はてなキーワード: ゾーニングとは
そもそもゾーニングは都市計画において地区毎に建築規制をすることを目的とした行政用語であって、マーケティング用語じゃないんだけど
と同じような発言
「ちゃんと成人向けって区切りつけてるじゃないですか、間違って買うようなことないですよ、してますよゾーニング」vs
「汁だくエロ絵の表紙が面陳されてんじゃねーか、いい加減にしろよできてねえよゾーニング」
の論争だと思う
結局、法に反しない限りは選択権は店や自治体がわにあるんで
「できてるってことでいいんですよね?」って相手に判断委ねるんじゃなく
駅をただ利用するだけの人の目にはいるようなら
ゾーニングされてたとは言いがたい
って話だと思うよ
はてなブックマークでも100ブクマ超えた後になるとドサクサにスター欲しさにキチガイじみた発言をするバカが出てくることが多い。
みんなが大喜利やってる中で素でマジキチ発言をするやつが出てくる。
美濃加茂市のポスターについて噛みついてくる人がどんどん出てくるけどどんどんアレな発言を重ねていく— さまよううさぎ(うさかな) (@rove_labbit) 2015, 12月 3
@B_H_T_Rice 正気で言ってるなら危ない妄想ゲームなんやなw— さまよううさぎ(うさかな) (@rove_labbit) 2015, 12月 3
やっぱ波に乗り遅れるとそのぶん強烈にアピールしていかないと厳しいものがあるもんな— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2015, 12月 3
@kinky12x08 何か独自性を付加しようとして焦りながら雑に他と違う着眼点からの刺突を模索した形跡が読み取れるのたのしい。解剖してないのに脳みそが見える感じする。— ブルーハワイ炊き込みごはん (@B_H_T_Rice) 2015, 12月 3
炎上案件について後出しで自分語りをするやつはなぜか情報はたくさん出回っているはずなのにその情報確認をせず、初期に反応したやつと同じずさんさで発言をするのが謎で仕方ない。
面白いことをいうハードルより前に、時間が経てばたつほど、情報に正確性が求められるハードルを意識していただきたいものである。
のうりんポスター問題の事実を話すね。「現地でゾーニングやりつつファン向けのイベントやってたら、事情を知らないクソフェミが(ゾーニングしてない環境で)性的なものを出すなと殴りかかってきた」デス。そこから場外乱闘開始。従って、すべての議論は無意味デス。— 蒼雀 頃(あおすずめ) (@BluesparrowXYZ) 2015, 12月 2
Togetterとかさ。
批判批判というか、擁護してる人も多いから、一貫性が無くて、何言ってんだ?ってなるときあるよね。
「主観」を問題にして、それで表現を切る事の危険を喧伝しながら、「地元が反対するんじゃしょうがないけどさ」と言ってみたり
※ 地元民の主観は、呟く人らの主観と重さは同じで、表現文化への危険度は一緒じゃないの?
「あの表現は規制対象になるようなものではない」と言っておきながら、「少数しか対象にしないから」とか「地元民が容認してるから」とか言ってみたり
※ 表現に問題が無いとして大上段でカードを切って批判者を攻撃するのに、ゾーニングを語ったり、地元民の容認を盾にするの?
