はてなキーワード: アメリカナイズとは
そりゃたぶん増田の実家の料理が結構アメリカナイズされていた料理だったんじゃないかと思われる
北海道の漁師の息子である俺の実家の料理はサザエさんかと思うくらい一汁三菜な感じだったぞ
まず前提として鮭や鱒、秋刀魚、鱈、鰊のいずれかが必ず出る。親父が好まなかったらしいが鰍や鰈もたまに出る
まだおおらかな時代だったので近隣の農家と魚と野菜を物々交換して米や野菜が必ずあった
婆様に発酵食品作りの趣味があったので田舎味噌で作った汁物や漬物もある
外食税があった時代に子供をやっていたので誕生日にレストランで食べるオムライスがごちそうだった
チャーハンとかラーメンみたいな中華やハンバーグとかスパゲティみたいな洋食が実家で出ると兄弟みんなして「えっ何か良いことでもあったの?」と驚く感じだったんだぞ
昨年ブームとなり、
そのサビで踊られるダンスのフリのことだ。
何人の日本人がそれに気付いているだろうか…。
おそらく何割の方はそれに気付いており、
このブームをバズらせる事に荷担してもいたのだろう。
そうは思っているのだが、
どのくらいの人数にそれが共有されているのだろうか。
そう不安にも思っている。
イイネ!と形容するくらいだから、もちろん良い意味で受け止められているのだろう。表面上は。
当然「Good!」を意味するジェスチャーから来ているのだろう。
しかし、
その曲に合わせシェイクする腕の振りに違和感を感じないだろうか?
その腕の角度と位置が高すぎるのだ(元ネタとされるshootダンスと比べても)。
そしてまた、その仕草は身体を画面に対し横を向いて行われるのだ。それはなに故だろう。
その立てた親指が描く軌跡が、親指がどこを通過しているか。
その意味を少し考えたら、その違和感の答えが分かるのだはないだろうか。
親指を下に突き下ろす仕草は、相手に否定の意志を示す行為であり、
その親指を首の前で通過させる仕草は、死ね!殺すぞ!という意味である。
そしてこの手の動きとセットとなっているのが、足で何かを踏みつけるような仕草でもある。
C'mon, baby アメリカ
これはちょうどイイネダンスが踊られている時に歌われてる歌詞である。
この、密かに重ね合わされている意味を、どれだけの人が自覚的に使っているのだろう‥。
無論、これはそう解釈できる…という話であって、振付師の意図を決めつけているものではない。
ただ、そんな解釈もしうるダンスを、あなたの家族や子供にこのまま踊らせていても良いとお思いでしょうか?
今なお気になって仕方がない。
いかがだろうか…。
ついでに蛇足ながら…、
それは単なる外部評価としてあるのだけではなく、
曲そのものの中に、相反するままに、貫かれているような気もする。
まず、今上げたC'mon baby にあるように、戦後ずっと常に日本を指導し先導し父親のようなポジションにあったアメリカを、あたかも目下の対象であるかのように呼びつける構図を描いている。
これは、昨今多少批判的に言及されるようにもなってきた「日本スゲー」勢を満足させる構図でもある。
アメリカを挑発し、見下し、かかってこい!と挑発しているのである。
気持ちの上では。
その潜在的な意味を、意識的にか、無意識的にか、人それぞれの割合で汲み取られていたことによって、この歌は、この時代に、必然的な条件を揃えて一大ブームとなっていたのだろう。
気持ちの上だけでは。
そう。潜在的な願望としては持っていても、直接面と向かって宣戦布告はできない。その度胸は無い。
横を向いてその意味を隠し、最初にイイネのサムズアップを強調することで言い逃れをまず先に用意しているのだ。
ダサイけれど、完全に服従している訳ではないという秘めたる信条がカッコイイのだ。
それは、夢を見せて成長の原動力を与えたくれた…という意味ではあろうが、
叶うはずのない夢を追って身を持ち崩すよう動機付けられたとも取れる。
サクセスの味方を organizer
成功の道筋を付け導いてくれたというように解釈すべきではあろうが、
儲けに繋がる見込みのない者には一切目もくれられないとも取れなくもない。
C'mon, baby アメリカ
英文の部分の意味は逆さに解釈するのだとすれば、この言葉はこうなる。「こっちに来ないでくれ」と。「アメリカよ、もう日本に関わってくれるな」と。
どっちかの夜は昼間
我々が、日本が、現状「夜」であることは、今、これまでが、アメリカが「昼間」であった事と必然的な関係となっているのだ。
…と、
しかし、こうも歌われている。
競合してくジパングで
より強くアメリカナイズされた沖縄は、日本本土に対して先行する存在だ!と、そこで育った若者としての自意識はあったりするのだろう。
しかし、そんな沖縄は基地問題にもあるように、日本本土から負担を一方的に押し付けられて続けている存在でもある。
どっちかの夜は昼間…その沖縄の「夜」を産み出している「昼間」とは、単純にアメリカとしてよいのであろうか、それともその標的は実は日本本土を指しているのであろうか。
それらをひっくるめて歌われている。
C'mon, baby アメリカ
これをただ無邪気に歌い踊っていてよいのだろか?
