はてなキーワード: 禁止とは
野ブタをプロデュース。の著者も「自分はバカとエロの大縄跳びが嫌いだった!」って言ってるし、男の中でもそういうものを忌避している奴はいるんだよね
その手の人ってやっぱ、アニメやゲームもなんか小難しくアカデミックな感じにふれたがるんだよ
批評、評論だとか、社会に与える影響が~とか、創作物を通じて意味を汲み取り、自分が生きている現実を考える~とか
スターウォーズの背景には黒沢映画が、ロール・フリンの海賊映画、米国のスペースオペラの系譜~がみたいなことを言ってるやつもいたな
飲み屋で楽しく「あれ面白かったよな~!」って友達とワイワイ感想言いあうんじゃなくて、
朝まで生テレビの空気感でお偉い先生方が作品の深~いところをガチ議論しあうようなイメージ
結局今のオタクコンテンツってまあ程度の差はあれどもやっぱシコリティ高めのキャラがガンガン出てくるわけで、ざっくりいうとエロが支配的じゃん
ブルアカもストーリーはしっかりしてるけど、エロいキャラじゃんじゃん出てくる
アカデミックな人たちにとってはそういうのがどうしても受け入れられないし許せないわけなんだよな
ガースーが学術会議の教授の任命拒否しただとか、国公立大の法人化だとか、世間的には三角関数古文漢文いらないで学問が軽視されがちだとか、性的消費は家父長制による男>女の考えが原因だとか、いろいろなものが複雑に絡み合って「性的消費を許さない、男らしさを許さない、保守思想を許さない」みたいなことになってるんだろうけどな…
ご指摘の点について、いくつか重要な観点から考えてみましょう。
日本の仏教僧侶がユダヤ教のタルムードに関心を持つことは、宗教間対話の一例と見ることができます。異なる宗教的背景を持つ人々が互いの教えを学ぶことは、相互理解と尊重を深める上で価値があります。
「神仏」という言葉は、日本の宗教的文脈において一般的に使用される表現です。これは日本の宗教的伝統における神道と仏教の融合を反映しています。しかし、ご指摘の通り、この表現は一神教の観点からは問題があるかもしれません。
仏教における「仏」の概念は、必ずしも西洋的な意味での偶像崇拝とは一致しません。仏像は悟りの象徴や瞑想の対象として扱われることが多く、それ自体を神格化するわけではありません。
同様に、日本の「神」の概念も、西洋の一神教における神の概念とは異なります。日本の多神教的な世界観は、自然や祖先への畏敬の念を表現する方法の一つと見ることができます。
ノアの七つの法則(ノアの子孫のための七つの戒律)は確かに、非ユダヤ人が守るべき倫理的指針とされています。偶像崇拝の禁止はその一つですが、これを文字通り適用することは、異なる文化的背景を持つ人々にとっては難しい場合があります。
宗教間の対話と学びは重要ですが、それぞれの宗教や文化の文脈を理解し尊重することも同様に大切です。一方の宗教の教えを他方に直接適用しようとするのではなく、互いの違いを認識しつつ、共通の倫理的価値観を見出すことが重要かもしれません。
日本の坊さんがユダヤ教のタルムードに関する本を紹介する動画があったんだけどさ、坊さんの言う「神仏」って言葉が気に入らないね
だって「仏」って偶像崇拝だし、その調子で言うと「神」の部分も一神教じゃなくて多神教を信奉してそうだし
中途半端にタルムードなんて学ぶんじゃなくて、非ユダヤ人が守るべきとされる法の「偶像崇拝の禁止」の部分を守ったらどうなのかと思った
『虎に翼』がだいぶ残念な感じになってきた。
自然法的な考えの無さそうな主人公(憲法が停止したら人権も停止すると考えてそうなクチ)に対して、「何故人を殺してはいけないのか」と問いかけるキャラ(ラスボスになるのだろうか)は面白かったし、被爆者訴訟についても楽しみなのだが、それらを横に追いやって下らない話ばかりしているように見えて、ドラマとして退屈だ。
かつて野田秀樹が岸田國士戯曲賞の選評で、ある作品についてこう述べた。
