はてなキーワード: 生物とは
教育でなんとかなるとマッチョ教育を強力にされているから差別的な発言するぞ
すべての事業主はMBA取ればいいじゃん、肉体労働者は高等教育受ければいいじゃん、
将来に備えることができない職に就くのは無責任・努力不足って言ってくるな
あとAIって言っても人間の手が入っていて、通貨の弱い国で、立場の弱い労働者が、
2〜3ドルでメンタルに深刻なダメージを受けるレベルお仕事をしてくれてるから、
ヘイトを除去することが出来ている
こう言った類いの搾取や格差もChatGPTは正当化する(生活を豊かにするチャンスをあげてるみたいな)
それから、エリート様は賢さというものにどうも固執しているようでそれも面白い
ChatGPTにドキュメント読んでもらったり、ぱぱっと適当に書いて貰ったりしてるけど、
与太話を投げかけてChatGPTの回答から透けるものをみる方が楽しい
・各タンクの放射性核種含有量に関する重要なデータがないこと、放射性核種を除去するために使用される高度液体処理システム、そして汚染された廃水の放出に際して、"希釈が汚染の解決策 "という仮定を懸念。
・東京電力と日本政府が提供したデータは不十分であり、場合によっては不正確である。
・サンプリングプロトコル、統計デザイン、サンプル分析、仮定に欠陥があり、その結果、安全性の結論に欠陥が生じ、処分の代替手段をより徹底的に評価することができなくなる。
・放射性廃棄物を安全に封じ込め、貯蔵し、処分するという問題に対処するためのあらゆるアプローチが十分に検討されておらず、海洋投棄の代替案は、より詳細かつ広範な科学的厳密性をもって検討されるべきである。
・私たちは日本政府に対し、前例のない放射能汚染水の太平洋への放出を中止し、海洋生物、人間の健康、そして生態学的・経済的・文化的に貴重な海洋資源に依存する地域社会を守るための他のアプローチを、より広い科学界と協力して追求するよう強く求める。
数年前に腫瘍と一緒に生殖器官の一部を摘出したので、生物としての性の役割が全うできないことが確定した。
元々あんまり『らしく』なかったから、生殖器官がなくなったことによりやや開放感を感じてたりする。
で、
昨今の流れで『自認』って書かれてて、
……自認、なぁ。
自認って、どうなんだろう?
自分の性嗜好に因って決めるんだろうか?
男性が好きなら『女』
女性が好きなら『男』
みたいな。
でも恋愛にもセックスにも子を得ることにも興味がないから、そしたら別に性自認なんかどっちでもいいんじゃないかって気がしてきてる。
思考においても『らしさ』がないというか、男脳女脳テストでは真ん中よりちょっと異性寄りだった。だからあんまり自分で自分の性を言いたくない感じはある。性別として違和感がある訳でなく、枠として一歩はみ出てる自覚があるから。
まぁ生殖器官なくなったとはいえ、肉体による性の違いはそのままなんでトイレも風呂も更衣室もちゃんと肉体性に合わせるけども。
正しくはうまかた(馬で荷物運ぶ仕事してる人)と、やまんばって感じ
荷物(魚)を放り投げる→馬の脚を1本ずつ放り投げるって感じでやまんばへの生贄にして逃げようとするけど
最終的に逃げ切れずにウマを捨てて、池のそばの木にのぼってかくれる。
・・・普通の絵本ならそこでやまんばがおぼれ死んでおわりなんだけどこの絵本はそうじゃない。
そのあとうまかたがやまをあるいてるとあばらやがあった
うまかたは梁の上に隠れた・・・
ここからおもろい&おいしそうなうまかたのリベンジターン!!!
