はてなキーワード: 電通とは
きゃりーぱみゅぱみゅは個性的な衣装で、
彼女自体も私のファッションを理解出来ない人は一生理解できなくてよい
と語っていたが、近年の彼女の曲を見ると、
CMタイアップ曲だったり、新曲もストートにハロウィンをテーマにした曲だったり、
売るために、曲を作らされている、電通絡みなので仕方がないが
何故ここまでなってしまったのか、
きゃりーぱみゅぱみゅはこの矛盾に耐えうるのか。
まあ、目立ちたがりやっぽいからいいのか。
彼女に芯があったら、とっくにやめているだろう。
きゃりーの矛盾と中田のひとたらし具合を感じた今回の新曲だった。
皆さんも是非きゃりーぱみゅぱみゅ 「Crazy Party Night ~ぱんぷきんの逆襲~」
をどうぞ。
★先日、前から気になってた東池袋「メゾン青樹・RoyalAnnex」の外観見た。
そこの2階に「都電テーブル」という「いかにもイシキタカイ系のオーガニックな定食屋」があった。
男性一人だけだと気恥ずかしくて入れない雰囲気だが、たまたま女性同僚もいたので入った。
2階の店内に入ると、予想通りの店内レイアウト。配管は「わざと」剥き出しで、テーブルも椅子も木製。
BGMはジャズで、あちこちに店のコンセプトの案内とか、街づくりの書籍とか、「クラウドファンディング募集中!」とかの案内が。
★なんか「こだわりの食材の無農薬な定食」を1000円で食べたが、味音痴な自分は、それが1000円の価値があるだけの美味しさなのかどうか、わからなかった。
因みにヘルシーなボリュームなので、早くも3時頃にはお腹が空いた(笑)
★因みに1階に「なか卯」があり、ガテン系男性が連れだってなか卯に入って行って盛況だった。
「都電テーブル」の方は空いていた。1階と 2階の立地の差、値段の違い、ボリュームの差、でもそれだけじゃないと思う。
★一番の「差」は、都電テーブルの
「私たち、オーガニックでイシキタカイです、フェイスブックで応援お願いします」な雰囲気が、ガテンワールドと「対極」だからなんだと思う。
値下げしても、ボリューム増やしても、あのガテンな人達は、あの雰囲気の店は「入りづらい」。
港区とか渋谷区とかなら、この手の「イシキタカイお店」は「地域に馴染んでいる」が、
豊島区という立地だと、「イシキタカイお店」は「地域から浮いている」んだよね。
メゾン青樹のコンセプトは「街づくり」で、都電テーブルはメゾン青樹オーナー肝いり案件。
★突き詰めれば、フェイスブック的文化が似合うのは渋谷区とか目黒区であり、豊島区には似合わないということ。
豊島区でも、ラーメン店は単価1000円でも客はワンサカ来る。だから、「値段の問題ではない」
これ、サンシャインに新コンセプト店「リンガール」を出店して、見事にズッコケタ、リンガーハットと同じ失敗だよね
★「私たち、フェイスブックしてま~す」な店って、(遠くに住んでる)フェイスブックの友人100人を来店させる動機にはなるが、
フェイスブックをしない周辺地域住民10000人にとっては、「なんか、お高くとまっていて、入りづらい」と思われてしまうだけ。
日本におけるフェイスブックの普及状況って、丁度「イシキタカイ系」と「イシキタカくない系」の境目あたりだからなあ。
フェイスブックが「イシキの高さのアイコン」の役割を果してる現状では、フェイスブック普及率の低いエリアで、「フェイスブックしてま~す」な店を開店しても、地元民の反感買う
フェイスブック系のお店を、フェイスブック文化が根付いてないエリアで開店しても、最初のうちは「御祝儀」で遠くのフェイスブック友人が来店してくれるから、
「ああ、順調な滑り出しだ」と錯覚する。
でも、遠くのフェイスブック友人は、次第に来店しなくなり、閑古鳥が鳴くようになる
★だから、飲食店を「継続」させるには、フェイスブックに頼らずに、地道に地元に根付いた、泥臭い営業をするのが、急がば回れで近道だと思う。
「都電テーブル」は、そのような地元どさ回り営業を、キチンとやったのか?