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この人のはいつ読んでもとてもイヤーな感じになる。いつもじぶんを正しい所に置いて、他人をやっつける。ニュースステーションのようで私はダメだ。エリートはすべてしょうもない奴、日本兵はすべて悪い奴、常にステレオタイプだ。「ベトコンを扱う米兵のように」という要らぬ形容の卜書きに作家の創作の姿勢が現れている。
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誰の何の作品に対する評なのかはここでは関係ないので触れない。
『虎に翼』でいわゆるリベラル的な主張が展開される時に感じる違和感、もう少し言うと嫌悪感は、上の感覚に似ている。
民法改正で「家族制度」にこだわった保守の論客を、単に頑迷な老人として描いていたのは、単純に卑劣だと感じた。保守は基本的に人間の理性を信頼していないので、だからこそ「家族は互いにたすけ合わなければならない」という一文を入れるのにこだわったのだろうが、そういった保守の考えは全く描かれぬまま、温かい家庭で両親の愛情を浴びまくって育った主人公が「なんでそんな言わずもがなの一文入れるんでしょうね」とぶった斬る。あのシーンは醜悪だった。
同性婚についても触れ始めているが、当然同じ俎上に上げて議論すべき近親婚の不当な禁止については触れようともしない。
絶対に勝てる試合を組んで主人公に戦わせる出来レースをずっと見せられている気持ちになる。
主人公が「自分は永遠に公平な視点など持てるはずがない」という当然の自覚をもっていないのも痛々しい。(現パートナーにかつて助言されたにも関わらず)
連続ドラマなので、上のような疑問や不快感は今後の展開で一掃されることもあるかもしれない。それを期待して見続けてきたが、どうやらそれには応えてくれなさそうな予感が強くなってきた。
親稼業をしてる皆様地獄の様な夏休み誠にご苦労様です。お互い頑張りましょう。
うちの地域は都会と違い子供同士で約束をして遊ぶ風習がまだ残ってる地域なんですよ。
だから急にうちの息子の友達が6人位いきなり家に来て遊ぶ事が割とある。もうそれは慣れたので別にいいのだが、その友達の一人の家が家庭の事情でお菓子やジュースやゲームを禁止されてるんだよね。
他人様の教育方針に口出すほどヤボではないので特に気にしていなかったのだが、その子がうちに来るとお菓子を貪り食い勝手に冷蔵庫を開けマミーを口のみしてSwitchを独占するんだよね。
それらの物を見るとマジで目の色が変わり自分の欲を爆発させるんだよ。
まぁうちにはお菓子は沢山あるしジュースも買い足す程度の経済力はあるがなんか腑に落ちない。
親に言えよって思うだろうが、そんな特殊な教育方針の家の親ってやっぱり変というか人間的に合わないから絡むの嫌なんだよ。
でもそれ以外は子供同士も仲良いしどうしたもんかね。
その子は家で酵素だか水素が入った水しか飲ませてもらえず、オーガニック?的な食事しかしてないらしい。(ママ友情報)
今時の小学生は友達と遊ぶのにSwitchは必須だし、スマブラやスプラトゥーンが上手くないとダメだしゼルダも履修してないと話に入れないんだよね。
だからその子はその溝を埋めようとうちに来ると必死でゲームするしお菓子やジュースを貪り食い飲み散らかす。
何度も言うが金銭的には問題ないんだけど、精神的になんか嫌なんだよ。生理的に受け付けないというか。
それはその子がたまたまその家に生まれただけでその子に責任は無いんだけどやっぱり嫌なんだよね。
何かいい解決方法ないかな。毎回ゲーム機盗まれないか見張る自分も嫌になるんだよね。
早く夏休み終わってくれよ。
昔の慣習に倣ってコメントを丁寧に書く人がいまだに居るけれど
以前のコードをコメントアウトしているようなソースは論外として
例えばメソッド・関数の頭にそれが何をする関数なのかを書いている人が多いけれど
メソッド名や引数名、戻り値の型をキッチリ付けておけば分からないことなんて無い
それ以上の複雑な処理をするなら機能分解するべきだし名前を付けにくい処理の場合はそもそもの設計がおかしい
昔は便利なIDEが無かったので変数や関数の名前に長い名前を付けると実装が大変で
仕方なくx1だとかval2だとかを使って実装してたのでコメントに書いておくようなこともあったけれど
