はてなキーワード: 労働意欲とは
31になった。
区切りから1年たつがまだ20代の気分というか実感がわかない。
新卒の頃の責任感は今思えば気負いすぎと思うが今もあとから思えばそうなんだろうか。
実力に見合わずポジションややる仕事や指示することが多くなった。
完璧主義なところがあるので気持ちに踏ん切りがつかないとエンジンがかからない。
ここ数カ月そうだ。
なにが踏ん切りなのかはわからない。
結婚する気はない彼女との関係の罪悪感、実家の親の病気、今の仕事をやりきれるだろうかという不安、元彼女への未練、もっとチャレンジしてステップアップできたキャリアへの選択の未練、溜まっただけで労働意欲を失わせ続ける貯金。
手につかない、集中できない。
あんなに長かった通勤も短くなった、家も1k、虫が出るボロ家じゃなくなった、仕事の裁量も増えて、理不尽なことに合うことも少なくなった、毎日パスタばかり食うこともなくなって、ある程度好きな物も買える。
でも虚無感は一切減らないどころか、エネルギーがなくなった。
這い上がってやる、焦燥感がなくなった。
昔嫌いだった、わざと頭の悪いふりをして、さぼって楽をして後輩に仕事を押し付ける先輩に、なりつつある。
仕事はまだまだ成長する要素はある、奥は深い。
あの頃憧れていた、雲の向こうにいるように思っていた先輩と同じ役職、同じ仕事をしている。
あの頃と同じくらい魅力的な目標や成長すべき要素もある。
でも虚無感が酷い、手につかないのです。
あの頃の方が肉体的に疲れていたはずなのに、今のほうが労働時間は短いはずなのに、もう疲れた。
あれがあれば、これがあれば、でもがいて手に入れてきても結局今か。
料理も粗末だけどできるようになった、いつか食べさせたいと思って密かに練習して、継続していたから。
仕事がんばるのってかっこいいって、疑わずにエネルギーを向けられていた時が懐かしい。
もう、どうでもいい。
30代というかここ数カ月は陰鬱で、熱もない。
ひたすら森のペンションで鳥の声を聞きながら森林浴してあったかい飲み物を飲みたい。
どうでもいい 髪も伸びた ヒゲも伸びた
森にこもりたい
俺の労働意欲も終了だよ。
まぁ国家インフラを支えるインフラって土木だしな、語らない理由は自明だったりするんだけれども
フィリピンはジェンダーギャップが少ない国として知られているけど、これはフィリピンが人材輸出大国なせいだったりする
欧米諸国で女性がメイド(そして水商売女)として渡航し大金を稼ぐようになると、フィリピンに残された男性は妻である女性が大金を稼ぐので労働意欲が低下してしまった
何なら酷い事例を挙げれば妻が海外で稼ぎ送金した生活費を使い込み愛人を囲って更には違法ドラッグまで手を出した
そのような状況となりフィリピンでは道路や鉄道、電力網、治水施設がガタガタとなり国力が急速に低下
フィリピンに残っている女性も体力仕事である土木をこなせなくて国家インフラの整備が遅々として進まなくなってしまった
そこでキレたフィリピン女性はドゥテルテを大統領に押し上げることとなる
anond:20200123025202 がバズってたのに刺激を受けたのでちょっと書いてみるよ。
以下皆さんがベーシックインカムに関して気になると思う点について書くよ。
障害年金だけではおこづかいにしかならないので皆ちゃんと働いてるよ。働けない人はA型にもいられずにB型に回ってるしね。
あとあまり言われないけど、就職活動にも交通費その他で金がかかるし、働きはじめて最初の給料日までは交通費その他は自分の持ち出しなので、障害年金があって助かったよ。変に足元を見られないのでよかった。
最低賃金は支払われるからその心配はないよ。ただ仕事にはどう見ても生産性の低そうな内職(工場からの請負が多い)や農業等がまざっているので、それらの産業を補助金で間接的に支えていることになるのかもしれないね。
あと、職員は主婦パートが多い。主婦パートは旦那の稼ぎで食えている部分があるからあまり賃金に文句はつけないと思われ、その点で利用者も職員も共に賃金に文句は言わない傾向なのは一緒。
以上報告でした。みんなが聞きたいことがあればまた書くよ。
もう疲れちゃったと夫が言う。もともと労働意欲はなく惰性で働き続けているが、もう辞めたいと。