「覚悟」があってちゃんと説明すれば収まるのなら、五輪ロゴ問題は存在しなかったな。
五輪ロゴを論理でなく圧力で潰しておきながら、萌えキャラに対する圧力を批判する手合が多すぎる。
結局気に入る気に入らないで判断して、後から論理をひり出してるだけなんだよな。
それはともかく本件は表現問題ではなくゾーニング問題で批判は当然だろう。
個人的には萌えキャラで町おこしって嫌なんだよな。某大洗とか町そのものの魅力があるのにナマの景観を損ねてしまっていて、なんだかなと思った。
女はああだこうだ言われてないし罪悪感を植え付けられてないとは思わんよ。
むしろ腐女子に限らず女オタも、というか女全体が、罪悪感強い傾向があると思うね。
でもそれに導かれた
そっちでも書いてるけど学級会に明けくれたり排他的になったりのしんどさに結びついてるっしょ。
あれは世間(もちろん男・男オタも入る)という「毒父」「毒母」に抑圧されて、そしてそれを内面化した腐女子は次の「毒母」となり新規腐女子に自重しろ隠れろとうるさく言って抑圧を遺伝させ、内紛起こして学級会やってアカ消ししてマナー問題で引退してジャンル変更で人間関係切って、それが嫌になった奴が極端な解放を叫んで女オタ内からもそれ以外からも燃やされて、の非常に生きづらそうな光景になってるわけ。
そういう、「毒親」に抑圧された女が育って「毒母」になり、それに育てられてまた「毒母」になってきたのが、男やオタクにも毒を遺伝させようとしてるのが現状。っていうのが俺の認識。
http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/sum_E1448932351189.html
このポスターの是非について論じることはしない。ここでは、この一件にも見られる、萌え絵というだけで女性差別とみなしバッシングしているように見える人々の背景と、そのような態度の妥当性について検討する。
戦後なお女性蔑視的な風潮が続いた日本において、女性性*1をメディア上で描く=男性が自らの欲望を満たすための娯楽(あるいは男性による女性の支配を追認・再生産させる手段)という側面が非常に強かった時期があり、そのような表現がおおっぴらに流通していた*2経緯がある。最近でこそそのような空気は薄れてきてはいるが、その時代を生きてきた人々にとって、女性性を前面に打ち出した表現は、子細を精査するよりも前に「女性蔑視ではないか」と身構え疑ってしまうほどには、女性性の表現を巡る当時の状況は酷かったと言える。
このような、女性性の表現に対する条件反射じみた反感を植え付けられてしまっている人々が、いわゆる萌え絵を見た時、「これを描いた男性イラストレータ*3は、彼自身または受け手たる男性*4の、女性蔑視の感情=女性全般を支配下に置かんとする欲求を満たす意図で、このような表現をしたに違いない」という予断を持ってしまっても、無理からぬことだろう。件のポスターに対する反発に限らず、萌え絵に対してしばしば起こるバッシングは、こういった人々の心性 ― 萌え絵フォビアとでも呼ぶべき感情傾向がその土壌となっているのではないだろうか。
問題は、このような女性性の表現に対する感情的反発が、時代の移り変わりによって、表現に対する批判としては失当になりつつあり、場合によっては女性に対する抑圧として作用してしまうことにある。
今や、女性が自発的な意思によって自身の女性性をアピールしアイデンティティとしている時代である*5。女性性は、男性が一方的に支配下に置いて楽しむものではなく、数多ある美的尺度の1つとして、誰もが臆面なく表明できる選好という地位に納まりつつある*6。
このような状況に至るまでの過程において、80年代から90年代、若い女性が肌を露出したファッションをすることに、多くの年配者が「はしたない」「ふしだらだ」などといった反応をした。この現象は、フェミニズムの正道からすると「男性優位な社会において女性性の発露は男性がコントロールすべきとされていたところ、女性たち自らがその発露の自由を取り戻そうとしたため、男性優位な社会を是とする保守勢力の反感を買った」という理解になる*7。ブルカ着用の義務がしばしば批判されるのも、同様に、女性性の発露を男性がコントロールし続けようとする制度として理解されるからだ。
そういう過程を経て、現在では、女性性を強調したファッションや言動に対して苦言を呈することが、逆に差別や抑圧とみなされうる。このことは、女性解放*8の流れの中で達成された一定の成果だと考えるべきだろう。
