はてなキーワード: がやがやとは
なんか回転寿司に負けないほど回りたいとか言うわけのわからん増田を見たおかげでお寿司の口になってしまってくら寿司に向かったらお父さんお母さん子供がやがやで入り口のドア前で引き返した。一応台風来てんだぞ。なにが台風なのか。
しょうがないのでスーパーに行った。入り口のガラスがサウナあがりのおっさんのメガネくらい曇っていて若干不潔に見えた。おべんとーコーナーを練り歩くこと5分、「さつま姫牛 牛めし」というのを買った。30パーセントびきだった。
さつま姫牛という名前はふしぎな感じがする。「姫」という乙女ティックな文字と野性味あふれる「牛」という文字が絶妙なバランス感覚で手をつないでいる。しかし姫さまよ、まだ「牛」でよかったな。「豚」だったらなんだかいやな組み合わせだったと思うよ。女の子と豚ってのは愛も相いれない関係だけれども、一方でサムギョプサルとか人気だしいやよくわかんねーわ女心ってやつは。
そんで家帰ってさつま姫を食べた。うまかった。肉のあじがした。それでもやはり30パーセントわりびきの証というべきだろうか隅にちょこんと添えられていたおひたしはすさまじい味をしていて口に入れてすぐ反射的に吐き出してしまった。売れ残りのおべんとーはこれだから困るのだ。
さつま姫を食べきると喉がからからになったのでキンキンに冷えた水をコップに注いでぐびぐびと飲んだ。うまい。さいこーだ。寿司でも肉でも喉がかわいた時の冷えた水というのはかくべつにうまいのだ。
正直なところ友達が居ない。
だからこれまで誕生日というのは陰鬱なイベントで、忌避すべきものであると思って生きていた。
一人でも楽しめばいいじゃないか。そうしたことにようやく気付くことが出来たのだ。
婚活は上手くいかず、そのため一種の諦念があったのかもしれない。
ともかく俺は精一杯、自分の誕生日を一人で楽しむことを決めた。
一週間前から当日の予定をワクワクしながら立て、昨日無事に実行してきた。
朝は8時起床。軽めに朝食を取って、そのあと動物園に向けて出かけた。
電車とバスを乗り継ぎ向かった動物園は数年ぶりに訪れる場所であり、天候は曇り。
それでも目的の象やライオンを見ることができ、白熊やペンギンも可愛かった。
増田は平日も休日もずっとモニターとにらめっこしていることが多いので、目の保養という意味でも意義は大きく、非常に癒されもしたので来て良かったと大満足。
お昼頃に動物園を出ると、事前に調べておいた食事処へ向かう。といっても決めておいたのはチェーンのとんかつ屋。それでも普段増田は外食をしないので十分だった。
日曜だけありお店は混んでいて、俺はカウンターの一席に腰を落ち着かせると、ヒレカツ定食を注文。それにジョッキのビールもだ!!
待っている間、ごまをすりすり。すりすりすってすりごまをつくり、そこにドロリとしたソースを落としてすりごまと合わせ、揚げたてサクサクのヒレカツに垂らしかける。
ヒレカツは非常に美味で、思わずご飯をおかわりしてしまったほどだった。じめじめして蒸し暑かったのでビールも非常に旨く、ごくっごくっと喉を鳴らして二杯を飲んだ!
