はてなキーワード: 問題発言とは
「国立情報学研究所の新井紀子教授が科研費と思われる研究助成金の審査で同業者を恫喝していて面白い」
https://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/64461868.html
新井紀子先生の発言は、端的に言ってアウトだと思うし、すぐに消えると思っていたが…
明らかに問題発言なので擁護する気はないが、この発言をもとに何らかの処分が下せるか、というと、かなり微妙なのではないかと思う。
「科研費」とも「落とす」とも一言も言っていない。税金と書いてあるが、研究費の原資が100%税金だとも書いていない。税金の入っている研究費であれば一応筋は通るので、別に官民連携のプロジェクトの研究費でもなんでもいい。
「誤った税金の使い方をしなくて済むように」としか書いていない。「落とす」とは書いていないので、通した上で、減額するように注文をつけたとしても筋は通る。
「ドラマティックな申請書をコピペを駆使して書いてきた」場合についてしか言及していない。「コピペを駆使して」が剽窃を意味するのかわからないが、剽窃を意味するのだとしたら、剽窃を含むような申請書を通してはいけないのは当たり前なので、当たり前のことを言っている、で済んでしまう。
そうは言っても、リストを作って、申請書を予断を持って読むこと自体がまずいのでは、という意見もあろう。
が、そうすると、同じ理由で、エセ科学やトンデモな人の申請書を落とせなくなる。研究業界では、あの人は明らかにトンデモになってしまったよね、という評価の人が、ずっとポストを持っていたりする。
科研費の申請書は、研究提案がいかに素晴らしくとも、「この人にはこの研究計画は無理である」と審査員が判断したら、実現可能性が低いことを理由に落としていいことになっている。
その実現可能性は、一緒に提出する業績リストだけで判断される事になっているが、トンデモな人は、そこにも虚偽の業績リストを入れて載せてきたり、とにかく業績の数だけ多くして出してくる可能性がある。
明らかにトンデモな人を頭に入れておいて、申請書を読むことを許すのであれば、それはリストを作って予断を持って申請書を読むことと何が違うのだろう…と考えると、予断を持って読むこと自体を否定することはできまい。
asahi_temple
「松本人志セクハラ発言!」と騒ぐ人、炎上商法の人ならあざとさがエグいがまあわかる。
マジな人、人の一回の失言程度でそれだけ騒いでしまう自分の感性を嘆いた方がいい、
あなたのその発言が世の中をどんどんつまらなしている。心を狭くしている。
bEpm3SuPjw5nKgc
いつもいつも女性差別関連の話題になると出るこういう人達、自分自身が世界をつまらないまま
にしていると気付きなよ。問題発言を冗談とかユーモア、ギャグだの言って楽しめる感性の方が
もうやんなっちゃうな。この国。恥ずかしがりもせず公言するぺドフィリア共がわんさかいるし、
まともな大人ならセクハラや問題発言をおかしいと思って批判するのにお笑いにして楽しむ人
沢山居るし、女が虐げられるAV見てちんこしごくゴミが身の回りに潜んでいる。
偉そうに鑑定士したり男性差別や他の問題に目を向けないなんて差別者だ!なんてほざくけど。
女も男も関係ないぞ。
我が家では毎年、一族(といっても、そんなに大勢ではないけれど)が集まって元旦を過ごすことが通例になっている。
そこでは近況報告をはじめ、学校の話や結婚の催促などいろんな話題が出るが、今年は特に衝撃的な話題があったので、整頓するためにスペースを借りて書いておこうと思う。
話題の一つに、私のいとこ(高校生)が某アイドルグループが好きで、ライブや握手会のために遠征などにも出かけるという話があった。私も自他共に認める立派なオタクなので、次元とジャンルは違えど推しに対する想いは同じで、まあまあ話は盛り上がっていた。
