はてなキーワード: おんぶとは
専業主婦でも子どもを病院やらに連れて行くことはあるだろう。それに専業主婦でいられるかどうかなんて人によりけり。それとも女は子ども産んだら仕事やめて夫と子どもの奴隷になれとでも? ってか、元の話からして別に女性に限定してないんだけどな。男でも子どもを連れて病院に行くことあるだろ。ってか行けよ。
実家? だったら夫が妻の実家で暮らせよ。二世帯同居やマスオさんが嫌だとか文句言うなよ。ってか今は男の方も実家ぐらし嫌ってるパターン多いぞ。それとも夫が都会の仕事捨てて田舎で再就職するのか? それに実家にいたからといって親がずっといてくれるわけじゃない。頼れるときは頼ればいいが、他人に頼りきった子育てってなんなのそれ?
あと、ベビーカーだが、新生児ならともかくある程度大きくなった子をずっと抱っこやおんぶでってどんだけしんどいかわかって言ってんの?
やっぱり、理研とハーバードってのがキーかもしんないと思ったり。
理研ってさ、なんか独特じゃん。
普通、日本の研究機関ってのは科研費取って研究して成果だしてそれで科研費とって、っていうサイクル、言っちゃ悪いが全部税金におんぶに抱っこって感じじゃん。
理研ってなんか毛色が違うじゃん。外国の大学っぽい商売のセンスがある。
絶対金にならないような研究でも、全国に講演活動してたりさ。
たぶんなんか金にするつもりなんだけど、さっぱり見当がつかないが、理研のことだから、きっと勝算があるんだろうといつも思う。
さて、話を戻そう。
古参の名門のようなイメージだけど、捏造前にもやったし、商売上手だし。
全部想像だけど、嘘ではないにしろ、再現できない偶然のファクターか、再現されたら困るなにかがあるんじゃないかなと。
再現されたら困るっていうのは、夢の万能細胞のようで大きな落とし穴があるとか、そういう意味が一つ。
あるいは、既に使っているけれどしれっと隠している、「STAP細胞の作製効率を上げる○○!」みたいなものを特許で固めたいとか思ってるとか。
理研とハーバードは共同研究の体をとりつつも、実験のキーポイントとデータの秘密はお互いかなりの部分を隠しあってる。
発表はしたい、しかし、その後の主導権はお互い自分が握りたいと思ってる。
当然、データは出せない。
そこで、理研の広告戦略と、ハーバードのいざというときの尻尾切りに最適な人選が重なって、小保方さんが第一著者として選ばれたんじゃなかろうか。
人工知能学会誌の表紙に女性形のヒューマノイドが部屋の掃除をしている絵が採用されたことで、女性差別だの女性蔑視だのと議論が噴出している。
しかし、多くの心ある方々が学会誌を擁護してくれているそうで心強くある。
ああいう表紙にして、実際に売上が伸びたという事実以上に強い擁護はない。
このリンクから人工知能学会のサイトへ飛べるので、そこから購入手続きをしてもらえれば幸いである。
http://www.ai-gakkai.or.jp/journals_of_jsai/
では、以下にこの件が女性差別でない理由をまとめていく。
ネット上の発散しがちな議論を一本にまとめたつもりだが、個人的な解釈の違いからくる間違いが含まれるかもしれないことは断っておく。
まだロボットは人間の決定に文句を言う権利を持っていないが、この絵に差別を感じられるのは当事者であるロボットだ。
つまり、この絵にどのような意味が込められていようとも人間の女性への差別には当たらない。
これに女性差別を感じるならば、それはロボットを人間だと曲解した上での議論である。
実はロボットだったとしても、外見がここまで女性的である以上言い訳にすぎないのではないか、という言い分も理解できないこともない。
だが、仮に絵の中のロボットが腰にケーブルをつけているだけの人間の女性だったとしても、そこに差別的な表現を読み取るのは難しい。
批判しているようなごく一部の人を除いて、この絵を見た時のリアクションは
「あ、かわいい子が掃除サボって本読んでる・・・あれ、これロボットなの!?」
数十年後の未来、なんの変哲もない日常生活の中に浸透した人工知能の姿を読者に届けるという目的に合致している。
女性の品性を貶めよう、人権を侵害しよう、男性と同じ権利は与えないようにしよう、といった、差別を助長しようという意図がないのは明らかである。
おそらく問題視されているのは差別ではなく、古くからある偏見が強化される恐れだろう。
例えばこの絵を見た人は
「XPのサポート終了にすら対応できない日本人は技術革新についていけず、遠い未来においてもほうきで掃除する」
「なんだって!日本にはこんなかわいい掃除ロボがいるのか!俺の国には太ったババアしかいない!ファック!」
といった偏見を強化される恐れがある。
(なぜか問題視されているのは最後の一つだけであるが・・・特に3番目の例は今後深刻な話になっていくだろう。日本人は損しないかもだけど)
それは確かに問題なので、断り書きの一つもつける必要があるだろう。
「たばこの吸い過ぎは健康を害する危険性があります」っていうのと同じ程度に。
ドラマの最後にだって「この物語はフィクションです」みたいな断りを入れる。
今回の場合は、
「表紙絵の女性はロボットであり、いかなる人種、個人に対する差別、偏見を助長する意図はありません。また、表紙絵の中で使われている技術や生活用品は現在あるものを基準に描かれており、未来の技術の発展の様子を予測するものではなく、このような女性形ロボットは未だ開発途中であり一般家庭に普及しているわけではありません。」
といった断り書きを小さく裏表紙の隅にでも書き込むべきだった。
そういった怠慢への批判は甘んじて受けるべきだと思うし、今後生かされていって欲しいと思う。
ここから先は生産性のない議論になるので読み飛ばしてもらっていい。
一言で言えば、自分の姿にコンプレックスを持っている人が、そのコンプレックスを刺激されて爆発したというだけの話なのだから。
今回騒いでいる人は、社会正義のために声を上げているのではなく、とにかく不快になったという人の方が多く目につく。
目立った批判を集めて一つにまとめるとこうなる。
「なにこれキモッ!
