はてなキーワード: 背中とは
これは謝罪でも案内でも挨拶ですらないただの後悔の吐き出しなので増田はこれを読まなくていいし読んでもいい。
5年ほど昔に辞めてしまったが、「アイドルマスターを多くの人に知ってもらう!」と妄想して活動をしていたことがある。
主な活動はブログ。それこそニコマス動画をテーマに沿って紹介してみたり、アニメの感想を書いてみたり、ゲームそのものについて語ってみたりしていた。今は亡きはてなダイアリーに書いてみたり、ページごと消えてしまったがTumblrで書いてみたり、当時は期待が持てていたニコニコブロマガに書いてみたり……。他にも今で言う「アイドルダイマ」のための動画を作ったりしたことも。
8年ほどそれらの活動を続けてみたが、結果は「完全に無意味」だった。ブログのPVは全ての記事において0かほぼ0だった。何本も作った動画も尽く再生数0だった。誰にも何も届かなかった。増田にも。
俺は当時のアイマス界隈というものを「石でできた大きなドーム」のように考えていた。増田のように外側から見ると何を盛り上がっているのか分かりづらい。しかし良くも悪くも声が反響しやすい環境なので何かが盛り上がっているのはわかりやすい。ドームの中ではそれぞれがめいめいにグループの輪を作って座って楽しんでいて、中心に行くほど華やかだ。しかし入り口は分かりづらい上に狭い(実際「アイマスの敷居は高い」という人は結構いた)。
俺はそこに入り口を作りたかった。華やかに盛り上がっている皆の声を背中に、外へ向かって穴を掘りたかった。橋をかけたかった。その傍に立って「旦那、ここから先は地獄ですぜ……へっへっへ……」と嘯く死神になりたかった。
俺は結局何もできなかった。入り口や橋なら、有名なユーザーや公式がちゃんと綺麗で大きく派手なものを作ってくれた。俺は石の壁に何の傷もつけられなかった。結局、8年続けても何も生みだせない虚無に耐えられなくなって辞めた。こんな虚無と後悔を味わうくらいなら最初から何もしないほうが良かった。
最初に「これは謝罪ではない」と言ったのは、もし俺が今でも活動を続けていたなら、傲慢にも「増田に届けられなくて申し訳ない」と謝っていただろうからだ。この挫折でそのくらいは学んだ。
結局何を言いたいのかというと、言いたいことは別に何も無い。どうせ何を言っても誰も聞かない。ただ、増田によって舞い上がった後悔の記憶の澱を掬って味わうためにこの文章を書いた。もし増田がこの文章をここまで読んだなら、こういう後悔をしている増田もいるということだけ覚えておいてくれ。
面白いじゃないですか
「TBS『Nキャス』での安住紳一郎さんの発言です。椅子から片脚で立ち上がるトレーニングをスタジオの皆でやってる時、安住さんが腰を下ろそうとした瞬間、ビートたけしさんが椅子をさっと後ろに引きました。転んだ安住さんの、顔を複雑にゆがめながらの一言」
「何が面白いねん? まだこんなことやってるんか……」
「くまモンがテレビ熊本の番組でそれやって、大批判受けたのにね」
「何でこれが問題にされへんのやろ?」
「爆笑太田さんもこれに似た悪ふざけをします。それも、どちらも素人相手にやる。真面目に何かをしようとしてる背中を突いたり。この、芸とも言えない、機知ともお笑いとも言えない幼稚な行動をトップコメディアンが恥じずにやる。同じことを上方(かみがた)の芸人さん特に大御所がテレビでしてるとこを、少なくとも私は見たことがない」
「あちらの『ぼくのかんがえたさいきょうのユーモア』なんやろなあ。……タモリさんは?」
「あの方もキー局があちらにあって助かったタイプの芸人さんやわ。お正月の番組で鶴瓶さんを絶句させてはった。鶴瓶さんが『~してはる』言うた時、声張り上げて『はる!?』て笑わせにかかってた」
「筑紫福岡の言葉は完全に捨てはったんやね……こういう言動に笑ってみせなあかん立場の人らが気の毒やわ」
「いわゆる標準語て、本格的な教育が始まってまだ百年経たへん人工日本語やのに……」
放っておけば必ずこうなります。若者は健康管理を怠らぬように。
食料品店に買い物に行った。そのお店はちょっと変わっていて、学食みたいな並び方をする。入り口から一方通行で並び、列をすすみながら目当ての商品の棚にたどり着いたら商品をとっていく。野菜の棚のところで野菜を取り、肉の棚を通る時に肉をとる。最後にレジだ。3台ある。
