はてなキーワード: つくばとは
這いつくばってたら踏んじゃうかも。立ち上がって!
そういうことぐちぐち言ってるやつ(基本的に小説書いてる腐女子)たくさんいるけど、交流とかTwitterとか定期的に作品上げるとかそんなくそめんどくさいことしなくても、いいもんさえ書けば必然的に反応もらえるのでは??って内心見下してる
口じゃいくら綺麗事言えてもやっぱ人を見下すのって楽しいからさ、このまま底辺這いつくばっててほしいね
私一次創作がメインだから定期的に二次小説なんて上げてないし、毎回違うジャンル違うカプの小説上げてる(BLNLごちゃ混ぜ)し、Twitterなんてやってないし、だから宣伝交流は皆無なんだけど、それでも大体ブクマ200〜500くらいはいくし感想ももらえるから不思議で仕方ない。まあ総作品数10の極小ジャンルだとさすがにブクマは少ないけど。
いやどう考えても早いでしょ
準備に200万くらい掛けたんでしょ?
って気持ちだったけど
「あぁ、限界なんだな」って思った
でもさ
それくらい乗り越えろよって感じ
お前がやりたくて始めたんでしょ?
責任もてよ
なんでそこで辞めちゃうの?
ってかなんで向き合わないの?
「逃げたい」で逃げれる立場じゃないの
どんな状況になっても
無理やりアクセル踏んで藁にすがって這いつくばってでも進まなきゃいけないの
なんというかきっと綺麗事しか考えることが出来なかったんだろうなって感じ
まぁ最初はオレもそうだったけど
徐々に覚悟出て来たよ
逃げたいときもあったけどやっと叶えた夢でもあったしオレを信じてくれる人がいたから雑草魂で進めてるよ
きっとお前は淡々とルーティーンワークをこなすような仕事がお似合いだ
僕は社長になるために
泥沼でも這いつくばって進んでくよ
政治も経済も専門外だ。詳しく勉強したこともないし、新聞も読んでない。
だが、世の中を見ていてずっと気になっていたことがあるのでここで吐き出す。
投票に行かない人や、与党に票を入れる人がよく「支持できる政党や政治家がいないから」といった理由を述べているのを見かける。
これは主体的に自分たちの国の政治に関わる気がないということだろう。
投票の行為そのものは、立候補者を選ぶ方式だとしても、私たちが投票する行為は、出されたメニューを選ぶという以上の意味がある。
vote outという表現がある。投票によって選出するのではなく、その逆だ。
この場合、選出された候補者は必ずしも積極的に選ばれたわけではなく、気に入らない候補者をはじき出すための駒ともいえる。
その積み重ねが重要なはずなのに、そこに焦点が当たらないのは不思議だ。
国民の政治参加は子育てに似ている。政治家が悪いことをしたら叱り、いいことをしたらそのままにしておく。そうやって政治家は自分たちの役割を学習していく。
それが国を作っていくということだろう。
自分たちの国なのに、誰かにどうにかしてもらおうとばかり考えている人が多いように感じる。
なのに、政治に口を出すな、自分たちが日々できることをやれという輩がいる。
日々できることはするべきだ。だが、政治に口を出さないのは間違っている。
政治に口を出すこと、選挙で自分の意思を示すことは、国民として国を作っていく行為そのものだからだ。
政治家が国を作るんじゃない。
本当に本人が言ったのかどうか知らないし文脈もわからないが、マーク・トウェインの言葉として残っているものでこんなのがある。
「政治家とオムツは同じだ。すぐに汚れるからこまめに取り換えなければならない。」
汚れたら取り換える。そしてまた取り換える。これを延々と繰り返す。
自分たちの意思を示し続ける。自分たちの意思を尊重しないものに先はないと政治家に学習させる。政治家はあくまでも国民に仕えるものであって、国民が政治家に仕えているのではないということを身をもってわからせる。
自分たちの望む政治とはどんなものか、自分たちの望む国づくりとはどんなものか。
声の大きい人や組織の言うことを鵜のみにしないで、自分で考える必要がある。
メディアの伝える内容は本当に信用できるのか。報道の背景に何があるのか。
生きていくだけで精一杯の中、これだけのことに割くエネルギーなど残っていないという人も多いだろう。そのとおり、生活が苦しければ苦しいほど、冷静に深く考える時間もエネルギーもなくなってしまう。だが、そういう時間とエネルギーを奪っているのが今の為政者だし、今の為政者をのさばらせたのは私たち国民だ。
