はてなキーワード: 一戸建てとは
そこそこ田舎の静岡県東部、東海道線のまわりは本当に住みやすいと思う。
日帰りで海も山も行けるし、もちろん泊まりでも、時間が有効に使える。伊豆も箱根も富士山周辺も、ゆっくり朝出れば昼にはつく。帰りも大和トンネルの渋滞関係ないし。
一戸建てもそこそこ余裕ある建て方できるから、春秋はバーベキュー、夏はプールをどこのうちでもやってる。別にやらなくてもいいけど。
冬は・・・あまり外にはでないけど、雪が降らないのがいい。本当に降らない。「冬型の天気です」とか、「日本海側では大雪です」なんて日はだいたい快晴。そんな日は富士山がよく見える。昼間は暖かいのと、車社会だから、ダウンコートいらない。なんならニットで買い物くらいなら行ける。
あと、都会が恋しくなったら、東京、横浜もそんなに遠くない。新幹線で通勤する人もいるから。終電まで飲むってなると早めだけどね。
子育てに関しては、都会での保育園争奪戦はなんだったかと思う。名古屋でしばらく住んでいたときは保育園は入れなかった。でも、この辺なら、一番近くにスムーズに入れた。三人目が産まれるときには保育園の先生から「いつからいれるの?」って産まれる前から聞いてもらえた。近所の公園もすいてるから、こどもとキャッチボールをしたり、サッカーしたりはいつでもできる。日曜日でもの昼前だと誰もいない。朝は老人がいる。大きな子のボールが、幼児に当たって・・・みたいなことは起きないくらいの密度。
田舎のしがらみっていうけど、町内のゴミの掃除とかその程度。自分たちみたいに新しく引っ越してきた人もいるし、昔からの農家の人もいる場所だけど。
子供と山登り、キャンプ、海水浴、釣り、なんでもすぐできる。大人だけなら、ゴルフやテニス、バイクのツーリングもいいし、マリンスポーツも近い。
家の物置きやガレージに趣味のものをたくさんおいてる人は結構いる。インドアの趣味も、ホームシアターや楽器も音をそんなに気にしなくてもいいし、趣味の部屋も作りやすい。本もたくさん置ける。
はてなあもすなる家買日記といふものを 我もしてみんとてするなり
(はてなーが最近やっている家購入記を、俺も便乗してみようと思い書いた)
・子供が産まれることになったので、それまで住んでた借家をやめて家を買うことにした。
子供が動き回るようになると床や壁を汚したり壊したりするだろうし、家のカスタマイズもしたくなるだろう。これまで数回の引っ越し・荷造り作業が非常に手間だったので、幼児の育児しながらの引っ越しはまず不可能だと予想された。
・妊娠初期からなんとなく探し始め、妊娠6ヶ月で本格的に探し始め、出産3ヶ月前に物件決定、1ヶ月前に引っ越した。
物件選定、下見、ローンや物件の契約は俺と妻二人で行い、実際の引っ越し作業は俺一人で行った。
・庭付き一戸建てを借りて2年間住んでおり、自分たちが家に求める重視したい要素と、どうでもいい要素をある程度把握できていたので、それを家探しに反映させた。
物件選定
・ネットの物件情報サイトで市町村名で絞り込み、安価順にソートして諸条件から気になる物件を20件ほどリストアップ。
中古の場合は値引きの可能性もあるので、これまでなら出せる上限価格の2割増しまでリストアップした。
リストアップした物件はぜんぶ休日に現地に行き外観や周辺環境を見た。不動産屋に連絡して内覧させてもらったのは上位5件。
・エクセルで物件比較表を作り、要素ごとに傾斜配点して点数を付けて最も高得点の物件を買った。
高配点順に、「駐車場台数」「延床面積(部屋数)」「価格」「構造」「築年数」「両実家からの距離」「校区小学校からの距離」「最も近い保育園からの距離」「バス停からの距離」「敷地面積」「土地条件」「駐車場が露天か屋根付きか屋内か」「他」
俺が比較表を作り、いちおう妻にも見せて意見を聞いてたが、ほぼ追認状態だった。
(実際に使ったエクセルファイルを晒そうかと思ったけど、増田は添付ファイル付けられないんだね。)
以下、各項目ごとに説明する。
「駐車場台数」
地方都市なので車がないと何もできん。俺バイク通勤、妻は車通勤。子供が産まれれば子の保育園への送迎のため俺の車も必要になる。なので最低2台分。駐車場無しは論外、1台分のみの場合は庭を潰して駐車場追加できるか、もしくは周辺道路に恒常的に路駐できる立地か(車庫法違反になるが、住宅街では実家で車庫証明とっていつも路駐してる人も多い・・・)で判断。
両親が子育て手伝いに来てもらえばその車を止めるスペースも必要になる。できれば3台分ほしい。