男の女を支配したいって欲求むき出しじゃん!
家事なんて、そんな底辺の女がする仕事なんて私はしたくないし、私はそんな底辺女とは違う。
これで『女性はかくあるべき』なんて偏見が助長されたらますます仕事がしづらくなる。
汚らわしい。
私は絶対そんな、男に媚びるような女にはならない。
そんな都合のいい女いるはずないのに、今度は人工的に作るとか言い出しやがった。
男の欲望の思うがままにされるためだけの女性が人工的に作られるなんて、同じ女性として気が狂いそうになる。
それを日本の人工知能研究の主流と取られかねない場に乗せるなんて、死ねエロ猿ども!
なんの反論もございません。
全員がそうとは言わないまでも、確かにそういう流れは存在すると思う。
だが、それは差別ではない。
男性の性欲についての話だ。
おしとやかで従順で決して逆らわないようプログラムされていて家事炊事で甲斐甲斐しく世話をやいてくれる女性が好きだと言って、なぜ女性全体を差別していることになるんだ!
不快になった人は単にお前は俺の好みの女じゃない、と言われただけだと気づけ。
学会誌の表紙でそんな恥ずかしいカミングアウトをするなという批判はその通りだ。
「私はこんな風潮は間違っていると思う!個人的に嫌いだ!」
しかし、実際には個人的な不快感でしかないものを差別という絶対的な社会悪と結びつけて主張している。
しかも主張の内容は男性に性欲を持つなという、無茶苦茶なものだ。
そんな主張、そのまま出しても鼻で笑われるだけだ。
だから差別という、絶対反論できないお題目を掲げて主張するのだ。
自分の力ではなく、他人の力におんぶで抱っこで議論をしようというのだ。
俺はそんな卑怯者に払う敬意など持ちあわせていない。
もちろん女性蔑視などしていないが、そういった卑怯な女性ははっきりと軽蔑する。
だいたい、女性側が専業主婦にひどい差別意識を持っていない限り、こんな主張は出ないのだ。
これは述語論理を使えば数学的に証明できるのではないだろうか。
一方、普通の男性は専業主婦に差別意識を持っていないから、何が問題なのか分からない、そもそも問題など存在しない、と思うわけだ。
一体どちらが差別主義者か。
もし、彼女らの専業主婦への差別意識が、自発的に生まれたものではなく人から刷り込まれたものだとしても、
それはこの絵を書いた人や表紙に採用した人ではなく、あなたにそう言った人に直接言ってくれ!
まず単なる個人の不快感を差別という文脈で語るのが許せないというのは先に述べた。
それに加えてこの件のおかしなところは、仮に表紙絵のロボットが性奴隷に従事させられていたとしても人間の女性に被害者は一人も居ないということなのだ。
これは「非実在青少年の人権」などという存在しない権利をもって、言論の自由を制限しようとした表現規制へと直結する流れだ。
そんなロボットを作りたいと願うのも、当然自由だ。
なぜなら、それにより女性の権利はまったく損なわれないからだ。
にも関わらず、これを差別だなんだと、表現規制をかけたり、無意識の差別、つまり考えることすら規制しろとか言う人すらいる。
それを表現しないなら、内心の自由として憲法でも保証されている。
その自由を脅かすのは、まさに人権侵害だ。
歴史に汚点を残して1000年経っても記録に残るぞ。
だいたい、差別と言っても、身の回りの人物から家事を強制されるとか、そんなもんだろ。
そんなの個人の話し合いで解決しろよ。
なんのために口がついてんだ。
そこを差別問題として取り上げて、もしなんらかの法規制が行われたらどうなると思うのか。
個人と個人の間にある、個別の問題にまで規制が踏み込むことになったら、どうなるのか。
最終的に行き着く先は「少子化対策のために20代の夫婦は毎週3回セックスすること」なんて法律で規定されるような社会だ。
本当にそんな社会になっていいのか?
いいという人が国民投票で2/3を超えたらそれに従おう。
しかし、そうじゃないだろう。
本当にそんな世の中になったらみんなが不幸になるだろう。
ならば戦うしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
↑のブクマ
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20131227145434
http://anond.hatelabo.jp/20131227150528
http://anond.hatelabo.jp/20131227195049
家事って卑しいの?
http://anond.hatelabo.jp/20131227201943
フェミはつまり、オタクが「自分の思い通りにはならない存在で気にいらない」わけだ
http://anond.hatelabo.jp/20131227220739
不確定な「将来」 … 自分も、生きていれば将来年金暮らしになるだろう。子育てしていない家庭の人間も、当然ながら現在年金は払っている。また、将来受け取る(かもしれない)年金は、そもそも「現役時に当時の高齢者世代の面倒をみた」ことに対する順送りの返礼であり、単に「未来世代におんぶする行為」ではないと認識している。どうせ、まともな見込みのないまま運用され続け、未受給年代の受給年齢も上がり受給額は下がるのだろう。将来世代の「負担」を、現在の子有り世帯が過剰に見積もってエキサイトする理由が分からない。
確実な「現在」 … 税金のうち、「育児、教育」等に使われる部分や子ども手当、会社にあっては産休・育休などの制度の一切は、直接の自分の利益とはならない今現在の確実な「負担」である。
個人的には、「子どもを含め、社会が社会の成員全体に責任を負うのはよいこと」だという思想があるので、現時点でこの状況に対し特に何も積極的に発言する意志をもたない。だが、ときどき「子どもを作らないカップルは年金のフリーライダーだ。彼らに課税せよ」などの意見をみると、非常に微妙な気持ちになる。「おたがいさま」の理屈が通らなくなるのなら、私のような立場の人間からすると「子育て家庭は社会のフリーライダーだ。子どもを作る度に奴らの税金を増やすべき」という主張をすることも正当になるわけだが、そのことはどう考えているのか?
