はてなキーワード: 考察とは
神たちは人生で色々な苦労してきたから感受性が育って、より深い考察ができるようになってるんじゃない?
もしくは、昔から創作物を山ほど見て感想を言うクセがついてるかのどちらか
当たり前だが無から有は生まれないし考察も無から生まれない。ぶっちゃけ考察なんて慣れの問題で誰にでもできる。
ある作品に対して、
お前が思う「すごい」はどれだ。そしてどの能力を伸ばしたい。
1に必要な能力は物語論であって、キャンベルでもシド・フィールドでも石川千秋でもいいからその手の本をいくつか読んでみろ。たとえば貴種流離譚という概念を知っているだけでスター・ウォーズやバーフバリとかの作品の捉え方が変わる。
2に必要な能力はキャラクター論で、大塚英志『キャラクター小説の作り方』や新城カズマ『物語工学論』あたりでも読んでみろ。キャラクター類型という概念を前提に作品に触れてみろ。
3に必要なのは作品読解というよりその作品にあてはめうる「テーマ」について持っている自分自身の引き出しの問題だ。ラブストーリーひとつとっても、恋人未満の二人が恋人になる話、共依存関係が破綻するまでの話、三角関係の話、NTRもの、泥沼群像劇等々色々あるだろう。たとえば、コーマック・マッカーシー『ロード』は火を運ぶというメタファーから「受け継いでいく話」というテーマが読み込める筈で、そこからあの世界観において「受け継ぐ」が「世代交代」に繋がるというのは一つ言える。無数に存在する「テーマ」の類型の引き出しを作れ。
4はとにかく数をこなすことだ。小説なら作者の過去作品・インタビューを全部調べて読み込め。映像作品なら監督・脚本・演出その他諸々(全部とは行かないだろうから最低前述の3つ)の過去作品を調べてみろ。できればインタビューも読め。そして過去作品のなかのどの部分がその作品に共通しているのかを読みこめ。
5はこれまでの全部に共通する「演繹力」を磨け。「この設定であれば、この要素が欠けているのはおかしい」という想像を働かせつづけろ。「このキャラクターがこのような性格をしているのには理由があるはずだから、きっと過去にこういうことがあったのかもしれない」「この作品はこの作品のオマージュなので、きっとこういう展開になる」等々、上記で必要な引き出し全部を使っていけ。
二次創作もそれと同じだ。パターンだ。パターンを考えろ。AがBに対して愛情表現をするとする。どういうアプローチが考えられるか。気持ちを言葉にするかしないか、身体的スキンシップを含むか含まないか、そのときに照れるのか照れないのか、笑顔を浮かべるか浮かべないか、言葉にできないならどう表すか、ものを渡すのか、第三者にのろけるのか、色々パターンはあるだろう。考えて考えて考えろ。そのためには読んで読んで読みまくれ。自分のなかに引き出しを作れ。質は量で担保される。
「考察」や「考察の書き方」は 人によってそれぞれだと思います。
が、着眼や着想で勝負できるぐらいになりたい、と思われるのであれば、作者の世界の中(すなわち出力結果)で論じるだけでなく「作者の視点」で作者の肩越しに作品世界を見ることも大切だと思います。
たとえば、作者のこのシーンの描き方は、自分なら違った描き方になるかもしれない。なのになぜ作者はそう描かなかったのか。
そこに「考察」が生まれる余地があるのではないか?ということです。
考察とは、自分の描写シミュレーションと、作者の実際の描写との「差分」。
一人のキャラがどういう行動原理でどういう価値観でどういう発言をしてどういう行動をしたか、そのキャラの全てを一つの理屈で説明できるまで、納得できるまで何度でも読む
ってのが一つのコツだと思う
・学校の国語の授業でやったこと、どのようにしてノートを取ったかを思い出せばいい。点数も正解もない。
・考察の土台として自分の関心が役に立つ。社会学や心理学がよく用いられる。
・あと伏線の回収というのがよく言われるけれど、どんな場面でも、これは何かの伏線か?と思えばそれだけで考察ができる。
ただ、本筋の理解をそっちのけて、細部にこだわるとわりとなんでもいえちゃうというのがあって、その良い例がジブリ作品やエヴァンゲリオン。すべてのものが伏線として回収されるとは限らないし、回収されなきゃいけないわけでもない。が、伏線を重視するような評価の傾向は今もあると思う。
・さいごに、作品はエンターテインメントが基本だと見なせば「おもしろかったー」も立派な、正当な評価だと思う。そこで、最高におもしろい作品ってどんな要素をもつ作品だろうか、と考えてみて、自分の評価軸をもつといいかも。
そこは全体主義じゃないと思うよ。