→ 3台分ある家を買った、妻車、子送迎車、残り1台分はバイクガレージとして使ってる。両親が来たときは住宅地の最奥で交通量が少ないので車庫の前に路駐してもらってる。
「延床面積(部屋数)」
リビング、俺の部屋、妻の部屋、寝室、将来の子供部屋、で4LDKが最低条件。もちろん部屋は多いほど良く、面積は広いほど良い。
→ 6LDKとなった。部屋は多いほどいいと実感している。寝室二つにしていつもは3人一緒に1Fで寝て、風邪ひいたら一人だけ2F寝室で寝たり、いろいろ助かる。
「価格」
世帯年収1700万~2200万。物件価格4000万が上限と妻と合意したので、4800万以内で探した。
(妻は公立病院勤務医で、当直・オンコール量により増減。妊娠後期から産休までは時間外一切無しなので1200万、育休明けから現在までは週2のオンコールのみなので1400万程度。ただ住宅ローン審査では前年までの源泉徴収票で判断するので、金融機関からは1700万として見られてたはず。
俺は残業あっても無くても500万。県庁は時間外手当ほとんど付かない)
→ 建物の登記で持分1/2ずつ、土地は保留地なので組合の所有者台帳に連名で記載、実際の負担も1/2ずつとした。
「構造」
当時住んでた借家が築10年のプレカット工法の木造住宅だったが、壁の外板(サイディング)つなぎ目シーリングが劣化して雨水が浸入し、中の木が腐って雨漏りがあり、さらに同構造の隣家の2Fベランダが腐って半壊してて、プレカット木造住宅には不信感があり対象外とした。
両実家は築2~30年の鉄筋コンクリート造だが目立った不具合はなく、信頼感があった。
よって鉄筋コンクリート(RC)造、鉄筋コンクリートブロック(RCB)造、軽量鉄骨造の順に高評価とした。
→ RC造を買った。売主(建て主)がリフォーム業の社長で、その知識を生かして作った注文住宅ということで、内覧して一目見て質がいいとわかる造りだった。階段上り下りしても木の軋み音が全くしないとか、天井が高いとか、天井裏みたら断熱材が分厚いとか、床下も広いとか、壁収納が各所に多い(いまだ使い切れてない)とか。
「築年数」
新築のほうがもちろん良かったが、当時は型枠職人不足が顕著でRC新築坪単価が異常に高騰しており、手が出る価格の新築はプレカット木造ばかりなので、中古住宅中心に探した。
住宅ローン控除が効くのがRCだと築25年以内の購入なので、築25年が一つの基準。ただし利率負担以上に安い物件があれば築25年以上でも良い。
→築20年を買った。コンクリートのひび割れ等は全く見られない。
とても幸運なことに、俺の実家と妻の実家が車で10分の近距離で、かつお互いの職場からも車で20分以内の距離だったため(これは結婚決めてから判明)、両実家に近い位置で探した。
夫婦二人ともフルタイムで働いており、育休あけてから祖父母のサポートが絶対に必要になると予想されたため、両実家から車で30分以内の条件で探した。
妻実家のあるA市と俺実家のあるB市は隣接。AB市か隣接した市町村で絞り込んだ。
→両実家の間で妻の実家寄り(妻の両親の毎日の散歩コース)の物件となった。
中学生になれば自転車やバスが使えるから距離があってもいい。小学生(特に低学年)は徒歩通学が基本になると思われるので、子供が歩いていける距離として2km以上で足きり。できれば1km以内。
→買った家の校区小学校は崖を迂回しないといけないので延長距離4kmあり足切り対象なのだが(この家が家の造りや面積の割に安かったのはこれが第一要因だと思う)、妻の実家が市境を挟んだ隣の市にあり、妻実家の校区小学校は家から800m。これを生かす。
越境入学は同市内ならまだなんとかなるかもだが、別の市だとほぼ不可能。市民税納めてないし仕方ないね。
認可保育園であっても世帯年収から保育料が最高負担額(月6万ほど)になるので、認可外・認定保育園でもいい。車で送り迎えになると思われるので小学校ほど距離は気にしないが、あまりに遠いと渋滞もからんで勤務時間に支障する。
→結局、基準に沿って運営されてる認可保育園が安心だねとなり、家から3kmほど離れた保育園に入園できて車で送迎してるので考慮する必要はなかった項目。
子供が高校生になれば離れた進学校に行くかもしれず、そうなればバス通学となるだろうから、あまり遠くないほうがいい。2km以上で足きり。
→1.5kmほど先に本数の多い路線のバス停がある。高校生なら歩ける距離だろう。
「敷地面積」
庭は無くてもいいが、あればいろいろ使えるだろうから。ガーデニングとか、子供が歩けるようになったら庭でプールとか、小学生になれば犬を飼うとか。
→30㎡ほどの土の庭がある。興味なかったが、いろんな植物植えてデザインするのはやってみると楽しい。
「土地条件」
当時は東日本大震災から数年のちで津波の記憶が新しく、標高は確保したい。
谷地は通気性悪く水害ありそうなので避けたい。崖ぎわ地は見晴らし良いが安定性が心配だが切り土なら問題なし、盛り土は絶対不可。平坦な住宅地の中なら土地安定性やリセールバリューは良いが、道に面した1方以外の3方を他民家に囲まれていて息が詰まらないか心配(両実家も借家も、2方のみ他民家で1方は林や崖だった)
→ 数十年前に台地を切り土して造成した住宅地の南に開けた崖ぎわの物件にした。この物件を候補にしてからは県立図書館に行って明治時代以前からの古地図を見たり、国土地理院のサイトで米軍撮影の1945年前後の航空写真を見たり、県の地図サービスで災害指定区域を確認したりして、
昔と今とで大きく地形が変わってない(その間の大きな地震でも崩落等してない=地盤が強い)こと、盛り土ではなく切り土であること、敷地が急傾斜地崩落危険区域に指定(再建築時に制限がかかる)てないこと、を確認した。
眺めはいいし、日当たりはいいし、リビング先の庭の先は斜面で林なので四六時中リビングのカーテンを開けたままにしておけるし、今のところは満足している。かつてない巨大地震が来たら土地も家も無くなって無くかもしれないけど。
→ 土地区画整理事業が施工中で保留地上の物件なので、いろいろ勉強して詳しくなった。ネットバンクの住宅ローンが使えない以外はデメリットは無かった。リセールバリューには影響するかもしれんが、この家を売る頃には換地処分は終わってるでしょ。
→ 用途地域にこだわりは無かったが、小学校やバス停までの距離で足きりすると必然的に市街化調整区域は除外され、市街化区域の第一種低層住宅地域の物件ばかりとなった。
車もバイクも雨ざらしにはしたくないので最低でも屋根があったほうがいい。無ければあとからカーポートを付ければいいが費用が200万ほどかかる。できれば横風や埃も防げる屋内駐車場だといい。
→ 電動アルミシャッター付の屋内駐車場となった。ガレージとしてバイク整備に使えて最高。壁にアンカーボルト打ち込んでメッシュパネル付けて工具並べてある。密閉空間で音が漏れないので雨でも夜でもエアコンプレッサーやディスクグラインダーが使える。ぐへへ
「他」
周辺環境は閑静な住宅地の最奥で、家の前の1.5車線道路は交通量少なく(周辺家に用事のある車しか通らない)子供を道で遊ばせても大丈夫そう。家が売りに出ている理由が、売主夫婦が高齢になり介護付住宅に引っ越すための処分ということで、周辺とのトラブルが理由ではない。下見や内覧のときに両隣・道向かい・道向かい両隣の方に挨拶して少し話したが、変な人はいなかった。
→現在も、たまに顔を合わせたら挨拶してちょっと世間話するくらいで、軽い近所付き合いのみしている。
保留地のせいか自治会対象外となっており、自治会費や行事参加の負担がない。
なにより妻の両親の毎日の散歩コースにある家で、毎日周辺を見てる妻の両親から「問題ない」とお墨付きをもらえて安心できた。
県庁所在地隣接の市街化区域なので、小児科は車で10分以内に3院、大きな総合病院も車で20分以内に2院、他内科や整形外科クリニックも徒歩(車2分程度)に数院あり、医療関係に不安はない。
買い物も価格重視のスーパーからちょっと高めのデパート系列のスーパーなど車10分圏内に5~6件、ドラッグストアやホームセンターも車10分圏内にあり問題ない。
(年とって車も運転できなくなったらどうしようね?3食つき老人ホームに入るしかないか)
購入
妻は倹約家(いくつかの趣味以外には服や娯楽に金使わない)なので現金一括で買えるだけの貯蓄があったが、住宅ローン減税のおかげで利息負担無しで借りられるので、何かあったとき手持資金確保のためもあり、常識的に頭金を1割入れて残りはローンを組んだ。
均等に資金負担しようということで、持分1/2ずつの共同債務とした。
住宅ローン控除年1%よりも融資利率が低ければ、借金して金が入ってくる逆ざやとなるので、控除が効く10年間はなるべく融資残高を増やすべく、20年ローンとした。10年たったら一括繰り上げ返済する。月々の返済額が減るぶん貯めておく。
変動金利のほうが遙かに利率は低かったが、金利変動リスクを避けたくて10年固定金利にした。(でも今の状況だと変動のほうが得だったな。賭けに負けた。)
