はてなキーワード: 対外的とは
http://anond.hatelabo.jp/20140804000142
この奥さんが他人に思えなかった。
自分と重なるであろう部分が多く、自分をちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。
本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。
高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。
大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。
活動の内容そのものより、自分が組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。
部のために骨身を惜しまず動いた。
一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。
でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。
周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。
いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。
周囲の人間は自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。
何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格だから」と受け入れて、ひとつの個性として尊重してくれている。
周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。
周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。
このことに、4年かかってやっと気づいた。
同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。
大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。
としばらく思っていた。
しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。
ここの会社は毎年の恒例行事で地域のお祭りに新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。
わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。
入社式では新入社員代表であいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。
わたしはそのことに、全く気付かなかった。
やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。
ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。
その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。
テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。
わたしは2ちゃんの顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず、淡々とその新しい内容の練習を続けていた。
それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。
同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。
けれど問題はそんなことではない。
学生時代からの課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。
周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。
そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。
ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。
「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。
あたかも最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。
親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。
仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手に解釈していたが、これもそうではなかった。
上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。
周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。
わたしは2年持たずにその会社を辞めた。
「その会社と自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。
けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気の会社でもなかった。
いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。
本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。
その上司が結構なろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。
けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。
孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。
そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。
はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業の問題点だと考える人もいるのだろうと思う。
