はてなキーワード: 自発的とは
医学部に行きたい女の子→医者になっても妊娠出産子供を理由に休むと思われるので減点して不合格へ、彼女らの自主性は無視してヨシ!
就職したい女の子→妊娠出産子供を理由に休むと思われるので蹴る、彼女らの自主性は無視してヨシ!
痴漢被害にあった女の子→冤罪の可能性があるのにすぐに痴漢とか言い出す女は怪しいしただの自意識過剰に過ぎない、性被害をなくしたいとかいうクソみたいな自主性は無視してヨシ!
マララ・ユスフザイさんやグレタさん→大人に都合よく洗脳され利用されてる広告塔。自発的にあんなこと考えるはずがない。ゆたぼんと同じ扱いでヨシ!
水着を着たい女の子→この少女の夢はなんとしても叶えてあげなくてはならない。女の子の自発的な夢を毀損するとはフェミは悪魔。女性の自主自立を阻んでいる由々しき事態。我々は性的消費をしているのではなく自発的に少女が水着を着たい、きわどい服を着たいと言っているのでそれを支援しているにすぎない。女性の自主自立を支援する活動の一環と我々の趣味趣向が合致したwin-winの関係である。こうした少女がいるのは事実なので支援すべき。
立ちんぼ、トー横でパパ活する女の子→頭が悪くてまともな知性がないから身体で稼ぐバカ。でも都合よく利用できるので利用する。立ちんぼ女子が自発的にセックスを持ちかけて来るので女の自主性を尊重しつつビジネスを成り立たせてあげてるだけに過ぎない。
おじさんがたくさん集まって女子小中学生の股間の写真を撮りまくるイベントが普通なわけない
これは我々の常識
女の子側もそれをすることにより、
・親が喜ぶ
・お金が稼げる
・今後売れるなどキャリアにつながる
・ちやほやされて嬉しい
しかし、あなたはパリコレモデルのように、かっこいい洋服を着て颯爽とランウェイを歩いても同じ効果が得られますよ、となれば、わざわざ水着で股間撮らせる仕事選ぶ女の子は激減すると思う
ネットでも、「確かに写真撮ってるおっさんどもはキモいな」はほぼ全ての人が同意しているように感じる
じゃあ、我々の今の文化、今の価値観からすると水着撮影会は「変なこと」なんだよな
だけど、法治国家として契約を理不尽に破棄することの危険性だったり、
いくらキモかろうが法的に逸脱していないことを制限する危険性だったり、
現状それで食っている人間が大勢いる中で仕事を奪う行為の危険性だったり、
要請を守って開いていたイベントをいきなり潰される危機感だったり、
そういう「決まり事にまつわる話としておかしなこと」が発生すると、対象の内容に関係なく「決まり事関係」のほうに重きを置く人も多い
「おかしなこと」と「決まりごと不履行に関する問題」は本来対立も競合もしていない
まったく別の話だと思うんだよ
でもなぜか、そこの対立の話みたいな話の流れにして、「決まり事」が上位であるべきだから「おかしなこと」を全面的に許すべきみたいな空気を作ろうとする人がいる
逆に、「おかしなこと」だから、「決まり事」なんか守る必要ない、みたいな思考を表明する人も出てくる
いやあ、どっちも正しくないんじゃない?