辞めたいなら辞めてもらっても良いのだが、困ったことに私は毎月の手取り額が14万しかない。これでは彼をとてもじゃないが養ってあげられない。
Word、Excel、Accessは使える。VBAとSQLは少しだけわかる。コミュニケーション能力もあるし、わからないことはすぐに聞くし、自分用にマニュアルも書くなどして新しい業務には対応できるよう努力してきた。
新しい所に行って、転職すべきだろうか。転職して今よりお金を稼ぐことは出来るだろうか。
[追記]
反応読んだら、会社のトイレで涙ぐんでしまった。話聞いてくれてありがとう。
養うのは無理にしても、手取りで25万くらい貰えるようにキャリアアップしたいし、その為に今の職場をやめて転職しようかなと考えている。25万も貰えなくても、
こういう配分でも、多分なんとか生きていけるだろう。
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。
財政赤字が拡大してくると、政府は貨幣を発行して支出に充てる。貨幣を大量に発行すると市場には金があふれ、金の価値が低下してインフレが起きる。これがこれまで主流の経済の考え方だ。実際にジンバブエやベネズエラではやりすぎてハイパーインフレーションを起こして経済が大混乱に陥っている。MMTでは「財政赤字」と「民間の富」は借方と貸方のような関係なので、民間が豊かになるにはそれと同じ額の財政赤字を抱えているのが普通である、だから財政赤字を嫌がって財政支出を制限する必要はないと考える。MMT擁護派の一部の人達は「財政支出をどれだけしてもいい」と言っているがこれは誤解である。。MMTの特徴を理解してもらうためにあえて強調しているのかもしれないが、そんなことをすれば反発を生むだけだ。MMTでは「市場に存在する資源や労働力などの価値」と同じだけの財政赤字を政府が抱え、それと同じ額が民間の資産額となる。資源以上の貨幣を発行するとインフレが起きるので、インフレターゲットまで物価が上がってきたら追加発行を止めなければならない(貨幣を発行しすぎるとインフレになるという考え方は主流派経済学と同じ)。デフレの起きている現在の状況では財政赤字が膨らむことを恐れて緊縮財政にする必要はない、だからインフレが起きるまでは財政支出しろ、というのが正しい理解である。そしてこの考え方は正しい。ただし、50年前までなら。
昭和の時代、国民の大多数がマイホーム・マイカーローンで家計のやりくりにあえぎ、余裕がでればテレビ・洗濯機・冷蔵庫を買っていた。1960年(昭和35)に公務員の大卒初任給が12,000円の時、電気冷蔵庫は60,000円した。5倍である。現代の初任給20万円とすると冷蔵庫が100万円する計算だ。当時は氷を使った冷蔵庫が一般的だったし、洗濯はタライで、掃除はホウキとチリトリでおこなっており、家事を劇的に改善してくれる家電製品はみんな欲しがったのである。ご存知の通り、この時代は10年で物価2倍のインフレだ。公共事業で民間に金を落とし、経済が活発化し市中に出回る金が増えればインフレになったのである。公共投資も、例えば道路の舗装化や高速道路であれば流通の効率をあげ、上下水道や団地を整備すれば人が集まって地域が活性化したのだ。
現代はどうか。日銀はずいぶんと財政緩和しているがデフレが長いこと続いている。今は公共投資をするといっても、一通り需要の有りそうなところの道路は舗装されていて、道路を舗装しても流通効率はあがらない。既にある道路の水道管補修などでは利便性に変化がないので、経済の活性化には貢献しない。上下水道や電気もあって当たり前の時代だ。公共投資で市中に金を落とすことで若干購買意欲を高めることはできるがそれだけでは弱い。文化的にも成熟してきてマイホーム・マイカーを信奉するような時代ではなくなった今、多少金銭的な余裕ができても大きな買い物などはあまりしない。製造や流通も効率化され、安く生活しようと思えば100円ショップやスーパーの衣料品などでずいぶんと安く生活できるようになった。年金の先行きは不透明だし貯金がないと老後が不安である。このような状況では貨幣の供給が増えても、その分貯蓄に回るだけで経済は好転しない。
