はてなキーワード: 植物人間とは
線引きはどこに引いてる?
俺は「どんなに教育を受けても絶対に人間の言語によって双方向にコミュニケーションを取ることが出来ない」を線引にして人権を持たない存在として扱っていいってルールにしてるんだけど、これだと植物人間は実はアウトになっちゃうんだよな。
だから「ただし、生物学的に両親が人間がである場合、その子孫は人権を持つものとする」ってことにしてる。
そして俺は「全ての人類が十二分に基本的人権を保証される社会になったと言えるまでは、人間以外の生物については一切の権利・権限を認めないことを良しとする」って考えで動いてる。
人類が真に基本的人権を尊重できるだけの社会成熟度にたどり着くまでの期間限定で人間中心主義を許容してるって感じかな。
そもそもこれは「人権というものは過酷な自然環境を技術革新によって克服した生物種に対して、天より授けられるものである」っていう技術革新母体型天賦人権説っていう発想に基づいてるんやが。
逆を言えば「自ら技術革新を起こし自然界の弱肉強食の摂理に立ち向かうことをせず自然に生まれたままに生きてきた生物種は、天より権利を授けられるに値するものとして、これを認めない」ってことなんだけど。
でもいま人類がやっていることこれからやろうとしていることに対して一貫性を持たせようとするこういった思想を持たざるを得ないんだよね。
生活保護で消費するだけでも消費者という立場なので価値があるのではないだろうか
そのへんの考え方が左翼的、共産主義的すぎると「君たちはどう生きるか?」のような論旨になってしまう
もちろん、豆腐を消費する人間だけが世界に存在し、誰も豆腐を生産しないのは問題だ
しかし、逆に豆腐を生産する人間だけが存在し、豆腐を消費する人間が存在しない世界があったら、
大量生産大量消費が資源の枯渇をもたらす云々で宜しくないのは正しくはあるが、
人間の営み、資本主義の長所を伸ばすのは大量生産大量消費である
ジャンジャン畑を耕して、ジャンジャン大地の恵みを飲み食いするのが人の営みとしては正しいはずである
よって、寝たきりの植物人間であれ、重度の障害者であれ、消費はしているわけであるのだから、
要はいかなる状況であっても、その状況の制限内で人生を楽しむべきである
しかし、生きてるうちでしか、この現世という地獄で楽しむ手段はないのである
というわけで、冷蔵庫がほとんど空ではあるが、冷凍餃子だけが余っていたので、
それを食して寝ているだけの無職の自分もまた生きる価値があるのである
私が冷凍餃子を消費すればニチレイや王将の社員やバイトに給与が支払われるのである
増田の母親みたいな、とてもしっかりしてそうな人でもボケうるんだな。
割とのんびり構えてるようだけど、もうちょっと情報収集に力入れた方がいいよ。
自分語りっぽくて申し訳ないけど、俺のところは15年前に父方の祖母と10年前に母方の祖父がボケた。
ボケたといっても、ひどい認知症ってわけじゃないし、暴れたりもしなかった。
二人とも今は亡くなったけど認知症でも軽い方だったと思う。
父方の祖母は老人ホーム、母方の祖父は同居という選択をしたけど、
最終的には母方の祖父の方が良かったと思ってる。
老人ホームに入れた父方の祖母は、介護度が上がるにつれて、老人ホームを転々として、
最終的には植物人間状態のまま数年生きてたというか無理やり生かされてた。
だから、70になる自分の母親がボケてきてると感じた数年前、俺は即効で同居決めたよ。幸い、俺は結婚とかしていなかったしね。
寝起きみたい、というより、ぬめっとした表情は認知症と分かる前の祖父母のソレに似てた。
フィットネスジムに通わせたり、食事指導したり、ネットフリックスで好きなもの見せたり、
積極的に会話したり試行錯誤してるうちに、日常にハリが出たのか何とか持ち直したよ。
俺も自分が無自覚に感染して、親にうつしてしまうリスクは怖いけど、だからこそ、感染対策は気を付けてる。
お下劣アニメの「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」をひさしぶりに視聴したくなり、某アニメ配信サイトを契約した。