ここで言う進化ってのは(進化ってのは適当な語句ではなくリベラルの傲慢だというのとは別にして)「十分な周辺知識の学習と適切な分析考察をもとにして議論に参加するようになること」であって、別段そこで表明する意見については注文つけてないのね。「XXXという結論に同意せよ」ではないから、全体主義ってのとは違う。いわゆる「キミの意見はボクのそれとは異なるが、キミがその意見を表明する自由のためにぼくは戦おう」ってやつだね。
最も最近では「ちゃんと理性的に考えれば結論はA以外にないだろ!?お前ら本当に馬鹿だな!!」的なのがリベラルを自称しちゃってるんで、「俺に従え」「結論はA以外ないだろ!」的なその態度が全体主義に見えてしまう、ってのは、同意する。
読みかけはするけど一度もちゃんと読み終わったことない火の鳥しりーずをちゃんと読んでみようと思って読みはじめた
変態だなあと改めて思った
あと有名な「シーン」も2回でてきた
ラスト、子供が穴を登って「世界だ!」って言うの見て、グレンラガンの1話思い出した
火の鳥ってずっと人間嘲笑って一度も捕まらんと思ってたけど1巻の黎明編で捕まって殺されたりしてるのね
虫とかはもっと命短いのに人間長いんだから幸せ探す時間たくさんあるのになんでもっと生きたいと思うのみたいなセリフあった
下手に知恵が回るぶんってのと欲にはキリがないからだろうなー
妄想力の違い
考察には2種類あって
・入試などで求められる書いてある事のみから確実に推測できることを考えること
がある
「白痴」のメインテーマとしては、「もし当時(19世紀後半)のロシア社会に、誰からも好かれる善人で、白痴である公爵(主人公)が現れたらどのような波乱を起こすか」という筋がある
その関係で公爵が女性関係の波乱に巻き込まれて行くのだが、それとは関係のない話がとても多い
ガーニャが主役になれない(?)みたいな節は未だに正しいのか判断がつかない
また、イポリートやレーベジェフなど、非常に魅力的なキャラが揃っている
イポリートは前半やや厨二病掛かっていたが、2人ともこういう引っ掻き回すキャラは結構好きだと思った
ただ、最後の最後でアグラーヤとナスターシャフィリポヴナの互いに向けた感情がただの嫉妬に終着したのは納得がいかなかった
散々引っ張っておいてただの昼ドラやんこれ
面白いけど長い
https://togetter.com/li/1290154
公式発表の怪文書(誤用)と漫画に書かれていることを、反論がないものはどちらも概ね正しいと仮定、意見の食い違いがあるものは一旦判断保留として時系列順に整理してみる。
○5月
A子=ピパ美が某社のVtuverの中身に内定。月一面談が始まる。この際提示された条件は、本契約することになったら他の仕事は辞めてもらうことになるというもので、他の仕事を強制的にすぐにやめろと言ったわけではないとのこと
※漫画の初回打ち合わせでも、軌道に乗ったら事務所は辞めてくれ、と書かれているのでこれ自体はほぼ事実と思われる
B子=ぽぺ子がA子に一緒にVtuberやらないかと勧誘される
○7月初旬
B子某社と初の顔合わせ。A子は3回目。デビューは夏休みごろにしようと言われる。後々事務所は辞めてもらうことになるという説明があったのは間違いなさそう
○8月
B子2回目、A子4回目の打ち合わせ。個別に面談。どのようなキャラかも提示あり。しかし契約書は準備なし。ギャラについての話があり、各希望額の提示。この打ち合わせの間までにA子はリーディングイベントをキャンセルすることになった
※9月にデビューと言われたことについては、某社は最初の時点でデビューが未定と言ったとあるが、途中で一度日程が決まりかけたが白紙になったとも逆にその後一度も具体的な日程が上がったことがないとも言っていないのでよく分からない
~この間進捗について問い合わせするが返答なし(9月デビュー予定と聞いたのに連絡がなければ進捗を確認するのも当然と思われる)~
○9月末
A子視点5回目の打ち合わせ。デビュー予定がずれたことに関して明確な説明があったのかが不明。ギャラの関係で副業についての話があり、実際に企画したものを提出している
○10月末
A子視点6回目。前回の打ち合わせの副業(企画)の件は最終的には社員が仕上げ、今後の継続はなし。ギャラ含め仕事内容について再度相談するが具体的には決まらず
○11月10日
某社、Vtuberオーディション発表。この時点で今後の意向についての返答なし
○11月13~14日
某社からA子に今後の意向についての返答が届く。B子には連絡なし。A子は一旦了解の旨を返答
○11月19日
疑問点1:漫画を描いたのは誰か?