Copilotを使える時代にコメントを書く必要なんて皆無だし
仮に意味が分からないコードがあってもCopilotに聞けばいいのでやっぱりコメントは必要ない
コメントがあった方が良い場合は「この実装はこのアルゴリズムに基づいて実装している」とURLのリンクを貼ったり
「この規則があるのでこういう実装をしている」とRFCを貼ったりするとかはあるけれど
それもほとんど変数名だとかで解決できるし、あっても1行で終わるレベル
そういう実装全体の設計に関するような話はReadmeに書けば良いのでソースコード内のコメントとしては必要無い
「それでも無いよりはいいでしょ?」みたいに言う人いるが逆に問題になることも多い
コメント内容と実装が違う場合にどっちが正解なのかが分からなくなったり
ソースコードの修正に対してコメントが修正されていなくて後々で揉めたりする
当然ながらコメント部分にはLintが効かないので(ChatGPT使えば作れそうな気もするが)
チェック内容も増えるし良いことがほとんどない
ヤバいJTCとかは「各行にコメントを書いて下さい」とか言ってきて正気の沙汰じゃ無い
まぁそういう案件が来たらChatGPTに丸投げするとは思うけれど下手すると「Copilot禁止」とかも言い出しそうだな
書いたところで誰も読まないのにアホすぎる
親稼業をしてる皆様地獄の様な夏休み誠にご苦労様です。お互い頑張りましょう。
うちの地域は都会と違い子供同士で約束をして遊ぶ風習がまだ残ってる地域なんですよ。
だから急にうちの息子の友達が6人位いきなり家に来て遊ぶ事が割とある。もうそれは慣れたので別にいいのだが、その友達の一人の家が家庭の事情でお菓子やジュースやゲームを禁止されてるんだよね。
他人様の教育方針に口出すほどヤボではないので特に気にしていなかったのだが、その子がうちに来るとお菓子を貪り食い勝手に冷蔵庫を開けマミーを口のみしてSwitchを独占するんだよね。
それらの物を見るとマジで目の色が変わり自分の欲を爆発させるんだよ。
まぁうちにはお菓子は沢山あるしジュースも買い足す程度の経済力はあるがなんか腑に落ちない。
親に言えよって思うだろうが、そんな特殊な教育方針の家の親ってやっぱり変というか人間的に合わないから絡むの嫌なんだよ。
でもそれ以外は子供同士も仲良いしどうしたもんかね。
その子は家で酵素だか水素が入った水しか飲ませてもらえず、オーガニック?的な食事しかしてないらしい。(ママ友情報)
今時の小学生は友達と遊ぶのにSwitchは必須だし、スマブラやスプラトゥーンが上手くないとダメだしゼルダも履修してないと話に入れないんだよね。
だからその子はその溝を埋めようとうちに来ると必死でゲームするしお菓子やジュースを貪り食い飲み散らかす。
何度も言うが金銭的には問題ないんだけど、精神的になんか嫌なんだよ。生理的に受け付けないというか。
それはその子がたまたまその家に生まれただけでその子に責任は無いんだけどやっぱり嫌なんだよね。
何かいい解決方法ないかな。毎回ゲーム機盗まれないか見張る自分も嫌になるんだよね。
早く夏休み終わってくれよ。
以前、ここで、志位和夫氏(日本共産党の前委員長)の論文を取り上げて日本共産党の特徴を書いた。(消されたのでウェブアーカイブから)
このたび神谷氏の除籍問題が話題となっており、共産党の言い分が興味深いので記録しておこうと思う。
県委員会総会での討論の内容を、それぞれの県委員が個人の判断で公開することを認めれば、総会での自由な討論を阻害することにもなります。県委員会総会の内容を公開する場合は、県常任委員会の責任で発表すべきことがらです。県委員会総会での討論内容を個人の判断で公開する行為は、党内での自由な発言、討論を保障した党規約の精神を踏みにじる行為です。
何故討論の内容を公開してはいけないのか。
内容を自身に都合の良いように歪曲や捏造をしていたらこの批判もわかるが、共産党のウェブを読む限りは公開した事自体を問題視しているようだ。
一般的な感覚だと、公開してはいけないとする共産党の見解は意味不明である。
そこで、前掲増田でも示した、志位和夫氏の書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に共産党の考え方を理解してみよう。
