はてなキーワード: 植物とは
「じゃあなんで牛やブタはとさつのときに逃げるんだよw 」が(種が出来る前に)植物を捕食することは植物が許容しており、家畜は捕食されることを許容していないとみなせることの理由になると思ってる人がホンマモンなの?
種を喰わせてうんちさせるためにじっと待ってる、
このロジックが成り立つなら、動物だって自分を喰わせる→うんち→植物が育つ→草食動物が食べる→肉食動物が食べる
だからリターンをくれてるわけ(栄養とか酸素とかマイナスイオンとか)
動物は逃げ出すよな
エビが楽しそうに川やら海を泳いでいたのに勝手にさらわれて揚げられて、
と考えると食えなくなった
🥕🥗🍆 追記 🥕🥗🍆
ヴィーガンに対して、
そんな人には、
種を喰わせてうんちさせるためにじっと待ってる、
っていうと、
ポカーンとして納得したような顔することが多い
・「各論」にこだわる → 種子があるのは果物だけ(?)うんぬん
・「部分抽出」して否定 → エビは狭い場所に住むから幸せじゃないぞ
・「ヴィーガンにどう思われてるか」が気になる
スルーすればいいのに、ヴィーガンに批判されてると勘違いして反論をむりやり探してしまう
というのが99%のケースかと思います
こっちは肉食者スルーしてるんだし
ひょっとしたらそういう人ほど罪の意識が強くて、批判されるのに耐えられないのかもしれない
罪の意識ゼロだったら「動物ころして肉くうの当たり前じゃんアホか」で終わりますからねw
🥕🥗🍆 追記2 🥕🥗🍆
グダグダ噛みつかないでいいからヴィーガンのことは気にせず臭いうんちしてればいいと思うよ
ファーストブクマで注目エントリに入れて「晒そう」と考えたやつがいるはずだ
そいつがいなければあなたがた肉食者の目に入らず気分を害すこともなかっただろう
こいつだな
Lagenaria そんな事言われたらフォレスト・ガンプが観られなくなるだろ
2021/07/04 00:26
これは良いな
5000万人が肉を食べることをやめれば恩恵は計り知れない
経済的メリットを優先することで、結果的に環境・動物保護になるのが代替肉ビジネスのよいところ
第3回中国国際輸入博覧会で出品されたビーガンナゲット(2020年11月7日撮影、資料写真)。
【東方新報】中国で「植物肉」といわれる代替肉が広まりつつある。有名料理店やファストフード、コンビニなどで次々と新メニューが登場している。
中国では仏教や道教の影響で、古くから「素食」という文化がある。肉や魚、卵、乳製品のほか、にんにく、ねぎ、玉ねぎ、らっきょう、ニラの「五葷(ごくん)」を食べない中華式ベジタリアンだ。近年は健康志向や環境保護、動物愛護の観点から素食家が増え、5000万人に上るという推計もある。
植物肉は大豆やエンドウ豆などから植物性タンパク質を抽出し、それを原料として加工して動物性肉製品に似た味と食感を再現したもの。中国では国内メーカーの斎善食品、鴻昶食品、米国のビヨンド・ミート(Beyond Meat)などが知られ、近年は「星期零(Starfield)」「植愛生活」「珍肉(ZhenMeat)」などのスタートアップ企業も誕生。植物肉事業に参入している企業は5000社を超える。
中国メディアによると、老舗ハムメーカー「金字火腿」は2019年から植物肉を使ったハンバーガーパティを販売。「星期零」は人気のティードリンクチェーン「奈雪の茶(NAYUKI)」との提携で植物肉バーガーを店舗で販売している。2020年にはスターバックス(Starbucks)がビヨンド・ミートと提携して植物肉のメニューを取り入れ、マクドナルドは植物性の朝食用ミート、ケンタッキーフライドチキン(KFC)は植物性のチキンナゲットを販売している。フランス系スーパー・カルフール(Carrefour)は植物肉のギョーザや春巻き、ファミリーマート(Family Mart)では電子レンジで調理できる植物肉のパニーニやパスタが店頭に並んでいる。
