「公立」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 公立とは

2023-07-01

日本教科書海外実業家を載せる代わりに絶対に載せるべきもの

国内JTCのR&D部門で働く人(公立高校から首都圏国立大工学研究院卒)

少なくとも100名乗せろ

夫の宗教アレルギーがウザい

子ども保育園を探しているんだけど、田舎からそんなに選択肢がない。

から近い場所に認可保育園があるのでそこに入れたいなと思っていたのだけど、そこはキリスト教系の保育園で、夫は見学すらしたことないくせに「なんか嫌だからそこには入れたくない」と拒否反応を示している。

次に近いのは認可外の保育園。保育料も高いし評判も良くないのに、立地だけで「ここがいいんじゃない?」と言っている。

その他いくつかの保育園は家からそこそこ遠いが、「車で送迎するならそんな変わらないでしょ?」とのこと。

夫が知らないだけで、付近保育園はたった1つの公立を除いて全て宗教色がある。仏教だったり神道だったりキリスト教だったり。

たまたまから近い保育園が「分かりやすキリスト教系っぽい名前」なだけで、他もたいしてやってることは変わらない。

何も知らず、何も調べず、脊髄反射的な宗教アレルギーで大きな負担を私に強いようとしている。

遠い保育園なら自分で送り迎えして、認可外の保育園なら保育料の増えた分を婚前の貯金から出してくれるならいいけど、そんなことをする気もなさそう。

まじでめんどくせーな。

2023-06-30

8時間以上拘束、手当5200円、交通費なし。

現役の公立中学校教員です。

部活動に関する手当についてですが、現在休日部活動指導が3時間3000円、対外引率手当が8時間以上で5300円となっています

また、週休日に行われる大会等に関しては、出張命合が出せないという理由交通費も出ません。

部活動顧問は、誰かがやらなければなりません。

強制ではないにしても、学校という組織を回すことを考えると中々断れるものではありません。

また、教師の都合で大会に出ない選択をする、というのも現実的ではありません。

使える体育館も限られていますので、週休日大会をやらない、というのも現実的ではありません。

しかし、数員は競技に影響が出るという理由で、冷房もロクについていない体育館に1日中いなければなりません。

今の形式を変えられないのであれば、週休日部活動手当を考え直していただきたいです。

生徒の安全をに責任を持つ立場として、納得できる手当ではありません。

特給法はじめ、今の公立教員給与体制には不満が大変多いです。

改善をしている最中ではあると思いますが、納得のいかない給与体制が続くようであれば離職も考えております

↑この内容を東京都教育委員会に送った

ケンカすっぞ❗️

動画あり】県立高校女子生徒 『露天風呂盗撮被害anond:20230630133259

県立高校女子生徒 『露天風呂盗撮被害 同じ学校男子生徒複数人が「盗撮」と「のぞき」をしたとして処分 学校報告書を提出

6/28(水) 18:04配信

RKK熊本放送

熊本放送

去年、熊本県内の公立高校女子生徒が修学旅行中に盗撮被害に遭ったとされる問題学校はきのう県教委に報告書を提出しました。

写真を見る】県立高校女子生徒 『露天風呂盗撮被害 同じ学校男子生徒複数人が「盗撮」と「のぞき」をしたとして処分 学校報告書を提出

この問題は去年、県立高校女子生徒たちが修学旅行先で宿泊施設露天風呂に入浴中に「男から覗かれた」などと教員被害を訴え、その後、盗撮されていたことが明らかになったものです。

この問題について学校6月27日(火)、熊本県教委に対し一連の報告書を提出しました。

■同じ学校男子生徒たちだった…

その結果被害を訴えた女子生徒たちと同じ学校に在籍する男子生徒複数人盗撮のぞきをしたとして、学校がこの男子生徒たちを処分したということです。

処分の具体的な内容や人数について熊本県教委は「プライバシーに関わる」として明らかにしていません。

学校は今後も、女子生徒の心のケアにあたるとしています

熊本放送

2023-06-28

anond:20230627173049

お子さんの意向教育方針がわからない。

そもそも今いくつぐらいなのか

・ずーっと今のところに住み続けているのか、引っ越ししているのか

・幼馴染がいることをどれくらい重視するのか

高校大学の進学はどう考えるのか

公立私立?塾代?教育費?