大満足で店を出ると休憩に喫茶店。コーヒーを飲みながら優雅に読書。このために前日、書店で文庫版の『百年の孤独』を購入しておいたのだ。
文庫本は書店の袋に未だ入れたままで、この日のこの瞬間のために開封せずに居た。初めての喫茶店でその店のブレンドコーヒーを注文し、深い味わいで美味しい。
増田はコーヒーに全く詳しくないので多くを語れないが、乏しい舌でも十二分に味わい深さの分かる味だった。
ゆっくり、じっくりとそのコーヒーを味わいながら百年の孤独を読み始める。
このときばかりは小説の中の世界に傾倒し、日曜であることも、自分の誕生日であることも忘れて熟読した。
気付くとコーヒーはなくなっていて、それはコーヒーカップを口に傾けても何も流れ込んでこないことでようやく分かったことだった。
カタン、とテーブルに置いたときのその音で現実に戻り、文庫本から顔を上げると時計が目に入る。ちょうど15時前だった。
俺は喫茶店を出ると帰路に着く。
一人でホールケーキを食べる悦楽!!こんなことは本当はもっと若い時に体験すべきことだったと思いながらも増田は試したことがなかったのだ。
それは30代を終えることに対する挑戦でもあったのかもしれない。
それからスーパーでキリンの500mlのビールを3本買い、家に着くと18時近くてすぐに電話をかけた。
増田はチーズが好きなのでウルトラチーズにした。ウルトラチーズのL。計画通りのピザであり、クーポンを使ってお得に注文できた。
ピザが来るまでの間、童心に帰ったようにドキドキしながらピザを待ち、そわそわして増田を流し読みしては時間を潰した。
インターホォンの音に飛び上がるとすぐにピザを受け取って、キンキンに冷やしたビールと共にテーブルに並べる。
宴だ!
俺は一人きりであるのを活かすようにピザをくちゃくちゃ乱暴に食べ、ビールを大いに呷った。
気兼ねなくゲップを何度も漏らし、ピザはむちゃくちゃ美味く、ビールはすぐさま2缶目を開けた。
飲み食いしながら好きなVtuberの過去の配信を観て、一人でがやがや笑ってピザを一人で食べ切る頃には酔いも回ってお腹も膨れていた。
俺は重くなった体を持ち上げ、冷蔵庫からホールケーキを取りだした。一人ですべてを食べ切るのは無理だろう。それどころか半分さえ食べられるか怪しい。
だがこう言ったものは雰囲気だ。雰囲気が重要。俺はケーキを四等分し、その一つを皿に盛ってパソコンの前に戻った。
飲み物をお茶に代えてケーキを少しずつ頬張りながら増田を読む。ケーキは甘くて、甘すぎるぐらいで、それでも懐かしいような味わいがした。
そう思うとなんだか勇気が湧いてきた。
増田でバカみたいな増田を読んで独りでに笑い、皮肉の効いたトラバを見てはゲラゲラ笑った。
気付けば22時を過ぎ。明日は仕事だ。俺はケーキをなんとか食べ切り、ずいぶんと酔っぱらっていた。
倒れ込むように横になると気付けば眠っていた。
そうして俺は40の誕生日を過ごし、そして終えた。
今、昨日の残りのケーキを食べながらこれを書いている。
40の誕生日は一人きりだったが、それでも楽しめたと思う。
誕生日は、一人で楽しんでもいいはずだ。
とうきょうっていくたんびにたのしいことおもしろいことしかないからいきたいのかもあとこれからだれともあわないんだろうなとおもったらきがらくほっかいどうってささっぽろとかいっててもしりあいにあったりするんですよさっぽろなうとかいんすたのすとーりーにあげたらわたしもさっぽろいるよとかいわれるのとうきょうだったらあわないしあってもひとがおおすぎてわかんないしすきですねわたしさふつうにまちみるだけがすきなんだよちいさいこってよくでぃずにーらんどとかいきたがるじゃんなんかとうきょういったらとうきょうらしいところにいくじゃんみんなでもわたしおばにはじめてとうきょうつれていってもらったときにまちをあるけたらそれでいいっていってたのでぃずにーとかいきたくないの?っていわれてもべつにっていっていっしょうまちあるいてたそのころしょうがっこうそつぎょうしたばかりでいっぱいおこずかいもってさそういうときってふつういっぱいかっちゃうじゃんわたしおとしだまとかためてたおかね3まんえんくらいにぎりしめていったのに5せんえんくらいしかつかわなかったのそれでひとがいっぱいいるまちとかびるがたかいまちとかみてまんぞくしてたそれであとからおばにそのときのこといわれたんだけどずっとうえみてまわりきょろきょろしてきらきらしためであるいていたよっていわれたのわたしがやがやしてるまちがすきなのいっぱいひとがいるとわくわくするしあるいてるひともこころなしかきらきらしているようなきがするのいっぱいひとがいてもこのひとはだれもわたしのことはしらないんだろうなっておもうときがらくっていうかいまはもうわたしとうきょうになんかいもいってるからこのきらきらはあじわえないけどうえをみたらすごいたかいびるがいっぱいあってえきまわりとかのいっぱいびるがあるところとかはわくわくしますねとうきょうはもうやだいなかっぺすぎてでもすきなんですよとうきょう