しかし現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本の会社しか勤め先がないのだから、適応するしか選択肢はないのだ。
と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。
自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。
当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。
新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏がリストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。
この、一社目の退職から二社目に就職、うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。
と公衆の面前で怒鳴られたりした。
気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。
要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである。
自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。
努力の方向が間違っていたのだ。
「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的に自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。
しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。
朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。
正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。
その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。
この部下には本当に恵まれていたと思う。
また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。
わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的に和解できた。
これは錯覚ではなく、本当にうちの担当の仕事はうまくいっていた。
そんで今、燃え尽きかけている。
こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。
平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わずに自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛で病院に通うことが増えた。
比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。
わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。
当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。
丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。
また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。
この繰り返しだ。
もうなんか、わからない。
今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。
この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。
でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。
いや、一度だけ言ったことがある。
マニュアルに従わない人に対して
「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」
という内容のことを言った。
彼女の返答は
「今まではこれでうまくいっていたんです」
だった。
その
「うまくいっている」
というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は
「うまくいっていない」
それで十分だと思う。
彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。
それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。
わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。
こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。
わたしの場合、年下なら、まだ許せる。
年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。
奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。
うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。
「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。
「仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。
でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。
学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか。
それがわたしの自己評価だった。
「役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。
そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。
