はてなキーワード: 恩恵とは
昭和や平成初期よりも政府予算(=規模)は一貫して大きくなってて、政府の仕組みは自由主義から社会主義側に傾いてるのよね
再配分が老人に偏重してるが、恩恵の無い現役世代は何故か新自由主義批判に走っちゃって、
でも現実世界は社会主義化の真っ最中ゆえ、より社会主義が強化されるという具合
自動車は必ず車検証(自動車検査証)を紙で交付される。それが数年後に電子化されるらしい。
といっても車にICタグをつけるとかではなく、A6の台紙にチップが埋め込まれるんだとか。
まあ車の情報ってナンバーや重量を見る必要あって、ある程度の大きさの紙でないと駄目なんだろうけどさ
実は車の登録とかは電子化されているので、半数以上の都道府県では車の登録とか継続車検がオンラインでできたりする。けれど実際に交付される車検証が紙なために、いちいち業者が運輸局や事務所にいって貰わないといけなかった。そこから持ち主に送付するってわけなので手間がかかっていたわけ。じゃー電子化してしまえばいいじゃんってことなんだと。ついでに単なる紙ではできなかったことをやろうって話。
期待半分、マイナンバーの二の舞にならないか心配が半分。そもそも現状のOSS(ワンストップサービス)自体の普及も中途半端だから心配が勝っている。継続車検は恩恵を受けているようだが
ワクチン1回目を打ってきた。
とにかく腕が痛い。頭も痛い。
今まで「うん、ワクチン打たない人にも、打たない自由があるよね」とか言ってた。
(なんか一応そういうこと言っておかないと、心が狭いと思われそうで。)
なんで、ワクチン打たない人たちは「恩恵だけ」受け取れるんだ?
いや、ワクチン「打てない人」がいるのは知っている。あなたのことではない。
ロラパルーザ、約40万人が集まったフェスでコロナ感染者は203人だった
https://front-row.jp/_ct/17475012
全米のワクチン2回接種率は50%、デルタ株の感染に対する有効性は78%、総体としての免疫は 50% * 78% = 39% (感染しやすさは61%)
フェスの参加者は90%(以上)が接種済みなので 総体としての免疫は 90% * 78% = 70% (感染しやすさは30%)
フェス後14日の間に 全米で337万人/3.282億人 = 1.0% が感染
フェスの参加者は、ワクチン90%の恩恵を受けていることを考慮しても 40万人 * 1.0% * (30%/61%) = 2000人が感染してもおかしくないのに、実際は203人だった
というわけで、めちゃくちゃに大雑把な計算だけど、フェスの参加者は全米平均よりずいぶん感染率が低かったように見える。
この計算のあやういところは
ほかにもあるかも。
自分の名字に愛着があって、名字を変えるのが嫌なのも理由の一つで結婚できないまま出産年齢をすぎた自分としては
今後夫婦別姓を認めるなら新しく結婚するカップルに限定して欲しいと思う。
夫婦別姓が認められないから諦めて夫の名字に変えた女は、自分の名字に対して所詮その程度の思い入れしかなかったって事でしょ。
そういう人達がストライキなどをする事もなく易々と夫の名字に変えてしまった事も今の今まで夫婦別姓が認められなかった理由の一つだろうに
その人達が後から制度の恩恵にただ乗りして元の名字に戻すのって正直いってむかつく。
でも多分実際に夫婦別姓が認められたら、既に変えた人の改姓も無条件で認められるようになるだろうね。
「男社会の男にとって“女と結婚する”ということは、“その女と結婚の契約をする”というより、
“今まで自分は〈女を所有していなかった男〉でしたが、この度〈女を所有する男〉になりました”と男社会に登録し直し、他の男との契約を結び直すことである」
とか言われていたけれど、いやそれって男女逆でも同じ事だよね?
「女が『男と結婚する』」という事だって、「その男と結婚の契約をする」というよりは、
「今まで自分は〈男を所有していなかった女〉でしたが、この度〈男を所有する女〉になりました”と、社会に登録し直す事だよ。
大抵の場合女は結婚すれば、相手の男の収入や社会的地位からの経済的社会的に様々な恩恵を得る事ができる。
『ファーストレディ』とかがその典型だし、そこまで行かなくともそこそこの会社の正社員の夫がいる妻は、本人は無職や非正規パートタイマーであっても一定の社会的評価を得られる。
そういう社会を形作っているのは何も男だけじゃない、女だってそう。現実でもネットでも、夫の収入でマウント取り合い比べ合いをしてるじゃないか。
女性差別について語る時、如何に女は結婚すると不幸になるかばかりを語る人ばかりで
「女は結婚しないよりもした方が絶対に得である」という事を無視して語る人ばっかりでうんざりだ。
今話題になっているアフガニスタンだって、結婚を強いられる少女達は不幸ではあるけれど、かといって結婚しなければ自由に楽しく生きられるかっていうとそんな訳はないんだよ。
結婚しない女なんてそれこそ恒常的にレイプの被害に遭うんだろうから。
太平洋戦争中のソ連兵に対する「性接待」だって、既婚女性は免除されて独身女性が標的にされた訳だから。
女は生きているだけで常に不特定多数の男から標的にされるが、特定の男と結婚する事によりそこから逃れられる…って側面を無視しちゃいけないと思うんだよな。
だから男社会における一番の弱者は結婚しない・できない女性。なのにフェミニストも殆どはそこは無視して結婚は如何に女にとって不幸か、結婚した女性はかわいそうかを語るばかりなので違和感がある。
学生のころアフガニスタン専門の日本人研究者やジャーナリスト、現地人の人権活動家や留学生の講演会に何度か行った。
「タリバンというのはイスラム原理主義で、支配地域で異教徒や言論の自由を認めずに公開処刑するわ女性の教育を禁止してブルカを強制するわのろくでなし連中であります」
という説明を、昔の美しい街並みや綺麗な花畑やタリバン支配後の同じ場所の廃墟のスライドと一緒に聞かされて(実は街が破壊されたのはソ連侵攻で、花畑が荒れ地になったのは大旱魃のせいと後で知ったが)、
「へぇ、酷い連中がアフガニスタンを支配してたんだな。アメリカの援助で民主的で平和な国になるといいな」と初心な自分は素直に思ったのだった。
だけど、ちょっと深くあの国の歴史を勉強するとそんな単純な善悪の図式じゃないことにはすぐ気づいた。
タリバンが出てくる前から、王党派やソ連の援助を受けた共産勢力や軍閥が内戦を繰り返していて、それぞれのグループの内輪でもさらに小さな部族単位での小競り合いが絶えないカオスがアフガニスタンだった。
そんな中でイスラム主義による世直しを掲げた学生や知識層の運動としてタリバンは生まれた。
自己利益しか考えない腐敗した各軍閥に比べて、イスラム法に基づくある程度は公平でクリーンな統治を行うタリバンは草の根の支持も集めてアフガニスタンの支配勢力になった。
アメリカはタリバン政権を打倒して形式としては民主的な選挙で選ばれた政府を建てたが、中身は昔の腐敗した軍閥のままで、地域ごと、官庁のセクションごとに部族が利益誘導をする、全くバラバラの政府だった。
侵攻から20年かけても日本の明治維新のような国民国家の建設ができなかった。
「タリバンのような暴力的な組織に対して同じように暴力的に反撃するなどできません」
この他人事感!
そこは現実には無力だとしても「私は女性ですが武器を取って最後まで祖国を守ります!」と言うべきだろうと。
こんなことになる前に彼女は、「女子供の人権が守られる世俗国家を防衛するために戦って! 私たちを守って!」と夫や兄弟や息子たちの尻を全力で叩くべきだった。
世俗国家の恩恵を一番受けるであろう都市部の知識階級の女性という立場ですら国民意識が無い。政府軍の兵士がすぐに逃げ出し、司令官があっさり降伏して無血開城したのも当然というもの。
動画の女性のこの後の運命が、西側への協力者としての処刑か、戦利品としてタリバン兵士の第二婦人として分配されるのか、かなり幸運なケースとしてブルカを被り家族の男たちに庇護されて静かに暮らすのかは分からない。
なんにせよ、もうすぐタリバンが正統な政府となるのだから、アフガン人は民主主義と世俗主義よりも、イスラム法と部族の慣習への回帰を願って戦って勝利し、彼らの国を取り戻したということだ。
