2020-04-17

ハンコじゃなきゃ駄目な理由

他人でも本人証明ができる

これが最も大きい。

たとえば、職場の誰かがコロナで休んでいたとしよう。

そんなときにその人が決裁したこと証明できないと困る書類が出てきても、他人がその人の引き出しをそっと開けて代わりにハンコを押せば問題ない。

電話をする必要すらないのだ。

便利すぎる。

この時点で サイン 免許証 生体認証 といった『本人にしか本人証明ができない』極めて非効率的システム』対抗馬としての価値すらなくなる。1000馬身差のコースアウトだ。

本人証明能力が高い

ハンコのように他人が本人証明できるものとして、パスワード 合言葉 がある。

これは確かに前もって内容を知っていれば他人が本人であることを証明することが出来るが、それらは『他人なりすましている可能性がある』と判断されてしまうことがあるので駄目だ。

本人証明能力が低い時点でゴミだ。論外である

複数用意できる

よくある名前であればたとえばダイソーで大量に購入してくれば、ほとんど同じで見分けがつかないハンコがいくらでも用意できる。

それをつかうことで何が出来るか?

分身の術』である

たとえば、東京に居ながら大阪博多で本人が決済しないといけない書類に対して『他の人が当人』としてハンコを押すことが出来る。

だが、ICチップや鍵でも似たようなことは出来る。

しかし、決裁の証明ICチップなんて使ったりはしないのだから、結局はハンコこそが唯一絶対的に正しいアイテムということになる。

歴史がある

なぜハンコはこんなに強いのか?

それはハンコに歴史があるからだ。

長い歴史の中で培われたハンコ文化への信用の高さ、これによってハンコは絶対的地位確立している。

なぜハンコが絶対的地位確立たかと言うと、ハンコが素晴らしいからだ。

それ故にハンコには長い歴史が有り、このことでハンコは絶対的地位確立している。

それもこれもハンコがとても素晴らしく歴史的な価値がある文化であり、歴史的な価値が信用を産んでいるから長く歴史に残り、とても信用性が高いのだ。


これでもまだハンコを否定しますか?

すまない。

もしそんな人がいるなら、もう一度これを読み直して欲しい。

そして理解できるまで読み返し続け、理解できるまで他のことは一切やらないで欲しい。

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