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
逆、差別され続けたいの、そして差別され続けても生きていける社会になって欲しいの
差別と認識し、永久に差別され続け、でも必要な差別として理解し弱者男性をありとあらゆる面で補助して欲しいの
他者を蹴落とすくらいなら上は望まない
ただ、現代社会のシステムでは上を目指さないと普通が手に入らない
だから女性はガラスの天井を蹴破り上を目指すし、障がい者はバリアフリーを社会的に進めてもらう代わりに労働力になろうとしている
弱者男性はその「頑張らないと普通が手に入らない」という現状を打破したいの
「頑張る」という言葉は個人の問題のように聞こえるが、実は「頑張る」とは他者を蹴落とし自分が上に登るプロセスを指しているの
自分が一つステップを登った時、その下には蹴落とした人が崖を駆け落ちている
それでも、普通を手に入れるには相手を殺す覚悟で蹴落とし続けないといけない
頑張って受験して良い中学高校大学に入る、頑張って就活して良い企業に就職する、頑張って出世して一軒家を建てる
その行為の裏で大量の敗者を作り、その敗者は"それなり"という底辺の地獄を生きることを強いられる
そして、誰もがそれを当然と思っている
ただ、本当にそうなのか?
なら敗者は退場しても良いのか?
そんなことはなく、敗者が退場したら社会は成り立たないのは誰でもわかる
なのに、敗者というポジションにいることに意味があるはずなのに、そして誰もがそれに気づいているのに、その価値を現代社会は軽んじすぎている
弱者男性は敗者で居続けることの価値を世の中に再認識して欲しい、そして敗者で居続けるという価値を維持できるだけの支援が欲しい
ただ、その敗者が存在しないと社会は成り立たないという事実を世間に再認識させ、それ相応の対応を世間に求めている
それじゃ頑張る意味がなくなる?
社会主義と同じ?
まぁ同じかもしれない
ただ、現代社会を見ればわかる通り、頑張れらないと普通が手に入らない社会は格差を広げ、国を疲弊させ、疲弊した市場で儲けられない企業は海外で売り上げを保とうとし、財布は中国に握られ依存することになる
子供を産む余裕が無くなり少子化になり、いずれ移民を導入することになり、他国(ここもたぶん中国)に依存する
それでも弱者、敗者は自己責任だから地を這いつくばっていれば良いと言えるなら、それでも良い
後悔しても知らんがな
「バカとナンとかは高い所がお好き」、ということで、バカである自分は、しばらく高いもの談義、高層物談義をしようと思う
高層「物」というのは、高層「ビル」以外が話のメーンだからである
★高層物の定義は?これは時代と文化により異なるが、とりあえず現代日本では、
高さ60m以上のマンションを「タワマン」と呼ぶ不動産屋の慣習もあるので、
とりあえず「現代日本では、高さ60m以上を高層物という」と定義したい
★「高層物」を網羅的に分類した人って、あまりいないんじゃないか?
2.産業の為の高層物(電波塔、送電鉄塔、煙突、風力発電など)
3.交通の為の高層物(橋脚塔など)
5.樹木
★「1.ヒトの為の高層物」は、
「1-1.高層ビル」
「1-2.展望塔」
「1-3.アトラクション」
「1-4.アリーナ」に分かれる。
★展望塔とは、最上階の展望だけを目的として建設され、よって中間階が無いもの。例:ポートタワー。
★ジェットコースターも、ナガシマスパーランドの奴は高さ97mあるらしいから、立派な「高層物」です。
富士急も、ジェットコースターは高層物間違いないですが、空中ブランコ「鉄骨番長」は、50m台で、わずかに高層物要件満たしてないんですね
「観覧車」というのは「展望塔」と「アトラクション」の中間の性質がある。これもだいたい100mはあるから、立派な「高層物」です
★「アリーナ」で言えば、福岡ドームは80m以上あるらしいので「高層物」、でも東京ドームは60m未満なので高層物じゃない、的な。
ドーム球場以外の、例えば体育館つて、高層物なのか?日本武道館で、高さ42mなのか。
ビッグサイトで、高さ58mだから、ギリギリ高層物じゃないのか
目的として「オフィス」「マンション」「ホテル」「レストラン」「病院」「役所」「大学・専門学校」が日本では確認されてる。
商業物販つまり百貨店で、高さ60m超えてるのはあるかな?高校で高さ60m超えは?
