はてなキーワード: ホモフォビアとは
これのブコメ、いかに男にも責任があることを強弁できるか大喜利になってるのマジ笑えるな。
企画にGO出せるのも止めれるのも上司。https://www.atsugi.co.jp/company/officer.html
はてなの女の権利に意識高い系の皆さんは、女が立てた女向け商品の企画を男の上司が却下したときには「女のセンスをなんで男が否定するんだ? 女向け商品なんだから女の意見を尊重しろ!」と言ってきたと思うんだが、今回は「女が立てた女向け企画を通した男の上司にも問題がある」って理路で責めるんだな。面白すぎる。
仮に俺が上司なら「今どきの若い女の子はこういうのが好きなのか。俺にはわからんが女の担当者の言うことを尊重しよう」って思って判をつくぞ。
女が企画して女絵師が描いた女向け商品のイラストでも、外野の男が喜んでたら男に媚びた商法ってことになるの? 女の主体性はどこへ……?
男が企画して男の漫画家が描いた男向け漫画を「腐媚び」とか言って批判する連中と言ってること変わらないと思うんだけど。まあ、早く女にも主体性があるってことに気づけるといいですね。
もう21世紀だよ? 未だにそんな昭和の人権感覚引きずってるの? 多様性の尊重とかどこ行っちゃったの? 意識をアップデートしてね!
TwitterではなかっぱBLがトレンドになってるけどあれをさすがNHK!最先端ポリコレ!と捉える向きおかしくない?あれって外的な要因(花)で異性愛者が性的指向をねじまげられて同性愛者になってしまいましたーという話じゃん。オチもがりぞーを愛した記憶を無くしたはなかっぱ=正気に戻ったという表現に感じて、これのどこが同性愛の肯定になるのんという気持ち。がりぞーの方はしっかり記憶が残っていてはなかっぱへの思慕を匂わせるけど、ストーリー全体通して「同性愛は生まれ持った性質でなく外的な要因で発芽する」というメッセージを子供に植え付けそうでポリコレどころか逆に心配だよ。これってまさに足立区の議員しかりホモフォビアの考え方でしょ。
エモい感じに騙されてあれを持ち上げちゃうリベラルの皆さんが信じられない。浅はかすぎる。がりぞーのはなかっぱを想う気持ちは尊いが、ストーリーとしては別に新しくもなんともない昔ながらのホモネタ恋愛消費ですよ。
殺されるのはほとんどの人にとってイヤなことだし、絶対苦しいし、殺人を肯定すると社会の維持が難しくなる
チンポはどうか?
チンポを見るのがイヤな理由は何だ?苦しくはないよな?銭湯で他人のチンポ見てもなんとも思わないし、なんならAVなんかで戦闘態勢のチンポをガッツリみるのもやぶさかでない
女性だって別にチンポを見ること自体がイヤなわけではないだろう 変態にチンポを見せられるのはイヤだろうが、それをいうならたぶん変態にフォアグラを食わされるのだってイヤなはず
チンポ自体に罪はない、というか、チンポ=罪にしてるせいで変態が調子づいてるという側面すらあるのではないか
チンポもマンコも解禁して、やりたかったら全裸で外を歩けるようにしていいのではないか
チンポやマンコを過剰に禁じてるのはホモフォビア・性的抑圧なのではないか
国際的な視点を取り入れると、たとえばスペインには全裸で外を歩くことを禁じる法律はない
つっても流石に街の中で全裸人間を見かけることは全然ないんだが、それはそれとして法的には全然いけるという事実は大きい 自由だ自由
だいたい、股間についてるわけじゃんみんな
身体の一部ですよ
外気に晒しただけで犯罪行為になる部位が自分についてるのってイヤじゃないか?
そんなん人権蹂躙でしょ なぜ俺たちが自分の身体を恥じ、隠さないといけないのか
恥ずかしいのはどっちだ?
誇り高くチンポを曝け出す俺たちか?
合理的な理由もなく硬直した思想によりチンポを取り締まる時代遅れの法律か?
チンポを解放せよ!
性の話、めんどくさすぎる!
