はてなキーワード: 唐突とは
https://www.asahi.com/articles/ASPBD2CMHPBDUHBI006.html
スーパーマンの最新号のやつさー
この描写への批判を許さない層は「唐突な異性愛描写はありふれている」とか言い張るけれど、
『友人』だった相手が恋愛関係になるのって、今スーパーマンのこれを持ち上げてる層は男女だったら絶対に許されないじゃん
もし仮にシャン・チーの主人公とヒロインが続編でキスしてたら絶対叩くでしょ
いや私は友人から恋愛関係になっても別にいいと思うけれどそれなら異性愛の場合にも認めろ、男女の恋愛物語を片っ端から否定するな
あと、この友人記者はジェイ・ナカムラっていう日系人なんだよね
白人と日本人(日系人)のカップリングって、白人に愛されたい願望の強い日本の腐女子の中では定番だから
そのせいもありそう
タイガー&バニーとかユーリオンアイスとかバナナフィッシュとか、日本腐女子から注目されるやつって白人&日本人ばかりだよね
黒人同士の同性愛でアカデミー賞を取った『ムーンライト』なんかもあったけど、一部を除いてさほど注目されていなかった記憶がある
最初からそれがメインテーマの恋愛もの→低俗だ!ダサピンク!女が皆恋愛ものを好きだと思うな!と、見るまでもなく総叩き
バトルものやスポーツもの等で恋愛も丁寧に描かれる→恋愛はあくまでオマケ!本筋じゃない!本筋以外に時間を掛けるな!
唐突に異性カップルが結ばれる→最終回発情期!作者はカプ厨!読者の需要を分かってない!
唐突に同性カップルが結ばれる…同性愛の時だけ伏線をいろいろ張ってなきゃだめというのは同性愛に対する差別(キリッ)
「唐突に異性を好きになる描写は数限りなくあるのに、同性を好きになる描写の前には伏線をいろいろ張ってなきゃだめというのも、結構な差別だと思うけど。」
世間では異性を好きになる描写にだって、いろいろ伏線を貼ってなきゃだめと言われているね
同性ならなくていいと言うならばそれは逆に差別
「唐突に異性を好きになる描写は数限りなくあるのに、同性を好きになる描写の前には伏線をいろいろ張ってなきゃだめというのも、結構な差別だと思うけど。」
って、異性を好きになる描写こそ、唐突どころか十分に伏線が貼ってあっても最終回発情期と言われて常に叩かれてるじゃん
同性なら唐突でもいいというならそれは異性愛に対する差別か、あるいは同性愛なら適当でいいという理由での同性愛に対する差別かだろう
振り返ったら『ちんたら歩いてるんじゃねぇ!みんないそいでるんだよ!!』と怒鳴られた。
因みに銀座線のホームで前が詰まっておりそもそも早く歩けるような状態じゃなかった。
あまりに突然なので驚いて『あ、はあ』というよくわかんない返事をしてしまったが
改めて考えてみて、ああいう人って怖くないのかな?と不思議に思った。
よく見ず知らずの大人に対して唐突にキレることができるなと。相手次第では喧嘩になったり
大きなトラブルになるだろうとか考えないのかなーと。そこまでいかなくても、
今後仕事上どこかで俺と出会う可能性だってなくもないだろうにと。
見た目は普通のサラリーマンぽかったので尚のこと驚いた。この男は今から出社して
急にキレちゃうくらい今余裕のない状態にいるのかもしれないけど、だとしたら
今後あの人と朝同じ電車にのる可能性があるのこわいなーと思った。
あと『「みんな」いそいでるんだよ!!』といって怒鳴られたんだけど、こういうひとは
自分の怒りを正当化するために「みんな」の代弁者として俺がいってるんだ、という風に
置き換えがちだなとも思った。
乳揺れと統一教会に揺れるはてな界隈の皆様、いかがおすごしでしょうか。
マライ・メントライン(ドイツ人 女性 テレビプロデューサー)が
「意外と惜しみなく出た私の入浴シーンはいかがだったでしょうか?」といささか
挑発的なつぶやき(注1)をするのも、この意識の延長線だろう。
となれば、おっぱい星人はドイツに行って温泉に入り、生おっぱいを見るべきだと思う。
そこで少年の心を持ち続けるおっぱい星人たちは、新たな発見を目にすることだろう。
かって、ブイブイいわせ、栄耀栄華を誇った「量産型おっぱい」が
加齢と重力にはあらがえず、「長物(ながもの)」と化していることを。
