はてなキーワード: 三段論法とは
さて、おおさわーくすこと大澤氏が燃えている。ここでもまとめられているように、
今回の一連の発言の中でもっとも問題が明確なのは、11月20日午前11:12の以下のツイートです。「弊社 Daisy では中国人は採用しません」。なおこのツイートには11月24日18時時点で、318件のリツイートがなされ、511件のいいねがついています。
https://twitter.com/Ohsaworks/status/1196974667422035968
続いて同日午後1:21には、他のアカウントからの批判を受けて以下のようにツイート。「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」。
https://twitter.com/Ohsaworks/status/1197007069464842240
同日午後2:02には、さらに別のアカウントからの批判を受けて「そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします。」とツイート。これは460件リツイートされ、385件のいいねが付いています。
という発言が問題視されてのことである。最初に見た時、これはめちゃくちゃな発言であり、こんなことをいう人間が身近にいたら絶対にお付き合いしたくないと感じた。しかし、『とんでもない差別許すまじ』とか『東大/マネックスに訴えて直ちにやめさせるべき』ということは思わなかったのだ。今となっては直ちに訴えるべきであったなあと思っているのだが、自戒も込めて、なぜすぐにそう思えなかったかということを書き記しておきたい。
『学環』といって一括りにするのは間違っていることは百も承知であるのだが、あえて言わせてもらうと、一部学環関係者のレベルの低さは底が抜けているように思う。私学のお飾り教授よりもはるかにひどい例が散見される。例えば大澤氏を除いて学環出身者で最も有名なのは落合某だと思うけれど、彼は知りもしない社会科学にしょっちゅうくちばしを突っ込んでいる。本業で何をやっているのか全く知らないけれど、他の分野のサイエンスにちゃんと敬意を払えない人間がまともな教育を受けてまともな研究をできているはずがない。あとしばらく前に炎上したのは『様』付けメールをもらってTwitterでぶちぎれていた伊東乾。教授という職業を己を飾るアクセサリーの一つ程度にしか考えていないことが明々白々である。あともう一人、個人的に比較的近くで見たことのある教授がいる。その人のグループが呼んだ講演者のセミナー要旨を見たことがあるが、完全に論理関係が破綻していた。論理関係が破綻しているというのは屁理屈とかそういうレベルではなく、モーダスポネンスや三段論法が成り立っていないとかそういうような次元の話である。高校生ですらもう少しまともな文章が書けるだろうなと思ったことを記憶している。もちろん、この講演者だけがヤバかったわけではなく、その人のグループの構成員のセミナーも後で見たが論理関係が完全に壊れていた。『情報』と名付けるからにはカリー・ハワード同型くらい教えてみてほしい。
というような感じで、見聞きした関係者でアカデミアにいる人々が全員、自己顕示欲に比べ人格・能力が釣り合っていないように思え、今更そのサンプルが増えたところで、すでに感覚がマヒしており別に何とも感じなかった。学環の一部関係者のせいで、増田のような外部者からは学環周りの風評はすでに地に堕ちており、今更東大に被害を与えるというようなことも想像できなかった。
問題視されている発言のもととなっているのは、例えば「中国人のパフォーマンス低い」というような話である。事実ではないことは明らかである。『人種、信条、性別、社会的身分又は門地』とその人間の能力は全く関係がない。こんなことは幼稚園児でもわかることである。ましてや2-30年も生きていれば優れた中国人系プログラマーなんていくらでも心当たりがあるだろう。正直ばかばかしすぎて、まともにとらえる気にもならなかった。大体がそもそもこのような根拠もクソもない妄言を吐く人間がまともであるはずがないし、それは彼のHTTPS周りの発言からも明らかである。まともでない人間のやっているまともでない会社に雇ってもらう機会を逸したところで痛くも痒くもないのではないか。そう思っていた。
