「ゾーニング」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ゾーニングとは

2015-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20151215055534

いやお前こそ読めてないだろ…

ゾーニングはちゃんとしよう、不本意にも見てしまったらそっ閉じしよう、そうやって互いの権利尊重しあおうってのがあの記事趣旨なんだよ。

ゾーニングをちゃんとしていれば「不本意に見てしまう人」なんてのは存在しなくなる訳だが。

ブコメの返信

http://anond.hatelabo.jp/20151215044212

二点のみ。

ゾーニング問題を「解決できる」「解決すればもう怒られない」とか増田が思ってるんだとしたら

なんでそう思われたかからないが、私の認識元増田の最終段落のやつである

ややこしくて、一概には言えなくて、どうにもならない問題



id:lisagasu

>某腐女子ブロガーとにてる

別人です。巻き込むのやめてあげてください。まじで。

なお元増田はてな界隈ブログ等はもってません。

よそさまにケチつけてるエントリなので、巻き込み事故マジで申し訳ないです。勘弁してください。

http://anond.hatelabo.jp/20151215044212

ややこしいところを全部ぶっとばして、誰もが「わあこいつはどうよ」と思える悪役を持ち出す。

そして、その悪役に「ゾーニング破り」と言う名前をつける。

こうなれば、読んだ人間気持ちは一致するのだ。そうだ、ぼくたちの敵は「ゾーニング破り」って名前なのだ

あの記事読んで「ゾーニング破り」のことを“「わあこいつはどうよ」と思える悪役”だなんて解釈してんのはお前くらいしかいねえよ。

炎上元のゾーニングのぬるさにも、悪意をもって広める側にも、どっちも落ち度はあるよねって書き方されてんだろ。

ゾーニングはちゃんとしよう、不本意にも見てしまったらそっ閉じしよう、そうやって互いの権利尊重しあおうってのがあの記事趣旨なんだよ。

ゾーニング破りをパブリックエネミーだと決めつけてるのはほりでいじゃなくてお前だろうが。

一人で勝手に一致団結してろ。

http://anond.hatelabo.jp/20151215044212

逃げ口上

本当に誰が読むんだよという長文を夜なべして書いてしまった。

日ごろ思っていたことが鬱積し、また今回腐女子と言う自分に馴染み深いモチーフが扱われていたため、どうしても書きたくなったのだ。

長すぎて文字数制限に引っかかってしまったんだが、せっかく書いたんでトラバの形で追記させていただく。

こんな風に特定の一人の記事をあげつらう以上、本来自分はてなブログひとつも開設し、名前を出して書くのが筋だと思う。

それを増田に書き散らした卑怯さについては、言い訳のしようがない。

批判は甘んじて受ける所存である。でも受けることしかしない。ごめんなさい。

私はこのまま、またTwitterの裏垢にこもって、没個性ネットスラングを連打し、ゾーニングがどうこうなんてややこしい問題は語らず(しか自分規範に従って行動し)、少数のフォロワーさんに向けエロい絵を描くのである

ミカ先輩とゾーニング痴漢問題わたし(腐)

ネット民戦慄! 表現の自由を脅かす”ゾーニング破り”とは? - トゥギャッチ

これは、上記記事を読んだ腐女子がどうしても我慢できず

非実在腐女子エリコちゃんに(物陰から説教をかまそうとしたり、その勢いで著者である小野ほりでいさんに(物陰から因縁をつけたり、ちょっと前に大炎上した痴漢関連の話を思い出したりするエントリである

追記:くっそ長いです。制限オーバーして最後トラバにはみ出すくらい。

エリコちゃんよ、ゾーニング問題は暗くて深いぞ

冒頭にリンクした記事では「エリコちゃんがTwitter投稿したBL風の二次創作マンガ炎上する」という事件から

ゾーニング破り」という人種について書かれている。


ここで、腐向け二次創作画像ツイート炎上したエリコちゃんはこう言っている。

(エリコ) でも、プロフィールでちゃんと注意書きしたのになんで炎上したんだろう?

ミカ先輩)こういうネタゾーニングは、リツイートリツイートが重なってぐだぐだになっちゃうからね。

(エリコ) ゾーニング

ミカ先輩)ゾーニングというのは、情報の発信者仲介者が表現物を「見たくない人・見せるべきでない人」にまで行き届かないよう配慮したり工夫したりすることよ。

(エリコ)でも、リツイートで見たくない人に届くのは、私じゃなくてリツイートした人の責任じゃないですか?