夢崩れたおっぱい星人たちは、ボサノヴァの名曲「イパネマの娘」の歌詞にも
寂寥感を得たおっぱい星人は、今まで女性(の胸)に向けていた毒々しい視線が
おっパイは手に入れられないが、安パイの称号は手に入れたのだ。
※もっとも「サンマは目黒に限る、おっぱいは二次元に限る」(注5)とメタモルフォーゼしてしまう少年兵もいるかもしれないが。
(注1)https://twitter.com/marei_de_pon/status/1046400072223588353?s=20
(注3)もちろん、モライスは(こんな美しい娘と付き合うことはできず)、おっぱい星人は(生おっぱいをたくさん見たのに)という補完の違いはあるが。
(注5)https://kotobank.jp/word/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E3%81%AE%E7%A7%8B%E5%88%80%E9%AD%9A-643655
唐突に出てくる「してもろた方がいい」の砕け方に草
私は15年ぐらい前に一か月ほど、そこに滞在していた。
誰かに話せるような事でもないが、思い出をここに書いておく。
そこで好みの子を選ぶ。いなかったら入れ替えでまた10人入ってくる。
何度入れ替えてもぞろぞろと女の子が入ってくる。何十人いるんだろうか。
最終的に一人を選ぶと、シャワー(とミニサウナ)付きの部屋に通される。
後はまぁ、いわゆるお決まりのコース。シャワー浴びて、ベッドに行って。
日本と決定的に違うと思ったのは「脱ぐとき何故か勝手に踊る」のと「やたらツバを吐く」の二点。
どちらも最後まで違和感があったけど、まぁ、慣れれば大した問題じゃない。
女の子の性格は本当にいろいろ。明るい子もいれば暗い子もいる。
中国語で一生懸命にコミュニケーションを取ろうとする子もいれば、カタコトの英語や日本語で頑張ってくれる子もいる。
私は出張で滞在していて、この「サウナ」システムが非常に気に入っていた。
性的な欲求うんぬんというより、正直いろんな女の子の様子が見られるのが楽しかった、というのが一番の理由だった。
そう、値段についてはやはり日本のソープなんかよりは格段に安い。
だいたいどこもAコースとBコースがあって、Aコースはモデル系の高身長美女って感じ。だいたい12000円ぐらい。
Bコースは街の可愛い子ぐらいの感じ。だいたい8000円ぐらい。
中国人男性の好みは「Aコース」みたいなんだが、私は圧倒的に「Bコース」の方が好みの子が多かった。
なので、ほぼ毎晩この「サウナ」に通って、中国のいろんな出身地の女の子と楽しく過ごしていた。
一番思い出に残っているのは最終日についてくれた四川省出身の子だった。
低身長でクリクリっとした目、そしてショートカット(サウナでは珍しい)の女の子だったのだが、この子がとにかく「萌えキャラ」だった。
日本の美少女アニメとかに出てくるキャラクター、もう本当にあれそのもの。
なんか話し言葉の語尾に「~にゃあ」と付くのがまず、萌えポイント。あれは方言か何かだったのか。
さらに圧倒的なドジっ子だったのが萌えポイント。私の頭を洗ってくれようとするのだが、背が届かない。
そこで私がしゃがもうとすると、そんな事しなくていいとジェスチャーする。
そして、バスタブの縁に立って頭を洗ってくれようとしたのだが、足を滑らせて落下。「にゃああ!」と言いながら。
で、そんなサウナライフの一方で、東莞の街には大量の「置屋」があったのでそっちも見学しに行った。
ここはどういう場所かというと、「サウナ」で働けなかった女の子たちが溜まっている場所。
「サウナ」で働くには厳しい面接があって、さらに「身元が明らかな18歳以上」というルールがあった。
そんな置屋の一つに入ってみる。太った黒シャツのおばちゃんが待ち構えていた。
英語っぽい言葉で「あんた日本人?日本人だね?じゃこっちだ!」と腕をつかまれ、どこかに連れていかれる。
連れて行かれた小部屋でおばちゃんが何か叫ぶ。すると……
カウンターテーブルの後ろから、ひょこっと女の子が飛び出してきた。
それも5人ぐらい。あとからあとからひょこひょこ湧いてくる。どうなってるんだあのカウンター。
