はてなキーワード: 生体認証とは
これが最も大きい。
そんなときにその人が決裁したことが証明できないと困る書類が出てきても、他人がその人の引き出しをそっと開けて代わりにハンコを押せば問題ない。
便利すぎる。
この時点で サイン 免許証 生体認証 といった『本人にしか本人証明ができない』極めて非効率的なシステム』対抗馬としての価値すらなくなる。1000馬身差のコースアウトだ。
ハンコのように他人が本人証明できるものとして、パスワード 合言葉 がある。
これは確かに前もって内容を知っていれば他人が本人であることを証明することが出来るが、それらは『他人がなりすましている可能性がある』と判断されてしまうことがあるので駄目だ。
よくある名前であればたとえばダイソーで大量に購入してくれば、ほとんど同じで見分けがつかないハンコがいくらでも用意できる。
それをつかうことで何が出来るか?
たとえば、東京に居ながら大阪と博多で本人が決済しないといけない書類に対して『他の人が当人』としてハンコを押すことが出来る。
だが、ICチップや鍵でも似たようなことは出来る。
しかし、決裁の証明にICチップなんて使ったりはしないのだから、結局はハンコこそが唯一絶対的に正しいアイテムということになる。
なぜハンコはこんなに強いのか?
長い歴史の中で培われたハンコ文化への信用の高さ、これによってハンコは絶対的地位を確立している。
なぜハンコが絶対的地位を確立したかと言うと、ハンコが素晴らしいからだ。
それ故にハンコには長い歴史が有り、このことでハンコは絶対的地位を確立している。
それもこれもハンコがとても素晴らしく歴史的な価値がある文化であり、歴史的な価値が信用を産んでいるから長く歴史に残り、とても信用性が高いのだ。
すまない。
もしそんな人がいるなら、もう一度これを読み直して欲しい。
二年ほど前、警視庁の某署に逮捕されたときの話。罪名は個人特定の可能性があるので書きません。
金曜日の朝7:30くらいに、出社のため家を出ようとしたところ、出口で話しかけられる。
相手:××さんですね。 私 :はい。 相手:いまからよろしいですか。 私 :へ?今から出社するので後日でよろしいですか。 相手:××さん逮捕状出てんだよ! 私 :えええええ・・・・(しらんがな)。 相手:今のうちに連絡はしてもいいです。どうやっても今日は帰れないから。 私 :(激しく動揺しながら会社に連絡)休みます。 相手:あなたは××さんですね、逮捕状が出ています。家宅捜索するので、同行してください。
容疑を伝えられ、家宅捜索される。ケータイ、PC、記録メディア、移動系のICカード、領収書を根こそぎ証拠として取り押さえられる。
警察:あなたを逮捕し、某署まで連行します。逮捕状はこれ。手錠は車に乗ってからでもいいでしょう。車に乗ってください。
逮捕される。この時権利系は一通り宣言され、逮捕状も読み上げられる。車の中では拘束はそれほどきつくないが、今後の不安で胸がいっぱいになる。某署に到着。警察官が大人数でお出迎え。すぐに取り調べが行われる。この時も権利系が宣言される。取り調べの最中、当番弁護士に相談できることを言われ、すぐに依頼する。
容疑については一部否認したが、この一部が犯罪成立のキモになる部分だったようで、否認として取り扱われる(ということを後から当番弁護士に聞いた)。昼食は粗末なパンと粗末なおかず。とてもじゃないがのどを通らない。取り調べは続いたが、夕方になると「指紋」と「DNA」を採取され、留置所に行くこととなった。明日、検察官の取り調べがあり、裁判所に対して拘留を請求するかの判断を行うとのこと。拘留請求が行われないこともあるようだが、あとから知ったことによると「否認」で拘留請求されないことはほぼ無いようだ。