ここで出てくるあまざけとおもちがめっちゃうまそうだったんだよなあ・・・
結構おわりはぐろいんだけどおいしそうな感じと単純な1段オチじゃなかったから割とよく読み聞かせしてもらっていた記憶がある
似たような絵本でカガカガってのもあった
牛は肉食でしょ。反芻胃のなかの生物を食ってる。
これは差別をしなくても起こる
ちょっと調べたら「部族主義」とか「内集団・外集団バイアス」とか「微分化」が出てきた
性別とか、肌の色とか、他の要素に比べたら実は小さい要素なはずなのに
それが頭の中で一番になっちゃうことってあるよな
むしろ小さくなればなるほど、それに拘ってしまった時には盲目的になって絶望してしまう現象があると思う
例えばLGBT界隈も、より細分化されたことでわずかな違いが許せなくなってしまっている
りゅうちぇるなんて、興味ない自分からみたら「ああ、なんかそういう人ね」だし
カミングアウトしても、離婚しても「まあそういうこともあるだろ」でしかないが
小さな違いにこだわりを持ってしまった界隈(部族)的には裏切りであり、逆鱗に触れたんだろうと思う
そもそも本人がそういう部族的思想・微分化に拘ってしまっていたわけだし
この問題、観察してみると傾向が見えてくる
・それ以外の要素で一致しているほど、その小さな差は大きな影響力を持つ
・微分化つまり差別的意識は、周りよりも本人の方が気にしていることも多い
つまり「家族・部族」と「部外者」を分けて、身内を贔屓にする遺伝子が生き残ってきたわけだから
りゅうちぇるの件で言えば、ニッチな部族として振る舞った後で「実は私はこの部族ではないかも」となったから
本人も周囲も重たく受け止めるしかなくなっただろうし、それはもうストレスだったろうと思う
そう考えると、LGBTなどの「カテゴリ化」「名付け」というのは非常に逆効果に思える
グルーピングなんてできない、本来個々人で違うものを無理やし「君たちは同じ部族です」とされたら
多様性やダイバーシティってほんとは「全員が違うんだから受け入れていこう」ってすればいいのに、
今は「部族を分けて全ての部族を用意するべき」とかいう逆効果にしかならないことをやっていると思う
ほんとアホだよね
LGBTQA+は既存宗教の影響の強いコミュニティーでマイノリティが攻撃を受けないための説明文、
『LGBTQA+』という生物がいるわけでも、『男』『女』という生物がいるわけでもない
日本は、同性を愛するのも、女装するのも、男装するのも、神の許可は要らないし、
キミの生きづらさはそこに原因は無いです
昔よりちょっと増えたのか
うちの学科は生物系だけど、女性比率は昔より下がっているのが現状だな
全体で言えばそうでもないのか
そのFラン工学部よりマーチ文系を選ぶのが当然、とする社会が本来は暴論で、というのは大学は学びの場だからね
日本は大学を就職予備校と認識してる人が多くて、その認識で進路指導をする親や先生が多いから、興味より就職を選ぶわけさ
就職というのは大企業への就職のしやすさという意味であって、やりたい職種という意味ではないぞ
工学が好きなら物理苦手でも工学の技術職に就けばいいじゃん、が当たり前の世の方が誰も息苦しさを感じないんだけど、現実はそうじゃないところに問題があるよな、という話なんだよ
薬学部の割合はこの中にないが最新のものだと50%が女性というデータが多かったからそう考えると今は薬学部も女性が極端に多い学部とは言えないと思う
https://rikejocafe.jp/blog/775
それにFラン工学部とマーチ文系に行けるならみんな就職考えてマーチ選ぶだろ
男でも共通だこれは
物理が得意かどうかとそれが好きかどうかは全く別なんだよ
Fランにも工学部あるしな
たまに多い年は半々くらいに迫ることもあるが
工学部が薬学部以上の安定したキャリアパスを提供できるなら女は工学部にいくぞ
女が機械よりも食品や医療が好き、って傾向は確かにあるけど、学問的内容として女がそこまで機械や電子を嫌がる理由もないはずなんだよな
わかるわかる
かつての日本は戦時下で皇民化政策をしいて、朝鮮人も天皇陛下の臣民として日本人と平等に扱おう、としたんだよね
だから日本名を与え、日本語を教え、日本人の文化を授けようとした
しかしこれは朝鮮人の立場からすると、朝鮮人のアイデンティティを取り上げられる行為に等しかった
「なんで日本人と同様に扱ってるのに怒るの?」と当時の日本人には理解できなかったのだが、それは当然で、朝鮮人は朝鮮人のまま尊重しなければならなかったのに、それができていなかったのだ
工学部女子の話も同じで、女だから甘えさせろとか優遇しろとか特別待遇を与えろ、と言っているわけでもなく、女も男と同じように扱え、でもなく、女を女として扱え、というだけの話なんだよな
女を女として扱うというのは性的対象として扱えという意味ではなく、別の生き物として尊重し、その生物が快適に暮らせるような配慮をしろ、というだけの話
概念とか理論とか社会って人間独自のものだから、人間独自の環境の基準だよ
生物学的に正しいとかみたいなのは関係ないし、そもそも生物に正しさなんてものがあるのか不明
地面をタールで固める生物とか鉄を芯にして石を天まで積んで住処にする生物とか火をつけてお湯を沸かして電気をつくってる生物なんかも他にいないからね
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。