これと同じような変化が、オタク文化やオタク個々人にも起きている*9はずで、実際、女性性を前面に押し出したイラストすなわち萌え絵を自分の意思で描いている(自身の娯楽として同人活動などを通じ発表している)女性イラストレータなどは枚挙に暇がない。送り手がそれだけいるなら受け手も同じで、萌え絵を肯定的に受容している若い女性オタクも多かろう。
放送当時はナデシコを評して「女を知らない連中が作ったアニメ」と面と向かって女性から言われたけれど、今はむしろ、女性から「ユリカ可愛い」と言われたりする。世の流れは不思議なもの。
以上のような事情を踏まえれば、ある表現が女性性を強調していることのみをもって即座に女性差別的と断ずるのは誤りだということがわかるだろう。送り手も受け手も、女性性を1つの美的尺度として称揚しているだけで、ことさらに特定の女性ないし女性全般の人権を軽く見る意図は(意識的にも無意識的にも)無しに当該表現を楽しんでいるという可能性は、今の時代においては非常に高い。そのような実態を踏まえずに「このような表現まかりならん」とするのは、露出の多いファッションを楽しむ女性にブルカを強制するのと何が違うのだろうか。
もちろん、日本の社会から女性差別が消え去ったなどと主張するつもりはない。公職・要職にある人物の差別的発言は今なお頻繁に報じられるし、女性差別的な広告がメディアを騒がせることすらまだまだある。
しかし、であるならば、個々の事例において女性差別に当たる箇所を具体的に挙げて糾弾すべきなのだ。それを怠り、女性性を強調する表現は即アウトという論に終始することは、その表現を支持しているかもしれない女性たちに対する抑圧として機能しかねないし、ようやく叶いつつある女性性の男性支配からの解放という成果を毀損し、さらには女性差別の観点からの表現批判という立場全体の信頼を失墜させてしまう。現に、はてなにおいてすらフェミニズムを軽蔑する風潮が生まれつつあるのは、この手の幼稚な言説が蔓延ったことの影響が大きいように思う。
なお余談だが、ミスコンを巡る議論についても類似の問題として考えることができる。女性性が数多ある美的尺度の1つに過ぎないのなら、その尺度の高さを称揚するかぎりにおいては(その尺度で低いものを侮蔑するのでなければ)、身体能力を称揚する各種スポーツ大会や知的能力を称揚する数学オリンピックなどと同様に、問題ないものとして受け入れられるべきだろう。要は、男性の視線が女性を一方的に値踏みしてはいまいか、という匂いが疑われているのである。例えば、審査員が男性ばかりで固められていたり、女性以外(MtoFや女装趣味の男性)の参加を拒んだり、入賞経歴がTV局アナウンサーとしての採用において最重要視されたりするようなことがあれば、このような匂いはよりいっそう強く感じられるだろう。
繰り返しになるが、ある表現が女性性を強調していることのみをもって女性差別的と断ずるのは、かえって女性に対する抑圧として機能しうる。かつて当たり前のように女性性が男性の支配下に置かれていた時代ならば妥当だったかもしれないその反応も、女性性が女性たち自身の手へと取り戻されつつある現状では、女性性の発露そのものをタブー化し、結果として女性性を男性の支配下へと送り返しかねない危険すらあることに常に注意しなければならない。ある表現に女性性が見受けられたなら、そのことだけで感情的反発を起こすのではなく、それが女性蔑視の価値観から生まれたものなのかどうかを丁寧に検証したうえで慎重に論じるべきだ。
端的に言うなら、萌え絵フォビアを動機としただけの主張は(女性たちにとってかえって有害なほどに)表現批判として雑すぎる、ということに尽きる。
*1 ここでは大まかに、少女的な可憐さや熟女的な色気といった要素を含む、女性ジェンダーに特有と見做される性質全体を指す概念としてひとまず定義する
*2 ポルノメディアのようにゾーニングされた表現ではなく、広告など公的なメディアにおいてさえそのような表現がしばしば見られたし、そもそも当時はポルノメディアのゾーニング自体が今よりもずっと緩かった
*4 その絵を楽しむ女性がいる可能性を想定できない
*5 ファッションなどはもちろん、女子力という価値観が肯定的に捉えられ浸透していることもその一環として考えられる
*6 LGBT・女装男性に対する若者たちの寛容さや、前述女子力が男性にも適用しうる肯定的評価と見做されていることも、選択可能な多様な価値観の1つとしてジェンダーを捉えるこのような大きな流れの一部だろう