男女に厳然と分かれてて、全員確実に異性愛かつみんな恋愛したいと思ってるし恋愛といえばセックス、みたいな世界ならまだしも、現実は複雑怪奇でめんどくさすぎる
性自認云々で性別欄が消え、そのわりには男女の身体的性差とか性犯罪なんかの問題は普通に残っていて、少子化がアカンので恋愛・生殖を推奨しようとすると別に恋愛を求めない人とか同性愛者なんかが出てきて論争が始まる
俺自身は人類滅べばいいやんと思ってるから少子化なんかはどうでもいいんだけど、ネットみててさまざまな火種でいろんな人たちがバチバチにやり合ってるのをみるとウンザリしてくる
知人に大学でジェンダー系のことやってた人らがいて、彼らがTwitterなんかでブチブチ言い続けてるのをみるのもかなりうざったい
これからの時代ヘタなことを言わないための素養はかなり重要になりそうなんで、結構な先鋒っぽい彼らの意見に目を通すのは有用なんだけど、細かすぎてウゼーと思ってしまうのも事実なんだよな
彼らの意見をみ続けるうちに何かを内面化してしまったらしく、最近はなにを見てても「あっここ性差別!おっいまの発言は異性愛至上主義的だなあ!げっホモフォビア!」みたいなことを思い続けるようになった
性ウザすぎる
この増田の読解力が低いのか、こちらの読解力が低いのか、あるいはその両方か
確かに「ホモソーシャル」という言葉は本来「性的関係を含まない社会的同性関係の話」を指す言葉だけど
実際にホモソーシャルという言葉は男性同士の付き合いに内包されると言われるミソジニー(女性蔑視)・ホモフォビア(同性愛嫌悪)を批判する時に使う場合が殆どだよ
例えば「ホモ」という言葉は本来ホモ・サピエンス(人間)の略称の筈だけど実際ただ「ホモ」と言うとホモ・セクシャル(同性愛者)を指すような物
女性同士の「性的関係を含まない社会的同性関係の話」を指してホモソーシャルという言葉を使ってる人はあまり見た事が無いし、大体男性批判がセットだよね
俺は逆に男は「恋」とか「愛」みたいな概念をかなり限定して使いがちだと思う
セックスを伴わないと「恋」とか「愛」とは言えないという制限を無意識に働かせてる男が多いから男同士に関しては「友情」しか許せなくなるんだろう。
これはホモフォビアを前提としていると短絡されることがあるが、より正確には性嫌悪的な資質が男の文化(本能ではなく)にあることを示唆するものだと考えたい。
仲の良い男同士を見るとすぐ「あの二人絶対付き合ってるよねー」と盛り上がったり、
あるいは「ホモソーシャルだ」とすぐに同性愛差別や女性蔑視に結び付けて怒る人達が居る
別に男同士で仲が良いからと言って恋をしている訳では無いし、必ずしも同性愛者や女性を差別している訳でも無いのに
どうして必ずそうに違いない、そうに決まっていると断定してしまう人が居るのか、僕には分からなかった
ある時「上司を尊敬したり主君に忠誠を誓うのは恋してるような物」みたいな事を言う女性の意見を聞いた時に思った
「女性にとっては男同士で親密である事は恋をしているのと同義」であって他の受け取り方は出来ないのかもしれないと
そう考えると「男同士で仲が良い=恋人同士であり付き合っているように見える」んだろうし、
「俺達はホモではない、仲が良いだけだ」という男性の弁明は同性愛者への差別だし、男同士で恋人としての関係性が成立しているならそこに女性が入る隙間は無い女性差別なんだろう
ホモソーシャルという言葉を使うフェミニストにやたら腐女子が多いのはそういう事なんだろうか?
