2017-08-21

人は死ぬ間際になると手のひらを見つめることが多くなると

 どこかで聞いたことがある。

 ここ数日、ふと気づくとそれとなく手のひらをみつめている自分がいる。その度にネガティブイメージを振り払い、何か楽しいことを考えようとするがうまくいかない。抱える問題は様々ではあるが、冷静に考えれば些末なものだという客観的かつ観察者的視点も持ち合わせている。持ち合わせてはいるが、うまく心をコントロールすることができない。コントロールする方法も、この三十年ほどの人生の中である程度は身に着けて来たつもりだったが、そもそもコントロールする気にもなれない。自分がこんなにも精神弱者だと思わなかった。死ぬつもりはないが、生きることにそれほど執着できない。

 寝て、起きて、食べたいものを食べ、会いたい人に会い、行きたいところに行く。経済的制限はあれど、ある程度自由に選ぶことのできる選択肢が目の前にあるのに、そのどれもが億劫に感じられて予定がなければ日がなスマホを触っている。頭ではこんなことをしている場合ではないとわかっていても身体がついてこない。言わずもがな心はどこかに置き忘れてきた。社会における自分を鑑みたときのとりとめのない不安感、言いようのない焦燥感孤独感、それから諦めの思考脳みその大半が支配されているらしい。とにかく金を稼がなければならないと思っても具体的な行動に出ることができない。どうにかスマホ副業のためのアルバイト検索なんかをしてもそこで集中が切れてしまう。

何をしていてもこの不安気持ちが付きまとい、目の前のことに集中できない、或いは熱中したフリをしている自分がいる。掃除洗濯家事・炊事にすら手をつけられず、シャワーを浴びることや、食事をするといった生活の根源を成すことですらハードルが高く感じられる。ましてや書類に目を通したり、友人に連絡を返すといった高度なことにはその一切に手をつけられないと来ている。最近玄関の鍵を閉めることや靴をそろえることにもその都度気合いを入れる必要があり、電気を消す気力もなく明るいままの部屋で眠っていることが多い。エアコンリモコン操作すら気力を消耗する。

 どうにか出勤はしているが、サボり癖がついているため、いか仕事をしているフリをするかに長けて来た。この文章も勤務中に書いている。二週間に一度くらいのペースで体調不良による遅刻を重ね、職場での信用もガタ落ちだ。悪循環にハマっていることは頭ではわかっている。頭では重々承知の上だが、心がついて来ない。個人的には、頭と心を繋いでいるのが身体だと思っているか身体を動かすようにしているのだが、以前ほど効果を発揮しなくなった。

 水は低いところに流れるというが、たどり着いた先はに沈殿したものたちの中から夢や希望を救いだすのは至難の技だ。そんなことをしている間に世の中は自分を置いて先に先に進んでいく。何のために生まれ何をして喜ぶのか。立て直す方法はわかっているようでわかっていないのかもしれない。単純だった個々の問題が複雑に絡まり合って、思考支配されているようだ。

 最近幽霊妖怪の類が在るとすれば、それに憑りつかれているというのはこういう感覚なのかもなとも思う。気力を取戻し、“憑き物の取れたような”状態に戻りたいものだ。

  • 俺が文章書いたんじゃないかと思える内容。 同じ境遇のやつがいてうれしい。最近一歩進めたので言葉を贈る。 「一つずつ進もう。健康になろう。」 電気付けたまま寝るとしっかり回...

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