2019-11-19

どこかのフェミニストが、規制ではなく配慮を求めている、と言ったらしい。

長らく疑問だった彼女らの要求にやっと得心がいった。

要するに彼女らはマナー講師なのだ

大事なのは自分が(あるいは、その他の大勢が)配慮され、

不快にならないことであり、

その基準には個人差があるから、明確な線引きはしない。

後は自分で考えろと全部投げつけてくる。

マナー講師も「ハンコをお辞儀させる角度は○°以上」などとは言わない。

とにかく「ハンコをお辞儀させろ」という。

食事中に○デシベル以上の音を立てるな」とは言われない。

ただ「食事中にクチャクチャと音を立てるな」とだけいう。

何故なら、相手のことを考えることまで含めて、マナーから

一方、マナーには、謎マナーと、そうでない一般的マナーがある。

(「一般的」の基準曖昧だが、ここでは仮にこう呼称する。)

マナーは、上記のハンコお辞儀などであり、

むやみに他人に注意すると、揶揄対象になったりする。マナー講師(笑)

これに対して、一般的マナーは、クチャラーNGなどであり、

基準が明確でなくとも、他人に注意すれば配慮してもらえる場合が多い。



おそらくフェミニスト自身の主張を、後者一般的マナーレベルで考えていて、

それなりに男女同権の考えが根付いた現代において、ある程度それは正しい。

しかし、マナーに対する配慮を促すにあたっては、必要視点が抜け落ちている。

それは、配慮する側が「相手に嫌われたくない」と考えている必要があることだ。

人間には、クチャクチャと音を立てて食事を取る権利がある。

なんなら、音を立てることにこだわりをもっていてもいい。

そんな中「食事中にクチャクチャと音を立てるな」と言われたところで、

相手に嫌われてもいい、あるいは、相手をすでに自分が嫌っている場合

「知るかよ。オマエが席を移ればいいだろう」となるし、

そうなること自体を責めることはできない。

赤の他人強制力はないのだ。


そこを強制させるというのならば、マナー文脈では力不足であり、

やはり法規としての基準必要なのだ

フェミニスト一人一派などと称してバラバラ配慮要求することは止め、

なんらかの基準を設けるべく、団体として動いたほうがいい。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん