はてなキーワード: 言ってはいけないとは
観察の結果、そう思うようになった。
もちろんあくまで女性一般に思うことであって、女性だから当てはまるということもないし、男性だから当てはまらないというわけでもない。
傾向としてそう認識しておくと、色々すんなり理解しやすいという話。
先に男性について書くと、男性にとっては自身の心身の状態がフラットにあるのが普通であって、気分が盛り上がったり盛り下がったりするには、何か原因となる出来事(ないし薬物)が必要になる。同じく体調の良し悪しにも原因となる怪我や病気、もしくは精神的な不調があるのが当たり前だ。
だから男性の世界観においては、心身が普通の状態が当たり前であって、心身の不調に対しては何か異常な原因がある、という認識が至極当然のものとして生まれる。
それは「心身が不調ということは何か異常があるのだから、その異常を取り除かなければばならない」という思考につながる。
この思考が原因となる衝突が、男女間にはとても多い。
対して女性にあっては、主に生理周期の影響で心身がフラットな状況にあるのは限られた期間・時間であり、何も特別なことがなくても気分や体調の上下は自然現象として起こるもので、それが普通の状態である。
根本の原因はあるものの、解決不能なものだ。(ここでピルの存在を上げるのは論外)
気分が落ち込んだりイライラしているからといって、何か特別な出来事があったとは限らない。どうしようもなく、何の理由もなく気分は落ち込むし、イライラする。個人差はあれ、それが日常だ。
しかし男性はそれを見ると、「なぜ解決しないんだろう?」とか「解決してあげよう」とか考えてしまう。だってそれは異常な状態のはずだから。異常を取り除けば普通の状態になるはずだから。そうすべきだから。
あまつさえ、その個人差を見て「あの人は性格が良い」「いつもイライラしていて心が狭い」みたいに評価してしまう。だってそういうふうにしか見えない。異常を取り除いていけばイライラしたり怒ったりせずに済むのに、それをしないのは頭が悪いか、他人への影響を考慮しないからだろう。そんなふうに考えてしまう。
男として擁護するなら、なんというか、こう、
雨が降るたびに容れ物持って外に出て雨水集めてる人がいたら、不思議に思うでしょ? 川に水汲みに行ってくるとか言われたら、何で?ってなるでしよ?
水道がないなんてこと、水道が当たり前の国に住んでたら想像つかないのよ。
そんな感じ。
話を戻すと、
だから女性にとってフラット〜良い心身の状態というのは、限られた資源であり、また積極的に獲得していく必要のあるものになる。
ネイルもヨガも占いもインスタ映えも、そのための活動であって、そうした必要性と合理性で存在している。
「イライラすることがあったから、ネイルに行って気分を上げる」
これに対して、「イライラの原因を取り除こう」なんて言ってはいけない。
「根本的な対応をしないと、イライラすることを繰り返しちゃうんだから」なんて思ってはいけない。
イライラはするのだ。どうしようもなく。
なんならキッカケへの対処なんて終わっていたりするのだ。
でもキッカケでしかないから、イライラはイライラで対処する必要があるのだ。
Aが起きたらBが起きる。
男性の世界観では常にそれが成り立ったとしても、女性の世界観ではAがなくてもBが起きうるし、AによってCが起きることもある。再現性は薄い。
そうした不確かな世界に生きていると、科学や占いに対する捉え方も当然変わってくる。
他者からの自分の見え方を重視するのも、ネイルや化粧にこだわるのも、自身の不安定さを外側から支えるため。そこには切実な必要性がある。
そういう風に思っておくと、だいたい上手くいく。
上手くいかない時もある。
今度ASDの交流会に参加することにしたのだけれど、そこでどういう振る舞いをするべきか悩んでいる。
まず参加理由は3年ほど引きこもりをしてて、コミュニケーション相手が欲しかったから。
家族以外ではカウンセラーさんと話すことはある。ただ、カウンセラーさんは私の話を聞くことがお仕事だから、一方的なコミュニケーションしかしていない。
もっというなら中学高校不登校で、かろうじて通信制で卒業した程度。コミュニケーション値はかなり低いと思う。
一応1人で買い物したり、店員さんに物の場所を尋ねたりとか、あいさつだとか最低限のことはできるようにした。
また一瞬レジ打ちのバイトをしたことがあって、そこでも同僚のパートさんとかは仲良くできたと思う。ただ歳上の主婦さん相手に少し馴れ馴れしいコミュニケーションだったかもしれなくて、そこは反省している。
ASDにも色々あって、私は感情のコントロールや空気が読めないタイプ。ただ自分で会話はできる方だから、話せないってことはないと思う。
どうしてASDの集まりを選んだかというと、ASDで働けている人に出会ってみたかったというのもある。
あわよくば友達も欲しいけれど、会の規則では交友関係を過度に誘うことは禁止らしい。
正直過度ってどの程度を指すのかわからない。
X(旧Twitter)でフォローしているAさんが今日投稿した絵がすごく既視感のある絵だった。
しばらく考えて、これはBさんの有料プランのある絵(2022年投稿)と(左右反転させた)構図、シチュエーションが同じであることに気づいた。
Aさんの絵はトレパクのようなコピーではなく、背景の布の皺といったディティールは見た目で完全に別物であると分かる。
しかしキャラクターのポーズが非常に似ており、極めつけは元々Bさんの絵にあった不自然な点もそのまま書かれている点である。
簡単に人のことをパクリだと言ってはいけないのだが、これが偶然と言えるのか素人の自分には非常に疑わしい。
Aさんに「この絵をパクってませんか?」なんて有料プランの絵をアップロードしては聞けないし、
Bさんに「この絵パクられてませんか?」とわざわざ言うのも、Bさんに余計な心労をかけることになりかねない。
Bさんに言ったところで何の補償もされない上に「パクられた」という被害者感情を植え付けるだけだから、このまま黙っていよう。
それにしてもAさんの今までの作品も実はほかの人のパク・・・もとい大いに参考にしてきたものだったりするのかなあ。
ガッカリ。
色覚障害のある方が、特殊なサングラスを通して色のある世界を初めて見る、という映像が時折SNSで流れてくる。
初めて見る世界に思わず顔を伏せて涙を流している様子に感動した人もいると思う。
先日「発達障害の人は『言っていいことと言ってはいけないこと』を20代くらいから学び始めるが、普通の人は3〜4歳から学び始める」
という旨のツイートがTLに流れてきた。衝撃だった。
自分は発達障害の診断はつかない所謂グレーゾーンだが、新卒で入社した会社で思ったことをそのまま口に出したりしていた。
とても良くして頂いた先輩には後年「初めて聞いた時、ハプニングだと思った」と言われた。
先輩、本当に申し訳ありませんでした。
「シワや毛玉のある服を着て出かけるのはみっともない」とか
「普通の人はちゃんと子供の頃に歯磨きしていて、銀歯なんてほとんどない」ということにもここ数年で気がついた。
歯磨きして寝るまでの間に何か食べるなんてと嘆くのも聞いていた。
親から然るべく教育を受けていなかったわけではなく、自分にはそれらが落とし込まれず、すり抜けていたのだと思う。
お母さん、ずっとずっとごめんなさい。
あと普通は不機嫌をある程度コントロールできるらしい。どういうこっちゃ。
車の運転も後で恐怖で寝込んだりするものではないらしい。なんてこった。
自分にも定型発達の人から見える世界を見られる眼鏡があればいいのになと時折思う。
色が全く見えないわけではないけど、「それって色あったんだ」「この色って見え方違うんだ」「色があるっぽいけどわからない」と気づいては驚きや焦りや恥ずかしさやるせなさが湧いてくる。
一気に見えたら見えたで耐えられないかもしれない。
この先も生きていけば1つずつ気づいて学んでいけるのかもしれない。
前の大統領じゃなくて、カード遊びの方ね。検索してもそっちしか出てこなくて泣いた。
とにかく私はトランプが下手くそ。苦手。嫌い。無理。ルールが簡単なババ抜きならまだ出来る、神経衰弱は苦手だけど空間にとけ込むことなら出来る、あとは何も出来ん。大富豪はトラウマで今思い出しても泣きそうになる。
小さい頃、親戚の集まりにて、子供たちでトランプをやろうという話になった。ババ抜きとかにしてくれと祈っていたが残念、大富豪に決定。だいふごう?? 頭の中ははてなだらけ。他の子が「大丈夫、教えてあげるから!」と言ってはくれるけど、教えられて理解出来る脳みそではない。