私はそちらのジャンルに疎いので聞いた話だが、ライブグッズの中には絵柄などがランダムに入っているものがあるらしく、自分の推し以外が出たらマーケットに出品しているとのことだった。
私の知る限りでも、求めるグッズと譲るグッズをツイッターなどに書いて、交換を募集しているケースが多々あることは知っている。(そこでさまざまな問題が起こっていることも知っているが、ここでは割愛する)
だが、いとこの場合はマーケット出品である。対価は金銭で払われる。
更にいとこが言うには、マーケットに出品することは彼の仲間内では別に珍しいことではないらしい。(中には出品するために余分にグッズを買う輩も、一部だがいるらしい)
ギリギリ転売、むしろ完全にアウトなことを彼らは転売だとは思っていない。「転売がよくないこと」という認識はあるのにも関わらず。
いろんな人間がいるのは理解しているつもりだったが、自分のごく身近にそういうことを許容できる人間がいることがあまりにショックだった。
こういった根本的なところは学校が教えることではなく、親がそういうことの線引き?リテラシー?を教えないといけないと思っているので、両親を交えて話していたのだが……いとこがしていることが転売にあたること、転売というものがそもそも何なのかを理解してもらうのに難儀した。
あまりに理解してもらえないから、話してる最中から「え?知らないのが当たり前なの?普通はここまで知らないの?」と不安になってきた。
とろサーモン久保田&スーマラ武智、8日にも上沼恵美子に直接謝罪…M-1審査に暴言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181207-00000284-sph-ent
会社名を明かした上でクライアント?を批判するようなものですから、
そりゃ方々から叩かれるでしょう。
自虐ネタは嫌いと発言した後にミキの自虐は尽きぬ抜けていてるからいいと、
本気で取り組んでいる人が聞いたらテンション下げるようなことを平気で言っていいの?
これだけではないだろうけど、M-1に対して思うことがあったからあーやって酒の力を借りてだけど、
何かを伝えたかったのでしょう?
それを全て無視して、
直接謝罪…どうなることやら。後悔はしてるだろうけど反省はしてないだろうな。騒動になったからやばいと思って謝罪、それくらいは上沼恵美子さんは見抜くだろう。
立場的に上沼さんは許さざるを得ないだろうけど、松本人志さんは追放してほしい。M1を汚し審査員を侮辱したんだから、テレビ局はこの2人を永遠に出させないでください
スーマラの武智が認識している更年期障害っていうのは、単純にギャーギャーいうおばちゃんを揶揄するだけの意味だったと思う。
でも世間がそれを許さなかった。それは反省すればいい。今はそれが許される時代じゃない。
今回の問題はそこではないだろう。
M-1放送時に上沼恵美子がミキの自虐ネタはOKと発言した時には、
だが今回の騒動のおかげで、
上沼恵美子、久保田&武智の暴言一蹴「興味ない!」…M-1審査は真剣にやった
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181208-00000119-dal-ent
abcdefg | 31分前
さすが大物と言われるだけのことはあります。
ret***** | 32分前
>久保田と武智の暴言が大炎上に発展し、上沼の反応に興味が集まっていることを「大したことじゃないです」と一蹴。「興味ない」と言い放ち、笑いを誘った。
上沼さんは、彼らの事を考えて行動しているように感じます
上位米って | 31分前
大したことないと言える上沼さんすごい。
ほんまはめちゃくちゃ腹立ってると思うよ。
さすがやな。
ka***** | 32分前
それでこそ上沼さん!