笑うしかない。
メンタリストと名乗る男性が、ホームレスや生活保護受給者に対して発言した内容で炎上しているのを目にした。
その男性やその発言に憎悪を抱く人が多く、Twitterでも多くの人が非難しており、さらに厚生労働省が「生活保護の申請は国民の権利です」と書き込みもしていた。
私は生活保護受給者ではない。だが、母が世の中の目を気にしながらでも生活保護を受給してくれたことによって、母だけでなく、私も助けられたと思う。
世論の思いも分かるが、生活保護を受給したことで本人だけでなく、扶養者も助けられるということも、どこかの誰かに知っておいて欲しい。
先週、64歳で母が亡くなった。ステージⅣの乳がんと3年9か月向き合ったが、この状態の乳がん患者における5年の生存率、33%の中には入れなかった。
母の乳がんが発見されたとき、すでに手の施しようがない状態だった。意識がある時の母は何度も、何度も、治療費がないことについて私に謝った。
母は何年も前に離婚し、家を出ていったが、性格は気難しい、親戚、友達づきあいもない、実の親は精神病を持つ高齢の祖母一人、頼る人は子の私一人という人だった。
母は職業が定まらない人だったが、あるときハローワークの職業訓練にお世話になり、介護福祉士の資格を取らせてもらってからは、職場を変えつつも何とか介護の現場で頑張っていた。
乳がんが発覚する前日、母から「やっと新しい職場が見つかった。これから頑張るね。」と言っていたが、様子がおかしかった。
私はその様子のおかしさから病院に行ってくれとお願いしたが、母は「新しい職場で保険証もらったらね。」と言っていた。
今となっては、なぜ私は自分の扶養に入れなかったのか、扶養に入れられなくても、お金を渡して保険証を作れるようにしなかったのか、自分を責める。
当時の私は無知で、無力だったのだ。
月々20万の給料は、納税、奨学金の返済、同居する父に渡す生活費、勉強費、交際費、通勤費などの雑費、自分の身になにかあったときのための貯金。そして毎月母に少し貸す。
そんな中で、母の生活までしっかり見る余裕がなかった。
母は、胸から謎の汁が出てきている、胸に大きな穴が開いているのはただ事ではない、全身が痛い、手がしびれるなど様々な異常を感じてはいたが、治療費も入院費も出せない。
職場に採用されるためには、この異常を隠し通すしかないと思い、薬局で買った包帯や軟膏を塗って、給料と保険証を手にするのを待っていた。
しかし、どれも手にすることが出来ないまま母は入院することになった。
病院に運び込まれたとき、すでに母の意識はなかった。そんな状態でいろいろな検査が始まった。
保険証のない母に施される医療費は簡単に3桁に上った。そんな高額な金額は母にも、私にも払えない。年金暮らしで透析が欠かせない父にも頼めない。
色々あって最初は、私が80万ほど払ったが、母の家賃、入院費、手術費、私一人ではまかないきれなかった。副業もできない。借金をすべきか本当に悩んだ。
そんな折に、病院のソーシャルワーカーから生活保護の提案があった。私は迷わずお願いをしに行った。
すんなり認められたわけではなかったが、手続きのために何度も市役所を訪れ、色々あったが、ソーシャルワーカーの方にも協力して貰い、なんとか受給できた。
途中からは在宅医療に切り替え、月1の受診を続けていたが、最後の方は病院でお世話になった。
母は「元気になったら働きたい、生活保護を止めたい。」と、いつも言っていたが、死ぬその日まで生活保護を脱することはできなかった。
ニュースで流れてくる不正受給、それに対して誤った知識や無知からくる受給者に対する攻撃的なコメント、今回の某メンタリストのような考えを持つ人々に、母はいつも怯えていた。
一度、母が自宅に戻った時、私の車が停まっているのを見た大家から「生活保護なのに車を持ってていいのか」とお叱りがきたことや、
市の職員が巡回に来るたびに「元気そうなのに、仕事はしないのか」「なんで倒れるときに貯金なかったのか」と言われ続けたことなど、
周りの人の言葉や態度が母の心に強く残り、3年9か月いつ死ぬか分からない恐怖に加えて、生活保護受給者としての負い目も感じ続けていた。
そのたびに私は「大丈夫、これは国民の権利だから」「私がお金を出せなくてごめん」と言い続けた。
ひょっとしたら、生活保護受給者は負い目を感じて当然、細々と生きよ、という人もいるかもしれない。私はそれに対して、否定することも肯定することもできない。