ここでは、「エリコちゃんはプロフィールに『腐向け二次創作注意』『18歳未満の方の閲覧はお断りします』って書いて【ゾーニングをしているはず】」で、それが「RTによってぐだぐだになった」という見解で書かれている。

君のそれはゾーニングといえるのか

しかし、腐女子である私はどうもこの辺に疑問を抱いてしまう。

そもそもTwitterというのは、「発言ひとつひとつがTLに流れていく」前提のツールではなかっただろうか。

とくにRTされた発言は、いちいち「この人はどんな人か」を確認するすべなどない。

「この人はどんな人か」から切り離され、発言けが一人歩きする。Twitterはもともとそういう特性を持ったツールだ。

ようするに、「鍵なしでやってる以上、プロフィールの注意書きが読まれる前に発言だけ見られるのは当たり前のこと」である

なんぼプロフィールに「腐向けから注意してね」って書いてましたよ、と主張しようが、Twitterというツール特性無意味に終わる可能性は高いのだ。

しかミカ先輩はこういう。

ミカ先輩)もちろんそうよ。リツイート不快ならフォローを外すこともできるし、リツイートだけ非表示にする設定もあるし。

フォローをはずす」「RTを非表示にさせる」。

そういう、かなりの勢いでほかの事を犠牲にする作業受け手にさせるのって、

ゾーニングしてた」って言えるんだろうか…?

それは「目をつぶってれば見えないでしょう」と同じではないんだろうか。


たとえるなら「元カノ元カレ元カレ

この記事後半では、悪意の第三者であるゾーニング破り」という人の存在提示される。

まあ、古くからある言葉で言えば晒しだ。晒しするような人そりゃあ厄介ですよ。

悪意からRTするような人最悪ですよ。そうだそうだ!怪人ゾーニング破りがみんな悪い!!

そうだろうか。

エイズ検査促進CMのキャッチコピーで、「カレシの元カノ元カレを、知っていますか」というのがあったが、それと似ていると思う。

私たちは、「フォロワーフォロワーフォロワー」のことまでは知らない。

エリコちゃんのTLにいるのは、彼女プロフィールを読んで了解したフォロワーほとんどだろう。

そのフォロワーがエリコちゃんのイラストを好ましいと思い、RTしたらそのフォロワーにつながるだろう。

だがその先は?

BLなんて反吐が出るほど嫌いなファンとつながっている可能性は。

保護者許可を得ている13歳以下の子供は。

アニメ公式スタッフは、原作者は。

二次創作イラストが「嫌いな人、望まない人、見てほしくない人の目にはいる」可能性は、怪人ゾーニング破りのような「悪意ある第三者」よりも、そういった「好きだと思った善意の人」からの可能性のほうが高いのではないか。

その意味で、Twitter上でのゾーニングと言うテーマを扱うとき、「ゾーニング破り」という悪意の存在だけに焦点を絞るのは片手落ちだと思うのだ。

これは腐向けだけに限らない。多くの「不適切な」ものに共通である


政治的に正しいゾーニング腐女子間のゾーニング

少し横道ではあるが、二次創作BLのゾーニングについてはもうひとつ厄介な問題が付きまとう。

「男女恋愛二次創作と、BLの二次創作は同等のゾーニングでいいのか?」である

これについては本当に腐女子間でも各々の思想があるから一概には語れない。

数年前までは「キャラ勝手ホモにした妄想するなんて異常だよ。異常性癖は隠すべき」なんて言い回し腐女子間の「マナー」として語られていた。

上記の言葉がすんなり受け入れられる人も今もいるかもしれないし、

ホモが異常ってあんまりだろ」って人もいると思うし、

「いや、ホモが異常って言ってるわけじゃないから、女の私がホモ妄想することが異常って言ってるだけだから」と言う向きもあるだろう。

ゾーニングについても、

「男女恋愛より嫌がる人が多いんだから、BLのゾーニングは男女より慎重になるべき」という向きも、

同性愛描写タブー視に加担するのは嫌だ。男女恋愛と同等のゾーニングで十分」という向きもあると思うし

「いや、っていうか男女二次ゾーニングに無関心すぎるでしょ。BL見習って、エロや人を選ぶ絵は見えないようにしろよ」って人もいる。

個々の考えについてここでは意見しないけれど、問題のややこしさについてはお分かりいただけると思う。


さら腐女子間でもゾーニング問題と言うのはついて回る。

腐女子の一部は、しばしば他者作品、嗜好に対し激烈な拒否反応を示すことがある(「地雷」と呼ばれる)。

逆カプ、ヘイト創作、特殊嗜好、設定の捏造パラレル設定…

それを「見たほうが悪い」で済ませるかどうかについても、腐女子間では議論百出である

対外的にも、対腐女子的にも色々な問題に悩みながら、ためらいながら、己の安寧と衝動と、自分の絵を広く見てほしい気持ちと、見知らぬ他者平和狭間で揺れ続けるのがゾーニング問題なのだ