上沼さんの株は爆上がり。
結局皆権力には弱いのであった。
はてぶでホットエントリ入りしていたこの記事、上の引用で記事のタイトルと全文。短すぎる上に情報がほとんどない。
具体的にどんな発言をしたのか、どんな文脈で言ったのか全く分からない。
例えばの話、
A「不摂生で病気になった奴の医療費など無駄。そんな奴は○してしまえばいい」も
B「不摂生で病気になったとみられる人の医療費は全体の○%になるという推計がある。これで国民の理解が得られるのか、疑問だ」も
「不摂生の結果、病気になった人への医療費支出を疑問視する見方」である。
ずーっとモヤモヤしているので文章として形に残しておこうと思う。
モヤモヤを吐き出すだけなので、おかしなところがあるかと思うがご容赦いただきたい。
各所で散々まとめられてるのでここでは軽く触れるにとどめるが、シンデレラガールズの以下のWebラジオでCV未実装である「高峯のあ」に対し、五十嵐から以下の発言があった。
THE IDOLM@STER webラジオ~バンプレストスペシャル~カホーは寝て待てっ!(第6回放送より)
http://www.nicovideo.jp/watch/1535954945
一部抜粋:
五十嵐裕美「やろっか?」
そもそもアイドルマスターシンデレラガールズは、リリース開始から多数のキャラクター(アイドル)を追加し、その多くがCV未実装である。
CVは一年ごとに行われる総選挙で上位入賞するか、メディアミックスやCDリリース等の際にサプライズ的に追加される。
アイドル数は総勢183人、このうち半数以上には現時点でCVがついていない。
彼女を担当するプロデューサー(プレイヤー)は彼女にCVがつくことを夢見て、ゲーム内でも、ゲーム外でも日夜活動している。
なぜCVが重要なのかというと、CVがつく=担当アイドルの出番が増える、ということだ。
CDリリース、デレステでのイベント、ライブ、etc...CVありと無しではその露出度は雲泥の差である。
なので、CV無しのアイドルを担当するプロデューサーは、担当にCVを付けようと必死だ。
五十嵐の発言はそんなプロデューサーを馬鹿にしているかのような発言だった。
主に高峯のあを担当する人や、他にもたくさんいるCV未実装のアイドルを担当している人の多くはこの発言に怒っていた。
かくいう私もその一人だ。(のあさんではないが、声なし担当)
そりゃ自分の担当に声つかなそうとか言われて笑われたら、普通に腹が立つというものだ。
「(のあさんはキャラのイメージに合う声を出せる人が中々見つからないので)つかなそう」と読み取れるのでは?という意見もあるが、じゃあ続く「私やろっか?」は何なんだ。
シンデレラガールズのCVってそんな軽いノリでやっていいものなのか?そうは思いたくない。
とにかくこの発言は声なし担当にとっては、声なしアイドルとそのプロデューサーを馬鹿にしているとしか取れないのである。
一方で「炎上するほどじゃない」「元からそういう性格なんだし」とか言ってる人も見かけた。
そういうことを言ってる人の殆どが声付きアイドル担当で、言ってしまえば「自分とは関係ないから」というスタンスの人である。
(声付きPで今回の件に立腹している人がいたらすまない。私は上記のような人を沢山見たので)
自分が担当するアイドルが馬鹿にされたり軽視されたりするような発言をされても、同じことがいえるのだろうか?
また意外な事ではあるが、ごく少数の声なし担当の人も「気にしていない」という人がいた。菩薩の心を持っているのだろうか…。
それと、可哀想だったのがこの件に心を痛めている杏P。
自分の担当アイドルの中の人がこんな心無い発言をしたんだもの、そりゃ心中複雑であろう。
「杏に罪は無い、杏の事を嫌いにならないでほしい」という言葉を見かけた時、胸が痛くなった。
私だったらこんなことがあったら、担当の事を素直に見れなくなってしまうかもしれない。
五十嵐裕美については、前々から「コイツ大丈夫か?」と思ってはいた。
何かのニコ生に出た時、明らかに曲を聴いてないような発言をしたり、色々と危うかったり、コンテンツに対してドライな人だと思っていた。
所詮アイマスも仕事でやってるのであって、自分の役とその周辺くらいにしか愛着はないんだろうな…という認識だった。
それが今回の一件で完全に「嫌い」になった。
散々尊いだのいい曲だの言っていたあんきらもスローライフも、イントロが流れるだけで「あっ…」ってなってしまって、いいと思えなくなってしまった。
楽しみにしていた5thライブSSAのBDも、DAY1を再生して五十嵐が画面に映ったり歌ったりするたび「なんだかなぁ…」という気持ちになり、素直に楽しめなくなってしまった。
幸いなことに、双葉杏については嫌いにはなっていない。キャラクターに罪は無いとどこかで思っているのかもしれない。
色々と嫌な思いもしたが、今後もアイマスPは続けていくと思う。
そして次こそは担当に声をと夢見て、次回の総選挙に臨むのだろう。
