はてなキーワード: 逝去とは
その中でも定番だったのは居酒屋客あるあるを店員目線で一刀両断する居酒屋店長。
店長自身の面倒くささも相まって、当時の嫁ニーフェフ姉らと並ぶ月曜から夜更かしファミリーの代表格だったが、
その後どうなったんだろう。
街頭インタビューで、村上くんを遊び人っぽいと評するおばさん。
しかしスタッフに「でもジャニーズですよ」と指摘されると表情を一変させ、「ジャニーさん所の!?」と驚愕。
総集編回やマツコ村上トークで再利用されるなど定番映像だったが、
ジャニー喜多川の逝去、そしてその後の告発によりジャニーさんの名前を出したこの映像の再放送は厳しいと思われる。
「普通(の政治)でいいんだよ…普通(の政治)ってなんだ?」と自己完結でボケて落とすおじいさんのほのぼのVTR。
ミュージシャンの鮎川誠氏が亡くなった。ファンだったという訳ではないが、酷くショックを受けてしまった。それは氏が自分と同じ九州大学農学部出身だったからだろう。九大は移転しかつての六本松、箱崎キャンパスはなくなり、どんどん思い出が消えていってしまっている。鮎川氏のインタビュー等を読むと九大の話題が頻繁に出て来る。「九大に進学すれば一目置かれるから」という意味の言葉も出て来る。「大都会」の福岡に出るためには九大に進学するしかないというのは田舎出身の自分にもよくわかる。けっして裕福ではなく奨学金を貰いながら大学に進学した鮎川氏は近い存在だったというのが身に沁みた。いつかはと思っていたが、結局一度も生で見ることが出来なかった。あらためて思えばこれほど九大を愛していたOBはいなかったのではないかと感じる。たびたび九大に来られていたが、ライブを見ることは出来なかった。ご冥福をお祈りする。
どこに向かってるのかよくわかんねぇわりに
フェーズ1→アベンジャーズ結成秘話を単独映画でたっぷり見せる。
フェーズ2→それぞれのキャラクターの掘り下げに加え、楽しい新メンバーも。
フェーズ3→シリーズ集大成。ヒーロー同士の断絶と最強の敵サノスとの決戦。そしてその後の世界へ。
フェーズ1~3が「アイアンマン」「キャプテンアメリカ」という2本の大きな主軸が
背骨のようにシリーズ全体を貫いており、シリーズとしてかなり頑強な作りになっていた。
フェーズ4→その後の世界、かと思いきや過去の話かと思いきや、どう関係するかわからん新キャラ出し。
どこに向かっているのかさっぱりわからないところが正直つまらない。
とにかく過去シリーズの後始末をしているようなシーズンだった。
それだけインフィニティ・ガントレットの話が大きすぎたというのも理解できるし、
ブラックパンサー役のチャドウィック・ボーズマンが逝去してしまったことで
最終作のワカンダ・フォーエバーの内容が変わってしまったこともわかる。
だが、とにかく陰鬱でワクワクしないくらーいシーズンになってしまった。
これまでは新キャラどれもカッコいいじゃんって感じだったのが
シャンチーもエターナルズもびっくりするくらい魅力的じゃなかったのもつらい。
しかもここから正式にDisney+オリジナルドラマシリーズが正式にフェーズ入りして
ドラマ見て映画見ないと全部はわからない感じになってそれが余計に鼻につく。
特にドラマ「ワンダ・ヴィジョン」と映画「マルチバーズオブマッドネス」は、
かなり地続きに作られているがドラマを見ていると映画は「なんか同じ話してるとこ多いな」と感じ
ドラマを見ていないと「なんかよくわからんとこあるな」と感じる作りになっている。
なんかなーだ。
フェーズ5は個人的に好きなシリーズであるアントマンとガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの新作がある。