たとえば義務教育にかかる費用を、もし「直接の受益者負担とするべき」という理由で徴収するとしたら、どのくらいかかるのか知っているのか? その額は、ざっくり言って、子ども一人あたり年間およそ100万円を越えるくらいだ(私立の授業料を想像して貰えれば分かると思う。ちなみに、義務教育期間に限らず、私立学校にも当然公的扶助は行われている)。たとえば子ども3人いる家庭は、義務教育9年間だけで計3,000万円近くの税金投入を受けている。「子どもは社会の子」だ。オッケー。だから、今のところ誰も文句を言わない。だが、「子どもは社会の子ではない」というなら、これらの費用を公金でまかなう理由は一切なくなる。あなた方は本当にその額を支払えるのか?
私個人の観点で見れば、自分は、将来年金その他で社会のお世話になる前に、コロっと死んでしまうかもしれない。年金なんて、別にシステムとして破綻しなくても最初から払い損になる可能性はある前提で払っている。だが、今、子育てに使用されている「公金」は、今まさに使われている現実の出費である。「子育て」に使用しなければ、他のことに使用できる「今現在のお金」である。子どもが将来高額納税者になるかどうかなど、正直どうでもいい話であって、もし、将来自分が年金の世話になることで文句言われるなら、むしろ「じゃあ、今あんたらの子どもにかかっている税金分を社会に返してくれ」と主張したい。
そして、もちろん私は、今のところ、そういう主張はしない。お互いさまだと思っているからだ。もちろん、自分にも義務教育時代があり、一定の期間公的扶助も受けた。しかし、既にその分の年数、税金は納めている。「お互いさま」が消えるなら、本当に困るのは「子育て家庭」の方ではないか?
どう考えても楽勝だった男の子育て
http://anond.hatelabo.jp/20130619155006
この増田は、まず子供が一人遊びできるようになってからのことしか書いていないことに違和感を感じた。
一番大変なのは乳児〜1歳くらいの時期で、もしかすると本当の初期は妻はさすがに産休を取っていたのでは無いかと感じてしまう。
授乳とか、どうしてたんだろう。
側にいないと常にギャン泣きしていた時期はどうしていたのか純粋に気になる。
ただ、今ほど男性の育児が一般的で無かったであろう15年くらい前の出来事であることは評価できる。
増田がかなり出来る人間だからこうして効率的にできたのでは、と思う。
理想としては増田のいうことは間違っていないけれど、この方法をするにはある程度のスキルが必要である。
そして、生んだ瞬間から母となり子育てというハードワークが始まる。
隙間時間が出来ても、そこは休養に充てないと体が持たないのだ。
産後のお母さんよりは確実に体力はあるはず。
ここが結構大きいように思えた。
妊娠中、出産後に体力を落とさない努力をもっとすべきだったと反省している。
そして、産後だいぶ経つが体質が変わってしまったのか虚弱体質になってしまった。
結果、時間はあっても動けないという悪循環が生じてしまっている。
そして、仕事をして社会と関わりを持っているという状況は強いということだ。
もし増田のように友逹や付き合いの全てを切り捨てて子どもと向き合ったら、多くの人はノイローゼになってしまうだろう。
賛否はあるし、無理に付き合わなくてもいいとは思うが、子供連れで遊べるママ友を多くの人が作ろうとするのは、どこかで外の風を入れたいからなのでは。
本当に信頼出来る、付き合いたい人間とたまにおしゃべりする時間くらいは取ってもバチは当たらないと思う。
外に出ることで先に話した体力低下も防げるし。
家事についてですが、子供連れてスーパーマーケットなんて行ってられないので、もっぱらネットスーパーです。
これは今の時代の良さですね。
きっと家事の効率化とかは、多くの主婦の皆様はとっくにやってると思いますよ。
家事が出来ないと騒いでるのは、子供が昼寝しなくて側から離れるとギャン泣きする1歳以下の子供を持ってる人が多くて、おそらく2歳をすぎるとさすがにペースもつかめてくるんじゃないですかね。
「イタリアン入店拒否について」って何だよ。乙武入店拒否だし1・2
「イタリアン入店拒否について」って何だよ。乙武入店拒否だし1はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130522190526
「イタリアン入店拒否について」って何だよ。乙武入店拒否だし2はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130523164558
では
私は全車いすユーザー(というか乙武さん)のため一生懸命戦いました。たぶん。
私は泣いてなんかない、涙があふれただけ。
店主の対応は絶対間違っていると思うのに、なぜ問題が大きくなっていったのか。
ということで以下言い分。
軽率だった。かもしれない私。
では、なぜあの時私はお店の方が「予約の時に車いすですって伝えてもらってますか?」という質問に対し、予約をした乙武さんに一応確認するなり、「伝えるの忘れてたかもしれません。申し訳ありません。なのでお手すきの時にでもお手伝いいただけませんか」という気の利いた返しをせず、つい「車いすの人は入れないんですか?」と当日の乙武さんと私の話ではなく、全車いすユーザーを代表するような言葉を発してしまったのか。
ここに記しておきます。
久しぶりに乙武さんから連絡を受け、今度食事にでも行きましょうと言うことになりました。
お店は乙武さんが「銀座にいいお店があるから、僕が予約しておくね」ということでお任せしました。
これまでにも友人らとともに乙武さんと食事をすることもあり、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