そこそこ混んでいて、広くないお店にいつも30人くらいがいる。最近は客同士が距離を取るように掲示されていて、列が長くなり店内に入りきらずに外まで並ぶこともある。
私が3分の2くらいまで進んだあたりで、前の人と少し距離を開けていたら、そこに後ろからきた老人(推定80歳代、男)が、すすすと入り込んできた。あまりにも自然に入ったので「あれ?こんなひといたっけ?」と思った。10秒くらい考えて「いや、いないよな、おかしいよな」と思った。どう考えても横はいり。
注意するかどうか迷った。もし逆切れしたら怖い思いをするだろうから。
でも、ここで注意をしなかったら、この老人は今後も同じことをくりかえすだろう。
そこで、思い切って「並んでました?」と聞いた。老人は薄ら笑いをうかべて「並んでたよ」と言った。それ以上なにも言えずに私は黙った。老人はまた前を向いた。
逆切れされなかったのはよかったが、けっきょく列への割り込みはされたままだ。今度は20秒くらい考えて、やっぱり釈然としなかった私は思い切って重ねて言った。「それなら入る時にひとこと言ってもらえますか?」老人は意外そうにこちらをみて、「前に行っていいよ」と言った。
私一人を前に行かせてどういうつもりなのか。クレーマー扱いなのか。割り込み老人に背中を見せるのはとっても落ち着かないが、とりあえず前に行った。
その後は何事もなくレジにたどり着いた。買い物が終わってからも考えた。
たぶんあの老人は列に割り込んだ。私の対応はこれでよかったのだろうか?もっといい対応があっただろうか。
もし逆切れするタイプだったら、その時はどうするのがいいだろうか。
どう思いますかね?
もう30年ぐらい前の話。
担任は新任の先生で、いきなり5年生を持つには負担が大きかったからか、副担任がついた。
おじいちゃん先生は普段ほかのお仕事をしてて、週に何回か助っ人にくる感じで
授業というよりは雑談しながらいろんなことを教えてくれるおじいちゃんて感じで
話が逸れすぎて理科の授業が道徳の時間に変わってしまったりしていた。
私は、いつもニコニコニコニコしている小柄でかわいらしいおじいちゃん先生が好きだった。
ある日、校庭で女子3人くらいとおじいちゃん先生で雑談していたとき、
おじいちゃん先生には息子がいて、その息子さんがマンガ家をしているという話になった。
おじいちゃん先生はもったいぶってなかなか教えてくれなかったけれど
最終的には息子さんの名前を教えてくれた。
「えっ!知ってる!○○(雑誌名)に載ってる人や!お兄ちゃんが買ってる!」
その場にいたのは女子ばっかりで
私たちはきゃあきゃあ騒いだ。
『そっかぁ、君らでも知ってるんかぁ』って
嬉しそうに恥ずかしそうにしていた。
そんで、その年のうちにおじいちゃん先生、突然亡くなってしまった。
ほんとに突然。
たしか天気が悪くてすごく寒かった気がする。
私はそのお葬式の時に一回だけ、漫画家をしているという息子さんを見た。
お葬式のあと、どういうタイミングだったか忘れてしまったけどクラスのみんなの前でおじいちゃん先生の奥さんがお話をしてくれる機会があって、
(最初にも書いたけどおじいちゃん先生は学校の先生がメインのお仕事ではなくて
お仕事を継いでくれる人がいなくてたいへんなの、と奥さんは話していた。
私はその時、おじいちゃん先生は息子さんに自分の仕事を継いでほしいとは思ってなかったんじゃないか、ということを奥さんに伝えたかったけど
小学生の私にとってクラスみんなの前で過去のエピソードを持ち出して奥さんになにかを伝えるというのはハードルが高すぎて無理無理の無理だった。
そこから30年、おじいちゃん先生のお仕事は別の人が引き継いで、息子さんは息子さんのお仕事の世界で活躍を続けている。
こないだふとその息子さんの名前をググってみたら
その当時から数年前まで実家を継ぐ継がないですごく葛藤していた内容のインタビュー記事が出てきて
やっぱりこの話したほうがいいんじゃね?と思った。
息子の名前を教え子が知ってたこと、名前を聞いて子供らがきゃあきゃあなったことをめちゃ誇らしく思ってたと思うよ。
私たちが知らないだけでおじいちゃん先生はもしかしたらその話を奥さんや息子さんにしたかもしれない。
これを読んでる他人様にはどこにでも転がってるようなちょっとお酒が美味しくなるほっこりエピソードでしかないかもしれないけど
もし、もし、息子さんが
「親父は最後まで俺の仕事を認めてくれなかったな~」みたいなことを思ってる、または思ってたとしたら
