はてなキーワード: 信頼関係とは
私が結婚した相手の男性は異性としての性的魅力はないけど、一人暮らしの生活を一人で営むだけの家事能力があって、経済的にも自立していて、私との信頼関係がある人でした。
結婚前に夫婦で平等に家事を分担して二人で共働きで生活していこうと様々な事柄に関して相談したところ二人の意見は合ってました。
結婚前まではそうでした。
結婚後そうではなくなりました。
実家で生活しているときも男尊女卑の気配はなく、独身生活の頃は毎晩自分の家に来る私に食事を作ってくれていて、結婚前の同棲時も私の体調やあれこれを気遣って家事炊事分担してくれていたのも、いつも笑顔で優しかったのも、入籍後全部変わりました。
入籍前に私の親戚の人を見る目がある定評のある人複数に紹介して結婚相手としてどう思うか確認もしました。
みんな太鼓判押してました。
AS→ミリシタと新作でキャラプロフィールに齟齬が出てるけどどういうこと?
シンデレラ→無難な所が選ばれてるけど5/190とか少なすぎる、担当が出ないならスル―安定
ミリオン→ミリシタであれだけ散々52人で765プロ、一人も手放さないって歌って置いてCSでは34人手放すの?
M→普段は運営を信じよう、たのしいところをみて課金して応援しようと言っている層を巻き込んでの大炎上
シャニ→白スーツP以外にプロデュースされるのがNTRで嫌だ、文章で評価されていたゲームだからライターが変わったことでキャラブレしないか不安
って感じで全方位不安と不満が漏れ出ててこれ本当に大丈夫なのか?
自分は一応シンデレラ、ミリオン、Mマスの兼任Pで(シャニまで手を伸ばす金と時間がない)合同ゲームやライブはそれなりに楽しみにしてた立場なんだけど
やるにしてもいろんな事務所を巻き込んだ合同フェス!765プロ、876プロ、シンデレラプロ、315プロ、283プロの5つある事務所から好きな事務所を選んでプロデュースし、最高のフェスを作ろう!!みたいなのを期待してたから、他の事務所のアイドルを765Pが一括で面倒見るのは思ってたのと違うなと感じた
シンデレラのアイドルがあの無能水飲み鳥から解放されるのは有りだけど、シャニは(フォロワーからの外聞でしかないが)白いスーツのシャニPでないと話が上手く成り立たないアイドルもいるらしいのでそのあたりでキャラクター性に齟齬が出た場合の不安が出てくるのも仕方ないと思う
キャラクターの出身地が変わっているのもこういったキャラコンテンツでは地味に痛手ではないのか
ユーザーの混乱もだが、公式でキャラクター設定に対する共有や連携が取れていないと公表しているようなものなのでゲーム内でのキャラクター描写は本当に大丈夫なのかと心配になる
特にシンデレラではモバマス→デレステで設定の連携が取れておらずキャラクターが別人のようなセリフを喋った例が多々あり、酷いものでは中学生か高校生かブレるキャラもいて不信が募っているからこういった設定の部分ではユーザーは殊更敏感になっている
キャラゲーにおいてキャラクター設定はゲームの根幹にかかわる大切な部分なので、何度でもいうが本当に大丈夫か?と問い合わせたくなってくる
キャラ選出も基準があいまいで、シンデレラは開発の言を信じるなら開発が始まったと予想される時期に人気のあったキャラをまとめているがなぜかミリオンは信号機、シャニの人気の位置づけは詳しくないが個人的によく話題を耳にする三峰、田中、あさひ、霧子のあたりが外れていて何を基準に選んだ?と疑問ばかりが残る
Pラブ勢を避けたのだろうか?