(変節者のあわれな末路より)
結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである
基本的人権の行使に条件を付けているのも驚きだが、ここで注目すべきは「政党の目的実現にむけて」の部分だ。
「共産主義の実現」ではなく、「政党の目的実現」としているのがポイントで、ここでいう政党というのは共産党の組織のことを指し、個人にとっての地方の委員会、地方の委員会にとっての中央を指している。
つまり、神谷氏がブログで委員会の見解と異なる主張をし、またそのために議論の内容を公開したことは、言論の自由を「政党の目的実現」以外の目的で行使したことに他ならず、共産党として許容できるものではない。
基本的人権の行使は共産党に奉仕するためになされるべきであるというのが基本である。
(変節者のあわれな末路より)
わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、「理論派閥の容認」「党外出版物での批判の容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義、分派主義のあらわれとしてきびしく批判した
神谷氏のブログは組織に対する批判であることは明らかだが、共産党では引用論文のとおり「党外出版物での批判」を厳しく禁じている。
神谷氏のブログは印刷はなされていないため狭義の出版物ではないかもしれないが、性質としては出版物に近く、共産党として許容できるものではない。
このあたり、石破茂が冷遇はされているものの党を追われず、未だに総理総裁候補として名前の挙がる自民党(良く言えば議員一人一人の独立性が高く、悪く言えばまとまりや一貫生がない)とは全く党の性質が違うと言える。
余談だが「横の交流拡大」の否定も共産党らしい。地区組織間で交流されてしまうと、中央に反発するために団結される(=分派の形成)可能性があるためだろう。
(変節者のあわれな末路より)
坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。
「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分の提案に対する支持を、…求めてはならない」
議論は党の内部の公式な場で行われるべきであり、事前の根回しや賛同を募ることは認めていない。
当然それでは込み入った議論や利害調整はできないので、結論は議題や進行をコントロールできる党中央の意見に従わなければならない、となる。
神谷氏のブログも、自身の意見への賛同を求めるためのものであることは明らかであり、許容できるものではない。
(有名なアネクドートより)
と考えている(このあたり昨今のリベラルやポリコレと言われるものとの親和性が極めて高い)ため、党外にむけた反対言論を許容する余地はない。
以上のことから、神谷氏の除籍は共産党の論理として極めて当然のことと言える。
というか共産党のこういう性質は公知のものだと思っていたけど、若い方々にはそうでもなさそうなのが意外だった。昨今の共産党による宣伝活動(ソフト路線のアピール)は一定程度の効果があるようだ。
暇空茜「堀口は実家の群馬県高崎に帰って知り合いの女を後ろから抱きしめて逮捕されて勾留中w」
↓
暇アノン灰豚「堀口が都内のバーに友達と入り浸ってるってタレコミあって行ったら本人いたわーw盗撮は無理だったけど会話盗聴したでー」
↓
暇アノン「灰豚お手柄!堀口の声だ!うおおおおお!」
↓
暇空「灰豚の話は信じるな!灰豚は無能!灰豚は嘘つき!バカアホカス!!灰豚と喋るの禁止!」
↓
ステーキ屋でさぁ今日はモリモリ肉を食べるぞと楽しい時間を過ごしていた時。
近くの席に座ったカップルの男が「俺太ったかな?ねえおれ太った?顔むくんでる?ねえ?だよね?お腹とかさ、どう?炭水化物ばっかり食べてるからかな、痩せてー笑笑笑てか今日全部大盛りで食べるからまた太るわ、お腹やばい太り過ぎやばい痩せないと…」などと…
うるせー!!!!
