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はてなキーワード: ローマとは

2021-11-12

イタリア行ってカプリチョーザ食べた

なんかいっぱい具が乗ったクソでかいピザが出てきた。

旨かった。

ローマの噴水の前の店。

カプリチョーザって、気まぐれなピザのことだったんだな。

2021-11-03

ワサビ活用方法見出し増田酢魔他次第実を方法四つかの美沢(回文

おはようございます

今日文化の日よ!

文化らしいことと言えば!

そうブクマたくさん欲しいというかブクマがたくさんつく増田を書くって言うことを私使命としてプロ増田を目指すことを今やすっかり忘れていた今日この頃いかがお過ごしですか?

もうさ、

文化の日から文化的なことをするって事で、

ちゃんと種まきやっておいたわよ、

ちょこちょこ増田を書いてたくさんブクマがつくようにって

久しぶりの増活!

私が納得するブクマ数までは達することまでには至らなかった火蓋を切って落とすわけには行かなかったんだけど、

私が私にくれたもの

麒麟逆立ちしたピアスじゃなくて、

たくさんブクマのついた増田をみごと達成成し遂げることができて文化の日ね!お母さん!って堂々と言える事となったわけなの。

やっぱり普通増田も書いておかなくちゃいけないことをすっかり

飛ぶことを忘れた鳥のように、

私は毎日何をやっていたの?って自問自答を連続飛び込み前転を行うように繰り返していたわけなの。

まあそれはともかく、

久っさしぶりに本当に久しぶりに

みかん花咲く丘公園前駅の商店街のかつてはよく通い詰めていて久しくこの例のコロナのせいで時間時短よろしく出来なかった焼き鳥屋さんがあったのよ。

で久しぶりに行ったら、

お客さん今までに見たことないぐらいパンパンの満員でテラス席までお客さんがあふれかえっていて、

そのテラス席には急遽というか、

私も初めて見たんだけどそのテラス席!

イカ釣り漁船のなんか明るい提灯ってあるじゃない、

それが吊して照明にしてあって明るいテラスでご機嫌さんたちが大勢だったわ。

私は幸いにして飛び込み前転で入店できたからか分からないけど、

その意気込みを買ってくれたのかは知らないけど、

カウンター角の席が空いていて、

マスター大将に目配せしてここに座るわね!って調子で座ったの。

私がいつも初っぱなにスタートダッシュで頼むスピードメニュー以外のメニュー焼き鳥串盛り合わせを頼んだけど

今日は砂ずりがないから豚バラでもいいか?って尋ねてくるじゃない!

待ってましたと言わんばかりに

いつも一緒のカード

まりしか来ない盛り合わせと言っておきながらいつもの決まったスタイルフォーマットの串が並ぶんだけど、

今日は違ったちょっとランダム性をもたせつつ

といっても事前にもう豚バラの串が来ることはあらかじめ分かっていたんだけど、

ちょっといつものメンバーとは違う焼き鳥の串の盛り合わせで、

町田市焼き鳥よりここの焼き鳥の方も負けてないわよ!って

町田市マンホール焼き鳥の絵柄を思い出しながら食べる焼き鳥もまた乙よねーって

焼き鳥談義に花を咲かせていたわけなの。

ちょうど花を咲かせまくっていて花瓶を2つ目に交換して頂いたところで、

というか私も一人焼き鳥屋さんで活動できる活動限界時間ってのがあって、

まあ要は1時間もしないうちに飽きちゃうわけ。

とても一人で焼き鳥を食べ続けるジャンボ白田さんみたいなメンタルもないしうどん屋経営してないし、

食べるもの食べて飲めるモノ飲んだらわりと潔くパパッと帰るって感じのスタイルなの。

今日は40分ぐらいだったかしら。

マスター大将に夜何時までやってるの?って尋ねたら、

うちは24時間営業です!って。

もうかつての調子を取り戻したかのように営業時間も絶好調ってわけなのね。

コロナ明けてから本当に街にあかりが戻ってきたみたいに、

商店街の灯りもなんだか明るいような気がしてちょっと良いなって思ったのよね。

でさー、

文化的な話題をまた一つ歩織り込まなくちゃいけない文化の日の昨今。

私!

ついにあの問題文化的に解決したの!

それはざる蕎麦に付いてくるワサビの使い方をどうやって食べるのが一番美味しいのか問題

ツユにつけてとかしてしまうと全部わさび味のワサビになってしまうほど、

わさビーフわさび抜き味を彷彿するようで、

終始始めから終わりまで蕎麦を食べる味がまったくわさびの味しかしないのよ。

そこで、そこでよ!