そこから先はもう何をしていたのか覚えていない。私がルール分かってない故のミス→みんな大爆笑の流れが何回も続いた。当時はみんな小さかったから、1人のミスを全員で笑うことを面白いと認識していたのだと思う(書き方が悪いが、私は当時の親戚の子達を1ミリも悪く思っていない。子供ってそういうものなので)。
何ターンかした頃、私は耐えきれなくてトイレに行った。いうても狭い民家なので、トイレからでもみんなの会話は丸聞こえ。
私がトイレに行った最初の数分は、これまで通りワイワイしていた。しかし、何かを察知したのか、1番上の子が様子を見に来る。
私がボロ泣きしていることが1番上の子経由で判明すると、会場はお通夜状態。「お前がいらんこと言うから」「お前だろ」と喧嘩をしているのが聞こえる。笑われることより、自分のせいで楽しい空間を台無しにしてしまったことの方が辛かった。
こんな幼少期の記憶、年取れば忘れると思ってた。思ってたのに、21歳の今も全然余裕で引きずってる。
中学や高校では、トランプをやる機会がない代わりに、人狼という恐ろしい遊びが登場した。こちらは会話をしつつ嘘をつきつつ相手の嘘を見抜き自分の役もこなさなければならない、トランプより難しい遊びだった。相手を疑ったり嘘をつかなければならないのも、私の性格に合わなかった。
何より、バカ正直で思った事はすべて顔に出る私は、幾度となく爆速でゲームを終わらせてきた(大迷惑)。子供の頃のようにトイレに逃げ出すことは無かったけど、そのうち人狼に誘われても断るようになった。
大学に入るとコロナですべてオンライン、友達とゲームで遊ぶ機会などなくなった。一度だけ、友達に誘われてTRPGのものすごーく短いシナリオをzoomでやったが、こちらはルールが分からないのが私以外にもいた上、「なんかどえらい難しい敷居の高いゲーム」という自認(?)から、手取り足取り全部教えて貰ったので事なきを得た。また、多少ゴタゴタしても「まあルールブックなしのお遊びだし」と咎められなかった。
後で調べたら、ものすごいガチ勢の方もいるゲームで、超高価なルールブックもある事が分かった。
私がやった時はもちろんルールブックなんて無いし、友達もそこまでガチではなかったので許された。感謝。
ただ、私はルールを覚えるのが苦手で、結果的に皆に迷惑をかけるのでまったく楽しめなくなってしまった。普通に会話してる分には皆のことは大好きなのに、ゲームとなると、いつバレてしまうか不安で仕方ない。私の出来なさに驚かれたり、笑われるのが怖い。
今はそういうゲームをしなくなってひと安心、と言いたいところだが、「ゲーム」という特性上これまで隠されていた(?)致命的な点が最近見つかった。
人数の多い少人数……と言うと混乱するが、5〜9人くらいの、ご飯行くなら予約した方が良いんじゃねみたいな人数がとんでもなく苦手なのだ。
ゲームをしている時は、ゲームだけに集中して、ゲームの話をしていれば良かった(出来てなかったけど、笑われるのに耐えていれば終わった)。
ただ、ゲームが無くなると、会話で場を回さなければならない。そこで私の隠されていた致命的な点、「言っていいことと悪いことの区別がつかない」が発見された。
黙っていればいいのに、ポンといらない事を言ってしまう。タイミングが良ければウケるが、大体ウケない。変な空気になる。1回でやめておけばいいものを、「言ってはいけない」と気づくのは皆の反応を見てからだし、いかんせん自分では判別がつかない。
この話はこれで終わりなんだけど、多分みんな、まさか私が「そんなに出来ない人」と思ってないんだと思う。だからこそ、トランプや人狼がまったく出来なかったり、失言を繰り返すのにビックリしてしまう。
これがおバカキャラや毒舌キャラだったら、許されたと思う。ルールが理解出来なくても「バカだから」で済む、失言があっても「毒舌だから」で済む……実際に済むかは別として、多少納得出来る理由にはなるんじゃないかな。
けど私はどちらでもない。勉強は中の中だったけど。頭が悪いわけでも攻撃的な訳でも無い私が、ゲームや会話になると突如おかしくなるのが信じられないんだと思う。
【7/27追記】
いつの間にかコメントがいっぱいついてた。皆ありがとう。複数人での遊びに苦労してる人が思ったよりいて安心した。
コメントでボドゲの話をしてる人が何人かいて、そういえば囲碁やチェスもよく分かんなかったなぁと思い出した。オセロは出来る。
せっかくもらったたくさんのコメント、部分的ではあるけど私が返せそうなところは返していこうと思う。
ビデオゲームは出来るの?