彼女も彼女で「え〜そんなことないよぉ〜」じゃなくて、この話題止めろよ。太った話いつまでもしてても面白くないだろ。
これから沢山食べるっていうのに、一つ一つ口に運ぶたび太るかも…と思いながら恐る恐る食べるっていうの?
ゲンナリ。
産経新聞が報じているクルド人ヤードで大騒ぎ問題に関して。因みに本稿では記事や事件そのものには触れない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240818-Q7DJ43L7IVGBVIXACY4JX5FRBY/
産経の記事では冒頭に「過積載の(解体業)トラック」の写真が掲載されている。Xでもよく同じような写真が「クルド人解体屋の過積載トラック」として掲示され「何故か警察が検挙しない!」と指弾されている。
道交法は近年改正され、車両からのはみ出しの制限が緩和された。
後方については車両長の20%以下となった(はみ出しが後方だけの場合)。これはいすゞエルフ2t積みの場合、全長が4.7mなのではみ出しの最大は940cmとなる。写真のトラックはそんなにでっぱっていない。
側方については片方10%づつの両方で20%までが可能になった。
産経の写真のトラックは上の方が広い積み方がされている。一番上に畳が2枚並んであるのでこれを基準に幅を考えてみる。
畳は地方により寸法が違うが関東で使われる江戸間だと短辺は88cmだ。これが2枚で176㎝。真ん中に間隙があり、柱も一本挟まっている。また少し斜めになっている。それらを修正すると188cmくらいか。
エルフの全幅は1.7mなので両側合わせて34㎝まではみ出し可能だ。幅は1.7+0.34=2040㎝まで積載okであるから、全然余裕である。違反ではない。
では高さは?というと、実は規制がないのだ。いくらでも積んでいい。
でも道交法では「道路を運行する車両の最大寸法」が決まっていて、3.8mとなっている。だから荷台の高さに拘らずに全車3.8mまで積める。
しかし3.8mというのは観光バスの屋根とか電車の2階建てグリーン車の屋根の高さで、とんでもない高さだ。だから平トラックでそこまで積むという事はあまり無い。で、写真のトラックもそこまで積んでいない。見たところ3.2~3.4mくらいだ。
重量は?というのは測らないと判らない。でも間隙が多い廃材なので重量はそこまでいかない。2tくらいではないだろうか?因みに木造住宅の重さは30坪2階建程度で30t強といったところ。検索すると1600kg/㎡という数字が出てくるだろうが、これは家の積載荷重と耐雪荷重を合わせた重さで、自重は半分程度になる。また壁材のモルタルや石膏ボード、漆喰を合わせた重さだから木材だけだと大した事ないのだ。
平トラックに積む場合、まずはあおりの内側にコンパネなどで壁を造る。その中で安定するようにテトリスみたいにぴっちり積んで、時にTスピンなんかも駆使して動かないようにする。
コンパネ壁の上に来たら安定する大物を外側に積んで真ん中の方に小物を積んで行く。これもテトリスっぽいな。
いい所まで来たらロープを掛けて思い切り絞り完成。コンパネと大物が押さえになって荷崩れを防止する。
多分、Xとかで騒いでいる人らは平トラックの積み方知らないのだろう。なので解体屋のトラックを見たら全てで「過積載」と騒ぐ。しかも慎重に情報を流すという動機がない。
しかも後ろからではドライバーが何人かなんて判る由もない。クルド人かどうかなんて聞かないと判らない。更に言うと撮影場所がどこかとかどこナンバーかというのも確認しないしその動機もない。