自分が自分でいられているというアイデンティティ?自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。
今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。
彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものだから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである。
叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観で他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待のほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくまで事務的に淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。
やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。
少なくとも子どもは産むべきではない。
今日帰ったら、彼に話そう。
なんとなく迷っていたことに決心がついた。
夫を「主人」て呼ぶのがイヤンっていう話題へのブコメにこういうのがあって、
私は自分の夫の事を「主人」と言うより「旦那さん」と言う人の方が気持ち悪い。小学生から国語をやり直してこいと思ってしまう。
日常会話では「旦那」派の自分としては「え??何??小学生からやり直せって、何がそんなにいけないの???」となったので調べたんだけど、
だんな【×檀那/旦那】
1 ほどこし。布施。転じて、布施をする人。檀越(だんおつ)。檀家。
3 商人が男の得意客を、また役者や芸人が自分のひいき筋を敬っていう語。また一般に、金持ちや身分のある男性を敬っていう。「―、これはよい品でございますよ」「顔見世に―衆を招く」
4 妻が夫をいう語。他家の夫をいう場合もある。「お宅の―」
5 妾(めかけ)の主人。パトロン。「―がつく」「―を取る」
えーと、ほどこしとかパトロンとかの意味合いを含む言葉を対外的に使うのが気持ち悪いってことでいいんでしょうか。すみません、本当にわかりません。失礼にあたる言葉なら今後使わないようにするので教えてください。
身近な社会人達が、いざ仕事となると、ガラっと表情を切り替えて仕事モードにシフトしてゆくのが不思議でしょうがなかった。
あのモードチェンジは、社会人になったら勝手に身に付くものなのだろうかと思っていた。
そして同時に、いつも心のどこかで冷めてる自分には到底真似できそうもないなぁ、とも感じていた。
同時期にペルソナというゲームが発売されて、心理学にペルソナ(職能的仮面)という概念定義がある事を知った。
ゲーム内では「周囲の社会という外圧に対抗する為に人が用意する、対外的人格にして心の仮面」というような説明がなされていたけれど。
実際は少し違って。
職能的仮面とは、職務に従事する際に人が守る一定の行動様式と、そこから定義づけられる合理的な実務性を有した、無個性かつ社会的な擬似人格。
だいたいそんな様なものだった。
セーブポイントまで三十分かけて急ぎつつ、社会人のみんなが使うモードチェンジはこれなのかな、と思っていた。
時を経て社会人になり、長い事仕事をしてきて今改めて思うのは。
“職業というのは一種の狂気であり、それを内包する事で職務従事者たり得る”という事だ。
人は生まれつき何かの職業にすんなり適応するようにはできていない。
業務への適応は、きちんとした教育と、長くたゆまぬ修練と、多彩な実務経験と、それらすべての慣熟によって成される。
しかし、どうしても受け入れがたい一線、というものは確かに存在する。
それは人が人である以上、受け入れてはいけない、受け入れる事のできないものであると言ってもいい。
人は、部品にはなれない。社会の歯車にはなれても、本物の歯車にはなれない。
誰もが拒否反応を示してやまない、もはや狂気とも言えるほどの、人間性を否定するレベルでの職務への徹底。
そこまでする必要はない。
しかし、そこで受け入れられるかどうかで、異物であり続けるか、同化し得る存在であるか、が別れてしまう。完全に分かたれてしまう。
もちろん、人は職業そのものではない。職場と一体化すべきものでもない。
だから、異物であり続ける方が人の全うな感情としては正しいのだろう。今もそう思う。
しかし、異物であればいつまでも異物のままで、職場にはそぐわない場違い感を覚えたまま生きていく事になる。
その一方で、だからといって仕事や職務や職場と一体化するような共同幻想を抱けるほど、人は無機質ではない。
だからこそ、職場で熟練者から見せ付けられる職務への異常なまでの徹底ぶり、その受け入れがたい狂気をこそ。
少しずつ時間をかけてゆっくりと受け入れてゆく事こそが、職務従事者としての慣熟への道なのではないだろうか、と考えている。
どんな時でも笑顔で、愛想よく。モンスターにもにこやかに対処。タガの外れた依頼にも喜んで応え、相手の望む結果を導き出す。
3年目は拒絶しかなかった。
5年目は徐々に狂気を受け入れてゆく恐怖に苛まれていた。
7年目には、すべてが変わった。
時計がゆっくりと出勤時間を指し示すと。今日も私は心の中で叫ぶ。
(ペルソナァァァーーーー!!)
と。
日銀の推計が正しいと仮定すると、要はあんまり余ってなかったって事だろうね。
デフレが15年近くも続いたせいで、供給側も需要に合わせて減った、と。こうなると、企業に設備投資等を促すって事になる。もちろんこれはマイルドインフレ下の方が容易であるけれども、日銀の仕事はここまでであり、
現状では「(成長率は)実質1%ぐらいがせいぜい。政府が目指す2%に上げるのは成長戦略の役目だ」と話し、政府の取り組みに期待を示した。「金融政策にないものねだりをしてもらっては困る」とも述べ、“追加緩和頼み”にクギを刺した。
となったのでは。
追記: 洗脳云々ついては何とも。例え推計に疑問があるとしても、自分が所属する組織を対外的に批判することがベストだとは必ずしも言えない訳で。もしかしたら内部でやり合っているのかもね。いずれにしろ考えるだけ無駄かと。
基本的にはラノベのみで、たまに他のを読むときでもラノベっぽい作品を選ぶ。
ラノベ作家が一般文芸で出したやつとか。それもラノベだろと言えばそうだけど。
ラノベの魅力、というのは難しい。
むしろ「俺が魅力的だと思うものがラノベ」くらいの気持ちでいる。
でも「一般文芸とラノベを区別するな」だとか、逆に「一般文芸とラノベを一緒にするな」とは思わない。
これだけ多くのラノベ作家がラノベから一般へ進出して売れっ子になっていて、