【追記】
ためしにホモソーシャル、ホモソなどといったワードで検索すると
「男同士が仲が良い=そこには必ず女性蔑視・女性差別・ホモフォビアが伴う」と考えている女性と思わしき人達の意見が相当数ヒットした
中には「女性同士で仲が良い事もホモソーシャルであるのではないか?」という人も居たけど体感では数百人に一人居るか居ないかという感じ
まあその女性と同性愛者が排されたホモソーシャル的な関係を嫌いながらも
「BLの材料としては美味しい」とそれはそれ、これはこれと喜んでいる腐女子も居たし色々複雑なんだろうなあ
「ホモソーシャル」に、女性蔑視なんて意味はないんだけどな…(職場等がホモソーシャル的になると女性排除に繋がるけど)。「男性同士の友情や忠誠心」はホモソーシャルでしょ(ほぼ、言葉の定義そのものとして)
https://note.com/palette_lgbtq/n/nef751beeeb21
男同士で仲が良い事=女性蔑視や同性愛嫌悪に繋がる事(女性同士で仲が良い事に対しては使わない)みたいな言葉だと解釈してる
何でも百合呼ばわりする男は女同士で仲が良い=付き合ってるに違いないって決め付けてるのかな…特に女性声優をすぐレズ呼ばわりするような男とか
レズビアンでない女性にとって同性と性的な関係を持つ事はとてつもない苦痛だと聞いた事があるので
何でもすぐ百合呼ばわりして茶化すのは同性愛者でもそうでもない女性にも大変失礼な事だと思う、女性には本当に申し訳無い
舶来の同性愛タブー視が存在してなかったら絶対やってるよなこいつら、と思うことはある。体育会系っぽい男はやたらべたべたしたがるのが多い。
「絶対やってるよなこいつら」ってくらい仲が良いのに実際性欲を向ける相手は女性で同性愛者である事も否定する男達が許せない人がホモソーシャルって言葉を作ったんだろうなぁ…
そういう男同士の親密さを示す友情や忠誠心って考え方が憎いからあれは恋愛感情に違いないって決め付ける人も多いんだろうか
一つ謝らせてもらいたい
ホモソーシャルという言葉を作ったのが外国のフェミニストの方という事は某大百科のお陰でうっすらと知っていた
つまり↑の「男達が許せない人がホモソーシャルって言葉を作ったんだろうなぁ…」は完全に誤り、誤りを謝りたい
正直に言うとネットでホモソーシャル、ホモソという言葉を使う人は男性を批判するフェミニストやホモソ的な関係が萌えるらしい腐女子の意見ばかりが目に入った
つまり僕はそういう意見にムカッとして「ホモソーシャルという言葉は男達が許せない人が作った」と誤った事を書いた、その事を最後に謝りたい
男性ばかりが登場する作品に同性愛者が出て来なければ「ホモフォビア」
囚われの女性を主人公の男性が助けに行く話には「ミソジニー」と「マチズモ」
言わんとせん事は分かる。そういう内容の作品では「一般的な男性が優遇されすぎで少数派の男性と女性の扱いが悪い」と言いたいのだろう。
男性の間で美しい女性はトロフィーとして物扱いされてると言いたいのだろう。男性だけが何か女性には分からない素晴らしい物を独占してると言いたいのだろう。
恐らくそうだと思う。男性として生まれ男性として生きてきた人にしか分からない事は多い。男には男の世界があり、男のロマンがある。女性には分からないだろう。
同じように、男性にも分からない事は多い。女性は何故お喋りと噂話と美容があんなに好きなのか。女性は何故お姫様の綺麗なドレスに憧れるのか。分からない。
分からなくて良いと思う。お互い突っつかなくて良いと思う。分かりたいと思っても良いと思う。恐らく死ぬまで感覚的には理解出来なくても分からない事を分かろうとするのは良い事だと思う。
口を出すのは駄目だ。男性集団の中に同性愛者が居なくて何が悪い。囚われた女性を男性が助けに行って何が悪い。男性が楽しむための娯楽作品で男性が望む話を描いて何が悪い。
その事を「良くない」と思って自分達が楽しむための作品を作るのは自由だ。娯楽に幅が広がってむしろ素敵な事だ。男性向けの作品を楽しむ女性も居る。女性向けの作品を楽しむ男性も居る。
男性向けの作品に「女性が見ても楽しめるようにしろ」と口を挟むな。分からない。更衣室やお手洗いが性別で分けられている事には文句を言わないのに、男性向けの作品を楽しめない事に文句を言う女性が居るのか。
小さい頃、祖母と仲が良かった。
実質孫はわたし一人みたいなものだったので猫可愛がりをされたのだ。話を聞いてくれて、好きなものを買ってくれて、家に行けばわたしの好きなものが用意されていて、お小遣いをくれてと来れば、好きにならない訳がない。
いつからそうなったのか、祖母は自分の思い通りに行かないことや自分が不幸だと感じている理由を、全て別のものの責任にするようになった。
祖母の家はうちから電車で40分はかかるのだが、何か欲しいものがあるとUberEats感覚で母を呼び出す。自分の家の前には、わたしから見て叔父にあたる、息子夫婦が住んでいるのに。
祖父は一昨年亡くなったのだが、そのもうこの世にいない夫が何十年も前に不倫していた云々と未だに延々と愚痴っている。わたしには寝耳に水の話だった。昨年わたしの両親と一緒に4人で逗子へ行った時、祖母と同室だったわたしは、その話を深夜3時まで聞かされた。
母がそれに対して何か口にしようものなら、まるで自分が被害者のように母を責め立てる。
いっそ認知症だったら諦めもつくが、そういう感じではない。母に聞いた昔の祖父母の行動もなかなかだった。
わたしの家族って結構クソなんじゃないかと気づいたのは最近である。
物心ついた時には両親は喧嘩ばかりしていたし、その原因が父親の不倫だと知り、そしてそれがどういうものなのか理解してからは、生理的に無理になった。
母がキレて父親が作ったスープが入った鍋をキッチンの壁に投げつけたこともあった。仕事から帰宅した父親を家に入れないように玄関にチェーンをして、ガンガンと鳴るドアにわたしが開けに行こうとすると、「あれは悪魔が入ってこようとしているのだ」と引き止められたこともある。
この際だから書いてしまうが、その癖二人がセックスに雪崩れ込む場面を目撃してしまったことも何度かあるので、幼少期のわたしの情緒は今考えてみるとめちゃくちゃである。
何かの拍子に、母の恨み辛みが書かれた日記を読んだこともあった。それもあってか、明らかに責任の一端はあるのだけれど、母に対して恨めしく思った試しはあまりない。
とにかく一番酷かったのは、母が離婚裁判用に用意でもしていたのか、パソコンに保存された父親の写真を見た時だ。旅館の宴会場らしい所で、備え付けみたいな浴衣を着た父親が知らない女性の乳首を口に含んでいる姿が写されていた。
わたしの幻覚だったら良かったのだが、二十年近く経った今でも覚えているので、たぶん見間違いではないと思う。最悪だ。
文章にすると、よりひどい気がしてきた。これで父親を尊敬しろと言う方が無理である。
百歩譲って、父親が今は改心して良き人間、良き父親となっていたならわたしも少しは関係修繕に努めたかもしれない。
こんな人は嫌だな、と思う要素のほとんどを彼は兼ね備えている。
人種差別主義者だし、女性差別的だし、ホモフォビアで、口を開けば昔の自分の武勇伝(しかも遡ること小学生まで)しかせず、相手の話は全く聞かないばかりか、高尚で価値があるのは自分の気に入ったものだけで、他人の趣味は平気で貶す。
具体的に言うと、何か事件が起きたり街でマナーが悪い人を見ると「日本人じゃない」と言い、「痴漢にも選ぶ権利がある」と娘の前でのたまう。わたしが聞いていないと思ったのか、わたしが仮にレズビアンだと言ったら「家から勘当する」らしいし、母やわたしが好きなものは「くだらない」と鼻で笑う。
父親でなくても好きになる方が難しい。
恐らく、自分があれだけ働いているのに、家でわたしがぐうたらしているのが許せないのか、「人としてどうかと思う」とかなり強い口調で言われたことも一度や二度ではない。ある時耐えかねて「子どもが幼稚園の時に不倫する方が人としてどうかと思う」と返したら、それからピタリとこの言い回しだけは使わなくなった。
加えて彼は、典型的な「誰が金を払ってやってると思ってるんだ」人間である。これはわたしが明らかに生意気な口を利いた時だけでなく、例えば赤リンゴを彼が「青リンゴだ」と言った時に「いや、それはどう見ても赤いリンゴだ」とわたしが否定したとしても発せられる。どんな理由があっても子どもは親に逆らってはいけない、というやつである。
そもそも子どもは望んで生まれてくるわけではない。親が勝手に作っただけの話なのに、それを感謝しろと言うのは屁理屈にも程がある。
なので「産んでくれと言った覚えはない」と言ったところ、「こっちだって生まれて欲しかったわけではない。勝手に生まれていた」と返ってきた。
さすがに呆れ果てて「だったらコンドームしろクソ野郎が」と言いかけたが、雅ではないのでやめた。ちなみに母によると、父親は妻が体調を崩した時に「大丈夫だよ、俺外で食べてくるから」と、病気の妻も小さな子どもも置いて外に行くタイプの男だったらしい。まさかこんなに身近にそんな人間がいるとは思わなかった。
世界的に見れば人口は増え続けているし、大半の人が子どもを欲しがる理由は「可愛いから」とか「寂しいから」とか「自分の生きた証を残したいから」とか、挙げ句の果てに「老後の面倒を見て欲しいから」とか奴隷扱いに近いものばかりだ。
親は子どもの一生の面倒は見れない。
どんなに大切に育てても、学校で虐められ自殺するかもしれないし、害悪企業に就職して過労死するかもしれない。もちろん、成功して幸せな生活を歩めるかもしれないが、そんなことは誰にも分からない。
そして死は、多少の差はあれど、たぶん苦しいものである。だから人生が嫌になっても簡単には死を選べない。
であれば、人生というのは始まる前からマイナススタートである。そんな状況で同意も取れないのに子どもを作るのはかなりのチャレンジャー(マイルドな言い方である)だと、わたしは思っている。
こう言うと大抵の人に信じられない顔をされるのだが、もうこれは完璧にわたしの家庭環境のせいだとようやく最近気づいてきた。
冒頭で実質わたしが一人孫だと書いたのは、叔父も一度離婚していて、それ以来まともに自分の子ども達と会ってすらいないからである。養育費を払っているのかすら怪しい。
不倫騒動で揉めていた際、あちら側がわたしのことを「いらない」と言ったのだと母が憤慨していたのを覚えているので、会おうとも思わない。
やっぱり文章にするとかなり酷い家庭環境だなと思う。まともに育った方だ。
こんなクソみたいな家族の中で育って、家庭を持つのに希望を抱く方が馬鹿である。
そうでなくても、社会から人種差別は無くならないし、女性差別が消えるのには後99年かかるらしいし、日本で生きていくには過重労働と低賃金とパワハラとセクハラを受け入れなければならない。生きるって何なんだろう。
それでも世の中には、結婚して、いずれその流れで子どもを持つことに何の疑問を抱かない人もいる。というか、そういう人が過半数だろう。幸せなことだと思う。
そして、わたしはどう頑張っても、そういう風には生きられない。
そう思うと、何か、死にてえなと思う。
「BLはファンタジー」という常套句への疑問はLGBTからの声を反映してのことだと思っていた。観測範囲がはてなブログだったからかもしれないけど。
最近この話題についてゲイの作家さんが「BLはファンタジーって言っとけば(よかったのに)」と言うのを見て拍子抜けした。
(2007年)「百合は/BLは/やおいはファンタジーなんだから、何したっていいだろ」というノンケの発想って「旅の恥はかき捨て」っていうのと同じだよな
https://miyakichi.hatenadiary.jp/entry/20070625/1182747500
https://ry0ta.hatenadiary.org/entry/20080202/1201956488
(2008年)堺市図書館論争 まとめと個人的見解 後・BL問題編
https://kanatam.hatenablog.com/entry/20081113/p2
最終的には増田のような「注意書き」を添えることが落としどころだとわりと真剣に思っていた。
腐女子が「ポリコレ」に関心を持つ一因はゾーニングや言葉選びに敏感になれと内外から言われまくってきたことかなあ(10年ぐらい前までは)。
個人的には黎明期のニコニコ動画やpixivのオタクが「腐向け」の作品に苛烈な態度で検索避けを強いてきたことが根っこにある。
かたやマナー喚起のつもりの「同性愛を扱ったBLは嫌悪感を持つ人が多いので隠れましょう」みたいな文言が差別を助長するとゲイの人から指摘されることもあった。
当時とは状況が反転したようでいて、ニコ動やpixivの中は変わっていない。二次創作にあって男性向けは自由、女性向けは検索避けさせる状況のまんまだ。
「男女カップリングや百合には何も言わないのに、男性向けのきわどい女キャラの絵は野放しなのに、そっちは隠さないの?」という反問はその中で繰り返されてきた。
検索避け反対派は「みんな隠れろじゃなくて、みんな隠れなくていい、じゃないと互いの首が絞まる」と言ったが結局「どっちも隠れろ」に傾いていって今がある。
「BLのつもりはないけど書いた人が腐女子なので…」と健全系までカップリングタグにばらばらに隠れていたりして作品タグ検索がますます寂しくなる。話がそれた。
→棲み分けしろ?見たくないってホモフォビアか?文句言う奴は同性愛者差別なんで(突然の現実混同)
→NL表記で同性愛者さんが傷ついてるんですよ!この差別主義者が!(以降無茶苦茶口汚く罵る)
その腐女子の言い訳(BL=現実の同性愛)を信じた同性愛者さんから腐女子内限定の棲み分けを指摘される(受け攻め表記やめた方が?など)