乙武さんが誘ってくれるお店はいつも素晴らしく、とても心地よいサービスをして頂けます。ひとえに乙武さんの人徳、お人柄によるものと思います。
この日もとても楽しみにお店に向かいました。
お店のある通りを歩いている時、ほんの少し違和感を覚えました。
お店の入っているビルの前に着いたとき、その違和感がふっと蘇りました。
ビルの入り口に大きな段差がある。これまではこんな段差のあるお店に行く際は、乙武さんのスタッフが店まで送迎されてました。
あれ?今日はスタッフがいない2人きりの食事って聞いてたけど。
身長150㎝台の非力な私じゃ店内まで連れて行くことは困難だな。と思いましたが、乙武さんは全く気にしている様子はありません。
「ごめんね(私)ちゃん。お店2階にあるから、店のスタッフに、予約した乙武が来たんで、ちょっと下まで迎えに来てほしいって伝えてくれる」
ああ、そうか。そうよね。いつも気が利く乙武さんが店の前まで来て立ち往生するようなドジはしないよね。お店の人が知り合いかもしれない。しかも乙武さんが予約したんだった。連絡してるよね。「手伝って」と。
何の気も留めず私はお店に上がっていきました。
お店はすでに予約のお客様で混雑していて、店主の方はキッチンで忙しそう。
スタッフもタイミングを考えなきゃ声を掛けるのも申し訳ない雰囲気。
でも外には乙武さんを待たせてる。あの有名な乙武さんを銀座の路上に長く待たせるわけにはいかない。人目に付きすぎるし、私と2人でお店に入るところを見られたらどんな噂を立てられるか分からない。私はいいけど乙武さんに迷惑をかける。早くしなくっちゃ。
思い切ってスタッフに声を掛けました。
「いらっしゃいませ」
「2名で予約してた乙武です」
「お席の方にご案内します」
店主は?忙しそう・・・
まあ知らなくても、車いすの乙武ですって言ったら、どこでもすぐに気が付いて快く手伝ってくれるから問題ないはず。
「連れの友人、車いすなんで」
この日本に車いすの乙武ですって言って知らない人がいるのかしら。
人は悪くなさそうだけどこんな愚鈍な人に聞いて、知らないなんて言われたら乙武さんの名誉に傷がつく。
でも早くしなきゃ乙武さんに何話してたの?って聞かれて
私ウソつかなきゃならなくなる。
何でもいいから早くしなさいよ。とは言えない。
「え?車いすの人は入れないんですか?」
あれ?何で車いすの人の話にしちゃったの私?
私とあの乙武さんが入れればいいんだけど。
まあこの言葉を言えば断る人いないし。
「いや、そういう訳じゃないんですが」
でしょ。そりゃそうよね。そう答えるわよね。
「じゃあ、いいでしょ。お願いします」
自分が問題を全車いすユーザーの話にすり替えてしまった過ちを気付かれまいとして、つい厳しい口調で言っちゃった。
でも言ってることは間違ってない。絶対間違ってない。
「予約の時に車いすって連絡されました?」
何よこの人。自分のサービス精神のなさを棚に上げて乙武さんのせいにするつもりっ。
私が予約したんじゃないんだし、そんなこと今聞かれても分からないし。
下に降りて乙武さんに確認する・・・言えない。乙武さんを責めてるみたいだから。
今日は2人きりの食事なんだから恥をかかせたら気まずくなるかもしれない。
よしっこれでどうだ。
「今まで、そんなこと言わなくても、他のお店の方はみんな快く対応してもらってるんですが」
そうよ。他の店では乙武ですって言ったら皆満面の笑みで手伝ってくれるのよ。
ええっ、何でこの人ひるまないの。ほとんどの日本人がひれ伏すて魔法の言葉「みんなが~」
だいたい、こんなやり取りしてる間に連れてこれたはずよ。
「本人の体だけですからお手間は取らせません」
あなたのような大きな体なら一人でもできるはず。
「ちょっと今忙しいから、手が空いたら下まで迎えに行くんで待ってください」
やっとやるきになったのね。あんまり時間をかけられても困るんだけど。なんたって外に待たせてるのあの乙武さんだから。
でも何か無理やりおしつけたみたいになってやな感じ。どうせやってくれるんなら初めからそう言えばいいのに。
私は店を出て、乙武さんの元へ。
「長かったね。どうしたの?」
予約のときに車いすって伝えたかなんて、乙武さんを傷つけるやり取りは言えない。
「・・・中々話しかけ辛くって。でもすぐに来るから待っててくださいって」
「そっか」
私は尊敬する乙武さんを待たせることが悔しくって。待っている間の乙武さんとの会話も頭に入らない。
「ちょっと、上がって様子を見てくるね」
店の扉を開ける。
面倒くさいから忘れたふりするつもり?
でも催促するのもはしたない女と思われそう。
スタッフがしばらくして気が付き
「ようやくひと段落したので」と、階下に向かおうとしたとき、店主がキッチンから出てきた。
この人が乙武さんの知り合いなのかしら。
待たせたことのお詫びにわざわざ出てきたのかな。
「車いすのお客様は、事前にご連絡いただかないと対応でき・・・」
えっ、何なの?
いまさら、お店に入れないって言うの?
さっき乙武さんに「店の人がすぐに迎えに来るから」って伝えたのよ。
困る。今更そんなこと言われたら私が困る。
私はもう頭が混乱していました。
これまで乙武さんといてこんな対応を受けたことがなかったから。
なんて聞きたくない。聞くわけにはいかない。
私は店主が話し終わらないうちに遮るように
「あ、でも、車いすは置きっぱなしで、友人の体を抱えていただくだけでいいんですけど」と口にした。
だいたい乙武さんが車いすなの当たり前でしょ。知り合いじゃないの?知り合いじゃなくってももうわかってるでしょ。スタッフから聞いてないの?予約の車いすの乙武ですって。
車いすは店内にいれないわよ。出来るでしょ。本人だけなら。
え?何で?
