はてなキーワード: 変人とは
http://anond.hatelabo.jp/20160225040508
「鉛筆が100円で消しゴムが120円だとする」とかの「とする」と同じように、
鉛筆が100円である世界は必要なく「今言及している鉛筆」が100円であればいいし、
めっちゃ歪んでる。
私なんて数学で赤点とったことがあるくらいだから証明はできない。すまん。
もし仮に半径11の円の円周率がぴったり3.14だった場合の世界って、仮定(あるいは定義)できるんだろうか?
よくわからないんだけど、少なくとも円に内接する96角形の周長よりも、円周のほうが小さいってことでしょ?
違う。非ユークリッド空間で円周率が3.14なら円に内接する96角形は歪んで小さくなる。
まず、円周率が3.14ピッタリの世界で、円に内接する96角形の面積よりも円の面積が大きくなるのか、小さくなるのか、
それすら私にはわからないわけだが。
私にも内接する96角形のほうが大きくなる条件は想定できなかった。
数学屋に聞きたいところだ。
そんなわけのわからん世界である必要はない。他のブコメでも非ユークリッド空間に触れていたが
世界のどこでも同じ円周率である必要はないので適当にゆがんだ空間で
空間内にある条件(円周率が3.14)を満たす範囲があればいいしこれは現実の空間である必要はない。
これはモデル化だと思う。
実際は太郎君は歩くときに早くなったり遅くなったりするだろうし別の太郎君はマッハ4で歩くかもしれないが
今言及している太郎君は平均では時速4㎞と認識しているという意味であり、
消しゴムは100円ショップでは100円だしスーパーなら98円にしそうだが今は100円ということにするという意味だ。
「円周率を3.14とする」は、円周率はπだが私は小数表記で正確なπを記述できないので3.14ということにするという意味だ。
あなたにはπを正確に用いて小数の計算ができるのか?もちろんπ表記のままでは計算したことにならないぞ?
時速4㎞で歩き出すのは加速時間が0となるため理論的に実現不可能だ。
あなたが目の前に円を想定した場合、その円は地球の重力により相対性理論的に歪んで円周率はπではなくなる。
必ず円周率がπである世界は何も存在しない世界である必要があり理論的に実現不可能だ。
一方、πが3.14となる範囲を含む非ユークリッド空間は理論的に実現可能だろうが
数学屋に聞きたいところだ。
残念ながら時速4㎞で歩くのを想像させるのは意外と難しい。
常に一定の速度で歩くのはおかしいとか言い出す子供はたくさんいる。
実際の世界には真理など存在しないし認識もできない。それどころか人間には実際の世界を正しく認識することすらできない。
問題文にない条件を持ち出すことが正しいなんて言い出すくらいなら実際の世界を想定しないほうがマシだ。
そのとおりだ。
書いてあるので汲み取る必要はないというか汲み取ってはいけない。これは国語の問題じゃないんだ。
そうだ、科学に対する姿勢の問題だ。何が正しいかを知っているかではなく、
目の前にある条件から矛盾しない答えを導き出すことこそが科学的な姿勢だ。
私は、どんな世界であれ押し付ける傲慢さをあなたに感じている。
もちろん私も世界を正しく認識できていないがそれを人に押し付けるようなことはしていないつもりだ。
違う。与えた条件と異なる条件を持ち出すと間違った答えになるからだ。
「円周率は3.14と条件を指定したな?あれは嘘だ」と言い出したら
私は今、「洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる」
と言ったプラトンの気持ちを痛感している(Wikipediaの引用であり国家の文面そのままではない)。
真理というものがあるとしよう。だがそれをあなたが認識しているものと私が認識しているものは違う。
真理の手掛かりとなる影を認識し集め、お互いの認識を形にし、共有する(モデル化)。そして、この共有したモデルについて話をするんだ。
だから「数学の定義では円周率はπだから私が正しい」というのは成立しない。
これはあくまで数学上のπの定義を共有しているモデル、つまり数学での話であり、
円周率がπではないモデルを共有しているときは円周率がπではない前提で話をすることになる。
例えばここに一見正しい条件がある。
・平面上の平行線は交わらない
実際に昔はこれで十分だった。
「平行線が交わりしかも矛盾しないモデルも作れるんじゃないか?」と工夫したことにより
非ユークリッド幾何学が生まれた。
そして、
・平面上の平行線は交わらない
という条件は
という条件に洗練された。真理に一歩近づいたんだ。
だが、きっと、これでもまだ真理そのものではないだろう。
だがその真理に向けて認識を表明し共有しそれを基に議論することで近づいていくことが大事だとプラトンは説いたんだ。
だからこれには、「今はそんな話をしているんじゃない」としか言いようがない。
今は「円周率が3.14としたときに計算結果はどうなるか」という話をしているんだ。
彼は悔しかっただろう。私もとても悔しい。
我々ちょい古いソフト屋はオブジェクト指向の本質を伝えることに失敗した。
認識を形にすることだということを伝えられなかった。
初めて使うので読みにくいだろうことを申し訳なく思う。
最近よく昔は良かったと見かけるので、良くなかったことを、ざっと30年位前の幼少時代を思い出してみた。
【小中学校】
・イジメが絶えず、ターゲットをバイキン扱い、バリアー等の遊びが通常に行われていた。
・イジメられていた人は、どこにも発信できずに耐えるしかなかった。
・プリントは、わら半紙が一般的で、原稿は鉛筆で執筆していた。
・戦争、原爆のビデオを何度も観せらて、酷さだけを押し付けられた。
・運動会や合唱コンクールの練習が1ヶ月以上前から毎日行われた。
・学校のアンケートで、クラス名簿リストが配布され、好きな子、嫌いな子を5段階評価していた。
・緊急連絡網で次の人(家庭)に(固定)電話するのに超緊張した。
・茶髪のヤンキーやカツアゲ、盗みなどが盛んだった。弱小な子は商店街を一人で出歩くと危険だった。
・タバコを吸う、シンナーの吸引等がわりと普通に行われていた。
・そして、全校集会で全員が体育館に呼び出され、連帯責任として説教を受けた。
・全校集会が長時間化するため、体の弱い人が貧血で何人も倒れた。
・運動会では、騎馬戦、棒倒し、組み体操等を先生に言われた通りにこなし、何の疑問も持たなかった。
・部活では先生からの体罰が疑問すら思わず、普通に行われていた。
・テレビ、新聞から流れる情報が全てであり、疑問にすら思わなかった。
・音楽はレコード、カセットテーブ。録音時間は実時間かかり、針飛びで失敗もよくあった。
・パソコン通信をやってる人は、オタクの度を超え、変人扱いだった。
・連絡手段が黒電話しかないため、約束の時間、待ち合わせ場所にいないと、お店の固定電話を借りた。
・会社内、電車内喫煙可能、タバコのポイ捨て路上駐車等が行われ、マナーは悪かった。
まともな大人からすれば、マックスむらい氏に限らず、Youtuber全般が取るに足らない変人カテゴリ往き間違いなしなのだが、彼らのファンは端から見ると狂気じみて見えるほど彼らに夢中だ。
これは昨今話題のジャニヲタにも共通しているのだが、こうした熱狂的ファンの精神構造は、精神病理学的に典型的なものである。辛口で無慈悲な某シロクマ氏が登場するほどのこともない。ようするに、熱狂的ファンは「自分は(世界で一番)スゴい」という幼少期特有の全能感、あるいは思春期特有の誇大妄想をこじらせ、それを自己の外側にいて目立って活躍している(と本人たちが認定する)人物に投影することで、その非現実的な自己評価を抑圧しているのだ。
誤解してはならないのは、実のところ、熱狂的ファンたちは自らが取るに足らない(どちらかと言えば劣った)一般人に過ぎない、と理解はしている。他方、その「私はダメだ」という自己認識と、「私はスゴい」という誇大な自己像との間に極端な乖離が生じているため、この落差の現実的な落としどころとして、社会で活躍する他者(芸能人やスポーツ選手、カリスマ経営者、宗教指導者など)と自己を同一視することで、そうした他者を自己像の「鏡」として扱うわけだ。
例えば、女性アイドル好きな男性ならば、その女性の人気が一定の閾値を超えた段階で、女性ファンが増えることを経験的に知っているだろう。現実の世界でキラキラと大活躍している(ように見える)女性と自分を同一視することで、自分の惨めさを覆い隠すことができるためであり、男性ファンのような性的な関心がベースにあるわけでは全くない。先ほど述べたように彼らは基本的に自己評価が低く、一方で持てあました誇大的な自己像を支えてくれる唯一の救いが「鏡」としての他者である。
やや話は脱線するが、熱烈なアイドルファンの女性(たとえばジャニヲタ)には風俗嬢が多い。全国各地に赴かなければならない物理的必然性もあるが、何より応援するアイドルが活躍している限りにおいて現実の自分は(極論をいえば)どうでもいいからだ。現実にはタバコ臭い激安ラブホで汗臭い中年男性のペニスを口にくわえておきながら、本人が生活で最もリアルに感じられるものは、その同じ口で声援を送るアイドルの輝きなのである。ジャニヲタならば「ヲタ界隈で有名な(=湯水のように金を使って応援している)女性ファンが(風俗店のブログ写真から)風俗バレしてm9(^Д^)プギャー」という事件が年間何件も起きていることは否定しようもないだろう。
(誰って? まあ、秋○ス仙○の「の○か」とかな。。ファンの妬みは恐ろしい。あの子は元々は手コキ店だったが系列のイメクラ店に沈められた。昔はバレーボールに熱中するスポーツ少女で、20歳過ぎまで軽い天パーの黒髪を染めたことすらなかった真面目っ子だったらしいが、嵐にハマったのが運の尽きよ。うーん、おっさんを養分にする風俗嬢を養分にするアイドルを養分にする芸能事務所の社長を養分にする暴力団の偉い人。ああ、醜い食物連鎖だ。。そしてマックスむらいも養分だったのか)
さて、以上を鑑みて、今般の事件における山本一郎(実業家・ブロガー)のように、こうした「鏡」(この場合はマックスむらい)を攻撃すると、どうなるだろうか?クレイジーなキッズたちは、自らが攻撃されたように感じる。いや、自らが攻撃されたとき 以上 の怒りと苦しみを感じる。彼らの理想と現実のバランスシートが崩れた不安定な自己イメージは、「鏡」としての他者が社会的に活躍し続ける間のみ安定的に維持されるからだ。よって、マックスむらい氏が社会的に許されない行為をしていたとすれば、それは彼らの価値が暴落することに等しい。だからこそ、彼らは氏の汚点を否定、拒否、拒絶する。そして自己イメージの侵略者を攻撃する。
マックスむらい氏は、そのことを肌感覚で理解しているらしい。だからこそ、Youtubeに自らの潔白さだけを主張する動画をアップロードし、彼を信奉するキッズたちに潜在的なメッセージを送った。「俺を守るために大暴れしてくれ!」と。無論、これは追いつめられた人間の断末魔である。そんなことは社会的に何の肯定的な効果をもたらさない。だが、防衛大に受かる地頭はあるものの、ひたすら叩き上げでのし上がってきた男に何か分別らしいものを期待する方が間違いなのかもしれない。果たせるかな。キッズたちは大暴れし、山本氏はビール片手に彼らの口撃をことごとく撃墜し、その残骸が氏のTwitterのタイムラインを埋め尽くすたびに、マックスむらい氏の信頼も地に落ちるのである。
犯罪者になってたら、まぁ、確実に親不孝だろう。
「親に悲しい思いをさせてたら」とかいうけど、親が変人だったり子供に過度な期待をしてるような親だったら、何とも言えない。
孫の顔を見せること、とか言うが、別に親孝行のために孫を産むわけじゃない。
私自身はめったに帰省しないし、子供いないし、親に帰ってこいと言われても土日はほとんど旦那とでかけてて予定が空いてないからという理由で帰らないし、母の日父の日もなにもやらないし、
自分のことしかやらない自己中で、親不孝なのかはわからないけど親孝行はしてないと思う。
が、だからといってやりたくもないのに帰省したり、プレゼントあげたり、子供を産んだりするほうがよっぽど親不孝な気もする。
やりたくてやる親孝行はすばらしいけど、