→ただの個人の性癖なのに何で従わないといけない?これ現実じゃなくてファンタジーなんですけど?(突然正気に戻る)
皆ただの性癖なんだよなぁ…現実と混同するのマジでやめて下さい
大暴れしてる腐女子は冷静になって欲しい
本当は一部の腐女子って書きたかったが、上記の言い訳無茶苦茶見かけたし、NL表記問題は腐女子の糾弾が沢山RTされてた記憶あったから本当に一部なん?となっている
初めに、僕は同性愛者ではありません
同性愛者ではありませんが、以前精神的BLのTS作品で主人公の同性愛蔑視と思われるモノローグに非常に強いショックを受けた事があります
作品名は伏せますが 『……元男なのに野郎を好きになるとか、オレも頭がおかしいな。それでも、もっともっと一緒にいたかった。』(原文ママ) という物でした
恐らくこの作品を書かれたのは女性であると僕は思っていますし、内容も「女性になってしまった元男性の主人公がその事実を隠したまま一人の男性と恋に落ちる」という精神的BL作品の変種?みたいな感じでした
僕はBLやGL作品で「俺は男なのに(私は女なのに)同性を好きになるなんて変だよね…」という台詞が人気があって使われる事がある、という話を聞いた事があります
なので『精神的には同性という障害を乗り越えてそれでも愛しあう二人』という二人を描くために自分の事をヘテロセクシャルだと認識している男性にこういう台詞を言わせる事が必要だったのかもしれないとは思います
ですが、差別的な意図は恐らく全くないそのお約束的な台詞を、女性の作者がBLを描くために男性主人公に言わせてしまった事に上手く言語化出来ないのですが…何て言うのか、とてもモヤモヤした物があります
言うなれば身長などの身体的なコンプレックスを持っているキャラクターにその事を気にしている台詞を言わせるような物で、それが一種の「萌え」みたいな物である事は分かるのですが…
やっぱりBLを嗜む人も『同性愛は異常な事であり同性愛者は異常者である』という認識の下でBLを愛好しているのでしょうか?どうなんでしょうね…僕はBLを嗜まないので未だに良く分からないままです…
そう思ってしまうのは増田が同性愛者だからである、と安直に決めつけて見ると、なんか鬱屈感がスッキリする。決めつけは楽しい。やめよう決めつけ
というブコメをいただきました。まあ本当に同性愛者なら同性愛嫌悪的な描写にショックを受けても仕方ない…という気がします。
僕も「BLを嗜む人は同性愛を異常に思った上で愛好しているのではないか?」とある作品を読んで疑問に思い、ここで吐き出した結果不快に思った人は居るかもしれません。申し訳ありません。
僕は女性が好きだと自分で認識しているので、やっぱり誰かに決め付けられると鬱屈感はありますね。よし!やめよう決めつけ
【追記】
少しBLとホモフォビアに関してBLを愛好している人達がどう思っているのか調べてみたんですが
「俺はホモなんかじゃない!」はホモフォビアかもしれないな…これはいけない、段々減らして行こう。と思った人達が大勢居ていつの頃からか徐々に減っていったみたいです。これはとても凄い事だと思います。
中にはBLへの批判=ホモフォビアという理論でBLを批判する事は同性愛者差別だぞ。という考えを持っている人も居ましたが、僕が見た限りでは少数で多くの人はBLのホモフォビア表現を気にしているようでした。
今回僕が読んでショックを受けた主人公の同性愛蔑視と思われるモノローグがある作品はそういう意味では少しノリが古い作品だったのかもしれませんね。
別に隠してないし、街中でもうっすら手を繋いだり普通のカップルらしいスキンシップをしている。
多分若い女同士がそういうスキンシップをすることに対して世の中は割と寛容だと思う。別にキモいとか言われない。アイドルとかテレビで平気でキスしてるし。
そして本題、ホモフォビアに思うこと。
私はキモいおっさんが嫌いである。老害だって嫌いだし、そもそも弱者と言うものが好きじゃない。高学歴で、お金持ちの生まれで美人の私が女性を恋愛対象に見てるという一点なんで被差別階級の弱者扱いされないといけないの?って思ってる。
だから別に同性愛が嫌いなら嫌いでいいよ。ただ同性愛者の結婚を認めないのなら感情論でなく理性的な理由で反対して欲しい。少子化に繋がるとか言うならデータを出して欲しい。
そもそも同性愛者の結婚が認められたらじゃあおっさんやおばさんはいきなりおっさん同士で付き合い始めたりするの?って思わない?ただ単にキモいから嫌ならそれでいいじゃん。こっちはお前のお気持ち知らねえで済むし。