そうでない作家の作品でもこぞってラノベ的な装丁がされている状況だと、
それこそ「区別しておくと便利」くらいの意味合いしかないよな。
個人的な感想で言えば、のうりんくらい気合入れてパロってくれるといいけど、
でもそれが一般文芸との決定的な差になっているかと言えば別にって感じ。
聖書や哲学書の一節を引用してオサレな雰囲気を醸し出すのと一緒でしょ。
内部でもそれなりに大雑把にジャンル分けされてるけど。
でもじゃあSF的な設定でファンタジーやりながら主人公が恋愛してるような作品(要するにSAOだけど)はどこに分類したらいいのか。
これは漫画でもドラマでもそうだけど、最近はもう「SFを書こう」っていうのが先に来ることはほとんどないよな。
いろいろ要素を盛り込んでいく中で「SF要素も入れよう」みたいな感じになってる。
(いやハヤカワとかでハードSF書いてる作家なら意識してるんだろうけど)
その作品を語るときに「時にはSF側から見て語る」「時にはミステリ側から見て語る」ことはあっても、
「これはSFだ、SF側からしか見ないぞ、SFとしてしか語らないぞ」なんてことはありえない。
労働者はなぜ声を上げないか、労働運動はなぜ日本で起きないのか、という問題は、歴史的経緯とかそういったことよりももっと大きな問題として、そもそも一世紀以上かけても日本に民主主義が定着してない問題と同根だと思う。
昨日ホッテントリで見た、これ
「■[自閉症関連]自閉症の子供がレストランに来たらどうするか?アメリカの警察恐るべしhttp://d.hatena.ne.jp/kuboyumi/20140416/1397793621」
自分は、一応教育関係者で、言わば民主主義の教育者であり、差別・偏見やなんかについても教育する立場にある人間だが、この動画見てものすごい敗北感と無力感に襲われたよ。上の動画自体は、所詮テレビのやらせじゃねえの、とか、そもそも風紀のいい地区のちょっとお高いレストランとかじゃねえの、とかいろいろ批判を言いたい人もいるかもしれない。(やらせだとしても、これを放映できる雰囲気があることだけでもすごい。また、確かに客は白人がほとんどに見えるし、そういった地区を選んだというのもあるかもしれないけど、ポテトの山盛りとか食べてるところを見れば、せいぜいファミレスに毛が生えた程度の店ではないかと思われる。)
そもそもどんな風に教育すれば、子どもらを、このレストランにいた客たちのように振る舞えるように育てられるのか、正直分からない。これが民主主義であり市民か!と思った。学校という閉ざされた社会の中で、そういう風に振る舞いなさい、振る舞うべきです、それが民主主義です、と教えること、そしてそう振る舞わせることは、もちろん可能だ。問題は、そのスタンスを、全ての子どもに内面化させる方法だ。つまり、心の底から納得し信じさせ、自分自身をそのように律し行動させるよう仕向けるような教育。
「配慮/察する」「謙遜」「迷惑」といった同族的集団主義的タームを美徳とする(そのこと自体が悪いという意味ではない)日本の文化・社会と、構成員の多様性を前提とした民主主義とは、そもそも相容れないようだ。そして、世界がますます狭くなる時代には、どう考えても多様性を前提とした民主主義的な考え方がますますスタンダードにならざるを得ない。だから、後者の価値観を少しずつ学ばせれば、社会も少しずつ変わるのではないか、と思っていた。だが、文化の根本にあるそれらの美徳の影響力は、後天的な学習の効果を遥かに凌駕する。上の動画を見て、
「障がいのある子がいたら実際迷惑じゃん?」
「家族も周囲への配慮が足りないよねー。モンスター消費者だねー。」
「周囲への迷惑を折角察して、そして自ら憎まれ役を買って出たかもしれないオッサンを排除するなんて心の狭い社会だねー」
…というような感想があっても、今は別に驚かない。それが日本文化であり社会の美徳に根ざす考え方だから。でも、そういう文化・社会は、これからの時代、対外的にはどんどん敗北していくほかないのではないか。(クジラしかり、おそらくTPPもしかり。)労働運動なんてとんでもない、という人に言いたいけど、労働雇用契約というのは労働力の売買契約なんだよね。つまり、サービス残業・ブラック企業というのは、労働力のダンピングであって、市場経済においては犯罪行為の一種なわけ。そういうことを日本という国が組織的に許容してる、と判断されたらどうなるの、ということは想像できる? TPPが開く未来を、たとえばそういう面で想像してみれば、特に非現実的な想定の話をしてるわけじゃないということは分かって貰えるんじゃないかな。
「組合って、会社の立場への配慮が足りないよねー。雇われの立場でさ。」
「周りの雰囲気を察して、自分も残業しよう…もちろん無給で。」
対外的にはまじめのふりしてるだけだよ
ミスをしたらすぐに駄目になる。会社にいけなくなる。プロジェクトの1部分を任されて、そこでミスをしまくって、いろんな人に迷惑をかけた。
多分ミスの程度でいったらそこまでデカイものじゃないとおもう、ウン億円の損害出したとかそういうのじゃない
設定をいくつもミスしたとかドキュメントに抜けがあるとか、仕事としてはそりゃミスってはいけない所ではあるが、旗から見たらたいしたことないミスばかりが積み重なったんだ。
少し休んで復帰してみたけど、またあらたな対外的なプロジェクトを任されて、それでミスをするんじゃないのかと心配になった。
別の会社にこれの改修をしてくださいって頼まれた仕事なんだけど、それの改修するときにミスった実装したらどうしようかと思ってまた心配になってしまった。
心配になって、また朝起きれなくなった。
心療内科にも通っているが、そもそも自分の症状は風邪のような一時的な病気なんだろうかと思っている。
人間、誰だってミスをする。ミスをしながら成長していくもんなんだろうと思う。
今じゃミスどころかミスをする心配をしただけで会社にいけなくなる。
これはもう医者や薬がどうにかできる問題じゃなくて性格の問題なんじゃないかと思っている。要は自分はただの甘ったれなんじゃないかと思っている。
三つ子の魂百までじゃないが、性格なんてそうそう簡単に直せる問題じゃないと思う。
ましてや今は自分は20台後半だ、もう性格も固まっていて直すのには数年を要するんじゃないかと思う。
そえrをどうしたらいいんだろうか。多分この先も自分はミスをする。他の人と同じように。
でも、ミスをするたびに何ヶ月も会社にいけなくなるようじゃ使い物にならない。どうしようもない。
会社に雇ってもらえなくちゃ生きてはゆけない。自分で会社起こすなんてそれこそ無理だろう。
この歳でこんなどうしようもない性格でスキルも無くて、雇ってくれるところなんてどこにもないだろう。
今も会社には一応勤めている体にはなっているが、もうすぐ首になるだろう。
