はてなキーワード: 検察とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 88 | 13205 | 150.1 | 28.5 |
01 | 64 | 9288 | 145.1 | 42 |
02 | 71 | 7319 | 103.1 | 30 |
03 | 32 | 5764 | 180.1 | 61.5 |
04 | 14 | 1411 | 100.8 | 33 |
05 | 13 | 5633 | 433.3 | 20 |
06 | 21 | 2192 | 104.4 | 47 |
07 | 28 | 2978 | 106.4 | 72 |
08 | 88 | 8166 | 92.8 | 40.5 |
09 | 112 | 9933 | 88.7 | 41 |
10 | 180 | 11890 | 66.1 | 36.5 |
11 | 275 | 24698 | 89.8 | 49 |
12 | 225 | 18994 | 84.4 | 39 |
13 | 117 | 9911 | 84.7 | 34 |
14 | 120 | 13444 | 112.0 | 35 |
15 | 134 | 8806 | 65.7 | 36.5 |
16 | 84 | 11971 | 142.5 | 55 |
17 | 96 | 15239 | 158.7 | 56 |
18 | 114 | 8058 | 70.7 | 41 |
19 | 78 | 8303 | 106.4 | 49 |
20 | 85 | 7318 | 86.1 | 39 |
21 | 78 | 4864 | 62.4 | 29.5 |
22 | 98 | 12931 | 131.9 | 45.5 |
23 | 114 | 9651 | 84.7 | 41.5 |
1日 | 2329 | 231967 | 99.6 | 41 |
人(240), 自分(162), タトゥー(111), 今(94), 差別(93), 話(88), 増田(77), 人間(74), ー(69), 男(67), 日本(64), 刺青(63), 意味(60), 女(60), 普通(59), 感じ(59), 問題(58), 前(57), 好き(52), 必要(51), あと(47), 金(44), 仕事(44), 時間(44), 場合(44), 偏見(43), 相手(43), 理由(42), 社会(42), 関係(42), 子供(41), 手(40), 男性(40), 逆(40), 女性(39), 気持ち(38), 頭(37), 最近(37), 入れ墨(37), LGBT(37), 他(36), 気(36), 扱い(36), 今日(36), 理解(35), レベル(34), 名前(34), 目(33), じゃなくて(31), 他人(31), 一番(31), 結局(30), ようじょ(30), 一人(29), 最初(29), 絶対(29), しない(29), 勝手(28), 友達(27), 別(27), 否定(26), ダメ(26), 世界(26), 結婚(26), 存在(25), 攻撃(25), 主張(25), 違い(25), ファッション(25), ネット(25), 一緒(25), 確か(25), 弱者(24), ゲイ(24), イメージ(24), 結果(24), 可能性(23), 全部(23), 全員(23), 場所(23), 世の中(23), しよう(23), おっさん(23), 発生(23), 会社(23), 判断(22), 嘘(22), 体(22), では(22), 言葉(22), ゴミ(22), 誰か(21), 人たち(21), 友人(21), 人生(21), 嫌(21), いや(21), 健常者(21), ただ(21), 説明(21), ヤクザ(21), 事故(21), 無理(21)
タトゥー(111), 増田(77), 日本(64), LGBT(37), じゃなくて(31), ようじょ(30), 可能性(23), 健常者(21), 被害者(20), フェミ(15), ブクマ(14), わからん(14), 東京(14), 元増田(14), 女性専用車両(14), なのか(14), 差別主義(14), いない(13), 個人的(13), 加害者(13), 価値観(13), キモ(13), アレ(13), なんだろう(12), OK(12), 低能先生(11), 普通自動車(11), 多様性(11), アウトロー(10), スマホ(10), 障害者(10), ブコメ(10), 社会的(10), プレイ(9), 好きな人(9), 具体的(9), 基本的(9), hatena(9), キモい(9), s(8), 生活保護(8), 職業差別(8), SNS(8), DQN(8), ノンケ(8), レズ(8), 自分たち(8), セカンドレイプ(8), キチガイ(8), ツイッター(8), りゅうちぇる(7), 3時間(7), ソシャゲ(7), な!(7), アプリ(7), トラバ(7), 甲子園(7), アニメーター(7), ちゅ(7), ???(7), 何度(7), マイノリティ(7), プリクラ(6), 自己満足(6), かな(6), ここに(6), にも(6), …。(6), Amazon(6), お土産(6), CD(6), カス(6), ブクマカ(6), Twitter(6), キモイ(5), ふじ(5), ゾンビ(5), カミングアウト(5), いつまでも(5), マジで(5), ω(5), 障碍者(5), LINE(5), 説得力(5), 関係者(5), 7%(5), 普通に(5), A(5), 17歳(5), 欧米(5), 邦(5), 1000円(5), metoo(5), アナル(5), リアル(5), ゲーム内(5), 2000円(5), 高速道路(5), NHK(5), スガシカオ(5), なんの(5), あいつら(5), 1日(5), ブログ(5), コミケ(5), 記念日(5), 2回(5), キチ(5), 朝鮮人(5), 嘘吐き(5), 脳内(5), 利用者(5)
うんち (11), ペロペロペロペロペロペロ(2), アリバイでしかないんだからこだわって(2), 差別を撤回しろ。 (2)
■タトゥーは偏見されても仕方ない /20180823162846(40), ■どこを見ても「ストーリー」だらけでうんざりする /20180824022818(19), ■デートでお金が減らない /20180824192219(17), ■観光地のクソみたいなお土産 /20180823232145(15), ■どうして女性のシェフは少ないの? /20180824121303(11), ■はてなーにも分かる確率と割合~軽自動車は危険?~ /20180823142932(8), ■警察や検察に行ったり民事の裁判を起こしたりした話 /20180824144529(8), ■カップヌードルを超えるカップ麺が未だに存在しない /20180824145845(7), ■差別のラインがわからない /20180824111133(6), ■映画語り漫画で面白いものがまだ一作もない事実 /20180823115109(6), ■同居している友人の知り合い(フリーター)が2DKに居候することになった /20180824225715(6), ■3大過剰に叩かれすぎだろってもの /20180824200532(6), ■anond:20180823162846 /20180824172839(6), ■はてなの深刻なソース離れ、あるいは軽自動車の危険性 /20180823192412(6), ■電車に乗るのが柴リーマンなら良いのに /20180823192905(5), ■anond:20180824111916 /20180824112423(5), ■anond:20180824023514 /20180824090532(5), ■猫派より犬派の方が収入が高いという話 /20180824112054(4), ■anond:20180824104422 /20180824110236(4), ■anond:20180824064554 /20180824080809(4), ■正社員の正味平均時給 /20180824105052(4), ■タトゥーを偏見する人の顔に無理やりタトゥーを彫ったらどうなるの? /20180824124556(4), ■anond:20180824192219 /20180824195424(4), ■anond:20180823162846 /20180824112618(4), ■anond:20180824091847 /20180824092143(4), ■キャラクターを作ることの責任 /20180824085655(4), ■未成年とのセックスで「同意があったんじゃないの?」とかいう奴 /20180824083427(4), ■anond:20180824114525 /20180824114851(4), ■SideMのセカライ組で騒いだ人達がセカライ組の未来を捨てた /20180824132933(4), ■売買春は悪ではありません。 /20180823171724(4), ■anond:20180824114018 /20180824120610(4), ■図書館があるのに何故本は売れるのか? /20180824201732(4), ■女の子の一番大切なものって /20180824124413(4), ■普通の人になりたい /20180824001759(4), ■ /20180824102310(4)
警察に被害届を出そうとしたとき、私は北海道にいたので、北海道警苫小牧署に行った。
そこでは、事件が起こった場所で被害届を出すのがよいから、横浜に行く機会があったらそのときに警察に行くのがよいと言われた。
その旨を、現場の管轄である神奈川県警戸部署に相談してみると、やはりこちらに来る機会に来署してくださいとのことだったので、
戸部署で話をすると、それでは被害届を受けるので明後日また来てくださいとなった。
なので2日後にまた行くと、女性警察官から、被害届は受けられない、ただ話を聞きたいだけだと聞いている、被害届を出したら加害者が怒ってあなたに何かするかもしれない、同じ女性としてあなたを危険な目に遭う可能性にさらすことは出来ない、という話をされた。さらには、どうして時間が経ってから来るのだと言われた。(そのことについては事前に戸部署に相談しており、こうなっているのに。)
北海道に戻った私は、再び苫小牧署に行き、こういう被害届を出したいと言われたら苫小牧署ならどういう対応をしますか?ということを質問した。
そういった場合にはこういう捜査をするだろう、という説明を苫小牧署の警察官から受けた。
父から、警察に不満があれば監察に申し立てるとよいと聞いたので、
戸部署ではじめに対応してくれた警察官と2日後に会った女性警察官とでは話が違ったこと、
苫小牧署ではこういう相談があればどういう捜査をするという話をしているのに戸部署では被害届を受けつけてくれなかったこと、事件に遭った場所によって捜査に格差があってよいのか、
手紙が届いたであろう頃に、戸部署に電話をしてみると、電話を取った人からして、ああはいはい、と話をわかっている感じであった。
そして、私の事件を刑事課の(企業でいうと)部長クラスと思われる人が担当することとなった。
監察の力ってすごい!
ところで、私は、例えば「医師は全員女性なので安心」のような、女性の相談を受けるスタッフが女性なので安心だという世の中の謳い文句に安心を感じたことがない。
戸部署の女性警察官のように、「同じ女性として」という文句が「私も我慢しているのだからあんたも我慢しろ」という風に使われることがあるからだ。
たいていの事件には加害者の復讐の可能性というのは伴うのではないか。そうした場合、被害者は泣き寝入るしかないと警察はいうのか。
被害届を出すかどうかは私が決めることではないのか。同じ女性だからといってそれをさせてもらえないのであれば、私とあなたは別の人間であるということの尊重のうえで相手の状況を慮ってくれる男性警察官が担当となってくれた方がいい。
事件を捜査してもらえることとなって、2か月に1回くらいの頻度で戸部署に呼ばれた。
その頃には北海道から埼玉に引っ越していたのだが、平日の昼間に片道2時間近くかけて警察まで行かなくてはいけないのはなかなか大変であった。
その個室に入るときは、携帯電話をドアのポケットに入れなくてはならなかった。”いつもは悪い人を取り調べる部屋だから、外に連絡して打ち合わせることができないように”という説明を聞いた。
たいてい冷たいお茶を出してくれた。個室の壁のペンキはひび割れていた。警察の建物ってたいてい老朽化している。お金がないからあまり捜査をしたくないのかもしれない。でもだからといって私が人権侵害行為を受けたことを泣き寝入ることはしたくない。