そのあとは「お引き取り下さい」なのもしかして。
それだけは言わせない。乙武さんがそんな扱い受けることは許されない。
乙武さんに恥をかかせた女として私も恥をかくことになるのよ。
そんなの許さない。
私は再度店主の言葉を遮り
「そういうわけじゃ……」
でしょ。そうでしょ。これで断ったらあなた全車いすユーザーを敵に回すことになるのよ。そんなことできるの?あなたが断ろうとしてるのは、乙武さんなのよ。もう私と乙武さんとあなたの問題じゃないのよ。私たちの後ろには全車いすユーザーがついてるのよ。そして60万人を超えるフォロワーも。
「とにかく、うちは店も狭いですし、対応できません」
あ
あぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・
言いやがったコイツ。とうとう言いやがった。
絶対に言ってはならない。否定の言葉を。
もうダメだ。
私はあの乙武さんに恥をかかせた女になる。
ねえ。何で。
私が最初に行ったときに断ってくれてたら、少なくとも私のせいじゃなかったのに。
乙武さんが予約の時に車いすって伝えなかったからって言えたのに。
あとで迎えに行きますなんて言っておいて、何で今断るわけ?
私が交渉に失敗したみたいじゃない。
何で私に言うのよ。
私間違ってない。絶対間違ってない。
全部あんたたちが悪いのよ。
私は悲しくなった。
自然に涙が出てきた。何でこの人たちは分かってくれないの。
私と一緒にいるのはあの乙武さんなのよ。
私が乙武さんを傷つけた女になるのよ。
私は乙武さんに恥をかかせた女になるのよ。
乙武さんがだめなんじゃないのよね。
車いすが悪いのよね。
うん絶対そう。
こんな時に乙武さんが隣にいてくれたら、いつものユーモアと知性あふれる返しで、この人たちを納得させることが出来るのに。
私は目に涙を浮かべ階下に降り、感じ悪い店主が私達の入店を拒否した。と伝えた。車いすの人を排除しようとしているような感じだったと。
乙武さんもこんなことは初めてだったようで、何があったのか分からないようなきょとんとした顔をしてた。
そりゃそうよね。車いすってことはさっき伝えて、それで迎えに来てくれるって言ったんだから。
と2人で茫然としている時に、店主が降りてきた。
私は、入店を拒否したお詫びしてくれるんだろうなと思った。
店主
「エレベーターが 2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどね」
え?何でそういうこと今言うの。乙武さんがそんなことに気が付かないはずないでしょ。だいいちエレベーターの問題じゃないんだし。ちょっと抱えるだけって言ってるでしょ。ねえ乙武さんそう言ってやってよ。
「ああ、そうでしたか。僕、今回は『食べログ』を見てお電話したので……」
やっぱり乙武さんは素敵。私と違って冷静に見てないことを認め、それからにっこり笑ってスマートに対応するのよね。きっと。
「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?」
何この店主。喧嘩腰じゃない。確かにこんな入りにくい店に行くなら予約の時に伝えといたほうが問題は無いけど、そんな言い方ないじゃない。
ここからが乙武さんの本領発揮よ。いつものようにユーモアと知性で、この店主をやっつけて。
「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
えっ、あまりにストレートな返しじゃない。それじゃ私のやり取りと一緒じゃない。
もっと知性あふれる、ユーモアの効いた返しを期待していた私はなんだか取り残された感じがした。
「いや、常識でしょ」
何で店主もそのノリで買っちゃうわけ。
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
え?何広く世に問うって。そんな大きな問題なの。確かに店主の言い方は腹が立つけど。
「ええ、どうぞ」
あー、言っちゃった。あなた知らないわよ。60万人のフォロワーをもつあの乙武さんよ。
これが当日の私が知る事実です。
ここだけは誤解されたくないので、繰り替えさせてください。私はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけ、それが受け入れられなかったから逆切れしたんじゃありません。
ネット上の声には、私のコミュニケーションの取り方に問題があると言うような批判もありますが、私は乙武さんと一緒にいてこれまで今回のような対応を受けたことはありません。
乙武さんの言ってることは間違ってません。
PS
でも時計の針を戻すことが出来るなら店側の「予約の時に車いすですって伝えてもらってますか?」という質問に対し、「伝えるの忘れてたかもしれません。申し訳ありません。お手すきの時にでもお手伝いいただけませんか」という気の利いた対応したり、お店の忙しさに気遣って通行人に手伝ってもらったりしたいです。そっちの方がいい感じでしょ。やっぱり。だって私は乙武さんから2人きりで食事に誘われるほどの女なんですから。
えー
当たり前ですが、これ全部創作です。
私はこの女性のことは何ら知りません。
2人きりで銀座の隠れ家的イタリアンレストランで食事をする仲であること。
この日、最初にお店に交渉に行き、一度は迎えに降りてもらえることを取り付け、後になって店主に断られたかもしれないこと。
断られて泣きながら店から降りてきたこと。
乙武さん(たぶん全車いすユーザー)のために一生懸命交渉したこと。
そこから私は彼女が非常にセンシティブで責任感の強い女性であることを想像して書きました。
本文では、乙武さんを友人に持つことを鼻にかけた、嫌な女のように感じられるかもしれませんが、私は彼女を中傷するつもりで書いたのではありません。
乙武さんという非常に有名な方を友人に持てば、当人が意識するしないにかかわらず、どこかにそのような意識はあると思います。悪い意味じゃありません。乙武さんを大切に思えば思うほどそうなるでしょう。
今回の件も、本当の友人であれば、乙武さんに対し泣きながら店の対応をチクるだけじゃなく、乙武さんが予約の時に車いすですって伝えなかったことも笑って非難できるでしょう。
店が忙しそうだからと、店のスタッフにお願いするのではなく、通行人にお願いすることもできたでしょう。
(女性の性格にもよりますが、少なくとも乙武さんと2人きりで食事に行くならばその位の意識は持つべきです。何かあった時、きっと自分だけじゃ助けられないから)
お手伝いしてくれる方はいると思います。ましてあの乙武さんですから。
そして通行人に抱えられ入店した乙武さんを断る店主ではないと思います。