★「2.産業高層物」の分類。
「2-4.送電鉄塔」
「2-5.風力発電」
「2-6.煙突」
「2-8.気象観測塔」、他にもあるかもしれん
かつて、旧住金の鹿島製鉄所を見学したことがあり、それは大きな製鉄所だったが、
なので、日本のどこかに、高さ60mを越える工場建屋がある気がするのだが
★放送電波塔は、言わずもがなのスカイツリーや、名古屋のテレビ塔、あと埼玉にNHKのラジオ送信鉄塔とかある。
通信電波塔、昔であれば、街の中心にNTT鉄塔があったが、あれは60m超えてるのか?
★「煙突」もバカに出来なくて、池袋の清掃煙突は200m超えてるし、いわき市の火発の煙突も高かった。ライトアップもするらしい。
川崎とか千葉あたり、煙突の高さのデータベース無いのか?相当数が「高層物」の筈だが
「エレベーター実験塔」、日立がひたちなかにあったり、三菱が稲沢に作ってたりする奴ね。国内に4~5本はあるのだろうか
「気象観測塔」というのは、つくばの200mクラスの奴を念頭に置いてたのだが、あれ解体されてしまったのね。
国内にはそうすると、気象観測とか宇宙観測目的の高層物は存在しないのか?
★「風力発電」の高さの定義、プロペラを支える柱の高さで測るのか、プロペラの最高点で測るのか?
プロペラ最高点の計測だと、大半の風力発電は60mを超えて、「高層物」の仲間入りになる
★恐らく、日本でもっとも多い「高層物」とは「送電鉄塔」じゃないかと思ってるのだが。
50万ボルト送電線で、大体80mの高さがあり、東電の幹線で500塔はあるらしいから、
全国の「高層物」になる送電鉄塔は3000~5000はあると思うが、データが手許にない
あとは「3-2.ロープウェー鉄塔」「3-3.灯台」「3-4.管制塔」「3-5.ロケット発射塔」、他にあるか?
★明石海峡の鉄塔などは、300m近くあるから、文句なしの高層物。レインボーブリッジでも126mあるのね。
三重・御在所ロープウェーの鉄塔は、高さ61mあるらしいので、ギリギリ「高層物」の仲間入りしてる
「灯台」の日本最高って、日御碕灯台で、でも40m台でしかないらしいので、「日本国内には、高層物の灯台は無い」らしい。
★羽田の管制塔で115mあるのね。なんか、管制塔より灯台の方が高いイメージあるが、真逆だな。
管制塔は、広々とした空港にあるから、実際より低く見え、灯台は狭くて高台にある岬の突端にあったりするから、実際より高く見える
★「ロケット発射塔」というのは、日本では種子島にしかなくて、80m級なので「高層物」。
自衛隊が、どこかにミサイル発射塔を隠しもってるのか?イージスアショアとか、60mあるのか?
北海道大樹町のホリエモンロケットは、発射塔が60m越えないのか?
★「4.宗教的高層物」としては
「4-1.塔」(一般人が入れない)
宗教じゃなくても、モニュメントやアート作品で60m超えたら、ここのカテゴリに入る。太陽の塔とか。
★今までは人為的な高層物でしたが、最後に天然の高層物として「5.樹木」を挙げてる。
日本では、京都府のスギの木が、60m超えてるから「高層物」なんですよね。
もっとも、天然のスギの樹高を、わざわざ測定することは滅多にないから、
見つかってないだけで、他にも高層スギは多数あるんじゃないか?