その親指を地面に向けて突き立てているその矛先は、どちらを向いているのだろうか…。
愚痴を書かせてください。
私は、彼と同じ学術分野(文系)のQ教授の過去の研究内容に疑義があり、それを指摘するために本講座に参加している。
最近わかってきたのは、Q教授の研究はまさに先行研究だということ。彼らは先行研究だったのに押さえてなかった。つまり、タコツボだった……。
文科省の審議会の人文学・社会科学振興に関する平成21年の報告書を読んだのですが、
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/1246351.htm
基本的にこの頃から問題の性質は変わっていません。十年ぐらい叱られているのに、それでも克服できない。
昔の学者ってどうだったのかなと思って、マックス・ウェーバー『職業としての学問』を読んでみたのですが、当時のドイツの大学では、私講師という資格だけが与えられ、何を教えてもよく、給料は受講生からの授業料の上がりだけ、つまり出来高制だったみたいです。しかし医学や自然科学系の研究に巨額の資金が必要となり、アメリカでは研究者という仕事が月給制になった。ドイツでもアメリカナイズが進んでいるとウェーバーは書いている。ドイツ式だと市場原理が働くので、実力不足の学者は淘汰される。一方、アメリカ式だと雇用が保護されるので、官僚主義がはびこる。
日本で大学が設立された頃の事情ですが、福沢諭吉あたりが大学を創設した後、その後に官立大学を作ったみたい。2011年の東日本大震災で原発御用学者が社会的に批判を受け、国立大学法人改革で彼らは国家公務員ではなくなった。
いままで国は学者個人の自主性・自律性を尊重するとか言って、お金は出すけど口は出さなかった。しかし厚遇しすぎて、仕事をえり好みする人ができあがった。果たして障害者にフッサールを教えることが正しいのか? 私は、彼らがずっとサボタージュしてきたQ教授の過去の研究の批判という仕事の督促のためにやって来たのですが、彼らは、どうしてもフッサールを障害者に教えたいらしい。Q教授の批判という仕事は絶対にやりたくない。病人の私に押しつけたいそうです。病人の私がいまやらないといけないのは自分の病気を治すこと(自己保健義務)です。早く元気になって、勤労と納税の義務を果たすことです。Q教授の批判なんて、病気に障るからできるだけやりたくないのだが。
国が税金で複数の学者を雇っているのは、お互いをチェックさせるためなのですが、彼らはタコツボという自分たちの宿痾を克服したくない。どうしても大好きな哲学学を障害者に教える仕事だけをやりたい。私はいまQ教授が20年前に書いた悪書を読んで、問題点を洗い出す作業をしている状態です。泣きたいですよ。
文系って理屈っぽい。「理論上はこの結果がでるはず」と自説にこだわって、ありのままの事実を認められない。理想主義者なんですけど、理想論を学生にも吹き込む。そうするとモンスター障害者、モンスター高齢者ができる。大学教員もモンスター化しているともいえます。
東京周辺に在住している高齢障害者が熊谷さんの講義を何回も聞いている一方で、沖縄の子どもの貧困率は29.9%です。
いま医療費が年1兆円ベースで急増している。とても国民全員に熊谷さんの講義を何度も聞かせられる財政状況ではない。税金で喰っている哲学者と税金で喰っている障害者が学校を開いたら、そりゃあ「学ぶことはすばらしい」という結論になるでしょう。その学費を稼ぎだしているのは誰? 受講生は病人だから知らなくてもいいと思うけど、プロである学者がそんなことさえわからないとしたら、職業としてもう終わりだと思う。一度、マックス・ウェーバーの時代に戻すべきでしょう。
いまの文系の振興策、例えばこんな研究に三年間で一千万ぐらい使われちゃってるんですけど、
https://www.jsps.go.jp/jissyakai/data/saitaku/h25_houkoku/hamauzu.pdf
