はてなキーワード: アナログとは
今日の午後5時に急に気付いたんだよね。
これまでに感じたことのない感情すぎて、しかもあまりにも突然だったから気付いてご飯食べて一時間経って世の無常と憂き節を感じてほぼふて寝に近い状態で寝込んだわけ。そんで今目が覚めた。いや嘘。11時すぎに目が覚めたんだけど電子時計の1の文字しか目に入らなくて最初1時かあと思ってて、顔だけ洗ってまた寝ようと思って顔洗ってアナログ時計見たらほんとは11時だった。なんだよ。だから顔洗ったあとちょっとツイッターして、そんでタイトルの感情を思い出した。
これまでこういうことがあったらツイッターの数あるアカウントの中のしょうもない鍵垢にちょっと呟いておしまいだったんだよ。でもこの感情、それだけじゃなんかおしまいにならなくて、なんかはてな匿名ダイアリーが脳裏によぎって書くかってなったんだよ。そういうとこじゃんたぶんここ。知らんけど。初カキコ…ども…ってね。やかましいわ。急に脈絡もなく変なことをし出すの悪い癖なんだよね。悪いか?言うほど悪いこともしてないな。ならいいか。
このしょうもないお話始めるためにユーザー登録必要なのめんどすぎて半ギレだったわ。嘘。キレてない。穏やかかつ冷静な人物なのでね。フ…。
いやどうでもいいんだよそんなこと。本題本題。でも文章吐き出してるうちにちょっと落ち着いてきたわ。これを目的にゲロ長文文章を書いているわけ。成功じゃん。
いや本題だよ。ハイ。友達、欲しくない?欲しい~(セルフコールアンドレスポンス)
友達ね、ほんとにいないわけじゃない。むしろいる。インターネットでも現実でも、少ないけど確かに仲の良い人間は存在する。じゃあ友達いるじゃんって思うじゃん。そうだよ、そうなんだけどさ。なんかなあ~~~~~、ちが、違、違うんだってたぶんこの感情、事実として友達はいるけどもなぜか感情になってしまったのもまた事実なんだよ。わかる?わかんなくていいけどさ。
まずこれまでの人生で友達が欲しいって思ったことはあんまりない。むしろ一人の時間が好きで一人でも平気どころか一人の方が楽しいじゃん!と陰キャ様様な思考だったし人間と話すのあんま得意じゃないし。人間のことは好きだけど。てかこのクソキモ長文をつらつらと書き連ねている時点でもうこいつ完全にド陰キャじゃんウケるわってお思いかと思うんですがうわもうほんとに1時じゃん!寝たほうがいい。でも一度取った舵は止まんねえんだよな。
これまで生きてきて、多くの作品は友達の大切さを教えてくれたし3才くらいから友達いっぱい作ったらハッピー!って永遠に言われ続けてるじゃん。でもそのときは「ああそうだなあ」って思いつつも思うだけで共感してるかと言われるとしてないし実感もしてなかったんだよ。なのに今日の5時に急に実感がきた。そしてちょっと泣いた。なんでだろうな。
なんで急に、って思うじゃん。自分でもそう思うしわからないから今こうやって文章を書きながら感情をまとめてる。たぶんきっかけはいっぱいあって、今日、それがいっぱい重なっちゃったのと今忙しくて大変なのも合わさって情緒がちょっともじゃもじゃしちゃったんだと思う。軽めに言えばアンラッキーデー。
でもこの気付きがアンラッキーかというとそうでもない。むしろ友達が欲しいというポジティブな方向への感情。でも友達はいるんだよね。違う。概念として友達が欲しい。は?何言ってんだ。自分でも意味不明。てかマジで長文すぎてキモい。匿名ダイアリーでこんなキモい文体でこんな長文書いてる人見たことない。ここまで読んでる人間いる?暇だね。わかるよ人間が紡いだ文章をただただ目に入れたいときあるよね。
インターネットの友達が次々にアカウントを消していって本当に泣くぐらい悲しかった、フォロワーを愛しているから(激重感情) 現実で人間と会話して会話が上手にできなくてちょっと悲しかった。なにが悲しいって上手に話せない自分の能力が、ノリの掴めなさが、会話は楽しくてもなんかどっか冷静な自分が。これは小学生のときからずっと悲しんでる。バーチャル世界で友達ができて本当に楽しそうなバーチャルYouTuberを見て、楽しい!面白い!の感情だけじゃなくてほんとは羨ましかったのかもしれない。憧れたのかもしれない。そんな、そんなさ、夜遅くまで、理由もないのにただ通話するなんて友達できたことなかったし理由もなく通話するの無理な自分もいるからさ。できないことに憧れても仕方なさすぎるんだけど。いやできないわけじゃないな。頑張ればできないはできるに変えられる。したくないんだよ。あんまり。理由もなく通話とか、意味のないことだと思ってるから。しかも上手にできないし。でも意味のないように見えることが意味があることだったりするんかな。わからんけど。やったことないし。ほんとはしてみたいのかも。実際したところでそこまで莫大に楽しいと感じられない性格っぽいのは理解してるからこれからもできないかもだけど。