漫画そのものはB子の視点で進んでいるが、問題点のひとつ「リーディングイベントを辞めるよう言われた(スクショあり)」のは某社曰くA子の話であるとのこと。
B子視点で話が進むので、素直に読めばメールを送ったのはB子なのだが、リーディングイベントを辞めるように言われた人がその後も何度か問い合わせをしていたのであれば、実はメールを送ったのはA子ということになる。
そのため可能性としては
1:A子とB子の話が混ざった漫画になっている。どちらが描いたのか、あるいは第三者が描いたのかは不明。二人が合意で描いている可能性もあり
2:A子が自身の体験を元に描いたが、それを隠すためにB子視点の話になっている
3:B子が自身の体験を元に描いた。リーディングイベントはA子もB子もそれぞれ別に予定があったか、某社が記憶違いでA子の話と書いたか嘘をついた(ただしわざわざあんな怪文書を出しておきながらそんなところで何の保身にもつながらない嘘をつく必要がない)
個人的には1か2だと思っている。少なくとも、A子があの漫画に全く無関係ということはないように思う。なぜなら某社の釈明が正しいなら、状況的に実際にリーディングイベントをキャンセルさせられて、現在の仕事も近々退職予定であるA子の方が実際にはまだ仕事を続けているというB子よりもダメージが大きいからだ。
また、例のスクショが本物であるならば、あの漫画にA子が関わっているということは某社からしたらほぼ確定するわけで、B子視点で連絡がないと言っているが例のスクショを漫画に乗せるくらいなんだから情報共有してるだろ、A子には連絡しているじゃないか、となるのは一億歩譲って確かに共有はしてると判断するのは分からなくもない(だからと言ってB子に連絡しない理由にはならない)
あるいは、問い合わせメールを送っていた主体がA子であるなら、A子から来た問い合わせなのだからA子に返事をしたのであって、B子にまで返事をする必要はないのではないか、というのは理解できる(ただし、A子から問い合わせメールが来ていたというのであれば、質問したのはA子だったのでA子にだけ返しただけでB子からは直接問い合わせされていない、ということをそのまま言えば済む話でもある。なのでA子が窓口だから~、と言い訳する必要がない。そのまま言えば自分側が有利になることをあえて言わない理由が思い当たらないので確認メールの主体はB子の可能性の方が高いとは思う)
A子が仕事を辞めさせられたのに話が進まないことに怒り、そこにB子の何度連絡してもまともに返事がない怒りが加わって、二人で組んで漫画を作成した、というのが個人的には一番ありそうな線だと思っている(あくまでゲスパーである)
つまり
A子「いつになったらデビューできるんだろ……リーディングイベントもキャンセルしたし、もうすぐ今の仕事もやめるのに……」
B子「何度問い合わせメール送っても返事はこないしなんかオーディションやってるし、キャラどうなってるか聞いても返事こないんですけど」