こういう税金の使い方、本当にいいのかな。
80年代の日本の文化は、70年代の文化と不思議な断絶を示していて、さまざまなものが一気に垢ぬけるというか、アメリカナイズされて、経済的な力を背景とした自信のようなものに満ち溢れて、輝いているような気がします。
もちろん、いまから見るとダサいものもあると思うのですが、さまざまな面で独特の格好良さがあるようにも思います。
80年代に作られたさまざまなものを見て、それをいまの時代に取り入れたらどうだろうかと思っているのですが、いかんせん知識がありません
80年代に青春時代を過ごした人でも、それ以降の世代の人でも、これはよいと思うものがあったら、教えてほしいです
私がこれまでに見つけたものは
などです
https://anond.hatelabo.jp/20170715092225
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170715092225
・男だって急に難病にかかってパフォーマンスが下がるリスクがあるわけで、常に健康体を想定した仕事はよくないと思う。
これそんな話してるんじゃないだろ。
なんでこれで194もスター入ってるんだ。
比較的頭マシな人間が集まってるはずのブクマカたちでもやはり馬鹿が最強というのが救えないな。
反論でも賛同でもどっちサイドの人間(ただし糞バカを除く)にとってノイズしかない、というかノイズそのもの。
No.1良い
・増田の職場は男親は育児一切やってないやつばっかなの?子供と専業主婦を養えるだけの給料が出てるならともかく、零細企業なんでしょ?それとも高齢独身者しかいないの?
零細企業の男が育児参加せずに共働きしないなら独身のままで出生率上がる訳なくて、
増田が独身なら一生結婚できねえなってカウンターにもなってるし、女性の妊娠を認めない=そういう事態になるぞって因果の説明にもなってる。
こういうのは大変いい反論だと思う。
No.1ズレてる
・「俺の仕事場に妊婦いるのやだなあ」と思ってる時点で妊婦に対して中立的な視点を持ってないのは確実では…本当に中立だったら「いてもいいし、いなくてもいい」になるだろう
中立≠無関心 なのに盛大に勘違いしてるおおはずかしコメント。
いてもいいしいなくてもいいっていうのはその対象から影響を受けない者が持てる感想で増田の会社で妊娠されたら思いっきり影響出るから当てはまるわけないだろ。
たびたび中道とか中立とかを誤った解釈する恥ずかしい子ちゃんがどや顔でこういうの書くけどせめて大学2年生までにしとけ。
まだ高校2年生なら使ってもいいぞv
No.1切実
・零細企業で働いているけど、妊娠出産がリスクになるほど長期で働く人材ほしい。
まあ、これが本音だろうな。
増田の書きこみが零細企業ってところがフェイクなところに当事者の切実な思いがぶっささってる。
零細企業で長くいてくれる女性なんてまずおらんわけで、戦力としてそこまで働いてくれるなら万々歳だよな。
増田が零細企業って設定にしたのはそこそこ大きな会社なら派遣とか使って戦力補強しろって突っ込まれて終わるからだろうな。
なので会社を弱者設定する必要があったけど、実際は零細の現場なんて知らないからそもそも妊娠するまでに居てくれないってことを無知だった。
No.1哀れ
・ふはははは。釣り針でかすぎないかい?→「中立的な考えをしているつもりだったんですけど。」
もう反論にもズレた返答にもなってない、これにスター注いでるブクマカの明日は哀れとしか言いようがない。
TOPページに壷がおいてある国内最大級掲示板のノリを死ぬまで引きずる永遠の負けスター。
No.1素直
・なんというか福利厚生とか弱者救済とか…独占・寡占の取り締まりとか、極端な話としては基本的人権は絶対的であることだって、同じように効率の面から見たらどうなります?そういうのが無い社会がいいです?