有名料理店でも植物肉のメニューが登場している。上海の老舗素食料理「松月楼」は植物肉を使った肉まんを販売。火鍋料理チェーン大手「海底撈(Haidilao)」は上海市の約30店舗で試験的にメニューに植物肉を取り入れており、植物性のスープの素も販売する予定だ。
2019年設立の新興企業「妙鮮」は、病院食に植物肉を取り入れるテスト事業を進めており、1000か所の医療機関とパートナーシップを結んでいる。2020年12月には中国食品科学技術学会が植物性肉製品の基本条件や包装、輸送、保管について規定を発表。ルールを整え、植物肉はさまざまな市場に広がりつつある。
植物肉は、都市部に住んで収入が高く、健康を重視し環境問題や動物保護の意識が高い人が好んでいるという。中国の植物肉市場は2019年に5年前の2倍にあたる70億元(約1193億円)に達し、中国のシンクタンクによると、2025年には中国の植物肉の市場規模は150億元(約2557億円)に達するという。
一方で、「植物肉は味が物足りない」「通常の肉より高い」という声が多く、大きなブームになっているとは言えないのが実情だ。
「植愛生活」の陳瑞栄(Chen Ruirong)CEOは「植物肉市場は味・食感の問題と、コストパフォーマンスの問題がある。本物の肉より高ければ、興味本位で食べても再び買う人は多くない。この2つの問題を解決してこそ植物肉が国内で普及するが、それにはまだ時間がかかる」と話す。「珍肉」の呂中茗(Lv Zhongming)CEOも「国内の植物肉市場はまだ初期段階にあり、消費者向け商品に発展させるには長い育成期間が必要である」と述べている。(c)東方新報/AFPBB News
私が女子校に通う高校生だった頃にクラスの端っこで漫画ばかり読んでたのがれいなちゃんだった
れいなちゃんはあんまり可愛くなくてちょっと体臭があって漫画の話をふると早口で話すのにこっちのふった話題には曖昧に笑うだけだからみんななんとなく触れずにいた
その頃の私は受験に合格した時のハイテンションが続いた躁状態で学級委員やったりバスケ部でしごかれたりで自分で言うのもなんだけど人望があった
まずれいなちゃんが読んでる漫画をブックオフで揃えて読んで、れいなちゃんの保健委員の仕事がある時に部活の途中で足首が痛いと言って保健室に行った
本当は痛くない私の足首に湿布と包帯を巻いてくれるれいなちゃんの頭は粉チーズのようなにおいがした
れいなちゃんに漫画の話をふると早口で何巻のどのシーンが最高という話を始めたので私も暗記したセリフを引用して合わせるとれいなちゃんは興奮して口の端に泡をつけながら嬉しい嬉しいと更に話し続けた
それかられいなちゃんと携帯のメールアドレスを交換し毎日夜にメールをするようになった
数週間でれいなちゃんは私に対し崇拝のような感情を持ち始めたが接点がほぼない校内で話しかけてくることはなかった
毎晩れいなちゃんのメールに返信するのは誰も持っていない変わった植物に水を与えるような感覚だった
学年が上がり別のクラスになったれいなちゃんはおかしくなりはじめた
寒い時期は黒いタイツを履いていい事になっていたが丈も買ったままの長いスカートの中にガーターベルトを履いているとれいなちゃんはメールで言った
プリーツは取れかけお尻部分の布がテカテカになったれいなちゃんのスカートを思い出した
途中の駅に面白いお店ができたから行こうと言われたので期末考査の最終日で部活がない日に私たちは初めて一緒に帰った
そのお店はドンキホーテの系列店で天井まであってもなくてもいいような安っぽい物が積み上げられていた
れいなちゃんはそこでサイドが紐の黒い下着とストラップになっている小さな電マを買った
下着に指定はないし電マもただのおもちゃなので何も言うべきではなかったのでその日は黄色いビニール袋を下げたれいなちゃんとホームで別れた