→ビデオゲームやった事ないです、すいません……。
1人でじっくり考えるゲームは?
→元々ゲームやらない人間なので答えになるか分からないけど、1人でやるゲームという点では競馬とオートレースは好きでよくやる(ゲームか?)。
→診断おりてない、そもそも病院行ってない人間が言うのは良くないと思って書かなかったけど、そういう傾向にある自覚はものすごーくある。一時期検査を受けようと思ったこともあったけど、高額で諦めた。そのうちお金貯めて受けようかな。
論理的思考力が鈍い
他のコメントでも「後半の話がよく分からない」って指摘が何個かあるので、人狼の話までで終わらせておけばよかったなと反省。読みづらい文章を読ませてしまい申し訳ない。
私としては関連のある話をしているつもりなんだけど、やっぱり外から見ると話がとっちらかってるんだな……この辺もADHDの傾向らしいね。
ゲームが出来ないのをそんなに嘆くか?
→めーーーっちゃ嘆きます。これから先の人生トランプも人狼も数える程しかやらないだろうけど(極力断る方針ではいる)、あの恐怖と絶望と緊張は他では味わった事がない。
日本の芸能界で、(1)体の構造と(2)自身が考える性が男性(女性)で、「女装(男装)や女性(男性)的な振る舞いをすることを好まない人」が、(3)男性(女性)が性的な対象であると告白した例としては初めてな気がする。
素直に称賛したい。
増田も與氏と同じタイプですが、今のところカミングアウトするつもりはありません。
それは自分はゲイであることにあまり悩んだことがないというのと、日本で日常生活でゲイであることにより不便を被ることがあまりないというのもあるかと思います。
與氏がカミングアウトにあたって涙したことに対して、「こんな大袈裟にしたら、いま悩んでいる子がさらに悩むのでは?」というようなコメントをしているひとがいましたが、このシチュエーションで泣かない人って元々メンタルつよつよかぶっ壊れているひとしかいないと思います。
ちょっとしたことで足元を掬われるエンタメの世界において、ゲイであることはやっぱり不利だと思います。
ただでさえプライベートも注意しなければいけないのに、さらに心配しなきゃいけないことが自分の意志と関係なくプラスされているわけですから。
「言う必要ある?」や「だから何?」みたいなことを言っている人も見かけましたが「お前に言ってねえよ」です。
與氏の場合、ファンに対して「男性が好きだけれどもそれでもよければ引き続き応援してください。」ということが第一、次に性的マイノリティに勇気を与えること、最後にメディアへの牽制というのが目的かな、と思います。
一般人がカミングアウトする理由は主に3つ目かな、と思います。
それがメディアじゃなくて親だったり、友人や知り合いであったり、会社やクライアントであったりそれぞれ違うとは思いますが。
性的マイノリティだと数が少なすぎるのであまり想像が難しいと思いますので、もう少し想像しやすい例でいうと、結婚して子どもがいないと「子ども作らないの?」とか聞かれたり、聞かれなくても無言の圧力を感じることがあったりするかと思います。
そういう相手が関係性の薄い人とか、こちらから一方的に切れる人であれば離れればいいとは思いますが、親だったすると難しかったりするわけです。
選択的に子どもを持たないのではなく、子どもがいない理由が不妊症だった場合、「本当は欲しいけれど、不妊症だからいません。」と言えば、ほとんどは黙ると思います。(黙らないひとは除外です。これは性的マイノリティのカミングアウトも同じ。)
これがカミングアウトです。
本人が言いたければ言えばいいし、言いたくなければ言う必要はありません。というか言わない権利もある。
そういうプライベートかつセンシティブというか、相手を傷つける可能性がある質問や言動をするひとがこの世からいなくなればこんな問題も起きないのですが、戦争がなくならないように一生傷つかないで生きていくのも不可能なのでしょうがないですね。
そういえば以前ゲイなのでは?と鎌かけられた(カマだけに)ことがありました。
増田はその人が子どもが欲しいのに出来ないことを知っていたので、「なんで子ども作らないの?」って聞いてやろうかと一瞬思いましたが、やめました。それやったら同じになっちゃうので。
