はてなキーワード: 管理とは
ヘイトがヘイトだって理解するためには知識と文化が必要なわけで良識なんかあっても意味はない
19世紀のアメリカでは良識と善意に溢れた白人が黒人は動物程度の知能しかないから奴隷にして管理するのが善行だってみんな言ってたよ
はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館で作品6点が行方不明になる、という事件があった。
館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽の疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803
一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である。
たとえばこういう企画展。
https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991
堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカル、ジェンダー、福祉、ケア、老い、共同体、移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。
ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである。
個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。
しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽の美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。
その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である。
前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界からは擁護の声も出ている。
アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から、美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態を放置し問題に適切に対処してこなかった所管部署の文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である。
スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境に作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である。
これは大局的に見れば正しいかもしれない。
ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。
それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか。
まともな環境に作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである。
他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理に問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書の問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言の趣旨ではありません。
とはいえ、前橋市の報告書が住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員と行政職の党派性の問題なのではないかという感も否めない。
一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館の学芸員と行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである。
なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。
つまり、理想を求める学芸員とコスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから、対立するのは当然なのかもしれない。
両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である。
現状で言えば、おそらく行政職出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。
現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有な存在なのである。
行政職出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセントは現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。
今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。
後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家が署名活動
https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c
ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。
まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。
現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟が必要である。
だから、美術館の作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。
加えて、美術品のほとんどは温度・湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。
38度の真夏であっても、氷点下の真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。
当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。
つまり、美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。
地方の美術館に美術作品を寄付する人々というのは、たとえば地域の小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。
1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。
「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。
売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。
名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。
でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。
〇〇県出身。上京し美術学校で西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校で美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。
こういうプロフィールの作家が面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。
しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。
日本の都道府県のほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸な地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。
そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである。
というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題が関係しているように思われる。
気が重い話である。
その他参照
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf
https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view
未知の病気が蔓延して手の施しようがないならそらしょうがないかもしれない
でも今回の件はありふれた感染症なわけで飼育する上で当然想定すべき事態
最初から病気になったら治療せず殺す前提で予算を組んでたってことだよね、それって
「病気のペットを治療するより買いなおした方安いから保健所に持って行ってペットショップで新しいの買ってくる飼い主」
「後先考えずに多頭買いして世話をしきれずペットを劣悪な環境に晒す飼い主」
「儲けのために管理コストをケチって病気を蔓延させる動物カフェ」
とかとやってること変わらないよ?
「動物なんて人間の都合で劣悪な環境で飼おうが虐待しようが殺そうが勝手だろ」っていう思想を持ってるなら筋は通ってるけど
動物園を擁護して批判者をクレーマー扱いしてれば物が分かってる風に見えるだろうっていうネットバトルしぐさしてるだけで何も考えてないでしょ
昨年4月に我が社の労働組合が経営側と締結した労働協定には組合員に対する残業時間の厳格な管理が盛り込まれていた。現在、とある事情で我が社のメイン工場は停止しているが、生産再開に向けて直接部門も間接部門も関係なく社員全員フルに生産再開業務にコミットしている。よってかつては暇だった社員も今では残業の毎日である。とはいえ月末になると冒頭の労働協定(36協定)が効いてきて月の残業時間が協定内に収まるように皆早く帰ったり遅く来たりと調整し始める。私もその例に漏れず同じく残業時間調整のために今日は午後半休をとることになり、昼休みの時間になるとイソイソと退社した。
しかし大人というものは予定もなく急に自由になっても何をしたらよいか困るものだ。車通勤なのでプラプラと運転しながら帰っていると、橋の下を流れる大きな川沿いに桜が見事に咲いているのが垣間見えた。私は気づくと川べりに続く細い道にハンドルを切っていた。
川べりの道路から見ると桜は橋の上から見たよりも小さく感じた。しかし小さいながらも満開の花を枝全体に咲かせていた。車から降りるとふわっとした暖かい空気が体を包んだ。頭上には満開の桜が広がり、さらにその上には白く曇った明るい空が広がっていた。私は突然極楽に入り込んでしまったような気分になった。周囲を見渡すと車が何台か止まっていたが、人が乗っているのかいないのか、車内はみな暗かった。
