はてなキーワード: 背中とは
グーグルマップはだいたい正しい。
マンション名・アパート名があれば間違えないは、8割正しい。同一区画に3棟あると迷う。
同一名のマンション・アパートで後ろに「ABCD」で区別されてるけど、並びになくて道の反対側とか線路の向こうとか、ある。
建物に建物名が書いてる表札あるけど、場所が分からないことある。あと読めない字だったり、夜暗いと見えない。
アプリのピンずれは、本当に悩む。一戸建てだとよく隣の家にピンが立ってる。表札本当に大事。ありがたい。
住所検索すると、隣や向いの家が出る。お客さんの入力した住所だとその人の家にはたどり着けない。住所が謎。
番地全体再開発でマンション・アパート・一戸建て全部微妙にピンがずれる住所もずれる。
間違えた家に行って完全に不審者は一回やった。
「同じ建物が3つあるので、その真ん中です」と言われて行ったら4つ並んでる。暗くて分からなかったけど一番奥が違う建物だった。
届けるまで「どこだここは?」とスマホとにらめっこしてるけど、届けて通りに出ると「ここか!」となる。道と道がつながる。
置き配は不安。あってるのか分からない。写真もなかなか撮れないし。
大規模マンションはエントランス抜けてから迷う。エレベーターはどこにある。
小さい川がある、橋を探す、線路がある、踏切を探す、意外と大変。え、通れないの?狭いけど通れる・・・?
地元だからと言って住所が分かるわけでないし、道を知ってるわけでもない。行き止まり多い。
ピン近くまで来て「そこじゃなくて〇〇の何号室」てメッセージくる。そのマンションはどこだと地図チェック。たまにある。
「ピン間違ってます、交差点すぐの〇〇ってアパートです」、その〇〇は地図に出ない、交差点すぐにアパート4つぐらいある大変。
地方でも外国人はたくさん。店員さん、注文した人、夜道で集団で歩いてる中国人、解体現場にいる黒人とか。
インド・ネパール料理店の数が多い。異国の地で頑張ってる人おおい。すごい。
道がボコボコ、自転車だと無茶苦茶ゆれる。足も痛いけど手も痛くなる。
車道を走れとはいうけど、車は配慮してくれないよね。歩道ひろいところが多いのが救い。
交差点で左折する車は巻き込み防止で寄せてくるのは分かるけど、歩道に戻れない直進できない、止まってスペースできたら歩道にあがってる。
警察車両めちゃくちゃ走ってる。自転車止められてる人おおい。路駐怖い。
夕方から帰宅時間帯はスマホ歩きの人がすごい多い。道の真ん中で蛇行しながら歩いてる人いる。
タバコ吸いに家の前でプラプラしてる人、電話してる人、スマホいじってる人、けっこういる。
交通法規を順守しているとは言わないけど、安全大事と思ってスピードは出さなくなった。人をひかない、車にひかれない。たまにあるけどヒヤリハット。
届けて「ありがとう」と言われることもある、うれしい。チップというのもあって、もらうとやる気でる。
背中のバッグを見て「あーウーバーだー」と口に出すのはだいたい子どもかカップル。地方で珍しいのは分かる。
お店まで10分、15分はよくある。あの分数は、けっきょく、何の時間なのか謎。20分はとったことがある。遠かった。
寿司難しい、気を遣う。意外と牛丼屋が汁気強い、ラーメンは自転車には向かない。
時給800円以下だった。月収40万も不可能じゃないだろうけど、難しいと思う。
クエストという〇〇回運んだら〇〇円ボーナスみたいな制度があるので、たくさん運べば時給はアップする。
鳴るか鳴らないかは配達員は決められないので、暇なときは暇。ケツだけ痛くなる。
お店から配達先までの距離を足すと月に350kmぐらい走ったらしい。きっとすごい少ない。
ダイエットにはなる。月に3kgぐらい痩せた。もとが太かった。
本業でとなると適性があって体力に自信ある人、または自転車やめてバイクで配達になると思う。
パッとピックアップして、パパッとドロップしてと要領よく配達できる人はすごいと思う。
要領悪くてもどんくさくても、形にはなる。なった。