現実でさあ、ライフステージが進んでいくごとに人間関係が変わって、でも友達作るのほんとに下手だから友達だんだん少なくなっていくんだよね。これからさあ、冬がきて春がきたらさ、友達ほんとにいなくなっちゃうかもしれなくて、う、ちょっと涙でてきた。いや友達はいるよ。いるけど、頻繁に会わなくなると友達ではあっても友達がいるって実感はなくなるじゃん。実感だけがただただ消えていって、気持ち的には友達ないないになっちゃうんだよね。みんなお空の下で繋がってるとは言ってもさ。
ていうかこの難儀な性格のせいでさ、友達になりたいと感じる人間からもうすでにだいぶ少なくて、困っちゃうよね。そこから友達になれる人間となるともっと少なくて、これまでの人生はちょっとの友達と大勢の人間人間、人間、人間で構成されてて。インターネットでもそう。インターネットは広いから友達になりたい面白いやつはいっぱいいるんだけどインターネットで友達作るのって現実の5倍くらい難しい。個人的にはね。だってリプライ送るのドキドキすんじゃん。苦手なんだよね、友達になる過程っていうのが。気付いたら友達に囲まれていたい。現実でもインターネットでも。無理だってわかるけど。
なんか、感情をまとめたところで解決するわけでもないしままならないな~って感情がきちゃうだけなんだよね。思考するときだいたいそう。思考するのが好きだからずらずらこんな感じで考察と現実を並べて、最終的にはどうにもできないな~で終わる。友達がほしいだけなのかもって感情は今までで一番どうにもできない。ただむやみやたらに友達が欲しいんじゃなくてほんとに楽しいほんとに仲良いなにも気にしないでいい友達が欲しいからさ。ハードルがエベレストかよ。
友達、いらないと思ってたんだけど、友達、欲しかったんだなあ、自分。
あたりまえの感情に気付くのが遅すぎない?みんなすごいなあ、自分の感情の真理に小学生くらいで気付けてて。まあ人の真理は人それぞれだから、個人的にこれが真理のひとつだったってだけなんだけど。
ままならないな~。もう2時近いじゃん。寝るわ。おしまい。
そこら辺のプログラマやSEなんかは別に高度な数学を用いたり科学に精通してるわけでも無いし、賃金が高くある必要ないと思う
日本の社会では学問としてコンピュータサイエンスやエンジニアリングを学んでなくても別にいいみたいだし、それだったら中卒でも変わらないくらい簡単な仕事という事だろう
実際中学生でプログラミング趣味でやってますよーみたいな子の方がそこらの社会人より能力があるように見受けられる
需要があるし、できたものがそこそこの値段で売られてるから最近は少し高くなってるみたいだけど、一部の会社や人を除いて業務にバリバリに知識を活用できるわけでもないので600万で頭打ちするくらいが妥当だと思う。キーボード叩けば誰でも同じ入力になるからアナログ依存の職人というわけでもないしね
昔のアニメを見返してて思ったけどやっぱりアニメはアナログだね
と言っても理由はよく言われるようなセルの質感がとか作画力がなんて話ではなく
レンズなんだよね
例え元がセルに描かれた絵でも本物のレンズを通して撮影されたものというだけでやっぱり空気感が違う
セルの手前にある数センチの空気層だけはまごうことなき実写だから
思えば3Dアニメがオブジェクトを表示するのがやっとだった頃から
今ではレンズや空気のシミュレーションが出来てきてリアルになった一方で
純度100%の精彩なイラストを表示するかに苦心してきてしまったような気がする
むしろこっちこそが今のアニメファンの求めるものなのかも知れないし
どうしようもないのかも知れないな
残念だ
違う方に侵入してトラブルが起きたというニュースもよく流れる。
こんなトラブルを未然に防ぐために、付いてるのか付いてないのか番台さんが一人一人目視で確認するべき。