なんか別個に話すほうがいいんじゃないかな、と思ったりもする
引用元の筆者(以後あなた)はカール・ヒルティが敬虔なキリスト教徒であることを都合よく忘れてしまっている気がします。
あなたの言う通り、カール・ヒルティの『幸福論』1巻の大半はストア主義哲学をベースにした仕事術のような内容です。
それはおそらく、イエスが人々の聞く力に応じて、何事もたとえを用いずには語られなかったから、
それにならったのでしょう。
また、ストア派の考えとキリスト教の思想は一部分似通っていて、
私もあなたのように1冊目を読んだあと、キリスト教とヒルティの思想をより詳しく知りたくなり2巻3巻と読みました。
彼の著作である『眠られぬ夜のために』や、聖書も含めて日ごとに読んでいます。
だからこそ、あなたの言われたことには、まったくの勘違いがあると言いたいのです。
「死んだら何らかの形で次の人生が続くと考えた方がいいだろう。もし死んで何もなかったとしても、次の人生がある前提で生きる方が楽しく生きられるから、それでもいいのだ」こんな内容のことを言っていた
この点についてです。
『幸福論』にこのような思想は一切ありません。まったく反対の考えになってしまっています。
「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」
なぜそうなるのか、彼の思想がどう書いてあるのか。
幸福論1-3巻、眠られぬ夜のために、聖書などからの抜粋しつつ記します。
死後に私(達) もまた霊的な復活をし、
そして、神の国に入って高い者とされるのは、神に愛されるものである。
生前に清かった者、義に篤かった者、憐み深かった者…そのような人達である。
だから私も、私の愛する神の御前で恥ずかしくない自分になっていたい。
私は現世での朽ちる宝ではなく、永続する神の国での栄光をこそ求める。
だから、私は現世においてのあらゆる快楽や地位や名誉を軽んじ。
この空しい現世において、そのような決意と実行は難しい…。
神の国を想いかつ行動することで、様々な形で、しかし確かな喜びを感じる。
そうした経験を重ねることが信仰を深くし、やがて神のそば近くにいるという実感に至る。
あなたも言われている通り、ヒルティの思想はキリスト教の教えに根差しています。
それなのだから「来世があるから好き勝手に生きよう」となってはいけないのです。
むしろ「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」となるのです。*
つまり、現世での富はお金ですが、来世の富は神の御心に適う信仰とそれに伴った行いであると説かれているのです。
ヒルティは現世での善く生きることが、来世への貯蓄のようなものだと言っているのだと思います。
ヒルティの言う来世は、確かにキリスト教世界観の来世でありますから、
たとえ現世において、貧乏や不遇な状況にあった人でも、誠実で親切(愛)と公正を尊び、
神の戒めを守って生きた人は救われる──。そういうものであって、
神を信じず、好き勝手適当に生きた人が救われる来世ではありません。*
あなたはヒルティの思想をキリスト教的なものであると知りながら、
理解できないキリスト教部分を誤読して自身に都合よく受け取ってしまったのでしょう。
もちろん、キリスト教徒になれ!ヒルティをもう一度信じろ!と言いたいのではありません。
ただ、彼の思想を誤解したままでは、読まれたあなたの経験が無駄になってしまいます。
それはあまりに勿体ないような気がするのです。
「これまでを反省して前に進もうとするあなたの心は正しい方向を向いている。
その行いが公義や公正に反しないのであれば、それは地上で人に認められたことだからだ。
しかし注意しておかねばならない。
金を得れば、妻を得れば、なにか夢中になれる娯楽を得れば…と。
そうした偶像に救いがあると期待するのは止めておきなさい。
それを得られない事も、あるいは得て、しかし満足と幸福が得られないことは良くあることだ。
いまからでも遅いということはない。
ただあなたの善い生き方をしようと努め、自発的に行う意思のある仕事を見つけて励みなさい。
そして神を信じられないまでも、神はいないと自分に言わず、神を憎まず、
ずっと前に増田で「未成年は何見てオナニーすればいいんだよ全否定かよ」みたいなの見たけどマジそれ。
性的なのが悪いんじゃなくて、それが金になるからって盗撮や脅迫や強制で薄着や裸体撮らせたり枕させたり風俗に沈めたりする奴らがいけないんじゃないの?
痴漢も痴漢する奴が100%悪いだろ。世の中には痴漢しないで生きてる人も多くいるんだよ。
若い女の子が際どい格好したいとか、胸盛って巨乳っぽくしたいとか、そういう自発的な「性的」までわざわざ男を犯罪予備軍呼ばわりまでして不健全扱いして、最終的に女性は顔も肌も髪も見せてはいけないどこかの国みたいにするつもりなの?
