身体障害者のポスター撤去問題であるが、問題点を突き詰めて考えてみると、「身体障害は人間の個性か、それとも欠点なのか」という論点に行き着くのである。
まず最初に、国家の意思としては、身体障害者は欠陥であると見なしている事を最初に書いておく。その根拠は「障害者自立支援法」の精神の中にしっかりとそう書いてあるからである。
障害者福祉という大義名分の元に税金が投入されている以上は、身体障害者は最低限の文化的生活も送ることが出来ない欠陥を持つ人間だと定義されているのだろう。
その考え方が間違っていると思うのであれば、障害者自立支援法の精神は憲法違反であると裁判所に訴えればいいだけの話。
その意味では、確かに「障がいは言い訳に過ぎない」などという言い草は納税者目線からすればトンデモない話だよね。
国民の税金が投入されているのに、肝心の障害者の人たちが「自分たちの身体的特徴は個性の問題だ、言い訳にすぎないのだ」なんて言われると、それは違うだろうという話になってくる。
税金を受け取っている身体障害者自らが自立支援法の精神を否定するという自己矛盾。
障害者自らが「障害は言い訳にすぎない」などと言い始めると、周囲も障害者の人たちはそう考えているんだなと何となく考え始めるようになる。
実際には障害者の中にも意見の相違があるのだろうけど、パラリンピックに出場するようなエリートの言葉は、障害者全員の意見を代弁しているかのような錯覚を起こしてしまう。
その先に行き着くのは、障害者福祉の削減や廃止にまで及ぶ危険性が高い。
身体障害が欠点ではなく個性の一つだということになれば、税金を使って助ける意味もなくなってしまうからね。
実際にあのフレーズを述べたのは杉野選手本人なのだろうし、彼女の中には彼女なりの思想や哲学があるに違いない。
パラリンピックのメダル候補になれるようなエリートの彼女一人に、世の中の障害者全員の心情を代弁させているようなイメージを誘発しやすいポスターになってしまっている。
障害は言い訳=障害者は自立できる=障害者福祉も不要である。・・・の三段論法の完成。
ポスターのフレーズの裏や文脈を読み取れるようなリテラシーのある人間ばかりだったらいいけど、実際はそうではないからね。
世の中には、自分の身体障害の劣等感や絶望感に押し潰されそうになりながら生きている人もいるわけで、障害者同士の分断を誘発しかねない。しかもその分断を引き起こしたのが障害者自身だったという地獄絵図。
実際にあのフレーズを述べたのは杉野選手本人なのだろうし、彼女の中には彼女なりの思想や哲学があるに違いない。 ないよ。 元々は 「それまで健常の大会に出ているときは、障が...
ポスターのフレーズ全文は「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」だけど、文脈自体は特に逸脱していないようにも思える。 ただ、フレーズの「障がいは言い訳に...
先に述べた前提に対して反語的な表現をしているから抜いちゃ駄目な主語だよこれは。 誤解を生むとか紛らわしいではなく、意味が変わってしまう。
健常者からしてみたら「弱音を吐くのは言い訳」位のものが この言葉を言った障害者の人からしてみたらその「弱音」が「障害」になってるわけだから 言ってることは一緒なんだけどね...
ってか本人の言葉なんだから周りが危険とかぎゃーぎゃー言うことじゃなくない? それだけの気持ちを持ってやってるんだ、がんばれーでいいんじゃないの? スポーツなんだし。いちい...
正直いってほしくない
3040で体壊したアスリートがどうなってるか見たら分かりそうなもんだ 健康体で壮健だった時期に強気なこと言ってたやつも体が弱くなると心もがたがた