そのお店に行った日を境にれいなちゃんはどんどんおかしくなっていった
むっくりしていたれいなちゃんは妙にやせて眉毛を抜いて校則のラインぎりぎりのところで十代らしからぬ饐えたエロさの方向に走った
指定ブラウスの下に着ている紫レースの豹柄タンクトップが見えていたが頭は粉チーズのにおいがするままだった
夏休みの合宿で数日携帯電話を触れなかった間にれいなちゃんからのメールは途絶えた
れいなちゃんが学校に来なくなったのは進級ができなくなったのがきっかけだった
その理由も不登校でも校則違反でもなく提出物を出さずに幾つかの科目で評定が付かなかったからだった
それかられいなちゃんがどうなったかはあまり知らないが退学後に来た最後のメールでは縄師に弟子入りしてアゲハ蝶の入墨を鎖骨に入れてAVに出たらしい
本誌をリアタイで追っていた時から話に違和感を覚え始めた、サッポロビール工場編が本格始動する。
ビール工場編で一番特に何を成し遂げたわけでもやらかしてしまったわけでもないヴァシリが表紙。
2巻のレタラとアシリパツーショット表紙を思い出させる、幻想的な雰囲気を漂わせる良い表紙に思う。
肝心の中身については、当時覚えた違和感と加筆修正部分と最新話までの物語との整合性について感じたことを書く。
ころころ視点が変わるビール工場編にのっとり、自分の感想もしょっちゅう行ったり来たりする。
最新話まで読んでから改めて読むと、ビールの洪水とかのギャグがとても懐かしくあの頃には戻れないのか…と思った。
菊田とアシリパの問答が、菊田が死んだ今読んでまた違った気持ちになった。
アシリパの使命感の強さと、身近な人の死を極力減らしてやりたい菊田の違いがよくわかる。
ここの問答の完全上位互換が、教会での鶴見アシリパソフィアだと思うとやはり菊田は価値観が普通の人すぎる。
武器もなく縛られアチャを悪し様に言われまくり金塊はアイヌの持つものじゃないとルーツを持ち出して屁理屈を言われても折れなかったアシリパの心を、ソフィアの殺害未遂でようやく少し折ることができたと思うと…
土方勢に追い詰められて「どうしヨう」と焦るジャックザリッパーは、以前から本誌と単行本で全くキャラが異なる。
もうあまり覚えていないけれど、ヤンジャン連載のジャックはアシリパと対面するまでは、娼婦に対するコンバンハと鼻歌くらいしか喋っていなくて何を考えてるのかわからず不気味だったのが、
単行本では、子どものような片言日本語の独り言をしょっちゅう言い冷や汗も垂らしまくる。
なんでジャックはここまで本誌と単行本でキャラが違うんだろう。
この巻の宇佐美の屈強さは非常にいいと思う。パオパオ対決は引いたので、こういう暴力のやりあいを待っていた。
急に気づいたけど、だいぶ前の話で杉元と牛山がときめいた「植物を根っこからとろうと失敗したけど成功したら恋人が迎えに来てくれた(うろ覚え)」アイヌの言い伝えの男女のシルエットって、ウイルクとリラッテだったんだね。
ジャックの顎をヒットさせたアシリパのコマは、単行本で読むとなんか味気なかった。
本誌の時はもっと勢いがあり面白かったような気がしたんだけどな。あおり文が無いから勢い不足に感じたのかもしれない。
毒矢で殺そうとする自分に恐怖するアシリパを庇うように登場した杉元。
26巻の加筆でおそらく最初の加筆盛シーン。
「誰から生まれたかよりも 何のために生きるかだろうが」本誌の時から杉元ってこういうことを言うキャラだっけ?と思ったけど、ここからの加筆には驚いた。
杉元のバーサーカーシーンは今までたくさんあった(偽アイヌ村やら樺太逃走やら)けど
即死させる殺し方ではなく嬲り殺しにしてるシーンはなかったんじゃないだろうか。
これ見て冷や汗ひとつかかないアシリパも10代半ばにして強い。
尾形は流氷でアシリパに右目を射られたからこそ生き残ったんだなと思った。