この2作はめちゃくちゃ楽しみにしている。
が、他の映画は強すぎて使い勝手が悪いキャプテンマーベルの続編、まさかのブレイドの新作、
黒人キャプテンアメリカ、ヴィランチーム映画に6本のオリジナルドラマの構成。
なんか出涸らし感が否めないんだよなぁ。
フェーズ6には何回作っても毎回全然売れないファンタスティック・フォーのリブートも控えてるし。
なんかなー。
Q. 「ご母堂」って、相手の「逝去した母親」に対する言葉ですか?
「ご母堂」は、相手の「逝去した母親」を意味することが多いです。そのため、「ご母堂」は、「逝去した母親を偲ぶ」や「逝去した母親への思いを表す」などの目的で使われることが多いです。ただし、具体的な意味は、言葉を使う人や場面によって異なる可能性がありますので、相手がどういった意味を持つとして使っているかを確認したほうが良いでしょう。
Q. では、「ご母堂」を、相手の「生きている母親」を指すために使って良いですか?
「ご母堂」は、通常、相手の「逝去した母親」を意味するため、「生きている母親」を指すために使うことはあまりありません。「ご母堂」は、「逝去した母親を偲ぶ」や「逝去した母親への思いを表す」などの目的で使われることが多いため、「生きている母親」を指すために使うことは、通常あまり適していません。
来年2023年の前期(4月から9月)朝ドラ「らんまん」も舞台の1つは練馬区である。
実際に練馬区が登場するかは分からないが、某区議会議員が自分のチラシにそう書いていた。
また、2022年9月に確認したが練馬区の保健所には「らんまん」のポスターが貼られていた。
「らんまん」の主人公のモデルは植物学者の牧野富太郎だが、1926年から1957年に逝去するまで練馬区に住んでいる。
そこは現在練馬区の施設「牧野記念庭園」になっていて一般開放されている。
当初は練馬区出身者として「らんまん」楽しみにしていたが、まだ放送が始まっていないのにも関わらず観ないことに決めた。
理由は「最近の朝ドラ視聴者は『反省会タグ』を付けて放送中の朝ドラをTwitterで叩く人、主演や脚本家などのキャストやスタッフを誹謗中傷する人が多いから」である。
木村隆志さんが「東洋経済オンライン」に書いた記事「沸騰する「#ちむどんどん反省会」批判かイジメか」にその実態が詳しく書かれている。
詳しい説明は省くので是非木村さんの記事を読んでいただきたい。
現在放送中の朝ドラをTwitterで批判あるいは誹謗中傷するとき、「○○反省会」(○○には作品名が入る)というハッシュタグを付ける視聴者が多い。
元々2chで「○○反省会」というアンチスレがよく立ち上がっていたらしい。
最初のうちは最終回まで終了した作品の悪かったところを批判するスレだったらしいが、やがて現在放送中の作品の反省会スレ、つまりアンチスレも立ち上がるようになったという。
この前(2022年9月末)に終了した朝ドラ『ちむどんどん』は不満を覚えた大勢の視聴者が「ちむどんどん反省会」などのアンチタグにドラマへの批判、キャストやスタッフへの誹謗中傷を書き込んだ。
私は『ちむどんどん』を全く見ていなかったが、偶然見てしまった誹謗中傷の数々は目に余るものだった。
上述の木村隆志さんが私の言いたいことを代弁してくれた。
私は、作品への批判がキャストやスタッフへの誹謗中傷に発展してしまうのはまずいと思っている。
絶対にやめてほしい。
放送中の朝ドラを気に入らない視聴者が同じタグに集まり批判や不満を言い合っているとすぐに陰口で盛り上がるようになるし、それが誹謗中傷に発展するのは想像に難くない。
リアルの仲間内なら嫌いな朝ドラの陰口で盛り上がるのもいいかもしれない。
しかしTwitterの公開垢でやる以上キャストやスタッフ本人達も見るものだ
(もしかしたらキャストは見ないようにしてるかもしれないが、NHK職員は朝ドラの反響を調べるために見ていると思われる)。
