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はてなキーワード: 藤田田とは

2021-10-25

anond:20211025122002

藤田田日本で言いやすマクド/ナルドになるようにマクダーナルズからわざわざ変えたんだから

マクド呼びは理にかなってるしマクド軍のほうが勝ったんじゃよ

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-03-04

[]ジョー・バイデンさんの日本語名は「上田 田(うえだ でん)」ってマ?

逆に藤田田さんは「フジバイデン」って呼ばれていたとか。

2019-12-03

インターネットみてると人の意見っていろいろだねぇ

さいころマックチキンタツタが非日常感があって好きだった。

大人になって久々に検索してみると

情弱乙!おれは藤田田自分の儲けのために藤田会社鶏肉を使うために開発されたメニュー本社にはない独自商品

あんなの食べてるやつの気が知れない」

みたいなことを書いていて、へーと思うと同時に、美味けりゃどうでもよくない?とも思った。

最近だと、ポケモン剣・盾で、事前情報なく、最初御三家ヒバニーを選んだら、

最終的にエースバーンってポケモン進化して、おぉかわいらしいキャラクターだなと思ってたら

エースバーンポケモンらしさが皆無!どっかのやっすい遊園地キャラクターみたい!」

って書かれてて、へーそうなんだーと思った

2015-12-27

日本マクドナルド報道ネットの反応に感じる違和感

マクドナルドの業績悪化ニュースが頻繁に聞こえてくる。それは良いとして不思議なのが、反応の多くが「批判」であり(ヤフコメは勿論、はてブもそうである)、さら批判の多くは「昔は良かったマクドナルドが今はこんなに・・・」という文脈なことである。「良かった昔のマクドナルド」は藤田田マクドナルドであり、原田泳幸マクドナルドである。そう。それはそれで皆さんが叩きまくった両社長マクドナルドである

しか藤田田原田泳幸両氏は、終盤では手法消費者から飽きられアイディアは枯渇し、施策の迷走が見られ、その印象から今では全否定のような書き込みも目立つが、日本マクドナルドを実力値以上に牽引してきた手腕は確かにあると思われる。日本外食というのは生き馬の目を抜く業界である。古いビジネス流行語で言えばレッドオーシャン代表格といえる。参入障壁もっとも低い業界であり、個人経営店が大規模資本チェーン店を向こうにまわして費用対効果込みで切り伏せるほぼ唯一の業界である

外食業界では勝ち組と言われる企業ですら薄利であり、更には長く勝ち続けることもできない。「勝者なき血みどろの戦場である

すかいらーく低価格ガストのヒットで上昇カーブ寿命を永らえたが2000年代には沈没し、野村、その後米国ファンドに買収された。

吉野家倒産から立ち直ったものBSE問題を契機に再度沈没しまるで今のマックのように経営不振を取り上げられ続けた。今は立ち直ったイメージがあるが前年決算は売上1800億円に対して最終利益わずか9億円、何かひとつ事故なりあればあっという間に赤字転落である

吉野家凌駕した業界の新覇者ゼンショー労働問題を契機に沈没し昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。

創業から成長が小説にもなった立志伝中のワタミ労働問題を契機に沈没し、昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。

モスフードは健闘しているかのように言われるが670億円の売上に対して最終利益わずか6億円台。ロッテリアファンドの傘下。日本ケンタッキーは昨年5億円の赤字三菱商事経営してこの状況であるファミレス復活などと言われるロイヤルも1200億円売って最終利益は18億円。最近では東京からめしが彗星のように店舗100店舗以上に増やし、彗星のように13店舗(たった今HPで数えた)まで減らしたことはまだ東京都民記憶にあるはずである。なぜ堅実だった三光マーケティング牛丼を焼いただけでイケると思ってしまったのか、理解に苦しむ。ロードサイドのハイエナ率いるステーキのけんも業績が悪化しているという。

このくらいにしておこう。キリがない。

マクドナルドは、システムは洗練されているが提供するものは十年一日の米国ファーストフードチェーンであり、少なくとも食の世界では米国への憧れが消えた90年代以降にあって世界もっとも厳しい日本外食市場で今まで大健闘してきた、というのが正しい評価ではないかと思う。現在カサノバマックの状況はちょっと酷すぎるが、原田氏後期の状況は不振というよりもそれが実力値であり、実力値にアジャストが起きたにすぎないと思う。ライトサイズまでリストラされて経営者変えればまたそれなりになるだろう。