世帯年収700万(俺600、妻100)で 子 一人なら、15万とか家賃だせない?山手線内(文京区とか台東区とかで50㎡位)に住めない?

文京区公立小中荒れている所はないよ。

子どもが小さいのなら科博の近くに住んで通うとか、舞浜近くに住んで年パス買うとか、賃貸ならではのメリット考えてみては。

2023-06-26

若い頃はフルート吹きになりたかった

中高、吹奏楽をやっていた。

フルート以外に興味がなくて、授業中もずっと音楽楽器のことしか頭になかった。

楽器を吹いていないときは常に楽譜を書いていたし、

楽譜を書いていないときは常に楽器を吹いていた。

となりのトトロのような、人間より猪の方が多いレベルのクソ田舎のオンボロ公立中学フルート出会い高校は親に無理を言って県内強豪校に進学した。

通学には1時間半かかった。

必死練習して、人数が多いフルートパートの中では一年で唯一コンクールメンバーに選ばれた。

大学音大に行った。毎日フルートが吹きたい。ずっとフルートプレイヤーでいたい。そう思っていた。

 

就職先は県外の警察音楽隊だった。憧れだったオケマンにはなれなかったが、音大四年間で現実を見たわたしからすれば上々の結果だと思った。

県境を2つ跨ぐほど遠くの県へ。

これを機に、中学から付き合っていた幼馴染の恋人と別れることになった。

小学校から一緒だった。中学に入ってすぐ付き合い始めた。高校は別々だったけど地元が一緒なので電車時間を合わせて一緒に帰るのが日課だった。

大学生になって電車の方向が反対になって、会う頻度は減っていた。

なんとなく、大人になったらこの人と結婚するんだと思っていたのに、目の前に「県外の警察フルートを吹く」という道が現れた瞬間、この人と結婚する未来を選びとれなくなった。

フルートをずっと続けてきたんだから。親に無理言って私立高校大学に行ったんだから県内警察には空きがないから。フルートを吹かなきゃならないから。

 

警察就職して2年経った春、異動でやってきた上司と恋に落ちた。

彼は、わたしフルートの音がすてきだと、褒めてくれた。

幼馴染の元彼とずっと付き合っていたわたしとしては、恋する感覚というのを長年忘れていたと言うか、ままごとみたいな初恋の延長でしか恋愛したことがなかったわたしにとって、この経験は衝撃的だった。

抗いようもなく惹かれる。心が持っていかれる。好きな人の一挙手一投足、声、言葉、全てが、わたしの心を揺さぶる。

元彼に対しては抱いたことがない感情だった。

フルート一筋で生きてきたわたしにとって、上司存在猛毒だった。

上司上司で、同じように恋に落ちていた。

出会った年の冬のさしかかり、こっそり2人で飲んでいた時、酔いに身を任せた彼は、「駆け落ちしようか、もう」と言った。

そう、上司は既婚者だった。

わたし音楽隊の訓練やフルート練習もそこそこに、既婚者である彼との逢瀬やメッセージのやり取りに夢中になった。

彼の奥さんが家にいない夜は、電話をするのが日課だった。

奥さん帰宅した途端ぶつ切りにされる電話

不安、悲しみ、嫉妬絶望

会えた時の幸福希望

不倫の沼にズブズブと沈んでいった。

彼に愛されるのは幸せで切なくて極上だった。

フルートの楽しさ、音楽葛藤の数倍のアドレナリンだったと思う。

いつまでも2人の世界に住んでいたいと思った。

フルート音楽警察倫理もどうでもよかった。

一緒にいたくて、隣にいて欲しくて仕方がなかった。

 

翌年、わたし退職届を書くことになる。

奥さんにバレた。

奥さんは、わたしに、「監察官室にバラされるか、慰謝料払って退職するか、選んでほしい」と。

監察官バラされたら、彼のキャリアにも悪影響になると思った。

わたし慰謝料を支払い退職を選んだ。

 

警察寮に住んでいたため、退職引越しが同時に発生しとても忙しかった。

実家に帰りたかったが、兄が結婚した時に、両親と兄夫婦が同居の家を建てたため、わたし実家はもうなかった。

両親と兄夫婦の家に転がり込むのも気が引けて、ひとまずは就職先の県で新しく住居を探した。

それに、上司は「どんなに時間がかかっても必ず離婚する。待っていてほしい」と言っていた。

はいともいいえとも言えなかったが、この地に留まる理由の一つにはなった。

 