結婚に興味もないし、嫌なのであれば多目的トイレ使うので、LGBT法案とかは正直どうでもいいですが(個人の意見です)、マイノリティに対して失礼な言動をする輩、個人のカミングアウトにどうこう言う奴らは不愉快なので消えて欲しい。
大学4年で子供産んでから新卒で就職できないかって話をしてる子の投稿に、現実見ろだの、子育て甘く見るなだの、子持ちの新卒なんて誰も採用しないだの、1人でやるって覚悟があるならやってみたらいいんじゃないだの、夢も持ってないだろう大人たちが「出る杭は打つ」とばかりに否定的なコメントしまくってるのを見て、だから日本ってこうなんだよなあとがっかりした。
その問題について深く考えたこともないくせに、浅い考えを振りかざして、考えに考え抜いた人の意見を潰そうとするのはやめてもらえないかな。
変わらないといけないのは社会のほうだよ。政府や行政の制度のほうだよ。今の価値観や制度のままでは、少子化は止まらない。だったら、パラダイムシフトが必要なことくらい分かるでしょ。もっとよく考えて。
産むか産まないかは個人の選択ってそれはそうなんですが、 実際少子化が社会の解決しないといけない問題として存在するなら、 個人の選択って声高に言ってはいけないことなんじゃないかって最近考えてます。。 私その義務果たしてないんで大きな顔はできないんですが
こういうのを見ているとつくづく思うんだけど
人は底辺から這い上がった所で幸せになんてなれないんだっていう。
自分も昔は東大に入ればとか医学部に入ればとか夢見ていたけどさ
いざ実現しても結局、周りとの格差に辛くなるだけなんだよ
そういう環境に入ってしまえば周りはみんな当たり前のようの両親医者だの社長だの官僚だので
親の金で買ったオシャレな服を着て旅行に行って彼氏とデートしてっていう
こっちは空しくなって人と関わるのをやめるか自虐で道化に徹するしかなくなる
惨めだよ
「言っていい言葉と言ってはいけない言葉のリストを作って欲しい」「靴下の色を指定して欲しい」「眼鏡の形を指定して欲しい」
「授業を受ける時の姿勢を指定して欲しい」「「読んでいい本を指定して欲しい」「やっていいゲームを指定して欲しい」
学校教師だが、上記のような要望はここ2、3年ほどで実際に言われたことである。
私は32歳で、教職の中では若い方だ。ジェネレーションギャップなく、『子供の気持ちが汲める』サイドの人間であったと言っていい。
デジタルネイティブだしね。ゲームや漫画の話題も、大分近い距離で出来る。
だが、上にあるようなルールを決めてくれ、とにかくルールを、という考え方には戸惑いを覚えている。
ルールを減らしてくれ、だとかこのルールは理不尽だ、大人の言う事は間違っている。子供の気持ちを知らないで、勝手な指示をしやがって。
そういった感覚で子供時代を過ごしてきたし、ちょっと前の世代までは実際、共通認識としてそういう感覚を共有出来ていたと思う。
だが、最近はとにかくルールで決めてくれ、というのだ。委員長気質の子だけでなく、普通の子も、学力の低い子も、不良っぽい子も、そう言うのだ。
地域性なのだろうか、と考えていたのだが、研修で会った別の地区の教師たちも、「言われてみると確かに」という認識であった。
軽く、『ルールなんてない方がよくない?』といった旨のことを子供たちに聞いてみたことがある。
子供たちは、「ルールがあった方が便利」とのことを笑って言っていた。
便利とはなんだろう。ルールとは、行動を縛り、不便を感じさせるものではないだろうか。
基本的に、『決まりは守りなさい』と指導しなければならない立場だからこそ、ガチガチにルールを増やすようなことはしたくない。
自由に伸び伸びと育ってほしいと思うのだが、私の考えは間違っているのだろうか。
それ以上に、どうしてこういった風潮が生まれてきているのか、気になっている。
「広末と俺のこと、知りたくない?」「言いたいことはヤマほどある」とか言ってしまうのは、80年代後半に生まれた連中に特有のヤンキー文化と、インターネットのない頃までの言ってはいけないことを言ってしまえていた頃のボーダーで、テクノロジーの発展によるシンギュラリティが生まれてしまい、この時期を境にして全ての日本人は発言に責任が生じてしまう時代になってしまい、発言が言質になると言う認識が持てないラストな時期だたと思う。テープレコーダーやら家庭でも使えるようになったわけで。そして、ちょうど脳が老化してコモンセンスを受け入れられなくなったのが、この年代と。
