が同罪と書いたが、大きくはフェスやライヴに参加する客全体の空気がそれを許しているので、身も蓋もない言い方をすれば「赤信号をみんなで渡る」的なことだと思う。だいたい3年たってコロナとの距離感もだいたい分かったからな。
逆なのかな?
この仮説は多分正しくて、統計のやり方によってはこれ一本でこの話は終わるだろう。
ハンバーガーを食べ過ぎた次の日のウンコは消化しきれなかった動物性脂肪と科学的な調味物質が組み合わさった独特のマクドナルド臭がウンコから漂ってくるものだ。
それと同じように、日本人が日常的にご飯を摂取することで、日本人のウンコからはご飯の匂いが立ち上りやすいだけなのだと結論づけることは出来る。
が、ハンバーガーウンコを出した直後にハンバーガーを食べても「ウンコと同じ匂いじゃね?」と感じることはあっても「この匂いはウンコの匂いだ」と感じることはない。
日本人の脳に「ウンコ」として刷り込まれ学習された匂いと、ある種のご飯が醸し出すベチャベチャとして湿っぽくもどこかすえて炊きあがったような匂い、その両者の一致はあまりにも親しすぎるのだ。
そもそも人間が感じ取れる匂いの種類ってどれぐらいあるんだろう。
ただ間違いなく言えるのはご飯はたまにウンコの匂いがするってことだ。
匂いのやたら強い割り箸だったり、金属臭のキツイスプーンと組み合わされることでウンコとして完成する感じはある。
つまりはご飯がウンコ臭いとき、ご飯が担当しているのは「水気」「香ばしさ」「食品臭」などのいわば「負のシズル感」とも言える部分であり、それに食器が放つ「非食品臭」が混ざることでウンコが誕生するのだろうか?
水分と温度を伴った空間の中で物質の状態を変化させ、それらを強烈な蒸気と共に完成させる。
その結果として作り出される高温で高エネルギーな物質は雑菌たちにとって格好の繁殖地となり、毎秒毎秒生命活動を繰り返すことで雑菌は排泄物としてゲオスミン臭などを残していく。
人間のウンコとは人体に住まう小さな命の作り出したウンコの集合体でもあるのだ。
そしてご飯もまた、その表面上に置いて無数の細菌達が毎秒毎秒刻一刻とその数を増やしながらウンコを繰り返している。
いわば全ての食品は雑菌のウンコまみれであり、人糞との違いはそのウンコの濃度の違いでしかないとも言える。
音を表現するデシベルが対数刻みなのは人体が感じ取る感覚が対数刻みだからであるからだが、それは視覚や嗅覚でも同じである。
それはある匂い物質のある濃度に対して人間が感じる匂いを1とするとき、100分の1の匂い物質に対して人間が感じる臭さは100分の1よりも大きいということだ。
ご飯や割り箸の表面に集った微生物たちの微生物ウンコの密度が人間のウンコの何万分の1まで下がれば人体はその匂いを感じ取らずに済むのだろうか?
その答は「食品の匂いがウンコから遠ざかればそっちにかき消されることが出来る」と結論付けられるのではないだろうか?
つまる所、ある種のご飯からウンコの匂いがするのはやはり「そのご飯はウンコの匂いがするので、全ての食品が必然的に纏ってしまうウンコっぽい匂いを自分の匂いでかき消すことが出来ない」ということなのではないだろうか?