「警察はなぜ検挙しない!」ってそれは平トラックの定積載だからだ。アホやね。
ヤードっていうのは物流基地の屋根のない構内をいうのだが、特に自動車解体屋の車両置き場の事も指す。最近ではそこから建築業の資材置き場や金属スクラップ置き場なんかのことも指す。これは自動車解体屋のヤードの誤用っぽい転用だ。
で、この自動車解体ヤードは簡易な壁で仕切られて中が見えない、中で盗難車解体しているのではないか?と言われ、それもクルド人問題として語られる事がある。
だがこれは無体な論難だ。壁を建てるのは法規制に拠る。
昔の自動車解体屋はテキトーで、その辺に廃車を積み上げ、外して売り物にするエンジンやボディーパーツをその辺に積み上げていた。
だがこれだと廃油や廃冷却水がタレ流しになって土壌にしみ込んでしまう。廃冷却水は河川に流れると魚毒性が高い。
・1.廃車置き場と作業場はコンクリ打ちして排水路を作り、オイルトラップを設置せよ
・2.1が難しい場合は作業場だけコンクリ打ち+排水路+オイルトラップとしてそこで全液体を抜いてから廃車置き場に置け
・十分な高さのある塀で囲って部外者が入れないようにせよ
最後の塀は子供が入り込んでかくれんぼをしてたら転落したり、車ごとプレス機に突っ込まれてキックアスの悪役みたいな死に方するのを防ぐ為の規制だ。
増田は学生時代、金がないからマイカーは買えなかったが整備の腕は幾分あるのでバイト先の友人に駆り出されて工具箱持参で解体屋にフォークリフトで86の廃車を下ろしてもらいミッションを自分たちで外したり、シルビアのノンスリップデフを外したりして金払って帰り、それらを交換したりしていた。日産のL型エンジンは重かったな。
でも今はそういうのは出来なくなっていて、勝手にヤードの中歩いたりさせてくれないしそもそも外から見えないから在庫が判らない。つまらん。
こういう仕事は当然がっつり汚れて暖房も冷房も無いところで働くから人気が無く、外国人従業員が多くなっている。
それで色の黒いガイジン=ヤバいとなって、「中が見えない=犯罪?」と連想ゲームになるのだが、法規制ぐらい知っておけという話である。
「本稿では記事や事件そのものには触れない」って書いがあれは嘘だ。やっぱ記事の中身に触れたくなったわ。というのも地理的条件説明したいから。
記事中に「(川口)市東北部」とあるが、市の東北側には人家がまれな地域があるのだ。一つは旧見沼、もう一つが木曽呂という地区だ。
江戸時代まで川口から大宮にかけて見沼という巨大な沼があった。土木工事狂の三代家光になると、見沼の下の方に堤を造って、今の川口市~足立区を開拓する事になった。その直接指示官は利根川東遷事業や荒川西遷事業を為した治水と土木界のチャックノリス、かの伊奈忠治である。
そこで八町堤が築造され、見沼は巨大溜池となり、その南は広大な田圃となって幕府の石高を上げ、財政情況を改善したのである。
ところで荒川はそれまで元荒川を流れていたので、上尾より下流は入間川だけが流れていた。しかしこの入間川下流は今の荒川と相当に違う所を流れていた。
指扇付近からは今の荒川の西を蛇行して流れ、中浦和駅→武蔵浦和駅→南浦和駅と浦和シリーズ駅スランプラリーしてるみたいな流路を取ってから浦和競馬場に踵を返して川口市を横切り今の外環道をクロスして、川口オート→毛長川→八潮という風に流れていた。地方競馬からオートレースのはしごかよ。