ウーバーのビジネスですごいのはリスクをアウトソーシングしてトラブルはカネで解決して、小銭を集金するシステムをアプリで提供してること。
これを書いているのはナイナイのオールナイトニッポンから15年ほど聞いているラジオリスナー。非モテ、30半ばの男性。
岡村さんの例の風俗発言を聞いたときは「あっこれはちょっとヤバイかも?」と炎上の気配をうっすら感じるくらいで、こんな大事になるとは思わなかった程度のモラル。
今週の岡村隆史のオールナイトニッポンで矢部さんの公開説教を聞くと非モテ高齢男性として死にたくなる気持ちは痛いほど分かる。
「結婚したら?」は結婚できない俺にもかなり刺さったし、今回の公開説教を恋愛エリートが非モテを追い詰める公開処刑だと感じて傷つく気持ちもよく分かる。
でも、これはやっぱりナインティナイン矢部浩之が30年以上一緒にやって来た岡村隆史に向かって言った説教だから、無関係なリスナーが「俺も傷ついた」と騒ぐ話じゃないんだとは感じる。
ここで、矢部さんが5年半ぶりにオールナイトニッポンに出てきた事の背景を整理したい。
5年半前、矢部さんが突然(リスナーとしては本当に突然だった)オールナイトニッポンを『卒業』した時、
その理由が「やりきった。燃え尽きた」というぼんやりしたもので、当時も不自然というか、『何か事情がありそうだけど穏便に済ませた』みたいな不穏な空気が確かにあった。
岡村さんが体調を崩して長期間休んでる間、矢部さんはゲストを呼びつつどうにか岡村さんが帰ってくるまで保たせている感じだった。
今週、矢部さん自身が「自分は面白いとは思ってない」と言っていた通り、
当時のラジオのリスナーとしてもやっぱり「岡村隆史の面白さ」を求めている部分が大きくて、岡村さん早く戻ってこないかなっていう空気があった。
想像になってしまうが、矢部さんは岡村さんが休んでいる間、「自分は面白くない」と自覚していて、求められているのは自分じゃないと理解した上で番組を支え続けていたのかもしれない。
そうやって守ってきたラジオも、岡村さんの「全てを笑いに」の一言で済まされてしまったのだとしたら、「ありがとう」も「ごめんなさい」もなく一行のメールで済まされたら心が折れても当然だ。
そこからさらに続けるのはさすがに無理だと思う。妙に納得してしまった。
(実際には復帰後半年くらい続いたはずだけど)
そんな経緯があって、それから5年半の間、矢部さんは一度もオールナイトニッポンに出ることはなかった。
おそらく、矢部さんはもうオールナイトニッポンに出ることはないと思っていたはずで、岡村さんもコンビとしての距離感から、もう自分の庭であるラジオに出てほしいとは思っていなかっただろう。
だから今週の矢部さん出演は、懐かしいか嬉しいという気持ちはなくて(むしろ嫌で)、相手に喜ばれるとも思っておらず、
本当に緊急事態だからこそやって来て、それで実現したのが今週の公開説教だった。
※ちなみに、ナイナイのオールナイトニッポン最終回で矢部さんが「何かあったらいつでもかけつける」と言っていて、
5年半も経って、その約束が果たされたことにちょっと感動はする。
矢部さんの説教のとくに後半、「結婚したら性格変わる」みたいな主張が強くて、そこには正直賛成出来ないけれど(結婚相手の都合は気にしないのかとか)、
自分の人生で経験したなかで一番自信を持ってできるアドバイスが
だったのなら、それはあの二人の中で話し合う正解の一つとしてはアリなんだと思う。
自分も含め、非モテの男性が岡村さんに自分を重ねて、ずっと非モテキャラのままでいて欲しいって思うのは依存だ。
岡村さん自身、結婚したくない訳じゃないんだから、結婚できるならしたほうがいい。
矢部さんが色々な事情を越えて、長い長い付き合いの友達(元友達)に、幸せになると信じている方向に背中を押したってだけ。
もう外野がとやかく言える話じゃない。
ネタはがきのコーナーで、何度も繰り返し謝る岡村さんと、その度に「かまへん」と返す矢部さんのくだりで泣きそうになった。