アンチタグが作られ、利用者も増えると発言がより攻撃的になるし、嫌いなドラマの感想を同じような顔ぶれで毎回毎回言い合うのはまるでイジメみたいだ。
嫌ならドラマを観なければいいと思うが、どうしても観てしまうならせめて反省会タグも公式タグもつけずにツィートしてほしい。
こういうことを言うと反省会民は「だったら反省会タグをキーワードミュートしろ」と反論するが、私はキーワードミュートしてもTLや「その他のツィート」に表示されることがあったし同様の報告をしているユーザーもいる。
反省会タグがトレンド入りしたときは「有害であるかスパム」の報告もしたが、それでもトレンドに入ってきた事もある。
放送中の朝ドラのアンチがTwitterに集まり攻撃的なコメントを繰り返すようになると作品のファンはTwitterを見なくなっていくだろう。
実際には野放しになっているとはいえ、Twitterもヘイトスピーチや差別発言を禁止している。
「ちむどんどん」では沖縄出身の主人公一家が非難された事で沖縄出身者へのヘイトスピーチを行う視聴者もいた。
他のユーザーがTwitter社に違反報告するので従業員が報告通りのツィートかどうか判断しなければならないのだ。
「ちむどんどん」は一度も見たことがないが、アンチタグで誹謗中傷が行われている事については直接、NHKのお問い合わせ窓口あてに「何か対策を取ってほしい」と意見を言った。
もちろんアンチタグはNHKが作ったものではない事は分かっている。
しかし過去の朝ドラ(名前出すけど『なつぞら』がそうだった)では主演女優が誹謗中傷されたというのにNHKがこのまま傍観しているのはおかしいと思った。
このままだとリアリティ番組の「テラスハウス」で出演者の木村花さんが番組内での言動を理由に視聴者から誹謗中傷され、自殺してしまったあの事件と同様の事件が起きかねない。
俳優や脚本家に仕事を依頼したNHKとして、視聴者の目に見える形で何らかの対策をしてほしかった。
私の提案は
だったが、どちらも行われる事はなかった。
「視聴者ではない人間に分かるか」と突っ込まれるがあったら絶対にネットニュースになりTwitterでも話題になっている。
私が言っても説得力がないが、ある視聴者が「ちむどんどん」を炎上商法ではないかと指摘していた。
イライラする展開が立て続けに起きTwitterが度々炎上するからそう思ったらしい。
本当にNHKが炎上商法を狙っているのか分からないが、仮にそうだとしたら誹謗中傷される関係者がいるにも関わらず、沖縄出身者への差別意識を持ちヘイトスピーチをする視聴者が現れたにも関わらず、NHKは何の対策もせず傍観していたどころか炎上商法が成功したことを喜んでいるようにも見える。
2022年9月21日のNHKのメディア総局長定例会見では、「ちむどんどん」への厳しい意見について「どの番組にもいろいろなご意見が寄せられます。そのご意見の全てがエールだと思って、ありがたく思っています」とコメントしている。
NHK職員ではないキャストや脚本家への誹謗中傷に対して何もコメントしていない。
見て見ぬふりをしているように思えた。
「撮影現場に行きたくないと思う朝は一度も無くて、毎日ここに来て作品を作ることがとても楽しかった」
「これを聞いてありがたくうれしく思いました。俳優陣の皆さまやさまざまな形でこの作品に携わってくださった方々のおかげで、無事クランクアップまで走り抜くことができた。制作スタッフともども御礼申し上げます」
私は黒島さんが「ちむどんどん反省会」を見ていたかどうか知らない。けれども仮に見ていたとしたら、傷ついた心を隠して気丈なコメントをしたのかもしれない。
それなのに黒島さんが「ちむどんどん」放送中にTwitterで誹謗中傷されてきた事に一切触れなかった事に不信感を覚えた。
黒島さんのこのコメントを「ありがたくうれしく」思ったなら視聴者の誹謗中傷を止めようとするコメントをしてほしかった。