僕は家に帰ったとき飼っていた猿に一週間も餌をやっていないことを思い出した。悪いことをしたと思い、慌てて机の上に置いてあった小さなシャーレを開いた。猿はとても小さく、小石ほどの大きさしかないので、そんな小壜に入れて飼っていたのだった。しかしガラスの蓋の下に猿は見あたらない。ただ堅く乾いた土が詰まっているだけだ。猿はどこへ行ってしまったのだろう。そう思いながらもよく見ると、土の中に米粒ほどの卵のようなものがあるではないか。なるほど、猿は機嫌を損ねてこんな所に隠れているのに違いない。そう思った瞬間だった。その卵のようなものが割れ、ムカデか寄生虫のような白い虫が這い出てきたのだ。僕は驚いて後退りした。その姿は生理的に全く受け付けられない気味の悪いものだった。なんという取り返しの付かないことをしてしまったのだろう。きっと僕が餌をやらなかったばかりに、猿はこいつに喰われてしまったのだ。虫は勢い余って扉から外の地面に落ちると、しばらくじたばたともがいていたが、やがて陽の光を浴びて干涸びるように死んでしまった。
ほっとしたそのとき、背後の方から誰かの声がした。僕の家は三メートル四方ほどの小さな部屋が一つあるだけで、家具といえば窓際の古いウォールナットの机と反対側に置いてある黒い桐箪笥だけだ。声がしたのはその箪笥がある側の壁の向こうからだった。家の裏手は鬱蒼とした竹林になっていたのに、そんな山の中を抜けて何人も友達がやってきたのだ。友達はがやがやとしゃべりながらやってきた。奇妙なことに誰も知っている人がいなかったが、ともかく出掛けることになった。僕が車を運転して、助手席に一人、後部座席に三人が乗ることになった。車に乗ったのは僕以外は全員女性だったが、やはり誰一人知っている人はいない。僕は助手席の人の横顔を見た。後ろは相変わらずがやがやとうるさいのだ、彼女は何もしゃべらなかった。僕はそんなところが少し気に入った。車は何事もなく草原の道を滑っていった。
昨日、よく通っている飲み屋に電話をして、明日の飲み会の予約を取ろうとした。
すると、「明日からは夜8時までなんですよ」という、衝撃の発言が店主から飛び出した。
深夜までの営業は今日限りで、明日からは時短営業に切り替えるみたいだ。
先に言っとくが、推敲とかロクにしてないから、文章が読みにくかったらごめん。
この店(M店とする)は硬派だった。5月の緊急事態宣言の折、広島県某所の飲み屋街では、ほとんどの店が休業を選んだ。しかし、M店だけは時短営業の道を選んだ。
俺みたいな若い連中が青春を楽しめるように、オーナーが剛毅花壇をしてくれたのだ。きっと、飲食店の組合とかからは冷ややかな目で見られていたのだろう。でも、若い連中にとっては大事なことなのだ。オーナーには感謝している。
ほかの店が休業するか、いくつかの店が時短営業を選択する中、そのM店だけは違った。休業はしないし、時短営業もしない。なんと、いつもどおりの深夜3時までの営業、しかも酒類の提供もするという。
やっぱりM店は違うな、と俺は有頂天になった。2日前も大学の部活帰りに飲み会をしたばかりだ。それが、冒頭のようになってしまった。畜生なことだ。
多分、圧力があったんだろう。
今日になってお店のスタッフ(おんなじ大学)の子に時短営業に切り替える理由を聞いたところ、インターネットにM店を公開告発するコメントが書かれて、いろんなところから苦情がたくさんきたらしく、それでオーナーか店主のどっちかはわからないが、今回の判断をしたということだ。
これを書いている今もキレそうになっている。
多分、圧力をかけたのはいい大人の奴らだろう。お店によく来ていた、30代とか40代の社会人だと俺は勝手に思ってる。
あいつらはあんまり好きじゃない。いや、嫌いだ。店の中でも自分たちよりも一回りは若い子(特に女)に声をかけたかと思えば、いっちょ前に「社会に出ると~」みたいなマウントばかりとって、それで相手にされなくなると半ギレしやがる。
あいつらは多分、俺達が楽しそうにしてるのが気に入らないのだ。これまでにあいつらが飲み屋で偉そうに語ってたことを聞くに、そんなところだろう。
あいつらはストレスが溜まってそうだった。「自分たちは会社で働いてこんなに辛いのに」って感じで、学生がM店でわいわいがやがや騒いでいるのが憎らしくてしょうがないのだ。だから大学生にマウントを取ったり、店員に偉そうな態度を取ったり、オレはすごいアピールばかりしてくる。
M店には、これからもずっと続いてほしい。絶対に潰れてほしくない。
風野又三郎
九月一日
どっどどどどうど どどうど どどう、
すっぱいざくろもふきとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