いつまでも子供心でいいと信じているおっさんが多くて、中身も年齢もおっさんでも心だけ学生気分でいるから、心のレベルだと若い子と釣り合っていると思っちゃってるのかもね。
日本の男向け二次元文化は、若い女の子キャラばかりといちゃつくばかりのゲームとかの影響で、ガチで若い女の子にしか関心が持てない病気みたいな男とかいるみたいだし。
男は年収400万以上じゃないとモテないと信じてる人が40代でやっと目的の額になったから、お金があるし生涯独身でもいいから、もう高望み狙おうとかの考えかな。
口先では舐めてるとか挑発的なこと言って煽るけど、婚期ラストチャンスで初の結婚ですぐに離婚したくないだろうから、内心けっこう本気なのかもしれないね。
2019年の40代後半の男性の未婚率が25.2%となっているのに対し、男性の生涯未婚率は23.6%みたいだから、結婚できる確率は1%程度の勝算みたい。
仕事嫌いで毎日朝仕事行きたくねーと思い、定時直前にはもう帰りてーと思いながら、食い扶持のためにしょうがなく仕事してた。
なんかしらんが昇格した。同期の中で最速。意味わからん、他の同期は何やってたんだよ。1月に辞令が出て、1月分の給与が先月入った。3万以上増えてた。わからん。
出世したって能力も大してなく、クソ人間で差別主義者で非モテで男尊女卑のカスってことは一切変化してない。育ちが悪いコンプレックスを解消することもなく、孤独が好きなくせに孤独から脱することを願ってるのか呪ってるのかわからない、地面を這いつくばって泥水すすりながらクソがカスやってるゴミ人間である自覚もなにも変わっていない。
わかったよ。クソカスゴミな俺も、必死こいて社会やってる私も、どっちも自分で結局魂は一つなんだよ。カメレオンのように姿形は変化しても、自分なんてそこにあるんだから探すまでもない。自分を殺さなくていい、どっちもワイや。育ちが悪いのもワイ、口が悪いのもワイ、俗に言う天才なのもワイ、なんやかんや仕事で結果出すのもワイ、週8で酒かっくらうのもワイ、歯すら磨かずに寝ることもあるのもワイ、昨日と同じ服着ててもワイ、誰も居ないところで激昂してフライパンを壁に叩きつけたのもワイや。全人類死ね!人類が居るから世界はクソになるんや!人類は諸悪の根源!ゴミ!カス!クソ!死ね!って毎秒思ってるのもワイや。殺す価値もないわクソが。はよくたばれ。
言葉ってすげーーって身に沁みて分かったことがあった。もしかしたら言葉っていうか日本語が優れてるかもしらん。他の言語に明るくないから分からんけども。
最近、今後自分のコンプレックスになっちゃうだろうなっていうことがあってほんとに気分が落ちていた。しんどくて凄く辛かったんだけど同時に、不安に「押しつぶされる」とか何かに「打ちのめされる」とかいう今までは字面でしか認識してなかった言葉たちが体感的に感じられるようになったのが面白かった。
朝が来るのがほんとに嫌になっちゃってベッドから起きられないときとか、普通より重力が何倍にも感じられて「お〜確かにこれは押しつぶされるようだ…」と変に感動していた。まあただの鬱の症状っていわれたらそうなんだけど、そういう話はしてない。その時の自分のイメージは脳内映像で、高い壁のようなものにぶつかってその末に汚い床に這いつくばってるイメージだったんだけど、それが「打ちのめされ」て「どん底」にいるっていう言葉に自分の中でピッタリ合っていて感激したんだよな〜。
たまに、あ!あれってこういうことか!っていう言葉としてだけ知ってたものが本当に分かる状態になることあるけど、言葉ではあんま無いから新鮮だったんよー。
それだけのお話。
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/cabinet-approval-rating/
たったの47%
だ。
つまり、回答しなかった53%も、どちらとも言えないと答えた者も本来「支持する」に含めなければならないので、本当の支持率は
100ー(「不支持率」48% × 回答率)
=100ー(48×0.47)
=100ー22.5
=77.5
となる。
こう考えれば菅内閣はほとんどの国民に支持されていると考えなければならないし、政権運営は磐石そのものである。
今が国民の生命の危機だと野党が本気で考えるのなら、血なまこになって這いつくばってでも、より魅力的な政策を国民に問いかけなければ明日はないと考えなければならない。