その時は、一人でも多くの、今まで注目されにくかったアイドル達にスポットライトが当たって欲しい。
https://digital.asahi.com/articles/ASL8R4S75L8RUCFI00B.html
回答としてとても全うで、納得のいくものだった。だったのだが、当然回答者が岡田斗司夫である以上、「朝日新聞は岡田斗司夫が指導者という立場を利用したりして精神不安定な女性数十人と異性関係を持ったことが判明したあとも、彼を切らなかった。metooと程遠い人権感覚の会社だと思ってる。 」というブコメがついている。
ブコメをつけた人を非難したいわけじゃなくて、これは正にme tooにおけるある種の「正義」の本質を表している。つまり、「言動そのものや、その人が作り出したものの是非ではなく、その人の社会的状況に応じてその人の言動を判断する」。
これは、不正義の是正を誰かに任せるのではなく、評価者自身の判断で不正義を是正するものだ、ということになる。一面の真理はあると思う。社会は完璧ではないので社会や公的機関が必ずしも正しい在り方をしているわけじゃなく、それを正すのは社会に生きる人間であるべきだ。そのような仕組みが市民社会であり、社会的不正義に対して暴動や大規模なデモが起きるのはある種「健全」なこととは言えて、そういう事例が散見されるアメリカやフランスと違ってどうして日本は……という話題は、本筋からズレるので閑話休題(こういったある種の国ごとの政治態度や市民感覚の違いをまとめてる研究書どっかにないですかね。真面目に読むので割と本気で募集している)。
そういった考えの裏には、実のところかつてのモヒカン族とは全く逆の価値観がある。評価するかしないか、という価値判断だ。
上記の例で言えば、岡田斗司夫は評価されていい人間かどうかである。とりあえず自分の評価は差し控える。その全く真逆の例で言えば、〈ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー〉シリーズの監督を務めていたジェームズ・ガンが、過去の不適切なツイートを理由にシリーズ監督から降板させられた事件だ。その二つの違いはなんなのか。違いはいくらでも挙げられる。実際に問題になっているのが実在の女性との実際の関係に関する話題か、不特定多数に対する言及だけか。日本国内で活躍する批評家か、全世界的にヒットした作品を生み出した監督か。社会的な評価の違い。味方についた人がどの程度いたか、それが大きく報じられたかどうか。「不正義」とされるものは白か黒かではなく様々なグラデーションが存在し、「灰色は白である」=推定無罪の価値観はあくまで刑事事件=公的権力が市民を罰する際に発生するものであり、このような違いが発生するのは当然である。だが一方で、ジェームズ・ガンは擁護されるのに、『二度目の人生を異世界で』の原作者「まいん」氏が炎上した挙げ句にアニメ化が中止になるのは当然であるとされる。問題発言が日本における大きな政治的争点かどうか、という違いはあるが、それ以上に大きな違いは、2人がどんな作品を書いていたか、と言ってしまっても差し支えないのではないか、と個人的には思っている。一方で、慰安婦を揶揄していた「月曜日のたわわ」の比村奇石はさほど炎上せずに未だに活動を続けている。比村奇石が炎上しないのは不思議だなと思っているが、とはいえ自分自身、「うっわー気持ち悪いことしかやってねーなこの人、でもめっちゃエロい作品書くな。もっとやれ」って思いながら毎週月曜日を楽しみにしている。しかし本当に邪悪。
雑多になってしまったが、何が言いたいかというと、me tooというのは「何が正しいか」ではなく「どんなかたちの正義を指示するか」というある種の価値観、雑な表現であるところの「政治的態度」を求められている。正義に対するコミットメントである。だが正義は一枚岩ではなく、黒と白の間には無限のグラデーションが存在し、結果me tooのような価値観はある種のダブルスタンダードを許容する。
社会において「理性的判断」というのは存在せず、人間は社会のなかでしか行動ができず、社会のなかで行動するなら結果的に社会にコミットしなければならない。あたかも村上春樹がデタッチメントからコミットメントへの転換をした(「せざるを得なかった」と言っていいのかは、正直わからない)ように、これはある種当たり前のことなのだが、その事実を前に困惑するひとは少なからずいるのではないか、と思っている。自分は比較的その変化を受け入れている側の人間ではあると思うが、困惑する人間がいるのはよくわかる。人間は矛盾する生き物だからね。
だがはあちゅうてめーは駄目だ。
「真珠湾を忘れない」 トランプ氏、会談で安倍首相に:朝日新聞デジタル
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASL8Y2GMSL8YUHBI007.html
そのトランプが安倍にわけわからん発言をしたというニュースでなぜ安倍を叩いてんだ?