学校といっても入口とあとはガラス窓の三つついた教室がひとつあるきりでほかには溜たまりも教員室もなく運動場はテニスコートのくらいでした。
先生はたった一人で、五つの級を教えるのでした。それはみんなでちょうど二十人になるのです。三年生はひとりもありません。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかに誰たれも来ていないのを見て
「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫さけびながら大悦おおよろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました。がひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけはそのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪かみの子供がひとり一番前の机にちゃんと座すわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり眼めをりんと張ってそっちの方をにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から
「ちゃうはあぶどり、ちゃうはあぶどり」と高く叫ぶ声がしてそれからいなずまのように嘉助かすけが、かばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎だの耕助だのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩かたをつかまえて云いいました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすましてしゃんとすわっているのが目につきました。みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集って来ましたが誰も何とも云えませんでした。赤毛の子どもは一向こわがる風もなくやっぱりじっと座っています。すると六年生の一郎が来ました。一郎はまるで坑夫こうふのようにゆっくり大股おおまたにやってきて、みんなを見て「何なした」とききました。みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指しました。一郎はしばらくそっちを見ていましたがやがて鞄かばんをしっかりかかえてさっさと窓の下へ行きました。みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「誰たれだ、時間にならなぃに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して云いました。
「叱らえでもおら知らなぃよ。」嘉助が云いました。
「早ぐ出はって来、出はって来。」一郎が云いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなの方を見るばかりでやっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛こしかけに座っていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこな鼠ねずみいろのマントを着て水晶すいしょうかガラスか、とにかくきれいなすきとおった沓くつをはいていました。それに顔と云ったら、まるで熟した苹果りんごのよう殊ことに眼はまん円でまっくろなのでした。一向語ことばが通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「外国人だな。」「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが五年生の嘉助がいきなり
「ああ、三年生さ入るのだ。」と叫びましたので
「ああ、そうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけきちんと腰掛けています。ところがおかしいことは、先生がいつものキラキラ光る呼子笛ぶえを持っていきなり出入口から出て来られたのです。そしてわらって
「みなさんお早う。どなたも元気ですね。」と云いながら笛を口にあててピル※(小書き片仮名ル、1-6-92)と吹ふきました。そこでみんなはきちんと運動場に整列しました。
「気を付けっ」
みんな気を付けをしました。けれども誰の眼もみんな教室の中の変な子に向いていました。先生も何があるのかと思ったらしく、ちょっとうしろを振ふり向いて見ましたが、なあになんでもないという風でまたこっちを向いて