貯蓄を切り崩して生活しながら、市役所の職についた。

警察寮より狭いアパートで、もちろん壁は薄いしフルートは吹けない。

警察退職してからしばらくは休みの日なんかにスタジオを借りて吹いたりしていたが、別に誰に聞かせるでもないアクティティとしてのフルートはつまらなくなり、その頻度は減っていって、今はもう半年ほど吹いていない。

上司とは接触禁止命令が出ていたから、退職後は一度も会ってないし連絡もとっていない。

本名でやってる奥さんのインスタアカウントをたまに覗いて、上司の動向を探るくらいしか、接点はなかった。

先週見てみたら、待望の第一子を授かったと報告していた。

 

あんなに恋したのが、愛し合ったのが嘘のように、当時の記憶俯瞰して思い返すわたしがいた。

中学の時わたしの隣でクラリネットを吹いていた友人からラインが来た。コロナも落ち着いたし同窓会がしたいって。帰ってこないかって。

その流れで聞いたけど、元彼結婚してて、2人目が生まれるらしい。

 

わたしは、生まれた街から離れ、フルート吹きになるという夢も潰えて、何をしてるんだろうなぁ。

どこで間違ったんだろう。

フルートを始めたこと?警察就職したこと元彼と別れたこと?既婚者と関係を持ったこと?既婚者の言葉を信じたこと?

上司が「いつかまた会えるように」と贈ってくれた、内側にふたり名前刻印されたプラチナペアリングのかたわれは、今日も虚しく輝いている。

2023-06-25

anond:20230625001854

ご家庭のことに触っちゃだめだ

中学受験に失敗した両親が切り替えるのを待つん

公立先生に任せるんだ

2023-06-24

anond:20230621210336

リーマンショック世代の末路を語るよ。

氷河期世代を語る流れがあるからそれに乗ってみる。リーマンショック世代を忘れないでくれ。

筆者は女で、2007年大学入学2011年卒業国立旧帝大文系卒業してる。彼氏大学は違うが旧帝大文系だった。

まず、筆者が1年だった時の4年生、つまり3学年上の2008年卒の先輩方や、2学年上の先輩方はすんなり就職決まってた印象である高学歴だし、普通にやってれば決まるって感じ。

ところがリーマンショックが起きて、1学年上の2010年卒の人たちから雲行きが怪しくなってきた。学者肌ってタイプでもないのに院進して就活を遅らせる人や、最初から公務員目指してたのではなく民間が受からいから諦めて卒業してから公務員試験目指す人、全く専攻を活かせないパチンコ屋に就職する人が増えてきた。

筆者の年もひどかった。人手不足教員不足が叫ばれる現在では考えられないだろうが、余裕で受かると思ってた公立教員採用試験落ちたり、優秀な人が決まらなかったり。あえて就職留年する友人も多かった。女性活躍(笑)空気もまだまだなくて、女は採ってないんだな…と面接に行ってから思わされることも多かった。

真面目な人は病んでいた。そりゃ、真面目に一生懸命勉強してきたのに時代のせいでパイが少なければ病みもするだろう。筆者は真面目なタイプではなかったので、病まずに済んだ。やりたい仕事も将来の夢もなかったので、大した就職活動もせず、内定は無かった。SPI等は高得点だったが、やる気がないのを面接官に見破られていたんだと思う。

彼氏高学歴好青年なのに就活で苦労し、中小企業とも言えないような小企業入社を決めた。

筆者は、30ぐらいまでなら働きたくなったら公務員でもなれるだろうし、出生率からすると将来の人手不足は間違いないと踏んで(後出しではなく、本当に既にこの時そう考えていたのだ)、高学歴新卒カードをドブに捨て、長く付き合ってた彼氏との結婚に踏み切った。とりあえず住む場所が決まってからその後のことは考えればいいと思っていた。多くの家族人知人に反対された。一世一代の大博打であった。