sideMに関しては難しい部分であると当のMマスユーザーも感じていたと思う
今回は混ぜなかったことで荒れているがおそらく混ぜていても荒れていたことは想像に難くない
ただし、ここまで15周年は”5つのアイマス合同で”お祝いする、と言う体裁を取っていた為突然周年祝いのメインの一つであるゲームで省かれたこと、存在をゲストの言及があるまでなかったかのような振る舞いは誠意がなさ過ぎて笑いしか出なかった
ここまで、みんなで一緒にアイマス!と謳っておきながら肝心の場所でのお前の居場所はない、というやり方は公開苛めを見ているようで正直胸糞悪い
今回の件でツイッターのフォロー外から流れてきた言葉ではあるが「できない感動ポルノは最初からするな」の一言につきる
ここ数年Mマス自体が常に不安定な空気を孕んでいて素直に315!!と叫ばせてくれない状態ではあったがここにきてこの扱いはないだろ
せめて一言「今回のゲームは女の子メインだから男を混ぜることは難しかった、(嘘でも)埋め合わせは検討している」の一言をゲストの言及前に言えていたならばここまでの燃え方はしなかっただろう
ASのユーザーも折角の新作でこのような燃え方をするのは不本意だろう
合同は楽しみにしていた、と前述したがそれはゲームではなくライブの話だ
シンデレラのtrust meのように男性ボーカルの方が曲が映えるのではないか?と思わせる曲がいくつかあり、Mマスにも女性ボーカルで聞いてみたい曲があってその部分に対するシャッフルや交流を見てみたい、と言う思いがあった
あったのだが、流石にこの燃え方で呑気に合同ライブ楽しみ~と言えるほど能天気でもない
ゲームの方で合同が出るとは全く期待していなかったが、まさか生放送で公開苛めじみたことをされるとは思っていなかった
あのオレンジの服着たおじさんは以前から失言が多く、アイマス開発のアイコンではあるのだがせめてミリオンの12月の生放送で公開セクハラじみたことした時に燃えて発言に気を付けるべきだと思わせた方が良かったのでないかと若干後悔している
失言が多くても堂々と現れさらなる失言を重ねているので意味はなかっただろうが
ゆくますでMマスの扱いが悪いのでは?という燻りがあったものの、おっさんだから女性と男性で接し方に違いが出てしまうのは多少は仕方ないと割り切ることにしていた
まさかここまで自分たちの作ってきたコンテンツに無責任になれるとは思っていなかったし、それはMマスだけではなく全部のアイマスに対してだ
シャニの(未プレイなので他人の言葉を借りる形になるが)時間をかけて積み上げたPとアイドルの信頼関係
それらを切り捨てた今回の合同にどれほどの魅力があるのか
悪い事ばかりではなく、シャニマスのアイドルは新たに3Dモデルをもらえる、と言ったメリットも存在する
だがこれも参加するアイドルが限られている以上余計な格差を生んでしまう
やるのであれば、こんな中途半端でいじめに見えかねないやり方ではなくもっとユーザーの期待に答えられるような発表をしてほしかった
身近に自殺願望の強い人がいる。ここではAとしよう。Aは女性である。
まだ若いが、家庭環境に問題があって自己肯定感が上がらない。学校にも行けなくなり休学している。
Aは、SNS上でしきりに自殺をほのめかす。市販薬を乱用したり、リストカットをしたりしている。若気の至りという言葉では片付けられないほどに、あまりに死にとらわれている。
同じくSNS上で、そんなAに「生きていて欲しい」と声をかける人がいる。この人をBとする。Bは男性だ。
B自身も少し心を患っており、Aほどではないがたまに自殺願望を表明することがある。しかし、Aほど鬼気迫る感じではない。
2人は恋愛関係にあるわけではないが、信頼関係を築けているようだ。
Aが「死にたい」というと、Bは「ダメだ」「生きていて欲しい」という。日によってはAが「わたしは生きていてもいいですか?」といって、Bが「いいんですよ」という日もある。
しかし、段々とBの「生きていて欲しい」はAにとって負担となってきたようだった。それはつまり「死にたい自分を肯定してもらえない」という、ひどく歪んだ承認欲求によるものであるようにみえる。
「死にたい自分を肯定して欲しい人」にとっては、「死なないで欲しい」とは自己を否定されたように感じていたたまれないのだ。ここにAの死への強い憧憬がうかがえる。
しかし、Bが声をかけていることで踏みとどまっているのもおそらく事実だろう。ではBが折れて、「わかりました、死にたいあなたを受け入れます」と言ったとき、Aはどうなってしまうのだろう?