「リベラリズムに従えよ」増田だけど、俺の本意は「自分の主義主張と合わない界隈からは離れれば? 派閥じゃなくて自分の主義主張に忠実になろう?」って話だったんだよね。語り口で誤解させちゃったら申し訳ないけど。
で、もしリベラル増田が本心から“リベラル”やフェミニズムを支持しているならそのまま派閥に所属してればいいと思うんだけど、この返答を読む限りだとやっぱり派閥に属するのやめた方がよくない? とは思うよ。
また、現実の話もある。例えばある女性やフェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。
この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。
増田が「社会的強者である自分が口を挟むのは差別主義だ」と本心で思っているから口を挟まない……のではなくて、差別主義者だと思われるのは怖いから口を挟まないって話なんだよね? 派閥抜けた方がよくない?
ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
内部批判を利敵行為とみなすの率直に言って末期症状だから早めに派閥抜けた方がよくない?
リベラルやフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。
なんで納得できないのに納得してるふりをしなきゃいけないの? そんなことを強いられる派閥なんてさっさと抜けた方がよくない?
別に、増田に“リベラル”な思想を捨てろとは言わんよ。弱者の保護は尊い思想だと思うから増田がそれを掲げるのはけっこうなことだよ。
でも、その思想を抱えたまま、変な派閥的思考を捨てることはできるんじゃない? 同じ思想のやつからネトウヨと罵られようが、うるせえこれが俺の信じる“リベラル”だ、って自分の信じる道を貫き通す道もあるんじゃない?
で、こっから先は、増田の“リベラル”に対する俺からの疑問ね。主義主張の違いだから別に読む必要はないよ。
それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由の制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。
もちろん増田もわかった上で書いてるんだろうけど、強い弱いというのはあくまで相対的なものだからね。たとえば左利きのシスジェンダーの在日同性愛者男性は、左利きと在日と同性愛者という属性では弱者で、シスジェンダーの男性という点では強者だよね。女性差別やトランス差別の問題ではその人は強者側だけど、民族差別やホモフォビアや右利き中心主義の問題では弱者側で、そのときの話題によってポジションが変わってくるわけじゃん。まあ右利きシスジェンダー日本人ヘテロセクシュアル男性である俺みたいなのがいるんだから、当然左利きトランスジェンダー在日レズビアン女性みたいな弱者要素の詰め合わせみたいな人もいるんだろうけど、多くの場合は特定の要素において弱者なのであって全方位に弱者な人なんてそうそういないよね。
だとすると、基準は「弱者の保護」じゃなくて、やっぱり自由と公正に置かれるべきじゃない? どのような属性の持ち主であっても公正に扱われ、それぞれの自由を最大限に謳歌できる社会が目指されるべきじゃない? リベラリズムの信奉者としてはそう思うけど。
リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者のリベラル(弱者を優先する方)はラディカルフェミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)
自分は後者が主軸なので、ラディカルフェミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的に表現の自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツを肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る。
でもあいつら弱者の保護とかいいつつトランスジェンダーを差別してるじゃん。
もちろんTERFはあくまでも一部の連中がやってることだからその罪を全体に敷衍するのはよくないんだけどさ、弱者の保護というお題目が自由とかよりも優先されるみたいな話をしてるから「女性は弱者なので保護されるべき! 女性専用スペースに男体持ちは入ってくるな!」みたいな論理に飛びついちゃうんじゃないの?