尾形があそこでアシリパに右目射られずにいたら、多分杉元からジャックに対する攻撃と同じくらいのものを喰らって殺されてたよな。
尾形の悪運の強さを感じる。
ジャックは殺人鬼なので殺すなとは全く思わないけど、ここまで嬲り殺しにする必要はあったのだろうか。
単行本作業してるころの連載が動きが無い絵ばかりだったから、作者がここで発散したのだろうかというくらいの熱量だった。
外国人キャラなのに鼻歌以外ずっと日本語だし、作者がジャックザリッパーというキャラに興味が無いのが丸出しでもったいなかった。
作者がロシア語とアイヌ語には興味があるけど、イギリス英語には興味がないのか。
せっかく現実世界のキャラモチーフなんだからただのサンドバッグ扱いでなく、面白くすればよかったのに非常に肩透かしだった。
宇佐美VS尾形のシーンも順序だてて丁寧な描写に加筆修正されていた。
うろ覚えだけど本誌の、衝動的に殴りまくりその勢いで「商売女の子どもの分際で誰が一番安いコマだ!?」から一転「それだけは言いたかった」ウンのテンポが、小気味よくて好きだった。
「取れよ」のコマの宇佐美のチャック前が相手謎の白いものがチロリしてるけど、ここの宇佐美タってるのか…
前日はパオパオで次の日門倉の尻スパンキングで尾形の顔面殴打と、宇佐美の性的守備範囲広すぎる。
宇佐美VS尾形といい、馬で逃げる宇佐美を狙撃する尾形のシームレスなコマといい死に際の鶴見との対話といい、
255話と256話の宇佐美の出来事が、映画のように丁寧に仕立てられていると感じた。
宇佐美の鶴見に対する想いが読者が思っていたより複雑だったことが前の単行本で判明してたので、どうなることかと思っていたけれど
宇佐美はこじらせているので、ここでも「またみんなの前だからって嘘ついちゃって」と思いながら死んだかもしれないが。
言うても鶴見と他の部下たちや右腕自負の月島との関係は、軍隊に入ってからの上司と部下でしかないので、
前からの知り合いかつ自分に対して異常な執着を抱いているのに、死に際になっても敬語を崩さず任務の成果を報告しようとする20歳下の子どもを見て、贔屓してしまうのは情けだと思う。
にしても綺麗なシーンになった時だけまつ毛バシバシになる鶴見と宇佐美が、まさに劇場の舞台俳優たちが『お涙頂戴』な安いシーンを演じてるように見えるのは作者のわざとな魅せ方なのだろうか。
あと改めて読んでなんとなくキロランケの死のシーンと似ていると思った。
そんなに共通点もないんだけどコソコソ話に安堵して死んでいったシーンが被ってそう思った。
キロランケは死の間際に少数民族の暮らしや子どもや在りし日のウイルクとソフィアを回想し、宇佐美は鶴見と見つめあう、
上エ地もだいぶヤンジャンと単行本で性格が変わったので、どうなるんだろうかと思ったけど
上エ地の性格が変わっても周りの反応は何も変わらなかったので、上エ地はあの世界の人間にとっていてもいなくてもいい存在なんだなと思った。
犬の首子どもに見せつけ首絞めシーンの丸々差し替えと煙突での癇癪と、人となりがわかる加筆は嬉しいけれど前後の繋がりが両方とも急だと思う。
しかし、周りの反応は変わらなくても自分の気持ちを言語化できる程度には意思があるようになっていて少し安心した。
ヤンジャンでの死にざまが哀れ過ぎたのでどうやってもアレよりはマシになるだろうけどね。
煙突で言ってることもまあ間違っちゃないしな。正直とか美しいとかはよくわからないけど(今後のほかキャラへの布石なのか)
誰もがっかりした顔を見せてくれないから自分のがっかりした顔みて笑って死ぬという結末は変わらなかったけども、本人が満足ならヨシ。
でも上エ地頭破裂後のコマのナレーションは全く意味が分からない。日本語がおかしいと思う。
この物語で明らかにされた~仕掛けって作中のキャラじゃなくて読者のことを指してるのか?