*7 「女性が扇情的な格好をするのは、そのほうが男性優位な社会において有利に立ち回れるからor女性蔑視的な価値観を内面化してるからだ」などと主張する者もいるが、実際にそのようなファッションを楽しんでいる女性たちにとっては言いがかりでしかないだろう
*8 あるいはジェンダーフリー
*9 一般社会における女性解放の価値観が、オタク周辺に関してだけは反映されず今なお男性優位な価値観が支配的である、と無根拠に主張するなら、それこそオタクに対する差別に他ならない
美濃加茂市ののうりんポスターの件についてダラダラと。長くてごめんなさい。
こんな一瞬でゾーニング事案だなーと判断できる事で賛否?と思ったけれど、
twitterで美濃加茂市を擁護する人たちの苦渋に満ちた様子を見るとなぜかそんな簡単に割り切れるものじゃないらしい。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/E1448932351189.html
↑に賛否両論の要約があるが、
擁護派の多くの意見は各々の感情をそれ風な理屈で見えづらくラッピングしたものでしかなく、
ポスターを見た子連れの母親ひとりの「エロいポスター貼るな」の感情的な一言に耐えられる強度には到底達していないと思う。
本来、この話は「エロに限らず、パブリックな場に好き嫌いの分かれるものはやめよう。見たくない人が避けられないから」で終わりなはずなのだ。
表現規制とかフェミニズムとかセクシズムとか男女非対称性とかオタク差別とか逆差別なんてものよりずーっと前の段階の話をしている。公共の福祉だ。
しかし、賛否の溝は埋まらず、対話なき泥沼戦争、納得のない罵倒合戦に突入している(ネットの一部で笑)。
擁護派の不満と鬱屈は吹きだまり、彼らの苛立ちと諦念はつのっている。「これだからフェミは…」「PTAかよ」と唾を吐く。
彼らは何かにむかついている。自治体ではなく、自分たちへの強い抑圧を確かに感じている。ポスターをはがされた事以上の抑圧を。
多くの擁護派=いわゆるオタクがクレームに対し息苦しさを感じている、その根幹の感情は何か?
自分たちの愛する創作物が「猥褻物」とカテゴリーされたように感じるのが堪え難いのだと思う。
twitterで目についたオタクの多くが感じているらしい理不尽は、「実写の水着の女性ポスターはあるじゃないか」「コンビニのエロ本は…」「〇〇は…」そして、「何で二次元だけ」。
これらの不満はその例の全てが、適切なゾーニングが全ての性的な要素を持つものになされていないため起きた問題だ。
見たい人が望めば検索して1秒でエロにありつける時代に、見たくない人がコンビニでエロ本を目にしてしまう世界は絶対におかしいと私は思う。
そんなゾーニングの未熟な日本の「猥褻物」の定義は、ひとつ明確には、性器が見える事。
それに伴い法律逃れの暗黙の了解に基づいた謎文化”モザイク”はひどくガラパゴス的で、はっきり言って非常にバカバカしい。
二次元のちんこに黒線を引いているのも、裸のうんこと一緒にモザイク付きのまんこが映ってるのも、本当にバカバカしい。
一方でレスリーキーやメイプルソープ、ろくでなし子などのアート作品を「ムシュウセイだからワイセツ」と取り締まるなんて、もう、自分たちはエロにすらマニュアルがなければ判断の下せないアホですと言っているに等しい。
公的機関が定義におもねるあまり認知が歪んでいるから、今回の絵の性的な香りに自治体が気付けないし(アホか)、撤回されたらされたでファンは「自治体に猥褻とみなされた」と傷つくのだ。
もっと単純に考えよう。国が定めた「猥褻」なんていいかげんな基準に従ってものを取捨選択することが最早今の時代ではリアリティがないのだ。私たちは未来へ進まなくてはならない。
もうさ、全ての表現物は映倫みたいにレーティングしよう。写真も映像も文章も立体物も漫画も音楽もイラストも広告も製品も。一般、R12、R15、R18って。
R18以上は全ての表現規制禁止。性器にモザイク廃止。完全なる自由。
R15は今回ののうりんみたいな判断分かれるなってやつ。R12は水着とか肌面積多いやつみたいな。
んで置く場所を決めるの。公的だって判断された場所では最低でも一般以下の表現しか置かないようにしましょう。自治体、駅、公道とか。コンビニとかyahooなどのポータルサイトとかはR12とか。
大衆本屋なんかはそれぞれ置く場所を変えて、「嫌なら見ない」「触れない」ができるようにしてほしい。もちろん配慮しない店があってもいい。入らない自由があるし。