並んだ女の子たちはハッキリ言って「女児」。5歳から10歳ぐらいの子たちだったと思う。
え、何これ…何が起きてるんだ。
そう思う間もなく、おばちゃんがその子たちのカラフルなTシャツを、片っ端からまくりあげていく。
そしてまた私の腕をつかみ、「ほら触りなよ!」とばかりに引っぱるので、大慌てで手をひっこめた。
「日本人だったらこういうのがいいんだろ?違うのか?」とおばちゃん。
ここで私は少し哀しくなった。何やってるんだよ、日本人……
おばちゃんの説明によると、日本人はいつも団体でこういう女児を買いに来るという。
いわゆる「買春ツアー」というやつなんだろう。しかもロリコン専用の。
なんだかなぁ……という思いを残し、置屋を出る。いずれにせよ、最初から利用するつもりは無かったので。
なぜならこの置屋地帯、衛生的にかなり問題があるという話を聞いていたので……
他に夜遊びと言えば「カラオケ」にも行った。
この「カラオケ」には数タイプあるようで、現地で仲良くなった台湾のおっさんに連れていかれた「カラオケ」はみんな全裸だった。
そこでいい雰囲気になったら、別部屋でイイコトをするらしい。
なんでも、最初に一人、二回戦に二人、三回戦に三人…と女性を増やしていき、七回戦までいったら「北斗七星マスター」みたいな称号が貰えるそうだ。
ちなみに台湾人の女性の好みは「コロコロっとした健康的な女の子」みたいで、全盛期の小向美奈子みたいな子がいっぱいいた。
また、深センから遊びに来ていた若手起業家みたいなグループに連れていかれた「カラオケ」は、普通のナイトクラブみたいな感じだった。
こちらは基本、マンツーマン。薄暗い部屋でイチャついて、いい雰囲気になったら各自店を出ていく感じ。
女の子のレベルは異常に高かった。私もよく分からないままに座らされ、隣にとんでもない美女が座る。
客も女の子も流暢な英語で話しているが、私はそこまで話せないのでおとなしくしていた。
すると、私に付いた女の子が「お腹が空いたなら、うちで一緒にご飯を食べよう」と言ってきた。
唐突な提案に驚きつつも、このままここにいても浮いちゃうし、なんだか面白そうだったのでその提案に乗った。
その子の家まで向かうタクシーの中で、その子には病弱な弟がいて、同居しているという事を知った。
病弱な弟を救うのにお金が必要で…とか、そういう筋書きかな。なんて邪推をしていた。
そして連れていかれたマンションの一室には実際、男の子が待っていた。
三人で一緒にご飯を食べた。食卓を囲んで。黙々と。なんだろう、この展開。
ほぼ無言の食事だったけど、不思議と気まずい感じにはならなかった。
弟さんは最後まで一言も話さなかったけど、目が合うと微笑みかけてくる子だった。
食事が終わったら、ぼーっとテレビを観た。で、少ししてから帰った。普通に帰った。
帰りにいくらか渡そうとしたら、強く拒否された。これはプライベートだから、って。
じゃ、せめて食事代だけでもと言って、無理やりお金を掴ませた。
正直、タクシーに乗った時点で美人局とか、睡眠薬とか、そういうパターンを想定していた自分を恥じる。
そして帰りのタクシー。陽気な運ちゃんが「日本人の友達いっぱいいるんだぜ、このノートを見ろ」といって渡してきた。
日本人と思しき名前が記されている。明らかな偽名だった。そして、名前の上にふりがなみたいな感じでこう書かれている。
「ぼったくり きをつけろ」
なんだかいろいろあった一日だった。
当時の東莞という街は性産業以外にもいろんな闇の側面があって、その中でも海賊版DVDは隆盛を極めていた。
私はそのうちの一つのお店に、ほぼ毎日通っていた。とにかく何でも売っているので、楽しくて仕方がない。
ディズニー映画やジブリ映画の全集セット。勝手にボックスを作り、ウォルトディズニーや宮崎駿の写真がどーんと入っている。
日本アニメも新旧さまざま揃っている。映画ドラえもん全集、ドラゴンボールZあたりが人気だと言っていた。
ルパン三世も全テレビシリーズをまとめたBOXがあった。ルパン一味の他によく知らないおっさんが入ったビジュアルが使われていた。
日本ドラマもかなり充実していた。古畑任三郎BOXとかすごく欲しかったけど買わなかった。
アメリカのプロレスとかも、DVD40枚組とかでデカイBOXにして売っている。本当に何でもある。