当番弁護士への面会が可能となったので、面会を行う。話してみると非常に頭がいい人物である。そのまま私選弁護人になってくれることを依頼したところ、快く引き受けてくれ拘留阻止のために動いてくれるとのことだった。拘留とは「逮捕後に認められた最大72時間の取り調べ時間」を最大13~23日まで延長すること。拘留請求が行われないか、裁判所に却下されれば3日で一旦出られるか、拘留請求が求められれば13日から23日まで拘束されるとのことで、社会復帰できるかできないかは、拘留されるかされないか次第であることが容易に想像できた。拘留の阻止には2つポイントがあり、1つは検察に対して拘留請求を行わないように働きかけること。もう一つは裁判官に対して、拘留を認めないよう働きかけることのようだ。ここで重要となるのが、社会的信用と身元引受人である。身元引受人からの拘留に対する意見書は非常に大きな意味を持つようであった。身元引受人になるような人を弁護士に聞かれ、電話番号を答えたが、正直なところケータイ全盛の今、電話番号なんて覚えていない人がほとんどじゃないだろうか。この日は残念ながら弁護士に伝えた電話番号では身元引受人と連絡が取れなかった。連絡が取れようがとれまいが、翌日の検察取り調べについては、弁護士が意見してくれるとのことだった。この後、留置所に入れられた。日本人2名と外国人1名との同室であった。取り急ぎ、同室の人にいろいろルールを教えてもらう。翌日の検察送致の辛さを脅されながら、その日は寝る。
翌日土曜日、検察に護送車で送致される。護送車は内側の人間と外側の人間が、決まった手順で操作しないと扉があかない仕組みのようであった。容疑者群もシートベルトを着けるように指示されるのだが、超絶ゆるゆるなシートベルトで、意味をなしていない。道路交通法の条文だけを守っており、容疑者群を守っているのではなさそうだった。基本的に警察官はシートベルトしない(これが道路交通法上正しいのかは不明)。鉄線入りのガラスでおおわれているように見えて、実は鉄線が入っていないガラスも一部にあるように見受けられた。護送担当の警察官は、決まったことを決まった手順で遂行することが任務のようであった。容疑者群の手錠にひもを通し、両端を警察官に括り付けることで、脱走を防いでいる。合理的な方法だ。護送担当の警察官は異常に大きな声で号令する。のどは大丈夫なんだろうか。
東京地方検察に連れてこられた容疑者群は狭い部屋にてひたすら検察官の呼び出しを待つ。この間まったくしゃべれないので、非常に苦痛であった。また、検察の椅子は座り心地なんてまったく考えられておらず、尻が非常に痛いのだった。合計6時間はすることがなく、尻もいたいというなかなかの体験であった。
・月~金は専門家の検察官が取り調べを行うが、土日は当番検察官が取り調べるので、拘留請求判断については土日のほうが厳しいようだ(拘留請求しないのが例外なので、専門外の分野で拘留請求しないのは検察官にとってリスクがある)。 ・検察官の感触は非常に悪かったようだ。なぜなら、否認しているのと、容疑がかかっている犯罪について検察官自体の印象が悪いから。 ・身元引受人との連絡は取れていないようだ。
つまり、拘留請求されない可能性は低いようだ。明日、裁判官が判断するので、そちらに期待したほうがよさそうであった。
検察官は非常にクレバーであり、取り調べは取りつく島がない感じであった。案の定拘留請求は行われた。このまま警察署に護送されたのだが、土曜日なので渋滞がひどく、護送車が遅れに遅れ、非常に疲れた。
翌日日曜日、裁判所に護送車で送致される。裁判所では検察よりはましな椅子、検察よりは圧迫感のない部屋にて待機する。
・身元引受人との連絡は取れた。 ・裁判官の感触は悪くなかったようだ。身元引受人の書いてくれた意見書が効いているようだ。
裁判官はしっかり判断してくれて、拘留までは不要と言ってくれた。後で調べると、最近の傾向として拘留請求の棄却例は東京で多くなっているらしい。その後警察まで護送され、警察官と今後の取り調べについて話し合った上で釈放された。まあ、警察官は押収した証拠について声を荒らげていろいろ追求してきたが、「否認している部分についての直接証拠」は存在しなかったようだ。
その後、いろいろあって不起訴となった。弁護士が有能だった、裁判官がまともだった、警察官の事情聴取で作文されなかった等、非常に運が良かったと思う。とりあえず、いろいろわかったことは以下の通りだが、証拠隠滅とみなされるかどうかは知らない。
・PCのHDDは暗号化しておき、生体認証は使用しないほうが良い。パスワードは黙秘権の対象。 ・秘密を守りたいならiPhoneが良い。生体認証は使用しない。Andoroidはどうにもならん。 ・面倒なようだが、SUICA定期は期限切れたら交換したほうが良い。 ・不要な領収書は捨てること。 ・SNSの履歴は定期的に消すこと。 ・弁護士は必須。どうにかして、有能な弁護士を知っておくとよい。 ・身内の電話番号は覚えとけ。
眠れない夜キミのせいだよ~
はじめての生体認証!