しかし、それはどうやら増田が日本人で他人事だからそう感じただけらしい。よくネトウヨキッズが言うような『俺がお前の立場なら事実を言われても何も思わないけど?』という論理にはまってしまっていたのだと思う。そもそも考えてみれば『未踏スーパークリエーター』で『東大准教授』の発言である。ある種の権威や圧力をもって聞こえる可能性はあるわけだ。増田なんかはそもそも学環というだけで権威性に-infinityのゲタをかませているのだけど、世間的にはそんなこと関係がないだろう。上に書いたようにあまりにもばかばかしすぎて扇動にすら聞こえなかったのだが、『学環』とか『イキリ倒してる人』とかそういうバイアスを外して、「東大准教授が中国人の能力が統計的に低いと発言した」と言えばその問題点は明らかであった。
というわけで、バイアスがあったりすると人間はどうも問題を矮小化して捉えてしまいがちであるらしい、というお話だった。まあよくよく考えてみるとこういう事象は政治家の発言とかでもしばしばあって、安部や麻生がどんな妄言を吐いても国民がスルーしてしまうのに似ていなくもないかなと思った。
あと東京大学は大澤氏をパージするのはいいんだけど学環全体をお掃除してください。まじめにやっている人たちが(いるのだとは思いますが)かわいそうです。
自戒を込めて。
「〇〇のような表現は問題がある。だから、そういう表現が自然と減っていくといいなあ…」
にもかかわらず、両者が区別されないまま、議論が進んで混乱が生じていることが多い。
意見を発信する側としては、法規制を主張しているかどうかを明確にすることが必要であり、意見を受け取る側としては、その確認が必要である。
・法規制すべきとまでは言わないが、自主規制されるのが望ましい
なお、以下は、基本的に法規制の是非が論じられていることを念頭においた記述である。
「性的搾取」「性的消費」「まなざす」「萌え絵」「ヘイトスピーチ」などは、必ずしも概念が明確でない。
自説の中心に使う場合は、ある程度明確な定義をした上で使わないと議論が混乱する。
また、法学においては、日常用語に見えてもそれが独自の意味合いを持ったテクニカルタームだったりすることがあるので注意が必要である。
まずは丁寧に論理を追っていった方が自分の論理の粗に気づけるし、相手に意図が通じやすい。
また、相手の意見がいまいち理解できないときは、三段論法に分解して考えてみると良い。
隠れた前提が省略されているのが分かったら、どこに同意できないかが分かりやすくなったりする。
「ある表現を法規制すべき」という意見であれば、多くの場合、単純化すれば以下のようになるだろう。
法規制が主張されるとき、まず問題になるのはその合憲性(憲法適合性)だ。
表現に対する法規制の合憲性は、原則、「①その法令が表現の自由を制約し、かつ、②その制約が正当化できない」といえるか否かで決まる。
①については、保護範囲(領域)と制約の有無の問題であり、②ではじめて、(違憲審査基準と呼ぶか否かはともかく)いかなる基準で判断するかとその当てはめが問題となる。
このエントリは大阪さんを性的に値踏みしたことを公言したという意味で、彼女へのセクハラになっていると思う。
だが「このようなものは差別なのか」という問いを立てることはいつだって意義深い。
現実世界の差別の多くは自覚なくなされる。だから、既存の価値観を疑い、勇気をもって自分の内面にさえ切り込んでいく態度は、状況を打破しうる希望だ。この点を俺は評価したい。
コメントでアホだのバカだの、思考停止の罵詈雑言が飛び交っている様子は残念だ。差別は酷い奴がするものだ。私は酷い奴ではない。故に私のやっていることは差別ではない…
このような理屈を俺は個人的に「ナイーブ差別の三段論法」と呼んでいる。絶対の安全圏から一方的に投げつけられる言葉は、誰かを傷つけて排斥させる結果を生む、暴力にしかならない。俺たち自身の心の中にある歪みを解くためには議論が必要だ。「なぜ」の許容が第一歩だ。
論争してても考える力がなければ論理を組み立てることができません。
②なぜ自分が上か?を考え抜く
大体論争って「どちらが偉いか」を比べる戦いです。
ネット上とはいえ、見栄をはるより実際に自分の中身を鍛え抜くことが大事です。
自分がどうすれば自信を持てるか考えましょう
論争する人はゴールが他人を貶めて優越感を得ることにあります。
なので人を貶したり揚げ足をとるスキルはずば抜けているし、
ちなみにこんなのがあっても人に憎まれても好かれることなんてありません。
彼女ができませんね。
一方偉そうなことを言う割にはこういう人々は教養がほとんどない場合が多いです。
なんとこれを書いている人もそうです。
④論争をしない