海賊版DVDの世界は、内容関係なく「1枚いくら」というシンプルなルールで成り立っている。
最新映画だろうが、過去の名作だろうが、スポーツだろうが音楽だろうが「1枚いくら」。中身はどうでもいいのだ。
当然、著作権なんて関係ない。「なんかこのアニメが入ったDVDはよく売れるね」ぐらいの認識。
なので、枚数が多いBOXをやたらと進めてくるのだ。トムとジェリーとか。NBA大全とか。
毎日通っていた海賊版DVD店は、おばちゃんと幼児で店番をしていた。
幼児は巨大なビニール袋に入った落花生をひたすら食っていて、店中にそのカスが落ちていた。
他のDVD店にも行っていたのだが、ある日、そこの店員の若い兄ちゃんが話しかけてきた。
「今日はすごいヤツが入ったんだよ。一緒に観るか?」
突然の提案だったので少し驚いたが、なかなか無い経験だと思って店の裏についていく。
そこには店員の兄ちゃんの他に二人、たぶん友達?みたいな人たちがウンコ座りで待ち構えていた。
一瞬だけ「あれ、これカツアゲとかそういうのか?」とも思ったけど、それにしてはフレンドリーな雰囲気なので一緒に座る。
日本のAVだった。しかもちょっと前のやつ。もちろんモザイク入り。
兄ちゃん達はそれを、食い入るように見つめていた。もう私の存在なんてどうでもいい感じ。
よく考えてみたら、これだけ巨大な海賊版DVD店が大量にあるのに、アダルトは一回も見かけなかったような……
たぶん闇営業であっても、そういうのは「ご法度」になっているんだろう。
そしてそういうエロDVDは、こうやって店の裏で上映されているんだろう。
この件に限らず思ったのは、当時の東莞は完全な犯罪都市ではあったけど、それなりの秩序はあったという事。
例えば海賊版DVD店も、月に何度か一斉に「休業」する。そしてその日は必ず警察のガサ入れが入る。
先程の「サウナ」という名の風俗店にしても、操業自体は違法だけど「18歳以下」の女性は絶対に雇わない。
ブランド品とかもそうだった。9割はニセモノなんだけど、1割はホンモノだったりする。そして絶対に同じ値段は付けない。
なんだか、そういう暗黙のルールみたいなので成り立っている街だったと思う。
つい先ごろ、薬物の利用をした。以下で具体的にどの薬物をどう利用したかを書くことはない。また、その瞬間における体験がどのようなものであったかについても書くつもりはない。私が書くのは、翌日以降に残った薬物の影響と、そこから感じた「政治」についてだ。
「それ」からしばらく経ってから、PCチェアでうたた寝した。それ自体はしばしばあることなのだが、ある夢の最中で「これは夢ではないか?」と思い、そこに居合わせた人に自分の頬をつねってもらうように頼んだ。痛みを感じたので無事夢ではないことがわかったのだが、それは結局夢であることをPCディスプレイを目の前にして知ることになる。
それ以降はいわゆる「金縛り」状態を2~3回ほど繰り返した。自分がPCデスクの前に座っていることは分かっていて、半分夢の中にいるせいで体が動かないことも分かっているのだが、何もなすすべが無いのである。何度起きようと試みても無駄だった。金縛りの最中に、おそらくは夢由来の幻聴も知覚した。ひた、ひた、と自分の後ろ側を何者かが歩いている音がするのである。幻聴であること自体は比較的すぐ看破したが、それで音が消えてくれる訳ではないし、「万が一もし本当だったら?」という恐怖や不快感も続く。
その時はたしか「これが金縛りという医学的現象とそれに付随する意識低下に基づく幻聴だと分かっていても怖いのだがら、そりゃ枕元に誰かが立つという話が山ほど作られるわけだ」と金縛りと幻聴に苦しみながら考えていたように思います。結局その後何かの拍子に金縛りが解除されベッドに飛び込み、ぐっすり眠りました。
翌日。昼過ぎですかね、PCチェアに座っていると唐突な眠気が襲ってきました。そしてまた金縛りに。今度は周りが明るいのもなんだったらディスプレイに何が表示されてるのかも分かるぐらい意識がはっきりしているのにもかかわらず(まぶたを開けたまま寝てたのか、記憶がまぶたの裏に焼き付いていたのかは判然としません)、腕をアームレストから引き剥がすことが出来ないのです。この頃になると結構夢世界のルールが分かってきていて、ある程度は現実世界らしく振る舞うが、度が過ぎると初期配置にリスポーンする。