これは実にアメリカナイズされた自由主義個人主義的な簡単で素直なコメントだと思う。
機械化され効率化されつくした先に個人の自由は保障されるんですかーんーあー?という素朴な問いかけで良いと思う。
結局資本主義経済が個人主義・自由主義を内包したままどこまで幸福度を上げるものに最適化できるかというのが今アメリカが取り組んでる課題。
だが極東のジャップ猿が住まうこの国ではこういう素朴な意見も全体主義や出る杭叩く儒教的な価値観でぶっ潰されるんですよね。
No.1そうだね
・やっぱ「男も産休育休を強制的に取らせる」しかない気がする。そうしないと女を採用するのってリスクしかないじゃん。
そうだよね。
なんで女性だけが育児休暇取れるのかって話で、そのせいで採用や労働諸々に性差が出てきてるんであって。
これを言うと女性の方が子育てできるとか男に面倒見せられないとか主張する馬鹿がいるけど、
そもそも喫茶店って客を落ち着かせるためにあるもんだろうがよ
それがなんだあの格式ばってんのか安っぽいのかどっちつかずな内装は!ショートだトールだラージだなんてこっちはしらねーんだよ
そもそも日本の喫茶店のスタイルがアメリカで成功して逆輸入したんだろあれ、それなのになんでアメリカナイズされてんだよ
あんなとこで落ち着くのは落ち着いてるように見せたいおしゃれ貧乏だけなんだよ。マックブックエアーを開いてるやつらよーーーく観察してみろよ、何もしてねーぞあいつら
喫茶店てのはな、インスタントだか挽いてんだかわからないようなどっちつかずだけど妙に安心するコーヒーに砂糖をてきとうにいれて楽しむもんだろうがよ
なんだキャラメル巻きアートって、そんなものは竹下通りのテナントで見世物としてやれよ
あんなものに1000人も並ぶなんてまじでどうかしてるわ
先日、太平洋戦争の最後の帰還兵の小野田氏が亡くなったそうだ。まっさきに大きく取り上げたマスメディアは、東京新聞とワシントン・ポストだった。
その小野田氏であるが、上官から任を解かれてその「30年戦争」を終えて帰国した時、日本社会はすっかり様変わりしていた。良く言えば復興と経済成長だけれども。悪く言えば、アメリカナイズだ。
小野田氏が若者だった頃の日本は戦前・戦時中だったわけで、当時の日本社会はまた別の意味で異常だった。だがその戦時中の異様な雰囲気とはまた正反対なのが現代日本の姿だろう。「30年戦争」をしていなくたって、戦争経験者の多くが、戦争が終わった途端に価値観がひっくり返ったと述べている。
要は「拝金主義」だ。
以前に堀江貴文氏が「拝金主義者だ」と非難されていたことがあったが、非難する側の人間もやはり拝金主義者だ。つまりは、自分が拝金主義者であるという自覚がないか、もしくは、薄々勘づいてはいるが、その気に食わなさを他人にぶつけているわけだろう。つまりは、自分の汚点を他人に投影しているのだ。
まったく、「バカって言う奴がバカだ」っていうガキの喧嘩みたいな話だが、まったくもってそのとおりで、目くそ鼻くそ、五十歩百歩なのだろう。
正直に言って、人間はみんなバカだ。もちろん私もバカだ。ただ、バカの自覚がある奴とそうでない奴がいる。バカの自覚がない奴は救いようがない。
この資本主義・市場経済・貨幣経済社会のなかでは、ほとんどのものごとがカネの理屈で動いている。だから、カネに対して一切関わらずに清廉潔白でいる人はほとんどいないだろう。だが、批判的に自己洞察をして己をただすように努めなければ、救いようのない拝金主義者になってしまう。現に、いまの日本社会は、なにが大切なのかもわかっていない、カネのほうが偉い社会になっているように、私にはみえる。