乙武さんにとっては友人なのかもしれません。
傷つけたりしちゃいけない。って
彼女自身気が付かないうちに畏怖してんだと思います。乙武さんを
私の勝手な想像ですが、店主はやはり車いすだから拒否したのではなく、何らかのコミュニケーション上の行き違いによって意地を張ったと思います。
店主にこんな意地を張らせてしまったこと、「これがうちのスタイル」です。なんて言わせてしまったことを乙武さんに少し考えてもらいたいです。
本文で私が言いたかったことは、彼女が泣かなければならないような事態になった原因として、乙武さんの日常の気配りが足りなかったのではないか。ということです。
車いすの人は常にそんなに気を使って生きなきゃならないのか。って問題じゃないです。
乙武さんはやっぱり有名人です。多かれ少なかれ接する人は常に気を使っています。そして乙武さんと行動を共にする人も、同様に気を使ってもらうことに慣れすぎているのだと思います。
だから「僕はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけて、それが受け入れられなかったから逆ギレしたのではない。」なんて言葉が出るんです。ここは逆ギレってのは変ですが、まあそれは置いといて。
無理難題かどうかは、その時の背景事情、対応する人の能力、個人的主観によって変わります。
事実だけを記せば
乙武さん側は、いきなり訪れて通常ではない対応を求めた。(予約時に伝えてないのだから)
店主側からすれば、いきなり通常ではない対応を、さも当然の如く求められた。だから断った。
確率の問題とでも言うんでしょうか。
お恥ずかしながら私は日本に車いすユーザーがどれ位いるのか分かりません。
ちょっと調べてみましたがはっきりした数字がありませんでした。
私も飲食店に携わって20年以上になります。車いすでのお客様が来店されたことは記憶にある限り2~3度だけです。日常生活でも1日に何度も車いすの方を見かけることは有りません。
それだけ車いすの人が外出するのが困難な社会だから問題だと言うのが争点じゃないんです。(大事なことかもしれませんが、本件には関係ないです)
それだけ確率の低い特別な出来事なんです。車いすの方をお店で迎えることは。
これがお店側の事実です。車いすだから面倒だとかじゃないんです。
絶対的な経験地が足りない。誰にでもあると思います。経験したことが無い問題には上手く対応できないってこと。
乙武さんは自らを障がいではなく個性であると言ってました。たぶん
個性なら、そんな個性的な客はうちの店には向かないから帰ってくれといわれることも受忍すべきでしょう。
いきなり全車いすユーザー代表のようなことを言うから問題になるんです。
個人的にはちわげんかだと思います。
でもちわげんかで相手の人生を左右するかもしれないようなことは、ちょっとかんべんです。
あと、乙武さんに接する人の気持ちは、障がいを持つ人に接するのではなく、あの乙武さんに接するのだ。と思っている。と受け止めた方が間違いないと思います。
一つ気になることがあるんですが、乙武さんは日ごろから、この度のようなときに店の人に抱えてもらうための道具かなんか常備されてるんでしょうか。
私がこの場に遭遇したときどうするだろうと想像しました。ネットでは誤って怪我をさせたときの訴訟リスクだとか騒がれてますが、小さな飲食店の経営者の立場から見ると、ちょっと手伝ってといわれたら、そんなこと考えません。手が空いてれば、ああハイハイ。ってな具合です。ただ、おんぶするのも難しそうですし、2人で抱えるとしても、やはりおんぶ紐、なりだっこ紐、あるいは丈夫な袋のようなものがあった方が安全だろうなと思いました。
万が一(こけたり、落としたり)の時に、健常者であれば手や足を使い防御、あるいは多少クッションになりますが、いきなり頭や内臓を有する胴体だけってのは抱える方も不安です。特に階段では。
これはすぐに訴訟リスクだとかじゃなく、相手を傷つけちゃいけないって単純な本能です。
介助に不慣れな人に手伝ってもらうからには、負担を少なくしてあげるのが気遣いだと思います。
でなきゃ、手伝ってほしいと言われたときに、ちょっと不安なんでと断ったら「障がい者だから差別するのか」って言われそうで、きっとどこかで見かけても目をそらしてしまいます。
だから
「かわいい女の子と一緒だったから、ちょっと引くに引けなくなっちゃったんです。
申し訳ありませんでした。」って店主に心から謝罪してほしいです。
60万人のフォロワーやどれくらいいるか分からないアンチ向けの釈明じゃなく。
そしてお店、店主を最大限に守ってあげてください。
たとえ店主が悪い奴だったとしても、今度のことで万が一お店がなくなったら寝覚めがわるいでしょ。
サザエさんのスタッフが他のアニメでクレジットされていたのって、「キャプテン」くらいでしか見たことないなー。(現在のサザエさんのチーフアニメーターの国保誠はキャプテンの作画監督)
サザエさんの作ってるエイケンについては、こんなエピソードがあるね。
エイケンの仕事は『おんぶおばけ』や『冒険コロボックル』『サザエさん』が主でした。動画に求められる線は各社によって微妙に違うのですが、エイケンの場合はそれが徹底していて、使用する鉛筆も芯が硬くて細い線が引けるFに限られていました。他社は芯が柔らかくて描きやすい2Bが主でしたから相当な差です。他社がトレスマシンを導入する中でエイケンはトレーサーによるハンドトレスを続けていて、動画の線も一定の細さで、きれいにつながった線が求められていました。もちろんエイケンの歴史にも『サスケ』や『カムイ外伝』等、原作のタッチを生かした劇画調作品はありますが、この当時のエイケンはファミリー路線が主になっていました。
アニメの歴史を俯瞰してみると、1970年代から1990年代の様々なブームや傾向を経て、動画の線は次第に細くきれいなものに落ち着いていくわけですが、その中でエイケンはずっと変わらない線の質を保ったことになります。動画の線については、近年になってデジタル技術がこなれてくると共に、作品によって味のある線、いきおいのある線が望まれたりと多様化しているように見受けられ、興味深いことです。動画の線で見るTVアニメ史等も可能かもしれません。
またエイケンのキャラクター表は一風変わっていて、主要キャラの顔が縮小拡大したように同じ角度でいくつも描かれていて、実際の画面でもある一定の角度からの顔が多いので、大抵のカットはそのキャラ表を引き写せば事足りたりもするのでした。
物理的に。
電車とかで幼い兄弟が隣に座って、こっくりこっくり船漕ぎ始めてコテンと肩に頭乗せてきたりすんじゃん?