Bが折れるとは思えないが、そもそもBはなぜそんなにAを引き止めるのだろう。
措置入院だと3ヶ月で出てきてしまうのでその後は医療保護入院に切り替えて、ある程度まとまった期間、入院加療させることをおすすめしたいです。そうすることで、病院内で患者同士の人間関係や医療従事者への信頼関係なりが出来上がったりするので、、
私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点取ると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した。
https://twitter.com/hiromi_kanzaki/status/826965836497719296
「40歳になってもエイルガムのプラモを破壊された時に母親を殴った事を自慢している」事ばかりが取りざたされ、死んで当然の極悪人と扱われている被害者だが
もしもこのツイートが真実なら、あのように育つのは無理からぬ話であったと思う。
激務の事務次官は家に帰れず妻に被害者の子育てを一任していたわけだが、配偶者不在の子育てというものは力での支配が容易であり、それを阻止する者がいないため簡単に歯止めをなくす。
エリートの妻である母が「偉大な夫に相応しい子供を作らなければならない」というプレッシャーを受けていたことは想像に難くないが、
そこで暴力という安易な支配に溺れ信頼関係の形成を怠った結果暴力が親子の法となってしまい、息子の身体成長によって力関係が逆転した時言葉による説得は既に意味を持たなかったのだろう。
(息子が容易に母を殴れたのも恐らくは母親から「力が強い方は不当に相手を苦しめてもいいし、哀願を聞かなくていい」と学んでいたからだ)
被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、
だからといって現代であれば明らかに教育虐待に分類される育成を施し、さらにその記憶もないと言い出すような母親(支配の段階にまで達した教育ママというのは概ね狂人であり、暴力から嘘までかなりの事をしでかす)の証言を一から十まで鵜呑みにして全て被害者が悪であったと述べるのは危険を感じる。
狂人の息子に対して父親としての役割を遂行しただけであるから執行猶予を付けろ、等といった言説は論外である。
少なくとも十代の時期彼は真に被害者であり、単独で他の運命を選ぶことは不可能だった。違う道を歩むためにはサポートが必要だった。
父親は息子が廃人になった後でなく、母が圧政を敷いていた時や学校で爪弾きにされるようになった時期にこそかかわりを持つべきだったのである。
さて被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、(二回目)
恐らく巷の十代の少年少女には同じように過酷な環境で憂き目を見て、今まさに廃人になりあるいは(自殺を含め)殺されて行こうとしている者が大勢いる。
そうした子供たちに関して本件の反省は生かされなければならないと思う。
今後発生する似たような事案に対しても我々世間が今回と同じように「お前が悪いのだから死で償え」と鞭を振り下ろし続けるなら、それはあんまりだ。
娘をスパルタ教育で潰し、廃人となったそれを疎み粛清する事でリセット、己が被害者であると触れ込んで同情を得る……と言った事が成立する社会はあってはならないのである。(なお世間では既に事実として扱われている事務次官の供述は概ね信憑性を認められていない)
世間はもっと発育という事に関して理解を持ち、それが無理ならより高度なサポート体制が実現するように行政は努力すべきであろう。
たぶんお互いに何かを使うということが必要なんだろうな。
会って話をするというのは移動する手間があって時間も使うし、飲食店に入ればお金も使う。
お互いに負担が生じてわざわざ関わってくれていると思えてはじめて信頼関係が生まれる。
ネットは手軽すぎる。