俺は若いころ自意識過剰で自分にはそれしか掛けるものがないと思い込んで3流美大に飛び込んだ。
結局打ちひしがれて今にいたるけれどそこで言われた言葉で印象に残ってるものが2つある。
一つは「君のこれは作品とは呼べない」。
どんなに持論をこねくり回したり拘りを突き詰めたりしようが、
マジョリティに拒絶され表現することを正当化するバックグラウンドを失ってしまえばただの変人として嘲笑されるしかない。
二つ目は「褒められたくてあえて奇抜なことをやってるんだろうけど〜」
本当にこれは衝撃的だった。当時僕は愚直にしていれば誠実でいられると思っていたからだ。
僕の誠実さは教授に一声で否定され証明するすべを失い、自分の個性が強みになるなんてことは幻想だと思い知った。
周りの評価も気にせず思ったように自由に振る舞っとしても、結局評価されなければそれが個性だと規定されることもない。
評価されないということは無価値であり、価値が見いだせないということは本能や感情に従った素直さも思想も見受けられないということではなかろうか。
万人にとって価値がないというのであれば当人の意思など外部からみても存在しないに等しい。
では他人は何を基に評価を下すのかということになるが、これは共感できるか否かという点によって判断しているのだと思う。
人間は結局己のレリジオンを補完するために、社会との交流のあり方を模索している。
もし自らの考えに反するものを受け入れてしまったとすればたちまち破錠してしまうのは目に見えている。
どれだけ自分の素晴らしさを説こうが、人々の共感が得られなければ各々の思考の中で無価値化され
「愚かで浅はかで見るに堪えない」というレッテルを貼られ黙殺されるということだ。
媚びたからといってそれが非難されるとは限らないのだ。それが観る側にとって心地よければどうでもいい問題であり、
逆に不快なものに対峙したときは、それを拒絶する正当性を欲し、表現者の人格までも批判し出す。
僕は結局その大学を辞めた。誰が悪いわけでもなく僕自身が愚かだったというだけだ。
しかしながら評価されることを意識しつつ創作活動を行うことが美大生活の意義だという観念にジレンマを抱いていた。
「自分を感性をさらけ出すという表現のあるべき姿を成り立たせる前提として、既に評価されているという事実が必要。」
「だが良い評価をもらうために制作したものは協調性しか持ちあわせておらず、理想的な表現者としての定義に矛盾が広がっていく。」
このように小賢しさを気取った馬鹿者にならず兎角無心で制作に励めばよかったと反省はしているし、
さっくりとウケのいいものを作り一定の評価を経てから作家性をささやかに出すような器用さにかけていたのも事実だ。
理想主義なんぞ田舎の3流大学生には無用の長物だと今では自分にあきれてしまう。
とはいえ未だに当時の自分が抱いていた鬱屈はもっともなんじゃないかと思う。
増田はA子や家族等が自分の美を確立している才能ある人物だとしているが、
「賞をとった」「選出された」「絵を描くことが生業として成立している」といった既成事実でしかない。
もしもA子じゃなくて増田が全国に選出されていれば、
高校時代に増田が自分には才能がないと思うこともなかったしA子は馬鹿にされたままだったはず。
A子より増田のほうがポテンシャルが高いということが紛れもない事実として誰も疑いはしなかっただろう。
要は結果論だ。増田よりA子のほうが評価された、増田の絵は酷評されたという事実を増田自身が受け入れるために「才能がなかった」という結論を用意しただけだ。
多分周囲の人々もあなたに才能がないとおもっている。才能がないということは自認ではどうすることもできないソーシャルでの自分の位置づけになっているのだ。
もう自分には才能がないというほかない状況にすっぽりはまって、自分自身が自分をどう認識しようがお構いなしの現状。
それを拒絶したところで何にもならないから、受容するのが一番マシだから「才能がない」というほかない。
僕は何も「才能がないなんて思い込みだ。可能性は無限大」みたいな自己啓発のなりぞこないを啓蒙したいわけじゃない。