上エ地のお披露目は杉元にも土方にも鶴見にも誰にとっても情報としては±0だよ、とついさっき話してるのにこのナレーションが差し込まれる意味が全く分からない。
これって結局鶴見と杉元&土方がほぼ同時に暗号解いたから五稜郭の攻防戦が速攻始まるよってことを言ってるだけなの?
にしても3話連続で名有りキャラが一人ずつ死んでるんだな。アニメ化したら下手したら1話で3人死にそうだ。
最新話で土方には「神」「光」「智」などカッコよさげな漢字が入ってるとわかった後で、門倉の刺青見ると漢字が平凡すぎて草。
房太郎はここで抜け駆けしようとしたから死んだんだと思うと悲しいな。
徐々に負傷していくのがゆっくり描かれ始めるのがきつい。
というか今の負傷具合で泣き言一つ言わない房太郎が屈強すぎる。
ジャックと上エ地はキャラメイク微妙だったけど房太郎はいいキャラだったのに残念だな。
会話の成り立たない奴に殺されそうになり、火事の煙を吸いまくり、縛って袋詰め状態で馬車に揺られて、精神的拷問を受け、房太郎と有古の死体(片方生きてる)を目の当たりにして、寝ずに暗号解読する…ってハードスケジュールすぎる。
読者としても非常にカロリーを消費する巻だった。
次巻は教会の鶴見回想・キロランケの手紙が丸々入って終わりかな。
おそらくギャグ的なシーンがほぼなくなる。大阪房太郎がそのままならそこだけか。
真面目な話ばかりになり、急激に話が進みつつ矛盾も多々あるので加筆修正が26巻並みかそれ以上になると思われる。
とても楽しみ。
27巻の表紙は久々に鶴見だろうか。
マグロ人工肉の開発を手掛ける米国のスタートアップ企業、フィンレス・フーズ(本社・カリフォルニア州)が植物由来のマグロ風味食品の開発に成功した。来年にもレストランやフードサービス分野への販売を目指す。「植物から作られたマグロ」は本来のマグロ肉など動物性成分を一切使っておらず、ベジタリアンや水産物にアレルギーがある人でも食べることができる。
同マグロ肉は植物を加工し、味付けすることでマグロの食感と味を創出したもの。生マグロに近く、刺身や寿司、ハワイ風丼のポキなど幅広く使用できる。
同社は2016年に設立。17年には魚の細胞を使ったマグロ魚肉の生産に初めて成功した。当初は細胞由来の魚肉開発に注力していたが、開発の過程で植物成分が重要な役割を果たしていることに着目。まずは植物由来のマグロ肉の生産、販売を手掛ける方向にかじを切った。
植物由来の水産物の世界市場は今後10年間で年率28%の驚異的な成長を見せると期待されている。背景には、持続可能な食事行動や海洋環境への注目が高まっていることがあり、代替肉や植物由来の人工肉製品市場は既に数十億ドル規模に成長しているという。
国語辞典やブリタニカのような写真ではなく字が主体の百科事典の動植物あるいは衣服等の説明は分かりづらいものです。
あれはそもそも現物を見たことがあることを前提にしているような解説になっているようにみえます。
辞書の主な使い方の一つとして、文章に出てくる具象名詞がどういうものか分からないから引いてみることがありますが、この場合現物を見たことがないことも多いはずです。
ですから解説に写真を用いないならば実物と相違ない像がありありと浮かんでくるような文章で説明されていなければある意味本末転倒なのです。
ㅤㅤㅤ
試みにあなたが知らない植物を何か一つ引いて、その説明を読んで図に描いてみてください。そしてネットの画像検索で比較してみてください。
ㅤㅤㅤ