いやいやいやいや、そんなことないから!大丈夫よ!めっちゃデレてたよ!あなたのお父さん!!って背中バンバンしてあげたいなと思って書きました。
いつかそのうちファンレターでも書いて送ろうかなとか思いながら30年経ってしまったので
このままでは死ぬまで書かないなと思ったので手軽にネットに書き込んでしまいました。
どうにか息子さんに届くといいなぁ。
誰か心当たりあったらおしえてあげてください。
もう30年ぐらい前の話。
担任は新任の先生で、いきなり5年生を持つには負担が大きかったからか、副担任がついた。
おじいちゃん先生は普段ほかのお仕事をしてて、週に何回か助っ人にくる感じで
授業というよりは雑談しながらいろんなことを教えてくれるおじいちゃんて感じで
話が逸れすぎて理科の授業が道徳の時間に変わってしまったりしていた。
私は、いつもニコニコニコニコしている小柄でかわいらしいおじいちゃん先生が好きだった。
ある日、校庭で女子3人くらいとおじいちゃん先生で雑談していたとき、
おじいちゃん先生には息子がいて、その息子さんがマンガ家をしているという話になった。
おじいちゃん先生はもったいぶってなかなか教えてくれなかったけれど
最終的には息子さんの名前を教えてくれた。
「えっ!知ってる!○○(雑誌名)に載ってる人や!お兄ちゃんが買ってる!」
その場にいたのは女子ばっかりで
私たちはきゃあきゃあ騒いだ。
『そっかぁ、君らでも知ってるんかぁ』って
嬉しそうに恥ずかしそうにしていた。
そんで、その年のうちにおじいちゃん先生、突然亡くなってしまった。
ほんとに突然。
たしか天気が悪くてすごく寒かった気がする。
私はそのお葬式の時に一回だけ、漫画家をしているという息子さんを見た。
お葬式のあと、どういうタイミングだったか忘れてしまったけどクラスのみんなの前でおじいちゃん先生の奥さんがお話をしてくれる機会があって、
(最初にも書いたけどおじいちゃん先生は学校の先生がメインのお仕事ではなくて
お仕事を継いでくれる人がいなくてたいへんなの、と奥さんは話していた。
私はその時、おじいちゃん先生は息子さんに自分の仕事を継いでほしいとは思ってなかったんじゃないか、ということを奥さんに伝えたかったけど
小学生の私にとってクラスみんなの前で過去のエピソードを持ち出して奥さんになにかを伝えるというのはハードルが高すぎて無理無理の無理だった。
そこから30年、おじいちゃん先生のお仕事は別の人が引き継いで、息子さんは息子さんのお仕事の世界で活躍を続けている。
こないだふとその息子さんの名前をググってみたら
その当時から数年前まで実家を継ぐ継がないですごく葛藤していた内容のインタビュー記事が出てきて
やっぱりこの話したほうがいいんじゃね?と思った。
息子の名前を教え子が知ってたこと、名前を聞いて子供らがきゃあきゃあなったことをめちゃ誇らしく思ってたと思うよ。
私たちが知らないだけでおじいちゃん先生はもしかしたらその話を奥さんや息子さんにしたかもしれない。
これを読んでる他人様にはどこにでも転がってるようなちょっとお酒が美味しくなるほっこりエピソードでしかないかもしれないけど
もし、もし、息子さんが
「親父は最後まで俺の仕事を認めてくれなかったな~」みたいなことを思ってる、または思ってたとしたら
いやいやいやいや、そんなことないから!大丈夫よ!めっちゃデレてたよ!あなたのお父さん!!って背中バンバンしてあげたいなと思って書きました。
いつかそのうちファンレターでも書いて送ろうかなとか思いながら30年経ってしまったので
このままでは死ぬまで書かないなと思ったので手軽にネットに書き込んでしまいました。
どうにか息子さんに届くといいなぁ。
誰か心当たりあったらおしえてあげてください。
対戦車犬
犬の背中に爆薬と起爆スイッチとなる木製レバーを設置し、レバーを垂直に立てた状態で戦車へ走らせる。犬が戦車の下に潜り込んだところで起爆レバーが倒れ、敵戦車を破壊する計画であった。
犬の訓練にはオペラント条件づけを利用した。戦車や装甲車輛の下に犬の餌を置き、空腹の犬が餌を目当てに戦車の下に潜り込むように教え込むというものである。実戦では空腹の犬を敵戦車の前に放つだけで自発的に爆弾を運ぶことが期待されたが、精度は高いとは言い難く、たとえ訓練を積んだ犬といえども、敵戦車が走行する際に発する激しい騒音に怯え、逃げ去ったり自陣に駆け戻り自爆するなど、扱いの難しい兵器であった。