つい先日近郊の銀行で口座を開設したのよ。
張り切って行った
生体認証したときは暗証番号いらないのね!とビビってしまったわ。
暗証番号無しで引き出せるって、
ヤバくない?危なくない?大丈夫なのかしら?って思うわ。
もうさ、
いつまで人類は
信号の画像をクリックしたりしなきゃいけないのよ!と面倒くさいなぁと思ってたら、
あの暗証番号入れてないのに開けちゃったんですけど!って言いそうになったわ。
これちゃんと動いてるのかしら?って思うし。
指をスキャンしたら
黒い画面に無駄にデカデカと緑色のワイヤーフレームで表示されくるくる回る指先のイメージが出てきて、
赤い丸がぽわんぽわんと点滅表示されて、
リアルタイムにコンピューターが考えて認証してるんだな感を表現している、
そんなの現実の生体認証での画面では一度も見たことないわ!ってぐらい
映画を見てる人に分かりやすいぐらい大袈裟な大風呂敷演出の生体認証システムな画面だったら
フォント大きいし
インターフェイスの作りもなんか大きいし、
全てのスケールがなんか大きいのよね。
そんなの今時Windowsでもないわよ!って思っちゃうぐらい。
チャンチャン。
なんか今日はお店の品揃えが冴えない感じね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
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提言としては悪くはねんじゃね?
当然みんな知ってて前から言ってたって人も多いワケだが、それだけ可能性や興味はあるって話だろ。
https://macaro-ni.jp/6064?page=2
https://matome.naver.jp/odai/2138189755689271201
「アレが悪い」「コレが悪い」じゃなく「こうしたらどうだろう」ってのは大事だよ。
仮想通貨を国民背番号とヒモ付けて、スマホ(役所で官製端末を支給してもいい)で電子決済とかもおもしろいな。
生体認証なんかも上手い事使って、住む場所と食いモンくらいならイイ線いくんじゃねーかと思う。尤も、そうなるとほぼ共産主義や社会主義だけどなw
役所やコンビニに本人確認と通貨配布のできる端末を置くとしたら、どこの業者とどこの省庁とどこの企業が――、みたいの。
現場SEが営業と企画に翻弄されてデスマーチ(https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/29495.html)ってのは国営じゃ起こらないが、力学としては同じ働きが掛かるんで延々と予算や時間だけが投入されてその間に技術や世相は変わり、結局なに一つ役に立たねーってワケさw
俺はもうそういうクソに擦り切れさせられてボランティアするのは二度とごめんだから、口しか出さない。増田もITギョーカイも役所も同じ病を抱え始めてる。
今回の金曜ロードSHOWでも23時23分に盛大に祭りに参加した。
それにしてもだ。
ラピュタを破壊してしまうというとんでもない命令が、わずか3音節というのはどういうことだ。
「困ったときのおまじない」は、うろ覚えになって永久に困難から立ち直れないかもしれない
ほど長いというのに。
しかも「バルス」なんてくしゃみした時などについつい言ってしまいかねない。
そこで、安全性の観点から国王とその後見人2名以上が同時に呪文を唱えることを要することとし、
最終破壊起動時には「本当に破壊しますか? Y/N」というプロンプトを出すべき。