車で被害の現場まで行き、ここですと指さしているポーズで写真を撮られることもあった。「おお、それっぽいことをしてる」と思った。
被害届は刑事が作成してくれるのだが、被害者の喋り口調で作るものになっているようだ。加害者と被害者にニックネームがあれば、その名前が使われる。例えば、「みちょぱ」と「らぶりん」がニックネームであればそれが被害届のなかで使われる。こういった種類の事件のテンプレートなのだろうか、「ときには優しいこともあって、そういうところが好きでした」なんていう文言も入る。つまり「みちょぱはらぶりんの、ときには優しいところが好きでした」という文面が出来上がる。それを刑事に読み上げられて、恥ずかしくってしかたがなかったのだが、こういうものなのかと思い「はい、それでいいです…」と言っておいた。
加害者の人権は守られている。例え立件されても、起訴されたとしても、特殊な権限のある人がそれを調べない限り、そうなったことは知られない。
そう考えると、道を歩いている人も、実は殺人犯なのかもしれない。あの男の人は親切に道を教えてくれたけれど、家では妻や恋人を殴っているのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。
現場に関するものが少しトラウマとなっていた。「横浜」の文字を見ると嫌な感じが湧き上がってきた。加害者がよく着ていたような白いTシャツを着た男の人を見ると、恐怖感が湧いてきた。
私が警察に被害を届けることを知人に話したら、その知人が加害者にそのことを告げるということが起こり、ショックを受けた。
加害者が「女性は1人の人間としてではコンテンツとしてみていて、必要がなくなったら他のコンテンツに乗り換える」と語っていたことがあり、その話をまた別の知人男性にすると、その知人男性も「男はみんなそうしたいと思っているところがある」と言って、そのことにショックを受けた。
ネットなんかで「女性はちょっとしたことでもすぐDVと騒ぐから」と書かれているのも見かけると、私の言っていることもそう思われるのだろうか、信じてもらえないのだろうか、と思った。
そんなことがあり、警察にも通っていたりで、精神的負荷がすごかったのだが、それで精神的に不安定になったら、”メンタルが不安定な人”ということで、私の言うことの信憑性が低くなるのではないか、と思い、周りに支えの無さを感じていた。
そんなときに、10年ぶりに会った後輩に、これまでにあったことを打ち明けると、
「僕はあなたの言うことを信じますよ。だってあなた、苦しんでいるじゃないですか。」と言ってくれて、こころが救われた。
私が警察に被害を届けようとしていることを知人が加害者に告げたことも、女性をコンテンツ扱いする発言も、「ひどい」と言ってくれた。ようやく、私がおかしいと思っていたことを「おかしい」と言ってくれる人が現れて、私はほんとうに救われた。
警察の捜査の進みはほんとうに緩慢で、1年くらいかかったと思う。
ようやっと書類送検ということになった。
警察で立件された時点で、前歴となり、その記録は警察や自治体に永久に残るらしい。
この時点で時効が迫っていたので、内容証明郵便を加害者宛てに送った。こうすることで時効が半年延びる。
その間に弁護士を探した。
親切にしてくれる弁護士もいたけれど、証拠が少ないということで引き受けてもらえなかったりした。
嫌な思いもした。被害に遭ったことについて私が馬鹿だと言う弁護士もいた。
私はDV被害者の当事者会に出たりして勉強したが、DV被害者というのはみんな自分が馬鹿だと思っているんです。そう思っているから、なかなか外に打ち明けられなかったするんです。それなのにそんなことを言う弁護士がいるなんて。
そもそも、人を疑って警戒しながら生きているのが賢くて、人を信じると馬鹿と言われる社会なんて。
実は、警察では証拠不十分で立件できなかった加害事実について(数種類の加害行為があり、証拠が揃っているものだけが立件された)、加害者が検察での供述の中で加害事実を認める発言をしていることを、私は検察官から聞いていたのだ。
裁判となれば、その供述調書の開示を求めることができるかもしれない、と弁護士は言った。開示されたら、それが重要な証拠となる。
そして裁判が始まった。