ただ、生活保護のおかげで、私の母は3年9か月生きれたと思う。そして私も生きることができたと思う。
厚かましくも、最後の火葬費用を、葬祭扶助でお願いしようかと思ったが、それはできず、結果自腹を切ったが、それまでのところで、生活保護の恩恵をたくさん受けたから仕方ない。
火葬のみの25万を私が支払えたのは、母が生活保護を受給させてもらえたからだと思う。
墓を建てるほどの貯金はできておらず、また、母が借りていたアパートの退去費も自腹を切らねばならないが、
それでも生活保護のおかげで、今私は父の面倒を見ることができ、なんとか一人の人間として今生きることができている。
不正受給の人もいるかもしれない、収めた税金が自分以外に使われることに腹が立つ人もいると思うが、
生活保護を受給することでその扶養義務が発生する人も助けられていることを分かってほしい。私みたいな人がいることも、どこかの誰かに知っておいて欲しい。
不潔なもの、くさいものを好きだという人はあまりいないはずで、自分もそこに異論はない
ホームレスを助ける施設を作るな、という市民運動やデモ活動、プロ市民がいてもおかしくない
問題があるのは、まず影響力がある人が子供みたいな二元論でそれを語ること
ネコを殺してホームレスを生かそう、も問題がある主張のように思う
大人になるにつれて分かってくるのは、この世界は単純な二元論では割り切れないということ
人と人が憎しみ争い合うとき、それは正義と正義がぶつかっているということである
そういえば、昔小林よしのりが、正義と正義がごっつんこなんておかしい、
と漫画の1コマで描いていた覚えがあるが、自分はおかしいとは思わない
人と人は永遠に分かり合えない
食い違う利益、不利益によって人と人は争い続ける、それはおかしな話ではない
なるほど、そういう考えからいけば、
DaiGoの利益はホームレスを殺しネコを生かすことなんだろう
ただ、ここで少なくとも自分はそうは思わない
自分はネコに対して思い入れはない、寧ろあまり好きでないと思ってもいる
外見の可愛らしさとは裏腹に、ネコに対する恨みつらみではないが不満がないわけではない
そもそも、野良猫は狂犬病やダニを介した感染症を保持している可能性が高い
野良猫に引っ掻かれる、噛まれると冗談抜きで人は死ぬことさえある
野良猫は全然気楽でも自由でもない、苦痛な毎日を強いられている
ホームレスは自由気ままでいいよな、みたいに言う傾向がある気がする
そんなはずはないだろう
もちろん、そういう人がまったくいないとは言わないが、
ほとんどの野良猫もホームレスも、毎日が過酷な生存と死の隣合わせの生活のはずである
ネコを優先しろ、いやホームレスを優先しろ、色々な考えの人がいるだろう
自分はネコとホームレス、というか、ネコと人間、どちらの生命を優先するかと問われたら、
これは単純にエゴイズムの話でもある
いつか自分がその天秤に乗っけられる可能性があり、それを恐れるからである
世の中には色々な人がいるが、自分は好き好んで敵を作ったり、他人に恨まれたいとは思わない
ネコと人間、どちらを敵にするか選べ、というなら自分はネコを選ぶ
そんな妄言を唱えていたが、彼こそ人間よりイルカを愛する人であった
しかし、現在のイルカやクジラに対する科学的判断は当然ながら違っていて、
人間のような文明を築けるわけもなく、道具を作れるわけでもない
もちろん、自然の恩恵を受けて人間は生きている、農業が最たるものであろう
しかし、ホームレスよりネコを優先するという考えは、どこか自然優先主義を行き過ぎた、
エコとかロハスとか言いながら、反ワクチンを唱えながら、なんだかんだ電気を使っているような、
そんな薄っぺらい環境保護団体の人達とも似ているようにさえ思う
ホームレスという括りでなく、ひとりの人間としての括りで考えた場合、
そうすることが自分の利益にもなり、社会を維持するためにも必要だからだ
ネコが滅びて人類が生き残るか、それともその逆か、と問われるなら、
補足として、ホームレスで臭すぎる人がいるのは確かであり、街中で見かけることもあると思うが、
原因は様々あるだろうが、精神的な疾患が関わるケースが多いように思っている
そもそも知的障害があるとか、根本的な理由は単に不潔な人という話ではない
もしくは、近所のゴミ出し警察によってゴミを出しにくい、なんてこともよくある話である
社会を統治する立場からしても、生類憐れみの礼を出したバカ殿様であるまいし、