エリコちゃんはこういう。

でも、アカウントに鍵をかけるのはなあ…。好きな人に見てもらいたいから投稿するわけだし。

それも否定しない。否定しないが。

なにがいいたいかっつうと、いろいろ我々もフクザツなのだ

はい腐女子は静かに暮らしたい

はいである

長々語ったが、ぶっちゃけ多くの腐の感覚ミカ先輩とエリコちゃんが以下に言うとおりだとは思う。

ミカ先輩) でも怒られて嫌な思いをするのは結局こっちだから、どういうふうに工夫できるか自分で考えないとね。

…(中略)…

ミカ先輩)まあ、そのへんの基準は人によって違うけどね。

ただ、気をつけないと怒る人は内外にいるってこと。

(エリコ)私は怒られたくない。

その通りである。怒られたくない。

ゾーニングに対する意識は前述のように多岐にわたる。単純に考えの足りない人もいるかもしれない。

だがしかし、きほんてきに、静かに暮らしたいのだ多くの腐女子は。

その方策として記事内ではこのように表現されるが

エリコちゃんがやったような注意書きはもちろん、違う呼称を使って検索避けしたり、アカウントに鍵をかけたりね。

実際のところ、腐女子界隈で多くとられている措置は、さらに以下のようなものがある。

①「不適切画像を含むものとして設定する」にチェックを入れる

②「表垢」と「裏垢」を使い分ける

③privatterなどの外部サービスを利用する

①はTwitterデフォルト機能である受け手が「不適切画像を表示しない」設定にすることにより、サムネイルの表示にワンクッションはさませるもの

ただ、おそらくBLは見たくないけど男女(or百合)のエロは見たいぜ!って人は不適切画像も表示させている可能性が高く、「設定してないおめーが悪いんだろ」という理論は成り立っても自衛としては不十分とみなされることがある。

②は、鍵をかけておらずイラスト過激もの投稿しない「表垢」を作り、主な交流や雑談をそこで行う。

そこで知り合い、年齢が確認できる人だけ鍵つきの「裏垢」フォロー許可する、という方法である

BLっぽさがあきらかな作品エロなどは「裏垢」に投稿することで、幅広い交流ゾーニングとを同時に行うのである

③は、要するに「作品を見てもらうのにワンクッションはさむ」と言う方式である

- Privatter - share your long tweets to your followers only

中でもプライベッターは、画像テキストどちらも投稿でき、公開範囲を全体・ログイン限定フォロワー限定フォロー限定…などと細かく設定できるため、最近非常に好まれている印象がある。

ログイン限定」は、Twitterログインしている人なら誰でも見られるのだが、作品を見るためにprivatterをTwitterに関連付けするというワンアクション必要になるため、ある程度「見たくない人の目に入ってしまう」事態を防げると目されている。

てゆうか小野ほりでいさんの記事が苦手だというだけなのですが

さて、長々と腐女子ゾーニングにまつわるエトセトラについて語った。

しかしたら「いや、そういうディティールはいいんだよね。あの記事は『ゾーニング破り』っていうならず者告発するのがメインでしょ?」とお思いの方がいらっしゃるかもしれない。