盛られたわさびをちょいと箸でつまんでお蕎麦に乗せて食べるって方法

しかわさびダイレクト直接感が直撃するけど、

わさびの風味をガッカリせずに勇気100パーセントで堪能できるの。

でそのわさびに飽きたら普通に食べてもいいし、

またわさび乗せで戻ってきたてもいいし、

その往復も自由自在なのよ。

だいたいの私ぐらいの頭の人が考えることはすでにローマ歴史を重ねてきた頃から道は一つに通ずるなんていうから

きっとローマ時代そば屋から開発されていたワサビのせの食べ方だったかも知れないけれど、

私はそれに気付いてしまって

もう蕎麦ワサビ乗せ往復自由自在食べに夢中よ。

なにこれ美味しいじゃない!って

文化の日にふさわしいなんか本当に文化的な話しで大変恐縮なんだけど、

いや~

この蕎麦わさびの食べ方の最適解が出てしかも秀逸な再現可能実験でもあるし、

まりは誰にでもお勧めしうることが出来る可能性を秘めているか可及的速やかにできるだけ早く皆に知らせたいってことなのよ。

から今日は私の文化記念日にするわ!

もうよく分からないけど俵万智俵万智じゃないかって言われたら俵万智さんじゃないけど

ちょうどそのわさびの産地を見たら田原町産と書いてあって

わずウソでしょ?って思っちゃったわ。

こんな文化的なことがフィーバーする?って目を疑ってしまったわ。

とても文化的な日ね!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

殿堂入りしたタマサンドはあえてチョイスから外すという

この殿堂入り感!

でどうしても食べたいときに食べるというレア感!

我ながら最強に美味しさが強まって美味しいわね。

デトックスウォーター

なんかまたちょっと暖かくなってきてない?

ホッツもいいけど、

たまには冷たいものをと思ってレモン炭酸ウォーラーを切らしていてしまっていたので、

この時期追加でたくさん買うのは超中期的に見て躊躇してしまいそうよね。

なかったので、

ホッツ白湯ウォーラー温め、

しました。

ストレートなので手間暇掛からず忙しい朝に持ってこいわよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-11-02

anond:20211031163129

超約 ヨーロッパ歴史

・いいところ

ヨーロッパ文明の源泉が古代ギリシャローマ文化キリスト教ゲルマン戦士文化の3要素にある というのを最初解説しているところ。

・だめなところ

ヨーロッパのことしか書いてない。ほかの地域のことについては違う本を読むよろし

2021-10-26

小室Kの結婚、5年後には映画化されてみんな「あの時応援してました」って言ってそう

税金払ってるってだけで偉そうに批判してた人たちが、禁断の恋を盛り上げる舞台装置として描かれ

新聞記者と元婚約者ヒール役でみんなに叩かれる。

題名ローマの平日にしてほしい。

2021-10-13

日本ってマジで遅れてるよな

紀元前3世紀ごろと言えば、

お隣の中国では『キングダムよろしく秦が大陸統一して法も秩序も整ってたし、

ギリシア方面では『ヒストリエ』のエウメネスもとっくに死んでディアドコイ戦争終結

ローマ方面では『アド・アストラ』のごとくハンニバルスキピオバチバチしてたわけ。

で、その頃日本は何してたと思う?

まさか縄文時代

聖徳太子中大兄皇子はおろか、卑弥呼すら生まれてない。

当然法や秩序どころか文字すらない。

土器とか土偶作って石斧で獣追っかけてウホウホ言ってるわけ。

マジかよ、どんだけ遅れてんだよ。

日本で生まれたのが恥ずかしくなってきた。

2021-10-10

anond:20211010033400

悪いこと言わないかローマ行ってこい

フィレンツェもすごくいい

日本では奈良だな(仏像ばっかだが楽しいよ)