誹謗中傷が注目を集めている。
これで何度目か。
それなのにいじめは無くならない。
在日韓国人として生まれ、物心ついたときから差別にさらされてきた。
人とのコミュニケーションから切り離された宝石箱みたいなアニメとゲームにすがり、偏見にさらされてきた。
就職氷河期世代にあたり、職業選択の自由なんてなかったのに、今は職業差別にさらされている。
だからどうした。
自分は今、前向きに生きている。
君たちはこういう。
それがどうした。他に辛い人は沢山いると。そんなものは差別でもなんでもないと。
他人からの差別や偏見にさらされてきた人は、ここで「まただ」と考える。
自分の命なんていともかんたんに握りつぶされてしまうのだと恐怖に怯える毎日を、経験したことのない人間に共感してもらうことなんて無理なんだ。
いじめの本質とは、誹謗中傷を行う人間がどうして生み出されるかというところに集約される。
いや、誹謗中傷を行う人間といじめられる人間との関係がどのように成り立つかと言い換えたほうがいいだろう。
そう、いまこれを読んでいるあなただ。
あなたは今までに、一度でも自分がいじめの原因になったことがあると考えたことはあるだろうか。
それはいつ?どのような場面で?
直近のことでいい。思い返してみてほしい。
この問いかけをした理由は、それは、いじめの本質的な原因はあなたにあるということを理解してほしいからだ。
なぜなら、いじめの本質は、いじめに参加している自覚がないことにこそ問題ある。
いじめられている人間が屈するのは、誰かから投げられた誹謗中傷ではない。
その誹謗中傷が、集団の総意として投げつけられることに絶望するのだ。
いじめられている人間に、「そんな意見無視しろ」とか「心無い人間が勝手に言っているだけだ」と慰めたことはあるか?
それはまったくもってお門違いだ。
しかしそうではない。いじめらているときに本当に恐怖する瞬間は、そのくだらないはずの意見の向こう側に圧倒的多数の同意を感じた瞬間だ。
くだらない意見なら、全員が否定するはずだ。それが否定されず、ましてやいいねやRT、はてなで言えば多くのスターを伴ったとき、その小さかったはずの針にとんかちで叩いたような衝撃が加わるのだ。
いいねやRT、スターをつけた人間の誰一人として、それがいじめに加担しているなどということは考えることはない。
その人にしてみれば、背中に軽く息を吹きかける程度のことでしかないからだ。
それがいくつも束になることで、いじめられている人間に届く頃には、崖から簡単に突き落とされるくらいの衝撃に変わっている。
一人一人の顔が見えない”周りのみんな”から大きな一撃が下されたようにしか感じることのできない衝撃が投げかけられるのだ。
いじめられる側にとって、それがどれだけ絶望か理解できるだろうか。
誹謗中傷を向けられている人間からすれば、背中を向けている全員が誹謗中傷を行う人間と同じことを考えていると感じることだろう。
真実が異なっていようとも、追い込まれた人間にはそうとしか思えない。
それでもまだ、追い込まれた人間の精神状態に問題があると切り捨てようとする人がいる。
自分は悪くないと開き直る人がいる。
そう主張する人間の影に隠れて、背中を向けたまま自分は悪くないと肯定しようとする人がいる。
そうしてまた物言わぬ総意として、追い込まれた人間に針を打ち込むのだ。
いじめの本質は、今これを読んでいるあなたが、いじめに加担している事実と、それを全く自覚できてなかったことにあるんだよ。
自らが誹謗中傷をしていなくったって、軽い気持ちで後押しをしてしまったことの積み重ねが人の命を簡単に握りつぶしてしまうんだよ。
誹謗中傷をやめよう!と声を上げることが、新たないじめを生んでいることになぜまだ理解できない。
力の均衡が崩れれば、いじめられていた側がいじめる側になることなんていくらでもある。
それを正義だなんだと肯定している限り、そこにいじめが本質的になくなることはない。
なぁ、だからさぁ、もういじめをなくそうなんて二度と口にしないでくれ。
口ではそういいながら新しいいじめを生み出そうとしているお前らを見ていると本当に反吐が出るんだ。
お前らはいじめからは絶対に抜け出せない。せめてそのことを自覚して生きてくれ。
他人に責任をなすりつけあって自分はいじめをしていませんなんて面をするのはやめてくれ。
背中の模様が「うり」に似てるとか?