自己申告ってのは危ういもんだと生きていて熟思う。
流れ作業でやりたいのは分かるけど、私の仕事の業界なら確証も持たず次に流したら半端な仕事と言われてしまう。仕事とは認められない。
確認と言っても必ずしもアナログでやれってこと言っているのではなくて、このあたりは検品のソリューションが参考になると思う。
何でもかんでも厳格化するのは本当は嫌だけど今の時代仕方ない。
こういう状況を受け入れざる以上、ソリューション導入を私に任せてもらえるなら責任を持って動作の検証もしたいし、逆に自分のも見てもらいたい。
タイトルの通りです。
現在とあるジャンルにハマっていて、そして中でもマイナーなカップリングに身を置いています。
正直組み合わせ自体は、ジャンルの話で基本的に絡みがある子たちなのでそこそこ王道です。が、自カプはいわゆる逆カプで、逆になった途端ガクンと数が減るんです。悲しいね。
本題ですが、私は今まで何かと忙しくしていたので、そのジャンルで自カプの二次を創作することがあまり出来ないでいました。
まあ、そこまで忙しくなくても出来ない人種ですが。
自分の好きなキャラが出来て、話が進んだりするなかで解釈が変わったりキャラ同士の関係性が変わったりとか、自分の中で消化するのに必死なので参入は大抵遅れます。下火になってからが本番。
ただそのジャンルの開始当初からドハマりしていて、アナログで汚い落書きやら思い付くネタメモやらは死ぬほど溜まっていきます。
しかし落書きはメチャクチャ汚いのでとても人様にお見せ出来るものではありません。ですので、投稿して誰かに見てもらって……なんて夢のまた夢。漫画なんてそれこそ幻。
デジタルに取り込んで修正して線画から描き起こして色つければまぁなんとかそれなりの形にはなるのですが、なにぶんその作業がとても面倒臭い。
そうです。私はデジタル不精なのです。
ここから私の悪癖が出てしまうのですが、最近はもっぱら人様のお上手な作品を見るともう憎悪しか湧かない。
上でも言いましたが自カプはマイナーですのでもうそりゃ殆ど作品がありません。ですが逆は世の中に溢れている訳であります。
逆カプの理想的な作品を見かけてはもうメチャクチャに羨ましくなってぐぬぬな訳です。
自分で絵をかいて自カプを増やしたいのに!今までずっとずっとネタ考えてきたのに!!!
画力もなけりゃ気力もない。
自カプが雀の涙すぎて世の中に自カプは求められてないんだなぁTLに流れてくる人とかみんな逆だもんな逆はみんなに愛されてていいな
しんどいというふうにどんどん悪い方へ……
前までは地雷みたら画力でぶん殴ってやると燃えていましたが、誰にも求められてないカプなんだなと考えるともうただただ虚しくなって無理だ……モードになります。
そして手に付かなくなります。
TL自カプだけで固めればよくない?と思われるかもしれませんがマイナー故に他カプの方が気紛れに描く自カプを頼るしかないのです。大手はとっくに蒸発しています。
さらに自カプの人も雑食だらけの呪いがかけられているので普通に他カプばかり語っています。
正直自分も他カプを描いたりするため、完全固定さんには害になることがあるかもしれないので遠慮するのですが、考えているのは推しと自カプばかりですし、推しが本当に本当に大好きなのは揺るぎません。自分も周りと仲良くするために、合わせて何でもイケますよアピールしてますがつらい!自我を通して嫌われる勇気を持ちたいです。
これは顔色を伺ってばかりの人種故の自業自得のただのアホなんですけどね。
自カプの人が地雷のこと楽しそうに語っていたり逆と仲良くしてばっかで自カプほぼ語らないとかよくあるのですが、それが一番キツいですね。そんなにあいつがいいならもう出て行けよ!と包丁を向けたい気持ちで一杯です。TLに地雷を流されて負傷すること多数です。
そもそも自分の嗜好があまり他人と共有できないようなものなので、自分と同じベクトルで推しを愛する人がいません。
二次の醍醐味は萌えを分かち合ってわいわい盛り上がるものだと思っているので苦悩します。
自分はまず推しが中心で推し大好きマンで推しを第一にしています。推しのことを好きな人はそれなりにいらっしゃいますが、大抵地雷カプの方や地雷兼任の方が何故か多く、拒否反応を起こしてしまいます。