2021-10-08

anond:20211008092338

抜け穴というより、ローマの昔からパンとサーカス」を欲しがるのよ貧民は

2021-10-03

NHK特集シルクロードをもう一度見た

40年ほど前の番組だ。

子供の頃に断片的に見ていたけど、何しろビデオもろくに普及していない時代だ。

見るのも途切れ途切れになってしまい、終わりの方は全然見れなかった。

それでも、メインテーマとともにはっきりと記憶に残っている番組だ。

中国は唐の都長安、いまの西安から西へ向かうシルクロード旅路を伝えるドキュメンタリーだ。

数千年に亘る歴史が積み重なった土地のかつてと今をこれでもかと見せてくれた。

敦煌楼蘭天山山脈といった異郷への浪漫を駆り立てる番組構成は、当時の大ブームにもなった。

自分より少し上の世代中国好き、シルクロード好きになった人間は、結構な率でこの番組の影響を受けていると思う。

それがNHKBSで再放送されていたので、録画して少しずつ見ていった。

今見ると、日中共同取材班という名前中国共産党・人民解放軍の全面協力の下に作られた番組だったのがはっきりとわかった。

覇権主義に陥る前の、それ自体は友好的なもので、当時の門外不出のような情報ばんばん出てくるわ、よくそんなところまでカメラが入るのを許したというかヘリまで使ってどんだけ協力してるんだよという場所映像がどんどん出てくる。

こんな番組を見たら中国好きになるのも納得で、それから数十年くらい日本人中国観をかなり友好的にしたんじゃないかと思う。

現地に旅行に行った人もいっぱいいたそうだし、そのまま中国との商売日中友好のために活動するようになった人もいただろう。

この番組がなかったら、その後の中国への日本投資もだいぶ違ったのではないだろうか。

なにも証拠は挙げることはできないけど、少しずつ世界史を変えることになった番組ではないか勝手に思う。

牧歌的景色の中に、ウイグル生活侵入していく道路鉄道と、中国共産党によってあの地の生活が変えられていく予兆のようなものが伺えるのは怖かった。

あそこで笑っていた人々の多くは40年も経って大半がもう亡くなっているだろうけど、自分と歳の近いあの子たちは今どうしているだろうと思ってしまう。

第二部に入って中央アジア突入するとかなり印象が変わる。

良くも悪くも中国共産党の協力が無くなって決められたルートが消え、かわってソビエト科学アカデミーの協力とともに旅路が多岐にわたるようになってくる。

まだソビエトが現役だったこであるという事実とともに、それからの四十年であれほどの大国が消えたということがシルクロードをめぐる国家興亡の歴史の最新の一ページになっているとも思う。

かのバーミアン石仏破壊される前の姿が番組で記録されていないのは、かつてのソ連アフガン侵攻の影響で取材班が入れなかったかなのだそうだ。

それでも、NHK取材班の人々の冒険家ぶりには何度も心躍らされた。

何十年ぶりかで人が訪れた砂漠廃都とか、歴史上初めて日本人が訪れたことになる山間部の村とか、四人もの通訳を介してようやく取材できる古い言葉とか、NHK取材班自体シルクロードを行く旅人のものとなって歴史を記録していく様が残る。

シリア砂漠では、数十年前に終わってしまったラクダキャラバン隊に参加していたかつての少年が成長したラクダ牧場の主を見つけ、シルクロードキャラバン旅路再現を頼み込んで、それを実現してしま旅路の記録を撮影していた。

民族故郷の地から遠く離れても続く結婚風習商人たちが集う市場に集う食材や茶、纏う色鮮やかな服と絨毯、そこに息づいていた確かなシルク足跡とそれを作る技術の伝来は確かにシルクロードの記録だ。

現代に生きる自分にとっては、当世風の見慣れた異世界よりもはるかに物珍しい、それは異郷の数々の確かな記録だった。

あれからの四十年で消えてしまったものの、最後の記録となったものも山ほどあるだろう。

グローバリゼーションインターネット世界は大きく激変し、風習が消えた村も人が消えてしまった村もたくさんあるだろう。

現に、シリアにあった数々の美しいものたちは、その後の内戦瓦礫となってしまった。

長安からの長い長い旅路の先に、ボスポラス海峡渡りアッピア街道を走り、NHK取材班がついにローマにたどり着く光景には、言いようのない感動を覚えずにはいられなかった。

取材班が到着した日にイタリアラジオニュースで、取材班の到着を現代マルコポーロに喩えた報告がなされていた、と番組中で説明されていたのはメタ的で笑うしかない。

だがマルコポーロのたとえも過言ではないと思う。

取材は足掛け五年に及び、訪れた国の数は二桁に及び、映った人の数は万を数えよう映像の数々はさながら見聞録だ。

世界が近くなってしまった今、これほど遠大な紀行番組が作られることはもはやないだろう。

世界が変わってしまった今、あれと同じ光景は二度と撮ることはできないだろう。

だが、子供の頃に見られなかった旅路の果てに、ようやくにたどり着けた。

ありがとう、かつてのNHKありがとう再放送してくれた今のNHK

2021-10-01

anond:20211001090122

1980年代100m走において9秒7の大台に乗った人類ベン・ジョンソンただ一人である。その後、人類が再び9秒7の大台に乗ったのは1999年モーリス・グリーンである