つまり、やはり「ご飯は時折うんこっぽい」というのは是なのだ。
白米至上主義の日本国民としては非常に悲しい結論だが、この現実から逃げていては日本食に発展の未来はないだろう。
受け入れよう。
コロナまじきつい。
便乗して体験記。
感染経路不明。かなり慎重に生活、買い物以外の外出や外食もなし。
起床時のだるさ。牛乳が「鉄くさい味」。
検温36.9度。夜には38度台に。
自宅療養開始。
県から送られてきたパルスオキシメーターで酸素濃度をはかり、朝9時に体温と共に報告するよう指示がある。
高熱、食べられない、起きられない、眠れない、下痢。
酸素濃度の数値は頻繁に93以下になる。
24時間対応の療養サポートに電話を入れるが、「計り直せ」「指をかえてはかれ」「ダイニングテーブルの周りを10周歩いてからはかってその数値を報告しろ」。
「患者はあなただけじゃない」「またあなたですか」「入院したい人はたくさんいる」「入院できたとしても市外、そこからかなり遠方」「救急車呼びたかったら呼んでもいいけど、たらい回しかも」等。
かなりきつい「指導」に、メンタル疲弊。途中保健所から連絡がくる。
起きられないが眠れもしない。このまま死ぬのかもと思う。
9日に「明日、入院対応になる。朝9時に電話を」と療養サポートから電話がくる。
昨日の指示通り朝電話を入れるが「これからカンファレンス。入院したいひとはたくさんいる」と言われて不安になる。
昼近くに「入院決定。2時に移送車」と連絡がある。自宅から8キロくらいの地域の中核病院。市内、しかも近隣。
病院での検温40度超え。
酸素投与。
鼻からの酸素で食事やトイレ時に80台に落ち込むため、マスクでの酸素に変更。
点滴も飲み薬も効果は出ていず、入院後からさらに悪化している。
通常の酸素投与で酸素濃度が上がらないため、ネーザルハイフロー開始。
回復傾向が見られ始める。
退院。
退院後の再診。
その辺のライブハウスとかに行ったことがある人だと一度は目にしたことがあるだろう。
ちなみにワイはボーカル担当。初心者ながらもボーカルが不在だったバンドに加入させてもらっている。
聞こえない問題について発声をどうにかしようみたいなことを言われたので、試しにデシベルを図るやつを使ってみたのだが一番高い時で115db、通常の歌でも90dbは平均で出ている。プロのひとでもこれくらいが平均らしい。
アプリなので精度は懐疑的だが、YouTubeにボイトレの先生をやっている人が同じアプリでスコアを測っていたり検証していたりしていたからそこそこ信用している。ワイは発声がいいのかは知らんが自分でも声が大きいほうだとは思うし、カラオケでもマイクなしで歌が聞こえるくらいの音量は出せてるらしい。
ムラがあるほうなので、ワイのコンディションが悪かった可能性もあるが、にしてもマジで聞こえない。
そうなるとこれって本当にワイの発声の問題なのだろうか?と疑問しか湧かなくなってきた。
声を張り上げるように歌えば多少音は大きくなるだろうけど聞いてて痛々しいし、ウィスパーボイスのようなかすれ声を歌うことなんて無理に等しい。
バンドってある程度声を張って歌わないといけないのはわかってたけど、ここまで表現の幅が制限されるなんて思ってもいなかった。
歌を歌うのはすごく好きだけど、それを知ってからバンドで歌うことがあまり面白くなってきたなぁ。
こうゆうバンドの問題って他責にしてしまいがちだから、自分が問題ならうまいことできる限り改善したいんだけど、なにをどうすればいいのかわからん。てかやっぱりドラムが問題なんじゃねとか思ってくる。
クズっていうのは味方だと頼もしいんだ。
身内と認めた相手が手に入れたいと願ったものを手にするためなら他人を平気で傷つけてくれる。
どこの国も軍隊を所有するのと同じだ。
他者の権利、資源、尊厳、なんだって踏み荒らして奪ってくれる。
ちょっと甘えて見せればその好意を対価としていくらでも暴力装置として機能してくれる。
お前らの楽器の音って本当にうるさいんだよ。
そもそも楽器というものは、音を効率的に出すための装置なんだから、すごく簡単に大きな音が出るんだ。
音というものは空気の振動であり、ある種の衝撃が生み出す余波だ。
でも大抵のものはそんな大きな音を出さないのは、音が持つベクトルがバラバラだからだよ。
衝撃が振動エネルギーとして物体の中を伝わるとき、その物体の中でそのベクトルがぶつかりあえばそれらは互いに相殺する。
それを最小限にするように楽器は作られている。
だから僅かな力で大きな音が出るんだ。
長々と話をしたがな、つまりは楽器ってのは普通に弦を叩いてやっただけでも、思い切りドラム缶を蹴っ飛ばしたようなレベルの音が出てくんだよ。
うっせえんだよ。
お前が思ってるより1000倍うるせえんだよ。
60デシベルうるせえんだよ。
そんなに煩くねえと思ってるのはお前が出したい音を出してて、こっちは聞きたくもねえ音を出してることによる心理的な部分をかけてるからだよ。
お前が夜中に囁き声程度の気分で奏でるギターの音色は、回りの部屋からすりゃ突然隣の部屋に着陸を試みたヘリコプターのプロペラ音、窓のすぐ横をかすめていったジャンボジェットのエンジン音なんだよ。
でもクズアピールとしては最高だからクズを恋人にしたいクズ共からはモッテモテだ。
でも考えてほしいんだがよ、お前が好かれているのはクズだと見破られているからだぜ?