★これって、単に飲食店だけの話じゃない。
いわゆる「街おこし、地域おこし」も、電通崩れなエセコンサルタントの作文に乗っかって、フェイスブックで完結するようなエセプランに終わってるようでは、早晩行き詰まる
★辛口なエントリ書いているのは、逆に言えば、メゾン青樹の青木氏や都電テーブルに「期待」してるからなんです。
期待してるからこそ、安易にフェイスブックワールドの殻に閉じ籠るのではなく、ガテンな人も含めた地元民を「巻き込んで」欲しい。
もともと都電テーブルは、子連れママの行き場所確保を目的としている、と聞いている。
その志は良いのだから、「子連れママと、ガテンなオジサンとの交流」という高い目標にチャレンジして欲しい。
今のままだと、自分みたいなオジサンは、気後れして、入店したくても入店できない
「これを機に、イシキタカイ系の人達が、目黒区辺りから豊島区、あわよくば自分のマンションに引っ越して来てくれたらもうけもの」ということなんだろうな
★この辺のフェイスブックなお店って、マスター側もお客側も、トシでも40歳台、まあ普通は30歳台が殆ど。
M議員といえば、安保関連法に反対する学生団体SEALDSに対してTwitterに書いた内容が物議を醸し出し、また未公開株の不透明なやりとりが発覚して、所属していた自民党を離党した矢先だった。
私個人的なところで、M議員の政治家としての資質に対して懐疑的であり、感情的にも嫌いではあったけれど、しかし今回の暴露記事を目にした際には、そういう個人に対する評価や感情を越えて、胸につっかえる感覚を抱いていた。それで、ボヤっと1日考えていたわけだけど、それが何なのかが少しずつ溶解してきたので、書き留めておこうと思った。
今回の記事では、M議員は19歳の男性とゲイ向けの出会い系サイトで知り合い、金銭の受け渡しを伴う性的関係を複数回持ったということが、LINEのスクリーンショット画像と「売春」という言葉ともに公開されている。
日本の法律と照らしあわせてみていくと、先ず同性間において金銭や報酬の受け渡しをともなった性的関係を罰する法律はなく、これは売春にあたらない。
相手が19歳という年齢に関しても、18歳以上であるので法的に問題がない。
にも関わらず、「19歳の男性を“買春”していた」というセンセーショナルな言葉を使ったわけだ。
これはつまり法的には完全に無罪ではあるのに、M議員が「ゲイ」であること、そして男性と性的関係を持っていることをセンセーショナルに公にすること自体が目的の記事と言える。
個人のセクシャリティというのは、プライバシーでもあり、そしてとても繊細な情報でもある。
近年ではLGBTという言葉の認知も広がり、多様な性のあり方があるということが社会に浸透してきているとはいえ、まだまだ性的少数者に対する偏見や差別があるのは否めない状況下でもあり、ましてやプライバシーの侵害という点で、第三者が個人のセクシャリティを本人の断りもなく勝手に公開していいというのは余りにも身勝手で酷い話では無いのか。それがたとえ公人であるとしてもだ。
そして、この記事がSNSやニュースを通して大きな話題となった。
この記事がこのようにセンセーショナルに扱われるというところには、この社会の中にある性的少数者への眼差しや本音が現れ出ている。
記事を書く側が、受け手であるこの社会の少なからぬ人が、M議員が「ゲイ」であることに対して、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。
セクシャリティと世間の狭間にあるモノがここに露わになったのだ。
4月に電通ダイバーシティ・ラボが「LGBT調査 2015」を実施した。
http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015041-0423%2B.pdf
それによると、国内のLGBT層に該当する人は 7.6%と算出された。人口でいうと約900万人前後といったところ。
もちろん、約900万人の全てがカミングアウトして生活しているわけではない。
偏見や差別を恐れ、自分のセクシャリティを隠しながら生きている人も多数存在している。
そういう社会の中で、M議員が、その”人”が、ゲイであることを晒したうえ、それをネタにして記事にしたのだ。
ゲイ=話題が取れるネタになるということを改めて世間に知らしめたのだ。
この社会を構成する人たちがその記事を見て、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。