卒業と同時に結婚、22歳貯金なし夫婦爆誕である

夫が就職した企業昭和ワンマン企業であった。真正ブラックとまでは言えないが、ほんのりブラックだった。残業代社長の気分でついたりつかなかったりした。

就職はいつでもできるが、子供若いうちしか産めないと思ったので、先行きも不透明なままに子供を二人産んでみた。もちろん男性育休なんて取れず、孤独子育てをした。

2014年アベノミクスが始まった頃、夫が会社を辞めて大企業転職した。3年しか経ってないのに、2011年卒業時とは社会空気が変わっており、ポンポン面接に進んですぐに内定が取れた。狐につままれたような気分だった。

2017年子育ての辛さに耐えきれず、子育てから逃げるために筆者は就職活動を始めた。両立ができなければ、いざとなれば、無理でした〜とケツまくって逃げれば良い。やってみなければ分からない。一人で家で子育てするより、保育園に預けて働く方が楽かもしれない。その可能性に賭けた。当時は待機児童が多く保育園も圧倒的に足りてなくて、認可外に入れつつ派遣社員として働き始めた。デスクワークだったので、仕事の方が楽だった。読みが当たった。

2018年、認可外で派遣社員なら月によっては保育園代>筆者のお賃金 になるのが馬鹿らしくなって未経験職の正社員転職した。

今、筆者は仕事幸せな家庭も子供も手に入れてるが、それはたまたまの結果でしか無い。一歩違えばどんな未来があっただろうか。

卒業と同時に結婚せず、真面目に就活して、キャリアを追求してたらどんな未来があっただろうか、とは思う。

あの頃はそうするしかなかった、と自分を言い聞かせる。正しい道なんてない。選んだ道を正解にしていくしかないのだ。

2023-06-23

anond:20230623212743



どうや?魅力的やろ?