1980年代くらいまでのマックは今のスターバックスポジショニングであったのだろう(当時のことをよく覚えていないので想像だが)。当初日本で成功させたのが藤田氏であり、マック日本で飽和し日常と化して飽きられた頃に再度息を吹き返させたのが原田である原田氏も10年近くたって飽きられたわけだが、当時原田マジックは確かにあったのだ。2人に肩入れしているわけではない。私個人としては彼らの主義主張にあまり好感を持っていない。しかしながら事実評価は正当になされるべきと考える。業績のかなり落ち込んだ原田マックを引き継いだはずのカサノバ社長が更に底なしに業績を悪化させているのは一つの証左である日本外食プロでない人がなぜ経営できると思ったのか、過去日本で勤務していたというがどこまで自身現場で深く市場と格闘していたのか、本社のこの判断誤りは内部で責任を問われるに相当である。失敗が予想され、予想通り失敗している。アメリカカナダとは市場がまったく違うのだ。

日本外食を知っているやり手を経営者に据えれば原田マックの後期くらいには復活できると思われるので、外部に売却するというマックグローバル方針ニュースを見たときには「え???早過ぎないか?」と思ったが、今後店舗整理で日本マックはまだまだ損失を計上すると思われ、親会社決算に損失が反映されるのを避けたいのだろう。現在の持ち株比率は49.99%で連結はせずにおさえているけれど、損失は取り込まれからね。持分法で簿かは切り下がっているから売却損も大きくは出ないし(更に優待目当ての個人投資家株価は割高だというし)、立ち直って将来買いなおすと、キャッシュ的には安値で売って高値で買い戻すわけだから損だが、PL的には高値で買い戻しても損失が計上されるわけではない(のれんに計上されるだけで減損されない限りPL損は出ない。損を出す頃には次の経営者である)。米国投資家EPSへのプレッシャーはとても強いし、短期思考米国経営ならではである

日本外食市場世界で最も厳しい、というのは感覚値の話で、これを定量的サポートすることは難しいが、ひんぱんに海外出張する人なら同様に思うのではないかと思う。アジアを除く海外では安く食事できる外食の種類がそもそもあまりないし、ファーストフード店舗は往々にして荒れている。店員の態度も、愛想があるないとか、そういったこと以前の水準である。下記のページをみつけたのだが、各国人口比のマクドナルド店舗数が掲載されている。大量閉店前の2014年データではあるが、アングロサクソン系(US、CAAUNZ)以外の国では日本人口比の店舗数が最も高い。一方食事のうまい国はおしなべて低い(FRITSP)。日本は一応ミシュランの星数が世界最高だというので、食事のうまい国に入ると思われる。さら内需の規模があるため群雄が割拠しており、サービス品質マックマニュアルに頼らなくても非常に丁寧で高い。日用品市場日本消費者世界一厳しいと言われるが、これはおそらく外食でも同じで、1000円以下の食事で定員の態度から清潔さからすべて完璧に近い水準を求めるのが日本消費者であり、ライバルもそこで戦って鍛えられている会社たちなのである

http://www.world401.com/data_yougo/mcdonalds.html

ところで本エントリを書きながらUSのマック本社決算も見てみたのだが、今のレートでざっくり換算して、売上3兆円強、最終利益5700億円といったところである。たしかにこの3年ほど停滞しているようであるが、この絶対水準で業績不振と言われているのだからツライよな、と思った。