論争をしてる暇があったら自分をあらゆる面で磨きましょう。
つまり自信がないのです。
そんな奴らと関わったら更に自信がなくなります。
勉強はすればするほど知識が増える。知識は多ければ多い方がいい。よって勉強はすればするほどいい。美しい三段論法である。日々このような理屈のインプットとアウトプットに明け暮れるのが法科大学院生という死に物だ。もちろん現実の法的推論はこんなシンプルなものではないが、それはここで言いたいことではない。
問題は、もう一時間の勉強でどれだけの効果が得られるのかという視点がこの論法に盛り込まれていないところにある。勉強すればするほど知識が増えるんだもの、そうしなくちゃいけない。人であるソクラテスは死ぬのだ。こうして図書館には六法が山をなし、登山客の汗と涙で雲が生まれる。心のバランスを崩した法科大学院生は謎の投書を繰り返し、戯れに人の本に牛乳をぶっかけてみる。
どこに無駄があるかは明白だろう。
身体障害者のポスター撤去問題であるが、問題点を突き詰めて考えてみると、「身体障害は人間の個性か、それとも欠点なのか」という論点に行き着くのである。
まず最初に、国家の意思としては、身体障害者は欠陥であると見なしている事を最初に書いておく。その根拠は「障害者自立支援法」の精神の中にしっかりとそう書いてあるからである。
障害者福祉という大義名分の元に税金が投入されている以上は、身体障害者は最低限の文化的生活も送ることが出来ない欠陥を持つ人間だと定義されているのだろう。
その考え方が間違っていると思うのであれば、障害者自立支援法の精神は憲法違反であると裁判所に訴えればいいだけの話。
その意味では、確かに「障がいは言い訳に過ぎない」などという言い草は納税者目線からすればトンデモない話だよね。
国民の税金が投入されているのに、肝心の障害者の人たちが「自分たちの身体的特徴は個性の問題だ、言い訳にすぎないのだ」なんて言われると、それは違うだろうという話になってくる。
税金を受け取っている身体障害者自らが自立支援法の精神を否定するという自己矛盾。
障害者自らが「障害は言い訳にすぎない」などと言い始めると、周囲も障害者の人たちはそう考えているんだなと何となく考え始めるようになる。
実際には障害者の中にも意見の相違があるのだろうけど、パラリンピックに出場するようなエリートの言葉は、障害者全員の意見を代弁しているかのような錯覚を起こしてしまう。
その先に行き着くのは、障害者福祉の削減や廃止にまで及ぶ危険性が高い。
身体障害が欠点ではなく個性の一つだということになれば、税金を使って助ける意味もなくなってしまうからね。
実際にあのフレーズを述べたのは杉野選手本人なのだろうし、彼女の中には彼女なりの思想や哲学があるに違いない。
パラリンピックのメダル候補になれるようなエリートの彼女一人に、世の中の障害者全員の心情を代弁させているようなイメージを誘発しやすいポスターになってしまっている。
障害は言い訳=障害者は自立できる=障害者福祉も不要である。・・・の三段論法の完成。
ポスターのフレーズの裏や文脈を読み取れるようなリテラシーのある人間ばかりだったらいいけど、実際はそうではないからね。
世の中には、自分の身体障害の劣等感や絶望感に押し潰されそうになりながら生きている人もいるわけで、障害者同士の分断を誘発しかねない。しかもその分断を引き起こしたのが障害者自身だったという地獄絵図。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53711
それでこれどっかで見たなと思って詭弁を調べたんだけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81
これじゃないかな
媒概念曖昧の虚偽 (fallacy of the ambiguous middle)
A「塩は水に溶ける。あなた方は地の塩である。ゆえにあなた方は水に溶ける」[6][注 1]
B「車(自動車)は運転免許が必要な乗り物だ。自転車は車(車両)である。ゆえに自転車は運転免許が必要な乗り物だ」
Aの発言は「MはPである。SはMである。故にSはPである」と一見第一格の三段論法に見えるが、文脈によって異なる意味を持つ単語を媒概念に使用しており、「大前提M-Pの文脈におけるM」と「小前提S-Mの文脈におけるM」が異なるため、命題は成立しない。
Aはナチスと同じだ(主張)
故にAは悪である(暗に言いたいこと)
詭弁はよくない
どうしてアベ政権はこうも続くのか?