いや、そうなのだ。そう思う。

でも、正直、私は小野ほりでいさんの、「そういうディティール」を捨て去った記事が苦手なのだ

ぶっちゃけこれが言いたい。すみません増田の癖に。しかも腐った増田の癖に。

読後の「そりゃあそうですけども…」的モヤモヤ

小野ほりでいさんの「エリコちゃんとミカ先輩」記事は、よくネット上で話題のいろんな「微妙問題」をばっさりと切る。

その理論的な切り口、爽快感に、ファンの方も多いと思う。

私も彼の記事を読んで「だよね!超納得、すっきり!よく言ってくれた!」と思ったことがある。

だがしかし。前述の「腐女子ゾーニング問題のように、自分当事者としてかかわっている問題になると、どうも読後のモヤモヤが残るのである

記事の言ってることは、決して間違ってない。

けど、私が実際に見ている世界には、もっと細かくいろんな問題があって、その中でなんとかバランスをとろうとしているのだけどな…といいたくなってしまう。

そんなことを小野ほりでいさんが知る由もないのは承知である

privatterがどうこうとかそら興味ないだろうし、知らなくても彼の記事正論として成り立つ。

でもさあ。でもさあ…

ミカ先輩「名前をつけてやる」

なぜ、細かいことはよく知らないのに、ミカ先輩は正論を言えてしまうのだろう。

それは、悪役を作り上げ、「名前をつけた」からだ。

彼女はそれが圧倒的にうまいのだ。

前述の通り、ゾーニング問題は「善意第三者」によって破られることもあるが、

ミカ先輩はそれをスルーする

このリツイートした森山ゴリ夫という人の「こういうのって気持ち悪くない?」というコメント…。

これは明らかに「見て不快に思う人に見せる前提」で共感を集めるためにやっている面があるよね。

ややこしいところを全部ぶっとばして、誰もが「わあこいつはどうよ」と思える悪役を持ち出す。

そして、その悪役に「ゾーニング破り」と言う名前をつける。

こうなれば、読んだ人間気持ちは一致するのだ。そうだ、ぼくたちの敵は「ゾーニング破り」って名前なのだ

どうして痴漢された話は「自慢話」になるの? - トゥギャッチ

痴漢問題について「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」を掲げて切り込んだ記事も、

最後はこうなる。

大事なのは、話を聞いてほしい人の気持ちも、聞きたくない人の気持ちも尊重してあげることだよ。

そうだ。そうなんだけど、その通りなんだけど。

ネット上では自分で好きで記事を読んでおきながらブログを読んで殴りかかってくる人もたくさんいる(私みたいに)。でも読んだ人がどう反応するかは自由だ。その倫理観は人による。

また、痴漢問題における社会的周知や認識の共有も進んでいるとは言いがたく、「無理やり聞かせる」と「なんとか一緒に考えてくれとお願いする」の境目はどこだって話もある。どこに不快を感じるかは人による。

けれどもそういうメンドクサイことは語られない。名前がつかないから

そして、「自己責任論によるストレス隔離」という「名前」周りの事象けが語られ、きれいにまとめられる。

でも、そっからが。

ミカ先輩よ、あなたが今丸めたそこからが、懲りずに炎上しくすぶり続ける本質なのではないか。

あなたは、そこを見ない振りして「キャッチーな名前」をつけ、そこから一点突破で論を構築する。

そして「これは正論」「すっきりしました!」と多くの人から賞賛を受ける。

あなたのつける名前はわかりやすく、理論にはそつがない。その問題に詳しくない人にもすっとしみこむ。

けれど、問題の渦中にいるとき、私はいつも困惑する。

すっきりしたか?そうか?ボロッボロ大事なことが落ちてないか?

そして、これがいちばん引っかかる。

その、「すっきりしたキャッチーな名前」を得た人たちは、もうそ問題を「解決済み」のフォルダに入れてしまうのではないか。

そして、問題の渦中で苦しみ続ける人を見て、「ミカ先輩があんなにきれいにまとめたのに、まだ苦しんでるのか。ばかだなあ」と思いはしないだろうか?


私が、小野ほりでいさんの記事をあまり好きになれない理由はこれである

名前をつけてやる。

名前をつけて、それでその問題がすべて解決したかのような印象を(小野ほりでいさんの意思はともかくとして)受ける人がいる。

名前のつかなかった細かいかいしかし容易には解決しない問題は積み残したままに。

そして記事を読んだ人たちは、本質理解した気分ですっきりして立ち去り、問題の渦中にいる人は苦しみ続ける。

ミカ先輩のやり口を「団結ポルノ」と名づけたい(ミカ先輩式に)

今上で思いっきり批判したことを、自分ひとつやってみたいと思う。

小野ほりでいさんほどうまくはいかない素人芸だが。

痴漢問題うつくしき団結

痴漢問題は本当にとかく炎上やすい。

暴力冤罪男性立場、女性の立場男性差別女性差別、都市の過密、労働形態子供の保護…

痴漢問題を語る切り口は無数にあり、ひとたび話題に上るとそれぞれの人間がそれぞれの立場からそれぞれが気になる切り口について語るので、基本的に収拾がつかない。

11月はじめ、「痴漢されない女子の特徴」というエントリ大炎上した。

http://cild.hatenablog.com/entry/2015/11/05/072629 - 2015年11月5日 07:55 - ウェブ魚拓

例に漏れず私も大変なアンチになったので、上記リンク魚拓である

ところでこの記事に対する反応はすさまじかった。

老若男女を問わず、みながブログ主性犯罪に対する無理解と、性差別意識を叩きに叩いた。

前述の通り痴漢問題は無数の立ち居地と切り口から語られ、全会一致など到底ありえないはずだが、ことあのブログに対するコメントブコメに関しては、殆どの人が意見を一にしていたのではないかと思う。