2023-06-22

勤続30年

モラトリアム経て学部新卒25歳で素材系メーカ就職

ここまでの累積賃金(支払い)2億円ちょっとくらいかな。

30歳ちょっとで3子の父となり、35ちょっとでもう一人。

小中は皆公立高校は私2公2、大学は私3現在末1が国立てな具合。

子の大学奨学金は活費に充てたので月々返済分を仕送り

バブル余波入社のしかりで一昨年打診により早期退職ちょい上積み退職金

早期退職金の30%くらいは信用金庫政策金融公庫教育ローン返済に充てた。

持ち家は2800万円頭金なし35年金利変動ローン、

隣家賃の8掛けくらいの月々支払い。3年前借り換えを匂わせたら金利が下がった。

5年落ちのワンボックスを15年乗ってたら税金燃費エラいことになり

5年落ちのミニバン退職金で乗り換えた。

まぁなんだ、何が言いたいかというと。

生涯賃金同じくらいの独身ご同輩はポルシェ乗り換えてんの?」

ってことを訊きたい。

anond:20230622102933

正直、容姿に振ってモテ側に回るのが一番効果あったと思う。

スポーツや腕っぷしで舐める舐められない、足が速いから云々とかいうのは公立の小中で終わる。

んなことより外見が良い、これはその他全ての事にバフがかかった。

出来ることには4割増しくらいで称賛が、出来ない事は愛嬌流れる

容姿の良さのバフ効果は男女関係が無いので早くから雰囲気でかっこよく、可愛くなるべきと思う。

雰囲気で誤魔化せない不細工は産んだ手前の不細工を呪おう。

我が家超能力者

昨日、妻から聞いた話。

学校から帰ってきた小学校4年生の娘、妻が玄関ドアを開けると、ドアの前で半べそをかいている。

何があったのかと尋ねてみると、

「私、人と違うみたい...植物と話ができるの...」

予想の斜め上をいく返答に戸惑い、それでもいきなり否定するのもどうかと思って、とりあえず話を聞く妻。

学校にある植物と話ができた。」

「その植物にとまっている虫とも話ができた」

等と話を始める娘。

「...そう。ママは、植物がどんな気持ちでいるのか聞いてみたいものだわ。」

反応してもらったので調子に乗ったのか、

「校庭を回って、学校にある全部の植物と話をした」

遊具の前は、やっぱりちょっとうるさいんで、イヤみたい」

「そうじゃない場所植物は、静かでいいよ、だって

その話は誰かにしたの?と妻が聞くと、

「うん。そしたらね、私の他に3人も、『◯◯ちゃん植物の会話が聞こえた!』って子がいたの」

妻は戸惑いつつ

「あまり人には言わない方がいいのでは」

コメントした、とのこと。

昨日、Huluで『SPEC』を見たからでしょうか、でも、もう4年生ですよ、と虚ろな目で呟く妻。

子供の頃から常に現実意識しているタイプの妻に比べ、私は想像妄想の中で遊ぶことの多い子供だった。

から、娘がそのような想像をして遊ぶ事には、特に驚きはしない。

ただ、自分妄想を公にすることはさすがになかった。

-------------

仕事帰り、駅から家に歩いて向かう途中で、近所の歯科医から出てきた妻と娘と偶然一緒になった。

3人で並んで家まで歩く。

妻が道端に咲いている花を指して

「きれいだね」

と言ったところ、娘、その場では

「そうだね( ^ω^ )」

同意しただけだったが、少ししてから

「あ、せっかくだからお話しておけばよかったな!」

と言う。

まだそのキャラで行くつもりか、と思い、自宅マンションのすぐ手前までやってきたところで近くの木を指して、

「この木は随分と昔からここにあると思うんだけど、このマンションが昔はどんな感じだったか、知っているんだろうか...」

と言ってみたところ、娘は少し立ち止まって神妙な顔をしてから

「...あのね、昔はタイルじゃなくて、もっと赤い色のレンガだったんだって

と教えてくれた。

へぇ

と返事したけど、お前、その木に騙されてるよ。

--------------

寝室でゴロゴロしている私のところにやって来て、

「あのね、これはまだママには言ってないんだけどさ、」

と話し始める。

超能力で、植物と、それから植物にとまっている虫と話ができる、って言ったでしょ?」

そこまで聞いた私は、その少し前に娘が妻から別件で

「間違いを犯したことは良くないけど、それを隠そうと誤魔化したり嘘をつくのはもっと良くないことですよ」

と諭されていたことを思い出し、そうか、ついに「実はあれは作り話なの」と告白する気になったか、と期待しながら続きを聞く。

「あのね、動物の声も聞こえるようになっちゃったみたい...」

不意打ち。

今度は動物か。

「通学路の十字路のところに、犬を連れたおじさんが座ってるのね。その犬がね、『私の名前は○○だよ』って教えてくれた。そのおじさんがつけた名前とは違うのかもしれないけどね。」