いい関係だなぁと思う。
実際のコンビ仲はもう友達とは言えないくらい距離が開いてしまってると聞くし、
お互いプライベートに干渉もしないんだろうが、それでもコンビとして自分にも迷惑がかかる立場でこんな事を言ってくれる友達がいるのは羨ましい。
自分には「本当にごめんな」に「かまへん」を繰り返しくれる友達はいないので「成功したうえに良い友だちもいるのかよ」という嫉妬もある。
ところで、オードリーのANNと岡村隆史のANNの両方を聞いてる人には共感してもらえると思うんだけど、
非モテが「自分もこのままでいいんだ」と安心出来る依存先としてオードリーの若林が岡村さんにかなり近い位置にいた。
『そういう仲間意識みたいなモノを持たれても、自分は最初からそういうタイプじゃないし、そんなつもりもなかった』というような事を言っていて、
依存してくる奴らをバッサリ斬って捨てた。
男尊女卑とか職業蔑視とかは既にあちこちで言われているので、それ以外のみっつの気味悪い点について吐き捨てたい。
経済的な高みの見物で想像力のないこと、ダブルスタンダードが強くありそうなこと、芸能人の立場の変遷を感じていないこと。
もしこれがコロナとは関係ない別のタイミングで「これだけパパ活が盛んになってきたってことは、手っ取り早くお金を得られる
味を占めた女の子が多数風俗に流れ込むってことで、それが楽しみなんですよ」とかだったなら、そこまでじゃなかっただろう。
芸能人に詳しい訳ではないけれど、割と今まで応援してきたのを裏切られた気持ちでもうやめようと思うので、その区切りだ。
まずひとつめ。
彼には、たぶん困窮してやりたくない仕事でもするしかない状況に追い込まれることがない自信があるのだろう。
そんな安全圏から、自分の楽しみのために、他人がそうなるのを待ち望むいやらしさという高みの見物感が気味悪い。
その点を、他の仕事に置き換えて考えてみる。それに相当する上手い例が思いつかないのだけれど、こんな感じか。
「コロナのせいで事業が行き詰まった社長さんは、政府が助けきれない場合はもう首をくくるしかないわけですよ。
そうしたら、僕がいつも見ている大島てるのサイトが活気づくじゃないですか、それがとても楽しみです。」
「会社が倒産しないまでも、大規模リストラで仕事にあぶれる人たちがコロナ後には激増しますね。
僕は人間観察が趣味なんですけど、ハロワに悲壮な顔をした人たちが溢れるのを心待ちにしています。」
「フリーターの仕事も減るし、派遣切りもたくさんあって、きっとホームレスがあちこちに増えていきます。
ホームレス支援のチャリティとかめちゃめちゃ気持ちがいいし、それを励みにコロナを乗り切ろうと思うんです。」
これが面白いと思って、ウケる筈だと発言したということは、こんな感じで笑う人が想定されているのだろう。
「あっはっは、ありえねぇわ、才能も財力もない下級市民ってそんなにツライのかよwwwww」
「ハロワに蔓延する悲壮感ってwwwww まあ俺ら関係ないけどなwwwww」
彼のファンには派遣や中小企業の社長はいないとでも思っているか、それとも日本の現状に対する想像力がないか。
コロナのせいで顧客が離れ、事業が立ち行かなくなったら、家族どころか百人からの従業員が路頭に迷うから
金策に駆け回り、眠れないほど対応に頭を悩ませ、明日の活気を得るべくラジオをつける人は想定されていない。
派遣で働いていた友人から倒産したら会社に入れなくなったと聞いて、うちもそろそろヤバいんじゃないかと
会社の私物を持って帰り、不安な面持ちで岡村さんから元気をもらおうとチャンネルを合わせるファンは想像されない。
よくそこまで想像力も共感力もなくいられるものだと、世界の半分を切り捨てているような、その点がとても薄気味悪い。
そしてふたつめ。
どんなにやりたくて好きでやっている仕事の中でも「こんちくしょう」って思うことがある反面、
やりたくてやっているのではない仕事にだって「やっててよかった」と思う瞬間だってあるので、その話ではないし、