その後、陸上競技大会への復帰が認められ、1992年バルセロナオリンピックの100mに出場したが、準決勝敗退した。ところが、その後出場した競技会で再びドーピングで陽性反応が出たため、公式陸上競技大会から事実上永久追放され、IOCの第1種ブラックリスト登録された。

ジョンソンは、後のインタビュー自分ルイススポンサーに狙われており、スポンサー関係の都合などでルイス検査に引っかからなかったが、自分犠牲になったと語っている[6]。

引退

1996年には本人役で映画アトランタブギ」に出演した。

2000年7月12日イタリア旅行中にローマのベネト通りで空腹訴える様子の中年女性少女が近付き、中年女性と話している隙に財布(約1000万リラ免許証入り)を少女に盗られ、全速力で追いかけたものの、捕り逃がしてしまたことがあった[7]。

現在仕事スポーツインストラクター

日本バラエティ番組企画にしばしば呼ばれることが多い。しかし、いずれもスポーツバラエティではなくお笑い色の強い番組である。(例トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜、クイズ☆タレント名鑑などの藤井健太郎 (TVプロデューサー) プロデュース番組)

2010年8月1日日本テレビ番組クイズ☆タレント名鑑」(TBS系列)の企画で、100mのタイムを計測した。48歳という年齢の上に体重も100kgと往年の面影はなかったが、予想を上回る11秒50という好タイムを記録。

2021-09-26

馬鹿な話だけど時を戻せたとしたら

歴史は同じことを繰り返すのかな?

例えば紀元前何年とかに時間を戻せたとしたら

再び都市国家ローマ覇権を握って大帝国へとのし上がるのかな?

歴史シミュレーションゲームなんかでCPU勝手に動かさせてたら

同じ展開にはならないやんか。

まあそういう風に変数調整されてるからでもあるんだろうけれど。

時のリセットボタンを押したとき

果たして現実世界はもう一度同じことは繰り返すのか?

繰り返さないのか?

ワイは繰り返さない派。

歴史は偶然のランダム要素の塊だから再現性はないはず。

2021-09-25

anond:20210925101501

紀元前539年にキュロス大王が、バビロンという都市占領した後、誰もが全く予想もしなかったことを行いました。奴隷になっていた人々を全員解放し、故郷に帰したのです。さらにキュロス大王は、人は自分信仰する宗教自分で選んでよいと宣言しました。彼のこの声明が刻まれた、「キュロス大王円筒」という粘土でできた平板は、史上初の人権宣言となりました。

人には権利があるという考え方は急速に広がり、インドギリシャ、やがてローマにまで伝わっていきました

2021-09-21

大和朝廷に従わない土蜘蛛の族

日本書紀曰く、土塁に住み、胴は短く、手足が長く、力が強いという

どこか要塞都市に住んだオランダ人のようだ

  

そしてイザナギイザナミが生んだとされる神にスサノヲ(素戔嗚)がいる

天照大神宮殿に馬の死体を投げ込んだ異色の神で、出雲大国主命がその息子

スサノオという響きは和語には珍しいうえ、漢字は「戔:わずか 嗚:嘆きの声」の当て字

  

欧州では1世紀、トイトブルクの森の戦いがあり、ゲルマニア軍がローマ軍を撃退したものの、

結局のところ総督ローマ人になってしまい、ゲルマニア軍を率いたアルミニウス暗殺されたらしい、ということがあった

 

実はスサノヲは Susa, Noah というゲルマニア人で仲間たちとはるばる亡命してきた

なんてことはないのかね(のちに土蜘蛛たちは天皇に征伐されてしまったのだが…)

2021-09-11

国破れてサンガリア

ガリアカエサル率いるローマ軍に侵略されたときに「たとえ国は滅びようとも聖ガリアは残る」という意味ガリア人がつぶやいた言葉

2021-08-30

安楽死合法が間違っているならベーシックインカムしか解決法はない

死ぬほど辛い人が、死ぬほど辛いを思いをして生きるために働かなければいけない」を辞めない限りは、「死ぬほど辛い人が、つらい思いをせずに死ぬことが出来る」が次善の策になる。

生活保護受給者に「おらサッサと働け!生活保護一時的制度なんだ!テメーらは死ぬ思いで仕事を探す義務があるんだよ!働けやオラァ!!!」と繰り返すことを業務にしている公僕で溢れた国家には到底無理な話かな?