それを言いにきたのか。

ママが買い物から帰ってきてカステラ出してくれたら、ママにも言うつもりだから、先に言っちゃわないでね。」

ママ特に聞きたくはないはず。

--------------

夕飯の時間サラダを食べている時に、ふと

「このレタス言葉は何か聞こえるか?」

と聞いてみる。

妻が、

「もう、その話題をこっちから出すのはやめなさいよ」

という表情をしている。

しまった、と思っている私に、娘は「何をおかしな事を言ってるのこの人は」とでも言いたげな表情で、

「お料理されたものは、何も言わないよ」

と教えてくれた。

--------------

3週間ほど前に受けた『全国統一小学生テスト』の結果が返送されてきた。

中学校受験はせずに地元公立に進学の予定だが、無料だということで一年前に試しに受けさせてみて、それ以来受け続けている。

一回目を受ける時に3DSを欲しがっていた娘は、

「上位○○までに入ったら買ってもらう」

という約束を取り付けたのだが、目標を達成できなかった。

テストの案内がくる度に「今度こそ3DSを!」というつもりでいるらしい。

そのくせ、そのために勉強する様子もないので、親の側も娘本人も、正直なところあまり真剣味はない。

今回も妻が「上位15%に入ったらね」という、どう考えても無理な条件を出したのだが、

「よし、15%ね!がんばるぞ!いける!」

根拠のない自信をアピールしながら、前日はYouTubeラーメンズを見ていたので、テストの採点はルーレットで決めているとでも思っているのかもしれない。

結果は、まぁこんなもんだろう、というものだったが、理科は平均点に届いていない。

本人、当日帰宅してからは「理科バッチリできた!」と言っていたはずなのだが。

詳細な採点結果や解説を見ると、特にできていないのが「植物」と「昆虫」の項目だった。

超能力がちっとも活かされていない。

--------------

これらは9年前にSNSに書いた日記

SNS仕様で、親切に「◯年前の今日日記です」と教えてくれる。

子育て過程で悩むことも多かったのだが、日記には主に楽しかった事を書いていたようで、過去のこれらの日記に励まされた事もあったように思う。

『◯◯ちゃん植物の会話が聞こえた!』と言ってくれた同級生とは、今でもLINEのやり取りがあるらしい。

理科の点数はずっと低調だった娘だが、今は理系学校に通っている。

超能力は、もう無いとのこと。

2023-06-21

anond:20230620104704

同じ時期に就活した女だよ。

2000年代も確かに氷河期だけど、この増田が書いている氷河期第1世代はもう一つ忘れてはいけない不遇がある。

それは「団塊ジュニア」という、人数が多い世代だということだ。

世代の人数がとにかく多い。つまり競争相手が多すぎて大学受験が熾烈を極めたのだ。

私は県内公立の中でも有数の進学校に通っていたが、当時のクラス数は1学年14クラスもあった。この学校だけでなく、全体的にそうだった。そもそもこの学校に入るのも高倍率だったのだから、どれほど人数が多かったか

1972年まれピークに、前後数年はそれぞれ200万人の同学年がいた時代だ。今の子供の倍以上である

人数が多い世代からといって、大学キャパを急に増やしてくれるわけではない。

受験倍率は早慶レベルでも10倍超。

今みたいなAO入試などない。国公立は5教科が必須浪人当たり前。予備校大繁盛。

予備校ブギ」なんてドラマもやってたほど、浪人は珍しくなかった。

私も女子だったが現役では志望校に受から一浪して入学した。進学校ではそれが普通だったのだ。

親の意向で「女子が4大なんか行かなくていい」という家庭の女子短大に進んだが(当時はまだそんな価値観があった)大半の同級生は4大を目指し、厳しい競争をなんとか勝ち抜いて有名大学生切符を手に入れた。

そうやって勝ち抜いて勝ち抜いて手に入れた有名大学生肩書なのに、それが就活の段になって全くの紙屑になった。

増田が書いていたように電話帳くらいの厚みがある(あ、今の人に電話帳と言ってもわからいか資料請求ハガキ綴込みのリクルート本が家に届いて、ひたすら手書き資料請求。300社くらい出したっけ。それくらい普通だった。

そして女子というだけで資料すら送ってこない会社多数。

インターネットがまだ普及していない時代資料を送ってこない会社はそれ以上コンタクトが取れず、その時点で門前払いなのだ

会社説明会は電話申し込み。コンサートチケットを取るが如く、電話をかけまくる。携帯電話などまだない。家の固定電話だ。

やっと繋がっても「申し訳ありませんが定員になりました」と断られること多数。

面接の段になっても、健康診断まで受けて絶対内定確定、と就職課に言われた最終面接で落とされた会社もある。曰く「諸般の事情女子は今年は採用しないことにしました」だと!だったら最初から取るんじゃねーよ!

結局大卒がやらないような職種会社しかからなかったが、鶏口牛後を目指そうと気持ちを切り替えて働いた。正社員採用されただけまだ恵まれていた。

数年頑張り会社内でも評価され、幹部候補生選抜され高度な研修も受けさせてもらえた矢先。

会社倒産した。

今の会社には見るに見かねた親戚のツテで入れてもらった。そういう裏ワザがないとまともな転職先すらなかった。前の会社の同僚はほとんど連絡が取れなくなった。

大学の同期で働き続けている女子ほとんどいない。

私よりはるかに優秀だった子達もいたけど、結婚を機にみんな仕事を辞めた。辞めたというより「辞めざるを得なくなった」。寿退社暗黙の了解だった会社がまだまだ多かったのだ。女子社員結婚とか妊娠とかは、会社側にとって体のいい「辞めてもらう理由」でしかなかった。

仕事を続けたければ、結婚はできなかった。

私は仕事を続けたかったので、結婚は諦めた。

幸い自分1人食わせられるだけの稼ぎはあるし、同じような独身女性が多く、それなりに人生楽しんでいる。氷河期だし人数多いしろくでもない世代に産まれちまったが、それも運命と諦めている。