ブコメは増え続け、言及記事が連日ホッテントリに上る、祭りの様相だった。

あの、「無理解差別意識に満ちた邪悪ブログ主」という悪役を得て、我々は性別を超え立場を超え「団結」したのだ。

彼を叩いている間、我々は仲間でいられたのだ。


そして、正直に告白する。

「団結」できたことが私はうれしかった。

己の考えとはまったく異なる意見を、私の目には無理解と保身としか思えないブコメを、痴漢関連のエントリではたくさん見る。

けれどあの記事に関してだけは、どのコメントを読んでも納得がいき同意できた。

それは本当に気持ちの良い体験だった。

ミカ先輩は私たちに「団結」を提供してくれる

ミカ先輩は非常にたくみに、ややこしい問題スマートに言い表す。

そして、炎上しゴタゴタするはずの話題について、「同意」「正論」というコメントが並ぶ。

それは、きっと、すごく気持ちのいいことなのだ。

喧々諤々しているところより、すっきりした結論と、それに対する同意の中にいられたほうがいい。

同じ考えの人の中で、自分もまた同じ考えを書き込む。

自分感覚の「正しさ」を、「団結」が――わかりやす理論と、同意コメントの多さが――保証してくれる。

しかし、前述の通り、ミカ先輩の言うことは、「スマートで誰でも同意できる」代わり、「ややこしくてなかなか解決しないこと」をしばしば捨て去っている。

本当は、そこに取り組み続けることがもっとも大変なのに。

から、思うのだ。

彼女は、「問題真摯に取り組む姿勢」を捨て、その代わりに我々に「団結」という快楽提供してくれているのではないか。

それは、いわばポルノだ。

「団結」と言う名のポルノだと思う。


団結ポルノは一夜の夢だ。ではそのあとは?

「団結」は一瞬の快楽をもたらしてくれるし、あまり興味のない問題ならば「読んですっきり」できる。

それが悪いことだろうか、と言われたら私は答えに窮する。

世の中の問題のいちいちに、「真摯に」かかずらわってるほど我々は暇ではない。

腐女子ゾーニングにどんだけ頭を悩ませてようが、二次創作に興味のない人は「私に迷惑かかんなきゃいいよ」ってなもんだろう。


でも、どうか、時々でいいから、振り返ってほしいのだ。

あなたが「団結ポルノ」ですっきりしたあとに、点々とこぼされている、ややこしくて、一概には言えなくて、どうにもならない問題があることについて。

それに取り組み続けている人がいることについて。

2015-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20151208031615

のうりんポスター炎上事件って、本当にゾーニング問題だったのか?

http://anond.hatelabo.jp/20151207000518

にも書いてあるけど、ゾーニング基準って分からないよね。グレーなものは何をどれぐらい許可するかのガイドラインがないから

それに、もしスタンプラリー参加者だけに個別配布する方式を取ったとしても、「観光協会が駅であのようなポスターを配るのが非常識!」って言われちゃいそうだよね。結局ゾーニングしても駄目じゃん、っていうw

http://c71.hatenablog.com/entry/2015/12/06/230538

別にお前にしろと言っているわけではないし、ポスターよりずっとゾーニングされている。

並べて語るな。

放っておいてくれ。

自分の嫌いなものはとにかく潰さないと気が済まない連中、本当に鬱陶しい。

http://anond.hatelabo.jp/20151207212950

増田引用ってどうやるんだっけ?