NHKはアンチタグに対応する気も、キャストやスタッフや沖縄出身者を守るつもりもなく、視聴率を得るために炎上商法を狙ったのかと失望した。
私が来年前期の朝ドラ『らんまん』を観ないことに決めた理由は上に書いたとおりだ。
朝ドラに関わってもらった事で誹謗中傷されるようになった関係者のことも、ドラマ内で描いたマイノリティのこともを守ろうとしない。
そんなNHKの姿勢に抗議するために私は出身地でもある練馬区も舞台になる「らんまん」を観ないことに決めた。
私のような一般視聴者がいくら抗議しようとNHKが態度を改めることはしないだろう。
私にできる事で最もNHKにとって困る事は「朝ドラを観ない」ことである。
第一、私には朝ドラを観るメリットも時計代わりにするメリットもない。
気に入らない朝ドラをわざわざ観続けTwitterで誹謗中傷を繰り返したり、そこまでいかなくても嫌味を言い続けるような視聴者はリアルでも似たような事をしているんだろう。
誹謗中傷をしなければそういう視聴者は性格が悪いとは思わない。
そうはいってもリアルの友人知人との会話でそういう、的を射た朝ドラ批判を聞きたいとは思わない。
大好きとまではいかなくても自分が不満なく見ている朝ドラを『ちむどんどん』みたいに酷評されたらモヤモヤする。
「私は面白いと思う」と素直に自分の意見を言っただけで、アンチは私を嫌う。
そもそもドラマ批評(しかも評論家でも有名人でもない人の)に興味はない。
少しでも朝ドラの展開や登場人物に不満を言おうものなら反省会民と誤解されてしまいそうだから、朝ドラ視聴を趣味や習慣にするのはリスクしか感じられない。
反省会民には朝ドラという枠に愛や思い入れが強いあまり、現在放送中の作品が気に入らない人が多いようだ。
そんな「ファン」が将来的に朝ドラ枠を滅ぼすことになるんだろう。
最後になりましたが、「らんまん」主演の神木隆之介さん、脚本家の長田育恵先生には申し訳ありません。
決してあなた方のせいではないんです。
謹んでお悔やみ申し上げる。
私は上島さんをよくテレビでお見掛けするだけの名もなき視聴者の1人である。
上島さんが織りなす芸や喋りを見るのが好きで、特に有吉弘行さんとの掛け合いは抱腹絶倒であった。
しかし、お2人の掛け合いを見ていると有吉さんの側からやや踏み込んだ発言ではないかと思うことがあった。
有吉弘行の “イジり” にダチョウ上島激高「志村さんが呼んでんじゃない?」「寂しいよって」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3903842/
私が引っかかったのは、有吉さんの「もう呼んでんじゃないですか? 志村さん、寂しくて。『竜ちゃん寂しいよ』っておっしゃってるんじゃないですかね、天国で」である。言葉では表現できないほど大切な関係を築いた人の死を揶揄されるのは、たとえ“お笑い”であったとしても心地よくないと感じるだろう。そういえば、彼は以前児嶋さんともご自身の発言で諍いを生じさせていた。
ただ、私はここで有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。それよりも、彼の“信者”に対する怒りを吐き出したいのである。
上記の発言について、有吉さんのファンを語るネットの声を見ると、「お2人の信頼関係があるからこのような発言ができる」とか「有吉さんの愛が溢れている」といった意見を見かける。また、「お2人の関係性をよく知らないのに発言を批難するのはおかしい」との発言も見られた。
言語道断である。ファンは支持対象を無批判に受容する狂信者を意味するのだろうか。いや、違う。ファンは支持対象を尊敬しつつも、時にはその振る舞いを諫めるべきである。
先ほどの上島さんに対する発言を自分事として捉えてみよう。大事な友人が亡くなって憔悴している自分に対して、「きっとそいつもはやくこっちに来いよなんて言ってるよ」と仲の良い第三者に言われたらどうだろうか。その場では笑って済ませるかもしれないが、内面は穏やかにならないはずである。