ただ自分は推しへの解釈が相当に面倒臭い腐女子なので、残った総受けや推しが極端に乙女になる推しの受け数が最大のカプも弾きます。
ですがそういった他カプの方に縋らないと飢え死にしてしまうので包丁を隠し持ちつつなんとか生きています。
ここまで見てお察かもしれませんがお前交流向いてなくね?と思われるでしょう。
その通りです。
昔はやっていましたが、交流や上記のような敏感モンペ性分で苦しんだために利用しなくなりました。
実際このジャンルにハマってからも今年の中旬頃までツイは利用せず、支部を漁って生きて参りました。しかし、マイナー!!限界が訪れます。
徐々に更新されなくなる作品欄。消される作品たち。消える大手。そりゃもうしんどいです。
中でも、その推しのことが好きになって初めてご本を買わせて頂いた大好きな方の更新がストップしたのは大ダメージでした。
この私の推し像や解釈を作り上げ、自カプの親と言えるような方でした。その方は新しく他ジャンルへ移ってしまいました。
ここまで長くハマったカプは今まで無かったので、取り残されるのがこんなに悲しいものだとは……
それでもう供給が足りない!辛抱ならん!とツイへ飛び込んでいった訳です。
ですがマイナーさらに遅漏参入。その上自分の創作は一般受けするものでなくちょっとアレな雰囲気ですので、周りの方に積極的に絡みにいくのは憚られます。
自分と同じような方向で求めてくれる人なんかそうそうおりません。
そもそも、ちゃんと人様に見せられるような創作はまだ全然出来ていないので自分の作品で殴り付けたり人に布教するなんてもう全くもって出来ません。
近々オンリーイベントがありますが、漫画は描いたことがないしきっと何も出来ずじまいで過ぎていくのでしょう。
そして数少ない界隈の方にとっては無産なんか見向きもされません。
それでも推しは大好きで大好きでまだ毎日推しのことを考えては幸せな気持ちにさせてくれます。
これから時間がかかっても大好きを形にしたいし、全員に好きだと言われなくてもたった一人でも、自分の大好きがこもった作品を気に入ってくれる人がいたら幸せ。あわよくば言葉にして伝えてもらえたらな。
仲間が少しでも増えてくれればいいな
でも3Dモデルとモーションがしょぼすぎて正直ドット絵のママのほうがよかった
クォータービューだから、十字キーやアナログスティックの入力方向と思うように合わなくてイライラした
やっぱり面白いなあ
コンシューマにあたって追加されたシナリオをはじめてプレイしたけど微妙すぎる
他にくらべてシナリオ会話がひどすぎて、そんなに長くないのに途中で何度も中断してしまった
でも難易度普通でやる限りでは特別レベル上げしなくてもラストまでいけるし、連撃時のタイミングでボタン目押しもやらなくてもいいからよかった
今回プレイしたやつは、BGMが2パターン選べるってのが売りだった
パソコン版と同じか、スペシャルエクステンデッドモードかの2択
後者は、アクアプラスの社長が、うたわれ続編でも使われてるBGMも含めて音楽を場面ごとに当て直したってやつ
結果、オリジナルがやっぱりいいなって
読み終わったら音声飛ばすっての結構やったから、音声を全部聞いてたらもうちょいかかると思う
うーん
終盤の展開はなあ・・・
前半の異世界転生オレTUEEEっぽさだけだったらダメだったのかなあ・・
世界の謎を解き明かすまでしたのはすごいっちゃすごいけど、なんつーかそれは求めてるものじゃなかったっつーか・・・
だからゲームも二人のハクオロまでのプロローグって割り切ってプレイするつもり
うたわれ初代に比べてボイスききたいとあんま思えんし
作風に合わせてるといえば聞こえは良いけど、プレイヤーが読みづらかったらどうしようもなかろうもん
仮にもテキスト読むのが大半占めるのに
コロコロコミックの公式があげている、コロコロの表紙のメイキング映像。
https://m.youtube.com/watch?v=TG47DrN7Ofo&feature=youtu.be
カービィとかドラえもんとか素材じゃないの。トレスでわざわざ描いてるの。
そしてヤバイのは、他の人が最終的に結局イラレで全てをトレースし直しているというところ。
文字などのラフやざっくりした配置を手書きで起こすのは分かるけど、
アナログまんまで世の中に出るのならその作業も分かるが、結局イラレで起こし直すなら手間がかかりすぎて意味がないのでは?