人間の傍にいて頼れるパートナー。その資質を見ても歴史を見ても、犬がナンバーワン(しゃれではない)であることは間違いない。
人類と犬の歴史は古く、猫では逆立ちしてもかなわない。そしてもちろん猫は逆立ちをしない。
そんな犬とのコミュニケーションが、猫「よりも」深いかは置いておくとしても、少なくとも相当程度に複雑であることも、これまた否定しない。人間は犬と共同で、野山で、森林で、河川で、海浜で様々な行動をとってきた。生き抜くために必要な、さまざまなミッションを共にこなしてきたのだ。歴史の中で、犬は人間にとって欠かせないパートナーであり、コミュニケーションの相手であった。そのことに全面的に同意する。だが、そのことは、こと今回の話題においては、明白に二、三のディスアドバンテージとならざるを得ない。それについて説明しよう。
(1)「他者」性の弱さ
犬は人間にとっていつも欠かせぬパートナーであったが、それは、犬が群れを作って生きるという性質を利用したものであった。そして、犬は群れの秩序を上下によって保つ。そのため、人間とのパートナーシップにおいても、犬はそれを「上下関係」として捉えるのである。結果、そこに現れるのは、「命令をする/実行する」とか「叱る/従う」のような、「一定のルールにしたがった意味交換」的コミュニケーションである。特に、中型犬以上のサイズになると必須になる「躾」の実施は、この関係性を加速させる。
これに対して、対人間、対猫のような独立性の高い生き物相手のコミュニケーションにおいては、「命令をした/(しかし)/無視された」とか「叱る/(なぜか)/遊ぶ」のような、コミュニケーションの非対称性が露わになる。必然的に、「相手の行動の意図を推測する」といった、より複雑な思考が求められることになるのだ。これは、犬とのコミュニケーションでは身に付けづらい能力である。コミュニケーションの経験値を上げるためには、やはり猫の方が優れている。
(2)犬の本能を満たすために
犬は探知し、索敵し、探索し、追跡して獲物をしとめるハンターである。これは野外生活に適した性格であり、人間が狩猟採集時代から重宝した、犬のパートナーとしての資質である。その本能を満たすために、散歩などの運動が欠かせない。だがこれは、現代の都会生活、そして、他者とのコミュニケーションに課題を抱える人には、残念ながらあまり適した資質とは言えない。犬と適切にコミュニケーションをとるためには、ただ同居するだけでは不十分なのである。
猫にももちろん運動は必要だ。だが、それは室内で対応できるものだ。木の上に潜み、待ち伏せし、忍び寄って相手をしとめるハンターである猫の方が、現代の都会生活におけるパートナーとしては優れている。
そもそもの到達点を思い出そう。「彼女ができなくて辛い」である。では、もし彼女ができたら、犬はどうするのだ? 「かけがえないパートナー」となってしまった犬は?
できれば一日複数回の散歩に同行し、密な信頼関係とコミュニケーションと何より「共に過ごす時間」を求める存在が犬である。これと彼女を共存させるのはなかなか難しい。彼女が大変犬好きであることを前提としても、おそらく中、大型犬となれば、時間配分において、彼女か犬かを迫られることが大変多くなると想像される。想像してみてほしい。一度や二度ならともなく、彼の家に遊びにいったら毎回犬の散歩に付き合わされる状況を! 彼女との関係を壊さずに犬を飼うことができるのは、彼女とのパートナーシップが進行して首尾よく結婚し、田舎に一軒家を買って子供が生まれてすくすく育ち始めて、そのあと、くらいになるだろう。
対して猫だ。猫はいい。猫は犬ほど時間を奪わないため、大きなトラブルがなければ彼女との共存も不可能ではない。それだけでなく、部屋に猫がいるだけで彼女は(猫好きであろう)部屋に来て、そして、こちらが苦手な会話をしなくても、とりあえず猫と遊んで時間をつぶしてくれる。こちらは猫と彼女を眺めてにこやかに写真を撮ったりしていればそれでいい。楽だ。付き合い始めのきまずい時間も、猫がいるだけで大幅に解消できるため、彼女との末永いパートナーシップを良好にしてくれるだろう。猫は自立し、待機する。猫は、犬ほど人間とのパートナーシップが密でない。だからこそ、彼女ができてからも、猫は共にいられるパートナーなのだ。
