アメリカナイズされて帰国するドアホウが心底嫌いな俺だが、1つだけとアメリカに学ぶべきことがあるとすれば、それはクレイジーさだと常々おもっているんだ。
どういうことかというと、日本はなんでも規範的に考えすぎるんだな。その規範にしたがって「一貫性」ある行動がもとめられる。
だからさ、日本人は「違反」とか「矛盾」が大嫌いなわけ。世界各国からルールを守る美しい国と評される日本だが、評価の高さ自体はそれはそれで良いとしても、
やっぱりこれって日本にとってプラスばかりじゃなくてマイナスもデカいんじゃないの、どうなのそこんとこーとツッコミたくもなるわさ。
我々はてな市民の多くは科学者や科学的に啓蒙された人間であるからして、懐疑主義者なのだよね。だから日本の常識にも遠慮なくメスを入れていく、それがはてなスタイル。
横着さって大事じゃない?分かる?でも日本人は「クレイジー」の思想がないから厳密さと横着さが相容れないとおもってる。そこに現代日本教育が社会にもたらした大きなひずみ
が見て取れるのだよね。以前整体師が不妊治療と称して性欲の出るつぼを押した猥褻珍事件があったが、アメリカは民族のるつぼなんだよな。他民族国家。
だからいろんな価値観が同じ壺にぎょうさんひしめていると考えたらよろしい。そんな中にいる人間が全員日本人だったらどうなる?たちまち大げんかになりますわ。
東京もあちこちの地方の人がひしめいてる点では類似するがいうて彼らほぼ同じ価値観だから。一色なの。
政治でも共産党が確かな野党を自称してるが、勢力としてはちと弱い。日本じゃ政治も何もかも全てが大多数VS諸少数派という構図になっちゃうわけよ。そこが気まずい。
右へならえ式の同調志向は確かに日本が誇る美徳ではあるがちと国際競争に太刀打ちしようとなると柔軟性がなさ過ぎるのではないだろか?どうだろか?
そこでまずセックスよりも何よりも優先すべきはこれ、横着さ、これ。ノリと理屈は何にでもくっつくって言葉は、理屈こねたら何でも言えてしまうことを言ってるんだが、
理屈でもくっつかないものがあるのはご存じか?それは異なる価値観だよ。異なる価値観をくっつけようとすると理屈じゃない。論理に凝り固まったら夫婦げんかになるぞ、気をつけろよって
野矢刺激の「論理トレーニング」にも書いてあったろ?彼は論理をかたくなに信奉する石頭なんかではなく哲学者だから。論理に固まってちゃ結婚生活ばかりか哲学すらできない。
お前は結婚も哲学もできない人生を選ぶのか、それって意味あんのか?ということだ。つまり、横着さというノリが必要なんだよ、セックスで性器をくっつけても駄目。無駄なの。
そんなスケベなノリで人生うまくいくほど甘くはないってこと。
そのクレイジーさが、アメリカでは恒例行事になっている銃乱射事件やスクールシューティングに繋がってるような気がするので、到底そのクレイジーさを見習う気にはなれないかなー...