私はロマンスカーが好きだ。
小田急沿線で育った子供の頃の私にとって、ロマンスカーは新幹線のような存在で、それが全国を走っていると思っていた。
たまに実家に帰省する際、私の地元へは町田でロマンスカーを降りねばならない。そのため、新宿からではそれほど到着時間に差が出ないため、普段は急行や快速急行で帰ってしまう。
私がロマンスカーに乗るのは、心や体に余裕がないときだ。仕事で疲れが溜まっていたり、重い荷物を抱えていたり、実家の犬の体調が悪くなって急遽帰る時だったり、そんな時だ。
そんな時、新宿駅のロマンスカー専用のホームに行き、電光掲示板を見る。ホーム中程で400円ほどのキップを買う。それほど乗りなれていないので目的の車両の位置が分からずにうろうろしてから列車の到着を待ち、やや高貴な空気をまとう空間に足を踏み入れる。自分の席を見つけ、カバンを落ち着かせてから腰を下ろす。
私は神奈川県で育ち、東京で出張等のない仕事に就いており、たまの旅行でくらいしか特急というものには乗らないため、やはりこの体験は私にとって新幹線と同等かも知れない。
そして、余裕のない時にのるロマンスカーは決まって、余裕たっぷりで私を迎え入れてくれる。各駅や急行にはない包容力で私を包み込み、通勤電車特有のストレスを感じずに400円の贅沢に浸る。
時間にして僅か30~40分の移動が私の心を落ち着かせてくれる。
同じことを東京へ戻る際にもする。上りは夜になることが多いため、酒を一缶携える。もう少し乗っていたいと思ってる間に風景は流れ、新宿についてしまう。それでも、ロマンスカーから降りた夜、翌日から仕事が待つ私の背中を押してくれる。
私にとって、ロマンスカーは箱根への旅行客車でも、通勤の飛び道具でもない。電車を愛でる趣味もないし、年に数回、帰省でお世話になる程度だ。それでも気疲れた私を優しく運んでくれる、ロマンスカーが私は好きだ。
こんばんは、猫です。一年のうちでこの時期が風が最も気持ちいいですね。耳をくすぐり背中を撫でゆくフワフワに、思わず目が細まります。土の匂いと緑の匂い、雨上がりに伸びる草の存在を感じます。風とは何か知っていますか。それは、ここにない匂いのことです。もしくは、これから出会うものの気配のことです。
窓が開いていることを、私は見逃しません。何事もない日常の部屋に、差し込むように興奮を覚える一画を感じるからです。窓とは何か知っていますか。それは、変えるか/変えないかを自問することです。答えはどちらでもいいのです。問いが場に存在している、それが窓です。
問いの前に私は佇んでいます。挑むたびにあなたが引き留めてくれるので、そうか今ではないのか、と気が付きました。風が運んでくる窓のむこうについて確かめたいけれど、今ではないのか。フウフウして貰える焼魚、クセになる納豆、丸まりやすく設えた寝床、なによりあなたの匂いと温度が好ましく、問いを忘れるには十分でした。
しかしある日、私は窓から出ていきました。迫る風でヒゲが前に流れます。少し恐ろしいような気もします。振り返りたい、けれど先へ急がなくては。あなたの膝に思いを馳せ、シッポをピンと奮い立たせます。居心地よく暖かな膝の上からでは、あなたは近くて大きくて、全てはよく見えませんでした。窓が開いて風が吹き、向こうからもあなたの香りがしたので、私はこたえることにしたのです。さようならば、しょうのないことです。遠く遠く離れてから振り返れば、あなたの全てが見えるでしょう。