しかし今回のケースは、理論的にも実際問題としても、批難が起きて然るべきではないでしょうか。

エントリあくま批判において守られるべき手順や態度について書いたもので、今回のケースの結論が正しいか正しくないかについては論じてません。

"状況を十分理解したうえでポスター使用をやめるべきと判断したのなら良いのですが" と書いた通り批判の手順が正しいうえで「やめるべき」という批判が出るのは構いません。

批判結論おかしい」ではなく「批判手続きが正しくないのでは?」というのが争点です。

> 「理解のある地元民かイベント参加者以外がほとんど目にすることがないのであれば、問題はない」とおっしゃいますが、

分かりにくくてすいません。今回のケースが問題ないと言いたかったわけではありません。一つの例えとして書きました。

個々の事例の状況によって判断はかわるよね、たとえばもし「理解のある地元民かイベント参加者以外がほとんど目にすることがないのであれば」問題ないんでは?ということが言いたかったのです。

今回のケースについては細かい状況を理解してるわけではないので、個人的に良し悪しの判断をするつもりはありません。

行政事業であるにもかかわらず、「理解のある地元民かイベント参加者」という限定的対象が、そもそも不適切です。

行政(今回は行政でなく観光協会ですが)の行う多数の施策なかに限定的対象向けのものはいくらでもあります(というかそれができないとまともな行政出来ないのでは)。

今回のケースで争点になってるのはイベント自体が特定対象向けかどうかでなく、特定対象以外の人に対してポスターがどのぐらい影響があるかという話ではなかったでしょうか。

そして「理屈としていえば不特定多数が見るポスターはまずい」ですが「実際としてはポスター使用状況から考えるにほぼ問題ない人しか見ない」可能性もあるよ、だからちゃんと情報を集めてから批判しよう、ということを書いたわけです。

行政広告であるからには、不特定多数に伝わることを前提として、内容の是非を検討すべきでした。

問題の解決法として「不特定多数が見ても大丈夫なようにする」だけでなく「問題とならない人だけが見るようにする(いわゆるゾーニング)」という解決策もあるわけです。

批判側の一部はポスターの取りやめという方法にこだわりすぎではないでしょうか。

またゾーニングについても、蓋然性について考えず「ぜったい一般人の目に触れないようにしなければいけない」という0か1な思考をする人がいます

絶対などというと、赤信号は渡れないという話になってしまます

実際の状況を見て「絵柄は好ましくないが運用的に問題ほとんど起きないだろう」となるならそれで十分なはずです。

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引用のやり方、どうもです

2015-12-07

コンビニ雑誌コーナーの片隅に並べられた数冊の雑誌
今日もそこから軽く目をそらして通過する。

これらの雑誌は、世間的な非難を受け縮小したとはいえ、
一件のコンビニにつき、三冊から四冊くらいは、 必ず陳列されているように思える。

漠然とイヤだなあと感じるのは、
自分が表紙と同じ側にいると思うからなのだろうか。

大したことではなかったし、トラウマもない。
でも、嫌な思い出であることに変わりはない。
からやっぱり多少はキツイ
このキツイなぁという感覚は、
この雑誌を当たり前に買いつづける人間にはわからないだろう。

さな子が、雑誌を見あげていたこともある。
の子もいつか自分と同じような目に遭うのだろうか。
既になっているかもしれないけれど。

無論全員が、そうなるわけではない。
だが、自分のような目に遭う可能性は、おそらく交通事故確率よりも高い。

二次元三次元混同するなと人は言う。
もちろん自分オタクである以上は、その論理に従って生きていきたい。

もし、これらの雑誌が、ゾーニングされた場所にあるなら、こんな文句は言いやしないし、
ゾーニングされた場所には、もっと過激雑誌があることも知っている。
欲しい者は買えば良い。
自分は買わないだけだ。

自分にとってコンビニとは、日常だ。
毎日店に入り、毎日必要ものを買う。
そしてそのとき
うっかり本棚の前を通過したりもする。

それこそ仕事疲れた日とか、
ぼんやりしてる日とかもあるだろう。
1年365日、
そこまで注意して歩けないだろ。

日常風景の中に、
経験した嫌だなあに似た表現が突如飛び込んできて、
それを快楽として感じる相手がいるのだと知るのは、
まあ、割としんどいものがある。

表紙に描かれたものが、法に反してない表現であっても、
文字情報スルーすればいいだけでないかと言われても、
どうしても表紙に描かれた対象の側に立ってしまう。

コンビニに行くなよ、と言われたこともある。
イヤならば避ければいいのか。

そうなのか。
果たしてそうなのだろうか。

そうなのかもしれない。
この社会強者論理で出来ていて、
ここは強者論理で作られたコンビニだ。

から自分は今後も
本棚一角から
なんとなく目をそらしながら、
欲しい商品を手に取れる。

自分がまぎれもない弱者という事実を突きつけられて、
コンビニにこんな雑誌があることも当たり前ということにされて、
でもしかたがないんじゃね? と、
言い聞かせるわけでもなく言い聞かせながら、
まあなんとなく生きていく。

それでも、時々、もやもやが募ってこんな風に増田になってみる。




いじめをするやつは糞だ。
だが、空想いじめで喜ぶヤツを否定はしない。


ただできれば、コンビニいじめ雑誌は、この世界から滅びて欲しい。

のうりんポスター炎上事件って、本当にゾーニング問題だったのか?