また、貧富の差は大きくなっている。戦後はGHQによる財閥解体などがあったが、基本的には金持ちはさらにお金を儲けるために金を使うので、富めるものはますます富むのである。貧するものは生きていくために悪条件でも仕事をせざるをえず、なかなか裕福になるチャンスは得られない。これは資本主義経済が抱える根本的な問題で、過去には革命や敗戦などで富の再分配がされることはあったが、平和な現代ではその圧力も少ない。いや戦争で殺し合いが起こるよりは遥かにマシではあるが。
19世紀からこの問題の解決策を提案していたのはドイツ人マルクスであるが、マルクスのとなえた共産主義は失敗に終わった。ソ連は崩壊したし、中国も私有財産を認めて経済に関しては自由に商売をさせ、社会主義の名の下に共産党一党独裁体制を敷いて反抗する企業は締め上げるという独裁ぶりである。大きな組織に強い権力を持たせると、腐敗して独裁化して富と権力を独占化してしまう。理想をもって最初に体制を作った時は良いかもしれないが、指導者が数回交代した後には無様なものでる。
人間が欲をもった生物である以上、これは避けられないのではないだろうか。
貧富の差が根本問題である以上、是正するには富の再分配しかない。しかし例えば巨大企業を国有化してベーシックインカムで再分配しようなんてことになると、これは失敗した共産主義の後追い自殺になるのではないだろうか。国有企業は競争原理がうまく働かず効率化されずに無駄が多くなったり、働いてる従業員がなぜか自分個人が偉いと勘違いして業務が怠慢になったりする。ベーシックインカムを行うための企業だけが富を独占化し、そこの社員でないものの人権が蹂躙されるという社会主義国家になるのではないか。
財政的にはベーシックインカムも可能かもしれないが、導入後50年100年経った後の日本は競争力をもった国でいられるだろうか。リン鉱石でベーシックインカムをしていたナウル共和国では、国内の農業・漁業が衰退した後にリン鉱石が枯れて経済的に立ち行かなくなり外国からの援助に依存している。
筆者個人としてはもういい年齢なのでベーシックインカムもらって引退したいところではあるが、未来の日本が衰退して行くのは忍びない。ホリエモンはベーシックインカムを導入しても、もらえる金額が今の年金より少ないのでみんな頑張って働いてもっと稼ぐよ、という意見のようである。果たしてそうだろうか。彼自身はは思春期に高度経済成長期を経験しているし、才能もハングリー精神もあるから成功しているんだろうが、現代の若者のどれくらいの割合の人が同じように考えるのか。働かずに生きていけたら贅沢しなくていいやっていう人は昔より増えている。ベーシックインカム二世や三世の世代にはさらに労働意欲がなくなっており、ナウルのようになってしまうのではないか。
厚生年金の標準報酬月額みたいななんの生産性もないクソみたいな事務は一切なくしてベーシックインカムに一本化して、公務員や生産性のない事務員の人数を減らしてもっと生産的なことに時間を割いてもらうっていうのは良いことだ。生産的なことが苦手で定形作業しかできないような人もいるが、定形作業自体はなくならないだろう。AIやRPAで減ってはいくだろうが。
不況を改善するために「財政赤字を気にせず財政出動する」というのは資本主義が成熟した現代では解決策にならない。財政赤字はある程度あって問題ないが、破綻したときに爆発する爆弾を抱えているようなものであり小さいに越したことはない。破綻時には財政赤字相当額の民間資産が消えるのである。問題は貧富の差にあり、平和的公平的な解決策は今のところない。俺はベーシックインカムが欲しいが、国の制度として導入するのは日本の未来の為にならないと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190419-00000276-nnn-bus_all
この2つがなくなったからって日本にGAFAが爆誕したり革新的な製品が生まれ始めるわけないのにね。
”普通の人生のモデル”としての社会保障みたいな役割がこの2つにはあったのに。
会社に入れることさえできれば、(会社がつぶれない限り)会社の犬として言うこと聞くだけで生きられるとかすごい制度じゃないです?