たった3音節で最終局面までズドーンと行っちゃうなんて設計が甘いんだよ。ヒューマンエラーを
その上で「ラピュタの最終破壊モードが実行されました。あと600秒でコアが破壊されます」と
放送を流し、避難を促す機能も実装しておかないと後で検収しないとか無茶なクレームがきっとくる。
また、予算の問題はあるが、完全なる複製である「影のラピュタ」を作成しておき、来るべき
再興の時を待つこともできますというのも事前に提案しておきたい。月次でバックアップを
取っておくのも必須。
この辺の運用契約をとってくればラピュタが空を飛んでる限り売上を計上できるぞ。
かなり話が逸れてしまったが、あれだけ機械工学に長けたラピュタの人々が、どうして最終破壊命令を
たった3音節にしてしまったのか、それが謎なのだ。ていうかパヤオの異常なまでのメカの作り込み方に
比べて、どうして滅びの言葉は手を抜いたのか。
まあ絵コンテに書いた仮セリフがそのまま本番に使われたとかそんなとろこか。
追記)
なるほど「生体認証(王家の血)とハードウェアトークン(飛行石)とパスワード(バルス)による多要素認証」か。
自分で書いてて気づかなかったが、この程度のことは既に誰かが考察してるんだな。
港にはセルリアンの暴走を止められる装置があったが、それは「ヒト」にしか動かせない生体認証があるため、「ヒトのフレンズ」であるかばんちゃんには動かせなかった。
そこにセルリアンが襲ってきてサーバルちゃんが食べられてしまい、サンドスターのエネルギーを失ったサーバルちゃんは動物のサーバルキャットに戻ってしまう。
それを見たかばんちゃんは、サーバルちゃんを襲ったセルリアンにわざと食べられることで「ヒトのフレンズ」から「ヒト」に戻り、島中のセルリアンの暴走を止めることに成功する。
しかしヒトに戻ったかばんちゃんには、もはやフレンズたちの喋っている言葉は理解できなくなっていた。
それでも島の危機を救えたことに満足したかばんちゃんは、一人船で島を後にしようとするが、動物に戻ってもかばんちゃんのことを覚えていたサーバルちゃんが船に乗ってきて、どうしても離れようとしない。
こうして一人と一匹は、一緒に島を出港していくのだった。
書かれていない。
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
忘れていないと思う。
以下、簡単に異論を述べておこう。
まず最初に、すでにはてなブックマークのコメントなどでかるく指摘している人もいるようだが、実はこの小説のエンディング近くの箇所(以下、「エピローグ」と記す)では「全人類の意識がハーモニクスされた」とははっきり記されていない。
そう読むことも可能だが、べつの読み方をすることもできるのだ。
おそらく、上記の文章の書き手が「全人類の意識がハーモニクスされたように書かれている」と考えたのは、結末間近の以下の箇所から推測したからだろう。
これが全世界数十億人の「わたし」が消滅した日。
「人類の意識最後の日」ということは、この日を境に全人類が意識を喪失したはずだ。おかしいじゃないか、矛盾しているじゃないか、破綻しているじゃないか、こんなものを崇めるSFファンなんてろくなものじゃねえ、と考えることはわからなくはない。
しかし、ここでは「人類」とは書かれていても「全人類」とは書かれていない。したがって、この「人類」という表現には解釈の余地がある。ここで書かれている「人類」は「一部の人類」のことなのでは?