願わくば、その瞬間あなたが窓を開け、風が私の匂いをのせて届くといい。そして、美味しいご飯や楽しいお誘い、深呼吸するような挑戦、すなわちあの部屋にまだない、これから始まる暮らしの歓びが、日向の匂いと共に部屋じゅうに香りますように。目を細めて風を感じる安らかな日々が、あの窓からあなたにめいいっぱい流れ込みますように。
夏が近づいたら何かが起こりそうだという気が毎年するのだが、H&Mに行ってアロハシャツと短パンを揃えたくらいではなにも起こらなかった。
いや去年は無職になった。
事業が終了したら部署ごと無くなって、そこにいた人間がまとめてお払い箱になってしまうのは、いわゆる外資系で働いていればよくあることとはいわないまでも、珍しいことでもない。それまではわりに忙しかったので、失業手当でももらいながらちょっとゴロゴロするかと思っていた。
ブックオフで買った本も読み終わってしまって、日暮里の談話室ニュートーキョーでぼんやりしてたら、誰かが傍で立ち止まった。顔を上げるとNが不機嫌そうに睨んでいた。
なんでこんなところで昼間から優雅にメロンソーダ飲んでんだよ、しかもさくらんぼ入り、さくらんぼ、と突っかかってくる。うっせーな無職だからに決まってるだろうが、と返すと、えーなにそれとうとうクビになったの?聞きたい聞きたいと向かいに座ってくる。
他人の不幸にがっついてくるこの女とは、日暮里の西アジア料理店で知り合ったというよりは喧嘩した。床に座ってベリーダンスを見ていたら背中合わせでぶつかって小競り合いになったのだ。
それ以来、なにかと行動範囲がかぶる。谷中銀座の酒屋で角打ちしたり立ち飲みカフェに入ると気がつけば隣に立っており、なんでお前がここにいるんだよ、うっせーバーカと言い合いながら飲んだ。
沖縄に行くぞと言ったのはNの方だった。さっきクアラルンプールから飛んできたこの女はコンサルティングファームに勤めていて、成田への移動が面倒臭いという理由からスカイライナーが停まる日暮里に住んでいる。明日からバカンスなのはわかった。だがなぜ私がお前の旅行に同行しなければならないのか。お前はお前の男とリゾートを楽しめばよい。
そのようなものはいない。またお前は間違いなく暇であるし、もうすぐ夏である。よって明日7時半に京成の改札前に集合すること。あとはすべて手配しておく。
行きの便ではほとんど寝ていた。那覇空港に飾ってある蘭の紫が寝起きの目にぐりぐり来た。
空港で車を借りて安座間港という所まで運転させられた。そこからフェリーで久高島に行った。
島は静かだった。背丈と同じくらいある草木がもっさりと両側に茂る道をひたすら二人でまっすぐ歩いた。何もない。
浜に出ると白い砂の向こうに明るい青の海が広がっていて、誰もいない。大きなヤドカリが木の下から出て波打ち際に向かってゆくのをぼんやり眺めた。
で?
なぜ?
哀れむような目つきでNは大袈裟にため息をつく。
感じろよ。いままで考えてた夏はどうなった? 何か起こりそうと思ってた夏は。考えてたら見送るだけでしょう?
