自分の全てを相手に認めてもらいたい、とずっとそう思っていた。それと同時にこれは幼児性の現われなのだろうとも思っていた。小さいころは結構マザコンだったような気もするし、まぁなんか納得できる感じもしたから。
でも三十路をとっくに超えてようやく気付いたのは、俺が求めていることは自分の全てを認めてもらうことじゃなくて、全てを打ち明けて受け入れてもらうことだと気づいた。是か非かの判断ではなく、ただそこにあるものとして受け入れて欲しいのだ。そして、相手にも全てを打ち明けてもらい、相手の全てを俺も受け入れたい。そうして初めて満たされる気がする。
そんなことって、起こり得るのかな。
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