例えば、原発だとか、オリンピックだとか、「おもてなし」だとか、AKB48とかいうのも、やっぱり、拝金主義じゃないのか? そう言われると嫌悪感をもつひともいるだろうけれども正直に言って、拝金主義なんだと私は思う。私には、例えば、「おもてなし」だとか強調しているのをキモいと感じるし(電通などと、マスメディアと、自民党や省庁が、絶妙に癒着しているわけです、拝金主義のもとに)。
アメリカナイズされて帰国するドアホウが心底嫌いな俺だが、1つだけとアメリカに学ぶべきことがあるとすれば、それはクレイジーさだと常々おもっているんだ。
どういうことかというと、日本はなんでも規範的に考えすぎるんだな。その規範にしたがって「一貫性」ある行動がもとめられる。
だからさ、日本人は「違反」とか「矛盾」が大嫌いなわけ。世界各国からルールを守る美しい国と評される日本だが、評価の高さ自体はそれはそれで良いとしても、
やっぱりこれって日本にとってプラスばかりじゃなくてマイナスもデカいんじゃないの、どうなのそこんとこーとツッコミたくもなるわさ。
我々はてな市民の多くは科学者や科学的に啓蒙された人間であるからして、懐疑主義者なのだよね。だから日本の常識にも遠慮なくメスを入れていく、それがはてなスタイル。
横着さって大事じゃない?分かる?でも日本人は「クレイジー」の思想がないから厳密さと横着さが相容れないとおもってる。そこに現代日本教育が社会にもたらした大きなひずみ
が見て取れるのだよね。以前整体師が不妊治療と称して性欲の出るつぼを押した猥褻珍事件があったが、アメリカは民族のるつぼなんだよな。他民族国家。
だからいろんな価値観が同じ壺にぎょうさんひしめていると考えたらよろしい。そんな中にいる人間が全員日本人だったらどうなる?たちまち大げんかになりますわ。
東京もあちこちの地方の人がひしめいてる点では類似するがいうて彼らほぼ同じ価値観だから。一色なの。
政治でも共産党が確かな野党を自称してるが、勢力としてはちと弱い。日本じゃ政治も何もかも全てが大多数VS諸少数派という構図になっちゃうわけよ。そこが気まずい。
右へならえ式の同調志向は確かに日本が誇る美徳ではあるがちと国際競争に太刀打ちしようとなると柔軟性がなさ過ぎるのではないだろか?どうだろか?
そこでまずセックスよりも何よりも優先すべきはこれ、横着さ、これ。ノリと理屈は何にでもくっつくって言葉は、理屈こねたら何でも言えてしまうことを言ってるんだが、
理屈でもくっつかないものがあるのはご存じか?それは異なる価値観だよ。異なる価値観をくっつけようとすると理屈じゃない。論理に凝り固まったら夫婦げんかになるぞ、気をつけろよって
野矢刺激の「論理トレーニング」にも書いてあったろ?彼は論理をかたくなに信奉する石頭なんかではなく哲学者だから。論理に固まってちゃ結婚生活ばかりか哲学すらできない。
お前は結婚も哲学もできない人生を選ぶのか、それって意味あんのか?ということだ。つまり、横着さというノリが必要なんだよ、セックスで性器をくっつけても駄目。無駄なの。
そんなスケベなノリで人生うまくいくほど甘くはないってこと。
TPPはそもそも取り扱われる領域が広すぎて、ネトウヨもはてサも肯定否定ごちゃ混ぜになってる印象が。
たとえば中野剛志が国家主義者だ、だからこいつの言う意見には耳を貸すべきではないという人も、そうでない人も、
池田信夫は糞だがこればかりは正しいという人も、そうでない人も、ごちゃ混ぜ。
僕自身としては知財関連がアメリカナイズすると困るのでTPPは反対で、他の主張を見るかぎりでは反対側の方に寄っている。
でも池田信夫の言ってることも今回はそこまで狂ってはなさそうだし、経済学的原則に従うならば参加したほうがいいのかもしれない。
仮にそうだとすれば、僕は非生産的な人間、生産する立場(といっても二次創作だし、加工業者みたいなものだが)においては消費者の敵ということになるのだろうが、まあいいや。