その時、遠くの川べりに緑のワンピースを着て地面にしゃがんでいる女が見えた。地面に咲く野花を写真に撮っているのか、その場は動かなかったが手元は小さく動いているように見えた。私はこの桜の風景と、陽気と、その女の存在に、なにやらまた白昼夢を見ているような気分になった。
しばらくすると女は立ち上がり、ゆっくりとこちらに向かって歩き始めた。私は立ち尽くしたまま視線だけを川に向けた。川べりに生えるススキなどの枯草に阻まれて川面はよく見えなかった。ただ太陽の日差しだけがまぶしかった。何故だか私は緊張していた。近くの橋を通る車の音がゴウゴウとよく聞こえた。
ふと女の方を見るといつのまにか女はいなくなっていた。反対側を見ても女はいなかった。私はきょろきょろと女の姿を探したが、周囲には先ほどと同じ数台の車が相変わらずひっそりと佇んでいるだけだった。
いや「githubがあればバックログはいらないのになんで金払って使ってるの?」って話に「その二つはそもそも用途がちがうんじゃ?」という疑問なんで、バックログをタスク管理ツールと呼ぶかプロジェクト管理ツールと呼ぶかとか、テキストで管理すればそんなものいらないとかいうのはそこまで興味ないです。
努力である程度まで質と速さの両方の水準を上げることはできるかもしれないが、拙速か巧遅かはどこかで必ず出てくるでしょ。
現場でコード書いている人に文句言うより、PMみたいな全体を管理する人に巧遅でも良いから質を上げてほしい旨を伝える方が良いんじゃない?
賃貸物件の保全とか修繕をやってる部署があるんだけど社内呼称が賃保(ちんぽ)課なんだよね。いや真面目に。
もちろん最初は耳を疑ったし何かの間違いかと思ったが、本当に公式略称として罷り通っているらしく、社内の書類には賃保(ちんぽ)課と書いてあるし会議でも賃保(ちんぽ)課がどうのとみんな自然に話している。慣れとは怖いもので周囲が普通に賃保(ちんぽ)という言葉を使っているとこちらも違和感なく聞けるようになった。
ところで現場を持つ会社あるあるだと思うんだけど、現場部署はわりとプライドが高く、気を遣って対応してあげないとすぐに不機嫌になる。
先日、管理マンションの壁の一部にひび割れた箇所が見つかったとの連絡が入った。通常は修繕することが確定してから賃保(ちんぽ)課に連絡するのだが、私の上司のAさん(40代後半、女性)は現場仕事は予定を組むのが大変だから前広に連絡しておけば向こうも悪い気はしないはずだと賃保(ちんぽ)課に第一報ということで連絡を入れていた。
たまたまそこに部長が通りかかって「さすがAさんは賃保(ちんぽ)を立てるのがうまいなあ」とつぶやくと、Aさんはさっと顔色が変わり「ちょっと、ここは会社よ」となぜか慌てていた。
昔々はそうだったんだろうけど、
今は中の人であるはずの声優に容姿だの歌唱力だのが求められるようになってしまって、
大変だなあと思ったり(コナミ
声だけで勝負するには、いわゆるヲタ受けするような絵柄のアニメとか避ければいいのかなあ
そもそも、声優って昔々は役者と兼業だったりして、役者も食っていける仕事とは言い難いので、
バイト感覚というか食い扶持を繋ぐために声優だったりしたはずなんだけど、
歴史的経緯も色々あって、今は声優だけで単体の仕事になっている、ように思えるけど、
やっぱり現実はほとんどの人が食っていけてないというヤクザな商売だよなあ、と思ったり
考えてみれば、毎日外に出ていたときは昼は西友で弁当も買うし、西友は重宝していたのに、
コロナになって無職になったら西友の比率は減って、今はOKとかに救われてるわけですが、
安値世界一の挑戦とか言う割にほぼ定価で販売しているのと違って、
例えば、店を閉めて残業で在庫管理とか棚への陳列、管理をするのではなく、
店に客がうろうろ歩いている状態で在庫管理や棚を並列して行い、
特に夕方以降はバイトを拡充して大量に動員するのは、どうよという意見もあるだろうけど、
短時間だけ働きたいとか、
電話が苦手だ。掛けるのも受けとるのも。メモしたのが本当に合ってるのか分からない。あと大抵緊急性があって悪い知らせのが多いからトラウマだ(レンタルビデオ屋の延滞、その日ないと思ってたバイトが実はあった、等) 苦手な理由を三つにまとめてみた。
①確実性がない
③「今」である
②聞き取れない
一つ目は「確実性がない」ということ。メールは文章に残るし、いつでも確認ができる。相手の都合もあまり考えなくて良い。電話は難しい。メモしたとしても間違っている可能性だってある。
二つ目は「今である」こと。電話はing、現在進行形だ。電話しながら予定を聞かれると困る。スケジュールはスマホで管理しているため、電話しながら予定が見れない。トイレ入ってるときとか出たくないし。こっちの予定を考えてくれない。いつ掛かってくるか分からない電話のために、常にスケジュール帳を持ち歩くほど几帳面ではない。
三つ目は「聞き取れない」こと。家で一人のときじゃないと掛けられないし受け取れない。これは個人差が大きいだろう。雑音が混じると途端に混乱して、何も聞こえなくなる。ファミレスでバイトしていたとき客からの電話対応が本当に苦痛だった。あそこは雑音の巣窟である。客のお喋り、キッチンの調理音、ガチャガチャと皿を洗う音、大通りだから車もブンブン鳴る。あと電話向こうの声が小さすぎて全く聞こえない。向こうは静かな家から掛けているから小さく話すのだろう。しかしこちらは雑音に囲まれて聞き取れないのである。お店に電話するときは威圧しない程度に大きな声でお願いします。
メールというありがたい確実な連絡手段があるのに、わざわざ電話を使うのは生産的じゃないなあと思う。それを使わなければならない所がたくさんあるのは分かるのだが、電話は嫌い。咄嗟に言葉出てこないし、おかしいと思ったところも上手く突っ込めない、質問できない。早く電話切りたい、という気持ちが先行するから。