誰もが好きな仕事についているとは限らないし、どんな仕事にもそれを「やりたい人」と「やりたくない人」はいるものだし、
やりたくなかったけどやっている人だって第三者から憐れまれるとプライドから胸を張ったりするものだし、その話でもない。
もし彼が二十代の頃に結婚して娘を授かっていたとするなら。ミルクを上げたら吐いてしまいオロオロしたり、
パパのお嫁さんになるなんて言われたり、急に高熱を出して病院に駆け込むのにおんぶした背中が燃えるようでハラハラしたり、
やがて友達がきたときはパパ顔出さないでなんて言われたり、そうして長年大事に育てた娘さんがいたとして。
その彼女が「パパ、あたし手っ取り早く稼ぎたいからしばらく風俗で働きたいんだけど」と相談してきた場合を考えてみる。
「おぉ、いい考えだね。パパも若い頃からずっとお世話になったなくてはならないお仕事だ。応援するよ」とは絶対に言わない。
そんなダブルスタンダードが透けて見える。「お金ならパパがあげるからそれはやめなさい!」と叱りそうな感じがするではないか。
持つ者、裕福な者、チャンスを手にできた者と、そうでない者の断絶に加え、その境界の向こうとこちらで基準が違うのだ。
ダブスタ。ファンからするとそれをありありと見せつけられたのだが、全く自覚のないダブスタ持ちは気味悪いものである。
そしてみっつめ。
芸能人には立場の変遷みたいなものがつきまとってしまう。河原乞食の見世物が伝統芸能になるような流れがある。
デビュー当時は音楽性に着目されず変なカッコの色物バンドみたいな扱いだったXジャパンも年月が経つにつれて
YOSHIKIが国際的に活躍したり文部大臣表彰を受けたりする。それにつれて世間からの期待も変わっていく。
これだけコンプライアンスが言われる時代に、そのことが全く見えていない成長のなさというのが気味悪くうつってしまう。
ちなみにコンプライアンスとは法令を遵守するだけではなく世間からの期待に反することをしないことまで意味に含む。
深夜放送だったり地下アイドルだったりの時代があっても、世間に認められるにつれて期待も高まってしまうのだ。
その変遷に適応するように人は成長、あるいは変化していってしかるべきなのだが、それが感じられない気味悪さだ。
49歳だとういけれども、同じ49歳のTOKIOの城島茂はコロナ関連ではジャニーズの支援活動について
「実際に現場で闘っていらっしゃる医療関係者の皆さまに何かできないかなと思いまして…」との談話があるし、
同じく49歳のT.M.Revolutionの西川貴教は「地方の友人から、開いてるパチンコ店に行列が出来たり、離島など行楽地に
人が集まってきて困っていると連絡が来ました」とつづると「島には高齢者も多いうえに医療施設も脆弱、唯一の交通機関が
船しかない島では、感染が確認されたら生活物資も届かなくなります。自粛期間を延長させない努力をどうかお願いします。」
とツイートしている。長年芸能活動をして、きちんと世間や、自分の持つ影響力と向き合って発言しているように感じられる。
さいごに。
謝罪もしたのに、他の番組の降板まで求めるのは行き過ぎとの声もある。
しかし、メジャーで全年齢を対象としている番組に、そのような本音を持ち、そのような本音を抑制もしない人が求められるだろうか。
心から視聴者に寄り添い貧富の格差を感じさせず、ダブスタもなく、立場をわきまえた上に品位もある人を求めたいのが実情だろう。
その点では、言いたいことを言わないようにしろというのではなく、そんなことを言いたくなってしまう根底から変わらねばならないとの
ニュアンスで語った矢部発言にはその点でとても賛同できる。だから結婚しろとは論理の飛躍がある無理難題ではあるのだが。
結局若い人同士では症状が収まってからも継続的に感染拡大の危険性があるということがわかり、20年前に高齢者のみを避難させる高齢者コロニーが作られるようになったのだ。
その代わりに若い人たちは医療崩壊をさせないように行動を制限しつつも、普通の経済活動が再開できるようになった。