まあ1000年後に「野蛮で惨めでおろかで、貧乏から無能だっただけなのを、弱者が悪いと押し付けて、そのくせローマアメリカ奴隷を昔のことと笑っていた、どうしようもなくみっともなかった時代の人々」と嗤われているがいいさ

2021-08-18

anond:20210818182526

じゃあかっこいいと思う最近の車を挙げていこうぜ。ワイはフェラーリローマ

2021-08-13

anond:20210813061230

ま、炎上するだろうな、という内容だし、再生数ふえれば稼げるという意味では炎上商法というのも正しいのだろうけど。

動画収入数万円のために今後50年の仕事を干されることになるだろうね

優生思想」が歴史的に、倫理的に、科学的にNGだとしても、そういう思想もつこと自体NG?そこは自由

公で発言することがダメ

思想じたいがNG歴史的にとか科学的にとかどうでもいい。人間としてNG

以下は個人的見解だけど、たとえばクラス分けってあるやん。

優秀クラスとフツークラス、さいごに知恵おくれっぽい扱いされるクラスがあった。小学校ときに。いまはしらんけど。

知恵おくれっぽい扱いされたクラスで、図工や体育がめっちゃ得意な子がおった。

彼らは小学校ではバカにされてたけど、中学高校芸術スポーツ系にいって専門分野でそこそこ成功したよ。

中には経営者になって何人も人を雇ってるのもおる。

人間は1つのメジャーで測れない。

しょうゆうこと(村上ショージ)。


歴史的にはアーリア人とかゲルマン優勢思想な。

ローマローマ市民権を拡大して発展したしな。

もしローマ人だけに特権をゆるしていたらとっくにほろんでいたろう。

で、いま中国がやってるのが漢人思想残滓で、だからモンゴルウイグルチベット虐殺してる。

Daigoさんみたいなのがいまの中国人のほとんどの思想だよ。

2021-08-09

世界大戦争芸術

世界大戦争芸術

1.アウステルリッツの戦い

 西暦1805年冬、ナポレオン率いるフランス大陸軍六万と、ロシアオーストリア連合軍八万がウィーン近郊のアウステルリッツプラッツェン高地西方で激突した。

 フランス軍は当時のロシア軍に対し数的劣勢であったことに加え、アウステルリッツにおいて最重要拠点であるプラッツェン高地ロシア軍に占拠されていたため(一時はフランス軍によって占拠されていたものの、明け渡された)、当時フランス軍にとって有利な状況は何一つ存在していなかった。その上、アウステルリッツ南北双方からは敵増援が到着しつつあり、これら増援ロシア軍が合流を果たせばフランス軍には万に一つの勝ち目も無かった。

 このことからナポレオンは開戦直前に停戦交渉を行う。

 しか連合軍は数的優勢、土壇場になって停戦交渉に打って出たナポレオン弱腰さらには戦場における最重要拠点であるプラッツェン高地を手中に収めていることを鑑み、勝機ありと見た末に停戦交渉を撥ね退け、フランス軍との大規模会戦に打って出たのである。それらが全てナポレオンの張り巡らせた罠であるとも知らずに。


 1805年12月2日、戦端はロシア軍の先制攻撃によって開かれる。プラッツェン高地南方にて、フランス右翼の守るテルニッツ村が攻撃を受けた。

 当時の布陣図によれば、フランス右翼は極めて脆弱であり、ロシア軍はそこを弱点と見做し自軍左翼のブクスホーデン軍を急行させたのである南北に伸びたプラッツェン高地から出撃したブクスホーデン軍によって、フランス右翼陣地はあわや撃滅されようとしていた。右翼が壊滅すれば突破したロシア軍はフランス軍後方へと迂回し、中央フランス主力部隊挟撃することができる。そうなればフランス軍は終わりである

 しかし、まさにその瞬間に――ブクスホーデン軍がプラッツェン高地から、地上のフランス右翼へと殺到し始めた瞬間に――ナポレオン勝利確信したのである


「もしも、ロシア軍が右翼へ向かうべくプラッツェン高地を離れたなら、彼らは確実に敗北するだろう」  - ナポレオン

 フランス右翼は囮であった。ナポレオンの狙いは、ロシア左翼フランス右翼攻撃するために進撃を開始した瞬間に、手薄になった中央プラッツェン高地を集中攻撃することにあった。

 これによって、重要拠点であるプラッツェン高地ロシアから奪回し、戦場の主導権を我が物にしようとしたのであるさらに、アウステルリッツ会戦当日にはプラッツェン高地周囲の森には深い霧が立ち込めており、この霧の存在ナポレオン企図を助けることとなった。