賃貸物件の保全とか修繕をやってる部署があるんだけど社内呼称が賃保(ちんぽ)課なんだよね。いや真面目に。
もちろん最初は耳を疑ったし何かの間違いかと思ったが、本当に公式略称として罷り通っているらしく、社内の書類には賃保(ちんぽ)課と書いてあるし会議でも賃保(ちんぽ)課がどうのとみんな自然に話している。慣れとは怖いもので周囲が普通に賃保(ちんぽ)という言葉を使っているとこちらも違和感なく聞けるようになった。
ところで現場を持つ会社あるあるだと思うんだけど、現場部署はわりとプライドが高く、気を遣って対応してあげないとすぐに不機嫌になる。
先日、管理マンションの壁の一部にひび割れた箇所が見つかったとの連絡が入った。通常は修繕することが確定してから賃保(ちんぽ)課に連絡するのだが、私の上司のAさん(40代後半、女性)は現場仕事は予定を組むのが大変だから前広に連絡しておけば向こうも悪い気はしないはずだと賃保(ちんぽ)課に第一報ということで連絡を入れていた。
たまたまそこに部長が通りかかって「さすがAさんは賃保(ちんぽ)を立てるのがうまいなあ」とつぶやくと、Aさんはさっと顔色が変わり「ちょっと、ここは会社よ」となぜか慌てていた。
ヴンダーに戻ってきたシンジにビンタしてうれし泣きをする場面と、エヴァに乗ろうとするシンジを銃撃する場面がシンエヴァでの主な見せ場ですね。
前者ではQでの悪印象が反転します。彼女の「エヴァにだけは乗らんといてくださいよ!」は序盤のおさらいパートでも採用されており、Qのトラウマ発言フラッシュバックでも関西弁なのでやたら目立っていた印象。しかし彼女を振り切って脱走し、フォースインパクト未遂まで起こしたシンジをうれし泣きしながら「あほ!あほ!」と抱きしめるサクラ。
アスカの「女房か、あんたは」のツッコミで、観客も「黒波は退場して、アスカはケンケンとくっついて、シンジはサクラと結婚するんだな」とわかる親切仕様。
アスカにシンジ君身元引受書にサインさせるのってそういうことですよね。
でもシンジくんは「あれ?チョーカー付けなくていいの?」くらいの反応。カヲルと黒波を看取った男だ、面構えが違う。
あと、サクラ視点だとDSSチョーカー付けたまま出てったシンジがエヴァに乗って覚醒したわけで、あの時シンジは死んだと誤解してたのかもしれません。
サクラはチョーカーの記録から首パァンしたのは別のパイロットだと知りますが、シンジの目の前で人が死んだのに、なぜ戻ってきたのか理解できないサクラ。
生きてたのはうれしいけど、エヴァに乗ってほしくないから戻ってきたのは複雑なんでしょう。シンジさんはケジメつけるために覚悟完了してるわけですけど、誰もそのことには気づいていない感じ。
チョーカーなしで対爆隔離室に保護(軟禁)されるシンジ。青葉だかが放置してネルフに利用されるよりはいい、みたいなこと言ってたが、船に乗せたことでシンジをエヴァに乗せるという選択肢が生まれたことは事実。
この後、アスカに渡されたトウジ一家の写真と手紙を見てサクラがすすり泣く場面があります。
ツバメが無事生まれたことを喜んでいるのかと思ったのですが、ゲンドウの最終計画を阻止できなければ死んでしまう家族を想って泣いているんじゃないかともいわれており。
いずれにしろ、彼女が家族を想う気持ちは強く、家族をニアサーで喪った悲しみも深いものだったと推測できます。
食事シーンでミドリ(ピンク)が「射殺許可出てるんだからいざとなったら撃つ」
「疫病神(シンジ)のせいで家族殺されたのに、みんな身内に甘すぎ。艦長も信用できない。再生水だって元は誰のオシッコかわからないのに、清めればすむなんてそんなわけないじゃん」的な発言をして、ヴィレクルーに窘められます。この後シンジがエヴァに乗ろうとして撃たれますよ、という前フリと、シンジを許せない遺族代表としての発言ですな。
唐突なオシッコ発言のせいで某所で飲尿キャラ扱いされる風評被害を受けるわけですけど、もとは汚水なのに、なかったことにして平気で飲み干すなんておかしい!ってのは結構鋭い。そうするしかないってのは頭でわかっているとしても。
その後、サクラがシンジに「何かあったら赤いボタン押して呼んでください」と電話するのを、ミドリがにらむシーン。おそらくサクラとミドリの相部屋ですね。
「こいつも、清めればすむと思って…!」みたいな表情してます。サクラがシンジの傍にいない理由や、シンジへの思いやりを示す説明パートだと思うんだけど、ミスリードと前フリも兼ねてるんですね。
ネルフ妨害のためセカンドインパクト爆心地に向かうが、冬月の計画にハマって打つ手なしのヴィレ。
普通に会いに来て元部下とは普通に話すけど、息子が来たら逃げるゲンドウは見どころの一つ。
当然銃を向けるミドリ。
でもやっぱり撃てない。
パァン!
「碇さんはエヴァには乗りません!」
ここでミドリと観客の度肝を抜く展開。サクラがシンジの足元を撃つ。そんな素振りなかったっしょ!?
シンジさんはエヴァに乗ったせいで自分も周りも不幸にしたってのは、トウジやヴィレクルーとも共通の認識ですね。
でも乗らなくていいじゃなくて、力づくでもエヴァに乗せないのってのは女房の特権。
でもケジメのためにひるまないシンジさん。
「無茶言わんといてください!怪我すればエヴァに乗らんで済みますから」パァン!
2発目はミサトさんが庇って腹で受けるが、動揺しながらもまだ銃はかまえるサクラ。
シンジがエヴァに乗らなければ人類は滅びていた、責任はすべて自分が取る、とミサトさんが説得するが、
「シンジさんは恩人で家族の仇なんや!」と激重感情を吐露し、なおも撃つつもりの女房。
ミドリが自分の足元を撃って「もういい!明日生きることだけを考えよう!」
銃を落とし座り込むサクラ。マリが騒動がひと段落したタイミングでスッと出てくるんだけど、女房発言の時にもいなかったし意図的に接点なくしてる?