「これは表現規制じゃない。ゾーニングしろと言っているだけだ」という意見の人は、何をもってゾーニングができていると見なすのだろう? 良識派のオタクサヨクに多いが、具体的にどこまでゾーニングすればいいか教えてほしい。


第一の前提として、このポスターちょっとエッチな感じがあるというだけで、直接に裸体やセックスを描いた18禁表現ではない。もし子供が目にするようなことがあっても法的・社会通念上はアウトにならない。そういうものなのに18禁表現なみに厳しいゾーニング実施しろという話になると、私は違和感がある。


「駅に貼ってあったことが問題だ」という意見には一理あると思うけど、それはつまりから撤去すればOKってことなのか?

逆に駅以外の道路沿いとか、観光スポットに貼ってあるのは許されるのか?それとも通行人が少しでも目につく場所はアウトかな?

ホテル飲食店の店内に貼るのはどうだ? そこにもアニメに興味ない一般人は来るだろうし、子供女性ポスターを見ちゃう可能性あるよね? しかし、だからといって私企業管轄している館内スペースにまでゾーニングやらせるつもり?



ゾーニング問題か。それともポリティカル・コレクトネス問題か。

ポスターが駅に貼ってあるのだとしても、しつこく目につくほど強烈に展示しているか、片隅にちょこっと展示してあるだけだったか、その違いを無視した批判が続出しているのにうんざりした。

駅の通行人がこのポスターをほぼ気にとめずに素通りできるレベルの貼り方だったなら、「見たくない人にむりやり見せつけて苦痛を与えている」という批判は当たらない。

もしこれが明確な18禁表現ならば一瞬でも通行人の目に触れてしまえばアウトだが、今回のポスターはそうじゃないのだし、徹底的に厳しいゾーニング必要ポスターと同等に扱うべきとは思わない。

「実際には通行人ほとんど気にとめずに済む」という貼り方がされていたという報告もある。以下、現地に行ってきた人のレポ。


まつうら @hallucine 2015-12-01 00:13:04

ポスターっていうより貼り紙っていうほうが適切なニュアンスかなぁ。あんまり大きくなくて印刷もそれほど鮮明でないので(失礼ながら)、嫌でも目に付くというほどではないです。スタンプラリー対象店舗ってことはちゃんと分かりますが、胡蝶さんの巨乳っぷりまでは。


まつうら氏、"のうりん"コラボポスターの「美濃加茂市、行ってきました」

http://togetter.com/li/907100

根性ロン @konjo_ron 2015-12-04 00:18:49

ストリートビュー 要はこういうことだったんですね。 pic.twitter.com/5ugmCvNjeW


美濃加茂市の隣の市の方から見たポスター騒動

http://togetter.com/li/907977?page=2


以上を踏まえると、今回の炎上が「見たくない人にむりやり見せつけて苦痛を与えているのは駄目」というゾーニング問題だったか、それとも「こんな破廉恥セクハラポスター公共施設に貼るなんておかしい!」というポリティカル・コレクトネス問題だったかからなくなる。


仮にポリティカルコレクトネス観点に立つとすれば、あのポスターはいくら完全にゾーニングをしても不許可ってことにならないだろうか。

例えば駅の一室にある観光案内所で、外側にいる通行人からは見えないように注意して貼っていたとする。あるいはもっと厳格な方法を取って、『のうりんスタンプラリーに興味ある人にだけあのポスターを配布したとする。そうすればゾーニング完璧に行われたものと言えるが、「観光協会がああいう絵をポスター公式採用するのは不適切」とか「駅という公共施設ポスター配布を認めるべきじゃない」という批判は出てくるだろう。