東京地方裁判所は大きなビルの中に部屋(法廷)がたくさんあって、廊下の壁は明るい色に塗られ、大きな病院や学校みたいだった。
地階に食堂があるので、ここは「裁判に勝つ」ということでカツ丼を食べようとしたのが、カツ丼はメニューに無かったのでざるそばを食べた。
裁判官は頭に黒い帽子をのせてポンチョのような黒い服を着ており、「あれは昔はシルクだったけど今は合成繊維になった」と弁護士が教えてくれた。
ハンカチくらいは持ち込んでもよいと聞いたので、すごく緊張したからハンドタオルをぎゅっと握りしめて法廷に立った。
述べる前には、ドラマとかであるように、嘘はつきませんってことを宣言しなくてはならなかった。その文言は、プリントされたものが前に置かれていたので、それを読んだ。
ここでも結局、私が馬鹿だということを匂わせることを言われる。
いくら、DV被害者には特殊な心理状態があるという研究があっても、DV被害者の当事者団体が訴えても、それはなんにもならない。
私は「はい」か「いいえ」しか答えられない。私を侮辱するようなことを言われても、反論しようとすると裁判官から制される。
この後しばらく、私は加害者側の弁護士の喋り口調がフラッシュバックすることがあり、精神的な危機を感じた。
弁護士の喋った内容ではなく、息遣いのようなもののフラッシュバックがあった。
これまで警察や検察に行ったり裁判を起こしたりして、かなり精神的に負荷を感じることがあったけれど、これが一番ひどかった。なるほどこれがセカンドレイプってやつかと思った。数週間したらおさまったのでよかったのだが。
私の弁護士が裁判の中で、検察庁に加害者の供述調書の開示を求めてくれたのだが、
和解ってやつになった。
警察に被害を届けたり裁判を起こすときに、どうして警察に行くの?どうして裁判をするの?と言う人たちがいた。どうしてそういう質問がなされるのか私にはわからなかった。
泥棒に入られたら警察に行くのと同じことだと思った。カバオくんを泣かせたバイキンマンは、アンパンマンにやっつけられる。幼稚なのかもしれないが、世界はそういうものだと思っているので、私には泣き寝入るという選択肢は無かった。けれど、泥棒に入られても警察に行かない人もいるのかもしれない。
「得られるものに対して自身へのダメージが大き過ぎる」と忠告してくれた人もいた。
(確かに、負荷は大きくて、円形脱毛症になりかなり派手にハゲをこさえた。裁判が終わって1年近く経つ現在もまだ完治していない。)
そう考えて泣き寝入る人たちはたくさんいるのだろう。けれど私はそんな例を増やしたくはなかったし、このままあったことを無かったことにされたくなかった。
暴力的に自分の意にそぐわない状況に置かれるという体験は、私の自己効力感とか自信を失わせるものであった。
むかしの私は将来に希望を持っていて活動的であったが、被害に遭った後は、何かをしようと思っても、自信がが持てずに力が入らないのだ。
警察に行ったり裁判をすることは、暴力的に意にそぐわない状況を受動させられたことを、自分で動くという能動に変えることであった。
だから私は、やれるだけのことをやってよかったと思っている。
他人に迷惑かけてたり少しでも不審な動きしたら即逮捕からの身柄確保でいいだろ
警官が逮捕身柄拘束出来るのが何か明確な根拠をとかやってるから有罪率高いに決まってんじゃん
警官なんてアホな奴らを実力行使で止めるだけの肉体労働なんだから頭使うことなんかやらすなよ
警官には職質して持ち物からなにからチェックできる権利、市民にはそれに答える義務と暴力が行われた時に訴える権利があればそれで万事うまくいく
なんでこんな簡単なこともやらないの?
お前らの大好きな欧米では当たり前だぞ
できる。
大事な人を殺した犯人がのうのうと生きる世界と天秤にかけたらしゃーない。
増田の言うことはわかる。
冤罪の場合に死刑は確かに取り返しのつかなさが段違いだと思う。
それでも死刑反対とまではならないのは、最近の死刑事件で冤罪の危険性を切迫して感じることがないから。
袴田事件みたいな捜査技術が未熟だった頃の事件や、痴漢や汚職等の死刑ほど重くない事件では冤罪も十分あり得ると思うけど、さすがに死刑となったら検察や裁判所も慎重に調べるんじゃない?
現にニュースで流れてくる死刑事件って、犯人が認めてるか、証拠が明らかなものが大半じゃない?
