はてなキーワード: evernoteとは
Documentsはなんとなく合わなかったんだけど、その理由が言語化できてないんで改めて使い直してみます!もしかしたら言語化したことで解消できるかもしれないしね。
Lifebearはなかなかいい感じ、色々機能が一本化されていて日記もかけてしまうのが痒いところに手が届いてる。早速課金しちゃおう。
当初の「メモが大きくなったったときの目次機能」は満たせていないけど、長文編集とは別の目的として残しておくことにしました!ありがとう!
上記の「メモが大きくなったとき〜」ってよく考えたらもはや文章編集なわけで、「メモアプリ」の役割を超越しちゃってるのかも知れないね。
従ってEvernoteのままでいくか、機能劣化の心配がおそらくなさそうなGoogle Docsでいいのかも知れないといろいろ調べてて思ったのでした。
多数のおすすめを教えていただいたことで、知見が広まっだけでなく用途別に使い分けるのが良さそうだと気づきを得られたと思います
文書作成はObsidianのようなMarkdownがいけるエディタで、ちょっとしたメモにはKeep/OneNoteのどちらかでやるのが快適そうな予感はしています。が、正解がわかるのは流石に来年になってからでしょう。
実際にしっくり来たかの続報をいつか書きたい気はしていますが、増田は一期一会ですし予定は未定で終わるかも…ともかくありがとうございました。そして良いお年を。
みんなのおすすめメモアプリを教えてほしい。今はEvernoteでやってるけど新しいアプリのことも知っておかないとな、と思ったので教えてくださいな
要件は以下
・AndroidでもiOSでも編集可、ブラウザPCからでも編集できる
・目次が作れる(長大な文章になったらジャンプできる機能がほしい)
・画像の挿入や手書き機能は今は必要としてないけど、いつ必要になるかもわからないからその辺はお気になさらず
・(追記)メモを公開することは考えてないので、ブログサービスとかは無しで。いやアリです!非公開で書けばいいという御指摘に感謝!(23:20追記)
・「Evernoteが神!他のアプリは糞!」って人は好きな激辛スナックを教えてほしい。ちょい前に復刻した激辛マニアを食べてみたら魚粉がなかなかマッチしてて美味しかったけど、もっと前に売ってた昔の激辛マニアも恋しいね
・メモアプリに興味ないし激辛スナックも食べられない人は来年の抱負書いてね、きっと叶います
・Evernote→今まで使ってきただけなので、ベターがあればサヨナラ!
・Lifebear→目次はなくてもtodoやメモのワンセットとしては強い印象を覚えました
・Dropbox paper→情報の後出しをするつもりはなかったんだけどDropboxは全端末に入れてあるのでちょっと試します
・notion→改めて触ってみたけど、欲しい機能は一通り揃ってますね。襷に長しって感じなんで機能を持て余しそうではありますがなかなか。
・Google Docs→個人的なダークホース。確かに目次が作れるしデバイス間共有も楽々、何よりGoogleが抱えているという安心感がなかなかのもの!言われて思い出したけどGoogleは確かにうまく行ってないサービスを撫で斬りにしてるな…Googleリーダーとか好きだった。
・Onenote→強い、目次機能がないこと以外すごくしっくりきてる。
・Gmail→その発想はなかったがかなりいいセンついてる。
・Colornote→Lifebearが機能食ってるけどtodoアプリ単体では触ってきた中で最高の感触です
・Obsidian→「端末間で共有したいならGoogle DriveとかDropbox使ったらいいよ」というアプローチが潔くて面白い!マークダウンも書けるので適正あるし、Vimプラグインがあるのも好き
・Workflowy→なるほど「アウトライナー」というジャンルがあるんですな。Workflowyは単純なエディタとしてはすごく簡素で邪魔になるものがなく気持ち良い。
・Joplin→今でかけてるんで帰宅したら試します!少し待ってて
cider_kondocider_kondo 確かに目次重要。拙者も大昔は今は亡き構造化エディタ https://www.vector.co.jp/magazine/softnews/071218/n0712181.html とか使ってた(構造化できるのに実体は単なるテキストファイルって、今考えても割と無敵だよな…
あああああ構造化エディタ懐かしい!!!今思うとこれを使っていたから目次にこだわっているのかも知れないです。源泉を再発見できて嬉しい。ありがとうございます
自分ももっと激辛情報来るかなと思ってたので意外だった。でも色々教えてもらえて嬉しいよ
個人的にはタラタラしてんじゃね〜よは激辛ではないけど、よく考えたら辛さの感覚は人によるので挙げてもらって全く問題ないです。すぐに飲み込まずに口の中でじんわりと味わうのがいいよね
ここまで色々と紹介してもらってわかったこと。
一口に「メモアプリ」と言っても使ってみてそれぞれ目指しているものがかなり異なっているので「しっくりくる」かどうかは本当に個々人の用途・スタイルにかなり左右される。
ただハッキリと言っておきたいのは「まぁEvernote落ち着くんだろうけども…」と思いながら立てたこの増田も、実際に色々節操なく触ってみたらメッチャ面白かったので2022年の最後に素敵な体験をくれた増田とブコメの皆様に感謝です。NotionとGoogle Docs、Onenote、Obsidianがかなりビンビン来てます。
自分は検索能力がある方ではなく、他の人はどうしているのか知りたい。
一言に検索といっても、検索したいジャンルによって難易度が異なる。
あたりだろうか。
検索した結果、まとまったページなり、pdfが見つかればいいが、自身が網羅的にまとめる必要性が出てきた場合についても、難易度が高い。
はてなブックマークのようなタグ・URL・1言コメントの場合、後からまとめようとすると、
本文の何処に注目したのか、何が大事だったのかを再度読み込まなければならない。
かといって本文をまとめていくと、一覧性が無くなっていく。
Evernote、OneNoteあたりが該当すると思うが、とりあえずデータを放り込むまでは出来るが活用できる形にまとめ直すのは難易度が上がる。
Notionも良いと言われるが、やはり難易度は高かろう。
新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。
この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。
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この文章は現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。
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本作のあらすじを簡潔に書く。
九州に住む主人公の少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中の廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズが地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)
抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程で東北の被災地を訪れることになる。
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これは2011年3月11日、日本列島を襲った未曾有の災害、東日本大震災を主軸に据えた映画だ。
いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。
「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」
一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨の言葉が語られる。
「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。
後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。
この映画は我々が体験してきた被災の記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。
映画館に足を運んだとき、自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズが地震を起こし、物語の舞台が神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカーが首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。
忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送、津波で一掃された土地、そういったものの映画の中での情報の感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベルで自分の記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフの美術や演出の面々に感服させられた。
だからこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。
その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。
これが少しでも YouTube の予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。
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この作品について語る上で、村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。
こんな話だ。
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東京で働くうだつの上がらない銀行員の中年男性が、ある日かえると出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトとミミズが現れ、男性の身体がミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。
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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。
この小説は1995年に日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である。
1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本の安全神話が崩れた年だ。
作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件の関係者・被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会、他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。
氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉で表現している。光の一切届かない暗闇、自身の身体と周囲の空気、現実と非現実の境界が曖昧になる。死に近い場所だ。
人の日常生活では感知し得ない深い場所・心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。
翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身のルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実と霊界の境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。
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「神の子どもたちはみな踊る」は善悪の二元論ではなく陰陽論の物語集だ。
太極図、という白と黒の勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。
こんなのだ☯
善悪、明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。
太極図について、ちょうど三角関数を学んだときに単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。
日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。
「かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公がミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。
この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。
宗教二世を描いた表題作「神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクのホテルで神戸に住む男の存在を思う研究者の女性にせよ、海辺で焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないものが存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ。
その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分は勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。
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我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはらむ危険性をつい忘れてしまう。
東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズの描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震の前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。
そこの描写が本当に良かった。地震とはいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。