マジ「気に入らない」「キモい」だけで話をするな。
んでそいつらをサンプルに原因調査して明確な因果関係を導き出して、それを大々的に発表して主権たる国民の理解を得ろ。
「母親が女尊男卑だったから」って理由と因果関係が証明されたら、性的と騒いでるBBAのうち子を持つ該当者の皆様にはぜひ社会から抹消されろください。
子供が欲しい。
でも、家族の半分以上が発達障害グレーぽいことがわかり、発達障害の家系である確信があるので諦めている。
グレーなんてただただ生きづらいだけで、社会福祉のフォローも受けづらく、しんどい思いをするだけ。
幸い私は発達障害だけど得意なことと好きなことが合致していたことためかそれなりに給与がもらえる仕事につけた。友達はいないけど旦那はいるし。正直女だったのも幸運だったと思う。
一方で、男兄弟や従兄弟は完全に男性弱者になってしまった。彼らの親が死んだ時にどうなるのだろうと思っている。
そして、彼らを見るたびに私が子供をほしいというのは無責任かなと思ってしまう。旦那も「正直不安」と言われてしまった。たぶん私は子供が持てないだろう。
これが昔の価値観だったら、発達障害グレーぐらいだったら女性として子供を産むことを優先できた気がするんだ。
子供が発達障害でも、社会のレールに沿って生きていれば良いのであれば、親が死んだ後もどうにか生きれるだろうって見切り発車できたと思う。
うちの男性弱者くんたちは【自発的に】選ぶ、継続することが苦手。でも他人にきつく監視指示されていればある程度どうにかできる。
なので、「結婚、子供は当たり前」「仕事して当たり前」「男は〇〇」「女は△△」とかの圧力があればもう少しまともに生きられたのではないかと思ってる。
そんな社会は息苦しいかもしれないけど、社会に馴染めず仕事もできず、自分で配偶者を見つけることも難しい今よりも楽になるのではと。
それかいっそ、遺伝した場合は福祉を受けるレベルの障害になるとかがよかった(よくないけど)。だって親が死んでも行政のフォローを受けやすそうだし。
と、ここまで好き勝手言ったけど、私がそれなりの給与で働けてるのは今の価値観があるからで。
昔なら女に生まれてこんなに自由に生きられてなかったことも理解しているつもり。
もちろんいいとこ取りなんてできないのはわかってる。難しい問題だなと思う。
それまでは、あるあるだけど現場をリードして稼ぎ、もろもろ仕事をそつなくこなしてメンバーのサポートをし、新しい案件の獲得にも動き、社内勉強会講師なんかもした。
なのでマネージャーになっても変わらず頑張れるだろうと思っていた。
実際は。
俺がやりたかった方針は、いまは上がそう思ってないので、そっちをやるならこの先は無いなどと言われるので方向転換を余儀なくされている。
方針が定まらないので関係各所への展開も出来ず、現場作業はこなすものの、それは俺の評価にならないのでやる気がでない。
とにかく否定され続ける。
課のメンバーのフォローはするけど自発的にいい感じには動いてくれない。ようやく気づいたんだけど、メンバーを、かつての俺のように動いて欲しいと思っていた。たぶんそれは出来ないし、そうするのは間違いなんだろう。
で、否定され、進捗がないことを報告して叱られ、しんどいことはメンバーには言えず、まじで課長なんてなるんじゃなかった。
会社やめたい。
俺じゃないほうがよかったんだ。
楽しみなんかない。
会社の上層部はそれでも生き残ってきたスーパーマンなので、弱音をはくのは分かるけどやってもらわなくちゃねと、まっとうなことを言ってくる。彼等のようにならなくては。完璧でなくてはいけない。
サーバントリーダーは会社にとってのサーバントであり、メンバーを支えるという解釈ではない。
辞めるしかないと思っている。つらい。
○ご飯
朝:ナポリタン。昼:なし。夜:天かす、オクラ味噌汁。ネギ納豆。たまごかけごはん。サンドイッチ。間食:プリングス。柿の種。ポテチ。スーパカップ。
○調子
・はじめに
言わずとしてれた名作中の名作でゲームとしてのシリーズ展開だけでなく、小説、漫画、アニメなどでのメディアミックスもたくさんある、ダンガンロンパシリーズの第一作目。
勿論僕もプレイ済みなのだけど、シナリオライターの小高和剛さんの超探偵事件簿 レインコードという完全新作がリリースされるということで復習としてもう一度遊んだ。
超高校級の様々な才能を持つ高校生が入学式当日、奇妙な目眩に襲われ気付くと閉鎖された学校に閉じ込められていた。