「右ぃおいっ」と号令をかけました。ところがおかしな子どもはやっぱりちゃんとこしかけたままきろきろこっちを見ています。みんなはそれから番号をかけて右向けをして順に入口からはいりましたが、その間中も変な子供は少し額に皺しわを寄せて〔以下原稿数枚なし〕
と一郎が一番うしろからあまりさわぐものを一人ずつ叱りました。みんなはしんとなりました。
「みなさん休みは面白おもしろかったね。朝から水泳ぎもできたし林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだりまた兄さんの草刈くさかりについて行ったりした。それはほんとうにいいことです。けれどももう休みは終りました。これからは秋です。むかしから秋は一番勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんも今日から又またしっかり勉強しましょう。みなさんは休み中でいちばん面白かったことは何ですか。」
「はい。」
「先生さっきたの人あ何だったべす。」
「さっきの人……」
「さっきたの髪の赤いわらすだんす。」みんなもどっと叫びました。
「マント着てたで。」
先生は困って
「一人ずつ云うのです。髪の赤い人がここに居たのですか。」
の山にのぼってよくそこらを見ておいでなさい。それからあしたは道具をもってくるのです。それではここまで。」と先生は云いました。みんなもうあの山の上ばかり見ていたのです。
「気を付けっ。」一郎が叫びました。「礼っ。」みんなおじぎをするや否いなやまるで風のように教室を出ました。それからがやがやその草山へ走ったのです。女の子たちもこっそりついて行きました。けれどもみんなは山にのぼるとがっかりしてしまいました。みんながやっとその栗くりの木の下まで行ったときはその変な子はもう見えませんでした。そこには十本ばかりのたけにぐさが先生の云ったとおり風にひるがえっているだけだったのです。けれども小さい方のこどもらはもうあんまりその変な子のことばかり考えていたもんですからもうそろそろ厭あきていました。
そしてみんなはわかれてうちへ帰りましたが一郎や嘉助は仲々それを忘れてしまうことはできませんでした。
九月二日
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
みんな港区住みの赤ちゃん連れで大体車だから必然的に近所のホテルや個室のあるお店が多くなる。
その中でランチコース7000円って土地柄高くもなく中間くらいだし、サービス料とドリンク含め1万ちょっとなのでちょうどいいよね、
というかんじで毎回みんなそれぞれ行きたいお店はそのくらいのところを候補に出してくる。
さらに安いビジネスランチとかもなくはないけど、そうすると逆にホテルの駐車券もらえなくなって駐車代で割高になったり、
がやがや狭いレストランや個室のないところだとシッターさんに預けて出かけるのでそれも割高になるし…
ランチも毎日でもなく、徒歩ですぐ自宅裏こカフェでママ友とお茶だけって日もあります。
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(ハヤカワNF文庫)読め。人生の質がグッと上がるぞ。
国内小説なら佐藤正午『身の上話』がおもしろかった。また、東野圭吾にはハズレがない。未読なら『白夜行』だな。
海外小説ならブッツァーティ『タタール人の砂漠』(岩波文庫)が印象的だった。ぼんやりしているうちに人生は取り返しがつかないという話が美しい文章で書かれている。
新書だったら原田隆之『入門 犯罪心理学』(ちくま新書)。がやがやとあることないこと騒いでるワイドショーが馬鹿みたいに思えるようになる。
あと、小川さやか『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)は傑作。将来に悲観して不安になってないか? 大切なのは「今」ただそれだけだ、ということが類稀なる文才で書かれたルポタージュ。
レクレーションハウス?みたいなところでみんながわいわいがやがやしてた
誰かが俺に「トイレにカメラしかけたんだけど見る?」っていってきたから、興味なさげなふりして、あーまあみてもいいよみたいに返事してみることになった
そんで動画開始
開始後そっこーつっこんだ
だってトイレの便座のすぐ横にある棚にカメラが10個くらいこれみよがしと置いてあるもん
こればれねーわけねーだろwwwみたいな感じで
そのあと静かにみてたら、最初音なかったのに、いきなり精神ブラクラみたいな感じでギャーッハッハッハみたいな感じですげー音がでて、
ざまあwwwwwひっかかったwwwwって感じで俺が盗撮動画を見ていることがまわりにばれてめちゃくちゃ冷や汗をかく、
という夢だった
その後か前かは、山をのぼって高速道路を徒歩であるいて帰る?夢だった
たまによく見る感じの夢