ていうのは超適当な妄想だけど、それくらいのグラデーションで分けてやっと個人の最大公約数的な”快不快”に寄り添えるんじゃないかな。
ていうかこの案、あまり今と状況が違うとは思わない。めんどくさいだけで。R15、12なんて自主規制の範囲でできるんじゃないの(それが理想)。
んで全てのものがこれくらいライトにレーティングされることが当たり前になれば、「猥褻物」なんて屈辱的なレッテル無しに物事を区分できるのではと思う。ちょっとくらい基準が明確でなくても、18歳越えたら何もかも見れるんだしいいだろう。
今の公的な「猥褻物」の判断はおかしいし、本当に目的の性道徳・性秩序の維持に役立ってるのか?といえば、ジュニアアイドルなんてものを放置してる。あれがエロ目的でないなんて言う奴がいたらぶん殴ってやりたい。
政治的な正しさとか、表現の自由とか、その辺の思想的な話は知らん。
規制派やフェミの人達に行動する理由を与えないでいただきたい。
もちろん、のうりんのポスターがあるから即二次元は規制だ、とはならないであろう。
風が吹けば桶屋が儲かる程度の話かもしれない。
だた、あの程度のイラストであればpixivに無限に転がっているので、なくても俺は一切困らない。
あのポスターが存在することで俺にメリットは欠片もないのに、規制される可能性をごくわずかにでも高めるというデメリットがあるから、ああいうのは止めてほしいと思う。
かつてのチャンピオンREDいちごのように、一般誌を名乗りながら中身はほぼエロ漫画というのも勘弁してほしい。
せめてゾーニングはしっかりしていますよ、というポーズくらいはとってほしい。
コンビニにエロ漫画が普通に置いてあるのも、問題だろうなと思っている。
(再度確認するが、ここでの問題とは、規制派やフェミの人の神経を逆なですることである。青少年がどのように育とうと知ったことではない。)
淫夢は何も悪くない。
屋上へ行こうぜ…久しぶりに…キレちまったよ…
お前ら一体何を言っているんだ
もう一度書く。
お 前 ら 一 体 何 を 言 っ て い る ん だ ?
どうして正義とか悪とか果てはゾーニングの問題になってるんですかねぇ…
淫夢ってそんな小難しい理屈で語っていいほど繊細な話題じゃないダルルォ!?興が冷めるからやめちくり^~(嘲笑
いいかおい、淫夢を始めとしたMADというものはなそんなちんけな説法で語るべき綺麗なもんじゃない。
そこに素材がある。→
とてもおもしろい。→
,,,z=~'゙'+''ッ彡ッ,、
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, ' ゙´`゙ミ゙ッ, "',`,
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淫夢厨に(そして、おそらく淫夢MAD製作者にも)流れているのはただそれだけだ。ただ単にそれだけの情動が支配しているんだ。
ただそれだけが全てなんだよ。
そこに倫理も作法も行儀も正義も悪もゾーニングもニコ動が抱える原理上の問題もない。
そこに変な理屈で議論しようなんて考えることがもうアホらしいことなんだよ。こんなの粋じゃないだろ。野暮もいいところだろやめちくり^~(どんぶり)
大体淫夢側も淫夢側で、倫理も正義も無視してるんだから、まともなネットユーザーから淫夢厨は迫害されて当たり前だよなぁ?(確認)
みんなが愛でているキャラにくさいやらよわそうやら淫夢ファミリー無許可認定やらやらかしてるんだから、避難されて当然だと思うんですけど(当推理)
淫夢「民」ンンンンんんん!!???おいおいおいおい、悠長な身分だねぇ?兄さん、え?いつから人権が認められた市民に成り上がってるんだ図々しいねぇ~(ねっとり)
え、汚ったない淫夢用語使っておいてこれはもうれっきとしたネットスラングだから認めてくださいとか言ってる奴がいるのか…(震え声)君、結構・・・不作法、さんね(ヒゲクマ的感想)
さて、もうお分かりの人も多いと思うが、これは別に淫夢に関することに限らない。
ある程度厳格にルールのような決まり事がある共通の趣味趣向を持つ者のコミュニティ…なんて綺麗なもんじゃないな、そう、吹き溜まりのような集団にはよくある現象だ。
例を上げればわかりやすいだろう。
…等々。
こんなものに価値はない。価値なんかないからこそ面白おかしくて、楽しくて、最高にワクワクして、ガンギマリ。
俺が、俺達が、"厨"だ!