目覚めようと色々試してみました。体が動かないので叫んでみたり(今でも実際に声が出ていたのかどうかは分かりません。一応壁厚いし昼間だからまあいいかと思って叫びました)。どのようにしてか体重のバランスを変化させ椅子ごとすぐ後ろのベッドに飛び込むことは出来ましたが、いつの間にかまた普通に座らされていました。右手だけがある程度自由になったので手元のガラスのコップを放り投げました。ガシャンという音と女性の悲鳴が聞こえてきました。奇妙に思い都合良くもう一つあったコップをまた投げてみました。また同じくガシャン、キャー。効果音の使い回しだな、と思いました。このあたりからどうでもよくなってきて、右手でロジクールの無線マウスを開けて電池を取り出し、口に入れてみました。その電池はソフトキャンディのように柔らかく噛み切れ、口の中には電気の味が広がりました。金縛りが解ける気配もないし、せっかくだから現実じゃ出来ないハチャメチャなドエロいことをしようと思ったが勃たない。
飽きに飽きたところでようやく両腕が本当に自由になったので(この時点ではまた両手だけ動かせても意味ねーよと思っている)、なんとなしに首の裏で組んでみた。そしてまたゆるめの金縛りに戻るのだが、今度は指先を動かそうと念じると実際動き、首の裏の神経が反応するのである(あたりまえ)
その辺りから徐々に体の操作権を取り戻し、ついには金縛りから脱するに至った。どうやら1時間ほど金縛りの中にいたようです。その後も軽微な「自分の手が自分の手に思えない」現象などはありましたが、今は元気です。
挙げた種々の現象はおそらく離脱症状のあらわれであったと思われる。現状のニートのままであれば、まあ用法用量を守って数日おきに刹那的に楽しみ離脱症状は当然の報いとして受け入れる、という選択肢が有望に思われる。
しかし仕事に就こうと思えばこうした薬物からは距離を取らなければならない。なぜなら、楽しい休日の次が必ず丸1日潰れ増田に長文を投げるぐらいの仕事しか出来ませんでは困るでしょう。
こう考えていると、薬物緩和肯定派がよく言う「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」といった主張へも、多分緩和派とは別の意味で同意できるように思うのです。この程度の薬物(=歴史に悪名を刻んでいない薬物)ですらこうなのだから、より作用が強い物はより翌日以降の影響もより強かろう。それを規制しようとするのは政府としては極めてまっとうなことであるように思われる。俺が総理大臣でもそうする。
薬物論争においては常にやり玉に挙げられる酒タバコも、翌日への引きずりかたが比較的軽微であるというところで、許可されてきたのではないでしょうか。二日酔いはたいていの場合本人の無茶な飲み方が問題と考えられているし、タバコの離脱症状はより些細である(あくまで外から見る分には。タバコが切れてナイフを振り回した人を俺は知らない)
例えばアルコールやタバコの年齢制限だってそうだ。われわれは未成年の酒タバコは成長に良くないと思っているが、一度でも根拠となる研究のタイトルとか要約を聞いたことがあっただろうか?(同じ理屈で同じく根拠が示されずコーヒーや炭酸やマッサージ器を禁止された人は多そうだが)結局の所われわれは未成年の酒タバコを、将来健康な青年として税金と年金を納めてもらえるように禁止しているようなものだ。
「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」と俺も思うが、俺は政府は正しいことをしていると思う。これは愚行権の問題で、もはや俺の手に負える問題ではない。『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫の法哲学入門』というクソにも程があるタイトルの本が実は、日本を代表する法学者による一般向けの本の中では相当高いレベルにあるのでおすすめです。