(4)最期に…
これは完全に偏見の域だが、彼女に犬をひけらかす男は、どうも男性ホルモン多めのオラついた方々が多い気がする。中、大型犬は原則飼い主にしか心を寄せないので、彼女に対しては警戒心を露わにすることが多い。そういう犬を「おとなしいんだよー」とか笑いながら見せつけ、彼女が内心少し恐怖を覚えてひきつった笑顔を見せたりするのを見てニヤついているような印象がある。どうもDV男臭い。一方、猫好きにはそういう男はいない。そもそも猫自体が、飼い主であるとないとに関わらず勝手に他人を評価するところがあるので、犬をひけらかすように猫をひけらかすのは難しいし、そういうことをしたい人はそもそも猫を飼わない。もちろん、犬好きが全てDV男というわけではない。だがDV男は猫を飼わないというのは声を大にして言いたい。世間にはDV男好きの病んだ女性もいるが、そういう人にモテたいのならともかく、健全な精神をもった一般的な女性を安心させたいのなら、無難に猫をおすすめしておきたい理由の一つがこれである。
いかがだろうか。犬の、人間のパートナーとして「最善」である理由のそれぞれが、今回の場合はむしろディスアドバンテージになってしまうということが、これで犬派のあなたにも理解されたことと思う。彼に勧めるパートナーとしては、やはり猫しかない。猫しかないのだ。
https://www.asahi.com/articles/ASMD46V8RMD4UUHB01N.html
さすがに
>赤ペンで「その痛み、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる」「負の連鎖をどこかで断ちきろう」などと感想を書き込み、他の児童の文章と一緒に教室に張り出した。
はありえないと思うが、でも生徒からいじめの相談されても対応できないし対応したくないという気持ちはすごくわかる。
自分が教師になってから思ったけど、いじめの訴えを担任に相談したら何とかしてくれるかもしれない、なんて勘違いは今すぐやめろ。
生徒は自分の担任に期待しないで直接教育委員会に通報してほしい。
よほど普段から会話してて信頼関係がある担任ならともかく、そうでないなら担任に相談するのは一番やってはいけない行為です。
よろしいですか?
あなたの担任の先生はクソ雑魚です。何の権力もないです。人間以下の奴隷かロボットだと思ったほうがよろしい。
私自身の認識もそうです。私は3年目の新人ですが、ただの決められた業務をこなすだけの奴隷です。
忙しすぎて業務外のことをやってるよゆうなんてないし、権力関係でも無力です。私もいじめられてるようなもんです。
いじめられっ子にはいじめられっ子を救うことはできません。そんなことができるならまず自分を救ってます。
だいじなことだから二回言うけど、ただの担任にいじめを解決する力なんてありません。
せめて相談するなら最初から教頭先生や校長先生に、保護者経由でいわないと意味がありません。
私はたまたま幸運にも今の時点では生徒からいじめ被害の相談されたことがありません。
でも相談されても私には何もできません。
多分実際に言われたら、私はその生徒から事情を聴いた後O先生とT先生に相談するでしょう。
今回の事件のように紙で相談されたなら生徒から話を聞く前に先にO先生に相談するかもしれません。
子供は、いじめの相談をうけた担任は、他の業務を差し置いてまずいじめ対策に動いてくれると思うかもしれません。
なんでそういう勘違いをしてるのかわかりませんが、あり得ません。
そんなドラマみたいな嘘っぽい話はないです。ほかの業務の方が大事です。
私は報告や相談もなく業務以外のことをやってたら怒られるのです。
まして勝手に考えて行動したりしたら何をされるのか恐ろしいから絶対にやりません。だって私ただの奴隷だし。
そして、相談したO先生やT先生は、私に対して説教をするでしょう。
そうやってさんざんうんざりする話を聞かされた後に、どうすればいいでしょうかと指示を求めると適当な助言しかくれません。
なんとことはなくてO先生やT先生もどうすればいいかわからないし何もしてくれないのです。
かといって校長先生に相談してくれるかというとしてくれない可能性が高いでしょう。
「あなたがなんとかしなさい」だとかいうに決まっているのです。
休み時間中に生徒同士が教室内でけんかした時に同じようにO先生とT先生に相談したことがあります。
その時には事情を報告させられ「お前がちゃんと生徒たちを見ていないから」と怒られたあと
結局「けんかをしないように注意しよう」「今後はより一層生徒たちの様子を見るように」「さらに問題が起きたらその時に相談して」といわれただけでした。
それで話は終わりです。
先生はみんな忙しいし、生徒たち一人ひとりに興味なんて持ってる余裕がありません。
生徒についても、まじめに勉強してくれる子は可愛いけどそうでない子はただの厄介者でしかありません。
そういう教師の余裕だとか一人一人の自律性なんてものはとっくに死んでいます。
これ以上余計な責任を負いたくないし、できる限り問題なんかなかったことにしたいです。
というかね。子供はマジで教師をなめてかかってるし注意したらガチ切れするしすぐに暴れるし同じ人間とは思えないです。普通に怖いです。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20191214-OYT1T50156/
なんでこんな危険な生き物の世話を安月給でしなきゃならんのかと。危険物取扱手当ほしい。
それでも自分が受け持ってるクラスの子くらいは可能な範囲で面倒見ようと思ってますがほとんど義務感だけです。楽しくないです。
学校にいじめ対策をしてほしいなら、いじめ対策専門のスタッフを学校が用意できるように運動してください。
担任にいじめ対策なんて無理ゲーです。担任なら何とかしてくれるって俺は仙道じゃないんだよ。
私はもう生徒のことが可愛いと思えなくなってきてるし、教師に向いてなかったんでしょう。
ペットを飼う人を否定も肯定もしようとは思わないけど、でもペットは奴隷だよ。
そりゃ相性が良ければ人とペットとの間に信頼関係のようなものが生まれることもあるだろうけど、それでも奴隷には変わりないよ。
私は本が好きだ。
外に出るのが嫌いで、一人で家でゴロゴロする休日が何よりも好きな人間だから、読書は一番の趣味といえる。
本を読んでいると、たまにこれは私のことを書いたんじゃないかって思える時がある。でもそれはきっと、私が経験した出来事が世の中にたくさんあるうちの一つだったってだけなんだろう。
そんなありふれた話をどうしても誰かに聞いて欲しくて、よくある話だなつまらんわって吐き捨てて欲しくて日記を書く。
育ってきた環境のせいなのか、私は人を好きになることが苦手だ。もっときちんと説明すると、恋愛感情を持つことが苦手。人間的に好きになっても、例えば異性として、肉体的な接触を伴いたい相手として好意を抱くことが少ない。
だから、20年以上生きてきて、好きになった相手は片手の数で収まるほどだし、これは私の価値観の中ではとても少ない人数といえる。
その数少ない人々には共通点があって、それは初めて会ったとき私の中で「この人のことを好きになるし、好かれる」という確信を抱くところだ。かなり主観的で自意識過剰で、根拠のない共通点かもしれない。要するに私は、一目惚れから始まるタイプなんだろう。だから、友達から恋人へ関係性が変わることはほとんどなく、周囲の環境が変わらないと(自分を取り巻く人が変わらないと)新しい恋愛に出会うことが出来ないタイプともいえる。
そんな私はこの四月に会社に勤めることになった。男女比は半々くらいだけど、かなり年上の方が多い会社。そんな場所で好きな人が出来るとは思わなかったし、そもそもずっと働きたいから社内恋愛はしないようにしようと思っていた。(なんとなくめんどくさくなる印象があったから)