人間より犬猫の生命を優先するなどという話はあってはならないと自分は考える
シンエヴァの第三村にもネコはいたが、人間より優先されているわけではない
かといって、殺人鬼が人の前にネコやイヌを虐殺するようなことを許していい訳もない
人と人は分かり合えないのだから、そういう人の気持ちが自分には完全には分からない
寧ろ、その安直なトロッコ問題の後側に鬱屈したコンプレックスや不安を感じ取れる気はするが、
それを他人への攻撃に変換している時点で、他人は遠ざかっていくのではないだろうか
自分の抱えている不安があり、それについて他人や社会システムに救いを求めるべきなのに、
それを他人への攻撃に変換してしまう人というのは確かに存在する
もしくは他人に助けを求めたって裏切られるだけだ、だって今の社会はそういうもんだろ、
という厭世感がそうさせているのかもしれない
そういう空気が醸成される社会不安があるのも理解できる、今問題のコロナもそうだと思う
そうやって行った果てにあるのはデビルマンの最終回のような世界である
しかし、それで本当にいいのだろうか
働かないで「今の自分と同じような水準の生活」をしているならムカつくかも知れないけど、実際には
「働かないけど生活保護水準のお金と色々な制約の中での生活」と「働いてもっと高い生活水準」
のどちらかであれば圧倒的に後者の方がいいから、後者を選べていることに満足だし、
なんだけど、ムカついていい権利があるのは年収がおおむね800~900万円以上ある人だけなんだよね。
それ以下の人たちは取られる税金よりも受けてる恩恵のほうが大きいので。
社会保険料についても、健康に気を遣って生活してる人からすれば、自堕落な生活してタバコ・酒を飲みまくって病気になってるヤツ見るとムカつくのは当然でしょう。不公平だもの。本当はリスクや生活態度に応じて社会保険料の金額も変わらないとおかしい。
DaiGoを擁護するわけじゃないけど、普通のサラリーマンはこういう気持ちあるよね?
大半がセーフティネットがなんとか言ってて確かに自分がお世話になる可能性はあるよ
ただそれとは別にタイトルみたいなことを思うのは普通じゃないかな
だって朝から晩まで働いて手取り20万ない人からしたら生活保護取ってるやつムカつくでしょ
聖人君主みたいなコメント多くて違和感感じてこれ書いてるけど同意してくれるよね?
もちろんムカつくからと言って生活保護廃止しろって話じゃないよ
ただそれとは別になんかムカつくし嫌だなって思うのは人間なんだからしょうがないよって言いたい
【追記】
恩恵がでかいとかじゃなくて働かなくて生活してる人ムカつくよねって話を書いたんだけど
【追記2】
※あくまでも個人的な感想を書いたものであり、客観的な観点から論理的に論じられた文章ではありません
五輪や甲子園の開催に反対する声はあったけど、結局開催→終わったら「何だかんだ言ってたけど、まあ良かったよね」みたいな感じになってる気がする。世論調査でも、開催前は五輪反対派が過半数であったが、終わった今では五輪開催を評価する声の方が大きい。感染者数の増加と五輪の関連性を指摘する意見はあるが、政府をはじめ科学的な根拠がないとしてその意見を退ける人も多く、イベントを通じて多少感染者が出ても大きな問題にはなっていない。
しかしこのような情勢において、五輪などのイベントが開催されて得をした人たちがいる一方、その恩恵を得られず外出自粛などで我慢を強いられる人もいる。「感染対策に気を配りさえすれば、俺たち/私たちだって好きにしていいじゃん」という気分になる人も沢山いるのではないだろうか。
特に、実家から離れて下宿で暮らす大学生とかは当にそういう立場にあると思う。自らの感染リスクよりも貴重な大学生活が潰れることを強く問題視し、ワンチャンに掛けてサークル活動や外出、飲み会をしようとする学生は居そうなものだ。外出する人に対し、「大切な家族の命を脅かすのか?」と批判する人もいるが、一人暮らしなら家庭内感染は起こりえない。
五輪や甲子園の開催が、「気をつけてさえいれば外出はセーフである」というお墨付きを与えてしまっている気がする。五輪による感染拡大を否定するほど、「でかいイベント開いても大丈夫なら、外出くらい大したことないだろう」という印象を国民に与えているからである。
そして、現在の情勢は自分が自粛しても感染拡大は止まらないだろうという諦めにつながり、それなら自分も好き勝手やってしまえ、というやったもん勝ちの風潮が生まれるに至っていると思う。