A子「あ、某社から連絡が来た。まあ不満はあるけど話し合いの意思はあるみたいだしもうちょっと交渉してみよう」
B子「ちょっとA子、某社から何か話来てない?今までに何度かメールも出してるのに返事が全然なくて」
A子「え、なにそれ?こないだ連絡来たよ?」
B子「えっ」
A子「えっ」
A子「B子のところに連絡がちゃんと行ってなかったなんて……」
みたいな展開だったらそれなりに話が通じるな、という。※ゲスパーです
疑問点2:A子が窓口だったという話について
某社の公式発表ではA子とB子で個別に面談をしたと書いており、希望条件がA子とB子で違っているということで、ギャラについても漫画を見る限りだと、A子が金額を提示したところ何度も本心じゃないでしょ?と聞かれた「らしい」としているので個別に話をしていたことは確かだと思われる。
が、逆にそうなるとなぜA子とB子で個別に話をしているのにA子を窓口にしているのか全く意味がわからない。A子はB子のマネージャーか何かなのか。違うだろう。そんな重要な契約についての話をいくらコンビを組む予定だとは言え片方にしか言わないことなんてありえるのか。
某社はチャット(恐らく漫画ではメールと言われているものと同じ)は基本日程調整などに使うと話した、と言っており、某社の言う「窓口はA子」とは「チャットで主に日程調整していたのはA子」くらいの意味合いしかなかったのではないかという気がする。
今のところ思いついたのはこのへん。また何か情報が出たら続きするかも。
考察は非常に面白いけどでもたぶん違う、なぜ違うと思うのかを書く。
まず彼はトップレベルの合理主義者だ、カットマンで知られてるし3重国籍だし結婚生活も長続きしない。愛が理解できない人にしか持ちえない能力をいかんなく発揮して人生を謳歌してる。元増田の考察の原点は愛だ、それはただ元増田がゴーンを愛してるからであり愛を理解してる点で合理主義者を理解出来ないだろう。彼はフランスも日本も愛してない、愛を持ってないからだ。ただただ合理的に世の中を動かすことに情熱を持って生きてる人だ。そう、最後の結論では元増田の考察と一致する可能性がある、だから面白いけどたぶん違うと思った。日産が日本企業として生きるべきかフランス傘下として生きるべきかなんてのは経営首脳陣にしかわからない、ゴーンはどう判断してどう行動したんだろうね。
結論から言うと「政治に関わると問題を起こすような人間になる(と世間一般が思っている)から」じゃないかと思う。
桂秀光とかいうアホの選挙カー騒動で政治家のキチガイさの欠片が露出したが
そいつが暴れる前から政治に関わる人間のキチガイさはもういろんな騒動、スキャンダルでわかりきっている。
ていうか問題を起こす前に露骨にキチガイなのがいたりする。死体蹴りするわけではないが、又吉イエスとか。
そもそも人類の歴史で政治に関係してきた人には人間社会を前進させた者もいるが、とんでもない黒歴史を作り上げた人間もいる。
北朝鮮の金一族も該当する。現在進行形でヤバイことしかしてない。あとトランプもまあ似たようなものか?