 ロシア左翼プラッツェン高地から出撃して間もなく、スルト元帥麾下の第四軍団14000がプラッツェン高地中央部を急襲し、霧の中突如として現れたフランス軍を前に、ロシア中央は総崩れとなる。また、脆弱だった筈のフランス右翼も、ダヴ―元帥麾下7000の部隊が後方都市から到着したことで、数的劣勢を克服し、戦況を盛り返しつつあった。

(開戦前日にダヴ―麾下7000の部隊は密かに戦場へと到達すると、言わば伏兵として右翼後方に待機していた)

 やがて激烈なフランス軍主力の攻撃により、ロシア中央は壊走を始め、プラッツェン高地フランス軍により奪回された。同時に、フランス右翼攻撃のためにプラッツェン高地から地上へと降り立っていたロシア左翼は、敵陣の中孤立することとなり、戦局はここに決したのであった。


 ロシア軍は戦端を開こうとせず、増援の到着を待ち戦力を増強しさえすれば、少なくともフランス軍との直接対決において敗北を喫することは無かったであろう。

 しかし、ナポレオンはその裏を掻いたのである。彼はロシア軍が友軍と合流する前に会戦の火蓋を切って落とし、大規模な会戦に持ち込むことで、いち早く敵軍主力を撃滅することを画策したのだ。そのために、敢えて戦力劣勢を露呈し、戦場の最重要拠点を敵軍へと譲り、尚且つ弱気姿勢を見せるために仮初の停戦交渉さえして見せたのである。とどめには、勝機に逸るロシア軍の中央攻撃するために、敢えて右翼の布陣を脆弱にするという周到さであった。それら全ての罠がロシア軍の判断能力を奪い、かくしてロシア連合軍八万はアウステルリッツの地にて壊滅したのだ。

 かの有名な書物戦争論』の中で、著者であるプロイセン将校クラウゼヴィッツはこの戦いを次の言葉概括している。 「戦争芸術の粋」。


2.カンナエの戦い

 紀元前219年、遥かアフリカ北端国家カルタゴ将軍ハンニバルは、当時世界最大の強国であった共和制ローマ相手取り絶望的な戦いを挑んでいた。

 その絶望的な戦況を好転させるため、ハンニバルは自ら率いた精鋭部隊スペインからアルプス地方へと経由させることで、ローマの中枢であるイタリア半島本土に対し直接攻撃を仕掛けたのである

 最終的に、ハンニバルイタリア半島に十年間留まり、その間絶えずローマ軍に対する圧迫を続けた。その十年の戦いにおいて世界戦史上に燦然と煌めく、もっとも著名な戦いこそがカンナエの戦いである。


 ハンニバルアルプス山脈を越えイタリア北部に侵攻すると、次々と現れるローマ軍を待ち伏せや正面突破によって壊滅させ、イタリア半島南方へと進撃した。当時、快進撃を続けるハンニバルは数万の軍隊を維持するべく、イタリア半島各地で略奪を行っており、農村を中心に甚大な被害が上がっていたこからローマ軍首脳のストレスピークに達していた。更に、イタリア半島南部においてはローマ軍の補給基地存在しており、そこをハンニバルに抑えられるとローマ軍は南イタリアでの行動を制限される可能性があった。そのため、ローマ首脳陣はカルタゴ軍を撃滅するべくローマ史上最大規模の部隊を編成し、約八万の軍を執政官パウルスとウァロに指揮させた。この時、決戦の地に選ばれたのがイタリア南方カンナエである

 決戦の舞台となったカンナエは、川と丘陵地帯に挟まれた地形であり、カルタゴ軍約五万とローマ軍七万は平原ほとんど埋めるように布陣し、正面からかい合った。

 両軍は双方ともに両翼に騎兵部隊を、中央歩兵部隊を配置しており、いかにも窮屈そうな陣形であった。

 しかし、この人馬が埋め尽くす不自由戦場は、後に分かる通り、ハンニバルの用意した殺戮舞台としてはうってつけのものでさえあった。


 戦端は両翼の騎兵部隊同士の衝突によって開かれる。

 ローマカルタゴ双方の騎兵隊は、狭い地形において機動戦法を取ることができず、正面からぶつかった。

 歩兵戦力ではローマカルタゴで比べるべくもない数的差(6万強:4万)が開いていたが、騎兵の質、量においてはカルタゴ軍がローマ軍を上回っており(6500:1万)、カルタゴ軍は開戦から僅かな間に、左翼での騎兵部隊戦闘において優勢に立っていた。単純な数的有利から繰り出される圧力と、また練度の違いによりローマ騎兵は瞬く間に圧迫され、その算を乱していった。