そして、こんなのが跋扈するのが結構当たり前なのが割とここ十数年のネットの状況なんだけど、もうそろそろ耐性ついてないんですかね…(素直な疑問)
こういう奴らに対して、わけがわからない、悪寒がする、嫌悪の感情が止まらない…そんなピュアピュアな感情を抱く連中は理解なんかしないでくれよな~頼むよ^~(懇願)
ネットでこんな深い腐海所までわざわざ来ておいて「こんなのは正すべき」とか頭おかしい…(小声)
とりあえず書きたいことはなんとなくだけ書いた。言いたいことは要するに、掃き溜めに何言ってもゴミクズチリステロイダーハゲであることには変わりないんだからもう寝なさい。
そういやはてな匿名ダイアリーって別の意味で掃き溜め集積所みたいなもんなんだから掃き溜めに関する掃き溜めを投下したってもう許せるぞおい!もし「はてなを汚すな」とか仰せになる村民様方がおられるのでしたら、そこらへんの認識、はい、ヨロシクゥ!(GO IS GOD)
最後に、こういうクッソくだらない連中のことを的確に表している迷言を残しておき、ケツを拭く紙とする。
件のホラー映画の件もゾーニングだが、「全年齢映画の上映時に18禁映画のCMは流すな」ってならそれは規制の一種だ。
http://anond.hatelabo.jp/20151124230538
「アニメクラスタはゾーニングの判断を自分もすべきと考えている」?それはどうだろう。
件の人は「自分が見るの嫌だからってすぐ規制規制言うな」みたいなことを言っていたけど、人工知能学会表紙問題とかバトルガールCM問題とかロリエロ本規制問題とか、いわゆる二次元コンテンツへの規制・撤回が求められた時、アニメクラスタを含む多くの二次オタはこれと全く同じ反応をしていたように記憶している。「この程度で規制だなんて」「誰かが少しでも嫌がる表現はするなってのか」「嫌なら見るな」「このままじゃ萎縮は免れない」ってね。
(もしかしたら彼らはノイジーマイノリティだったとか、均一に見えて実はアニメクラスタだけはゾーニングに対して理解度が高かったとかかもしれないが、少なくとも自分にはそうは見えなかった)
じゃあなんでアニメクラスタが今回規制やむなし側に回ってるのかというと、状況が違うというのもそうだけど、単純に自分の興味がない分野だからどうでもいいんだろうというのが大きい気がしていて、つまりは結局どちらも「迫害された歴史を知っているせいで、自分の楽しみが邪魔されようとしているのを見ると過剰な反応が出てきがち」というだけなんだろうなと個人的には思っている(そういった個人的感情を脇に置いた上でしっかり反対できる人もいると思うけれど、そうじゃない人の方が多そうという話)。
特に件の人にとっては折しも『食人族』のDVD発売中止事件があった直後な訳で、あのルサンチマンはアニメに対するものというよりはこういった文脈で考えるのが妥当だろう。いやまあ件の人がもともと「荒れ」な人だというのももちろんあるだろうけど。
ええと、つまり何が言いたいかというと、今はおじさんおかしいと思ってる人でもおじさんの立場になったら案外そういう行動をとってしまうかもしれないし気をつけたいですねということです。
・どうして男同士の恋愛にするのか?(基本的に恋愛は男女間の物である。)
→まず第一に、「恋愛は男女間のもの」と躊躇いなく口に出せる不見識は恥じた方がいい。
それは腐か夢かとかオタクかそうでないかに関わらず、現代の先進国に生きる人間の常識として。
「男女間の親密な関係=恋愛」「同性間の親密な関係=友情」という図式が、物語内で無批判に成り立ちがちなことに疑問があったから。
仮にその関係性のはじめが明確に友情であっても、二人が男女ならば最後は当然のごとく恋愛になってしまう。
その過程の荒さがいつも気になっていた。
その人に対する感情はなんなのか。友情でも尊敬でもなく恋愛だと認識させる要因はなんなのか?