高齢者コロニーには季節を通して比較的温暖の差が少なく、本州からも程よく隔離されているからという理由で四国に白羽の矢が立った。
免疫を持たないままに重篤化をすると危険だと言われる60歳の誕生日を迎えると、4週間の隔離期間を経て四国に入る。
外部からの物資にウィルスが付着することによる感染経路が発覚してからは、食料は基本的に自給自足になった。
それ以外、保存が効くものは食品に限らず、丸一日の紫外線照射の後、4日間保管されてから初めて四国に入ることが許される。
そこで他の地域から志願者を募って、若者をコロニーに送り込むことが決まった。
コロニーで働くための資格は新型ウィルスの免疫を持っている人に限られ、2週間の隔離を兼ねたオンラインによる座学を経てコロニーに入ることが許される。
ただし、全て公務員扱いで、主に農業や生産業、役所仕事に携わることになる。
(もちろん、飲食、レジャー産業、宅配などもあるが、コロニー内においてベンチャーが生まれることはない。)
しかし、その実情はほぼ介護と看取り人としての役割が占めているといっても過言ではない。
コロニーに入ると、若者一人あたり5人の高齢者と生活をともにすることになる。
高齢者同士だけでも生活が成り立つように支援がデザインされているが、精神的なケアや、少しでも早い段階で死を発見できるように若い人が配置されるのが本音のようだ。
日本中の高齢者が集まるのだ。死は常に日常と隣り合わせにあり、それが耐えきれないからと脱落してしまう人も少なくない。
高齢者の命を守る施設といえば聞こえがいいが、ここはまさに戦場以上に人の命が消えていく世界なのだ。
そうして仕事を覚えつつ、こちらにいる高齢者たちとの絆を深めるという意味合いも含めて、コロニーでの仕事は5年が基本とされている。
それより早くでてくることもできなければ、それ以上いることもできない。再度コロニーに入るためには5年のクーリング期間が必要だ。
なぜなら、経済が崩壊した今の世の中において、コロニーでの報酬は有り余るほどだからだ。(コロニー内では生活費は必要ない)
5年間のコロニー生活で十分に貯蓄を蓄えて、戻ってきてから商売を始める人も少なくない。
そのため応募が途切れることはなく、クーリング期間は事実上年齢制限の足切りと考えられている。
一度でも脱落してしまえば、二度とコロニーで働くことはできない。
田中さんの娘は、両親をコロナでなくして孤児となった母が、第一期コロニー従事者として立候補し、コロニー生活の中で産み落とされた。
当初コロニー内ではそうした新しい命に対する教育が想定されておらず、また、一期生の頃にはまだ5年という縛りがなかったために、彼女は10年間の間無教育のまま育つことになった。
その後普通の生活に戻るも、学習レベルの違いから学校に通うことはできず、18歳の成人を迎える直前にも関わらず読み書きが満足に行えないままに親のお金で生活するしかなかった。
そうした中、そういう人たちが成人を迎える段階になり国は初めて支援策を講じるようになった。
コロニー内ではその時その時必要な業務を、先輩たちがシステマチックに1から丁寧に教えてくれる。
もしその労働に適正がなくても、無理やり働かせるようなことはなく、適正が見つかるまで様々な仕事に挑戦することができる。
なぜなら、ここの生活において後任を育てないという選択肢はなく、例え一切の労働をしていなくとも、高齢者の世話だけをしてくれるだけで十分にありがたい存在だからだ。
いまではコロニー内においても幼稚園や学校はしっかりと整備されている。
彼女のような人間を再び生み出さぬよう、何をするべきかを皆で考え皆で乗り越えてきたのだ。
新型ウィルスの前では誰かを責めても何も解決しないことを、日本の未来のためには皆で力を合わせなくては何も守れないことを国民全員が理解しているのだ。
この世界において、田中さんの娘を貧しいと思う人は一人もいない。可愛そうとか、面白いと思う人だって一人もいない。