いや、何も言葉遊びをしようというわけではない。ほんとうにそう読む余地が残されていると思うのだ。というのも、このエピローグでは、かなり慎重な書き分けがされていると考えるからだ。たとえば、この箇所。
トァンが下山して間もなく、老人たちは意識の消滅、社会と構成員の完全な一致を決断した。権限を持つ老人たちそれぞれの部屋で、端末にコ ードと生体認証が入力される。瞬間、その調和せよという歌を天使たちは携えて、WatchMeをインストールしている人々の許へ、あまねく世界へ、その羽を広げていった。天使の羽が人々の脳をひと触れすると、もうそこに意識や意志はなかった 。
ここでははっきり「WatchMeをインストールしている人々」と書かれている。また、以下の箇所。
皆それぞれが思い出したかのように社会システムに戻っていった。WatchMeをインストールしていた世界数十億人の人間は、動物であることを完全にやめた。
ここでも「WatchMeをインストールされた世界数十億の人々」と限定的な表現が使われている。これらを読む限り、作者は「ハーモニー・プログラム」の効果がWatchMe使用者に限定的であることを自覚しているように思われる。
そう考えることのほうが、作者が突然健忘症にかかって自分の書いた設定を忘れてしまったと考えるよりも常識的ではないだろうか。
しかし、このエピローグでは再度「人類」という表現が出て来るところがある。
今からは推測することも難しいが、かつて「わたし」や「意識」「意思」が選択において重要な役割を果たすと信じられていた時代は決して短くなかったのだ。システムに完全に準拠した現在の人類にとって、旧人類がヒーローや神と呼んでいたようなアイコンはまったく不必要だが、それを知っておくことも無駄ではない。
完全な何かに人類が触れることができるとしたら。
おそらく、「進化」というその場しのぎの集積から出発した継ぎ接ぎの脊椎動物としては、これこそが望みうる最高に天国に近い状態なのだろう。社会と事故が完全に一致した存在への階梯を登ることが。
といった箇所、そして、ラストの、
とても、
とても。
という結びのことである。これらの「人類」をも、「一部の人類」のことだと強弁することができるだろうか。
実はできると思う。というのも、二番目に引用した個所でさりげなく「現在の人類」と「旧人類」が分けられているからだ。
ここから、これら一連の引用個所で書かれている「人類」とは「現在の人類」だけを指し、「旧人類」とその子孫を廃した言葉であると推測できる。
「現在の人類」とは、当然、ハーモニー・プログラムによって変容した人類のことを指しているから、つまり、エピローグで書かれている「人類」はすべてハーモニー・プログラムを受けて変わった人類「のみ」を指していると考えることができるだろう。
ようするに、そのプログラムによって一段階「存在への階梯を昇」った人物にとって、もはやそうでない存在は人類として認識されていないと考えられるということなのだ。
これは、エピローグの書き手がプログラムを受けて「進化」した人類のひとりであるらしいことを考えればさほど無茶な想像ではないと思う。
つまり、エピローグにおいてもなお、広い意味での人類すべてがハーモニー化したわけではないかもしれないということである。
そう考えれば、この結末に特に大きな矛盾はないし、破綻しているわけでもないということができる。
老人たちがそれぞれのコードを入力し、ハーモニー・プログラムが歌い出した瞬間、人類社会から自殺は消滅した。ほぼすべての争いが消滅した。個はもはや単位ではなかった。社会システムこそが単位だった。システムが即ち人間であること、それに苦しみ続けてきた社会は、真の意味で自我や自意識、自己を消し去ることによって、はじめて幸福な完全一致に達した。
「ほぼ」すべての争い、と記されていることに注目してほしい。
これを読みかえると、「(人類社会から)完全に争いがなくなったわけではない」というふうに読める。
それでは、いったいなぜ争いが残っているのだろう? ハーモニー化して「たましい」を失った人類に争いの種があるわけがない。考えられる結論は、ひとつだ。
少なくともこの時点では「人類の外部」との戦いがまだ残っていたのだ。その「外部」とは何か? それはまだWatchMeをインストールされていない子供たちかもしれないし、WatchMeが普及していない地方の住人かもしれない。真実はわからない。
いずれにしろ、ハーモニー・プログラムがエピローグの時点で完全無欠でないこと、そしてどうやら作者がそのことを意識していたことはこの箇所を読めばはっきりしていると思う。
あるいは作者は、さらなる続編を意識していたのかもしれないが、いまとなってはすべての可能性は失われてしまった。しかし、
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
この作品を日本SFのオールタイム・ベストに挙げることが正しいかどうか、その成否はぼくが決めることではないが、少なくとも作者が自分の作品の設定を忘れているに違いないというのは、端的に正しくないと考える。
ぼくとしては最低でも上記に引用した箇所はみな作者の計算の範疇であると読むほうがよほど常識的だと信じる。
裸の王様なんていなかったのだ。
そう思いませんか。