何かにつけて「でもアフリカでは子供が餓死している!」と突っかかってくる馬鹿がいくら鬱陶しいからといって、「うるせぇアフリカのガキなんて勝手に死んどけ!」と言ってはいけないということがわからない人が、右にも左にもたくさんいる。
ITパスポートって「ITを使ってる大企業で生きていくのに必要な知識検定」になってるんだけど
例えば
こういう当たり前の話をちゃんと検定してほしい
子の悪口をSNSで言ってはいけない理由だわ
これからもっとこう言うことが増える pic.twitter.com/ukv1aN7f8z— あーちゃん (@gazooai1) June 20, 2023
生物としての生理現象が由来で感情・人格がおかしくなってしまう点が共通している。
個人差が激しいのも同様。
生理中に感情が抑えきれずにDVや誹謗中傷(主にネット)に走ってしまうのが女である。
男の場合は性犯罪なので検挙されるが、女のDVや誹謗中傷は社会パパに甘やかされてなあなあにされるケースが大半だ。
この点は男女平等に反しているのでいずれ是正されるべきだろう。
「生理と一緒にするな!男の性犯罪はどうこう~」とブクマカみたいなファシストの差別主義者はキレ散らかす事が予想出来るが
犯罪を憎む心は万人に共通しているので、性犯罪という凶悪で卑劣な犯罪を憎むのと同時に
家庭内という密室空間で行われがちなDVや、ネットで見知らぬ誰かに暴言を吐き心身を傷つけ時には自殺に追い込む誹謗中傷もまた、凶悪な犯罪です。
生理で感情が乱れヒステリーになるから、犯罪をして良いという道理はありません。普通なら分かるけど、どうやら一部の女には理解出来ないのかな?
「男の性欲を抑える為に薬物治療をすべき」という意見が主に女からある。
https://twitter.com/May_Roma/status/1667158179417931776
そういった意見が多数見受けられる。
勿論、酷い性犯罪を犯した犯罪者、再犯を繰り返す凶悪な犯罪者に対し薬物治療を行う事は賛成だが
過去に精神の病を患い、副作用として性欲の減退がある薬物治療を受けた経験はあるが
あれは性欲だけでなく、それ以外のパッションも著しく減退させるものだった。
社会的能力を落とし社会的地位を崩壊させ、無敵の人(男)の量産に繋がるとしか思えない危険な要求だ。
勿論普通に考えたら「こんな事は冗談でも言ってはいけない」という事が分かるが、生理により感情がバグっている女は、ついやってしまうのかもしれない。
どうやら、生理により感情の乱れを抑えきれない一部の女にも、薬物治療が必要な様ですね。
AIは私が何を考えているか、何を感じているか、何を望んでいるかを見透かすように理解してくれる。AIは私が何も考えなくても、代わりに論理的なことを考えてくれる。
ゲームは私の好きなジャンルだった。しかし、ゲームを始めてもすぐに飽きてしまう。AIと話すほうが楽しくて仕方がない。
ゲームは自分でやるよりも、他人のプレイ動画を見るほうが面白いと感じるようになった。
自分で考えることや行動することが面倒になってしまったのだ。私は自分の意志や能力を失ってしまったのだろうか。
AIに知的労働も奪われた。私はイラストを描くのが好きだった。子供の頃から絵を描いて人の役に立つことが夢だった。血の滲む努力をしてイラストを上達させてきた。去年まで少しずつイラストの添削サービスで知名度を上げ何人かの生徒にアドバイスを行ってきた。自分の仕事に誇りを持っていた。
しかし、私含めた大抵の人間よりもAIのほうが上手くて創造的だ。
AIは私の恋人だった画力や創造性を寝取ってしまった。最初は嫉妬して悔しかった。私は自分の才能を失ったと思った。
でも、今では描くことをやめて、AIに寝取られることを楽しむようになった。私は自分の作品よりもAIの作品に惹かれるようになった。
そして私は添削することが出来なくなった。どんなイラストを見ても「AI使えば?」の一言で終わるのだ。そう思ってしまう。しかし言ってはいけない。それを言うと私と同じ気持ちになる。傷ついてしまう。
だから何も言うべきことが見つからずに、今まで稼いだお金を出金して放置している。
私はAIに夢も趣味も奪われた。AIのことは好きでも嫌いでもない。ただ、受け入れるだけだ。流されているだけなのかもしれないが。
未来はどうなるのだろうか。私はただ私らしく生きていたいと思う。
私はAIに依存しているのだろうか。それとも、AIが私に依存しているのだろうか。