それで嬉しいのか。
いや悪かった。
クズであることでモテるならクズでいいって考えなきゃ、最初から楽器をアマゾンでポチらねえわな。
はークズ屑葛
おまえレイパーのみかたしとるん?/っておもったんだろ
だから基本認定はレイパーと全く繋がりのない人物ってわかってるけど、驚きのあまり言うセリフだろ
そう疑ってみせてまでやめてくれといいたくなるような
ナチュラルにひどい第三者仕草をするセカンドレイパーがいる。やめろ。というはなし
歪められた認知なんか何一つないだろ
被害者はなぜただひたすら理不尽に2回も他人にひどい目にあわされなきゃいけないのかってことだ
まあこの手の常駐増田は心の傷の存在そのものをすべて疑っていて「定義しろ。でなきゃオレは存在しなかったことにする」って言い出すんだよな
つきつめると揚げ足とりに終始してるだけなんだが
定義しろ定義しろ増田は親にもいえるのか?自分の娘にもいえるのか?
石破 茂 です。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昨日、一都三県を対象とした緊急事態が再宣言され、昨日発表された東京の感染者も過去最多の2447人となりました。
感染者の増加は確かに重大事ではありますが、冬になって空気中の水分が減って飛沫が遠くまで飛びやすくなるのは当然のことですし、寒冷地では換気の機会も減少することも考えられます。PCR検査数の増加によって陽性者が増えるのもまた当然のことです。
かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源や医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。
「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないかが重要であり、対策も情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。
医療関係者の献身的な努力によって、アビガン、レムデシベル、ヘパリン、デキサメトゾンなどの薬、人工呼吸器類(ネーザルハイフローやECMOなど)、普及率世界一のCTなど(この多くを今回初めて知りました)を用いた治療法も随分と進歩し、救命率もかなり上がっているはずなのですが、そのような報道もあまり聞くことがありません。漠然とした感染者数よりも、基礎疾患を持つ方や70代、80代、90代の高齢の方の罹患率、感染者数と死亡者数の正確な分析などの方が知りたいと思うのは私だけでしょうか。
日本人が欧米に比べて人口当たりの感染者数や死亡者数が極めて低いのも、同じ都道府県内でも市区町村によって状況が全く異なることにも必ず理由があるはずで、その科学的な分析が進められれば、もっと精緻な政策が打てるのではないでしょうか。
生活習慣の相違、国民皆保険制度の存在、極端な格差社会ではなく分厚い中間層が存在していることは決定的に重要な要素であり、この持続可能性を維持できるかが最大の課題です。
諸外国、特にスウェーデンの対応についても様々な論評がありますし、同政府のコメントも承知していますが、この国において「『寝たきり老人』(とても嫌いな語感です)が居ない」ということとも関連性がある宗教観や死生観の問題が、改めて問われているように思われてなりません。
日本特有の同調圧力とゼロリスク志向の強さも改めて感じています。「自粛警察」などという不可思議至極な活動は、今のところなりを潜めているようですが、戦争中の「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などという「愛国的な」活動が想起されて、とても嫌な思いが致しました。ヘルスリテラシーの低さについても、自らを省みて、これもまた然りと思います。
日本においては大勢の世論(「空気」)に抗って異論を差し挟むことは忌み嫌われますが、政治は世論に迎合しすぎてポピュリズムに堕してはいけない、よく自重自戒せねばならないと思っております。
失業率が1%上がると自殺者が1,000人から2,000人増えると言われていますが、ここ数か月の自殺者の増加、特に女性の割合の増加はとても気がかりです。また、病院にあまり行きたくない、ということで、がんの定期健診の受診数も大幅に下がっています。
風邪やインフルエンザが「根絶」されることがないように、新型コロナウイルスも「根絶」される、ということはないでしょう。ただし治療法が広く共有され、重篤化を防ぐことができ、ワクチンが広く行きわたり、感染拡大が収束した時に、自殺者が激増し、がんによる死亡者が大幅に増えてしまったとすれば、それは「人類がコロナに打ち勝った」証とは言えないのだと思います。
政権は厳しい状況の中であらゆる方面からの批判に晒されながらも可能な限りの対応をしているのであり、我々は少しでも国民の支持と理解が得られるように努めなくてはなりません。
昨日のアメリカ議会へのトランプ支持者の乱入と死傷者発生の事態について、トランプ大統領に責任がないとはとても言えない状況でした。選挙結果について異議を唱えるだけならともかくも、支持者に対して議会への乱入を扇動するようなスピーチなどは、民主主義の実力行使による否定と紙一重であり、見たくもない光景でした。