2013-09-16

携帯電話の料金体系複雑杉ワロエナイ

 iPhone買った。

 キャンペーン利用すると、月々2千円で運用できて、おまけに3マソくれるっていうから買った。

 こういうのってだいたい契約時、要らないオプションに加入させられる。

 販売店で買う時、1つ1つのオプションがいつ解約できるか、違約金はいくらか聞いてメモした。

 オプションの中にはすぐに(初月)でも切れるものあるから、忘れないうちに切ろうと思ったのだけど、できない。

 キャリアHPからできるはずなんだけど、「ダメ」って言われる。

 料金プラン、すごく複雑。それにiPhone祭りキャンペーンが重なってるから、余計ややこしいことになっている。

 いくら自分で調べても分からなかったから、正規代理店に行った。

   私「これ解約できますか?」

   私「違約金いくらですか?」

   私「毎月の割引額はいくらですか?」

 私が尋ねるたびに、代理店お姉ちゃんキャリアコールセンター電話して確認してた。お姉ちゃんも分かってない。

 代理店じゃなくて、最初からキャリアコールセンターに直電した方が良かったんじゃないかと思っていると、お姉ちゃんが受話器渡してきた。

   お姉ちゃん「間違いがあるといけませんので、お客様の方から直接……」

 私はなぜわざわざ代理店まで来たのだろうか。私は代理店お姉ちゃんにした話を、もう1度コールセンターの人にした。

 私が上で書いたような質問をすると、そのたびにコールセンターの人が「少々お待ちください」と言って電話が保留になった。

 キャリアからコールセンター業務請け負っている人が料金プラン理解してない。

 下手するとキャリア人間も分かってないかもしれない。

 こんな複雑なシステム高校生の時アポなしで藤田田に会いに行ったような薄毛の秀才しか理解できない。

 代理店に来店してから1時間ほどかかって、オプションの解約は済んだ。なんか知らないけど、月々の支払い額は3円になった。

 一瞬、得したような気分になったけど、過去、もしくは未来に私は損をした(する)だろう。

 見えないところで、この煩雑まりない作業の人件費を誰かが負担している。おカネは湧いてこない。



 ※追記1※

  補足:『携帯電話の料金体系複雑杉ワロエナイ』の詳細 http://anond.hatelabo.jp/20130916190228

 ※追記2※

  補足:『携帯電話の料金体系複雑杉で、どいうわけか3円/月プランになった』 http://anond.hatelabo.jp/20130916204854

2013-03-13

沈没船エントリあとがき

http://anond.hatelabo.jp/20130310152356

沈没船エントリを書いた増田です。

およそブログ向きではない冗長で読みにくい文章だったけれど、

元増田に便乗したお陰か、思ったより多くの方に読んで頂けたようでとても嬉しいです。

こんな付け足しを書くのは興ざめかもしれないけれど、

似たような境遇の人も多いようだし、

PGSE現場20歳から10年居続けてきた人間として、

もうちょっと具体的な事を「あとがき」として補足しても良いかな、

という気になりました。

(申し訳ないことに、この付け足しも長いです)

私の文章は、元増田

「上流エンジニアなんて死んじまえ」

http://anond.hatelabo.jp/20130309233920

ブクマトラバで言われている

「上流にも技術力はあるはず」

「下流だってダメな奴が多い」

という、上流下流のどちらが優秀かという議論が問題からやや外れているように思えたため書いたものです。

優秀な人がいても活躍できず、当たり前のような施策もうまく働かない、

そういう現場だという事を描写してみたかったわけです。

技術力のある人は、上流・下流を問わず

20~50人に1人の割合で点在しているのだと思います

(下流にいたほうが技術力の見せ場が多いため、

下流に優秀な人が多いように見える傾向はありそうです)

そして、その他の19人~49人は基本的に普通の人です。

20~50人に1人の人をあてにして仕事を進めるのは(現状のSIer周辺では)不可能なため、

19人~49人の普通の人が持つ価値観・思考・ペースで仕事を進める事になります

さて、システム開発ソフトウェアの基本構造を決める部分について、

どうしても一種の才能(パターン認識適用能力)が必要なのですが、

大勢普通の人の中に特殊な人が点在している状況だと、

才能のある人が適切に作業に割り当てられる可能性は低くなります

その結果、普通の人が納得しやすい下記のような方法が取られがちです。



こういった構造は、当時は場当たり的なつもりでも結局は規約化してしまい、

「動いているものは敢えて変えるな」「似たものコピペせよ」

「途中で何を思いついても設計書の通りに絶対作れよ」

といったSIerありがちな規約と相まって、未来永劫負の遺産として残ることが多いです。

そして、一旦ダメな土台が出来上がると、その上には基本的にダメものしか重ねられないため、

どんどんダメになっていき、最終的には手のつけられない沈没船になります

プログラムの基本構造ダメだと、どんな優秀な人であっても出来ることが限られます

当然リファクタリングすれば良いのですが、

リファクタリングお金を取るのはかなり難しいだろうし、

  • 何でお客様の稼働している大切なソフトにわざわざ手を入れるのか? リスクを取る意味が分からない。
  • 今まで俺たちが頑張って作り上げたものが結局ダメだったと言いたいのか? 金をもらって作った物なのに?