2015-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20151204200313

仕切りを作るのは、それを見たい人だけにみせるためだよ

から、仕切りだけじゃゾーニングじゃないんだよね

ここはアダルトコーナーです、18歳以上の見たい人だけ入って下さいって表示が必要なの

何の標識も無く、ただ仕切りだけ作って入りにくくしても、それはゾーニングじゃないの

http://anond.hatelabo.jp/20151204183052

だーから、「ゾーニングしろ」って言ってるがわも「個人の一意見」だっつうの

お前の「駅のなかにはるくらいならいいだろ」も個人の一意見

どっちも個人の感覚でどっちも正義じゃねーよ

駅が公共の場である以上、嫌なら文句いう権利はあるんだよ

しょーがねえだろそんなの

なんでいつもいつも「文句言われて撤去させられた」って被害者目線

「決めるのは当事者(今回でいうなら観光協会)」ってことを無視すんだよ

相手は神かなにかか

http://anond.hatelabo.jp/20151204183052

だーから、「ゾーニングしろ」って言ってるがわも「個人の一意見」だっつうの

お前の「駅のなかにはるくらいならいいだろ」も個人の一意見

どっちも個人の感覚でどっちも正義じゃねーよ

駅が公共の場である以上、嫌なら文句いう権利はあるんだよ

しょーがねえだろそんなの

なんでいつもいつも「文句言われて撤去させられた」って被害者目線

「決めるのは当事者(今回でいうなら観光協会)」ってことを無視すんだよ

相手は神かなにかか

http://anond.hatelabo.jp/20151204182653

掲示場所特定の駅に絞ることは、そのことによって目にする人のうち不快になる人の割合が減るわけではないのだからゾーニングとは言えない

これが俺の言ったこと

http://anond.hatelabo.jp/20151204175141

公共の場に貼り出す以上、実際的にその場にどのような層の人間いるかという想定はなくて、全ての人間が見るという想定でゾーニングすべき、というのが一般的解釈だと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20151204181518

この文脈でその定義無理筋でしょうw

ポスターゾーニングなんだから

この扉の向こうにはアレなポスターがあります。なんてゾーニングはもともと無理な話しでしょ。

R18のゾーニング混同しちゃだめですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20151204181658

ゾーニングしろ!」と騒いだ結果として余計に衆目に晒されたんなら反対派を非難すべきじゃね?w

http://anond.hatelabo.jp/20151204175141

「お前らの求めるゾーニングラインは過剰だ!」

って話?

他の人にとっては「駅っていう、望むと望まざるとに関わらず利用する場所に、性的表現放置すんのはゾーニング不十分やろ」って話だろ

それがいきすぎだ!っていうならそれも一意見なんじゃね

ただしどっちも「個人の感覚」に従ってる以上優位性はないよ

http://anond.hatelabo.jp/20151204173527

特定の駅に限定する、なんてゾーニングになってない

不快に思う人の割合が変わってないんだから

逆に、最寄り駅に貼っていいならどこに貼ったっていいだろうよ

あのコンテンツゾーニング必要かどうか、はまた別の話

必要なのは増田ゾーニング

基地外ゾーンと、良識ゾーン。 この二つをはっきり分けてほしい。

1. (仕切りで覆うなどでなくとも)公開場所限定するだけでも広い意味での「ゾーニング」に含まれ

2. 例ののうりんポスターであれば掲示場所を最寄り駅に留める程度の「ゾーニング」で十分である

3. 「そのゾーニングでは不十分である」としてゾーニング強要・乱用することは危険である

ってことかな?

http://anond.hatelabo.jp/20151204171642

要するにゾーニングっていう「もっともらしいことば」を

自分と合わない意見人間が使ってるのが気にくわない!

ってことかな?

で、すでに指摘されまくってるように、ゾーニングってことば自体マーケティング以外にも様々な文脈で使われてきてるんで

(それこそ児童ポルノにおける議論でも)

自分たまたま知ってた解釈ひとつ振り回して、

ゾーニング」ってことばの定義自体を相手から奪おうとしてもしゃーないわけよ

「望まない人間の目に絶対にいれないことな不可能」にって筋ならまだなんとかなるかもしれんが

レンタル屋とかはすでにやってるからなー筋悪だろうなあ

大体元増田自体、「ゾーニングはしてた!」って相手の土俵に乗ってるしね

あとは、「そこまで徹底的に隠す必然性はない」って方向かね

これならまだ議論になる

http://anond.hatelabo.jp/20151204172500

エロコンテンツを見たくない人の目に触れさせないことが必要、ってのがあって、その対策としての区分けゾーニングって呼んでるんじゃん。

マーケティング用語ゾーニング拡大解釈して…、なんてあり得ねーだろ。

どんな思考回路してんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20151204171642

そもそもゾーニング都市計画において地区毎に建築規制をすることを目的とした行政用語であって、マーケティング用語じゃないんだけど

と同じような発言

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