アレが身震いするほど嫌だった。何故か。
兄弟が嫌なんじゃない。普通に遊んで普通に喧嘩する普通の兄弟。ペットボトル回しのみとか食いかけ肉まんとかは余裕。
でも頭乗せられるのはイヤ。よく肩で小突いて起こしてぐずらせたわ。
高い高いは好きだけど抱っこは嫌い。肩車至上主義だけど抱っこはイヤ。おんぶはセーフ。
他人の手を触って手の甲のなめらかな感触とか味わうのは大好きだけど他人に手をつながれるのはあんまり好きじゃない。
これちょっと困るのな。身近な他人とコミュニケーションするときに困る。
口でどんなに肯定したって近くに身を寄せると拒絶する人間なんか誰も信用しない。
そして俺は俺を信用しない人間にそばにいてほしくない。
今は誰もいない。
「あの時は億万長者は最高に重かった」とか
なんとなく早合点して金銭的価値で測ってるよ。
アルカが願いをかなえるときに見てるのは
実はその願いの利己心や強欲だよ。
「億万長者にしてー」は我欲だったから、対価のおねだりはすごく重くなったよ。
「パソコンちょうだいー」もただの我欲だから、対価のおねだりはすごく重いよ。
願いの動機が愛だったからだよ。
あの願いはひたすら弟を思う兄の愛の塊だったから、
かなえるときに重い対価は発生しなかったよ。
「失敗すると最愛の人がミンチになる」がこの能力の真の特徴へのヒントだよ。
最悪なヒントだよ。
臓器くれレベルのおねだりをされて引き受けるよ。
願いをかなえるモードになったアルカに、
「ゴンを助けてやってくれ!」と頼むよ。
対価ほとんどなしで叶うよ。
更にもう一度おねだりモードになったアルカに
おんぶのような容易なおねだりされて、
思い出などを語りながら3回おんぶを引き受けるよ。
また願いをかなえるモードになったアルカに
「もうこんな能力は消して外で生きてくれ」と願うよ。
カタ〇状態になったキルアは姿を消し、
劇中で数年飛ぶよ。
http://news.livedoor.com/article/detail/5874529/
ショッピングモールや歩道で、道幅一杯に広がって並んで歩くベビーカー。
ラッシュで混雑している電車に、折りたたまずに突っ込んでくるベビーカー。
危ないという注意書きを無視してエスカレーターに載りこんでくるベビーカー。
はっきり言う。
大体、手伝ってくれないような人ばかりの場所に、どうしてわざわざベビーカーで行くんだ?
そんな場所にベビーカーで行くと大変なことになると想像できなかったんだろうか。
ベビーカーに対して寛容になれと言う前に、ベビーカーを使う上でまず親が留意すべきことが色々あるんじゃないか。
舌打ちされるシチュエーションも、ちょっと考えれば分かると思うんだけど。
社会人になって数年、仕事が忙しくなり、職場で理不尽な事が増え、それが精神的な余裕の無さに繋がって彼に距離を置かれ、それがさらに心の余裕を…というスパイラルの果てに破局。
異性と肌を合わせる事が数少ない癒しの手段だった自分にとって、パートナー不在状態は、ゲームで言う所の体力が少しずつ減っていく状態も同然だった。もちろん他のストレス解消法も色々と試してみたものの、セックスと同等の効果を感じられるものには結局巡り会えず、週末は一人でひたすら呑んでタクシーで深夜帰宅してばかりだった。
そんなある週末の深夜、自分でもよく覚えてないが運転手に実家の住所を告げていたらしく、気が付くとx万円のタクシー代を立て替えてくれた兄に抱きかかえられて部屋に運ばれていた。それが拙かった。季節は残暑も厳しい頃。Tシャツにハーフパンツ姿の兄に「おんぶ」された時、その密着感と体温から猛烈、いや激烈な感覚が体を駆け巡った。「これだあああ!!!!」と。「ここにいるじゃん!!!!」と。
で、その夜のうちに兄と関係を持った。
「こうでもしないと自分はダメになってしまう」「私のためだと思って」「誰にもしゃべらなければいい。死ぬまで秘密にするから」「一回だけでいいから」「入れなくていい。ただ抱き合うだけでいいから」と、泣きじゃくる私に兄が折れる頃には夜が明けていた。人倫に反する事だという自覚は微塵も無かった。シャワーも「カラスの行水」同然に済ませ、兄のTシャツとトランクスをはぎ取り、ひたすら兄との密着感を貪った。
入れなくていいという言葉で無理矢理妥協させた兄ではあったが、そんな約束最初から守る気など自分には全くなかった。兄は割と本気で抵抗したが、半分本気半分演技の涙でねじ伏せた。
数ヶ月ぶりのセックスはただただ気持ちよかった。勿論自慰はやってたけど、物の数に入らない位によかった。「脳味噌が痺れる」というのはまさにこれの事かと。途中で何回ヨダレを兄のTシャツでぬぐった事か。
事後、兄は私の頭を撫でていた。どんな顔をしていたかは、何となく見れなかった。
ちなみに実家で兄と同居している両親(というか、兄「が」両親と同居しているのだが)は一階の寝室で寝入っており、二階の兄の部屋とは比較的離れていたので気づかれずに済んだ。
私は同じ二階の元の自分の部屋へ行き、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出して裸のままひっくり返った。しばらくして、兄が私の服とバッグを持ってきてくれた。