お気に入りの納豆を外国人にPRするように、一見客観的にポテンシャルがあるように思えてもそんな物の影響力なんて全くなくて、
他人の認知を意のまま変えることなんざ真っ当には到底無理なのだから。
これはただただ勝手にあなたに共感し、踏まえて違和を感じたことを提示したいと思ったまでだ。
釣りにひっかかる有様になろうが稚拙な文章を晒すことになろうがなんでもいいから何かいってやりたいとおもわせた増田は素晴らしい。
周り見てて思うけど、研究者は思った以上に「普通の人」が多い。ここで言う普通というのは、社会の主流的な価値観を内面化してるという意味。
多分だけど、研究者は育ちがよくて何不自由なく愛情溢れた家庭に育ったようなタイプが多いから、「家族はいいもの」という価値観がプリインストールされてるんじゃないかと思う。
「研究者=変人」というイメージは俺も子供の頃は持っていたんだけど、実際には変人は俺とかごく少数の人達だけで、他は「脳のスペックがたまたま高かっただけの普通の人」が多いんだなと感じる。
研究職があまりにも不安定で資金獲得のためのプロモーション活動が重要になりすぎて職業から充足を得るのが難しくなってきたという時代背景もあるかもって気はするけど。
マジで変人だらけの職業だとなんだろうなあ。芸術家とか?あの辺もボンボンだらけだろうからあまり変わらないかもしれないけど。
結婚したくないのは自由だけど、結婚しなかったときにどうなるかを本気で考えておいたほうがいいよ。
自分が間接的に知ってる人の話だけど、バリバリ働いていて、親が元気なうちはよかったんだよ
50歳すぎてから親が相次いで倒れて入院、その人は兄弟いなかったから仕事の合間にかけずりまわって親の病院の往復、
やっとこ入所できる老人介護施設を見つけたと思ったら、今度は自分が体が動かなくなる病気になって、いま本当に苦労してるよ
奥さんがいれば親のことを交互に病院に連れて行ったりできるから一人で世話するよりずいぶんマシになるんだよ
奥さんに丸投げするのは最低だけどもね
その人も変人の研究者だったけどね、今ももちろん大学に教授としているけどね
今は日常生活だけでも一杯一杯なんじゃないかな…
割と本気で気になっている。
私は一生結婚したくない人間であるが、だんだん歳をとってきたせいで周りからのプレッシャーが大きくなってきて正直うざい。
なんとかして周りの人間の私に対するプレッシャーをゼロにしたい。
私はただ心穏やかに一人で生きたいだけなのだ。
独身であっても非難されない職業に就くことができれば、きっと私は独身を謳歌することができるはずだ。
そんな職業を教えて欲しい。
医者みたいに分かりやすい形で人の役に立っていれば良いんだろうか?
でも医者は稼ぎが良いからむしろ結婚して子供を育てるべきだと言う人が多いだろう。
それとも消防士や自衛隊みたいな命の危険が大きい職業であれば、独身はむしろかっこいいなんて思われるのだろうか?
もしくは介護や飲食系の低所得でキツい職業なら「まあ仕方ないよね…」なんて思って周囲の人はプレッシャーをかけることはしないのだろうか?
フリーターやブロガーのような不安定な職業ならば良いのかも知れない。
でも低所得なのは勘弁だ。独身で時間の自由があっても、お金がなければ意味がない。
私の職業は研究者だ。周りには変わり者が多い。私自身も変人扱いされることがある。
歳をとった独身者も多少いるし、独身であればまずお金に困らないので私にとってとても良い環境である。
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相手(世界)は変わらないんだから、自分の思考/認識の仕方を変えていかないと
あと、ゲイの世界だけが人生じゃないんだし、趣味とか他の楽しみも大切にね。
年齢
外見ではないけど。
身長と同じく、年上がいいウケと年下がいいタチが多い。1歳でも年上じゃないと嫌だ!とか。
年下好きのウケは大体が変態。
これは詳しく聞きたい、てか問い詰めたい。
2増田合計で4回も「変態」って書いてるけど増田の変態とはなんなのか。
年下タチが好きだと、どう変態なのか!