土地区画整理事業地内の保留地上の物件という特殊条件のため、年利0.65%等の低金利を誇るJNBやソニー銀行等のネットバンクのローンは使えなかった。
地場の都市銀行2行に仮申し込みし、低利率のほうに本申込した。(妻がメインで使ってる銀行のほうが高かったので担当者からずいぶん引き留められたが、仕方ない)
世帯年収の2~3倍程度の物件価格、お互い安定した職業ということで審査はトントンで進んで融資決定の連絡があった。
年収(源泉徴収票)以外の金融資産も開示したが、融資担当者は俺の数百万の貯金はチラッと見ただけで終わりだった。ちょっとプライドが傷ついたぜ。
利息は0.8%台で、融資手数料等の諸費用を含めると逆ザヤは僅かとなった。
住宅ローン減税は初年度こそ税務署に行っての確定申告が必要で面倒だったが、2年目以降は年末調整で職場に用紙出すだけなので慣れれば手間でない。
・値引き
基本的に都市部の中古住宅は売り手市場だが、この物件は1年前に4800万で売りにだして売れず4600万で売られており(校区小学校が遠いのと保留地なのが原因だと思う)ちょっと強めに出てみた。
不動産屋を介して、「もともとの予算が4000万なんです、がんばって4100万なんです、保留地なので金利の安い住宅ローンが使えなくて苦しいんです、金利分まかりませんか?」と。
4400万のオファーがあり、こっちは4200万で再度要請。最終的に「4300万よりは下げられん、それで無理なら売るのは諦める」との回答で、4300万で妥結した。
近くにある小学校距離と保留地以外の広さや造りや築年数が似た物件は6~8000万で売られてるので、造りのいい広い家を安くで買えたと満足している。
・不動産屋
仲介手数料は上限いっぱい取られたが、土地区画整理組合との所有者変更のやりとりや価格交渉で駆け回ってくれたので不満はない。
・司法書士
登記関係は銀行指定の司法書士に一任した。土地は登記がないので建物分のみ。市中の方に依頼したらもっと安かったと思う。
反省点
結果論だが、保育園までの距離は考慮しなくてもよかった。それ以外は満足。
子供が産まれる前は「田舎で静かなところがいいね」と学校までの距離をきにせず人里離れた田舎の広い一軒家をネットで見た「こんなところいいね」と話してたりしてたが、子供が産まれると子供第一の選定となった。でも子供が独立したらまた判断基準が変わるんだろうな。
一戸建てに住めばいいのでは
ただの感情です
都下のいわゆる住宅密集地の一戸建てに住んで在宅仕事をしてます。
今年、緊急事態宣言で休校になったとき、朝から夜まで家の周りで近所中の子供たちが私の家の前の道路で大騒ぎしてたんです。
ギャー!!!!キー!!!!うおおおおお!!!!ああああーーーー!エンドレス
子どもたち、それはもうすごくて、道路でボールついて自転車とくねくねするボード乗り回して走りまわって叫び倒して通行する車に威嚇して、ボールがバンバンうちのにも周りの車にも家にもあたるし、家の敷地にも勝手に入ってきてぎゃーぎゃー騒ぎまわって。
まあ子供もその子らの親も大変な時期だしお互い様とか思って我慢して仕事してました。
今は平日は静かなもので、土日に隣の家の男親が未就学児5~6人と午後の数時間外で騒ぐだけなんですけど。
相変わらずうちにボール当てるし、勝手に入ってくるし敷地に自転車勝手に置くしもう我慢ができないので、家の前にチェーンと監視カメラつけて注意喚起のチラシ入れたり町内会に話したりいろいろしたんだけど何も変わらんで。
子供の鳴き声じゃなくても、その親の声聞いただけでもイライラがとまらなくて勝手に泣いて心が閉じる。
土日に家にいるのがもう無理なので、最近の週末はひとりでホテル泊しています。
家の名義は夫だし、絶対に引っ越さない(騒ぐ声が気にならない)と言ってるので私が家を出れば丸くおさまるんでしょう。
引っ越したくない気持ちはわかるよ、だっておうちの設計図見るの楽しかったもんねワクワクしてさ、懐かしいです。
土日に夫とお菓子食べながらゲームしたり、テレビ見てつまらんだのおいしそうだのあーだこーだいう時間も大好きでした。もう失くしましたけど。
たぶん離婚するんだろうね、悲しいけど、なんかもういろいろ諦めてて今日もずーっと泣きながら半笑いしてて顔がよくわからない。
私の犠牲で大多数の幸福が保証されるならもうそれでいいです、ダニみたいな存在なんだろね私は世界にとって。
子供がいない既婚者なんてどれだけ納税してようが関係なしに非生産的な人間なんでしょうから、いつも子持ちに貢献しなきゃいけないんだもんね、忘れてた私が悪いそりゃそうだよ世界は!!!