「なんで艦長撃たれてんだニャ!?」くらいは聞くかもしれないけど、アスカも取り込まれてるしそんな余裕はないのかも。
この後艦長に応急処置をして、処置中の「弾は溶けますから…」発言で(溶けるから何なんだよ)という疑問を観客の心に残すが、ほぼセリフなしでフェードアウト。
ケガをさせてでも止めるという鉄の意志、恩人で親の仇という愛憎の深さをさらけ出して、その後出てこないのが人気の秘密かもしれない。
あと、「明日生きることだけを考えよう」ってのはちょっと気になる。言葉通りだとシンジのことは忘れろってことじゃん…。まぁ、切り替えて今やることをやろう、ってことともとれるが。
仇なのにシンジに向けるのはほぼ恩義で、それでいて恩だけじゃないじっとりした重みがあるのもいいですね。
ここで、シンジがエヴァに乗らなきゃインパクト止めれないじゃん!ってのはよく突っ込まれるポイント。すでにフォースは発生してほぼ打つ手なしの状況だし。
エヴァに乗らずこのまま二人で…(BGM:甘き死よ、来たれ)ってのも考えられなくはないけど、溶ける弾と応急措置セットで助ける気はマンマンなんですよね。
その場合、マリにマイナス宇宙でゲンドウと追いかけっこしてもらえばなんとか阻止できるかもしれないけど。
世界より自分の大事な人を優先するってのは、ニアサーのシンジとか、補完計画のゲンドウと同じなんですよね。その結果結局世界も愛する人も両方失うわけです。
サクラエンドについて。
サクラのシンジへの重い感情を知った後だと、8歳の少女が碇シンジ管理担当医官になるまでの14年間はいろんな意味でヘヴィーだったと想像できるわけですよ。
そう考えると一途さヤバいし、シンジは14歳のままずっと寝てたせいで、目覚めたら8歳の親友の妹が14年間自分を想い続けてた22歳に変わってるってのは恐…感動的だと思うんすよね。
あと、シンジがケガをさせた少女が医官になって治療する側に回るのとか、シンジが初戦で助けた子が最終戦で引き留めるところとか、
父親と和解して自分が父親になるとか、サクシンエンドって色々きれいにまとまるし。
贖罪とかケジメってのはQとシンでのテーマになってるんすよね。
Qでは「槍でヤリ直す」ことですべてなかったことにしようとしたけど失敗して、カヲル君は爆死。
シンではトウジの「遺族の言葉を受け止めるのも医者のケジメや」の言葉に影響を受けて、命がけでケジメつけようとする。
ミサトさんも贖罪は自分からしなきゃダメみたいなこと言ってたし。
アディショナルで「過去はなかったことにしない」ことにするのは、ニアサーで生まれた縁を知ったのもあるけど、やっぱ自分の行動に責任を持つってシンジ君なりのケジメなんでしょうね。
第三村は一見のどかな田舎だけど、実態はニアサーの遺族が集まった難民キャンプみたいなもんなんすよね。
知らん人同士の寄せ集めというところも、田舎というより都会っぽい。
やってることはバガボンド農業編なんだけど、村の住民全員吉岡一門の遺族みたいな。
あと、委員長や第三村のマダム、子供たちが黒波を通じてシンジを立ち直らせるとことか、他人の力で鬱から立ち直るみたいなとこもあったり。
ユーロネルフの殉死職員や加持さん特攻も、自己犠牲の文脈ではあるけど利他主義でいい方向に回ってるというのもあり。
死んで花実を残すのは黒波もですね。シンジも周りに助けてもらったけどその覚悟ではあっただろうし。
駅のシーンはやっぱりまだマイナス宇宙じゃないかなぁ。じゃないとチョーカー付けてるのがおかしいし。向いのホームにチルドレンいるし。
無事第三村に帰った描写はするけどその後は映さない(自由に想像してね)ってのは徹底してるし。
マリのイスカリオテのマリアってのはイスカリオテのユダとマグダラのマリアかなぁ。普通に聖母マリアかもしれないけど。
日本において「美白」=良いこと、美しいこととしての認識が共通認識としてなりたったのは歴史的経緯がある。
古くは平安初期のころからも「おしろい」を顔に塗り顔面を白くしていた絵などは誰もがみたことがあるのではないか?
古代日本において階級制度が出来上がるにつれ、農作業をするもの=農民とそれを管理するもの=貴族のように階級が分断された結果、農民は日焼けが多く、貴族は日焼けが少ないということになってきた。
結果、日焼けが少なければ少ないほど上流という意識が芽生え、そこから「美白」=善、美しいといったことになってきたのである。
といったことを適当に思いついたの書いてみただけ。ソース全くなしですが信じるか信じないかはあなた次第。
iPhone3Gが発売されたときの小学1年生は今年で二十歳。
フロッピーディスクを知らない世代には、ハードディスクと言われても「ハード」の指す意味がいまいち解らないようだ。
さらにSSDの「SD」もSDカードのSDと同じと思ってるらしい。
単に知っているか知らないかだけのことで、若い人を嘲笑してはいけない。
上の世代にはいつまで経ってもデスクトップのことをディスクトップというような人間もいる。
そして中途半端に上の立場にいるもんだから気分を害するのを恐れて、誰も指摘しないから治らない。