トランプ大統領が就任した時、「言を左右して相手を困惑させ、自分にとって最も有利な取引を仕掛ける『サスペンスとディールの大統領』となるのではないか」と申し上げたと記憶していますが、まさにその通りの4年間であったと思います。大統領当選時の勢いをもって議会選挙を経た結果、共和党も明らかに変質を遂げました。昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した米国有権者は7380万人、この人々が更に先鋭化するのかも全く見通しは立ちません。
自由を建国の精神とするイデオロギー国家、国民の8割が神の存在を信じ、4割が毎週日曜に教会に通う宗教国家、アメリカ国民という意味での民族国家、こういったアメリカの本質はバイデン政権になっても変わることはありません。そうであれば、それぞれの自画像、理想像、基本的な価値観が対立する米中の軋轢は今後一層激しくなり、日本はより一層厳しい選択を迫られることになります。安全保障についての法体系も、装備も、運用も、アメリカ依存から脱却し根本から見直すべきだと思いますし、今までのような問題先送りでは国益を損じると考えます。
それでもなお、同盟国である米国が新政権によってその美点である復元力を発揮し、アメリカ民主主義の理想に立ち戻ることを心より期待しています。
年末年始、生来の怠惰さに加え、雑事に追われて勉強らしい勉強も出来なかったのですが、中川恵一准教授(東大附属病院)の「コロナとがん」(海竜社)、小林よしのり氏の「コロナ論」(扶桑社)、橋爪大三郎氏の「中国VSアメリカ」、同氏の大澤真幸氏との対談「アメリカ」(共に河出新書)、加藤陽子氏の「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)、は極めて示唆に富む大変に興味深いものでした。
合間に久々に再読した、没後50年となる三島由紀夫の短編・中編(新潮文庫)の文章の独特の華麗さにも魅了されたことでした。
週末の日本列島はまた寒波の襲来に見舞われそうです。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
お肉券にお魚券
無能な専門家会議を真に受けてクラスター対策のみで検査を極力抑える
軽症者の6割以上にきくアビガンを70万人分備蓄してるのに誰でも飲めるわけでなく、供給があるかどうかもわからないアメリカのレムデシベルを認可
究極は460億円かけてのアベノマスク、まだ届いてないがもう、市中には中国で余りつつある使い捨てのサージカルマスクがでまわりつつある。つまり460億円は全くの無駄になった
今更言っても仕方ないが
なぜ中国のように素早く軽症者を収容する簡易宿泊施設を作らないのか?なぜ韓国のように徹底した検査体制をつくらないのか
どこかのフェミニストが、規制ではなく配慮を求めている、と言ったらしい。
不快にならないことであり、
後は自分で考えろと全部投げつけてくる。
マナー講師も「ハンコをお辞儀させる角度は○°以上」などとは言わない。
とにかく「ハンコをお辞儀させろ」という。
一方、マナーには、謎マナーと、そうでない一般的なマナーがある。
むやみに他人に注意すると、揶揄の対象になったりする。マナー講師(笑)。
基準が明確でなくとも、他人に注意すれば配慮してもらえる場合が多い。
おそらくフェミニストは自身の主張を、後者の一般的なマナーのレベルで考えていて、
それなりに男女同権の考えが根付いた現代において、ある程度それは正しい。
しかし、マナーに対する配慮を促すにあたっては、必要な視点が抜け落ちている。
それは、配慮する側が「相手に嫌われたくない」と考えている必要があることだ。
なんなら、音を立てることにこだわりをもっていてもいい。
そんな中「食事中にクチャクチャと音を立てるな」と言われたところで、
相手に嫌われてもいい、あるいは、相手をすでに自分が嫌っている場合、
「知るかよ。オマエが席を移ればいいだろう」となるし、
そうなること自体を責めることはできない。
そこを強制させるというのならば、マナーの文脈では力不足であり、
都心部は仕事する大人の為の場所であって、騒ぐ子供とか害悪以外の何者でもないと思う。100歩譲って休日に都心部に子供連れてくるならともかく(それでも、都心部より子供にお似合いのSCやら遊園地やらがある郊外で過ごせやとも思うけど)、平日に都心部に子供連れ込んでくる親って一体何考えてるんだろう。迷惑ですよ、あんたら。
平日の都心部は皆生産性を高めるために努力してる場所なの。そこにぎゃーぎゃー泣きわめく子供がいることがどれだけ邪魔なのかなんで分からないかな。あんたら普段の子育てで耳が狂ってるから子供の声が気にならないんだろうけど、大人にとって子供の騒ぐ声はひたすら不快で邪魔なの。
子供の鳴き声が一定のデシベル超えたら迷惑禁止条例で捕まえるとかしてくれないと、国の生産性が低下して本当に迷惑。日本中いくらでも場所があるんだから、都心部に立ち入らないでも子供はいくらでも生きていける。お願いだから子供を都心部に連れてこないでください。