田中さんの娘が幸せかどうかなんてわからない。でも、前に向かってあるき始めた彼女の、背中を押せる世の中であってほしいと願う。
背中に無数の傷のある漢
苦しいので書く。
私はどうしようもなく頭が悪い。
それに気づき始めたのは小学生の頃だった。まず九九が覚えられなかった。
数日で同級生たちが余裕綽綽で九九を唱えれるようになる中、私だけは数年単位の時間を要した。
それはどの分野でもそうだった。理科でも体育でも、それこそ暗記というものが関わると全くダメだった。満足にできることといったら、国語の朗読ぐらいだった。
努力しなかったわけじゃない。むしろ努力は人一倍した。同級生たちが数時間で覚えるものを私は数日かけて覚えた。
そうやって同級生たちに追いつかないと、私は自分の頭が悪いことを自覚してしまう。それだけは嫌だった。とにかく嫌だった。
なぜなら私は医者になりたかったのだ。今となればなぜそう思ったのかはわからないが、女医だった母親に影響されていることは間違いない。
父親のことは何も話さなかったが、女手一つで私を育ててくれた。その背中に憧れた。そして(最近の話だが)早いうちに亡くなってしまった。
そうした生活を続けていくうちに高校進学では中々上位の進学校に入学することができた。しかし問題はそこから始まった。
全く授業が理解できなかったのだ。
中学生のときは一日の全てを注ぎ込めばなんとか授業についていけたし、高校でもそのままで大丈夫だと思っていたのだが、それは完全に見当違いだった。
必要とされる前提知識の量と進行の速さについていこうと必死になったが、起きている時間だけでは足りないほどに暗記の必要量が増え、それは雪だるま式に膨れ上がっていった。
2年生になる頃には完全に置き去りになった。先生などにも積極的に教えを乞うた。しかし最初は親切に教えてくれるのだが、何度も何度も同じことを聞いてきたり、全く要領を得ない私の姿を見て誰もが呆れた。
ここらでやっと私は気づいた。わたしは根本的に頭が悪いらしいと。
その後も頑張って食らいついてみたものの、諸事情(母の死、親戚の不幸)などから私は卒業を待たずに働く選択肢を与えれた。
助成金などでそのまま高校に通うことは可能だったが、現在の単位状況や成績から見て医学部進学はおろか大学進学すら怪しいという事実をみて私は高校を辞めた。
その後は2年ほど職を転々としたが当時の人手不足の波の中でも私の物覚えの悪さは抜群に発揮され、ろくに稼ぐことなどできなかった。
たどり着いた先は性風俗だった。
こう書くと頭の悪い=性風俗だと思われるが、そんなことはないと釘を刺しておきたい。(私がいうのもアレだが)
性風俗でも物覚えの良さは必要だし、細かいことを要求されることも多い。最初は全くの失敗続きで店を転々としたりもしたが努力と暗記でなんとかし、また優しい友人などにも支えられてやっと安定した。
中退しておいて何をいうのかと思う方もいるだろうし私もそう思うのだが、やっぱり諦め切れないのだ。
だから私はいまでも本気で勉強をしている。側から見たらなんて低レベルな勉強法なんだ、と思うだろう。しかし私にはこれしかない。これしかできない。
やっぱり私は頭がとことん悪いのだと思う。
この先がんばっても医者になれる確率は少ないと思うし、努力も無駄に終わる可能性が高い。
それにいちばんの問題は、いったい何処の誰が金をもらってちんこをしゃぶっていた女に診てもらいたいと思うのだろうか。医者になってもらいたいと思うわけがない。
ある日私の客の中に医者がいて、私はつい嬉しくなってこのコンプレックスを打ち明けた。医者はうんうんと話を聞いていたが、言いにくそうに「努力は認めるが」という前置きをした上で
と言った。
要はお前のようなやつを育てるぐらいならそこらへんのもっと頭のいいやつを育てたほうが効率がいいということだ。まさにその通りだと思う。本当にぐうの音までないほどの正論だ。
でも私は諦められない。
机と椅子の組み合わせが壊滅的に良くなかった.