自分のセクシャリティを隠しながら生きている人達はこの状況に何を感じたのだろう。
自分のセクシャリティと周囲との関係性に悩んでいる思春期の子たちは、この風潮に何を感じたのだろう。
自分のセクシャリティを公にしたとき得ることになる反応を、この記事の中に見ているのかもしれない。
実は、私も性的少数者の1人である。LGBTでいうなら、Tである。
性別を変えたのち、現在は変更後の性でノンカムのままフリーランスの仕事と大学講師を掛け持って暮らしている。
これまでの私の人生においても、過去を知る知人によって私がトランスセクシャルであると第三者に勝手に暴露されて、好奇の視線を浴び、侮蔑され、差別され、そんな悲しい思いをしたことは数知れない。
そのような経験を内に秘めて生きてきて、この記事を目の当たりにした。
今はただ、悲しく虚しい思いだけが記事を前にしてポツリと佇んでいる。
追記:
私の友人たち(大半はヘテロセクシャル)は、彼がゲイであることは切り離して、議員としての自覚や言動、資質について書いている人が多かったことは救いです。
日本開催のオリンピック、新国立競技場などの一連の問題、エンブレムの発表とまさかの告発、次々に明らかになる疑惑、デザイナーたちの怪しい繋がり、電通と博報堂の陰謀、連日ワイドショーを賑わせる大事件!みたいな感じで、増田の頭の中ではものすごいことになってるんだろうけど、実体だけ取り出せば「サントリーのキャンペーンで一部の景品に不適切な画像が使用されておりました」というだけだからな。
佐野氏、常識で考えればあの程度にてる程度でベルギーのパクってるとかいいがかりもいいところだろということになりますが、ちょっと常識が通用しない御仁のようですね。まあそれはいいです。
これまで仕事で広告代理店の人とかかわる機会がそれなりにあり(基本発注する側)、博報堂の案件でだいたいひどい目にあってきた。
で、なんでそうなるかということについてなのだが。あいつらって「広告で面白いことしよう」っていうのがどうやら第一にあるんだな。
他の会社はもちろん違う。「広告で金を儲けよう」というのが当然頭にある。
するとどうなるか。金とはようするに信用なので、ちゃんと顧客の信用を得ようとする。バカどもが「~~は電通利権」みたいなことを言ったりするがそうじゃない、顧客との信用の積み重ねだ。
ところが博報堂の連中ってのは金じゃなくて面白さを追求しようとするから、信用を求めようとしない。つまり信義がない。倫理観が無い。顧客はえらい目にあう。
佐野っちもそういう精神性の組織の中で、仕事人間としての人格を完成させたからああなってんじゃないのかね。面白いデザイン適当にパクってきて面白いものその場で提供できりゃまあそれでいいだろって。
2ちゃんねるその他のSNSでださいだとか、これはないわ〜とか酷評される
こんな酷いデザインが、当選されるような選考委員会とか、デザイナーの経歴や過去作品に2チャンネラーやネット住民の興味が集中。
■オリンピック公式エンブレムのデザインが盗作ではないかとよく似てる海外劇場が声を上げる
たしかにそっくり
ユーミンのアルバムジャケットは、駄目だろう、くらいの盗作疑惑
■選考委員とか経済産業省とか、電通とか博報堂とか人間関係相関図が出まわる
これは、なんかおかしい
◯最初にこのデザインはださいよね。とか、一般人が酷評するようなデザイン自体が低レベルだと思うし、そのデザインを当選させた選考委員のレベルを疑うといいと思う
わたくしは、佐野さんのデザインしたエンブレムをオリンピックに使ってほしくないし・・・東京オリンピックまるごとなくなってほしい
首都圏は渋滞するし、交通機関は混みまくるし・・・経済効果って、恩恵を受けるヒトや法人は一部だけで
あとは、大迷惑だと思うの。
現役美大生です。
いろんなまとめサイトやそのブコメなどで「多摩美やムサビは同じ出身校同士の結びつきが強い」「電博(電通・博報堂)とのつながり」というコメントがちらほら見受けられました。それを一言で「身内褒め」でピシャリと言い切ったものもありました。
今まで僕はギャラリーでサノケンや佐藤可◯和、森本千◯、長◯りかこなど、美大生の間では名の知れたデザイナーの作品を数多く見てきました。その作品を見るとたまに、またか…と思ってしまう自分がいました。まだデザインの仕事に深く携わっていませんのではっきりと言い切ることはできませんが、色々な人達が指摘した通り、身内褒めは存在すると思いました。