愚行権の話はおいておくにしても、ひとつ問題がある。われわれは、「政治」が嘘をついているとき、その嘘を暴くことが「政治批判」になると思ってきた。先に挙げた「政府は国民の幸せなど全く考えず、いかによく働かせ税金を搾り取るかという観点から薬物を禁止している!」というのも、一聴すると「市民に自由を!」とシュプレヒコールで答えたくなるが、では月曜日に離脱症状でうっかり自殺したり「サーセン、副作用で動けないんで有給…はもうないんでしたっけ、まあとにかく休みます。…ツーツー」といった事象が多発するような社会に住みたい人間などいないのである。
こんにち、嘘を嘘と見抜くだけでは批判にならないのです。では…
続きは気が向いたら書きます。
疎遠な遠方の友人だった。人生の転機にあたって悩んでいたので応援してあげたら、それが彼女の心に触れたようだった。人の心にふれる喜びを感じて、僕もとても嬉しくなった。その後幾つか内面を打ち明けるメールのやりとりをしたら、この人に久しぶりに会いたいなと思った。帰郷の折にグループで会ったけど話足りない。次の帰郷の機会に、今度は二人で会うことにした。
自分のことを包み隠さず話せる人と、他人の耳を気にせず深い話が出来たら、最初はそんな気持ちだった。彼女はもっと距離を縮めてくれていいよというサインを送ってきている...ように感じた。どこで会うか、そんな計画をメールで立てているうちに、彼女からのメールを待ち遠しく思っている自分に気付いた。僕は恋している、と思ったら、その恋に惹き込まれるのはあっという間だった。二人で会ってみたら、彼女も僕に恋しているのはすぐ分かった。世界がぐるんと回った。
家族のために、自分の仕事のために、とても一生懸命に生きている人だった。若い時に一人旅をする中で自分のやりたい事を見つけたという話。その行動力が素敵だと思った。同じような時に同じような旅をした自分を重ねた。論理的に緻密に考える人ではない。自分の感情や思いを言語化するでもない。それでいて大事な事はちゃんと分かる。翻って僕は自分の恋の話さえ文章に書かないとそれについて考えることが出来ない。地面を這い回っている僕には、空を翔ける鳥を見上げるような思いがした。そして、それなりに辛い経験や自分の思い通りにならない事にぶつかってきたのに、そういう人生の転機にあたって、砕けるでも諦めるでもなく、与えられた境遇に新しい生き方を見つけていく様が、とても自由だと感じた。自分はこうであらねばならないという拘りがないから、どのような形に押し込まれても平気のようだった。そんな生き方があるのか。なんと美しい。それに加えて、分かりやすい可愛らしい弱点。方向音痴。虫が苦手。その落差が子供のようでとても愛らしかった。彼女の全てがとても大事で愛おしいものに感じた。自分の中に誰かを想う気持ちがこんなにも泉のように湧いてくるなんて、長らく忘れていた。
でも、遠距離の恋は難しかった。会いに行けるのはせいぜい三ヶ月に一回位。彼女は彼女で子供がいて時間もほとんど自由にならない。会えない間に少し遠ざかった彼女の気持ちを温めて、打ち解けてきた所でいつも時間が終わってしまう。折角遠路会いに行ったのに、子供が発熱して小一時間さっとお茶するだけで終わってしまった事もあった。そんな大変な中、出てきてくれただけでもありがたいことなんだ、そうは思う。そんな大変な時にありがとう、とむしろ僕が謝った。でも一方、急に空いた午後の時間を一人で埋めないといけないのは、とても寂しかった。本屋でちょっと立ち読みをしてみて、せっかく帰郷してきたのになんで僕はこんなどこでも出来ることをしているのだろうかと思う。地元で有名な日本庭園を散策するが、どうしても彼女の事を考えてしまう。寂しい。今日どうしても銀行に行かないといけないから夕方じゃなくて午後早くにさよならしたい、と会ってから言われた時もあった。そういう事もあるだろう、頭では分かる。でも、よりにもよって、僕があなたと逢えるこの三ヶ月に一度の日でないといけないのか。彼女には何も言えなかった。そんな事を言って何になるというのか。でも、そうやって口に出来ないで自分の中に溜め込んだガッカリは僕を蝕んだ。