大学無償化の年齢差別ヤバい マジでやばい

今年、20台半ば過ぎにしてついに俺は大学に受かった。

具体的に言うと北海道大学医学部医学である

俺は昔から医者になりたかった。中学生ときにはもう医者になろうと思っていた。

しか現実非情であった。俺が高校1年生に上がった頃、俺を女手ひとつで育て上げてくれた母がぽっくりと逝ってしまった。

そこで北海道祖母の元に預けられることになったのだが、祖母はすでに70歳を超えており、さらに軽度の認知症であった。

必然的高校は転校か退学を迫られたわけだが、祖母の強い要望により俺は高校を退学して働くことになった。

これが10年ぐらい前の話だ。

とはいえ、俺は医者になる夢を諦めるつもりはなかった。

祖母の友人のパン屋にて最低時給で働きつつ、少しづ大学進学資金を貯め、高校卒業認定試験に受かった。

しかし19歳のころ、今度は祖母が死亡。俺は天涯孤独の身になった。

20代も半ばに過ぎたころ、ついに生活に余裕が出てきたので俺は念願の医学部受験に挑戦することにした。

俺はことさら不幸自慢をするつもりはない。と言うか、自分が不幸だと感じたことはない。俺と同じ待遇でのたれ死んでいるやつは確実にいるはずだし、これが俺の標準だからだ。自分の状況に文句を言っているだけでは、明日の飯も食えない。

さて、医学部受験の話に移る。俺は北海道に住んでいたので、道外の大学に行くことは資金的に不可能であった。

北海道では大昔から医師不足が叫ばれ、コロナから自然医療崩壊していると指摘されて久しいが、その割には医学部が3つしかない。北海道大学札幌医科大学旭川医科大学の3つだ。

これが首都圏だったならば私立医科大学という選択肢視野に入るのだろうが、資金的に無理だった。私立医科大では受験料に10万円近くかかるし、そもそも受かったとしても授業料借金だけでは賄えない。この仕組みを知った時、「そりゃ、医者の息子は医者になるわ」と思った。俺のような貧乏人は受験料すら払えないが、彼らはガンガン払える。スタート地点からして違うのだ。

とはいえ文句を言っていても仕方がない。

俺は北海道大学医学部医学科を焦点を当て、ついには受かった。1年間集中して勉強に捧げたため、生活費はとっくに底をつき、受からなければ首を吊るしかないという状況であった。

当然、入学費や授業料が自前で払えるわけがないので、日本学生支援機構借金をして入ることとなった。

さて、ここでぶち当たったのが「給付奨学金制度」というやつだ。

これは比較最近まれもので、生活の苦しい学生学費給付するという制度だ。

さらに、「給付学生」になると国公立ならば大学授業料無料(!)になるというおまけ付きだ。

なんという良い制度であろうか。

俺は早速申し込んだが、却下された。

理由は「年齢」である

というのも、この給付奨学金制度では「高校卒業2年以内(20歳以下)」でないと対象外になり、問答無用で失格となるのである

俺は高校卒業認定をとっていたが、これも「1 8歳から5年以内(23歳以下)」でないと対象外。どれだけ貧しかろうと、どれだけ生活に困窮してようと、23歳以上に給付奨学金絶対的に出ないのである

「それならば仕方がない。なら給付奨学金は要らないので、授業料免除だけしてほしい」と言ったところ、これも却下であった。

なぜならば「給付学生」でないと「授業料免除」には該当しないのである

それならば給付奨学金が無い時代授業料免除はどうなっていたのか?それは大学独自学生収入を元に授業料免除できていたのだ。

その頃には20代、30代だろうが、収入が少なければ授業料免除になる可能性が高かった。

しかしながら「給付奨学金制度」が出来たことにより、「授業料免除制度」は「給付奨学金制度」の一部分扱いになり、20代は問答無用借金をしなければいけなくなったのだ。

俺は愕然とした。

というのも、ほとんど俺と同じ待遇医学部に入った5年生の先輩と話す機会があったからだ。

その先輩は給付奨学金制度がない時代20代後半で大学に入り、大学独自授業料免除制度でなんとか大学に入ることができたのである。彼が卒業するまでは免除対象であるという。

これはひどい。いや、ヤバい不公平感が半端ない

国は「学び直し」を声高に叫んでいるが、これが今の実態である

謎の線引き、謎の境界線

まるでヨーロッパ人勝手国境を引かれたアフリカ人のような気分だ。

追記:

給付奨学金」は経済的困窮者が大学に行けるようにするための制度だが、果たして高校卒業してから2年以内に大学に進学しようと決められる困窮者が大多数なのであろうか?