まず電博のエリート派閥にいるのはほとんど芸大ムサタマです。そして電博に就職したいと思っても面接を受けられるのは学校が決めた成績上位者の極一部だけです。ゾシビやゾーケーが電博にいないわけではないと思いますが、芸大ムサタマ以外でドカンと売れるデザイナー(野田凪、吉◯ユニなど)は電博出身ではなく、電博出身で独立したデザイナーの事務所に所属したのちフリーになるという流れです。だから電博と芸大ムサタマの結び付きが強いと言われるのです。
またエンブレムの件で言えば、前作の亀倉雄策のデザインが圧倒的というのもありますが、美大や芸大や専門学校とかの美術的な素養がある人達の間だけでウケるグラフィックってやはり存在します。ではなぜ芸大や五美大にいる人達が見たものが良いとされるのか。一目エンブレムやロゴなどを見て「ここが良い、ここにメッセージが含まれてる、ここが足りない」といった、デザインに隠された欠点やメッセージを読み解く訓練をしているからです。「デザインが分かる人」のイメージは概ねこれだと思います。美大生の間でもそれは同じです。
しかしこの目が肥えていくうちに、美術的素養がない人の作品の見方に大きく差が開いてきます。これが身内褒めを促進させるのではないかと思っています。
デザイナーや専門の批評家同士、ワカッテル人達に絶賛されたりお墨付きも貰えたりする。この身内褒めがあってこそデザイナーは自身にとって簡単には揺るがない評価を手にすることができます。デザインに詳しい人が良いと評価すればデザイナーとしての評価に直結するでしょう。これは絵画でも同じです。(他にそういう例えができるものがあるかどうか探してみてください)こうしてデザイナーのキャリアは作られます。
今回みたいにとことん目立つところで、美術的素養がない人達に発表するということがそもそも少ないのです。一般人にはどうせ分からないだろうけど、凄く良いんだよこのデザイン、と褒める人達は美術が分かる人達、つまり身内に限られてきます。わかる人が分かればいい!という独り善がりのデザインに向きやすいのです。
美術に素養がある人達でも、良いと言われているものが何故良いとされているのかを見抜けない、また理解できないことは多々あります。例えば大◯卓也がデザインしたHungry?というキャッチコピーとゾウを使ったカップヌードルのCMはとにかく業界内で絶賛されていますが、僕にはよく分かりませんでした。更に見抜く力が少ない一般人が「見る側」として圧倒的な人口を誇る中で、素養ある人達だけが分かる世界を見せてこれが優れたものですって言われてもねって感じかと思います。
もちろん十人十色で感じ方は違います。だけど美術的素養があって各々評価の基準と見方を分かってる人にはいいデザインだと見抜けても、まったくそういう知識もなしに初めて見たときには物足りなく見えたりするデザインはどうしたらいいのか。考えているデザイナーはいるでしょうか。コンペで選ぶのはみんな素養のあるサラブレッド達だから尚更です。
なんかおもしろい企画、バズる企画、そういうお題を毎日毎日与えられて考えて。決まったら実制作が始まって、並行して新しいオリエンを受けて。そんなMTGと立ち会いとディレクションで昼は埋まり、やっとこさ夜の10時から昼に受けたオリエンの企画を考え始める。それが終われば、次は別件提案資料。深夜にひと段落したら、家に帰り2時間寝てまた会社へと繰り出す。明日の企画進捗報告資料を作ろうと思っていたのに、またまた新しいオリエンで時間が取られる。そんな状態なのにあっちの案件が揉め出した、対応だ。あぁ今週も土日は休めそうに無い。あれ?でも日曜はロケハンと別件のインタビューだったな…。
コミュケーションデザインだとかインテグレートなんちゃらだとか、かっこいい肩書きの先にあるのはCMもグラフィックもWebもイベントもやらなきゃいけないタスク過多。テレビも見る暇無いのにテレビの企画、雑誌も読む暇無いのにタイアップ制作、ソシャゲもやらずにアプリ開発。それでも何とかカンヌも取って、アドフェストだって電通賞だって取りました。賞を取ったら人気クリエイターの仲間入り。それで得るのはなんかおもしろい企画、バズる企画、新たなそういうお題。
若いうちは働け?いやいや、澤本さんも木村健太郎さんも未だに変わらない生活でしょ?僕に才能があると信じれば信じるほど、結果を出せば出すほどこのサイクルがくるくる回る。たしかに、その螺旋階段は上には向かっているんだけど。
でもね、これがつらいんじゃなくて楽しくて、楽しみで仕方ないの。