よく言われる言説が、「積極的自民党支持の人間はいないが、他党が弱すぎる」だ。言い換えると「自民党から変わってほしいけど、自民党以外がヤバすぎて他の選択肢がない」ということだ。
しかしこれこそがアベ内閣が長く続く理由、恐ろしいプロパガンダの正体なのだ。
以下にその理由を述べる!
「アベが指示した人工地震」「オウムサリン事件の真相を隠蔽したアベ」「災害を祝うように酒盛りをするアベ内閣」
自称反アベの発言に違和感を覚える者は少なくないだろう。そう、どれもこれも論理性の欠片もないこじつけばかりなのだ。
このような小学校の夏休みの読書感想文でも書かないような支離滅裂な文章は、日本で9年間の義務教育を修了している常人ならばタイピングの途中で正気を取り戻し、手を止める。しかし自称反アベは惜しみもなく毎日のように妄想を垂れ流している。これは悪夢なのか?戦後教育の敗北なのか?
否!いずれも否である。
「常人ならば書かない」「それでも反アベは書いている」「よって反アベは常人ではないヤベーやつ」というアベ政権が仕掛けた三段論法にあなたは嵌っている!これはまともな思考能力がある者ならば誰でも嵌まるように仕向けられた罠なのだ!
(2) 「しかし反アベの意見がヤバすぎる。こいつら常人とは思えない」
(3) 「安倍政権じゃなくなると、こんなヤバイ思考しかできない奴らが支持する政党が当選するかも」
(4) 「現状維持でいいや」
こうして「反安倍」になりそうな人を「安倍支持」に維持することができた。
安倍政権を維持させるには、安倍の支持者を作る必要はない。「反・反安倍」を作れば良いのだ。
安倍の積極支持者を作るには公明正大・清廉潔白な政治を行う必要があるが、「反・反安倍」を作るにはTwitterやnoteでヤベー妄想を垂れ流すだけで良い。こちらの方が断然コスパが良いし楽だ。
ヤバイ妄言をするのは安倍政権に雇われた暇な一般人だけなのか?
他党に所属する国会議員もヤベー妄言を垂れ流す奴はいる。実はそういうやつらは自民党から派遣された、反自民党を演じるスパイだったのだ。
国会でクイズ大会を開くのも、一年中モリカケ問題に取り組むのも、議員秘書給与詐欺事件で有罪判決を受けても議員を続けられるのも、全ては自民党から派遣され、自民党の指示のもと動いているスパイ活動だからなのだ。
クイズ大会を開いて時間を稼げば自民党に不利な話題を出さずに済む。
成果の出せない院生のように一年中モリカケ問題に取り組めば、他党の議員を無為な時間に巻き込める。
スキャンダルを起こしても議員を続けている人間が党にいれば、その党は信用を失う。
いつからだろうか。安倍のことをアベ、森友学園加計学園問題のことをモリカケと呼ぶようになったのは。
これは暗号なのだ。自民党のスパイ同士でどれがスパイ活動なのかがわかるよう、スパイ活動に関わるものはカタカナで表記するのだ。
たとえば以下の例を見てほしい。
A「今日もアベは辞職せず。いつになったら責任を取るのか。疑惑のモリカケ問題の真相が暴かれる日は近い」
B「なぜ安倍首相は災害時に外遊をするのか。外遊が外せない用事でも災害対策本部を設置してからでは駄目だったのか。」
AとB、どちらがスパイでどちらが一般人の発言かは、もうおかわりであろう。もちろんAがスパイで、Bが一般人である。
Aは安倍のことをアベと呼んでいる。これによりスパイは「ああ、スパイ活動の発言だな」と理解できるし、一般人は「また反アベがなんか言ってるよ」となる。
対してBは安倍のことを漢字で表記している。これによりスパイの発言でないことが明白なので、スパイはこの人に対してクソリプを飛ばすことができる。
スパイ「その通り。アベは人工地震の件も含めて説明責任を果たすべき」
B「そんなことは言ってません」
こうしてBは「反・反安倍」になる。Bにとって仮想敵は「安倍派」と「反アベ派」の2派であるため、見かけの構造上「自分以外は全て敵」となりその精神的負担は大きい。そのような人が最終的につくのはより理性的な方であるので、つまり安倍指示側であり現状維持となる。
理性的な安倍批判はスパイの格好の的となる。理性的な反安倍派は反アベと一緒にされたくないので自身の主張に補足を入れる必要がある。そのせいでどっちつかずの主張になりがちであり、時間も余計に奪われ安倍政権の批判に疲弊する。疲弊した論者はついぞ、反安倍活動を諦めてしまうという寸法である。
以上が恐ろしいアベ政権(自民党)のプロパガンダの正体である。
ここまで読んだあなたは荒唐無稽な話だと笑っただろうか。もしそうならば平和ボケしていると言わざるを得ない。
高度な情報戦は既に始まっているのだ!