同じことをしたことがあって15人くらいから反応があったが、殆どがおっさん・体目当て・変態・変人だった。残りはナルシスト・わがまま。写真を見せた途端、連絡が途切れる。俺がフルイにかけられてる。
増田20代前半、おっさんは対象外ってことは30歳くらいまでがいいのかな。
それだったら身体を鍛えるとか、見た目に気を使ったほうがいいのでは。
身体を鍛えるだけなら一人で寡黙にやれるから、余裕があればおススメです。
てか、都市部に住んでて飲みに行ったりする余裕があるなら後はやる気次第でしょ。
真面目に恋愛したい人がこんなに少ないと思っていなかった。知り合っても、性格がキツい人や価値観がズレてる人が多くて付き合うに至らない。タチだからなんとか知り合えてたってのもある。ウケなら更に悲惨だろう。
「タチだからなんとか知り合えてたってのもある。」ってことは、結局のところ増田も体目当てなところは多少あったんでしょ。
なんかむかついてきたw
多分ここ10数年の話。なにがキッカケかは知らないが、ネットで簡単に出会えるし、昔ほど死ぬ病気ってイメージじゃなくなったから危機感がないのかと。あと快楽。HIV感染者・エイズ患者が増えている。
これは同感。
あとはノンケみたいに家族がいたり、家族を持つこと自体のイメージができないことと、
HIV感染者は外科手術が必要になった時に面倒なことになるよ。
最終的にどこかで手術はしてくれるだろうけど、入院中の看護師にも
イベントに行かなければいいのでは…
せっかく見つけたんだし、もう少し頑張ろうよ…
一緒に病院に行ったり本読んでもらったりもしたけど、発達障害の概念とかって、やはりなかなかパートナーに理解してもらうのは難しいのだなあ、と感じている。
自分は当事者だから、色々読めば読むほど腑に落ちる感じだったのだけれど、そうはいかないらしい。
今のところ「何か変だとは思ってたけど夫が異常者だった!ショック!」「どうにか私の思う最低ラインの普通人にしなきゃ一緒に暮らしていけない!」って感じで反応されていて、
なんかこう……それ結構根本的なところから違うよなあ……って思うのだけれど、かといって文字の多い書籍とかWebサイトは「しんどい」の一言で読んでもらえないんだよなあ……。
医師や心理士の説明は聞いているので、本人は、自分はもう解っている、というスタンスなのもあって、
こちらの口からそういったことを指摘したりしても、公平な発言に聞こえないようなのであまり説明させてもらえない。
こういうアプローチの仕方なら時間はかかるけどきっとできるようになると思う、というようなことを提案しても、
「え?なんで?言われなくてもできるような簡単なことでしょ?私は小学生の頃からできてた――」って感じで一蹴されることが多い。
まあ単純に、変人の相手するのは疲れるし、もう色々アプローチを変えるほどの体力というか、愛情は枯渇しましたっていうことなんだろう。
彼女もカサンドラ症候群に陥っているのだろうし、既に情はあっても愛はないのだろうなあ。
俺からの愛情はずっと自分なりに積極的に出し続けているし、「私の事が好きっぽいのはわかるんだけど……」と言われるけど、
もっと低いレイヤーの数えきれないほどある生活上の減点に邪魔されてしまって、一向に届かないようだ。
結果、相手からすると、愛情を一方的に搾り取られているように感じるのだろう。
先日は軽い食事の用意をしていて、パートナーの箸を出し忘れたまま先に食べ始めたことについて言われた。
私がお新香を器に移す作業で使った箸をそのまま運んで行ってテーブルに並べた結果、
「あ、もういるもの全部出てるじゃん、準備完了やな」と思ってしまってうっかり食べ始めてしまったのだ。
自分のご飯をよそって持ってきたパートナーが、「あれ、お箸出してくれてないの?」と言って取りに行くまで完全に気付かなかったのでその場で謝ったが、
これを「思いやりがない→愛情がない」と強く感じるのだという。
私としてはお新香を食べやすいように器に移す作業も、納豆をパートナーの分も出しておくことも、
言われずとも察して動いたつもりだったのだけれど、箸を出すというできて当然のことができなかったことで台無し。減点200点。
楽しかったはずの週末の積み立てすらも消し飛んで、食事は暗いムードに。
私の感覚としては、これぐらい、割と誰でもやるようなうっかりで済みそうな些事なんじゃないの?と思ってしまうんだけど、
彼女からすると思いやりがあれば出来て当たり前だからダメらしい。
期待値が高いよう……減点法がキツいよう……。
付き合って10年、結婚してもうすぐ丸2年、現在別居して2ヶ月。
正直言って、居ない寂しさよりも、居ないことで彼女の機嫌という、自分にとって制御不能なものにビクビクしない安心感の方が勝ってしまっている自分がいる。
それでもたまに泣くけど。