こうしてファッション化することを、気持ち悪く思う人は少なからずいるでしょうし、実際に僕も、「またそんな、流行りに乗っかったようにアイコンだけ変えて、とくに何も調べたりはしないんでしょ? そんで2ヵ月後には元のアイコンに戻してるんでしょ?」と、疑っています。
https://note.mu/katsuse_m/n/n5735a1299d6d
何故なら、友人たちのFacebookのレインボーアイコンを見て、当事者である僕は涙が出たからだ。
1週間後に元のアイコンに戻しても全く構わない。
僕は、その意思を一瞬でも感じられた事がこんなにも嬉しい。
それなのに、この方は、発信者の本気度を問う真面目すぎる人で、当事者の気持ちは見えていない人なのだ。
僕は、日々誰にも疑われず、セクシャルマイノリティであることを隠せて生きている。
いつも表情には出すこと無く、隠れ蓑のスキマから飄々と小さな発言の矢を放ちながら、いつも観察している。
小さな発言をリトマス試験紙にして、「打ち明けられる人」であるか試しているのだ。
だから、今回友人たちのレインボーアイコンを見て、すごく嬉しかった。
周りから見ていてもわからない、本当は受け入れてくれる人がこんなにたくさんいたんだなと初めて気付かされた。
なんだ。日々観察していても、僕は何もわかっていなかったのだ。
気付いたら僕は画面の前で泣いていた。
それを「ホワイトバンド」のようにファッション化することは、認知させる意味では手っ取り早いのでしょうが、はたして本当の理解につながるのかは不明です。
それでもきっと、アイコンを変えた彼らには、彼らなりに周りに伝えたい「何か」があるのだろうし、また、それをたまたま偶然受け取った誰かが、今度は偽善ではなく、本心として、制度や国や、誰かを変えるために動き出すかもしれないじゃないですか。
そう考えたら、偽善であれ、行動することは大切なんじゃないかと、そんな風に思うのです。
LGBTの性差別問題は、ホワイトバンドの貧困問題のように、(大抵の)誰にとっても正しく見えることとではない。
正しいと思っていない人たちは、例えファッションであろうと、意味が分かっていればレインボーアイコンにすることはない。
別に本当の理解をしてもらえなくてもいい。本気で動いてくれなくても良い。
貧困問題のように具体的な行動を必要としているんじゃない。軽い気持ちで構わない。
僕たちは、ただ自分の友人たちが、自分の事を「否定していない」ことを、知りたくて仕方なかった。
『彼らなりに周りに伝えたい「何か」』の価値は、アイコンを変えた本人たちには、上手く感じられないかもしれない。
しかし、そのメッセージは、近くの隠れた当事者たちに底知れない勇気を伝えている。
少しの間だけでもレインボーアイコンにしたり、「俺は否定していない」という一言が見られるだけで、
あなたの友人にも混ざっている7.6%のLGBTの当事者たちは、僕と同じように涙を流すかもしれない。
みんな、ありがとう。
それでも、君たちの反応が変わる事が恐くて、まだ上手く言うことができない僕を許してほしい。
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参考
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2015/0423-004032.html
LGBT層に該当する人は7.6%(2012年調査では5.2% ※3)と算出されました。
※3 前回調査からの増加理由としては、調査手法の変更、社会環境の変化や関連情報の増大によって該当者の自己認識に影響があったことなどが想定されます。
車歴は、25歳ごろに通勤用で買った中古のプリメーラ(日産)、しばらくして新車のセリカ(トヨタ)、RAV4(トヨタ)、その後に走りに目覚めてレガシィ(ターボなし、スバル)、同じくレガシィ(ターボ)と来ている。セリカを買おうとして、クルマを見て回ってたころ、マツダにも見に行った。ユーノス・ロードスターとかクーペ風のセダンとかでマツダは盛り上がってた。でもマツダって、まともな応対をしなかったんだよ。なんだか接客らしい接客をしてくれなくて寂しい思いをした。その後レガシィに乗るようになったくらいだから、マツダのような走りを意識した感じは気になってた。いま、セリカのとき以来だけど、マツダを見に行くようになったけど、やっぱりあのとき以来、一向に変わんないんだよね、マツダって。というかマツダの営業のイメージ。店の感じ。新規客に熱心じゃない。