どうしたらいいんだ。どうしたらこの性格を直せるんだ。性格を直しながら働かせてもらえるなんて、そんな社会奉仕までしながら金を稼ぐ企業なんてありゃしないだろう。この性格をどうにかできる目処が立たなければはたらきようがない。
コンビニのバイトとかも出来る気がしない。コンビニってレジ打ちだけじゃなくて相当やることあって大変だろうし、それをミス無くやるなんて不可能だ。
どうしたらいいんだろうか。
性格をどうやって直したらいいのか、どうやって仕事をすればいいのか、誰に相談すればいいのかも分からない。
友人もいないし、会社の人だって忙しいだろうから相談もできない。いや、会社の人こそこんな使えないゴミクズどうしたらいいのか誰かに相談したいくらいだろう。
お金は多少ならあるんだ。誰かこういうクズの更正プログラムを仕事にしてる人を知らないか。
はてなは最近迷走している。ある調査だとアクセス数が落ちているという。アクセス数が増えないことを別の方法でカバーしようとまた余計なことをして顧客ばなれを招くという悪循環に陥っていると。新しいサービスは軒並み失敗中だ。
なぜか。それは顧客が求めているものを分析せず、表面的に考えているからだ。社員が顧客ではなくとなりの同僚の方をみて仕事をしているからだ。
それを表す顕著な事例があったので書かせてもらう。
http://emija.hatenablog.com/entry/2014/03/11/231940
はてなブログが遅いのはだいたいJavaScriptのせい
こんな記事があがった。
要点を絞るとこうだ
また、この情報に対する他の顧客から、minifyを実施するのは常識であって、なぜそれを行わないのかという指摘があった。
http://developer.hatenastaff.com/entry/2014/03/14/125131
また、この情報に対する他の顧客から、HACCPを取得しそれによって管理するのは常識であって、なぜ行わないのかと言う指摘があった。
それに対して
今回のはてなの対応で何か改善した事は何もない。元の顧客が感じた「遅い」という問題は解決していない。
はてなの中では「お前のせいで遅いのだろう」と言う汚名を返上できたと言う内々の評価はあろうかとおもうが、そんなものが顧客に何の関係があるのか。最大限評価してもこう言う的外れなクレームに晒された経験のある一部のニッチな同類技術者が多少の賛意を得られ、彼や彼女らの評価が若干上がる程度だ。
多くの人は重たいページに出会ったとき、その場で評価を決めて次に去ってしまう。そこで技術論をいくら述べてもほとんどの人間はそれに興味が無い。
クレームを上げてくれる人間などほんの僅かだ。さらに分析までしてくれるというのは顧客としてはその分析が多少間違いでも最優秀だろう。そこで自社のプライドを守るためだけの話に終始し、顧客の問題を放置するなど、一体何を考えているのか。
書くべきエントリーは
「はてなブログにおけるページ表示速度改善の取り組みについて」ではなく
「はてなブログの表示をより高速にするためのTips」であるべきだった。
内容はいきなり技術論から始め、顧客の推論を否定する等ではなく
「はてなブログは速度も最大限になるように努力しておりますが、ユーザの皆様の環境によっては読み込みが遅く感じる事もあると思います。読み込み速度を重視する皆様に、よくある速度を遅くする原因と、できるだけ快適にするためいくつかチェックするポイントをまとめました」
として
といった事をきちんと書き、顧客の「遅い」という問題の解決を図る。
そして最後に
「ご参考に、弊社ではできる限り高速なサービスを提供出来るよう、様々な工夫をおこなっています」
として、今回のこの「はてなブログにおけるページ表示速度改善の取り組みについて」エントリーの一部を掲示し、やんわりと顧客が推測したことは間違いだと否定する形にするべきだった。(当然ながら社内コストがかかるからやらないとか余計なことは書かない)
そして、今回のような説が広がったことが営業的にマイナスであると考えるのであれば、今後は誤解を与えないように誤解を与えた原因を修正する。(誤解する相手を変えることは不可能)
食品工場の例なら、客が不衛生な環境に置いたのが悪いのだというのではなくて、清潔で乾燥した場所に置けと言う事をやんわりと伝え、最後に自社の衛生環境に対する取り組みを伝えるべきだ。その後でまた誤解を受けないようにペンキ屋でもなんでも手配し、対外的に説明のしやすくなるHACCP認定取得を目指すという事になるだろう。
はてなはブクマガールズなど試験的なものをリリースしている。今度はニュースアプリにも参画しようという。これは従来のはてなユーザ以外にも顧客を広げたい意向があるのだろう。そうでなければ企業としての成長が難しいからだ。
確かにはてなはエンジニアの利用者が多い。だからはてなの内情を察知してくれ、技術の話をしたらそれにもきちんとついてきてくれる。しかし、今後もそんな優しいユーザだけ相手にするつもりなのか?彼らは技術の事を話をすれば、なるほどそれは仕方が無いと納得してくれるだろう。だが果たしてそんな姿勢で、顧客を増やせるのか?
はてなブックマークのデザイン改悪が実施された頃からいろいろとおかしくなった。それ以前はなによりベータ版を提供していたし、それによって得たフィードバックを反映していた。しかしそのあたりから指摘を受けると間違っていないと言う言い訳はするものの、顧客が困っていることについての解決策を示さなくなった。顧客が出すクレームよりも、となりにすわる同僚が同意してくれることを重視していないか?
もう一度考え直せ。このままでいいのか?
ユーザとしては全くよくない。いい加減しっかりしてくれ。
どうもわかってないな。
minifyは開発手法だとする意見。常識を理由にするのでは技術者失格だし、技術者じゃないのなら「もうちょっと周囲のコメント読んで」といった所。作り話(≠例え話)でないと対抗できない時点で勝負ありと思うがどうか
解決ではなくて「問題なし問題なし」と言い続ける奴らが回り回ってはてなを駄目にしてる。はてなを甘やかすなと言いたい。
そんなのは枝葉。
そういう技術論ばかりやって本当に客が必要だったものを用意できないのがはてなの最近の駄目さなんだよ
例えば、LINEが自社で使ってる技術をアピールする事で客を集めてるか?
もしLINEが技術をアピールする戦略をとったら、今のような形になれていたと思うか?
その上で"尖った"技術力がどんどん無くなっているのがはてなの現状。ベンチャー企業ってのはそういうもん。これは別に悪い事じゃない。ただそれ以外にウリを作り出せないとじり貧だろう。
http://anond.hatelabo.jp/20140315033741
実際に見て欲しいんだけど、そんなに広告多い?