いやいや、一般人と芸能人では立場が異なるし、ましてやラジオの掛け合いごときに目くじら立ててどうすんのよ。そう言いたい者も多いはずである。
しかし、たとえラジオであろうと、リアリティを演出している以上その表象が現実世界の価値観に影響を与える可能性はあるだろう。まさにウェルテル効果なんてその極致だろう。
心を傷つけるような発言を「愛」とか「信頼関係」といった耳触りのよい言葉でその暴力性を覆い隠そうとする態度は、ファンとして誠実と言えるだろうか。
むしろファンであるなら「いや、それは言い過ぎじゃないですか」ぐらい言わないと駄目である。好きと妄信は違う。また、個別の不作為が必ずしも全体の否定につながるわけでもない。しかも、それは支持対象を世間の批判・誹謗中傷から守る砦になるかもしれない。
繰り返すが、私は有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。また、人を傷つける笑いをなくしたいわけでもない。ただ、あまりに問題がある内容なら、世間は批判という手段を使って解決を図る。その急先鋒でなければならないファンが問題を無条件に肯定し、あまつさえその暴力性を美辞麗句で覆い隠そうとしている現状は悲惨としか言いようがない。
人間は間違える。それは仕方がない。面白いや良いと思って講じた行動が裏目にでることもよくある。世間の批難が誤っていれば、ファンがそれを糺すべきかもしれない。しかし、あまりに暴力的であれば、ファンが諫めなければならない。それを怠れば、ただの“信者”、いや“狂信者”である。
https://anond.hatelabo.jp/20220503215621
・日本では中絶が合法とされたことは過去に一度もない。刑法には堕胎罪規定がある。母体保護法(旧優生保護法)において、「やむを得ず堕胎が許認される例外的場合」の規定があるだけである。基本的には心身的な理由で母体を保護する場合以外は駄目だが、後に著しく経済的不都合のために養育が困難な場合が付け加えられた。現在はそれが拡大解釈されている状態。立法意図から敷衍した場合は、低所得者層への養育のサポートが充実した現在は中絶の99.9%違法性がある状況。
・出生の定義は全身が母体から出た瞬間。それ以前の胎児は、人間ではないが厳密に物でもない。物であればそもそも堕胎罪規定などはない。中絶胎児を生ゴミとして出したら違法になるのは産廃法違反だからではなく、死体遺棄罪に相当するからである。つまり胎児は部分的は人間であり、準人間的な扱われ方をしている。
・アメリカには中絶関連の連邦法はない。州法レベルでかつて中絶を違法化する法律があったが、それら州法が違憲であるとの判断を1972年に連邦最高裁が下した。法源はこの判決であり、従って最高裁の判断が変わる可能性はある。であるから、裁判になるのを承知で、各州議会で中絶違法化を進める立法がなされている。憲法に中絶権規定がなく、それどころか連邦法で立法化もされていないので、ほぼ永遠に連邦最高裁で判断が繰り返されることになる。今回、連邦最高裁への上告を却下せず、最高裁判断が示されることになったと言うのは、従来の判例を棄却すると言う意味であるから、最高裁が中絶違法化(と言うか中絶違法の州法の合法化)に転じることはあらかじめ予想されることであった。なぜ連邦法で立法化されないかと言えば、議会多数派が民主党、共和党でころころ変わり、変わるたびに中絶合法化、違法化の法律が出来、大統領が議会多数派と反対党の場合は拒否権を発動してカオス化するのが目に見えているからである。現状は、「実質的には中絶が容認されている」と言う点で民主党を満足させ、「中絶の合法化まではされていない」と言う点で共和党を満足させると言う落ち着きどころになっているが、連邦最高裁が中絶違法化判断に踏み切れば、逆に民主党は立法化に動くかも知れない。