このアナログ職人の人がイラレを覚えれば無駄な工程かなりの数省けると思うのだが・・・
この人のアナログであそこまで出来る技術自体は本当に素晴らしいことだと思うよ。
クオリティ高い。
年下の友人も行ってたけど
行けなかったら、行ってくれる?みたいなの簡単にできないし
本人確認とか、そっちは気が重い。
もうコンサートやステージ直に見る時代じゃなくなってきてるかな。
忙しくても、前日、当日まで予定判んないなんてこと
社会人になったらあるんだよ。
私上司が独立して、(いきなり)他にできる人いなくて3か月不休で出社して
引継ぎもして貰ってなかった仕事、入稿までやったことあるけど(もちろんできたけど)
そのとき、公開してた映画の前売りも、買ったまま行けなかった。
ぐうぜんみたオペレッタ(天覧)だったけど、それは同行者のお姉さまの多分元カレ?の
ドタキャンで回ってきたチケットだった。もし本人確認要るんだったらその席はあいたままになるの?
たいがいは大目にチケットとって、(倍くらい)良いほうの席をGET、のこったのは定額で開演前に誰かに買って貰ったり
あるいはあげたりでしたが。そうするとまぁそこそこ良い席はとれるよね。
チケとりにくくなったらもうどこにも行けないわ。デジタルよりこればかりはアナログのほうがいい。
そんなに先の予定、確実なんてことばはないもん。忙しいといきなりいけない、行けるようになったあるもん。
同人活動を始めて10年が過ぎ、初めてサークル参加した時のことをふと1年ぶりくらいに思い出した。
同人イベントといっても、コミケのような大規模なものではなく、札幌つどーむで開催された小さなイベントだった。
生まれて初めて作った同人誌は、コンビニでいそいそと刷り上げたコピー本だった。
学生でお金も無くペンタブやイラスト制作ソフトは持っていなかったため、アナログで描き上げた拙い漫画本。
発行部数は10部、イベントで買ってくれた人は誰もいなかったが、1部だけ頒布できた。
隣の方は、私と同じ小さなジャンル内でも大手の方で、地方イベントにも関わらず多くの人がスペースに立ち寄っていた。
イベント当日まで、その方の隣だというプレッシャーでずっと腹が痛かった。
個人サイトが盛り上がっていた時代だったから、その方のサイトにも日参していたし、優しい人なのだろうとは思っていたけれど、とても年上の方だと知っていたし、学生としてはなんだか怖かった。
でも、その方は本当に優しい方だった。
おはようございます、と挨拶を交わした瞬間に、私の無駄な緊張はほどけていった。
よろしければどうぞ、とその方は新刊をくださった。表紙フルカラーのオフ本を。
なるほど、これが新刊交換の文化か、とサークル初参加の私は感慨深かったけれど、同時に、こちらが手渡せるコピー本がみすぼらしく見えて恥ずかしかった。
こんな本ですみませんが、と私はおずおずとそのコピー本をお渡しした。
その方は、ありがとうございます、と優しく笑って受け取ってくださった。
イベントも昼過ぎには閑散としており、隣の方はおもむろに私のコピー本を手に取って読み始めた。
私も、その方の御本を読んだ。素晴らしかった。手が震えたくらい、神本だった。
すぐに感想をお伝えしたいと思っても、自分コピー本のヘタレっぷりに恐れをなして、声を掛けても良いものか悩んだ。
すると、稚拙なコピー本を読み終えたその方が、明るく話しかけてくださった。
可愛らしくてほのぼのするお話でした、素敵な本を作ってくださってありがとう。その方は、そう言ってくださった。
涙が出そうだった。絵も話も線もへたくそなコピー本だけれど、一生懸命に描いたものだったから。その気持ちが報われた気がして、とても嬉しかった。
何度もお礼を言って、その方の御本の感想もお伝えした。幸せな時間だった。
私の本を買ってくれた人はいなかったけれど、1冊だけ受け取ってくれたその方の優しさに救われて、私のサークル初参加は良い思い出となった。