逢えない代わりにと僕は手紙に心を託した。身の回りの事を、自分の感じたことを、昔の話を、彼女の素敵なところを、折りに触れて言葉にし、書き送った。自分が手紙魔だと初めて知った。言葉にするようになると、心動かされる事に対するアンテナが敏感になる。世界が一段と鮮やかになったように感じた。しかし、彼女からの返信は段々間が伸び、短くなり、やがては会う算段や電話する時間の調整とかの実務的なやりとり以外はぷっつりと途絶えた。彼女には自分の思いを言葉にするのは大変な労力を要する事らしかった。素の自分をさらけだして真心を込めて書いた手紙に何の反応もないのは寂しかった。僕に興味を失ってしまったのだろうかと何度も自問したが、届いた手紙は大事に読んでいるという彼女の言葉を信じて書き送り続けた。彼女を想う気持ちを自分の中に確認するように言葉にして送り、手応えのないその行為の虚しさに絶望して傷つき、そんな循環を数カ月おきに繰り返した。
恋という、人と気持ちを通わせることの美しさを一番感じられるはずの時に、僕は未だかつてない孤独を感じた。
長い文章だから良くないのかと思い、メッセンジャーを試したこともあった。短い文章や写真。重い気持ちを乗せるから筆が止まるのかと思い、もっと軽い話題を心掛けたこともあった。思いついたように返事が来る時もあれば、一週間経っても既読にさえならないこともあり、やはり僕は傷ついた。
電話、というかビデオ通話が出来る時はとてもよかった。画面に映る彼女は大体は饒舌で、鈴のように笑い、僕の贈ったアクセサリをいつも付けてきてくれた。僕は彼女の周りで起こっていることを聞き、昔話をせがみ、唐突に愛の言葉を呟き、はにかむ彼女を見て心を満たした。しかし、この大切な機会は中々回ってこなかった。
一方的な関係の辛さに耐えられなくなると、僕は助けを求めるメールを送る。彼女は時間を捻出してくれて、ビデオ通話で話し合う、そんな事が何度かあった。そうやって話し合って分かってきたのは、彼女が僕を大切に想う気持ちと、子供の手前罪悪感を感じる気持ちとの間で、葛藤があるという事だった。そうか、それで僕は混乱したシグナルを受け取っているのか。
しかし、この二年の間、彼女が僕を想う気持ちの波も、寄せたり引いたりしなが全体としては確実に下がっているようだ。葛藤というのは二つの相容れないものの間で選べずにもがき苦しむ事を言う。彼女が苦しんでいる様子は僕には伝わってこない。彼女は「二つの相容れないもの」の間の優先順位をハッキリ付けたように思える。彼女にとって僕が何なのかは分からない。彼女はそういう事を説明してはくれない人だから。
僕ももう、彼女にとって僕が何なのかを言葉で確かめようとしてはいけないように感じている。もう何度も試したのに分からないままなのだ。彼女には答えようのない問を投げかけたってしょうがないではないか。誰がそんなウジウジした話を何度もしたいと思うだろうか。僕だって彼女に喜んでもらえるような楽しい話だけがしたい。あの鈴のような笑い声を聞きたい。
だから、言葉で問う代わりに、僕は一生懸命アンテナを張って、ビデオ通話越しの声やボヤケた彼女の表情からそれを読み取ろうとする。でも考えれば考えるほど分からない。僕のことを特別に思う気持ちはある、という。でも、それは何か美しい花のように、あれば嬉しいけれども無いならないで構わない、そういう性質のものに思えて仕方がない。僕はもっと自分に自信がある方だと思っていたが、一週間経っても既読にならないメッセージに、返事のこない手紙に、僕の自信はすっかり打ち砕かれてしまったようだ。
僕が自分の愛を言葉にし続ける事をやめた瞬間に、僕と彼女の作ったこの儚い波打ち際の砂の城は波に呑まれて跡形もなく消え去ってしまうようにしか思えない。あの美しいものが、そんな風になくなってしまうなんて。こんなに大切な人が僕の世界からいなくなってしまうなんて。耐えられない。この人は僕の事を大切だと言ってくれているのに。
しかし、一方的に愛を伝え続けるのに僕はずっとは耐えられない。言葉にすることで研ぎ澄まされた、僕の大切な気持ちが路傍に打ち捨てられるように感じるたびに、僕は自分が、自分の愛がどんどん無価値なような気持ちになる。そもそも、そんなに一方的な関係は、普通、恋ではなくて片思いと呼ぶのではないか。
僕はどうしたらいいのだろうか。
疫病が始まって以来初めて、遠路を訪ねて、彼女に会いにいく事にした。
この恋は、どうなるのだろう。
色々引っかかったんで、愚痴。
結婚二年目。
夫の誕生日に結納をしたので、私の誕生日に入籍&結婚式をした。