で当時綾瀬駅を流れていた利根川に合流して自由に氾濫し辺りをぐちゃぐちゃにしていた。オケラオヤジの大暴れみたいな奴である。
この川も荒川西遷で廃川になったので広大な土地を開墾でき、その辺は川が無くなったから見沼の溜池で潤すって感じだ。
河川跡は出水しやすいので田んぼとし、その横に形成された微高地(自然堤防、曽根)に集落を築いていたので川跡がくっきり残ったのだな。
で享保の改革の吉宗の時代になると、見沼に泥が溜まって貯水力低下。そこで、見沼を全部干拓しちゃえという事になった。でもそのままじゃ水が足りないね。そこで見沼代用水という用水路を作るのだが、どこから取水してるというと羽生なのだ。見沼から60㎞以上あるのだ。
途中には当然沢山の川がある。そこでどうしたかというと、全部立体交差で通したのだ。江戸時代なのにちょっとイカれた工事だ。舎人ライナーに見沼代用水親水公園って駅があるが、この代用水とは見沼の代わりの用水って意味なのだな。
それ以来、旧見沼は田んぼ地帯となっていて、地盤も悪いし土地が低いから都市化した後もそこに家を建てたり開発行為をしてはならないという規制が敷かれている。
武蔵野線東浦和~東川口間、東武野田線大宮公園~大和田、七里~岩槻で突然住宅街が途切れて田園地帯や荒れ地が広がるのを見た事ないだろうか?あれが見沼なんである。
で、八丁堤の下にあたる川口市の方は開発一切禁止というんじゃなくて調整地域という形になっている。これは一般の都市計画で建築物を規制するやり方で、住宅や工場などは建ててはならない。でも例外が設けられていて、学校、病院、特養ホームなんかはokなので、家は無くそういう建物ばかりが閑散に建つという風景になっている。
建物規制なので駐車場など建物がない用途では規制されない。すると、中古車屋(事務所は移動可能なプレハブ)、解体屋ヤード、建築資材置き場などは規制されないのでそれらが集まってしまい、景色としてはあまり良くない地域になっている。
そもそも、いけず石を置いていいかどうかを論じる前に、路肩や路側帯って自動車は進入禁止でしょ
隅切りがあった際の路側帯の規程がはっきりしてないので細かくは微妙だけど、少なくとも元のtogetterにあった写真で敷地はともかく路側帯すらはみ出してると思われるものはない
(歩道がある広めの道路の場合は規程があるようで根拠法ははっきりしないが図面の引き方を書いてるサイトがあった。ただそういう道路で隅切りにあるいけず石に引っかかるのはもう歩道の歩行者轢くレベルの暴走車なので触れない)
大きな車は仕方ないとか、隅切りがない曲がり角もある訳で、隅切りがあってその路側帯に侵入してやっと曲がれるとかいう場所に突っ込む方が頭がおかしい
「内輪差」とか言ってるのもいてびっくりしたけど、あれは内輪差があるからその内側に入らないようにというトラック等の右左折を目の前にしている歩行者向けの話で、内輪差があるから内輪差分の場所は通り放題とかそんな意味ではない
元々内輪差の部分にあるモノや人にぶつかって内輪差が云々とか言い出すアホがいたら免許剥奪でいい
そもそも車乗りって、自分たちが気をつけないといけないはずなのに自分たちの違法行為は無視して周りの責任にしすぎじゃないの?
相手に非があろうと、きちんと一時停止や徐行すれば避けられた、目視確認すれば起きなかった事故はまず悪いのは運転手でしょ
こう言ってる俺自身自動車は乗るし完全無事故ってわけじゃないけど、こんな、自分のこと棚に上げて他責の話ばっかりする奴らと一緒に思われたくないからハッキリ言っておくよ