あれからその方は同人活動を引退され、私も活動ジャンルが数回変わった。
今はコミケや他の関東・関西のイベントにも参加し、毎回新刊を楽しみにしてくださっている読み手の方もついてくださっている。
息をするかのように絵を描き、ゲームをし、漫画を読みアニメを見るような生活をしてきた。
pixiv歴は9年、Twitterのアカウントも作成しては潰してを繰り返してはいるが、初めてアカウントを持ってから6年が経過した、一般的なオタク兼絵描きだ。
ただ、どんな時もオタク兼絵描きとして生きていて楽しいことはほとんどなかった。厳密には人と関わって楽しいと思えたことがなかった。
今、本当にオタクや絵描きである意味を見い出せないほどに楽しくなくなってしまっているので、整理の意味を込めて自分語りをさせてほしい。
小学校では教室で絵を描いても、どの学年のクラスにいても1番にはなれず、いつも2番かそれ以下だった。
パッとすることもなく遠足のしおりの表紙を任されることもなく、1番絵の上手い子がちやほやされる姿を眺めては羨む日々が続いた。
中学校では「クラスという狭い世界でも1番なれない私は、相当絵が下手なのだろう」という自覚も持ち、イラスト部のような部活はあったが入部することはなかった。
高校に入る頃には某マイナーゲームシリーズを主とするTwitterアカウントを作った。
メジャーなアニメや漫画も好きではあったが、自分のような低い画力ではそのような世界では淘汰されてしまうという自覚が十分にあり、その上そのマイナーゲームシリーズは物心がついた頃から家族の影響で好きだった。
狭い世界で古参な方であったので、まずそれだけでマウントが取れると踏んだのだ。
予想は当たり、数年はイマイチな画力でもちやほやされる日々が続いた。
私が何かしら絵を描けば相互達がある程度のふぁぼをくれる。ゲームのステージ構造や音楽に関する深みを持たせたツイートをすれば空リプやふぁぼをくれる。気分のいい日々が続いた。
ただかなり古いシリーズであったので、再熱と飽きで人の出入りが激しく、たまにいわゆる「神絵師」のような人も現れた。
古いゲームなだけあって古参が新参が、という話が盛んに行われる界隈であったので、そういう話はタブーであることは分かっていたが、ハマって数ヶ月の神絵師がその界隈で大きな波を作り出すのを何度か目撃した。
神絵師が擬人化を好めば擬人化が流行り、あまり人気のないキャラを好めばそのキャラが神格化された。
私は正直、激しく嫉妬した。
この人はゲームシリーズを全作やってないではないか、シリーズの中でたった1作やってイラストを描いただけで大きい顔をしないでほしい、といったどす黒い感情が渦巻いた。
結局2年経たない内に妙な輩に絡まれ、それを理由にアカウントを消した。
その輩も不快ではあったが、それよりも界隈で波を作り出す「神絵師」を見ているのが辛かった。今思うと被害者面してアカウントを消す理由と機会がただ欲しかっただけだと思う。
それから約半年、私は某アニメシリーズのとあるAというキャラに本気で惚れた。
それまでゲームやアニメを嗜んではいたが、特定のキャラクターに入れ込むことはあまりなかったため、大きな衝撃を受けた。
ただ、それとほぼ同時に自分の性癖の異常性にも少しずつ気がついた。
Aが洗脳されている姿が見たい。
Aが痛がる姿を見たい。
Aが致命傷や後遺症を負わない程度にあらゆる手を使って痛めつけてやりたい。
いわゆる「精神リョナ」というものだと、しばらくしてから理解した。
その性的趣向に嫌な予感と前述の苦い思い出もあり、すぐにTwitterアカウントを作ることはなかった。
しかしそのキャラにハマって半年ほど、できる限りイラストの腕を磨きペンタブレットの扱いに慣れ、そのジャンルで流行っているものに媚び、溜めに溜めたイラストまとめのようなものをpixivに投稿したところ、予想以上の反響を得た。得てしまった。