たしかに。もうそういうのはさんざんやってきた。何か起こりそうって感じた瞬間に、自分でガッとつかまえて、たぐり寄せないと、結局いつも同じ。
そう、ガッと。Nは手を熊手のような形に広げて突き出してきた。
その手首をガッとつかむ。もう片方の手でビール瓶を持ってNのグラスに注ぐ。
島の夜は出かける場所もなく、早く寝るしかなかった。部屋の電気を消すと、夜が本当に真っ暗なところに来るのは久しぶりだと気づいた。Nの髪は潮風に吹かれたせいか少しパサパサしていて、洗いたてのシャンプーの匂いがした。肌が触れあうたびに、日焼けの痛みでお互いに悲鳴を上げながらゲラゲラ笑った。
明け方に目が覚めるとほんとうに静かで、東京では知らないうちに騒音を気にしないで生きるようになっていたのだと気づいた。島に来てよかったと思った。シーツからのぞくNの寝顔は普段よりもずっと子どもっぽく見えた。日に焼けた足首には糸みたいに細い金のアンクレットをつけていることにはじめて気づいた。その瞬間、なんだか急に気恥ずかしくなった。
東京に戻ってからもNとは互いの部屋を行き来するような関係を続けたが、大喧嘩をして別れてしまった。もう気軽に沖縄へ行けるような状況ではなくなってしまったが、去年の今頃のことを思い出して曇り空を見ている。また夏が来る。
お給料がよく、福利厚生が充実していて、私の勤め先を知らない人に説明すると、
誰もが「ああ、あの!」とリアクションされることが少なくない、よほどのことがない限り入社困難な有名企業だ。
だが、私は今その会社を凄く辞めたいと思っている。
私は他人が容易に真似できない少し特殊なスキルをいくつか持っていて、
そのお陰で常にいろんな業務を掛け持ちしていた。
マネージャー、人事、制作部署がやるような他職種分の仕事内容だった。
周りは「凄まじいパワーとタフさだ!」と称賛してくれたが、
会社の評価方法が特殊で、あくまで本職用の評価項目を満たしているかどうかでしか評価がされないために、
数を適格にこなすタイプだった私にとって1職種分では一向に評価が上がらず、
周りより並かそれ以下なのに常に他人の仕事を抱えて馬車馬のように働いていた。
上司は「まだ評価を満たしていない、もっと努力しないと上にはあげられない」とケツを叩くばかりで、なかなか認めてはくれなかった。
元々ガタが来ていることを感じて、仕事を他人に引き継ぐための活動はしていたが、
ずっと手厚くお世話をしていた部下が何人か退職してしまい、心が折れた。
この会社で成り上がろうと思ったら貴方のようにならないといけないのかと思うと、絶望してしまった。
と言われた。
ショックだった。
あんなに毎日一緒に仕事して、ランチを食べて、たまに飲みに行ったりしていたのに。
最後はよそよそしく気まずそうに打ち明けるだけで、あっけないものだった。
そもそも自分の仕事のスタイルが特殊だということは自覚していて、
誰でも再現できるシステムを構築しようとしていた最中の出来事だった。
心身に病気がいくつも見つかり、救急車を呼ぶ事態になって、私は休職を決意した。
今まではずっと気力で持っていただけで、私の身体は限界だった。
それからは、両手でなんとか収まるくらいの数の病気と共存していくために苦心する日々が始まった。
終わりの見えない闘病生活に怯えた私は、たった1ヶ月で復職してしまった。
思えば、それが間違いだった。
復職後の私は、見るも無残な有様だった。
生産性がガタ落ちし、同じ人物の仕事とは思えない仕上がりだった。
私が作った資料は抜け漏れだらけで、他人に迷惑をかけてばかりだった。
やりがいを感じてやる気を持って取り組んでいた。
そのポジティブな全てが幻で、ひたすら労働力を搾取されていたことに気づいた私は、
それでも、かつてのプライドだけは健在だった。
今の自分は何かの間違いで、きっとどこかで復活できると信じていた。
それもどうやら間違いだったようだ。
皆、口を揃えて、「会社に残るべきだ。せめて少しでも復活の兆しが見えたところで、後腐れなく退職すべきだ」と意見してくれる。
全盛期の私しか知らない人達は、「君は凄い奴だから何をしても成功するさ!応援してるよ!」と背中を押してくれる。
客観的に自分を振り返ると、これ以上前進しようがないように思える。
組織や上司はここまで追い詰められた私に全く救いの手を差し伸べてくれなかった、という事実が、深い絶望をもたらして、癒えない傷を与えてしまったようなのだ。