情けはひとのためならずっていう言葉が好きでねえ、まわりまわっていい人生が送れたらいいなって、電車で年寄りにも妊婦にも席たくさん譲ったし、そこらに倒れてる人がいればおまわりさん呼んだり救急車呼んだり、よく道を聞かれるので目的地まで案内したりとか、私わりといい人間だったと思うんだよね。うるさくないし太ってないし滅多に怒らないしゴールド免許だし、それなりにきちんと稼いで自立して扶養にも入ってないし借金もないし老後のために地道にお金積み立ててさあ、自分は子供もてなかったからせめて地域貢献をって地域イベントの運営手伝ったりしてねー、ほんとえらかったよねえ。
もちろんダメなとこもいっぱいあるけどさ人間だしね、でもなんでただの変なよその親たちにこんなに心をすりつぶされなくちゃいけなかったんだろうね。あーがんばったのになあ、ぜんぶ無駄だったんだねえ。
人生ってそんなもんなんだろうと思うけど、悲しくて悔しくてもうだめです。だめだわ。
みんなは元気でがんばってね。
35年ローンとか組まされておきながら、一戸建ての価値は築後急速に下がっていく。
ぶっちゃけローンを払うだけ損になっていく詐欺みたいな話なわけだが、日本の住宅市場はそういうものなので仕方がない。
それをトンネル工事で空洞ができて、家の壁は崩れ住めなくなったら…。
俺なら狂うと思う。
正気でいられる自信がない。
最近はコロナで航空関係や飲食関係などが理不尽な目にあっているのかもしれない。
日本は暴動が起こることはないが、個人的な恨みから暴走するということは十分ありうるのではないだろうか。
増田(35)の5つ上の姉(40)は軽度の発達障害なのではないかと思うようになった。
ただの書きなぐりでオチもなにもない。姉との関係に強いストレスを感じているのでここに吐き出す。
両親:ともに67歳。父は定年後、地域のボランティアをしながらまったり生活、母は専業主婦。
姉は知的レベルが高くなく、人とのコミュニケーションにおいて問題を起こしやすいのである。
・思春期~青年期:他人をけなすことで自分の優位性を保とうとする
・成人期以降:他人から指摘を受けると「攻撃」とみなして怒り出す
コロナで家にいる時間が増えて、姉の人となりをいままでよりもよく見るようになってきたが、
・気に食わないことがあると家族相手でも人間関係にヒビが入るような暴言を平気で言う
姉は子供の頃は親が勉強しろと言わなくても自発的に勉強机に向かっていたが、
成績は決して上位ではなく、よくて中の上くらい。
父の意向で中学受験をするもあえなく失敗、その後、高校受験は普通の高校に合格する。
姉は文系科目、現代文、古文、漢文、日本史、世界史は一切ダメ、
数学と化学は人並みくらいにできていた。あ、英語もできなかったな。
勉強机に向かってる時間は人の2倍、3倍あっても、成績はそれに応じなかった。
増田は勉強しろって言ってもなにもやらないけど、姉ちゃんは言わないでもやるから偉い、
そういう表現をよくされていたが、子どもながらに、なんでそんなに勉強してるのに成績が
そこそこでしかないのか疑問でならなかった。
そんな姉は大学受験を志すが、ごく一部の理系科目でしか得点がとれないので、
いくつか受けて、受かったのは1校だけ。いくつ受かろうが通えるのも1校しかないが、
それでも、F欄大学をあそこまで落ち続けるのはなぜなのだろうと疑問だった。
姉の大学生活の話はたいてい自分よりも成績が悪い人や留年してる人を
自分より下の人を探してバカにするのが日課なのかと思うくらいに。
就職に際しては、希望する職種があって、それを中学の卒業文集にも書いていて、
父親も知っていたことから本人の意向を確認し、仕事のコネを使って、
ところが、姉はその顔合わせをバックレるのである。