そういう奴らも含めて死刑を廃止しろと言われてもなかなか賛同はできない。
そりゃ犯人は洗脳されたかもしれないとか、証拠は捏造されたかもしれないとか可能性だけなら言えるけど、そんなの言い出したらキリがないじゃん。
なので冤罪の危険性をいくら言われても、無視できる程度の可能性だなーって感じ。
結局のところ人が人を裁く以上は完璧なんて無理。
松本智津夫らオウム真理教事件の確定死刑囚の死刑が執行された。
私は死刑制度自体に反対の立場ですが、なぜそう思っているのかについて簡単に書いておきたい。およそ日本の今の状況で、松本らの死刑執行のタイミングほど、死刑制度についての関心が高まることはないと考えるからです。
司法制度では疑わしきは罰せず、という原則があるのは、ほとんどの人が知っていることだと思います。しかし現実に裁判官がそのように行動しているかというと、そういうわけでもないようです。先日twitterである弁護士が、下級審(簡裁だったかな)の判決書きで、若干の疑いがあるからちょっと罪を軽くしとくね、というような文面を書いてしまったため、控訴審でそれが棄却された、というものが流れてきました。これは判決書きに書いてしまったおバカな事例ですが、上級審であっても同じような運用がされていないわけではないようです。元裁判官で、刑法学者の植松正は「無期懲役は誤判の吹き溜まりである」と言いました。事実認定に若干の疑いがあるが、情状は極めて悪く、真に犯人であるのならば、死刑にするしかないというような場合、無期懲役にすることが多い、というのです。これは裁判の原則に反しています。実際には、情状に関わらず、事実認定に合理的な疑いが残るのであれば、無罪とせねばなりません。なぜそれができないのでしょうか。裁判官も人間ですから、世論はまちがいなく気にしています。世間を騒がせた大きな犯罪である場合、裁判官のうち一人に合理的な疑いが残っていたとしても、合議の中で、簡単に無罪判決を出せるものではないでしょう。つまり裏を返せば、合理的な疑いが残っていたとしても、死刑をいう選択をされてしまう可能性は0ではないということです。死刑という刑罰が存在する以上、確実に、100%、全くの疑いの余地なく、死刑に値する、と考えられない場合にも死刑を選択してしまう例が存在するということです。
死刑に値する犯罪を、まさか自分が行うはずはない、とほとんどの人は思っていると思います。ゆえに、とんでもない罪を犯した人間は、死刑でも仕方ないし、死刑が速やかに実行されるべきだ、という考えを持っている人が多いのではないでしょうか。被疑者や被告人の人権よりも、被害者の応報感情の充足が優先されるべきだ、と考える人も多いでしょう。しかし100人の死刑囚の中には、1人の無辜の人間がいるとしたらどうでしょうか。その人を国家権力が殺す、という不正義をあなたは許容できるでしょうか。99人の”真実の犯罪者”の被害者の応報感情や社会の要請としての死刑制度は、そのリスクを甘受するべきだと考えるでしょうか。
では自分が痴漢として裁判にかけられるかもしれない、と思う人はどれほどいるでしょうか。自分が痴漢をやっていないことは天地神明に誓えるけれども、なんの証拠もない。被害者は、あなたに痴漢されたと言っている。裁判所はあなたの訴えを合理的な疑いが残るとして認めてくれるでしょうか。捜査機関は、被害者の主張を、合理的な疑いが残らないように、矛盾をなくした形で、調書を作成するプロです。また裁判所は一応独立の機関であるとされていますが、かつては判検交流と呼ばれる制度もあり、基本的に裁判官は検察官と親和性の高い人たちですし、基本的に検察の提示証拠を信用して事実認定をすることが多い組織です。あなたの主張は認められず、あなたは有罪判決を受けるかもしれない。あなたはそのリスクを甘受するでしょうか。疑いがかけられた以上は、痴漢という、卑劣な犯罪行為に対して、その犯行を認めようとしない犯人であるあなたには、何の反省も見られない、と言われるかもしれません。
裁判は人間が行うものである以上、無謬ではありえません。痴漢冤罪の場合、たとえ有罪であっても、人権上の制約は小さいと言えますし(むしろ冤罪であったとしても認めてしまった方が人権は制約をされないという残念な状況にある)、もし防犯カメラなどから無罪が証明できた場合、名誉は回復され、損害賠償を請求できる場合もある。しかし死刑の場合においては、それは究極の人権制約なのです。