その辺の揺れ動きを解像度高く描く作品を好んで読んでいたら、そのなかにBL作品も含まれるようになった。
上記の要素がしっかり描かれた作品は男女でも男男でも女女でも好きだ。
ただ、男女カップリングの作品よりは男男、女女の作品の方が好みのものに出会える確率は高い。
→思ったことがない。
私にとってキャラクターに対する「好き」は、作品のストーリー、そのなかでの位置付け、展開における役割、他のキャラとの関係性まで含めたものであり
恋愛対象としての「好き」とは大きく異なる。
→前述のとおり。機微がきちんと描写されてれば男女男男女女どれも面白いし、されていなければどれも退屈である。
そして、「恋愛は男女のもの」と信じて疑わない人の作品はきっと私にとっては退屈だ。
また、男女の恋愛を「ノーマル」と呼称するのは控えるべきだと個人的に思う。
・気持ち悪いと思う人が居る事に対して申し訳無いと思わないのか?
二次創作および性的描写についてならば、私個人の楽しみかたの問題なので「そっかごめんね」くらいは言えるが
同性愛描写が気持ち悪いというのなら、それに対し私が軽々に謝罪することはできない。
・男女同士で健全であるはずの夢をなぜ健全では無い恋愛が好きな腐女子が叩くのか?
→男女ならば健全でそれ以外は不健全という発言をなんの疑問もなくするのはやめるべきだと思う。
私は正直叩いたことがないし、周囲と話題にしたこともないので「なぜ」叩くのかはわかりかねるが、
世の中には、嗜好に何らかの尺度で上下関係を見いだそうとする人がいるようだ。
健全/不健全だとか。腐にもその手の人間がいるというだけのことではないか。
→別に悪いとは思わない。
女性オタク界隈の「自己投影」「感情移入」へのアレルギー反応はいささか過剰だと思う(これは腐女子間でも度々みられる)。
・NLの方がまともだと思わないのか?
→そろそろ回答を省く。
・最終的にヒーローとヒロインがくっ付いた方が楽しいとは思わないのか?
→同上。
・オリキャラはモブとして存在しているかも知れないわけで男同士よりはマシだと思わないのか?
→「マシ」の意味が分かりかねるが、「捏造度が低いはず」という話であれば
心底からどーーーーーでもいいし五十歩百歩だと思う。
・オリキャラはドラマやアニメでも使われる通常の行動なのになぜ批判するのか?
→別に批判したことはないんだが、自分が夢を読まない理由ならば答えられるのでそれをもって回答に代えさせてもらう。
「ヘイト創作」というそれに近いジャンルは既に存在しているよね。
例えば二次元でいじめを行って楽しむ「二次元いじめ」なるジャンルがあるとするじゃん。
二次元いじめでは、いかにもいじめられそうな特徴をさらにデフォルメした人物が、実在いじめを模したありとあらゆるいじめに遭っており
二次元いじめユーザーはそれを見て自分の加虐欲求を解消しているとするじゃん。
二次元いじめは昔から人気のジャンルではありつつもユーザー同士の繋がりは一部のコアなユーザーに限られていたわけだけど
インターネットの広がりと共にユーザー同士の交流がうまれ、現在ではネットでも実店舗でもそのジャンル専門店出来上がるほど一大勢力に成長したとするじゃん。
同好の士を得た二次元いじめユーザーはネット掲示板やSNSでも積極的に交流し、やがてカジュアルにその内容をやりとりするようになり、snsを見れば
「気弱な中学生の後ろの席に座り授業中ずっとちぎった消しゴムを頭にぶつける遊びがしたい」だの
その対象が非実在なのか実在なのかは明記されないまま、別にゾーニングされているわけでもない、実在いじめ被害者もいる空間で
さして珍しくもないその発言は、誰に咎められることもなく、むしろ二次元いじめユーザーから沢山のいいね!を貰う状況になっているとするじゃん。
この状況になって、かつていじめ被害者だった人達やいじめ救済団体が「こういった状況を看過するわけにはいかないのではないか」と問題提起したとするじゃん。
「二次元を問題とするのは実はいじめ救済団体はいじめをなくそうと思っていないのでは」
「もう加虐欲求をそそる対象ではなくなったいじめ被害者が二次元に嫉妬しているのでは」
「ということはいじめ被害者は実はいじめられていたいと思っているのでは」
という反論が出てきた。
ってかんじ。