はてなキーワード: 怨念とは
ストーカー客が私とAさんにやたら高い菓子などをくれるようになった問題が解決した。Aさんは「このまま様子を見ましょう」と言ったが、課金額が嵩むのに正比例して怨念が蓄積するのは明らかなので、様子見は危険だと私は思った。それで、私が勝手にオーナーに報告した。思ったよりも心配されたが、だからといってオーナー自身が何をする訳でもなかった。
オーナーは私と同じ考えで、早いうちにお断りしないとストーカー客は何か思い通りにならないことがあれば、課金したぶんの熱量でキレるようになるのは想像に難くないから、とにかく物をくれても今後は絶対受けとるな、と。
……まぁ、結局のところ自分らで危険を犯してストーカー客に真っ向から立ち向かうしかないということなのだが、一応オーナーから「揉めてよし!」という言質を得たということでもある。
そしてどうなったかというと、Aさんはかなりいやがっていたが、ストーカー客が来たら私とAさんの二人で対応して「菓子などを二度と持って来ないでくれ」と言うことになった。ところが、Aさんは私が雑用でレジを外れている時にストーカー客のレジ対応をして一人で「このご時世なので、お客様との物品のやり取りは本部からの指導で禁じられていまして(以下略」と穏便に今後の菓子等の受け取りを拒否ったのだった。ストーカー客は「そうだったのー。ごめんね迷惑かけてー」と言っていた。
丸くおさまったのか? よくわからないが、オーナーは私達以上にストーカー客からの報復を恐れていた。けれども、オーナー自身が自分で何かやるということはなく、昨日私とオーナーのシフトだったのだが、ストーカー客が来るとオーナーはウォークイン冷蔵庫に隠れてストーカー客の動向をドリンクの隙間から窺っていた。
オーナーは意外にもストーカー客の風体を把握済みだった。監視カメラの映像をチェックでもしたのだろうか。私が口頭で説明したときは「そんな人来るっけ?」なんて言っていたが。
ストーカー客は父親らしき人を連れていた。ストーカー客は、私がレジ対応をしなかった時などに父親らしき人を連れて、私がレジ対応をするまで何度も来店するという奇行を、これまで何度か繰り返してきた。また、菓子を私やAさんにくれた後に私がお礼を言わなかった時も、数時間後に父親らしき人連れでやってきた。おそらく、こちらの反応を見るときにそうするのだろう。昨日もきっと、先日Aさんが菓子をお断りしたことで、私が何か言うかも的な理由で、ストーカー客は二人連れで来たのだと思う。私は何も言わずレジを打った。
オーナーはストーカー客が帰った後に冷蔵庫から出てきたが、ストーカー客をこっそり観察した結果、ストーカー客を異常者認定した模様。かといって何が変わるってこともないのだけれども。
一月三十日(土)
彼女とオンラインデートで映画を見た。外出できないのは残念だが、緊急事態宣言下なのでやむを得ない。妹は毎週のようにテニスに、父はコンサートに一度だけ行っているので自分だけ自粛するのはやや釈然としない。なるほど、こういう心理的な機序で自粛警察が生まれるのだな、と一人納得している。しかし、彼女と一緒に過ごせば当然食事をしてマスクを外すわけで、二人に比べれば自分のデートのほうが感染を広げてしまうリスクは高い。彼女に移してしまう恐れまでもある。それに、ズームを使ったデートは自宅で一緒にだらだらしているみたいで、これはこれで楽しい。テレワークもできるだけ利用しつつ、感染の終息を願う。
一緒に観た映画については、プロットが甘いという点で二人の意見が一致した。二人が好きなものが一致するのは大切だが、嫌いなものが一致するのも大切で、むしろ後者のほうが重要かもしれない、と聞く。
ところで、この映画が気に食わないもう一つの理由が、かつて一緒にデートしたが結局おつきあいできなかった女性と見に行った映画だからだ。今の彼女とその映画を見たので、なんというか怨念が成仏した(自分が提案したわけではない。見たのは彼女がずっと気になっていたからだ)。他にも、別の女性と一緒に行った場所に彼女を連れて行っているので、記憶の混同がないように綿密に日記をつけないといけない。
さて、彼女についてだ。彼女はおっとりしているというか善良というか、自分がぼんぼんである以上にお嬢様な感じがする。映画があまり好きじゃなかった、思っていたのと違った、というときにも言葉に棘がない。そういわれるとなんだか一緒に笑えて来てしまう。以前は、もっときびきびした女性と付き合ったほうが楽しいのではないかとも考えていたのだが、結局そういうタイプの女性とのデートは長続きしなかった。鋭いタイプの女性は自分のことを優柔不断でまどろっこしいと感じるのだろうか。学生時代に憧れていた女性もそういうタイプだったが、結局振り向いてもらえなかった。
ここまで書いて、そういえば自分と長くデートしてくれた女性は全員山羊座だった気がして確かめてみたのだが、確かに一番多いのは山羊座だった。でも、他に十月生まれとかもいたので、自分の記憶違いであった。
彼女はとても真面目で物事を真剣に考えてくれる。真面目だから、セックスは結婚した後がいいと言う。彼女がそう思うならそれでいい。もっとも、神様に真面目な彼女をお願いしたとはいえ、ちょっと真面目過ぎやしませんか、と感じる日もないではない。自分が何をおかずにオナニーしているかがばれたら困惑させてしまうだろう。
一月三十一日(日)
今週もジョギング。先週と比べればずっと暖かい。今年の冬は年末年始が一番冷え込んでいた印象がある。一番寒い時期を半袖にウインドブレーカーを羽織っただけで乗り切ったので、ウエアはしばらく買い替えなくてよさそうだ。単純に買い物が面倒なだけのことだが、気温の変化に対する抵抗力がついたかもしれない。もっとも、半袖のウエアがボロボロになってきたので買い替えろと家族には言われている。夏からずっと着てきたのだから無理もない。
寒さは平気だと言ったものの、北向きの自分の部屋の寒さには参る。温度計の示す温度の割にコンクリートの壁から冷気がしみ込むので体感温度が低い。低温下で運動するよりも、少し冷える部屋でじっとしているほうがずっとつらい。ジョギングは真冬でも汗だらだらになるのに対し、部屋では布団をかぶっていたくなるほどだ。
そういえば、先日の日記でTENGAを購入しても紙袋がもらえないことについて言及したが、今週は試しにコンドームを一緒に購入した。やっぱり袋はもらえない。予想はしていたが、環境を守る方向に本当に強く舵を切ったのだなと感じた。
ジョギング帰りに近所の公演の傍を通ったら工事をしており、見通しの悪い茂みが刈り取られていた。小さい頃はそこに隠れて遊んでいたものだが、不審者が出たのだろうか。遊具も随分と安全なものになった。金属製からプラスチック製になり、九十度近くあった滑り台の角度もずっと緩やかになり、むやみに飛び降りられる個所もなくなった。
二月一日(月)
最近韓国料理を口にしていない。原因の半分はテレワークで、もう半分はなじみの韓国料理屋の混雑だ。昼休みの時間はそれなりにあるが、寒い中店の外で待たされるのは面白くない。もう一年ぶりくらいになるだろうか、かつて通っていた韓国料理屋を訪れたが、やはり数分待ちだという。別に五分程度なら待っても構わなかったのだが、少し行ったところに別の韓国料理屋があることを思い出したので、そこに行ってみた。久々の新規開拓だ。石焼ビビンバはおいしかったが、やはりタンパク質が不足してしまう。そういうわけで、本日の間食はベビーチーズとした。