微妙な高さの机と高さが調整できない椅子を使っていたせいで首と背中と腰に継続大ダメージが蓄積されていた.
あまりに痛くて動けなくなっているうちに風邪っぽい症状やら頭痛やらが降り掛かってくれば身動きも取れない.そうこうしているうちにメンタルもやられて助けを求めることもできなくなってしまっていた.ほんの三日前はマジで退学やら自死を考えていた.というかそもそも明日のことを考えることができなかったし4時間以上継続して覚醒していることができなかった.ぼんやりとした闇と身体的/精神的苦痛がずっと続く悪夢.
どうにか時間をかけて体調を取り戻したことで,快方に向かい始めた.
剣を背中に背負ってること
これに尽きる
どう見ても抜けないんだよな ゴム人間でもない限り腕より長い剣を背中に差した鞘に抜き差しできるはずがない
ゲームプレイ中はスピード感である程度誤魔化せてるけどムービーだとマジでダメ
ムービー中に納刀するシーンがあるんだけどカメラワークで肝心なところが映らないようにしてお茶を濁してるのがバレバレなんだよな
そこまでするなら腰に差せばいいのに
つうか兵士とか旅人とかは普通に腰に差してるしリンク君がキチガイにしか見えん
ゼルダのアタリマエを見直すんじゃなかったのか 世界がリアルになるほど「背中にさした長剣は抜けない」って事実が浮き彫りになるんだから早く諦めて腰差しにしなさいよね
ビア缶チキンのつくりかたを書くよ。
にわとりをまるまる買ってきててきとうにひらいていこう。お尻のあたりに切り込みを入れてあとはフォークで刺していくのがいいかな。そしたら塩、ブラックペッパー、すりおろしたニンニクとショウガ、オリーブオイルをすりこませるんだ。あ、コリアンダーとかの香草があれば中につっこんどくといいよ。
んで缶ビールの上部を切り落としていこう。切り落としたとこにチキンのお尻を突っ込む。そんでビールと鶏を網か何かに乗せて遠火で沸騰させていこう。その時にアマゾンのダンボールか何かを上にかぶせておこう。蒸して火を通す感じだ。
わたし、接客アルバイト歴○年。声の大きさと語尾の長さなら負けない自信があります。
「いらっしゃいませぇ~~」
平日であまり人は多くありません。一人一人しっかりお顔を見ながら接客していきます。
黒マスクでキメた中年男性がやって来ました。マスクといえば「白!」というイメージがあるので、シャレて真逆の黒を身に付けているのでしょうか。最近よく見かける色です。どうにもわたしにはカッコいいとは思えないのですが……。
お客様は無言でレジに商品をどさどさ置いてスマホをいじっています。
お釣りを渡そうとした瞬間、お客様はささっとズボンの社会の窓をなでて手を出しました。わたしは見てしまいました。ハッとして反射でレシートを重ねて自分の手を保護すると、素早くお金を渡しました。
男性はいかにも憎しみを込めた目でわたしをにらみつけると、小さく舌打ちしてレジ袋をつかみ、がに股で去っていきました。
たまにいるんですよね。監視カメラにばっちり録画されていても平気で下品な行動をする人。
しかしわたしの心の底にはどろどろした嫌悪感が生まれてしまい、お客様の背中がお店のドアの向こうへ消えていくのを一瞬見送ると、煮えくりかえって顔が歪みました。
キイーーッ!
数十秒後にとんでもなくかん高い音が外から聞こえてきて、仕事を続けていたわたしはびっくりして手を止めました。その時相手をしていたお客様と顔を見合わせて音のした方をのぞきます。ガラス窓の向こうに車が一台見えました。白い車、黒塗りの高級車、どちらだと思いますか。
どやどやとお客様が磁石のように引き付けられて何があったのか見極めようとしています。ぷつりとレジが空いてしまったので、わたしはそっとその場を離れ、手近にあった花瓶から店内装飾用の造花を衝動的に一本引き抜きました。黄色いひらひらした花です。
「さよなら!」