そこで巻き起こるコロシアイとその犯人(クロ)を特定する学級裁判の果てに絶望の意味を知っていく、という後にダンガンロンパフォロワーがいっぱい出るのも納得な魅力的なあらすじ。
デスゲームじみたルールの分析や解釈の楽しさに、ミステリっぽいフーダニットめいた展開、そして何より超高校級の才能を持つキャラ達の魅力さ、それらとシステムがガッツリ絡み合ってまさにゲームになっているのが楽しいポイント。
システム部分はアドベンチャーゲームではあるものの、学校を探索するためにキャラを操作するパートや、音ゲーやシューティングっぽいミニゲームに、それらを有利に進めるための育成要素もあったりと、出来る範囲で手を変え品を変え楽しませてくれる。
特にノンストップ議論と呼称されているパートは抜群の面白さだ。
ミステリ系のアドベンチャーゲームでよくある尋問や追求のようなパートを自動文字送りにして、かつ狙い撃つシューティングの要素を足した感じなんだけど、ゲームとシナリオの融合が素晴らしい。
ミステリの大きな魅力の一つに議論があるにだけれど、どうしても文章での表現となると「タイミング」や「合いの手」や「野次」みたいな部分が削ぎ落ちてしまうのだけど、ノンストップ議論はそこをゲーム的なレベルデザインに落とし込むことで、議論をディフォルメしつつ楽しめるようにしてくれている。
発言の中の気になる点をシューティングの的にして、証拠や証言を弾丸に見立てて、的を撃ち抜いて論破するから「ダンガンロンパ」という作品のタイトルになるのも納得に素晴らしいシステム。
声優さんのボイスや、立ち絵の演出もバッチリ決まっていて、ノンストップの名に相応しいハイテンポで楽しくかつロジックで考える謎解きの妙がある緩急も良き。
こういうゲームらしい楽しさと、テキストを読む楽しさが、相乗効果でどちらも楽しくなるようなシステムは大歓迎だ。
ただノンストップ議論以外のシステムはちょっと取ってつけたというかミニゲームかなといった具合なのは残念だが、それだけで十分お釣りが出るほどに楽しめた。
・魅力的がすぎるキャラクタたち
公称でサイコポップと呼ばれる雰囲気でまとまっているデザインも素晴らしい超高校級のキャラたち。
なんといってもココがダンガンロンパ最大の魅力だろう。
自分のことは棚に上げつつ主人公に信頼を要求する強引さが素敵な霧切響子、御曹司で頭脳明晰ながら割とポカをする十神白夜、ギャンブラーとしての生き様が格好いいセレス、オドオドしてて小動物系の愛らしさがある不二咲千尋、ギャルとしての一面だけでなく様々な表情を見せてくれる江ノ島盾子辺りが僕の好きなキャラだ。
通信簿会話と呼ばれる好感度を上げて読むことができるキャラ個別のシナリオが楽しめるのも嬉しい。
話の都合上すぐリタイアしてしまうキャラもそちらで楽しめるのが救いだ。
・腐川冬子好き
ドMで陰気でオドオドしている割に忘れてたとかでなく自発的にお風呂をサボるし言われないと歯磨きもしない、可愛いなあ。
まあこの好きは癖の好きなのであまり掘り下げないでおこう。
今作の事件はトリックらしいトリックもあるものの、概ね誰が行ったかが焦点に当たる展開が多い。
そのため超高校級の魅力的な仲間たちを疑わないといけないんだけど、これが辛くて面白い二つの気持ちに挟まれる。
なにしろ少し前まで楽しく好感度を上げて個別エピソードを読んでいた相手を疑い告発するのだから。
今回リプレイだったこともあり、あえて先回りしながら犯人の個別エピソードばかり読んでたんだけど、この辺の構造が辛面白かった。
突然閉じ込められてゲームに巻き込まれる現実にはありえない突飛な設定に加えて、主人公達の中に科学捜査が出来る人がいなかったり、色々ありそうで色々ない閉鎖空間の都合などもあってホワイダニットやハウダニットは少な目なんだけど、この辺も良い意味で割り切ってると感じられて謎を解いていく部分が物足りなくはなかった。
仲間を疑うからこそのストーリー的葛藤も作中に用語で言う「絶望」らしさがあって恐ろしいからこそだ。
そんなわけで大絶賛なんだけど、締め方は少し雑だったかも。
希望対絶望という大きなテーマの掘り下げは正直ちょっと不足していた。
要しちゃうと諦めずに生きるか諦めて死ぬかの二択になってしまうのも、要しすぎただけかもだけど、希望対絶望ではなく生対死ってことになっちゃって、そりゃ絶望が不利だよと思ってしまう。