当たり前だけど、自由を重視する俺も、構造的弱者が存在するってことは公正な自由競争を行う条件が整ってないってことなんだから弱者救済には賛成だよ。でもそれは自由で公正な社会のための地ならしであって、弱者の救済そのものが目的じゃない。あくまでそれは手段で、最終的な目標は自由な社会の実現(この手段としての弱者救済を否定するリバタリアニズムには明確に反対)。だから弱者側の要求が自由や公正を脅かすのならそれに反対する。
自由を優先しない、というのは別にいいんだけど、だったらリベラルって名乗るのやめたらいいんじゃない? リベラリズムは読んで字のごとく自由の実現を重視する主張だよ。自由よりも社会的弱者の救済に重きを置くならソーシャリズムとか名乗れば?
兄が中学生の頃、兄は萌え系美少女アニメにハマっていた。そういった類の、エッチな絵を好んでいたことも本人から聞いていた。当時の私は、それに惹かれる自分を否定するために、兄の趣味をしばしば揶揄した。同性愛の傾向故にホモフォビアに走ってしまう人もいると聞くが、ちょうどそのように。とはいえ、兄とは心底仲が悪かったわけではなく、仲が良いからこその悪態の一種の範囲内ではあった。私はグロ系にハマっていたので、お互いがお互いに「おまえよりマシだわw」と言い合っていた。今では私も萌え系美少女が好きだし、兄もグロ系をよく見て勧めてくれる。
しかし、別の人間がいる前で同じような態度をとることはまずかったなと、今では反省している。以前、ふとした会話の中で「兄ってそういうの隠さないよねw」と何気なく言ったら、「いやおまえがバラしたんだろw」と返された。怒ってる風でもなく、仲が良いからこその悪態の一種として。あ、私が悪いなと思った。それってアウティングだよなと。
その時も謝れなかったけど。また機会があれば今度こそ謝りたい。兄も全く気にしてないだろうし、ただの自己満足だけど。
最近、ニコニコやYouTubeを中心に活動している「ゆゆうた」という動画投稿者兼生主が炎上した。https://www.j-cast.com/2020/05/17386075.html?p=all
この件はまたいろいろと文脈があるんだけど、これとは無関係に思ったことがある。
それは、「淫夢を完全に避けるの難しくね?」ということ。
まず大前提として、淫夢って成り立ちが黒に近いグレーじゃん。淫夢本編動画とかストレートに著作権侵害だし、同性愛差別・ホモフォビアとの批判も(少なくとも論争状態には)ある。
だのにテレビの人が知ってか知らずか淫夢語録を使っていたり、あるいは人気声優が露骨に淫夢営業をしていたり、淫夢が陽の下で批判的文脈を持たず普通に使われてる様子をよく見る。
淫夢って一つの界隈であると同時に、ネットのあらゆる文化に影響を与えうる大きなミームでもあって、人気のコンテンツが淫夢要素を有してることも珍しくない。(冒頭で挙げたゆゆうたなんかは淫夢界隈の黒い部分を脱臭して「ライトオタク・キッズ」辺りに淫夢関連ネタをリーチさせ人気を稼ぐことに成功した)。
一見して由来が淫夢とは無関係に見えても、それを広めた界隈が淫夢の流れを汲んでいることもある。本来の文脈が薄れて単なる馴れ合いの定型になってたりもする。
地雷なんて踏まないに越したことはないけど、辺り一面地雷原だったり、隣のやつは地雷でフリスビーしてたり、そもそも地雷だと思ってるのは俺だけかもしれなかったり