でも、入社して最初に挨拶中、コンタクトをつけてくるのを忘れてぽやぽやした視界の中で、他部署の男性を目にし、きっとこの人を好きになると思ってしまった。いやいやこんなボンヤリとした視界で判断できないやろと自分を律して、仕事に慣れることに集中していた四月五月。
彼は私の同期の直属の指導員だった。
部署は違うけれど、同期に指導する声はよく聞こえてきて、しかもその声がよく通る私好みの声で。あの日のボンヤリとした視界を補うように、聴覚から好きになってしまった。
とはいえ仕事上で関わりもないし、そんなに積極的にどうにかしたい気持ちもなかったので、社内に推しができてラッキーくらいの軽い気持ちで日々仕事をしていた。
それが崩れたのが10月の話。
私が何気なしに指導員の先輩に提案した飲み会が、思った以上に大掛かりなものになり、そこに彼が参加することになったのだ。初めて彼と会話らしい会話をした私は、この人ほんとに好きだなと気持ちを深めてしまったし、きっと自分は彼のタイプだろうなと手応えを感じていた。実際に彼もそのことを認めていた。
なんとなく、話し流れと社交辞令で、ワインを飲みにいきましょうと約束をした。
きっと、社会人の方々なら安易に想像できるのだろうけれど、部署が違えば仕事も違い、忙しい時期もリズムも違う。
あえて多部署の後輩を誘うこともないだろうとそんな約束はお酒とともに飲み干してしまったし、期待もしていなかった。だから11月の頭、彼とたまたま帰りのエレベーターで一緒になったときに、日程決めてないなって話しかけられて動揺した。安易に好きになった。もうそもそも好きなのに。
結局その日も具体的な日時は決めなかったのだけど、彼が飲みの場での約束を守るタイプの人間だとわかっただけで嬉しかった。
そして、今月、また彼と同じエレベーターに乗る機会があった。
きっと今日飲みに誘われるなと思ってエレベーターに乗り込んだ私は、実際に最寄駅に着くころ彼とどのお店に行くか話し合っていた。
私より勤続年数が長い彼は、良いお店のストックをたくさん持っていて、ワインの美味しいお店という私の希望を叶える素敵な立ち飲み屋さんに連れて行ってくれた。
そこがめちゃめちゃ美味しくて、彼と話すのもとっても楽しくて、お互いに趣味や価値観が合うことも確認できて幸せな時間だった。
そこで終わらせておけば良かったのに、どうしてだか2人して一緒に帰り、2人して一緒のベッドで寝ている。
彼には恋人がいて、私は多部署の後輩でしかなくて、友達ほどの信頼関係もないのにセフレになんてなれるはずもなく、一番中途半端な関係になってしまった。
こんなのほんっとうによくある話で、私は今まで同じような状況に陥った友人たちを散々説教してきたのに、これからどうしたら良いかわからない。正直超困惑してるしもうお酒飲まないと誓う。
どうしていいか分からない中で、確実に分かることもあって、私は彼を嫌いにはなれないし、そんな中で私は働き続けなければいけない。
めちゃめちゃ沼やんってなる。
それも底がないタイプの沼。
人生ハードモードだなって自業自得ながら絶望するけど、私の大好きな島本理生さんの本がもっと実態感を伴って理解できるようになるかもしれないと思うと少し嬉しい。
ハマるなハマるなと言われて引きとめられていた沼に底なし沼ってどんなんなんだろうと興味本位で近付いて案の定沈んじゃう人生も経験しないと島本理生は一方通行でしか読めない。これは私の希望的観測だけど。
島本理生に憧れた女がどうなるのか、また誰か聞いて欲しい。
冗談で言ってるわけではない。俺は真面目に言ってる。彼女ができなくて苦しんでいる人に言いたい。まず猫を飼え。
それは代替行為とかそういうことを言ってるんじゃない。理由をいくつかあげよう。
彼女ができない、苦しい、と言う人にしばしば見られるのが、「相手の気持ちを考慮して動くことができない」というものだ。自分を客観的に見られない、他者を忖度できない、自分の都合でしか行動できない。こういう人は、他者とのかかわりにおいて敬遠される。そういうのは、もともと人間関係が得意でないという場合もあるし、いくつかの他人との交渉の中で拒否されてきて、経験値を積むことができていないというケースもある。だから猫だ。