野党支持の地元住民としてはもっといろいろ頑張っておけばなあと、
団体の構成員ではないものの、初めて少しだけ選挙運動にも参加してみた身として思った。
そうしたなか、社民系の候補で接戦に持ち込んだのは確かに健闘したというねぎらいの言葉はありがたい。
他方、国政の争点や原発への強硬姿勢を持ち込むことについては、
自民党が建設業者へ従業員や従業員の親族へ期日前投票を行くよう踏み絵を迫ったことを考えると、
農政の充実や、福祉事業者の支援など、幅広い公約を周知するためにくぎを刺す程度にしておいた方が良かったかもしれない。
圧力をかける候補がおかしいことは事実だが、どうせ投票所へ行かされる人が居るなら
ほかの政策を知っていればまだ引きはがせたかも、と思わないではなかった。
一方で、矛盾するみたいだけれども、
「国政や原発の主張以外に重点を置かなかった」(※演説等の時間配分が少なかった)
→「ほかに興味が無かった」
という連想が正しいのかというと、それは違うだろうと思う。
選挙期間中から原発や国政に傾斜しすぎだという批判が野党支持者からも寄せられていたが、
花角英世陣営はこういう三段論法を有権者に刷り込んできたわけだ。
業界団体を固めて逃げ切ることが戦略だったのだろうという印象もある。
世論調査でも最終盤まで花角を追い抜けなかったため、
そうした結果を交え批判を繰り返す選挙マニアの言動は野党支持者であったとしても極めて不愉快だった。
新潟県民も東京都民の気持ちが分かっただろうという感想もあるだろうが、
(県民が趣味で国政イシューを持ち込んだと思えるなら、都民も100%自分の意思で知事選にポピュリズムを求めているのだろう)、
反原発を直接新潟県民が東京都知事選に押し付けたかのような言いがかりは理解に苦しむ。
勿論、柏崎刈羽原発は東京電力が首都圏のために発電を行うための施設なのだ。それを考えればますます不謹慎である。
それでも、それにしても4万票差と言うのは米山当選時ほどではないがかなりの大差だ(米山は8万票差)。
国政審判の場になるではないかということは政権側も与党内会合などで触れていたことから、世論への怯えも感じる。
なので、それを防ぐ方法を考えてみたいし、考えて欲しい。
正直この締め付けへの抵抗方法抜きに現状与党に勝てないのではないか。
県民は騙されたから自己責任だ、バカなんじゃないかとけなされる筋合いもない。
(追記)
野党側の戦術としては与野党対決が投票率を押し上げたこと自体は認められていること、
先述の通り本来組織票を固める選挙を自民党が伝統的に行ってきたことから、
(分かりにくい書き方をしてしまったが)行わないよりは遥かにマシだった、と答えざるを得ない。
投票率の上昇は期日前投票へ行くことを脅された側と、与野党対決で伸びた側とを分けて考える必要があると思っている。
だからこそ自民党新潟県連が支持した会社へ期日前投票した社員や社員の家族の名簿を提出しろと命令したことに焦点を合わせている。