といった、普通の人による突っ込みには、現場での反論がなかなかしにくいです。

そして、リファクタリングもやはり才能のある人が中心になる必要があり、

普通の人がやっては結局問題の焼き直しにしかなりません。

ここまで書いてきたようなことが、

名高い大手SI下請け現場にいた5年間に見てきたことです。

現場の中に居たままそこを良くする方法は、結局思いつけませんでした。

仕事は基本的にエクセル方眼紙を読み書きする事で、

出世昇給の見込みも薄く、

これをこの先何年続けても無意味だな、と思い、転身することにしました。

行き先が黒船かどうかは分からないけれど、

割と自由にものが言える立場にしてもらえそうです。

黒船沈没について



黒船だって沈没する」という指摘は本当にその通りです。

黒船からこそ辛く厳しい現場もあると思います

ただ、黒船沈没するというのは、

正当な取るべきリスクを取った結果だと思うのです。

沈没船では最初から沈没寸前のため、リスクを負うことができないか、異常に増幅されます

運用リスクを負うことのできない(機能追加できない・構造改善できない)システムなど、

ただの負債しか無いと思うのです。

黒船は、取れるリスクの幅が大きいからこそ難しい航路を選べるし、

そこで失敗したとしても、それ自体が業界人類全体の資産になるのだと思います

現実沈没船沈没していません。

黒船は水平線のはるか向こうで、船長はそれらが見えないため気楽です。

ちゃんと沈没してくれれば、最終的にはまともな船しか残らないので助かるのですが、

まともさに関する競争が働きにくいところがあるらしく、

現実には沈没船でも(だからこそ)安泰なのです。

リスク満載のはずの沈没船を安泰とさせている事によるコストは、

最終的には企業全体・社会国家人類といったものが負っていると思われます

補足の補足、「普通の人」「才能のある人」について



普通の人というのは、

プログラミングについて特別な情熱を持たず、

会社で使う他は開発ツールに手も触れず、インストールもせず、

家に帰ってから基本的には勉強せず(資格仕事必要場合は別)、

仕事で決められた範囲のツール・技術・問題領域で満足できる人の事です。

これは不真面目とか怠慢とかそんなわけではありません。

極めて普通の真っ当かつ正常かつ健全社会人の行動です。

例えば、マクドナルド店員が、

自宅でもビーフパテを練ってハンバーガーの焼き色を研究したりレシピを何冊も書いたり、

毎日毎日ポテトハンバーガーキーワードにググったりブログを読んだり、

枕元には常に藤田田の著作を数冊積んでいて、本棚には完全なコレクションがあったり、

1日に5度は銀座1号店の方角へお祈りを捧げたりしたら、

やはり変だと思うのです。

「才能のある人」とは、そういう事をごく自然に、

それこそ食事や睡眠のように日々やっている人です。

さらに言えば、これはマクドナルド店員を例に出すと変に思えるのであって、

ギタリストピアニスト作家写真家デザイナーといった専門家であれば

自然でも何でもない最低限のたしなみです。

20人~50人に1人という割合も、それがプロギタリストであれば納得できる数字です。

本来そのぐらい特殊な専門領域を広く一般に開放してしまっているという問題が、

元増田の「システムエンジニアなんて免許制にしちまえよ」という言葉に繋がるのだと思います

他の専門家とのアナロジーで言えば、事務所制なども考えられるかもしれません。

2013-03-01

そもそもマクドナルドにはコーポレートガバナンスは働かない

http://anond.hatelabo.jp/20130301010727

まあもともと藤田田個人商店だったんだし、上場後も米マクドナルド以外にはモノ言える株主もいないし、

優良無借金企業ということは、裏を返せばメーンバンク不在、メーンバンクによる経営管理も働かなかった訳で。

そもそも一時期外食日本大手だった企業が、上場先に東証1部じゃなくナスダックを選んだ、という点自体がオカシイ