そしたら昔見たロボットアニメがいろいろあって、なつかしくなってラーゼフォンを観たあとにゼーガペインを見つけたので十何年ぶりに全部通して観た。
当時から自分はカミナギリョーコまわりのストーリー展開がとにかく気持ち悪いと感じていて、当時は自分でもなぜこんなに嫌悪感を感じるのかわからなかったのだが、最近のフェミニズム関係の感覚と照らし合わせるとなんか腑に落ちたので吐き出しておく。
ネタバレありです。なしで語るのは結構むずかしいアニメだと思うので。
誤解がないようにまず言っておくが、カミナギリョーコ(守凪了子)はものすごく可愛い。
ショートヘアで快活、物腰柔らかく、映像研究部に所属している映像作家、少し不思議ちゃんで、なにより「幼なじみ」である。
花澤香菜さんの「良い棒」と言われる初々しい演技もアクセントになっており、人気投票でもトップであったようである。
そして”だからこそ”、中盤からのストーリー展開に嫌悪感を抱かざるを得なかったのだ。
ゼーガペインの世界は「コンピュータの中に人間の意識が閉じ込められている」という、今となってはよくあるSF設定だ。
そしてなぜかストーリー中盤(具体的には13話のラスト)以降、カミナギリョーコを痛めつけるためにマトリックス設定をフル活用し始める。
とにかく手を変え品を変え、1話ごとに少しずつ状況を変化させて継続的にイジメる。
この舞台設定で起こりうる障害をうまく使ってストーリーを回していると言えなくもない。
だが、だとしたらなぜカミナギリョーコ1人だけがその責を負わなければならないのだろうか。
蓄積したウェットダメージにより消滅したアークというキャラもいるが、彼女は物語開始時からそういう設定であり、カミナギとは少し状況が違う。
主人公ですらただ「思い出して」いるだけであり、舞浜サーバーのリセットに直面しての絶望は予定調和感すらある。生徒会長の寿命も同様。
ストーリーが進展することによる状況の変化が悪い方向に積み重なっていくのが、物語全体を見通してもカミナギだけなのである。
(アンチゼーガの出現による被害を受けたのも、ほぼほぼカミナギだけではないだろうか)
セレブラントとして覚醒する12話以降、しばらくは完全にカミナギを中心に話がまわっていく。
いや正確には、カミナギが脳裏にチラついて、他のキャラの話が頭に入ってこなくなる。
その主な原因をメタ的に探ると、単体でもヒロイン属性として成立しうる設定を一話ごとに切り替えていることが大きいのではないだろうか。
冒頭で上げたヒロイン特性は言うに及ばず、ゼーガの中でしか会えないというのは完全に「織姫と彦星」だし、感情欠落は綾波レイ。
「さあ、カミナギかわいいだろう? かわいそうだろう? 萌えろ!! オナペットにしろ!!」
と強要されているような胸焼けを感じる。
マトリックス系SF設定から浮かぶヒロイン属性としては理解できるし、中華娘や副館長にそれを盛ってしまうと話がとっちらかってしまうので、ある程度仕方ないところがあるとはいえ、限度があるだろう。
一番理解できないのは随所に挿入される軽度な性的描写...はっきり言うとエロである。
スーツ着用時の執拗な下半身まわりのカメラワークが特にそうだ。
主人公が「なんかエロいな」とかセクハラ言っちゃうし、それに対してまんざらでもなさそうなのがまた違和感。
特に感じたのが、敵にボディブロー打ち込んだときに頬紅潮させて「もっと深くっ!」とか、あのシーンおかしいですよね?
そういうのじゃねえだろうがよーーー!!! カミナギわーーー!!!
それはつまるところ視聴者のためだ。
つまり視聴者が楽しむためにカミナギは消失し、織姫になり、綾波になった。
自分が達した結論は、「これはカミナギを性的消費するためのポルノなのではないだろうか?」だった。
キャラクターを徹底的にイジメることで感情移入させ、時には明確にエロをもって楽しませるポルノだ。
物語最後にカミナギが妊娠するのは本来なら人類の未来を感じさせる感動的な描写だが、別な意味にも見えてしまう。
初回視聴時の自分は、無意識のうちにそれを感じて嫌悪感を持ったのだろう。
さんざんこき下ろしているように感じるかもしれませんが、ゼーガペイン自体はすごくおもしろいSFロボットアクションアニメだと思っています。