で、会計をしようとしたら財布を職場に忘れていたことに気づいた。荷物を店に預け、職場まで戻る羽目になった。なお悪いことに、エレベータの定員が三密回避のため少なくなっており、いつも以上に行列ができていた。確かに毎朝九階まで階段を使っているのだが、昼休みが終わるまでに往復しなければならないため、いつもよりも速足で昇らされることとなった。やれやれ! しかも午後の仕事は十二階でだった。
帰路、職場前の書店をのぞくが、目当ての漫画の欲しかった巻がない。アマゾンで頼むべきか。実は、朝一番で書店に足を運んだのだが、新型コロナのせいか開店時刻を遅らせていたので、書店に向かったのは二度目。どうも今日は間の悪い一日であった。電車が少し遅れさえしたし。
今週は新しい韓国料理屋のプルコギ、カレー屋、ビーフカツレツ屋を開拓しようと思う。筋肉食堂も気になっている。夕飯はおでん。
俺がガキの時分、秋葉原とかでは今では小学生のプログラミングスクールのハード工作に使うようなガラクタレベルのパーツや機材を置いているだけで、PCショップとして起業できて儲かっていた
インターネット接続なんか、ハナクソほじくりながらできるほど簡単だけれども、それでサービス一個安定して稼げるものだった。
今思えば笑っちゃうようなレベルのAPIで、阿部寛の公式HPみたいなのでも、作ってお金取れてた時代だった。
今でも伝説的に名前が残って凄いと思えるほど時代を超えたP2Pソフトの考え方やアルゴルリズムなんて、それこそガチエリートエンジニアだった47氏こと故金子勇氏が作ったようなものくらいで、他は今どきならちょっとITに詳しい中学生だってできるようなことばかりだった、でも、起業を煽ったりは誰もしなかった、当時起業セミナーなんて銀行や自治体が細々とやってたくらいだったわけだし、お金を稼ぐとかビジネスモデルを考えるっていうのが、今よりずっと難しくて重いものだと、エンジニアは皆受け止めていて知っていた時代だったからだ
思えば、エンジニアは今よりもっと現実寄りで生きている人間が大半だったと思う
ネットインフラが整い、世界は軍事にまでITが広がり、軍隊や国が後援して目玉が飛び出るような額の出資や、MITなどで学んだ超天才たちが日本のITエンジニアたちが原理さえ理解するのに苦労するほどの複雑な機器や理論で動かしているものをサービスとして売り出してシェアの取り合いをやっている、秋葉原やネットのOSSでシコシコやってるなんて、家の裏の木で作った弓矢でレーザー砲に立ち向かうようなことを身の程知らずにそれで天下が取れると、つまらない自分の人生をバラ色に逆転できると、必死になって吹けば飛ぶような出資金で回してる見向きもしない零細ベンチャーでシコシココードを書いている人たちがネットにはたくさんいるようになった
所詮、出回った知識の一部を吸収したくらいで、何ができるというのか、せいぜい秋葉原の風俗嬢みたいなメイド喫茶やコスプレ喫茶の女に、思い上がった意識の高い知識をひけらかせるくらいだろう
そういう時代を、人から聞いたり、ネットで検索すればいくらでも出るだろうに、脳が認識を拒否して現実逃避をして、起業を煽ったり起業を夢見たり、つまらない零細企業で成り上がれると本気で思っているのなら、それは騙されているぞとしか思えない
はてなは、そんな地獄への道へ突き進み、体力が尽きて散っていった怨嗟と怨念と、未だ現実逃避をしてITで世界も人生もかえられるはずなんだと善意で若者を地獄へ誘うエンジニアたちの、資本主義とIT社会が行き着いた最果ての地獄のようだ
その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。
元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設の老朽化や各種インフラの経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。
それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長、自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。
だからこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。
それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。
年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。
令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。
平成の震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来のエネルギーから歴史の教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。
現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネルを推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットのペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術的国威発揚の煽りを受けた全廃、と言ったところだ。
どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。
実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付けの中間の様な形で供与された受精卵遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。
(科学技術という側面において現代日本が中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)
日米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。
そんなことだから、中間貯蔵施設という名目の、事実上の最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け、政府と行政と大多数の国民はNIMBYの精神を遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。
とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字の候補群からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。
(日本による宇宙開発の数少ない世界的成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃の残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)