気分が良くてたまらなかった。
同時に、「今ならあの時の神絵師たちのように、私の趣味趣向で界隈に波を起こすことができるのではないか。私が好きなもので界隈を満たすことでできるのではないか」と妙に高い理想を抱いてしまったのだ。
それから少しした頃、そのAがいるアニメを主としたTwitterのアカウントを作成した。
できる限り周りの空気に媚び、私自身の趣向を出さず、ふぁぼやRTにより私の存在を知らしめるために絵を描いた。イラストや漫画のRTが多めな絵師を中心にフォローした。
ツイートもそのアニメの話題で徹底し、他の話題や自分語りをすることも控えた。
客観的に見て私の画力はそうでもないが、そういうことを続けているとアナログで適当な落書きを描いても100ふぁぼはもらえるようになった。
その頃に界隈の流行りと自分の性癖半々くらい織り交ぜた、オールキャラギャグ本を自身初の同人誌として出したが、完売させることもできた。
こうして私の実力が全てでない、媚びによって得た数値と実績による自意識とプライドが着々と育っていった。
同人誌を出した少し後くらいからであろうか、私は自分の趣味趣向を全面に押し出してイラストや漫画、ツイートをするようにした。
媚びた絵よりも数値は減るがふぁぼやRTをしてくれる人も多くいて、正直投稿は不安ではあったが予想よりは上手くいった。
ただ、私の絵(性癖)に便乗してイラストが描かれることはおろか、そういったツイートや私のイラストに対する言及や空リプも見られなかった。
私は悔しかった。あそこにあるふぁぼやRTは惰性に近いものでしかないのだ、と思ってしまった。やり口からして勿論なのだが。
そして、引かれているだろうな、とも思ってしまった。それまで好きだった相互の方々にも、ツイートを読むのが辛くなるほどの疑いを不安を抱くようになってしまった。
私の中の冷静な部分は「そりゃそうだ、精神リョナなんて倫理に抵触する趣向広まらなくて当然だ」と思えているのだが、私の拗らせた部分は「なんで流行らない?擬人化の方がキツイでしょ。他の人の性癖を歪めることもできないなんてこの絵公開してる意味ある?」と思ってしまう。
私には波が作り出せないことが、あの羨んだ神絵師たちの足下にも及ばないことが自覚できてからは、自分の趣味趣向が急に恥ずかしくなり、FFの極端に少ない身内アカウントに引きこもった。
結局は私の実力不足と、歪んだ自意識とプライドが悪い。分かっている。
Aに対する熱意や、自分の趣味趣向に刺さる創作物を見た時の衝迫を、自分に表現して他人を揺さぶる画力や魅力はない。
他人を揺さぶらない創作になんの意味があるのだろうか?だったら絵なんて公開しないでパソコンのファイルの中で腐らして、自分だけが眺めている方が幸せなのではないだろうか?
最終的に私の趣味趣向を認め、同意し、同じ熱量で盛り上がってくれる仲間がほしい。
私だって趣味趣向の合う仲間とオフ会がしたいし、Skypeだってしたいし、趣味から知り合った仲間とプライベートな話がしたい。
人とオタクとして接することが楽しいのは中途半端に知っているので、私が理想とする仲間とオタクとして楽しく生きたい。
そういう界隈を自力で作り出そうとしたのが失敗だった。
そして画力がそうでもないまま大人になってしまったのも失敗である。
イマイチなままで固まった画力と無駄に高いだけのプライドと自意識をもって絵を公開して、何が楽しいのだろう。
何も楽しくないに決まっている。
Twitterで絵を描くようになってからというものの、評価と評価をくれる人々の動向にばかり目を向ける癖が付いてしまい、私一人で何をすれば楽しいのかわからなくなってしまった。
絵描きなんて趣味やめた方がいいんだろうな、私には向いてないんだろうなって、今はそう思うのです。
実力不足を痛感してとても悲しいです。
お目汚し、失礼致しました。