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東日本大震災の発災当時、自分は東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。
2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。
インターネットに張り付いて、東北地方や東京の情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。
当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。
日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリーは被災地に飲料水を発送し、ソフトバンクは公衆 Wi-Fi を無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本の若者が NHK による被災状況の中継をカメラで撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者が自身の責任と判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote は有償の容量無制限サービスを日本人に向け一時無償提供を行った。
今ではウクライナと戦争真っ只中のロシアはプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍は作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。
悔しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅、避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。
あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。
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働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事ももう若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。
10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの、体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。
あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場で唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。
そこに前述の草太のセリフだ。2011年に東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。
あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。
新海誠の新作となれば中高生も大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代が災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。
もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。
この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。
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これで最後だ。
東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災者であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。
遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。
やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこの文章を不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。
またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。
日本だと大量の情報を詰め込むのはデザイン的にダサいってのは重々承知の上なんだが、どうも情報が集まっているように感じない。
(スマホ全盛期で画面が小さいってのもあるだろう)
検索すれば良いじゃんって意見もあるだろうが、検索ワード知らないことには検索出来ない。
Evernote、Onenote、notion、色々あるにはあるのだけど、一覧性と関連付けが微妙だったりする。
シンプルな方向には進化しているが、どうも大量に情報を扱おうとすると足りてない気がしてならない。
古い人間だからか、模造紙壁に貼って付箋とピンと糸で関係付けして整理という方がいい。
定期的につぶやいているが、日本を含めて全世界で汎用的に使える高機能SNSってのはかなり珍しく、その代表がGoogle+だった。
Facebookのように使いづらいUIと全然使えない機能ばかりなSNSは論外。Twitterもサークル機能を取り入れたけど、Google+はもっと先を行っていた。
というより、先を行き過ぎてサークル機能はさほど重要ではなくなっていった。それに変わるカテゴリーのほうがずっと良かったことを踏まえると、いまのTwitterの施策はGoogle+のスタートラインにすら立っていないと思う。
サークルは個人に付与するタグのようなもので、1人をたくさんのサークルにいれることもできるし、サークルに複数人を入れることも可能。そうやって特定のサークルに該当する人にだけ情報を発信したりしてゾーニングが可能。
当然、コミュニティ機能もあるし、のちにカテゴリーという自身の発言をカテゴライズして分類する機能も登場したため、SNSでありながら簡易のEvernoteのような使い方ができる非常に有用なアプリだった。
検索だとGoogleで検索しても引っ掛からなくなり、日本語だけでなく英語でも引っ掛からなくなってきている。
サーベイ論文が無いかはチェックするが、あるジャンルとないジャンルはある。
ないと自分で探すことになる。
論文はまだGoogle scholar、Dimensions aiで検索すればいい。(Microsoft Academic Servicesはなくなってしまった。)
問題は企業が絡んだ場合で、世界中でどれだけの企業が参入しているかってのは探すのに苦労する。
あと流行りではないものも苦労する。例えば画像処理で機械学習使ってない物がどこまで進んでいるか探すのは今大変だろう。
Evernote、超整理術、ツェッテルカステン、コーネル式ノートといったのは過去話題になった。
だが、いまいち良くなった気がしない。
Webクリップは便利になったが、溜めた後の整理方法は全然進化していない。
はてブ?はてブで整理できている人がいるなら、どうやっているか教えて欲しい。
1つずつ、どのまでが事実か、筆者の考えかの整理や、数式をMathematicaで確認やら、図の作成やらをしないと後で使い物にならない。
EvernoteやOneNoteに近い使用感なので増田のニーズに合うかは分からないけれど、自分はObsidianというアプリケーションを使ってる