まぁ飼い主の会社が法律を無視したクソみたいな要求することもあるけど。
高収入だからと無理を強いて本来やることや、人間的な暮らしがができなくなっているのが今の日本の深刻な病だと思いますが。
むしろ、高収入じゃなくてもなにか夢ややりがいがあるから頑張ってるやつだから、過重労働を強いるというのもあるな。
で、夢ややりがいがある仕事はそうやってほぼブラックになり、大企業に潜り込んで、その他多数で過重労働を強いられない立ち位置になって
ヒラメ的に上司の意向を伺って生きていくのが最善の生き方になってる。故に労働意欲139カ国中132位。
ITなんか確かに将来有望な分野であって、「夢ややりがいがあるから」大量のブラックが生まれ、ブラックが多すぎるからと多くの人が逃げ出し、新しい人も来なくなって、
日本のIT産業は完全に敗北した。もう復活は見込めないだろう。
もともとはといえば、医者がワークライフバランスがまともな職場じゃないってのが発端だよね。
医者ってある程度やりがいを感じられる職場。だから、給料以前に無理をしがちだ。
なおかつ、頑張ってるやつには石をバンバン投げてコスト削減だ!生産性だ!と言ってるが、使命感だけでもう支えているような状態。
妊娠、出産をするという女性のライフバランスには致命的に合わない。それは日本の多くの職場もそうだ。
医師は独占だからまだなんとか給料を高く維持できてるが、多くの職場はそれでも給料が低い。
一生懸命頑張るやつは失敗をするリスクもあるから、ますますその失敗が故に貶められる。故に、世界139カ国中132位の労働意欲の国家となった。
「仕事能力も労働意欲もなくて、職場で男にちやほやされながら男漁って早く結婚して仕事やめたーい!って女性にとっては働きやすい」ってなら分かるんだよね。
「女性が尊重されます」ってのも「女性はオタサーの姫として尊重されます」って意味なら。
「理系に女性が増えて欲しい」ってのも、「理系男は女慣れしてないので多少ブスでも平気だし浮気したくても出来ないし
ライバルの女性多数の文系より競争率も低いから好みの男ゲットするのは楽ちんですよ!
だから男にちやほやされつつ結婚相手探したいって女性はどんどん来てくださいね!」ってなら。
(↑は勿論男も女も馬鹿にして書いてるよ)
でも実際は違う。
「新しく若い業界なので昭和の大企業のような男尊女卑の悪習はありません」「女性も男性と対等に扱われます」
そういう言い方をされてる。
でも「女性社員に求める事はかわいい声を出して男性を癒すこと」なんて平気で公言してしまうその矛盾。
「仕事をバリバリする優秀な女性を嫁にして専業主婦にするのが理想」と言うのと同じようなものなんだろうか。
最初から働く気が無い無能女は嫁にしても主婦業怠けそうだから嫌、でもバリバリ女に結婚後もバリバリ働かれるのは嫌
→だから有能な女を専業にしたい、ってやつ。
同じように「最初から働く気がない姫気質女はウザいから嫌、でも有能でやる気ある女は生意気だしBBAになっても結婚しても居座り続けるだろうから嫌、
ほどほど仕事が出来るけど自分の立場を脅かすほどではなく、かわいくて自分を癒してくれて、年食う前に結婚して辞めてくれる女が理想」って事か。
それなら分かる気はする。それが叩かれるのも分かるけど。