そういうことやってるから
「あーこいつらの批判は滅茶苦茶なんだな」と見くびられるし
「あー、安倍が憎いだけなんだな」と見透かされるんじゃねーの?
更にこいつらがクソなのは
「こんな奴と仲が良い恥ずかしいアベ!」って言い出すのが見え見えなこと。
なにやっても叩くんだって言うのが見え見えだからやっぱり「あー、安倍が憎いだけなんだな」になる。
つか
カーネギー国際平和財団のジェームズ・ショフ上級研究員は同紙の取材に対し、「トランプ氏は最初の頃は安倍氏の指導で貴重なものを得たが、今は重要ではなくなりつつあるようだ。トランプ氏にとって今の安倍氏は、よく頼み事をするものの、トランプ氏が欲しいものを与えない人物とみているのだろう」と語った。(ワシントン=園田耕司)
「アメポチ」とか言ってる人達はこれ見て「見直したぞ安倍」って言わなきゃいけないはずなのに
非難レッテルと反対の行動してても叩くだけだから「あー、安倍が憎いだけなんだな」だよねやっぱり。
そもそも安倍外交がEUやらイギリスやらロシアやらと多方面と握ってることについても評価の声はぜんぜんない。
まあわかってんだけどね。
それも一方的な譲歩しまくりで彼等のレイシズムと民族主義を受け入れて土下座したときだけ。
思考や正体がもう丸出しなんだよ。
今年の6月頃、早稲田大学文学学術院で起きたセクシャルハラスメントが初めてメディアで取り上げられた。
https://president.jp/articles/-/25434
被害者は現代文芸コースという修士課程の学生だった女性で、加害者は同コースの教授であった渡部直己。渡部は被害者の女性に「俺の女になれ」と迫ったり、じろじろ体を眺めたり、授業中高圧的な態度で接したり、指導をするという名目で研究室に呼び出して密室で二人きりになるなど、深刻なセクハラ行為を行っていた。
プレジデントオンラインに掲載された上記の記事をきっかけに、SNSやメディア等でこの事件は大きく広まることとなった。大学は調査委員会を設置し、渡部は早稲田大学を退職した。一見収束に向かっているように見えるかもしれないが、渡部一人の退職でこの事件を終わらせてはいけない。加害者は、渡部一人ではないのだ。
事件が拡散されるきっかけとなったプレジデントオンラインの記事にも明記されている通り、被害者の女性に対し、渡部のセクハラ行為を口外しないよう口止めした人物がいる。その人物は渡部と同じコースに所属する水谷八也教授である。また、被害者の女性からセクハラ被害について相談を受けていた女性教員に口外しないよう圧力をかけた人物もいる。その人物は市川真人准教授である。
今般早稲田大学は被害者の女性や関係者からヒアリングした証言をもとに報告書を作成した。しかしその内容は、被害者や当時の学生達の証言を無視し、水谷や市川ら教授側の証言を一方的に採用した杜撰なものだった。
プライバシーの観点から、報告書の実物をここに掲載することは出来ないが、以下、問題と思われる点を箇条書きで記す。
①被害者や当時の学生などの証言を軽視し、教授側の発言を重視している
渡部によるセクシャルハラスメントに悩んでいた被害者は、友人同席のもと、当時現代文芸コースの主任を務めていた水谷と三人で面会を行った。また、精神的に落ち込んでいた被害者に代わり、友人は水谷と二人で二回目の面会も行った。
被害者及び友人の申立書によると、水谷は「この件を口外しないでほしい」「口外すると現代文芸コースの存続に関わる問題に繋がるから」「被害者自身にも隙があり、渡部が勘違いしてしまうのもうなずける」といった趣旨の発言をしているにも関わらず、水谷本人が否定していることだけを根拠に、報告書では被害者及び友人の主張を認定していない。
前項の通り、この報告書では一貫して教授側の発言に重きが置かれている。たとえ当時の在学生らの複数の目撃証言が集まっていたとしても、教授本人が否定をすれば、報告書は在学生らの目撃証言を認定しない。一体報告書は何を根拠に教授側の発言を重要視してるのだろうか。教授側の否認が在学生らの証言よりも信憑性の高いものであるという根拠は、どこにあるのか、