普通のメモやノート用として使う他、増田の言うようなちょっとしたアイデアとかはidea.mdにリストとか空行区切りで雑多に書いておいて、実現しようと思ったタイミングで新しいノート作ってリンクに置き換える感じ
日記や適当に思いついたこと(ツイート的なもの)、メモ、ちょっとした雑記などを手軽に投稿でき、
高い閲覧性を持って非公開で保管してくれるサービスはないだろうか
【追記】
これで自分のやりたいことはだいたいできるので、とりあえずはツイセーブを使っていこうと思う
でも、もしもっと使いやすいサービスがあるよっていう人がいたら教えてくれると嬉しい
【追記2】
↑の追記のもっと使いやすいサービスがあれば〜というのは単にツイセーブよりも使いやすいものが欲しいというだけではなく、
ツイセーブがサービス終了した場合に備えておきたいというのがある
なのでなるべくサ終しにくそうで、仮にサ終するにしても他のサービスへのデータの引き継ぎを用意に行える環境を整えてくれそうなサービスを使いたい
そう考えるとツイートを保存するサービスよりも、できれば大手の運営しているそれ単独で動くアプリの方がいいのかもしれない
【追記終わり】
Twitterの画面を開いてツイートボタンを押して文章を書いてツイートするボタンを押す
たった4ステップで投稿できるTwitterのように手軽に投稿できること
投稿は日ごとや月ごとに一覧にまとめて見ることができる
一覧では投稿のタイトルだけではなくそれぞれの投稿の全文を見られるとなおよい
検索機能もついろぐのように多機能であり簡潔でありソート機能も充実したものが望ましい
これは今どきのアプリでは当然の条件
個人的なことがらを書いていきたいので完全に非公開で使えることが必須
無料で使える
テキストベースの日記やツイート的な投稿をメインに考えているので画像や動画の投稿はできなくても構わない
あるならあったほうがいいけどね
ツイート感覚で投稿していくので一つの投稿で扱える文字数はツイート(140文字)程度で構わない
長文は別のアプリで書いているので
機能的には最高だが、残念ながらついろぐは鍵垢のTwitterアカウントには対応していないので不可
投稿に手間がかかるので不可
ブログトップページを開いて大量にあるメニューの中から新規記事作成ボタンを探し出してクリックして記事タイトルを書いて記事を書いてカテゴリを選んでタグを付けて投稿ボタンを押して…と毎回やるのは面倒
まあカテゴリ選択やタグ付けはやらなくてもいいんだが、いかんせん機能的にできてしまうとやりたくなってしまう
あとブログは全体的に動きがもっさりしているのがかなりのストレスになる
ブログトップを開くのにも数秒かかるし、投稿ボタンを押してから投稿完了されるまでにも微妙に時間がかかる
それと閲覧性もこの使い方には不向きかな
日ごと月ごとにアーカイブしてくれるのはいいけど、1日に何件も投稿するとUI的に見にくくなることが多い
記事一覧を開いても記事タイトルだけしか表示されないものが多いのもこの用途的には違う
今回の用途では1つの投稿ごとにノートを作るのはかなり手間だし、ノートごとにアーカイブされるのは閲覧性が悪い
また、投稿をノートブックやノートに分けることができるのは便利だが、この用途ではその便利さが煩雑さに変わってしまう
検索性も悪く、検索にヒットした記事を一覧で表示されるが、それが具体的にどんな記事であるかはページの抜粋部分をクリックして記事を開かないと確認できないのが不便
Evernoteは無料プランだと端末が2台まで制限に制限されたのも痛い
閲覧性が悪いので不可
投稿の手軽さはかなり良いんだけど、投稿がひたすらスタックされていくだけなのは閲覧性が厳しい
※ここまで書いて気づいたが、自分が求めているものを一言で表すと「記事を作成してそこに文章を書き込んでいくシステム」ではなく、
Evernote、GTD、ポモドーロ、コーネル式ノート、etc、色々出ていた。
そういう名前がついていなくても、はてブのような話題になっているサイトをいくつか見ていれば、必要なものをおさえておけるっていう時代もあった。
問題が発生したらネットで検索したら解決するとか、質問すれば解決するって時代も多少あった。
自分に限って言えば、今だと、arXiv、Nature、Scienceなどの最新のを追いかけるという、なんというか戻ったのか戻ってないのかわからないようなことになっている。
論文でわからなければ、作者の発表資料、動画など補足資料がないか探している。
そしてウォッチ対象でないサイトに登録されていたり、新しい雑誌やジャンルが出たら2,3年気づかないということも普通にあり、率直に困っている。
Googleアラートのような単語がわかっているものを勝手に探してきてくれるサービスに坦々と単語を追加していくしかないのだろうか。
「あとで読む」というのも結局読まない。
貯めたデータがいつか活用されるかというとあまりそんなことはない。
後から自分が活用できるように、まとめをしていないと結局使えないなというのが率直な感想だ。
正直、みんなどうしているのだろう。
アウトプットしている人に情報が集まると言われていたが、実際にやってみると、フォロワーは増えるが良くなった気がしない。
「パソコンを使って知的情報整理術」というのが昔盛り上がっていたと思うが、結局いい方法がなかった。
今だと、とりあえずクラウドにおいておいて検索で見つける、といった感じになっているが、古い人間だからか合わない。
ファイラー、Evernote、Onenoteなどや、Mendeley、Zoteroなども試したがコレっていうのがない。
ルーマンのZettelkastenか。
頭が良い人は頭の中で比較出来るのだろうが、もう歳でできない。
1ページ同士を比較するのであれば、画面分割して左右に並べればいいが、必要な箇所がバラバラだったり、複数の資料に渡っていたりするともうダメだ。
デバイスからだと、スマホの普及だと思うのだが、複数の資料を比較することが困難だ。
パソコンならまだ画面に並べて比較できるが、模造紙ほど自由度はないし、ブラウザがメインになったからか見えている範囲のコンテンツ数は減っていっていった。
Evernoteなり、クリッパーなり、データを保存することに関しては便利になったが、後で使える形に編集するということに対しては進化していない。
はてブなども保存したはいいが、読み返さないし、検索かけてもなんで保存したのかわからんということになる。
(ページのどこに着眼したのかなど、紐付けできないので)
3年くらい愛用してきたiPad mini4(cellular)に大きな不満はなかった。
ただ、
衝動的に購入した。
何をやるにもサクサク動くし、さすが天下のApple様の最新機種だと思った。
重い……
何で6のほうが重く感じるのか、バランスの問題なのではないかと考えるに至った。
横幅…同じ
高さ…6のほうが7.8mm短い
厚さ…6のほうが0.2mm厚い
極端に言うと、6は直方体、4は板のようなイメージで、面積が小さい6はバランスよく手の中への収まるものの、その分、重さを感じやすいのではないか⁉︎
さらに、4の縁は丸くなっている一方、6は角張っているのも関係している?
さらにさらに、純正ケースが4は裏面が無い一方、6は全面を覆うタイプ(これは物理的に重量が増えているので別の問題だが)。
Apple様の最新製品という崇高さと相まって、この重量感によって気軽に使うことができなくなってしまった。
これでは自分にとって、iPad miniを持っている意味がない。
サイズは4と全く同じで、重量は数グラム重いものの気にならないレベル。
Evernoteの動作は問題なく、Apple Pencilにも対応。
遠回りしたけど、最初からmini6への興味を抑えてmini5を買うのは考えられなかったし、まあ必要な過程だったのだろう。