職場の方が約束の時間になっても姉が来ず、携帯もつながらないので、
事故にあったりしていないか心配になって自宅に電話がかかってきた。
当然ながら、家族会議であるが、姉はごめんなさいをするわけでもなく、
就職の世話なんて頼んでない、大学の先生に紹介してもらうことになっているから、
そっちは断ってくれ、などと言うのであった。
父の紹介先のほうが待遇もよく、希望の職種で就職できるのにである。
アカハラなどが横行するようなレベルの大学でもなく、断っても卒業に支障はないのに、
当日何をしてたかも語ることはなかったようで、今も理解できない行動であった。
姉は就職とともに一人暮らしをはじめたが、2年ほどしたところで、
その後は実家に住むことになるが、新たな就職先も2年ほどで辞めてしまう。
理由は職場の上司と反りが合わない、というだけで辞めてくるのである。
2社目を辞めたところで、その当時付き合っていた男との間に子どもができたのを
しかし、旦那となった男は稼ぎが十分でなく、とても無職の姉と子どもを
養えるものではなかった。
両親もデキ婚で苦労をしてきたので、不憫に思ってマンションを買い与えるが、
住み始めてしばらくしてから、姉が自分は一戸建てに住みたいんだ、と文句をいうので、
当然ながら夫婦ゲンカは耐えない。ケンカと言っても姉が一方的に
親族の集まる場でも、自分の旦那はバカだから、が口癖でどうしようもなかった。
これで落ち着いて暮らしていけるかと思ったが、収まるどころかより一層、
別れた旦那がえらいと思うのは、そんな姉に子供の養育費を今も欠かさずに
その後はパートなどにいくも、半年や1年で辞めてくる、2年続けば良いほうだった。
家庭での会話は、パート先の同僚(といっても自分よりも年長の人たち)の
自分がF欄卒を差し置いて、付き合いのある人の子どもが受験する学校のことを
バカにするようなことばかりであった。
父が一度、子どもへの影響を心配して、人様の家のことをそんなに言うもんじゃない、
と叱るも、別に外で言ってるわけじゃないしバカだからいいじゃない、
なんで私が怒られないといけないの、と斜め上のキレ方をした。
姉の子供はというと、そんな姉に甘やかされて育ち、友達親子みたいになっていて、
親がやるように周りの人をけなす言動の多い子どもになってしまっているので
将来が思いやられる。
姉はパート社員のなかで緊急事態宣言から間もなくして、まっさきにクビを切られた。
増田と両親からすれば、普段の振る舞いからして、そりゃそうだろうなと思うほかなかった。
その後、現在に至るまで、ただ家にいて、ネットしてるか酒飲みながら子どもと
近所にはものすごいおうちがいっぱいある。普通の家とすごい家が通りによっていろいろ建ってて、自分の家は新興住宅地にありそうな普通の一戸建て。
立派な庭園の家は多くて、バスケットゴールとか置いてあるのは全然普通で、中には長く続く高い門がすごすぎて家が全く見えない家とか、何部屋あるのか外からじゃ皆目見当もつかない家とかある。
ただ、近所付き合いのあっさりした地域なので町内会でも細かく分かれた同じ班の限られた人にしか会ったことない。
でも今回バチェロレッテ見てて
この家々の持ち主は必ずしもここにだけに住んでるんじゃなくて「神戸のおうち」「仙台のおうち」という感じで複数の家を持っているのかもしれないのか!と初めて合致して、目から鱗。いやー庶民には思い至らなかった。別荘地ではないから、そういう考えなかったわー。
都内に何個かおうちある家庭とか避暑地に別荘を1つ持つ家庭とかなら確かに出会ったことあるし、多拠点生活もわかるんだけど、近所の豪邸と繋げて考えたことなかった。生活拠点が大きな規模でいくつも存在するとか世の中には考えもつかない生活の仕方があるんだなぁ。
いや本当にそうかはわかんないんだけどね。