両親には、「仕事が行き詰まって精神的にきつくなってホームシックになった」と説明した。実際そうだったし、ひたすら仕事の愚痴をこぼし続けたので、両親も疑わなかった。父は一人娘の突然の帰郷に気をよくして「今日も泊まっていけ」と言ってくれた。二日目の夜は、兄は早々に寝てしまっていた。それが兄なりの拒絶の意志表示なのだと私は察した。
日曜の夕方、兄が車で最寄りの駅まで送ってくれた。道中、私たちは一言も喋らなかった。駅に着いて、「まあ、無理すんなよ」と兄が言うと、私は「ごめん、ありがと」と言い残して帰路に就いた。少なくともこのときまでは、自分はこの一度きりで終わらせるつもりではいた。
兄とのセックスの効果は絶大だった。自分のミスは激減し、相手のミスを許す余裕も生まれた。何より、兄との行為を反芻しながら自宅でする自慰が、その効果をより長く持たせてくれた。夜もぐっすり眠れるようになり、肌の荒れも目に見えて解消していった。
が、それが永久に続くわけでもなく、2ヶ月も経つ頃にはその効果は薄れつつあった。これは拙い。また「補給」しないと。そう思った時には既に携帯で兄に電話していた。
そして、何だかんだでなし崩し的に、兄と一ヶ月に一、二度セックスするようになった。両親にばれるわけにもいかず、また私のアパートの住民達にも、兄を彼氏だと認識されたりしたら万が一の場合も考えられるので、ムラッと来た時はアパートと実家の中間の駅に兄を呼び出し最寄りのホテルに直行、そして数時間後に別れる、という流れだった。勿論ホテル代その他諸々の費用は全部私持ちで(兄は自分が出すと言っていたが私が拒んだ)。
今冷静に振り返ってみても、相当に人の道を踏み外してるなとしみじみ思う。あの頃は自分が気持ちよくなる事しか考えてなかった。兄に対しても、あれでも一応男なんだから別に損はしてないはずだと自分勝手に思い込んでいた。セックス自体も完全に受け身で、兄に何かをしてあげようという発想すら無かった。
けれど旦那(になる人)とつきあい始めて、本気で結婚を考え始めた頃になって、「ああ、私はこの人に絶対に言えない秘密を抱えて一生過ごすのか」とか「私をこんなに信頼してくれているこの人を、自分は一生だまし続けて生きていかなければならないのか」という事に気づいてしまい、また兄にも同じ業を背負わせてしまった事を深く後悔し、何となくそれ以後自分で兄を遠ざけてしまった。自分の結婚式でも目を合わせずじまい。実の兄の体を求める度胸はあったくせに、謝罪する勇気は私にはなかった。今思えば最低な卑怯者だな。
そうやって実家自体とも疎遠になった頃、兄から結婚式の招待状が届いた。届いたその日の夜、兄の携帯から電話が鳴った。思わず電話に出た。兄は陽気な声で「お、元気?」と。私はその場で泣き出し、何度も謝った。兄は「お前も旦那とうまくやれてるみたいだし、俺もようやく人並みに落ち着けるし、お前が苦しむ事はもう何も無いだろ」と言ってくれた。
別に落ちも何も無い。兄との関係は今も旦那には黙ったままだし、兄との肉体関係もそれ以後全く無い。ただ、あのとき兄が自分を受け入れてくれたからこそ、今の自分があるんだろう。匿名で吐き出せる程度にはなれたのでここに書く。
震災で命や健康や家族や家や土地や仕事を奪われた人間と比べたらちっぽけな悩みだけど、ちょっと吐き出させてくれ。
今年頭に九州から東京に転勤になって、田舎ながらも便利な場所に建てた家を離れ、ぼろくて狭くて日当りが悪くて不便な場所にある社宅に引っ越して来た。転勤になったものは仕方ない、こうなりゃ都会ライフ満喫するぜ!と思った矢先に震災で、ガソリンないから嫁さんは買い物で死にそうだわ(乳幼児二人連れ、最寄りのスーパーはベビーカーが入れられないからおんぶで片道30分)、電気料金は値上がりしそうだわ、水道水は危ないわ、首都圏の人間のせいで東北が犠牲を強いられてるんだ!って十字架背負わされるわ、会社はやばそうだわで、すっげー負け犬感。こんなことなら単身赴任しときゃ良かった。俺の転勤のせいで妻子に辛い思いさせてると思うと悔しくて仕方ない。ほんとごめん。くっそーーーー。
「パパやママは私のことなんかちっともわかってくれない!」
自分が政治を少しでも理解できるようになってから、まだ数えるほどの年しか経っていないけど、日本では常に「政治家は国民の声をもっと聞くべきだ」と意見は常にあったと思う。政治家が何がしかの少子化対策や教育政策を打ち出したら、「きちんと調査をしたらこんな政策にはならなかった」「世論とのずれがある」と、コメンテーターが主婦感覚で好き勝手言う。実際、確実に国民の声と違った政策が取られることはあるし、政治化は国民の声をもっと良く聴くだけど、自分たちは本当に声を発したのだろうか?国民の99%はこれまで一度も声を発したことなどないと思う。この国では会社では働いたり、結婚をすれば大人とみなされる傾向があるけど、実は「もっと僕を理解してよ!」「パパやママは私のことなんかちっともわかってくれない!」と、国に対しておんぶに抱っこの、恥ずかしい20歳過ぎた子供しかが多数を占めている。
誰一人として傍観者はいない
日本にも「声を上げる人」はいる。横浜市には「○○の会(例、9条を守る会)」というのがたくさんある。でも、誰にも気にしない。「自分との関係性」を感じないから。あるいは、単なる傍観者気取りの人もいるでしょうが、こと政治問題においては誰一人として傍観者はいません。有権者全員が当事者です。日本では、働いてさえいれば「社会人」と呼ばれますが、本当に社会に関わっている社会人は、恐らく10%もいないのでしょう。