猫は多様だ。こちらの都合では動かない。人間と付き合うのと同じように頭を使う必要がある。じゃあ人間相手にトレーニングすれば、というかもしれないが、それができるのか? 人間相手に拒絶とかされたら、きついぞ。しかも、人間は、周囲との関係によってあなたを拒絶とかしてくる。だから、自分のスキルが多少向上してもそれが正当に評価されるとは限らない。猫ならば、基本、関係は1対1だ。自分のスキルが向上すれば、猫の行動でそれがわかる。
そして、最悪猫に多少拒絶されたところで、「まあ猫だからな」で済む。精神的ダメージは少なめだ。人間に拒絶されたら絶望するだろう。だが、猫ならましだ。
そして、猫は人間の顔の美醜にそこまでこだわらない。きちんと世話をして可愛がれば、信頼関係を結ぶことができる。
猫の相手ができないうちは、人間の相手は難しい。そう思って猫との関係を構築するために努力すれば、「他者との関係」について適切なトレーニングとなるだろう。
(2)趣味ができる
趣味のない人間には話題がない。話題のない人間はつまらない。だが、君が猫を飼えば、とりあえず「猫」という趣味ができる。その趣味は君の世界を広げ、君に話題を提供する。仕事が終わってまっすぐ家に帰る人間は「非コミュのひきこもり予備軍」と思われても仕方ないが、「家に猫が待ってるので…」というだけで、周囲の目も優しくなる。「まあ、猫が待ってるんじゃ仕方ないな」「早く帰ってやれよ」と言ってもらえる。猫さまさまだ。
「休日は何をしてるんですか?」とかの戦慄する定番質問に対する回答もばっちりだ。「い、いや…別に…テレビみたり…」が、「猫と遊んでます。普段はなかなか遊んでやれないので」「自宅で本を読んでると、足元に猫が来てそれで動けなくなってしまって、ハハハ」とか。やってること大差ないのに、印象爆上げだ。
そして、猫を飼うことで、これまで目がいかなかったペットショップ、ペットグッズ、最新の猫カフェ情報のチェック、猫ブログ、猫漫画の情報チェック、新しいおもちゃやおやつに関する情報のチェック、ペットに関するニュースへの注目、ペット情報誌の定期購読、他人のペットに対する視線への理解、Youtubeの人気の猫動画情報チェック……などなど、興味の範囲が馬鹿みたいに広くなる。スマホのホーム画面も、買ったときのままとかゲームとかじゃなく、自猫の日替わりベストショット集とかになる。人前でスマホ使うときも、他人からの評価があがる。同じ猫飼いの人と、流行ってる猫の病気話題を共有したりと、会話もばっちりだ。
(3)信頼感が増す
何よりも、「自分よりもか弱い存在であるひとつの命を預かり、それを守り続けている責任」が、あなた自身の自信になるとともに、他者からの信頼の基盤となる。また、いろいろと手間のかかる猫をちゃんと飼って可愛がっているということは、身の回りのことや細かい仕事をスケジューリングしてコントロールしているということだから、いままであまり人付き合いもせず「得体のしれないやつ」でしかなかったあなたの評価も、一気に「どうやらできるやつ」へと変化する。
「このプロジェクト、●●に任せて大丈夫ですかね」「あれだけ猫を可愛がって飼ってるような奴だから、まあなんとかやるだろう」「そうですね。猫飼ってますからね」という感じだ。間違いない。
(4)そして最後に
上の(1)から(3)をすべて身に付けた存在を想像してみるといい。他者の気持ちをおもいやることができ、趣味や話題が豊富でおもしろく、しかも仕事を任され責任感ありそうな人で、そして猫を飼っている。間違いなくモテるぞ、これは。。猫を飼うだけで、これだけの利点があるんだ。もう飼うしかない。
もちろん、ここまでしても、最後の最後、やはり君の周囲に見る目が全然なくて、結局彼女はできないかもしれない。だが、もうそれはそれでいいんだ。だって君には猫がいるのだから。