 一方歩兵部隊における戦力差は繰り返すように圧倒的であり、歩兵同士の戦闘に限ってはカルタゴ軍がローマ軍に勝利する公算は無かった。

 そのため、ハンニバルは一計を案じた。

 ハンニバルカルタゴ歩兵陣形をお椀のように変形させ、その弧を描いた部分をローマ中央歩兵部隊と接敵するようにしたのである。これによって接敵する面積をできるだけ減らし、中央突破されるまでの時間を稼ごうとしたのだ。ハンニバル歩兵同士の戦闘をできるだけ遅滞させ、両翼の騎兵部隊が優勢に立つのを待った。

 また、ハンニバルはお椀型をしていた陣形を、戦闘が推移するに従って屈伸させ後退させた。当初の形(お椀の底の部分が接敵する形)とは逆に、ローマ軍の大半をお椀の中へと誘い込んだのであるさらに、ハンニバルは温存していた自軍左右の重装歩兵ローマ軍へと攻撃させ、ローマ歩兵挟撃される形を築こうとした。

 とは言えこの時点ではカルタゴ軍によるローマ軍への包囲は決定的ではなく、ローマ軍は歩兵戦闘において依然優勢な状況にあった。そのためローマ軍は、優勢な戦況を継続し、カルタゴ中央突破することで戦局を優位に進めようとした。


 ところがその時、歩兵部隊の両翼で戦闘を行っていたカルタゴ騎兵が、歩兵同士の戦闘に加わったのである

 戦端より優勢を維持していたカルタゴ騎兵は、ローマ騎兵を壊滅させた後に、敵歩兵部隊無防備な背後を攻撃した。左右を川と丘陵に囲まれ陣形の狭さ故に、ローマ騎兵有効回避機動を取ることができず、瞬く間にカルタゴ騎兵によって殲滅されたのであった。

 ただでさえカルタゴ軍に包囲されかかっていたローマ軍は、後方から攻撃を受けることによって決定的な混乱を迎えた。周囲を完全に包囲されたローマ軍は逃げ惑い、歩兵中央部では逃げ惑う味方の身体に押されて圧死する者も現れたという。

 この戦いによってローマ軍7万の部隊は完全に壊滅し、6万人が死傷、また、残る1万人は捕虜となった。


 地形を有効に利用し、敵軍を機能不全に陥らせ包囲殲滅する戦法は、いわばハンニバルの御家芸であった。

 機動部隊同士の戦闘を優勢に進め、敵軍を包囲殲滅するこの戦法が、以降近現代軍事教本に取り上げられ、カンナエの戦いのハンニバルに帰する栄光が不動のものとなったことはあまりにも有名であるハンニバルイタリアの地にてローマ軍を完全に破った。この戦闘によって、当初戦闘に参加していた元老院議員政治家八十名が戦死し、議員定員約300名のローマ議会における四分の一が戦死することとなる。


 続く:anond:20210809041010

2021-08-08

海外で食ったうまいメシ

アメリカニューヨーク

移民っぽい人がやってるシリア料理屋の、ケバブっぽい何か

 ジプシーグリルっつう店に行き、日本人のガキが一人で来る場所じゃなさそうな雰囲気にたじろぎつつ、震え声でなんとか注文した

 ビーフは高かったかチキンにした、みたいな記憶はあるんだが、料理名を覚えてない なんかケバブ的な雰囲気の、野菜と肉が包まれものだった

 雰囲気が完全にアウェーだったので、当然テイク・アウェー選択 アルミ箔に包まれた、あたたかく、ずっしりした、正体不明料理リュックしまってホテルまで帰った

 料理はうまかった わりと酸味があって、食ったことないエスニックな風味で、熱でクタっとしたキャベツか何かの食感と、そんなに存在感のない鶏肉 総合して実際よくわからん感じではあるんだが、うまくはあった

 たしか旅行中2回行った

スーパーで買ったハーゲンダッツ(400ml)