何らかの思想に染まっている人間同士がひたすらネットでもリアルでもぶつかり合っている。
ぶつかり合いで言うなら国会なんてヤジが止まらない、ディベート的なまともな討論になってすらいない「戦場」だ。
そんなのはたから見てたら「うわ…」と引くしかあるまいて。争いは第三者から見たときが一番醜い。
日本じゃそもそも政治に関係する話をすること自体タブーの一種だから余計政治に関係する人はイロモノに見えてくる。
ていうか政治の話がタブーな時点で日本は政治に関係するヤツはキチガイっていう持論がいつからか出来てきたように思えてきた。
政治経済くらいは結構ニュースを見るのにタメになる情報が多いし学習しておいて損はないとは思うが、ここまで政治関係にキチガイが多いと
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90_(%E6%AD%A9%E8%A1%8C%E6%B3%95)
まあ、ぶっちゃけこれだけ読めばいいんだが。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/japanbujut.exblog.jp/21221813/
ナンバの厄介なところはそもそもナンバの定義がされていないことだ。
「いやナンバは手を振らない歩き方で…」
「重心の移動が…」
「地面を蹴らない歩き方だ…」
「いや真の○○はそういうものではなくて…」とヌルヌルと形を変えて逃げてしまう。
ここではこの論文を参考にしよう。
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181119154744.pdf?id=ART0009639792
武智とは演劇評論家の武智鉄二のことで、「ナンバ論」の元祖のような位置づけであることが分かる。
この時点で「歴史学とか民俗学とかの研究者ですらねえの?」って感じだけど。
ナンバというのは、農耕生産のための全身労働においてとられる姿勢で、右手が前に出るときは右足が前に、左手が前に出るときは左足が前にという形になる。
ナンバとは右足と右腕をそろえて前に出したいわゆる半身の構えのことで、簡単に言えば、農夫が鍬を手にして畑を耕す姿勢である。
これって「踏ん張りの効く姿勢を取るときは利き足を前に出す」ってだけの話じゃん?
西洋人だって鍬を振ったり剣で斬ったりするときは「半身の構え」だよ。
ナンバの姿勢を説明するときに、よく、右足が出るとき右手も前にだす、というように説明される。しかし、これは正確ではない。
日本民族のような農耕民族(牧畜を兼ねていない)の労働は、つねに単え身でなされるから、したがって歩行の時にもその基本姿勢(生産の身ぶり)を崩さず、右足が前へ出るときは、右肩が前へ出、極端に言えば右半身全部が前へ出るのである。
しかし、このような歩行は、全身が左右交互にむだにゆれて、むだなエネルギーを浪費することになるので、生産労働の建て前上好ましくない。
そこで腰を入れて、腰から下だけが前進するようにし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬されるような形になる。
(中略)
まあ「江戸時代は草鞋や下駄だからそれに合わせた歩き方だった」というなら分かるけど、
「ナンバは疲れない、現代人の歩き方はダメ」みたいな話にはならないよね。
飛脚って利き手で荷物を持ってるから、常にそちらの手を前に出す形になっているわけで、
反韓国の心を持ちながら、全く関係ないここでその思いを披露して一切具体的な行動をせず、主張のおかしい所に対しての指摘を何ら改めようともせず、良化したというデータを無効扱いし、自分自身の考察や検証もないままネトウヨコピペの受け売りの内容を繰り返すだけの低能はウザいと既にお伝えしました
祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。そして、原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。
すなわち、豊穣への感謝・祈りであり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』では、生命の死・再生を通して考察された。
そうした祭りの起源から、その地の歴史・文化を紐解くことが、文化人類学者としての私の仕事の一つだ。
世界中の祭りは樹形図のようにつながり、あるところで結びつき、あるところで消えたりする。
しかしながら、そうした系譜に属さず、あたかも以前からそこに存在していたかのように突如として実存する、そのような祭りが存在していたとしたら。