私は、結婚記念日&私の誕生日祝に、友達に教えてもらった○○というフレンチレストランに行きたい、とリクエストしていた。
(ちなみに夫の誕生日には結婚式を挙げたホテルでディナーをした)
まあいいや、自分一人でランチ食べに行くから!って思ってたんで、すっかり忘れていた。
だから、今回は記念日に特別なことは何もないんだろうなーと思ってた。
(去年は、自分達が結婚式を挙げたホテルから無料招待券をもらったので、それを使った。)
少し早目だけど結婚記念日&誕生日祝とのこと(記念日は今年は平日の水曜日だったので)。
それはそれでちょっと嬉しかったんだけど、夫の言い方に引っかかったんで、何時に予約したのか聞いたら。
「予約してなくても良さそうだったから大丈夫! 11時から15時まで空いているからその間にいつでも行けるよ!」
と自信満々。
お店に問い合わせをしたら予約は受け付けてないとかそんなんだったんかな?と思って、とりあえず13時頃に店に行く。きっと混んでるだろうなー、と思いつつ。
するとお店の駐車場は混んでいるどころかガラガラ。一台もない。
嫌な予感しかしない。
「予約しなくても大丈夫って言ってたじゃん!お店に電話しなかったの!?」
オイコラ!
結局、夫から、近くでどこかフレンチがないか探せ、と言われ、慌ててネットで検索。
ウェディング会場にもなるところならまあハズレはないかなー、と思って、そこを予約。
ってか、なぜ唐突に行くことになった外食のセッティングを私がせにゃならんのだ、とそこでも引っかかりを覚えつつ。
そこで、無事、食事を終えた。
食事は可もなく不可もなく。
ウェディング会場もやっている割には、給仕の所作がイマイチだなー、とか、厨房のガチャガチャした音が店内に響き渡るのも頂けないなー、と思ったけど、そこは、内心に留める。
なのに、夫ときたら、食後、家に帰ってから、「3,000円は高すぎる味だった」と曰わった!
と内心イラッとしつつ。
「ランチタイムのコース料理で、リーズナブルなお店ならこんなものじゃない?」
姑から記念日なんだし、私を食事にでも連れていきなさい!と言われたかららしい。
はああああー、残念過ぎる。
私が言ってもスルーだったのに、義母に言われれば連れて行くわけ?
実は、数ヶ月前に誕生日はプレゼントとかいいから、毎年、花束が欲しい、一輪でも凄く嬉しいから!と言ったんだけど、覚えてるかなー。
それについては、わかったー、と言っていたのだけど。
先々週辺りから、囲碁クエストの9路で毎日三局くらい打っている。毎日打ってるつもりが気づくと3日空いてたりするんだけど。
先々週に、唐突に囲碁打と! と思うまで、半年くらい真面目に打っていなかった。半年間の間にも打つには打ったが、ごくたまにだ。
半年どころか、もしかすると一年くらい前かもしれないが、レーティングが級位よりも一級ぶん下がったまま戻らなくなった。つまり、私の級位は2級なのに、レーティングは3級相当(1400~1499)ということだ。
その頃は、10局打つと7局は上手と当たってしまいボロボロに打ち負かされた。今はというと、別に勝率がすごく上がったということはないように思う。ただ、2級なのに四段とマッチングされることは、あまりなくなった。
ところが、別に自分が劇的に変化した訳でもないのに、レーティング順のランキングが11000位台から9000位台にアップ。いきなり2000人くらい抜かしたことになる。
もしかすると、レーティング1500よりも少し下くらいのところに一つの大きな壁があって、ここら辺の競技人口がやたら多く、団子のようになっていて、そこから少し抜けただけで順位がたくさん上がるのかもしれない。
が、それにしてもなんか変な感じ。最近、強い人に当たんないなと思う。マッチングの待機時間は以前よりも短いくらいだから、同時間に囲碁クエストにアクセスしている人は以前より多いのかもしれない。が、なんとなく全体の人数が減っているんじゃないかなという気がするのだが、どうなんだろう。
レーティング順のランキングを見ると全体の人数は37490人となっている。あれ、前からこんなもんだったっけ?
なんかよくわからんのだけど、別に強くなった訳でもなく、実際多く勝っている訳でもないのに順位だけ上がるって、あまり気分よくないな。