 ウォルマートじゃなかったんだが、アメリカスーパーに行きてえ!と思って、手近なところに行ってみた

 いろいろ見ながら、海外ハーゲンダッツが安いって話を思い出し、アイスコーナーを見てみると、確かにバカかいハーゲンダッツが3.15$とかで売っていた

 クッキーアンドクリーム味を買った あとハリボーと、肌寒かったのでXLサイズパーカー(10$)も買った

 ここでそうびしていくかい?なんて心中でとなえつつ、店を出たところでバカかいパーカーを着てみて、ホテルに戻った

 ハーゲンダッツはうまかった やや大味な気もしたが、たぶん気のせいで、ハーゲンダッツハーゲンダッツだった

 ハーゲンダッツだけを食って腹を満たしたのはあれが初めてだったし、たぶん今後もあんな機会はないだろうな

イタリアローマ

ケバボーン

 適当に取った安い宿(アパートメント?)が、思ったよりも郊外って感じのところにあって、着いたのが遅かったからすっかり暗くなってしまっていたのもあり、食いに出るのがややめんどくさかった 怖くもあった

 グーグルマップを眺めてみると、徒歩5分くらいのところに評判のいいケバブ屋があるみたいだったので、そこに行くことにした

 ケバボーンという店で、そんなに人通りの多いとこにあるわけでもないのに、店内は盛況だった

 ジェラート屋あるいはおでん屋みたいな感じで、ガラスウィンドウの向こうにいろいろな具材が区切られて並んでいて、それを適宜包んでケバブとして提供しているようだった

 ラップケバブを頼むと、移民っぽい店員おっちゃんが「具はどうする?」的なニュアンスのことを言ってきたが、具を見てもそれがなんなのかまずわからないし、わかったとしてもそれをイタリア語とか英語表現することは俺には無理だった

 ディ…ディスワン!的なことを言って乗り切ったのか、リコメンド!とか言って乗り切ったのか、時間切れで適当に盛られたのか、正直覚えていない すごい冷や汗をかい記憶けがある

 ドリンクセットがどうこう、みたいな話もあり、多分冷蔵庫の中のドリンクを一本勝手に持っていっていいぞ、的な話だったので、そうした これもかなりの冷や汗ものだった

 総合して、かなりコミュニケーションに難があった 俺のコミュニケーションに……

 店を出てから宿に戻るまで地面しか見られなくなるくらいに気落ちしたが、宿でケバブを開けてみると、すっかり元気になった

 デカかったし、うまかった 

 そもそもケバブは大概うまいが、そういう通りいっぺんのうまさじゃなく、ケバブとしてもかなりうまいという感じがあった

 ローストされたパプリカ?炒めタマネギ?よくわからないが、そういう、柔らかくて甘い野菜のものと、生野菜と、肉と、ソース ハーモニーだった

 そんでデカかった 一食で食べきるにはデカすぎて、翌日の朝に回したくらいだった

 付け合わせについてきたポテトは、ややギトギトしている上に、しょっぱかった しかし、それも愛嬌と思えるくらいにケバブ本体がうまかった

カルボナーラ

 昼メシ、リストランテって感じの店に行って、カルボナーラを頼んだ

 水を頼むとき、ただアックアと言ったら炭酸水がくるぞ、と誰かが言っていたことを、ボトルに入ってやってきた水を注いでから思い出した

 カルボナーラは思っていたのと違った

 まず、ペンネだった

 超アルデンテのペンネだった 硬いと言ってもいいくらいだった

 そして、基本的な味付けがわりと薄かった

 ところどころに入っているパンチェッタは逆にめちゃくちゃ塩辛かった

 それぞれの要素だけを抽出すると破滅待ったなしなのに、あわせて食うとなぜか悪くなかった

 食えば食うほどうまくなる感じがした

 というか、食い終わってからうまくなるというべきかもしれない 思い出として戦う感じの料理だった

 忘れられないだろうな

2021-08-02

歴史上一度も征服されたことのない国ってある?

 モンゴル帝国すら退け、戦国明治列強国の植民地支配を免れてきた日本ですら戦後アメリカ占領された。列強征服を免れ、枢軸国でありながら戦後占領されなかったタイミャンマーに2度征服されている。モンゴル帝国アメリカ撃退したベトナムですら中国フランス支配を受けてきた。アフリカで珍しく植民地支配されなかったエチオピア第二次世界大戦イタリア占領された。ナポレオンヒトラー撃退したロシアモンゴル人の支配を受けた屈辱歴史がある。前述の二人に加え、全盛期のスペイン帝国すら退けたイギリス古代ローマ征服され、中世バイキング征服された。ソ連を退けたフィンランドもずっとスウェーデン支配を受けていたわけだし、ナポレオン戦争でロシア侵略された。

 おそらくどの国も一度は他国支配された歴史があるんですよね

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