しかもそれが、長い歴史で見ればコンマ1秒にも満たない期間に、世界中で同時多発的に出現していたとしたら。
そのような悪夢とも天命とも思われる事態に、私は今直面している。
初開催は今から200年前の西暦2018年頃。内容は泥水の上にかけられた細い橋の上を自転車で渡るという、娯楽要素の強いものだ。
そのあたりの時期の情勢と照らし合わせて、少し違和感を覚えたが、まあ分からなくはない。
私はそれを持ち帰って、研究材料にしようと考えたのだが、どのような歴史書を辿ってもその祭りの起源が見当たらない。
まあ、起源不明の祭りに今まで出会わなかった訳でもない。この祭りもそれらの一例に過ぎない、とその時は考えていた。
これも良い機会か。と、私は今まで起源がわからず調査中であった祭り、それから歴史書などには載っていないが現地に行って新たに発見した祭り、などを改めてまとめていった。
一つ目はそれらの祭りがどれも2000年代の数年の間に発祥であること。
それからもう一つ。
どの祭りにも第1回大会にはダイスケミヤガワの記録があること。
これらの事実が想起させる、ある種馬鹿げた仮説はただひとつ。ダイスケミヤガワ、あるいは彼の属する組織がこれらの祭りを造ったのだ。
世界中の村々で。
突然に。
何のためにー。
ハロウィンは昔から日本の一大イベントだ。そこで生まれる経済効果はこの国だけでも数兆円と言われている。
ダイスケミヤガワも、そのような経済効果を目的として祭りを作った可能性を考えてみた。しかしながら、祭りの内容を鑑みるに、その可能性はほぼ無いに等しかった。
事実それらの祭りが何らかの経済効果を生んだという記録はない。
私は視点を変えて、ダイスケミヤガワの人物像を調査することにした。
これだけの短期間に、これだけ多くの祭りに参加しているとなれば、恐らく彼は祭りの賞金で生計を立てていたと考えるのが普通であろう。
もしくはー。
祭りを造り、それに参加することが彼の仕事であった、とでもいうのだろうか。
わたしにはダイスケミヤガワが全くの同一人物を指しているかどうか、確かめる術は残されていない。
そのため、以下ダイスケミヤガワとは、ある特定の人物もしくは組織の総称とする。
冒頭でも述べたように、祭りは、元を辿ると神々への信仰を目的としていることがほとんどである。ダイスケミヤガワは、これらの祭りに信仰の意味を込め、布教していた宣教師(達)だったのではないか。
つまるところ、ダイスケミヤガワの行くところに祭りができ、祭りのあるところに、ダイスケミヤガワがいたのだ。そうとしか説明仕様のない史実が、私の前に広がっている。
しかしともすると。
はじめに
ここでの男性向けジャンルは百合、女性向けジャンルはBLとして考えています。
ある女性向けジャンル界隈のフォロワーさんからこんなことを言われたことがある。
言われてみれば、確かにCPの呼称や表記で前後を意識したことは無い。
例としてアイドルマスターで考える。
天海春香と如月千早のカップリングは一般的に「はるちは」と表記される。
何故千早→春香を「ちははる」表記しないのかというと、単純に「は」が2連続して言いにくいからだろう。
その為、受け攻めが前後しても「はるちは」表記が殆どで、別段ちははるじゃねえか!との抗議の声も滅多に聴かない。
どうしても、絶対に、千早→春香であると表記したい人がするくらいだ。
例としてアイドルマスターsideMにおけるBL、天ケ瀬冬馬と伊集院北斗のカップリングを挙げる。
私はBLについての知識が浅いので、間違いがあれば指摘をして欲しい。
当然冬馬攻めの北斗受けであれば冬北、逆になれば北冬になる。
勿論シチュエーション違いによって微妙に異なる場合もあるだろうが、基本はこのはずだ。
また、地雷という概念が存在し、冬北しか認めない、私は北冬が受け入れられないという人もいる。
そのため、BLにおける表記は創作を作る人にも見る人にも重要だと言えるだろう。
pixiv大百科でアイドルマスターにおけるカップリング一覧を見てみる。
言い方は悪いが絶対数の少ないなカップリングであれば、二種類のパターンがあるが、それでもどちらかに偏っていることが多い。
反対にsideMにおけるカップリング一覧は基本的に二種類用意されている。
記事の有無に関わらず表記が存在し、そこにメジャーマイナーの概念は無い。
では何故BLでは表記にて受け攻めを表記しなければならず、百合では特別意識しなくてもいいのだろうか。
答えは単純で、「ペニス」の有無だろう。
「ペニス」は棒であり、「穴に入れるモノ」だ。