実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力とエネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。
ただ、ひかりから降り注ぐ高密度のマイクロ波を分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。
安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金も雀の涙と来れば宜なるかな、積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。
とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代の権益ホルダーとなることを選んでいった。
反対に、新規制基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。
結局、ひかりの設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。
結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネルの3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要な比喩を披露した大臣はメディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。
そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである。
「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」
私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。
彼の父親は町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前も出馬を見越して付けた名前だと言っていた。
(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)
その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。
しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。
彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。
「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」
この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。
誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さらに用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。
あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑と嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。
なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。
であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。
そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。
まったく、本当に大変な役回りだと思う。
返す返す、自分には出来る気がしない。
翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。
アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。
子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。
…いや、いや。
よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?
もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。
もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。
帰路。
実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。
思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。
日本学術会議の件でいろいろと炎上しているが、学界の片隅に身を置く人間として言っておくと、学者は公正中立でもなんでもないからね。
もちろん特定の政党にどっぷりコミットするような学者は学界でもあまり評判は良くないけど、それでもみんな何らかの「政治的」なポジションを持ってる。
政治的っていうのはどの政党を支持するのか、どんなイデオロギー的位置づけなのかということももちろんそうだけど、学界内での力関係という意味もある。
例えばこんな話がある。
今から50年くらい前、とある権威ある大学で優秀な成績を修めた学生がいた。この学生は学者になろうと思い、その大学の教授の研究室に入った。そこで真面目にコツコツ研究していたが、その生真面目さが災いして教授と衝突することもたびたびあった。月日がたち、研究業績も残したその学生はアカデミック・ポストを教授に斡旋してもらうことになった。学界内でも研究室内でも当然、あれだけの優秀な学生なら教授の後を継ぐために大学に残るのだろうと思っていたが、教授は遠くの地方の大学への就職を斡旋した。生真面目な彼はその話を受け、一生その大学で務めた。しかし、彼の恨みは燻り続け、彼の門下生にまで波及した。さらに門下生の門下生、、、と連綿とかの教授に対する恨みは受け継がれている。彼の生真面目な性格もあり、門下生を多数輩出し、その中には彼の出身大学に並ぶ有名大学の教授にまで登りつめた人物もいる。その人物の論文も、かの教授に対する怨念のようなもので書かれている。その門下生の論文も同じ…そしてさらなる世代交代を迎えつつある今も…論文だけではない。怨念に憑りつかれた教授たちは学内運営や人事でもその力を存分に発揮している。業績があれば採用されるわけではない。
こんな感じで、公正中立に学問をする研究者なんて実はいない。学派的な対立や怨念から論文を多数発表する学者の方が実は多い。あまり優秀でなくても門下生を多数輩出する教授がいるのはそんな事情がある。税金から研究費をもらっているのにおかしいじゃないかと思う向きもあるかもしれないが、しょせん人間がやる以上、どうしてもこういうことはなくならないんじゃないかな。そもそも税金が公正中立に使われることを強く求めること自体、自分たちの首を絞めることになるわけだし。それくらい割り切って考えた方が世の中生きやすいですよ。