いろいろな規制煩い東証1部じゃなく、コーポレートガバナンスが緩くても上場できるナスダックを選んだ、というのが真相

そもそも、資金調達する必要のないマクドナルドが、上場すること自体必要なかった。

竹中サントリーみたいに非上場を貫けば、それはそれで筋が通っているのだが、

一説には藤田田相続対策で上場せざるを得なかったらしい。

2011-06-05

(※閲覧注意)マクドナルドチキンナゲットって

おいしいよね?俺も大好き。うまいし安いし。

でもあれって元は鳥なんだよな…?

全然想像つかないけど、どんな流れになってるんだろう?

そんな疑問がわいたので調べてみたよ-

(以下、閲覧注意)









そもそも一年間に何羽殺されるんだと思う??

答えは数十億羽。想像もつかない数字だ。

生まれて一日目のひな。かわいい

それを業者が養鶏場に届ける。かごにつめて、トラックに乗せて。

次に業者が来るのは1ヶ月後。回収の日だ。それまでがニワトリの命。

ほぼ一生を養鶏場で終えるわけ。

いかごの中で。

ギュウギュウにつめこまれて。

運動すらできず。

一生で空を見れるのは最初の日と最後の日だけ。

大地も草も風も知らずに死ぬ。

できるだけ早く、安くニワトリを太らせたいからエサには残骸が加えられる。

何の残骸かって?

処理から出る肉や骨の残骸だよ。

つまり、共食い。

なんて効率的!

ニワトリって飛べない。だから外敵が多い。

きつね、スカンク、犬…

もちろん人間

飛べない理由を知りたい?

胸がふくらみすぎじゃったからさ。

人間が大きな個体を掛け合わせて、効率的に肉の量を増やしたからなんだって

中には胸がふくらみすぎて歩けないニワトリもいるんだとか。

自分体重を支えられないから、脚が曲がっちゃって、むくむんだって

死ぬまで脚が痛いんだって

どうやって殺されるか知ってる?

カゴが工場につくと、ベルトコンベアーで運ばれるんだ。

作業員が足をつかんで逆さにして鎖で足を吊るして。

お次は電気風呂。気絶させるのさ。

そして鋭い回転刃によって喉をかききる。ほぼ全てが死ぬ。

もし電気風呂で気絶しなかったニワトリがいたら、地獄のような仕打ちだろうね。

喉をかききられたあとはまた熱湯。ここで羽が取り除かれる。

…というのはまだマシなコースで

1日にニワトリが大量に届く日もあるらしいんだ。

そんな日は作業員も鎖にくくりつけるまで手が回んなくて…

ニワトリを壁にぶん投げる。踏みつける。

そうして気絶させる。

だって、手が回んないんだもの」

こうして出来上がったチキンナゲットが最寄りのマクドナルドに届くって仕組みさ。

…ってのは全部アメリカマクドナルドの話。

日本じゃどうかは知んないよ

ちょっとはマシなのかもしんない。

ユッケ以来、安すぎるものを疑っている。

たまたまマクドナルドを取り上げたけど、

ロッテリアモスバーガーファミマ和民も安くておいしいよね。

でもその裏側は…?

ハッピーセットだの、憧れの外食産業だの、藤田田物語だのでマクドナルド魔法にかかってたけど、

一回冷静になって考えてみてもいいかも。

参考文献:おいしいハンバーガーのこわい話

図書館でも良いから、ぜひ。

あわせて読みたい:ファストフード世界を食いつくす

2009-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20090512232224

サイキックラバーとかangelaとか。

笑うなよ。

あれでもオリコントップテン入りしてる。

子供の頃味わったものがお袋の味になるという藤田田味噌汁理論からすればあながちありえない話じゃない。

サイキックラバーとかangelaとか聞いて育った世代が音楽の購買層になるのは2010年以降だとは思うが。

 
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