また、報告書では「本委員会の認識している資料等からは、同発言(※教授側の問題発言)の存在を認定することはできなかった」という言い回しも登場する。しかしこの「本委員会の認識している資料等」とは何なのか。在学生らの証言よりも信じるに足る「資料」なのだろうか。言わずもがな、本報告書において、その「資料」が明らかにされることはない。
この報告書は非情に冗長で、一読しただけでは意味が取りづらい文章で構成されている。その狙いは明らかに、問題の核心や責任の所在を誤魔化すことにある。先述した被害者と水谷の面会時における水谷の笑い方など、取るに足らない些末な事柄を詳述しているにも関わらず、被害者や友人に口止めを迫る場面など、事態の核心は「認定できない」の一点張りである。
水谷がセクシャルハラスメント被害の実態を認識していながら、「大したことじゃないから第三者機関には口外しないでほしい」と被害者を沈黙させようとしたことは、被害者や関係者などの証言が一致するところだが、報告書はその点を深追いすることはしない。ささいな問題をおおげさに取り上げたり、論点をすり変えたりして、読者を拒むような悪文で責任逃れをしている。
早稲田大学の作成した報告書は、明らかに公正さを欠いている。水谷や市川を始めとする今回の事件の隠蔽に関わった教授陣に不自然なほど有利な記述ばかりだからだ。
また上記の他にも、合意なく女性の学生の腰を抱いて体を密着させるなどのセクハラ行為を行っていた青山南に関する記述なども、本報告書には含まれている。青山のセクハラ行為に対しても、在学生らによる複数の目撃証言が集まっているにも関わらず、青山本人が行為を否定しているというだけで、報告書は青山のセクハラ行為を認定していない。
これが調査と言えるだろうか?
どんな加害行為を行ったところで、教授が「やっていない」と主張すれば黒が白になる。そんなことがまかり通っていいはずがない。教授と学生の間には、絶対的な権力関係がある。その力の差を利用して学生が反抗できない状況に追い込んだ上で、このような加害行為に及ぶとはなんと卑劣なのか。
そして、被害を受けた学生よりも加害者側の教授や学校の体制を守ろうとする早稲田大学の対応にも大きな問題がある。セクハラの隠蔽に携わった全ての教員が自らの責任を認めるまで声を上げ続けたい。
毎度毎度、勝手に「この人のブログ好きだなー」とか「この人のツイッターすごいこと言ってるな」と勝手に好きになって、好きだから細かく見たり新着のものすぐ読んだりして、そして粗が見えたり裏が見えたりして勝手に幻滅してしまうのなんとかしたい
ネット上での人格って現実とは違ったものを構築できるけど、維持が大変なんだろうなと思う
あとツイッターとかブログとか全部チェックしてると性格の悪さとか人を見下してたりとか、文の端々からうすら出ていて勝手に幻滅しちゃう。勝手に性格がいいと思いこんだり、文章とか発言が好きな人は聖人でいてほしいみたいな願望がある自分が悪いんだけどね。
何故こんなことを書くかというと、最近またあって少し落ち込んでるからです…
ある人のブログが、話題のことを正論で突っ込んでいくみたいな感じで「頭いいなー」とか「こんな発言よく思い付くなー」とか思ってたんですね
その人のブログ内容はツイッターからの引用が結構あって、主に問題発言のツイートを批判してくみたいな感じだったんです
ツイッター上でブログの批判が来たらきっちりブログで反論していてカッケーなと思ってたんですが、その人のツイッターアカウントが謎なんですね
で、調べた結果少ししかフォロワー承認してない鍵アカだったんです
で「ダサ!」と思ってしまいました。だって自分はツイッター上で完全に防備した状態で他人の問題発言ツイート探して、その場で反論が難しいブログで他人を扱き下ろしてただけじゃん!て思ったんです
いやめんどいのに絡まれるからとかもあるんだろうけど、また勝手に幻滅しました…
そして不思議なことに、幻滅後って嫌なところがポツポツ見えだすんです。その人は学歴マウントをとってたりいろいろ…
しかもその人独自の感想だと思ってたやつが、マイナーなブログからのまんまパクりだったことを見つけてもう無理だぁとなりました。