いまのマツダって、大規模なイメージ作戦をしてて、メディア・ネットの情報も相当コントロールされてる。ディーラー改革もすごくて店が新品で、赤い新車が並んでいる。でも、肝心の営業の人がそのままなんだよね。だるい感じで、ひなびた売れない中古車店みたいな感じ。これが、ある地域限定ならわかるけど、セリカを買ったときの神奈川県のディーラー、そして東北の2県のディーラー、同じなんだよね。たまに真面目でこちらを取り込もうとする営業マンはいるけど、店のスタッフごとで新規客を取り込もうという感じは見受けられない。BMWやアウディ、VWの外車ディーラーのほうがよっぽど無名の新規客に対してやさしい。300~500万円の買い物だもね。いいなと思ってから買うまでに何年もかかるんだから、それがわかってるんだよ。もちろんスバルもそれがわかっている。
マツダの広告イメージはよくなったけど、肝心の店はダメだな。営業マンを大規模に入れ替えたほうがいいな。
スバルに最初に取り込まれたとき、店長さんが出てきて、ほんとに熱心に口説かれたもの。1台目のレガシィを買うまで2年くらいかかったけど、粘り強く付き合ってくれたし。クルマの性能の何たるかということを深く教えてくれたよ。マツダにはそういうところがないんだよな。クルマそのものは良く出来てると思うよ。いまのオレは、モノを見ただけで相当判断できるようになってるから。でも、自分がRAV4からレガシィになったときのような気持ちの動きは湧いてこないね。ぜったいマツダに来るべきだ、来れば必ず違った世界を提供できるっていう意気込みが営業マンにないもの。変わったクルマしか作らないじゃんマツダって。カタログだけで買うような大衆車は作ってないじゃん。
マツダは30年くらい前だったか、自社のクルマがなぜ売れないのかを大々的に調査して、その結果、マツダという社名と隠してユーノスと名乗ることにしたという過去がある。たぶん、電通とか博報堂とかの大手のメディア戦略会社に頼んだんだと思うよ。それで順調に固定客をつかんだのかというとそうではなく、現場の営業マンがダメで、けっきょく値引き合戦ばかりでダメだったそうだ。それで今、企業イメージを上げようとして、大々的にメディア戦術を繰り広げている。新開発のディーゼルエンジンはとてもいいと思うよ。ガソリンエンジンは他社に追いつかれて大したことないけど。
スバルのディーラーは、この5年くらいでガラッと変わったんだよ。ディーラー拠点の集約化と、スバルなんか知らない新規客の獲得をやった。当たり前なんだけど、接客応対がいいのね。トヨタのディーラーと変わんないくらい均等接客するんだよ。前はそうじゃなかったけど。衝突ブレーキのアイサイトを売りだしてからは拍車がかかってるね。ここ数年でいちばん売れている国産のガソリン車セダンはインプレッサだもの。1位だよ。月に3000~4000台も売ってた。今までのスバルからすれば信じられん。スバルだって自社製コンパクトカーはないし、軽自動車もやめちゃってOEMになっちゃったし、一生付き合えるメーカーではなくなったんだよ。スバル製のクルマで、年取って最後は軽自動車にしようかと思ってもダイハツなんだから。そういうのとスバルとマツダは似た環境にある。
あまり日本市場を重視できないのはわかる。でも、あのマツダの派手なディーラーを見ると、日本市場でやる気満々という感じに見えるが、なにせどの車種も価格設定が高いし、わざわざ買うならスバルみたいに熱心に口説かれないと買う気にならないだろうし、でもマツダの経営幹部や広報とかによると、買う気のある人だけが買ってくれればいいというような感じで書いてあるし、またバブル期の失敗をするのかなあと感じるところもある。マツダのディーゼル車が、そのままトヨタのディーラーで売っていれば、たちまち買ってしまうだろうという自分がいるからなおいらだつ。
理由は検索サイトとしてASKを使うようになったから。Askの広告で、ウィルス梱包ソフトをインストさせようとする広告を複数回見た。
そういう意味では、Googleのアフェ広告で、窓の杜やVectorの広告に、そのVectorや窓の杜ダウンロードサイトからダウンロードするかのような画像(実際はs**tonicというい問題ダウンロードサイトへの誘導リンク)をバナー広告として表示させる。窓の杜の人間がGoogleAdへ苦情を出したらしいが、しばらくすると、すぐに表示されてしまう状態だった。
広告表示サイト自体、信用できないという結末でいいのだろうか。
アフェをリリースする会社自体、もっと企業を選別してほしい。電通や博報堂がアフェをやれば、もう少しまともになると思うんだが。