今はAIがありますからより科学的に辞書事典の記述の妥当性を検証できると思います。
写実的な絵を描くことに定評がある人達から同じ植物の絵を集めて、模範的な絵として学習させたら、同じような人たちからその植物をまだ知らない人たちを選出し、辞書の説明だけを頼りにその植物の絵を描かせます。
次のパターンとして、絵は全くの素人という人たちに実物を見せてその絵を描いてもらったら、既に学習させた模範的な絵との比較で、両パターンの近似度の平均をそれぞれ算出します。おそらく全くの素人が実物を見て描いたものの方がまだ高い近似度を持っていることでしょう。
ㅤㅤㅤ
広く捉えればこれは国語教育の問題かもしれません。つまり国民全体において辞書等から正しいイメージが得られないというのが平均的な水準として示されるならば、それは個人によつ勉学の怠慢という自己責任ではなく、教育制度側の過失といえることになります。
PISAではごく単純な論理パズルのような説明文を読ませて正答を導かせるようなことを行ってきていますが、一度、文章からそれが示す物体やその配置に関する図を選択させる問題も出してみるべきだと思います。
数学には取って付きのマグカップとドーナッツを「同型」とみなすようなトポロジーという学問がありますが、そのような緩い制約の下ですら構造的に異なるような一群を選択肢としても、なお正解を選べない人がごまんと出てくる結果となるかもしれません。
そうだとすれば小説の情景描写もまたまともに機能していないかもしれません。自覚のないあきめくらが読者かもしれませんから。
ㅤㅤ
本をたくさん読めば読解力が身に付くという考えが横行しています。この根性論のような考えも問題です。
PISA等で国民の文章からイメージを自分の頭に形成する力の低下が判明したら、文章とそれが一般的に指し示す図の対応ということに焦点を当てた学習法をぜひ初等教育に取り入れるべきでしょう。
やみくもに本を読んでれば読解力が上がるというのは、読書に慣れるとか、知らない単語を発見することで知識を埋め合わせる機会が得られるということが考えられるのである意味で正しいですが、しかし言葉をイメージに還元する力の育むに際しては根本的に、原理的に無力だと思います。
我々の脳よりもはるかに高い処理能力を持つAIでさえも、一部の学習に際してはフィードバックという一定の手順を必要するのです。
我々が文章から正しいイメージを得るようになる過程についても同じことが言えると思います。
「そのイメージで合ってるよ」「そのイメージは間違ってるよ」と教えられることによるフィードバックがなければ、自分の読みが修正される機会がなく、何かを読んでもトポロジー的にすら間違ったイメージを展開していくようになるでしょう。
あるいはそれは教育されなかった「ヒト」としての自然な姿なのでしょうけども、それはそれとして。
話を戻せば、するべきことは、文と図との基礎的な対応表を作って、九九のように叩き込ませることです。
これは一見根性論めいているかもしれませんが、無計画な多読よりも遥かに効率的でしょう。
基礎的な表がクリアできたら、もう少し複雑な文や文章でも作成しておいた対応表へと移行していけばよく、方式としても構造化されていて明快です。
結局これは数学において基礎をおろそかにすれば応用問題で容易につまづくようなこと、たとえば掛け算ができなければ割り算はできないとか、微積分の原理が分かってないのでは微分方程式は解けないということと同じです。数学に取り組むのとある意味で同じ態度で国語の学習にも臨まれるべきだと思います。