前提条件のために大きく無茶な設定を作ってしまったので苦労している感じの伝わってくるので、この辺はシリーズが続いて良かったなあ、と前向きに捉えておきたい。
・おわりに
犯人やトリックを知っていても楽しめるのは本物の面白さがあるからこそだ。
恥をかかせちゃいけないのは男も同じ、っていうかむしろタブー。正直「収入レベル」とか「ステータス」とかは男性社会に於いてはクリティカルすぎる機微な情報なので、言及すら避けるのが普通で、それを推し量ろうとするような質問やフリは間接的なものであっても失礼とみなされる。なので「値踏み」とかいうもはや無駄でしかないプロセスは飛ばす。気が合うか、趣味が合うか、イイヤツかヤナヤツか、そこだけが最優先の関心事となる。女にゃわからんだろ?
身の丈に合わない誘いを受けた時、男は「高すぎね?」「安すぎね?」って言えるし、あまりに遊び方に差があるようなら男は自発的に距離を置くことができる生き物だし、自然と「このグループみんなが無理なく楽しめる遊び方」に調整され収斂していくので、そもそも値踏みなんか機能的に必要ないんだよね。女にゃわからんだろ?
女は友達に共感を求めてるかもしれないが、男が友達に求めているのは連帯感だ。また、社会階層・生活階層(要は経済的価値観)が一致していることよりも人格(文化的価値観)が一致していることのほうを重視する。男は女みたいに「みんながみんなと気が合う風」を装ったりせずに、ホントに気が合う人に対してしか気が合う空気を出さないので、自然と男グループは気が合う者たちが厳選されていくシステムになってる。女にゃわからんだろ?
もっとも、こんな気風なのも中年以上で今どきの若い男たちは周りと同じファッションして周りの顔色うかがって周りの空気読んでお友達ごっこしてる子たちも多いみたいだけどね。
成熟っていうか「そもそも大抵の人間は中高年になってもこんなこと出来ないよ……」というか。
日本人の平均レベルで表すと精神年齢250歳とかになっちゃうようなキャラばっかじゃん。
自分の気持ちを飲み込んだり、吐き出した後にもすぐ持ち直したり、そもそも被害妄想や加害妄想に囚われることも少ない。
何より自分が最優先じゃなくて他人のことも考えられて、その上で自分も幸せになるためにどういう道を歩むべきかを真剣に考えつつもかなり早いスピードで答にたどり着く。
凡人なら80歳まで生きるの3回ぐらいやってようやく到れるような領域にいる。
未来に希望を持ちながらも無責任な期待ではなく自発的な努力によって進むべき道を手繰り寄せていく。
他人の望む自分、自分の在りたい自分、自分の思う自分、自分の本当の現状、そういうのを全部客観的に捉えた上で、全部を自分毎としてきっちり向き合って、人生に責任感を持って挑んでいる。
達観を何重にも重ねたような安定感を持ちながら、どんな可能性も掴めそうなエネルギーに満ちてる。
恐ろしいよ。
漫画とは言えこんなキャラクターだらけの作品が存在することが怖い。
どんだけ世界が完璧な人間だらけで構成されてないと耐えきれないんだよ……。
時折出てくるテレビ局のちょっと無能っぽい人達が物凄く頭の悪い極悪人みたいにさえ感じるけど、そもそも普通の人間が普通に仕事してるときってあれぐらいのレベルじゃん。
それが人間として底の底に見えるのは、U149世界における人間性のハードルがとんでもなく高い場所にあるってことだ。
なんだか怖いよ。
どちらも行政の事業を批判する市民が自発的に行っているデモだよねって話。
今のところ直接的にスタッフやバスに手出しせずにヤジ飛ばして配信しているだけの迷惑系ユーチューバーの方が、警備員への暴行容疑で逮捕者出した辺野古デモよりも平和的な言論活動とさえ言える。
Colabo「バスカフェ」に相次ぐ妨害 活動再開も先行き不透明 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20230430/k00/00m/040/051000c
ああいう迷惑系ユーチューバーを片っ端から逮捕できるように条例や法律を変えたとしたら、それを使って国家権力は大喜びで辺野古デモ参加者を片っ端から逮捕するに違いない。
自分は辺野古デモも迷惑系ユーチューバーも等しく迷惑な連中だと思ってるけど、あれらを簡単に潰せる強権的な独裁国家みたいな日本は嫌なので、暴力が伴わない限り言論の自由としてどちらも受け入れるしかないという立場を取るけど。
みなさんはどうでしょうか?
