明治〜昭和初期に活躍した欧米への渡来経験がある人の履歴みてると、
なろう小説でよくある10代のうちに活躍しすぎ話がフィクションに見えない。
母校つながりで話せば、高橋是清の渡米経験は、中学生のとき?
その頃、俺は...俺は....
「本好きの下剋上」とか大好きだけど、話を読む傍で一年を1.5倍くらいにして
なんとなく脳内変換で5歳くらい勝手に歳を後ろにずらして
それでもしっくりこない早熟さに違和感を覚えることもあった。
それはやっぱり小学校、中学校、高校、大学と入学年と年齢とリンクした思春期、学習曲線を
無意識のうちに描いているからで、その枷を外せば個人差はもの凄いんだろう。
歴史が全てを語っている。
明治と今を比べれば、生きるために必要なこと以外にかけられる時間は今の方が遥かに大きいはずなのに
その時間の割り振りは、歴史上の偉人達ほど、自分のは徹底したものではない。
いつになっても焦燥感も反省も絶えることはないし、悔しさばかりが募る。
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