・ヨーロッパ諸国でも中絶の許認は結構国によって差がある。フェミニスト的な女権のニュアンスが一番強い「ヴェイユ法」を持っているのはフランスで、基本的には中絶に関しては女性のみが全権を持っている。1975年に成立したヴェイユ法は女性政治家シモーヌ・ヴェイユ(著名な哲学者とは別人)の働きかけで成立した。カトリックの強いフランスでは「人間の選別はナチズムである」との批判も強かったが、ユダヤ人であったヴェイユはアウシュヴィッツ収容所からの生還者であった。2017年の逝去では国葬されている。ドイツでは、例えばダウン症と分かってからの中絶は違法である。これは人間の選別に対する恐怖によるものであり、日本でも安易に行われているダウン症児堕胎については議論があるべきだろう。
種牡馬入り後
時は2002年、あのサンデーサイレンス逝去の頃。サンデーサイレンスの血統があふれかえっている日本では、それを持たない血統の種牡馬の導入が急務となっていた。
また、非サンデーサイレンス系として注目されていたエルコンドルパサーやエンドスウィープが相次いで亡くなり、その代わりも探さなければならなくなっていた。
一方そのころ、ウォーエンブレムは馬主だったサルマン殿下が死亡し、管財人によってセリにかけられていた。
そんな訳で直系こそミスタープロスペクター系であったが後は異系の塊の(サンデーサイレンスもそうだったけど)であったウォーエンブレムは社台ファームに見込まれ、21億円もの大金で輸入された(サンデーサイレンスは16億5000万円)。
で、さあ種付けとなった訳だが、これがやってくれない。(サラブレッドは人工授精など人為的な方法による受精は認められておらず、自然交配でなければサラブレッドとして認められない。)
1年目から種付けを拒み続け、交配したのはたったの7頭。商業ベースでの種付けは無理だと判断され、シンジケートも初年度で解散してしまった。
しかも、興味を持った相手が「栗毛で小柄な牝馬」ばかりだったもんだから、すっかりロリコンキャラが定着してしまう事に。
さらに、種付け出来たらその産駒はよく走るため、おいそれと手放すわけにもいかず、完全に生殖不能という訳でもないので保険金も満額おりないという、かなりビミョーな立場になってしまった。(ウォーエンブレムには大手保険会社4社の保険が掛けられていた。シンジケート解散という結果になり保険会社3社が合意して約16億円の保険金が支払われたが、残りの1社は種付けそのものは成功しているとして保険金の支払いを拒否している。)
2年目となる2004年には、シンジケート解散後も引き続き社台スタリオンステーションで種牡馬続行に向けた取り組みが行われた。転地療養として釧路に移し、彼好みの牝馬で欲情させて別馬にすり替えるという「逆当て馬」とでも言うべき方法で50頭近く確保したが、その事がばれてすぐさま種付け拒否モードに突入。3年目は種付け頭数9頭になってしまう。
6年目となる2008年、ペンシルベニア大学のマクダネル博士による治療を受け、1日1頭ペースで種付けができるまで回復。
その年は39頭、翌年に43頭を確保したがそこまでで、また翌年は5頭になってしまった。
それ以降、陣営はこれ以上は難しいとしてウォーエンブレムの種牡馬引退、故郷のアメリカでの功労馬入りを決定した。 https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0
ボレロ村上こと陶芸家C++erとして著名な村上原野さんが2020年2月に逝去されたとのこと。
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2020年2月16日未明、おまえは32歳という若さでこの世を去った。
最後の作品を制作中、倒れる直前粘土をひと掻きした跡そのままに、手に竹べらをもったまま息絶えた。
きらめく魂、やさしい魂、躍動する魂よ、おまえのすべての命が燃え尽きたのだ。