団藤重光は以下のように論じています。
例えば懲役刑などにしても、長いこと刑務所に入って、後で無実だということがわかって出されても、失われた時間、失われた青春は再び戻ってこないという意味では、これも確かに取り返しのつかないものです。しかし、そういう利益はいくら重要な、しかも人格的、その意味で主体的な利益であろうとも、人間が自分の持ち物として持っている利益ですが、生命はすべての利益の帰属する主体の存在そのものです。もちろんこのことと、前述の人間の尊厳が人命の上位にあるということとを混同してはなりません。死刑はすべての利益の帰属主体そのものの存在を滅却するものですから、同じ取り返しがつかないと言っても、本質的に全く違うのであります。
痴漢冤罪による被害を最小化するために、真犯人を含む、すべての被疑者・被告人の人権を守りましょう、被疑者の実名報道はやめましょう、無意味な身体拘束をやめましょう、という主張に対して賛成できる人は、死刑存置を考える人よりも多いのではないかと思いますがいかがでしょうか。
本質的には、これは死刑冤罪による被害をなくすために、真犯人を含む、すべての被疑者・被告人に対する、究極の人権侵害である、死刑を廃止しましょう、という主張は私には同じものに思えるのです。しかし死刑を廃止するべきだ、という人はずっとずっと少ないのです。
痴漢で捕まった人が、周囲に実は自分は自白させられただけで、無罪なんだ、と主張することはよくあると思いますが、特に妻子持ちの人に多いのですが、私の経験上、やってないと強く主張していた人であっても、ここで認めても家族に知らされることはない、ということを教えると、スルッと実はやったんだ、という人が結構います。ですから、冤罪を主張する人たちの中に、罪を逃れるためにそう主張している人が多くいることも事実でしょう。しかし実際に痴漢冤罪によって人生が狂ってしまった、という人は確実に存在します。死刑においても同様のことが起きていないとは、誰にも言えないのではないでしょうか。
しかし多くの人は、死刑に値するような重大な犯罪で、自分が冤罪の当事者になることなど想像もしないでしょう。それに比べれば、自分たちの周りの大切な人たちが傷つけられたということへの怒りはとても身近で、応報感情に流されてしまいがちです。これは非難されるようなことでありません。前述の団藤は、父ブッシュとデュカキスとの討論で、妻を強姦され、殺害されても、死刑に反対するのか、という質問に、淡々と「それでも死刑には反対だ」と主張したデュカキスに対し、世論は非常に強く反発したと書いています。これがデュカキスの敗因ではないと思いますが、死刑廃止を訴える人に対し、「お前の家族を殺されても、死刑に反対だと言えるのか」という主張はよく向けられます。殺害される、などという、およそ通常経験しないことを経験した人たちが、犯人を自ら殺してやりたい、あるいは国家によって同じような目に合わせて欲しい、という感情は自然なものであると思います。しかし、当事者でない我々が、そう思うのは当然だ、とその応報感情を正当化をする必要は必ずしもないとも思うし、死刑廃止論者であった人が、実際にそのような目にあったときに考えを変えたとしても、それはごく自然な話であると思うのです。その感情を否定はできませんが、団藤が述べているように法の論理は、もう一段上の次元で考えるべきはないかと思うのです。
私は貝になりたい、の主人公の床屋は無実ではありませんが、死刑に値する罪を犯しているか、と考えるとそうではないと思います。あの絶望を持って、死刑にされる人間がいる、という不正義を許容できるかどうか、結局はその価値判断なのだと私は思います。
私はその価値判断において、死刑を廃止して欲しいと考えていますが、それゆえに、死刑の存置を訴える人の価値判断も尊重したいと考えています。しかしその上で問いたいのです。あなたは、たとえわずかな確率であっても、あなたやあなたの大切な人が、冤罪で死刑になってしまうことを許容できますか、と。