昨年4月に我が社の労働組合が経営側と締結した労働協定には組合員に対する残業時間の厳格な管理が盛り込まれていた。現在、とある事情で我が社のメイン工場は停止しているが、生産再開に向けて直接部門も間接部門も関係なく社員全員フルに生産再開業務にコミットしている。よってかつては暇だった社員も今では残業の毎日である。とはいえ月末になると冒頭の労働協定(36協定)が効いてきて月の残業時間が協定内に収まるように皆早く帰ったり遅く来たりと調整し始める。私もその例に漏れず同じく残業時間調整のために今日は午後半休をとることになり、昼休みの時間になるとイソイソと退社した。
しかし大人というものは予定もなく急に自由になっても何をしたらよいか困るものだ。車通勤なのでプラプラと運転しながら帰っていると、橋の下を流れる大きな川沿いに桜が見事に咲いているのが垣間見えた。私は気づくと川べりに続く細い道にハンドルを切っていた。
川べりの道路から見ると桜は橋の上から見たよりも小さく感じた。しかし小さいながらも満開の花を枝全体に咲かせていた。車から降りるとふわっとした暖かい空気が体を包んだ。頭上には満開の桜が広がり、さらにその上には白く曇った明るい空が広がっていた。私は突然極楽に入り込んでしまったような気分になった。周囲を見渡すと車が何台か止まっていたが、人が乗っているのかいないのか、車内はみな暗かった。
その時、遠くの川べりに緑のワンピースを着て地面にしゃがんでいる女が見えた。地面に咲く野花を写真に撮っているのか、その場は動かなかったが手元は小さく動いているように見えた。私はこの桜の風景と、陽気と、その女の存在に、なにやらまた白昼夢を見ているような気分になった。
しばらくすると女は立ち上がり、ゆっくりとこちらに向かって歩き始めた。私は立ち尽くしたまま視線だけを川に向けた。川べりに生えるススキなどの枯草に阻まれて川面はよく見えなかった。ただ太陽の日差しだけがまぶしかった。何故だか私は緊張していた。近くの橋を通る車の音がゴウゴウとよく聞こえた。
ふと女の方を見るといつのまにか女はいなくなっていた。反対側を見ても女はいなかった。私はきょろきょろと女の姿を探したが、周囲には先ほどと同じ数台の車が相変わらずひっそりと佇んでいるだけだった。