はてなキーワード: 30年戦争とは
あれ全国規模でキャンペーンやって田舎の店舗に女の子が立ってたし、たぶんそんな事はそれ以前にセブンはやらなかっただろうし、コーヒーでわざわざそんな事するコンビニはないと思う。
あと、ウチの家族はあの機械が入る前からコンビニコーヒーはセブン派なんだが、セブンは扱う商品が大体クォリティが違う。
そのクォリティ感の見せ方というか、中身の表現として、結果としてのデザインじゃないのかな?
出来上がったガワの見かけだけ評価して、考えた気になっちゃうんだろうが、そもそものコンセプトが問題であって本質だと思うよ。
あの機械になる前は、店舗には導入の自由があったけど、全店一斉導入になってるよ。全国どこででもセブンのコーヒーを浸透させるっていうコンセプトがある。
あとは機能としてはバッサリ切り捨てるデザインってか、以前のセブンコーヒーではラテなんかができたのが廃止。
セブンカフェ成功の裏にあった「30年戦争」 | コーヒーで読み解くビジネス戦略 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 ←ここでラテが浸透しなかったとか書いてるのが孫引きされてるけど、サービスの単一化の効果が大きいんじゃないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20161221223403
ウェストファリア条約前のヨーロッパは、事実としてプロテスタント国と、カトリック国に分裂していたが、その状態を理念としてあるべき姿であると捉えている訳ではなかった。皇帝あるいは教皇のような、国家を超えた存在がヨーロッパを統一している状態こそが理想であり、そのために邪魔なプロテスタントの存在を認めることなどできず、さまざまな手段でプロテスタントを否定していった。その最たるものが30年戦争であったが、その戦禍はあまりにも大きく、単一の権威によるヨーロッパの統一という理念は諦め、諸国家が互いに干渉せず、国家よりも上位の権威を認めない、現在の国際関係の基礎がここに出来上がったのである。
現代の朝鮮半島の状態もこれに似ているのではないだろうか。現在の朝鮮半島は、事実として北朝鮮と韓国に分裂しているが、決してその状態をよしとしているわけではなく、統一された朝鮮半島を理想としている。朝鮮半島の統一のためには戦争というオプションでさえ放棄していない、非常に不安定な状態である。統一を諦めるという選択肢もあるのではないか?と思うが、朝鮮半島がそれを受け入れるには、また30年戦争のような戦禍が必要になるだろうか。できれば、そのような戦禍なしに平和と安定が実現できればいいのに。
この条約の成立によって、教皇・皇帝といった普遍的、超国家的な権力がヨーロッパを単一のものとして統べる試みは事実上断念された。これ以降、対等な主権を有する諸国家が、外国の存在を前提として勢力均衡の中で国益をめぐり合従連衡を繰り返す国際秩序が形成された。この条約によって規定された国際秩序はヴェストファーレン体制とも称される。
ヨーロッパ統一の動きが、ウェストファリア条約によって潰えたという解釈は、国際関係論系の教科書では割と一般的な記述であると思います。事実として分裂していても、理念としては統一なのですよ。あと、ひとつの物事にはさまざまな側面があって、単に世俗の領土獲得が目的、ヨーロッパの覇権の獲得が目的と見えても、別の側面からは違って見えるということはよくある。
例えば、4℃のアクセサリーを妻にプレゼントするという事象も、法的に解釈すると動産の譲渡であり、経済学的に解釈すると消費であり、文化人類学的に解釈するとまた別の何かなのである。どうも、自分は歴史に詳しいという自負が垣間見られる方がいるが、それは歴史の一側面でしかなく、別の解釈を否定するものではないですよ。
先日、太平洋戦争の最後の帰還兵の小野田氏が亡くなったそうだ。まっさきに大きく取り上げたマスメディアは、東京新聞とワシントン・ポストだった。
その小野田氏であるが、上官から任を解かれてその「30年戦争」を終えて帰国した時、日本社会はすっかり様変わりしていた。良く言えば復興と経済成長だけれども。悪く言えば、アメリカナイズだ。
小野田氏が若者だった頃の日本は戦前・戦時中だったわけで、当時の日本社会はまた別の意味で異常だった。だがその戦時中の異様な雰囲気とはまた正反対なのが現代日本の姿だろう。「30年戦争」をしていなくたって、戦争経験者の多くが、戦争が終わった途端に価値観がひっくり返ったと述べている。
要は「拝金主義」だ。
以前に堀江貴文氏が「拝金主義者だ」と非難されていたことがあったが、非難する側の人間もやはり拝金主義者だ。つまりは、自分が拝金主義者であるという自覚がないか、もしくは、薄々勘づいてはいるが、その気に食わなさを他人にぶつけているわけだろう。つまりは、自分の汚点を他人に投影しているのだ。
まったく、「バカって言う奴がバカだ」っていうガキの喧嘩みたいな話だが、まったくもってそのとおりで、目くそ鼻くそ、五十歩百歩なのだろう。
正直に言って、人間はみんなバカだ。もちろん私もバカだ。ただ、バカの自覚がある奴とそうでない奴がいる。バカの自覚がない奴は救いようがない。
この資本主義・市場経済・貨幣経済社会のなかでは、ほとんどのものごとがカネの理屈で動いている。だから、カネに対して一切関わらずに清廉潔白でいる人はほとんどいないだろう。だが、批判的に自己洞察をして己をただすように努めなければ、救いようのない拝金主義者になってしまう。現に、いまの日本社会は、なにが大切なのかもわかっていない、カネのほうが偉い社会になっているように、私にはみえる。
例えば、原発だとか、オリンピックだとか、「おもてなし」だとか、AKB48とかいうのも、やっぱり、拝金主義じゃないのか? そう言われると嫌悪感をもつひともいるだろうけれども正直に言って、拝金主義なんだと私は思う。私には、例えば、「おもてなし」だとか強調しているのをキモいと感じるし(電通などと、マスメディアと、自民党や省庁が、絶妙に癒着しているわけです、拝金主義のもとに)。