具体的には分からない。
ただはてなは顧客から寄せられたクレームにおける推測部分を否定だけしたが、顧客が抱えている問題に対して答えを出していないのは確か。
そこに書いてあるようにはてなが言うべき回答例として挙げた部分は、例えばそういうことが言われているので書いた例程度に思ってくれ。
当然ながら、はてなはきちんと分析して回答するべき。顧客が投げてきた疑問を否定するためだけに無駄に時間を使う暇があるならできるはずだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140315042727
http://emija.hatenablog.com/about
その人も技術者らしいんだけど
もし、総理大臣は参拝しても天皇陛下が参拝しないことを責められるとき、どのように論理的に返すことができるんだろうか。
仮に責められたとして、陛下が参拝しない事に、右派は不平を述べるのかな。
最近、皇太子殿下がやんわりと現行憲法の維持をおっしゃられた時、一部のネットでは皇族の政治への介入だとして安倍首相支持派が非難していたけれど、個人的に不思議な感覚をもった。
安倍首相支持派は保守かつ愛国的なイメージがあったので、まさか皇族批判をするとは思わ
なかった。
既存の保守派とは少し毛色の違う方向が醸成されている気がしてやまない。
なぜ、昭和天皇がそれまでご参拝されていた靖国におゆきなさることができなくなったのか。
ここら辺を日本人が解消しない限り、対外的に正当性を誇示することは難しくなっていくんじゃないかな。
だからこそ、政治的に注目を浴びて、ごちゃごちゃとひっかきまわされるのではなく、ひっそりと厳かにただ英霊をしのぶ場所であってほしいと思う。
プライドが高いから男相手にも女相手にも見栄を張っていて本当に大変そう。
ばかにされないために常に無理しているように見える。男は泣くなとか、男は強くあれとか、性役割があるから仕方ないんだろうね。
そうして対外的に無理をしているぶん、彼女や妻が出来たら無尽蔵に甘えるよね男って。
社会から求められる成人男性の役割を頑張ってこなしているぶん、彼女や妻の前では赤ちゃんがえりするよね。
男に「理想の女は?」ってきくと、要するに「なんでも出来てなんでも許してくれる若い美人」なんだよね。
でも男は、女が「なんでも出来てなんでも許してくれる若いイケメン」と付き合いたいとか結婚したいって言うと、
身の程知らずにも程がある!なんて言って怒り出すんだよね。人が何を望んでようがあんたには関係ないのに…。
だから男とは付き合ったり結婚したりしないほうが得なんだと思う。
よそよそしい関係のうちは男は見栄を張って頑張るから、ずっとよそよそしさをキープしたほうが得。
性欲については、好きな男性キャラクターや好きな男性アイドルが居れば問題はないと思う。
貧乏だったり、嫡出子が欲しかったりしたら結婚するしかないかもしれないね。
なんで付き合って別れたあとに、また誰かと付き合いたいってなるのか、さっぱりわからない。
haruhiwai18 "ズデーテン"島嶼国家であるフィリピン" →応答をいただいて有難うございます。/その場合 ズデーテンというチェコの"生命線"(産業の40%程を占めていた)と南沙諸島を比べられるか、という話になるかと思います。 2014/02/06
疑問ごもっとも。
長くなるので省きましたが、フィリピンはもともと国家の統制力の強い国ではない(婉曲表現)という問題があります。
チェコが最終的に解体されたのは、ズデーテンを物理的に失ったという事実そのものもさることながら、英仏に見捨てられたという絶望と抵抗せずに手放すという決定を下した政府への失望も大きな役割を果たしています。
さて、仮にこのまま南沙諸島全域が中国の勢力下に置かれ、国際社会は何も対応せず、フィリピンも何もできなかった、となれば、フィリピン政府の力がさらに下がるのは避けられません。
それでどういう「悪いこと」が起きるかの予想は困難です。個人的には、最悪、ミンダナオでの紛争再開とかお家芸のクーデター勃発も(率は低いにせよ)あり得ると思いますが。
そこまでいかなくとも、各地の地域ボスが政府を蔑ろにする傾向が強まるのは確かで、フィリピンが何か対外的な活動を行うのは難しくなるでしょう。当然、中国もさらに他のターゲットに手を伸ばしていくことでしょう。