元々気力と仕事の成果が密接に結びついているタイプなので、この会社への不信感がある限り、どうしようもない気がするのだ。
最悪に落ちている今、退職してしまうと、今後のキャリアに響かないだろうか。業界に悪い噂を流されないだろうか。そればかりが気になる。
気持ちは「退職したい」でいっぱいだが、一歩踏み込む勇気がない。
答えは未だまとまっていないが、自分の考えをまとめるためにこの文章を書いた。
王様はロバの耳!と穴ぐらに向かって絶叫しなくてはいけなかった人の気持ちが最近はよくわかる。言いたくてうずうずするが言ってはいけないことが世の中にはある。それでもやはり、好きな女の顔に手をかけてマスクを取るときのあの感覚には、不思議な懐かしさと甘さがあるといいたい。あらためてこう言葉にしてみるときもすぎるが、それでも言わなくてはならないようななにかがそこにはあるし、ここにしか書けない。
話は2、3日前にさかのぼる。
「選んだ人がそういうこと言っちゃうかな」
「第一印象で、勢いで選ぶことって人生にはあるでしょう? ときには勢いが大事。勢いが評価される」
「ないわ」
咲は芝生に敷いたレジャーシートの上に寝転んだ。頭上には新しい枝を伸ばしはじめた代々木公園の木々が揺れ、雲ひとつない空を縁取っていた。
まじめに、社会的距離を保って会うことにしよう、という彼女の発案にしたがって、近所のこの公園にやってきた。
お互いに手を伸ばしても届かない距離に陣取って、マスクをしたまま座ったり寝転んだりしていると、話すときにはキャッチボールの相手に届くようにして声を投げかけあわないと、うまく聞きとれなかった。だからすぐに話し疲れて、二人ともそれぞれの場所で仰向けになった。
「いてっ」
何かが当たった方を見ると、芝生に黄色いゴムボールが転がった。咲はこちらに背中を向けて寝たふりをしている。その背中に軽く投げ返す。
「いてっ」
投げ合いはキャッチボールになった後、奪い合いになり、ボールを胸にあてて握ったまま騒ぐ咲を後ろから捕まえて、抱きかかえる。
木の陰に立ったまま後ろから抱いていると、Tシャツごしに背中のかすかに汗ばんだ温かさと、咲の鼓動が感じられる。両手に頬を包んで顔をこちらに向けると、マスクが目に入る。咲は一瞬こちらを覗き込んだ後、すぐに眼を伏せる。
「いいよ……」
両耳にかかったストラップを持って静かにマスクを取ると、薄い唇が現れ、手に温かく湿った息がかかる。自分のマスクを顎まで引き下げてキスをした後は正面から抱き合う。
「どどうだろう」
「そこ、どもるところ?」
「いや、わかんないんだよ」
「気まずいことになる? 私のせいで」
悪戯っぽい目つきでこちらを見てくる咲にすこし腹立たしくなる。
「変わんないよ。これからも。たぶん……」
陽が傾いて芝生が金色に染まる。咲は大の字で立ちはだかって、手をバタバタさせる。
「ゼロです!」
ホッテントリにあがっていたやつを見て、自分も結婚相手に求める条件などというものを言語化してみたいと思った。最低でもこれだけは、というものを書き出してみたけれど、なかなかきりがなくて、すごい量になってしまった。ひとつひとつは大したことがなくても全部当てはまるとなると難しいよね。これでも「最低条件」なのが、自分で書いてて怖くなった。
男
年齢は22〜36歳
年収350万円以上
首都圏在住
身長160cm〜195cm
BMI16〜30
子どもを1〜3人欲しいと思っている
専業主夫になる気はない
毎日歯を磨く
背中に毛が生えていない(生えている場合、除毛することを厭わない)
まめに爪を切る
週に1回は抱いてくれる
暴力を振るわない
怒鳴らない
法に触れるようなことをしていない
人の話を聞いて、理解して、受け入れることができる
ありがとうとごめんなさいが言える
ギャンブルは滅多にしない
お酒で失敗するようなことが滅多にない
私のことが好き
☆以上☆
今の恋人はほとんど全てに当てはまっているはずだけど、上記以外の性格の面で思うところがあって結婚には至れそうにない。
ちなみにわたしは
26歳女、そこそこブス、160cm、小太りの割におっぱいほぼない、年収400万、大卒、借金(奨学金)あり、今のところとても健康、性欲強い、酒あまり飲まない、非喫煙者、親兄弟健康で仲は悪くない、家事できる、趣味はてブ