以前BLカプ論争で、ペニスを入れるほうが攻めで入れられるほうが受けだろうと熱弁されたことがある。
入れる側を受け表記にしてんじゃねえ紛らわしいんだよ、と。
これに関しては賛否あるのかもしれないが、自分はそういう解釈でいる。
これを男女で置き換えてみるとどうだろうか。
男が女にち●こを入れる。
ピューリッツアー賞で発見されたある生物を除けばあらゆる生物に該当する。
ではこれが逆になるとどうだろうか。
男が女に入れられる、ペニスバンドを使用したシチュエーションである。
これは特殊性癖、アブノーマルに分類され、必ず表記されている。
受け入れられない人からはグロ呼ばわりされる可能性もあるため、AVでもジャンル分けされている。
要するに入れる側と受け入れる側が同じ人でも、立場が入れ替わると別物になるのだ。
対して男性向けジャンル、女×女のカップリングではペニスが存在しない。
一応精神的に優位に立っている、もしくは積極的な立場を指して攻めと表現することもあるが、それも個々人の解釈に委ねられてしまう。
女×女でも入れるほうが存在する「ふたなり」というジャンルもあるが、そちらも前述のように特殊なジャンルに分類されるため、ここでは当てはまらないだろう。
以上が私の考察になる。
どの界隈にも様々な人がおり、私は違う考えだという人もいるだろうが、あくまで一つの考え方として見て貰えれば幸いだ。
男性向けジャンル、百合カプの表記はひらがなやカタカナが多い印象がある。
対して女性向けジャンル、BLカプの表記は漢字や検索避けの為の代替字、場合によっては絵文字を使用されることが多い印象がある。
人は誰しも心の中に悪役を飼っている
自分の行いを正当化したいときなどに、その責任をその悪役に求める
社会で大きな問題が起こった時、その人は「きっとあいつがやったに違いない」と思ってしまう
宇宙人のせいにちがいない、オタクのせいに違いない、フェミのせいに違いない、ウヨクが、サヨクが、韓国人が、白人が、黒人が、女が、男が、父親が、悪友が
学校のクラスで1人超弩級の不良がいたとして、ある日傷害事件が起きたならまず「あいつかな?」と皆思うに違いない
何か悪い事件が起きると「パン人がやったに違いない」と思ってしまう
そして誰かが悪い事件を起こすと「彼はパン人に違いない」と思ってしまう
信じていた誰かが嫌いになったとき「君はひょっとしてパン人だろう?」と思ってしまう
「違う」と言われても「パン人だから嘘をついているに違いない」と思ってしまう
自分が複数人から批判されたときに、「彼らは悪魔だ」と考えて認知を歪め自己を正当化してしまう
その後どれだけ正しく考察してもダメだ、スタートラインが「彼らは悪魔」だから
・彼ら悪魔にも良いところはある
心の中に悪者を飼うのは悪いことではない
テレビとインターネットを比較することでテレビがいかに素晴らしいかを説明する。
テレビ:基本的に製作責任者の名前は小さくクレジットされるか、あるいは全く表示されない。また製作に多数の人が関わる。出演している役者が(正論のような誤ったことを言っても)意見をうまく丸めて、番組全体としてみごとな調和をもたらす。編集結果の責任を取るのは出演者なので製作者は責任を取らずに自由な言論が可能となる。
インターネット:昨今のインターネットの情報は殆どがアカウントやドメインにひも付いている。発言者責任がに伴うため無責任な言論をしづらい。
よってテレビは優れている。
テレビ:テレビの視聴者はテレビを観る際になにもする必要がない。わずかなチャンネルの中からみたいものを選ぶだけでよい。
インターネット:インターネットを使う人間は、自分で観るサイトを選んだり、不快なものをスキップしたり、自分の意志でアプリをインストールしたりしなければならない。そのような手間を必要とするインターネットは完全なメディアとはいえない。
よってテレビが優れている
3、思想について
インターネット:玉石混交な様々な情報から正しいものを見分ける必要がある。
よってテレビは優れている
4、広告について
テレビ:広告は視聴率に基づいて料金が決まる。テレビを観ない者を省いた完璧な数字である。また、効果計測の手法もなく、夢を見ることができる。
インターネット:リーチ、コンバージョンが絶対数で表示され、夢を見ることができない。
よってテレビは優れている。
テレビ:一つの組織に関連する人間だけでコンテンツが作成され、後からの編集も行われており統一されている。受信者は悩む必要がない。
インターネット:多様な発信者がおり、様々な思想が混ざる。受信者は自分の頭で思想について考えることが要求され、完璧なメディアとは言えない。
よって、テレビは優れている。
テレビを讃えよ。