身近に自殺願望の強い人がいる。ここではAとしよう。Aは女性である。
まだ若いが、家庭環境に問題があって自己肯定感が上がらない。学校にも行けなくなり休学している。
Aは、SNS上でしきりに自殺をほのめかす。市販薬を乱用したり、リストカットをしたりしている。若気の至りという言葉では片付けられないほどに、あまりに死にとらわれている。
同じくSNS上で、そんなAに「生きていて欲しい」と声をかける人がいる。この人をBとする。Bは男性だ。
B自身も少し心を患っており、Aほどではないがたまに自殺願望を表明することがある。しかし、Aほど鬼気迫る感じではない。
2人は恋愛関係にあるわけではないが、信頼関係を築けているようだ。
Aが「死にたい」というと、Bは「ダメだ」「生きていて欲しい」という。日によってはAが「わたしは生きていてもいいですか?」といって、Bが「いいんですよ」という日もある。
しかし、段々とBの「生きていて欲しい」はAにとって負担となってきたようだった。それはつまり「死にたい自分を肯定してもらえない」という、ひどく歪んだ承認欲求によるものであるようにみえる。
「死にたい自分を肯定して欲しい人」にとっては、「死なないで欲しい」とは自己を否定されたように感じていたたまれないのだ。ここにAの死への強い憧憬がうかがえる。
しかし、Bが声をかけていることで踏みとどまっているのもおそらく事実だろう。ではBが折れて、「わかりました、死にたいあなたを受け入れます」と言ったとき、Aはどうなってしまうのだろう?
Bが折れるとは思えないが、そもそもBはなぜそんなにAを引き止めるのだろう。
うんち
その女は、死にたい自分が受け入れられたら、安心して現実の男cとセックスでもして依存するだけ そもそも死なないから 日本で自殺すんのは金のないおっさんがほとんど 若い女は滅...