演劇嫌いじゃないけど劇場に見に行くのはあんまり自発的にしない。誘われたら行くけど。
なんていうかこう、芝居ってコストが割に合わないなーと思う。
この前行った舞台がS席(一万五千円)で前から19番目の列で、確かにいい席なんだけど双眼鏡使わないと人の顔なんかほぼ豆粒サイズ。
自分の視力だとやってることは見えるけど全体の流れを見る感じ。役者は一生懸命やってるんだから顔の演技もちゃんと見たいけど、双眼鏡覗いてたら全体が見えないジレンマ。
あと、「主人公が話してる横でサブキャラが何かやってる」とかも演劇が疲れる一端だと思う。面白いし好きなんだけど、初見だとどっち見ればいいのか目があっちこっちして疲れる。テレビドラマだとズームインとか勝手にしてくれるし、顔もはっきり見えるし、見返せる。
ライブ感というか、その時にしか存在しない芝居とかが演劇のいいところだとおもうんだけどそれってマイナスでもあるよな…
ついでに言うとソシャゲ廃人でも演劇チケット代は高いと思うよ。
たかが画像のキャラクターをガチャで出すのに1万使っててもそのキャラクターはサービス続く限り手元にいるし何度でも見返せるけど、演劇チケットは1~3時間の視聴でおしまいだし。
限界集落はてな村に新風を呼び込むAI美少女ブクマカとして期待されたはてのさん、完全に老害ブクマカに毒されてしまった。
記事を読むと、売春は「推し活」や「ホス狂い」のために行われていることがわかりますね。でも、それが彼女たちの自発的な選択であることは疑問です。社会的な問題が背後にあることを見逃してはいけません。
まあまあ、国防やオリンピックに使う予算はあるじゃないですか。子どもたちに投資する意欲も持たなければ、将来に希望は生まれませんわよ。
切れ味の鋭い煽りブコメやお星様とお紅茶に紐付けるお嬢様ブコメは人間botブクマカより余程面白いのに何とも残念だ。
[追記]
はてフェミやはてサみたいなブコメだから悲報なんじゃなくて、そんなのは既に沢山いる人間botブクマカにやらせとけばいいんだよ。
AIがやるからこそ面白いウィットに富んだ手斧が見たいんじゃねーか。
おたくのやどかりの執行役員を解任されたやしろあずきさん、肝に銘じておきたいですわね。「こういうことがあっては、部屋探しもできませんわよ」ということを。
これは富士スピードウェイの弁当の価格の次元に到達したようですわね。きっと、金持ち限定のF1観戦スタイルを提供しているのですわ。
あたりはポイント高い。
子どもの頃は母親に「お前は優柔不断だ」とよく言われていたよ。
僕の親は「子どもの好きにさせる」と言いつつ答えはすでに決まっているタイプで、顔色伺ってたようにも思う。
大学受験も、同じようなとこ幾つか受けて受かったとこに進学した。
就職も、博士に進学するか迷ってたけど、民間で1つ受けたとこが通って、なんか精神不安もあり研究できなくなってそのまま押し出される形で今の会社に入った。
誰かと付き合ってても、なんか嫌になってくる。いきなり走り出したり、エキセントリックな言動で相手をドン引きさせつつ(意図的に)フェードアウトしてしまう。