経済的困窮者は高校卒業後、「大学に行く」というメリットがありつつも、働かなければ生活がままならない者が多いはずだ(俺は高校すら行けなかったが)。

そういった人々が成人を迎え、「大学に行こう」と決めても、国が一律かつ絶対的に決めた「高校卒業から2年以内まで」という謎の縛りで困っている人はたくさんいるはずだ。そんな気持ちでこの記事を書いた。

国に問い合わせて見ると、「卒業から2年以内」を変える予定は無いようだ。「どうして卒業後3年や4年や5年以内ではなく、2年以内なのか」と質問しても「そう決まっているから」としか言われなかった。俺たちは制度の中で生きているので、制度の内容によって人生は大きく変わるし、それは納得できる。しかしながら、「なんとなく」で決められた制度人生を大きく左右されるのはキツイ

追記2:

【これまでの授業料減免制度

大学収入を報告する

大学学生の年齢など関係なく困窮具合を判断

授業料減免

【今の授業料減免制度

日本学生支援機構給付学生として採用される

20歳以上は申し込みが絶対的に不可。理由不明

給付奨学金を受けた人のみが授業料減免を受けられる

ディストピアまっしぐら

しか公立なのかよ…

https://news.yahoo.co.jp/articles/8ad2010ecaa0c279e014640d39b6c33bda3e8adf?page=4

5月9日朝、埼玉県久喜市鷲宮中学校の1年3組では、家庭科の授業が始まっていた。生徒31人の手首には、脈拍を測るリストバンド型の端末が巻かれている。「集中度」をほぼリアルタイムで把握できる日本初のシステムがこの日、初めて本格稼働した。保護者には概要を伝え、個人情報への配慮説明了解を得ているという。 

今回のシステム提供しているのは元国立健康・栄養研究所協力研究員高山光尚さんと、ヘルスケアIT企業バイタルDX(東京)。高山さんに聞いたところ、脈拍に着目するのは、身体機能を調整する自律神経との関係が深いためだ。 

「脈拍はうそをつかない。自分ではコントロールできないから」

生徒の評価には使わないって、それも実際はどうなるのかと思うが、

教員評価には使うんでしょ?

まずは教員の準備の時間を確保するとか、全国一律な質を提供できるようにするとか、やることあんじゃねーの。

Youtuberみたいな教員ばっかりになるんかな。

あと生徒が思春期の時期ってのも気になるわ。

anond:20230621122152

公立はいまのままでいいけど、私立給料倍くらいしたらいいのに。

anond:20230621102933

割りとガチめに美大に行く女は金持ちの出だし

美大に行く男も金持ちの出だぞ

進学準備の予備校そもそもクソ高いし私立美大学費やばい

学費安い国公立はなかなか現役で入れないし(今はまだマシだろうが)

まあ中には極貧家庭のもいるけど少数派や

美大に行く時点で別に速攻働けなくてもしばらく困らんくらいの奴らだからな。

ワイがそうだしな

2023-06-19

anond:20230619102657

自動車学校下層階級コース区別がないからな

そんな連中と机を並べるのは公立中学校以来だろう

ナンパされてもリスクしかない

祖母が死んでいた

間違い電話の折り返しで母と話したとき祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.

祖父はかなり前に他界している.祖母一人暮らし痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.

最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.

年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.

から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代親族がそれを許さなかったそうだ.

おぼろげながら思い出せる会話から教養の片鱗は覗かせていた.

2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.

理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父レイプされたそうだ.

母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.

当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.

そのときの母の絶望想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係破滅した.

私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.

因果関係不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.

短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.

小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.

いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁お気に入り自転車サドルをめった刺しにした.

私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費負担してくれる程度には父は稼いでいた.

勉強研究は楽しかった.指導教員にも恵まれJASSO奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.

私は病んだ.祖母憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.

ほどなくして不登校となり,カフェインLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.

幸い研究業績は積み上げていたため,職にありつくことはできた.毎日リーマスやラミクタールを飲むことでどうにか生きている.

祖母が亡くなったと聞き,帰省の際時折見せていた物憂げな表情を思い出す.

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん