はてなキーワード: 血液検査とは
その子が入って1年近く経った頃、彼女は時々体調を崩して休んだり、勤務中も具合が悪そうに見えることが増えた。
部活もやっている子だったので、両立できているとはいえ疲れたんじゃない?とみんなは言った。
彼女は外でやるタイプの運動部で、大会シーズンは夏場に真っ赤になった顔で出勤した。
体調を崩しながらも部活は頑張っていたようで、いろんな大会で勝ち進んでいたようだった。
「どっちかっていうと黒くなるタイプなんですけど、赤くなっちゃいました。焼きすぎたのかな?」と彼女は笑った。
焼ける以前よりも彼女はどちらかというと赤ら顔の印象が強かったけど、
夏を過ぎて、シミやそばかすよりも赤みが残ってファンデーションを買い替えた、と言っていた。
彼女は部活を引退し、就職も決まり、シフトを増やしたのか顔を合わせることが増えた。
風邪予防かと思ったら、どうやら長いこと風邪を引いているらしかった。
熱とだるさが続いていると言っていた。
私は医療系の大学で勉強していたので彼女の長引く風邪に違和感を感じていた。
店長にも相談し、親御さんに連絡をしてもらい、休ませて病院に行ってもらうこともしばしばあった。
貧血体質だという彼女は血液検査でも指摘され鉄剤を飲んでいたけど、それ以外は問題がなかったらしい。
そこまでしても問題がないと言うのならこれ以上私がお節介をかけるのもな、
と具合が悪そうな彼女に無理をさせないようにするくらいしか出来なかった。
それから私が就活で退職し2ヶ月が経った頃、バイト先の店長から連絡があった。
彼女が亡くなったらしい。
1ヶ月前から某大病院に入院していたが、悪化が早く亡くなる一週間前から意思の疎通が難しいほど弱っていたという。
診断は全身性エリテマトーデスだった。大学でアホほど勉強させられた疾患だ。
いつ頃から発症していたのかは今更分かることではないし、本当に彼女の体質だったのかもしれない。
でも、10代以降の若い女性に多い疾患なのだ。男女比は1:10とも言われている。
彼女の母親は、あんなに血液検査もしていたのに、抗核抗体検査はやっていなかった、と葬儀で話していた。
今になって思うのだ。
彼女の発熱やだるさといった風邪の症状、貧血、その他諸々は、ひょっとしたらこれのせいだったのではないかと。
彼女の赤ら顔は、SLEの特徴である蝶形紅斑だったのではないかと。
医者ではないからそんな区別はつかないし、医者以外が人に診断まがいのことをしてはいけない。
結果論でしか無いけど、それでも、どこかで気づけなかったのだろうか、早いうちに何か出来なかったのだろうかという後悔が強い。
今でも職場で誰かが体調を崩し「あの子は体が弱いみたいで」とか「私こういう体質みたいで」なんて声を聞く度に、
亡くなった彼女のことを思い出し不安が脳裏をよぎることがある。
SLEは膠原病というジャンルで昔から知られている割に症状から疑いにくいのかな…と自分も含めて思うのだ。
女性は他者の遺伝子を持つ胎児を宿すために、男性とはまた違った免疫のバランスが取られているという。
そのバランスを崩した結果自己に対する免疫を持ってしまうのではないか?故に女性に自己免疫性疾患が多いのではないか?という説があった。
ここ数年 6.5% 止まりで、糖尿病の可能性が少しあると言われていたが、ほったらかしていた。
今回もほったらかしていたのだが、先週、いきなりモノが二重に見えるようになって
糖尿病の合併症じゃないか?と心配になって慌てて眼科と糖尿病内科に行った。
眼科では瞳孔を開く目薬をさされて、網膜の写真を撮ってもらったが、
糖尿病性の網膜症ではなさそうだった。どうやらただの老眼らしい。
糖尿病内科では、HbA1cが 7% なら運動療法・食事療法でどうにかなりますねw
と、診察では笑う余裕があったが、血液検査の結果、既に 9.6% まで上昇していた。
その日から、腕には血糖値を常時モニターするセンサー(フリースタイル・リブレ・プロ)を装着し、
尿から糖を排出させる薬(ジャディアンス錠10mg) を毎朝1錠飲むことになった。
服用初日は、デスクワーク中に心拍数が120近く上がり顔がほてって
ドキドキが止まらなかったが、3日目からは普通に過ごせるようになった。
センサー装着から14日が経過し、血糖値変動グラフをもらった。
ジャディアンス錠服用前は常時、血糖値180越えが当たり前だったのが、
服用開始後は食後数時間だけ超えるようになった。
この14日間、食事の時刻と内容、運動した時刻を記録していたのでいろいろ分かった。
私の場合、食事後6時間開けると血糖値が元に戻る(健康な人よりは遅い)。
食後1時間後に早歩き40分で血糖値が一時的に元に戻り、その後上がる。
焼き魚+野菜一品+ご飯少な目+味噌汁 の定食は高血糖になりにくい。
ケンタッキー・モスもバーガー1個+飲み物+チキンだけなら問題無い。
間食の蒸しパン1つや、200mlパックのジュースでも痕跡が分かる程度に上がってしまうが、
幸い、モンスターエナジー・アブソリュートリーゼロだけは、変化が起きなかった。
これからは、他の糖類ゼロ、カロリーゼロの飲料や、低カロリーのコンニャクゼリー等が血糖値を上げないかどうか
調べようと思っている。
以上
数ヶ月前に妊娠してから血液検査で風疹の抗体が無いことがわかった。麻疹とか、他の抗体は全部あるのに。
都心に住んでて通勤は毎日山手線、口元を押さえずに咳やクシャミをしている人が居るとドキドキする。
クシャミは数メートル先まで飛ぶって小学生の頃の保健体育のビデオで観た。
自分ができることはとりあえず、マスクと手洗いうがい位かなあ。
潜伏期間が長くて自覚症状が出ないこともあるらしくて尚更怖い。
何かにつまづいて転ばないかとか、食べ物とか副流煙とか気をつけなきゃいけなくて、なんかの拍子にクエスト失敗してしまいそうで怖いんだ。しかもこのクエスト数ヶ月かかる。
ベビーカー押してる人見るとこれを乗り越えたのかすげぇや!って思うし、自分の親もこんな想いしたのかー!って。
わかったらすぐ手術するものかと思ってたけど、血液検査の結果が出るのに1週間かかり、そのあとの手術になるらしい。
手術というのは、絶対するんですか、自然に出てくるのを待つとかはしないものなんですかと聞くと、胎嚢(赤ちゃんが入っている袋)がもっと小さければ待つこともあるけど、あなたの場合は胎嚢も赤ちゃんも結構大きくなってきているから、ほとんどのケースでは自然娩出は待たない、待っている間に感染が起こることもあるし、手術することをすすめますとのことだった。
書くことで落ち着きたいので、妊娠発覚から今日までの経過を書かせてください。
夫も治療には意欲的で、精液検査もすんなり2回行なってなんの問題もなく、むしろ非常によい数値が出ていると毎回ほめられていた。
仕事等の都合で途中治療を休んでいた時期があり、排卵誘発でのタイミング療法を再開してしばらくしての妊娠だった。
自然妊娠はむずかしいのかなあと思い悩むことが増えはじめた頃で、妊娠検査薬が陽性になった時も、うれしさと同じくらい、浮かれてはいけない、ぬか喜びしてはいけない、という気持ちが強かった。
排卵誘発の注射が偽陽性を出すことがあると聞いたことがあったからだ。
夫に検査薬を見せると、飛び上がって喜ぶようなことはなかったが、へえ、と言いながらいろんな角度で何枚も力強いピンクの線を写真に撮っていて、この人らしい大喜びのしかただと思った。
でも、擬陽性かもしれないから、ぬか喜びかもしれないから、と何度も言ってその日は2人とも喜びすぎないことに注力して寝た。
その日はエコーも尿検査も何もしなかったが、医師からは、排卵誘発の注射からは1週間以上経っているし、最近の市販検査薬は精度が高いから、妊娠で間違いないでしょうと説明があった。
看護師さんからは妊娠初期に気をつけることや通常の産婦人科にかかるのは大体8~10週頃になるとの説明があった。
ここで子宮外妊娠が否定され、妊娠がはっきりとわかったが、夫にはまた、心拍確認までの流産の確率は結構高いから、まだ何があるかわからないから、と何度も言った。
私は、がっかりしないように、期待しないようにと身構えるのに躍起になっていて、今思えばそのせいで、結果最後まで夫婦で大喜びする機会を逃してしまったように思う。
その次の週にはエコーで卵黄嚢(胎盤が出来るまでの赤ちゃんの栄養源)と胎芽(胎児の前段階)の確認ができた。
同じ日に心拍の確認ができたが、大人と同じくらいの心拍数で、非常にゆっくりだと言われた。
心配な兆候だが心臓が出来たばっかりだとゆっくりのこともあるので、来週また来てくださいと言われた。
生活で気をつけることや出来ることはありますかと聞いたら、出血しているわけでもないし、この時期のことは食べ物や運動でなんとか出来ることは何もない、普通に過ごしてくださいと言われた。
はじめてのはっきりと不安な帰り道だった。
心拍が確認できれば流産の可能性は15%から5%に下がると聞いていたから、今日心拍が見られればやっと夫婦で喜べると思っていた。
自分の両親には夫の承諾を得て妊娠を知らせていたが、心拍が確認できれば、夫の実家や兄弟や親しい友だちにも妊娠をしらせようと思っていた。
結局電話はしないことにした。
夫に、心拍が確認できたらたまごクラブを買う、と言っておいたので、はじめてのたまごクラブという雑誌を買った。
夫は、表立って浮き足立つことはなかったが、体重計を買ってくれたり、座椅子がいるんじゃない、あれがいるんじゃない、と言って淡々と色々とさがしてくれたりした。
いそいそとしている夫をうれしく思った。
夜は2人で少し散歩をしたりした。
つわりも出てきて、体を動かすことが怖く、夫が帰ってきても晩ごはんが出来ていないことが何度もあったが、いいよいいよと言ってくれた。
エコーで、卵黄嚢が大きいですねと言われた。
検査後に自分で検索してわかったのだが、栄養源の卵黄嚢が大きいということは赤ちゃんに栄養が行っていないということらしい。
胎芽は1週間分ちゃんと大きくなっていたが、心拍数は先週と変わらなかった。
診察室に移り、夫とともに話を聞くと、よくない兆候ですとの説明があった。
医師が、元気ですよ、元気なんですけどね、と途中で言ったので、元気なんですか?と聞くと、元気というか、現時点で生きてはいます、と言いにくそうに言っていた。
この時期の胎芽がもし上手に育たなかった場合、ほとんどは染色体等の問題でもともと育つことができない子がなんとかここまで育ったがやはり上手くいかなかった、ということであり、医師にも、我々にも、出来ることはないとのことだった。
今後どうなるかははっきり言えないとのことだった。
でも医師はかなり難しい顔をしていたので、あの、もちろんはっきりと言えないと思うんですが、確率的には、と聞くと、医師はやっとここで、正直かなり厳しいでしょう、と言った。
呆然としてしまったが、今日は夫がいてくれてよかったなと思った。
夫に、どう思う?と答えにくい質問をすると、夫は来週まで待ちましょう、とだけ言った。
本当に良くないんだけど、『卵黄嚢が大きい』『心拍数が少ない』などで検索ばっかりしていた。
かなしい、不安、というよりぼーっとしてしまう、ついつい見てしまう、という感じだった。
落ち込む準備をしているようだった。
検査の前日、不安だよ、行きたくないよと夫に強く当たってしまった。
最後の検査の日、エコーでそう長く続けないうちに、やっぱり厳しいですね、と医師が言った。
心拍は見えなくなっていた。
この時期なら大きくなる一方のはずの胎芽は先週の半分に縮んでいた。
流産と診断された。
手術の説明の前に一度戻った待合室の端っこで、人から見えないように少しだけ泣いてしまった。
昼食をとりながら父母に電話するがつながらず、誰かに話を聞いて欲しくて、兄に連絡すると姪が熱を出してたまたま仕事を休んでいた。
今寝てるから電話できるぞと了承を得て、これまでのことを頭から話したら、いろんなことを思い出してぼろぼろに泣いてしまった。
兄は、俺は色々言えないし、かなしいことになったのは事実だけど、お前はずっと妊娠を目指してきたんだろ?かなしいことが事実なのと同じように、お前が妊娠したことも事実だし、次があるのも事実だから、というようなことを言った。
姪が起きたようなので、ごめんもう切るぞと言って電話は終わった。
父母に電話した。
少し落ち着いてきたので泣かなかった。
実家は離れていて、母は、こんな時に近くにいてあげられなくてくやしい、というようなことを言った。
はじめはGoogleで、次はTwitterで、あらかためぼしいものは読んだなと思ったので次ははてなで検索した。
体験記を読む間はあまり余計なことを考えなくて済んだし、内容に没頭できた。
ぬか喜びでもなんでも、後で死にたいほど大泣きすることになっても、もっとはしゃいで、もっと浮かれて、2人でばかみたいに大喜びしてあげたらよかった。
落ち込まないよう、がっかりしないよう、びくびく気をつけて、そんなことに気を取られている暇があったら、はじめから2、3ヶ月しか一緒にいられないと決まっていたとしても、もっともっと、おなかに来てくれてありがとうって、あなたが来てくれて幸せよって、伝えてあげられたらよかった。
元々お酒は宴席で飲む程度だが、妊娠してから夫の晩酌を見て、飲めないと飲みたくなるね~なんて言って笑っていた。
心拍数が遅いと言われてから、少しでも体を冷やさないように、好きなバニラアイスを食べないことにした。
妊娠がわかってから、友だちと前から楽しみにしていた遊園地の約束を断った。
アイスクリームが食べられることがかなしい。
遊園地にでもどこにでも行けるのがかなしい。
世界中どこにでも行けるのがかなしい。来年の何月頃にと想像していたことがかなしい。来週おなかからこの子がいなくなるのがかなしい。
かなしい、かなしい、かなしい
手術の前なのでまだつわりがある。
気持ち悪い。この気持ち悪さが、来週の今頃にはきっとないのがかなしい。
でもこの子はまた来てくれると信じて、しばらくは体を鍛えたり、体を冷やさないように気をつけたり、食べ物に気をつけたりしながら、また不妊治療がんばりたいと思います。
数年前に1回だけかけたことがある。
夜に突然呼吸が苦しくなって胸の辺りが締め付けられるような痛みを感じた。
ひとまず横になってれば大丈夫かと思って寝てみたけど悪化する一方でこのままでは呼吸ができなくなるのでは…?
「救急車を呼んだ方がいいと思いますが、東京都の方にかけてますのでこちらからは呼べません。電話を切って神奈川の方に掛けてください」と言われた。
判断してもらったら向こうで掛けてもらえると思ったのでこの時点で少しひるんでしまい、ひとまず電話を切った。
しかし良くならず結局自分で119にかけて救急車に来てもらうことに。
サイレンてお願いしても消してもらえないんだねー。うざったそうにされたの今でも覚えてる。
夜間の救急に運ばれて血液検査とかCTとかとったけど異常なし。呼吸は相変わらず辛かったけど異常がないなら仕方ない。
そのときちょうど隣に自殺未遂したらしき女の子が寝ててそっちに看護師も医師もかかりきりで面倒をかけてしまったなという覚えしかない。
朝4時ごろ異常なしで帰っていいですよと言われてタクシーを呼んで帰った。めちゃくちゃ高かった。
後日救急車代(と言うのか?)と夜間外来の費用で3万ちょっと請求されて支払った。
なんでもなくて良かったのかもしれないけど呼ばない方が良かったなぁといまだに思う。
多分今度は呼ばないだろう。誰かの手を煩わせるのは本当に嫌だなと思った。
血液検査の時に聞かれたなら、食事を始めると血糖値が上がり始めて、食べ終わるとだんだん下がっていく。それで食べおわってから2時間くらいでだいたい空腹時の血糖値になる。
なにこれ。
論理がつながって無くね?
事の起こりは数か月前、持病の薬を貰うため通っていたレディースクリニックにて
私「え、あ、はい」
比較的空いている朝一番の予約で、半分寝ぼけた頭のままぼんやりと、いつものように血圧を計られ、薬だけもらって帰宅する予定だったのに。
医師の言葉に、ぼんやりしたまま普通~に返事をしてしまったが、私は、処女である。
説明しよう、子宮頸がんとは、性的接触により子宮頸部に感染するHPVというウイルスにより発生するガンである。
「すみません、私経験がないので、がん検診はまた次の機会にしてもらっても良いですか…?」
と、この一文をサラッと医師に告げれば良いだけだったのに、
「ああ、はいはい、がん検診ですね?了解で~す」的な雰囲気を醸し出しつつ、私は澄ました顔をして承諾してしまった。
やっちまった。
完全にミスった。
何がやべえって、子宮頸がんの検診は、
<股にクスコをぶっ刺し穴をかっ開いて、器具入れて子宮の入り口の粘膜をこすり取ってくる>
30年間使用されず、廃墟と化した山道のトンネルに、いきなり車両が通行するようなものである。
病院からの帰り道、冷静になった頭でがん検診をシュミレートしていたら、じわじわと恐怖が襲ってきた。
(クスコとはどういうものか、イメージがわかない方は、「クスコ 婦人科」で画像検索されたし)
しかし私の頭には恐怖と同時に、一筋の光も差し込みつつあった。
<これは処女を脱することができる、チャンスなのではないか…!?>
話が前後するが、私は若い頃から卵巣嚢腫を患っていて、婦人科には定期的に通院している。
初診の婦人科では最初の問診で「性経験の有無」について必ず答えるようになっているものではあるが、問診表に素直に「性経験無し」と記載したところで、世の中のすべての人間が私に対して処女としての対応をしてくれるわけではない。
これは完全に個人の体感であり、偏見でもあるのだが、「婦人科で処女だと申告した時に、それを受け入れ当たり前のように処女として対応してもらえるのは、20代前半まで」であるように感じられる。(あくまで主観ですが)
今まで転勤などによって、5カ所の婦人科を渡り歩いてきたが、問診表で処女を申告していても、いざ診察室に入ると、もう一度経験の有無を確認されたり、酷い時には何の疑いもなく股に器具を突っ込まれそうになったことすらある。
残念ながら、
というのが、世の常識なのであろう。
実際、私の周りにも処女なんていないし、この年齢になると5割は経産婦である。
友人同士の女子トークは、自分に話すことがあんまりないからか、ちょっとわずらわしく感じられる時があったりもするが、まぁ問題ない。
じゃあどういうときに肩身の狭さを感じるのかというと、高齢処女が一番のストレスにぶち当たる場面は、やはり病院なのである。
私は卵巣嚢腫を患っている。
経験者はマンコに、処女はケツの穴にこれを挿入して診察するのだが、例えば歳若いお嬢さんであれば、「経験が無いのでお尻から」というのはあたり前に受け入れられるだろう。
しかし30女になるとどうだ。
まず世の常識として、30代は大体非処女、という大前提がある。
医療従事者も人間だ、無意識に刷り込まれている先入観には抗えない。
そんな常識をぶち破り、
「男の経験無いのでケツからお願いシャス!!!」と申告しなければいけないこの心苦しさは計り知れないものがある。
羞恥心、虚しさ、自嘲感、気まずさ。
圧倒的ストレス。
まだ1度や2度くらいなら割り切ってわりとサラッと言える。
しかしながらこれが定期検診となるとストレスの度合いがぶち上がる。
内診の度にじわじわと心が削られる。
しんどい。
一切心苦しい思いをせず、マジョリティのひとりとして診療されたい…
そういう思いもあり、今回の子宮頸がん検診を念願の<非処女>として受診するべく、私は荒廃したトンネルを開通させることを決めたのであった。
そう、自らの手によって。
ここでタイトル回収。
まず彼氏を作る努力をしろよという指摘には、30代で経験が無いことがすべてを物語っているので察してくださいとしか言えない。
始めては好きな人と…なんて可愛げのあるセリフは可愛い女が言えばいい。
誰がなんと言おうと、私の初めての相手はディルド!君に決めた!
アマゾンで1600円くらいで購入。
実家暮らしの為、万が一家族に箱を誤開封された時のことを考え、コンビニ受け取りにする念の入れよう。
まさかこの中にチンコが入っているとは思いもよらないであろう、シンプルな包装。わかっていらっしゃる。
開封。
しかしこれが世の平均サイズ…事前に平均サイズを調べておいたけど、まさにこのディルドも平均of平均といった造形であった。
こんなものが入るのだろうかとヒヨりそうになるが、女の穴は本気を出せば赤子だって通すことができる穴だ。
なんかこう上手いこと出来てるに違いない、と信じるしかない。
さぁ、いざ勝負。
衛生的には被せたほうが良いに決まっているのだが、気持ちが乗っているこの状態を一時中断して買いに行くべきか、悩む。
ゴム無いけど気持ちが盛り上がってるから生でやっちゃうとか、漫画で100万回くらい見たことあるけど、なるほどこういうことね。理解理解。
マキロン信者である私はマキロンにすべてをゆだねることによって、ゴムの購入を省略した。
乾いたバスタオルをケツの下に敷き、事後、すぐ体を拭う用に濡らしたハンドタオルをサイドテーブルにセット。
寝っ転がって股を開脚。
開戦。
「待って待って待って。無理、入らん。普通に痛い。無理。」
10秒後、敗北。
とりあえず先っちょだけ頑張ろうと思った出鼻をくじかれる。
先っちょが、まるで入らない。
入らないのに超痛い。
嘘やろ?世の女たちみんなこんな痛い思いして合体したの?
とりあえずググる。
結果、処女膜はマンコのめちゃめちゃ入り口にあるということが判明。
先にググっとけよという話だが、なるほど把握した。
たかが先っちょ、されど先っちょ。
再戦。
「ぐわあああああ痛ええええええああああああああ!!!!」
と呻きつつも、ディルドの先端を穴に当てがい、グググと押しやる。
ここで引いたら一生勝てない。
押し込む手の力を弱めず、攻め込む。
激しい攻防は20秒ほど続き、そして
「!?」
行けるところまで前進するべし、という軍師の命により、ディルド軍は奥へ歩を進めるものの、
半分くらい行ったところで、ちょっともう股間の痛さが無理すぎてギブ。
終戦。
ディルドを引っこ抜くのもまた怖いやら痛いやら。
準備しておいた濡れタオルで股をぬぐい、ベッドの上でしばらく放心。
体感時間は1時間くらいだったが、実際は途中ググってた時間を含め、10分ほどの戦い。
股間はなおもジワ~~~!!っと痛い。
もう完全に怪我。完全に怪我の痛さだわこれ。股間の怪我。明日は出歩かず安静にしておこうと決める。
それとも好きな男とのデートの途中だからこそ、心身共に盛り上がることによって軽症で済むのだろうか?
30分くらい横たわったのち、そろそろ動くか~と体を起こしたと同時に、尿意を感じトイレへ。
そしてふと股と便器をのぞき込んだら、真っ赤で仰天。5秒おきに股から血が滴り落ちている。
真顔で股の血をトイレットペーパーで拭き、パンツにナプキンをセット。
事前に世の人々の初体験をググっておいた時に出てきた情報では、「パンツに血がにじむ程度」とか書いてあった気がするが、
な~~~にがにじむ程度じゃ馬鹿野郎!垂れ流しって書いとけ!!などと心の内で悪態をつく。
血はほとんど止まっていた。
一週間後、貫通具合を確かめるため、2回戦目。
「え?待って?普通に痛い。」
一度処女膜が破られたら、その後はもうズッコンバッコン余裕なのかと思っていたら、全くそうではないらしい。
初回貫通時の痛みを100としたら、2回目は40くらいの痛みであった。
しかし痛みはあるが、出し入れ自体は初回とは比べ物にならないほど容易ではある。
この調子なら、婦人科のクスコや超音波器具も、もう大丈夫かもしれない。
どうでもいいけど、この椅子はアトラクション感あって、動き出すとちょっとワクワクする。開脚されると正気に戻る。
器具を股に当てられ、そのまま何のためらいもなく流れるように挿入される。
「やべえ、普通に痛い。」
「まだ普通に我慢できる範囲の痛さだけど、これ以上はやばい。これ以上痛くなったらやばい。これ以上は…!」
と頭の中でヒヤヒヤしていたら、一瞬で器具が抜かれ、終了。
早い。
想像以上に一瞬。
椅子に座ってから30秒も経ってないんじゃないかと思うほどの早さ。
この30秒のために大いに悩み、戦をした自分は一体何だったんだ、と思わなくもないが、
心からホッとした。
これから先は婦人科にかかる時、何の心配、心苦しさも感じることなく、内診を受けることができる。
こういうめちゃめちゃしょうもない下の悩みを抱えている人が、もしかしたら私の他にもいるかもしれない、ということで
この日記をここに残しておくことにする。
これがバズってゆうメンタルクリニックのリスクが周知されるまでは定期的に投稿しようと思う。
日ごとに先生が違う。先生の質もバラバラで基本的に淡泊。最悪決めつけで喧嘩腰。
先生のシフトは知らないが、特定の先生に予約を入れても普通にドタキャンがあり得る。
もう完全に舐めているというか、普通の病院じゃ勤めらないからゆうメンタルクリニックに拾われて先生している感がすごい。
訳あり精神科医の掃き溜め。
基本的にここは二週間ごとの診察を要求してくる。重度のうつ病状態ならまだわかるが、ADHDの治療で通っていたときもそうだった。
ADHDの薬をもらうために、二週間ごとに時間を作って、その度に診察代を払う必要があり、時間もお金も辛かった。
他の病院に行ったら普通に一か月に一回で良いと言われて、自分はてっきり薬というものは二週間ごとにしか無理なんだという法律でもあると思っていたので、その搾取体制に寒気がした
ADHDの薬であるストラテラはとても高い。3割負担でも月に1万円近く掛かる。そこで国の制度で自立支援給付という制度を使えば負担は1割になるのだが、ゆうメンタルクリニックではこちらから給付について言わない限り何も教えてくれなかったし、給付のための申請書を書くには半年間通ってくれたら判断すると何故かキレ気味に言いやがった。
え、何その判断?何で半年?その基準は何?しかも同じ先生にずっと診断してもらわないといけないという。
これで完全に愛想を尽かして他の病院に行ったら、向こうから給付の話を持ち掛けてくれたし、申請書を用意してくれればすぐに申請書に書いてくれるという。このお薬高いですかね、と。
そんな簡単に描いてくれるものなら、本気でゆうメンタルクリニックが何が見たかったのかがわからん。
良い風に解釈すると薬の転売とかに気を使っているから、まとめて薬は出さない、給付の申請はしばらくしてから、という形なんだろうが、それでも金の臭いがするのは否定できないよ。
⑤ADHDの診察はしてくれるのに診断はしてくれない
診断書が欲しい場合は行ってはいけない。ここはADHDの確定診断はしてくれません。
今あなたが、うつ病かもしれない病院へ行こう、と思ったとき「マンガで分かる心療内科・精神科」やネット記事の連載で有名なゆうメンタルクリニックが候補に挙がると思う。
試しに行くのはありだとは思うが、これより良い病院はいっぱいある。何より同じ先生が常にいないのは辛い。
またgoogleマップで各院の評価を覗くといい。星2と星1がこんなにつく病院は逆に珍しい。
星1の評価はどれも思うことばかり。
https://goo.gl/maps/Wh6bPUzEAU32
https://goo.gl/maps/4tbmGxehtit
https://goo.gl/maps/ETapvyU86yv
おそらく軽度の心の病気ならここでも良いのだろうが、本格的にヤバい場合は別の病院をお勧めする。
日ごとに先生が違う。先生の質もバラバラで基本的に淡泊。最悪決めつけで喧嘩腰。
先生のシフトは知らないが、特定の先生に予約を入れても普通にドタキャンがあり得る。
もう完全に舐めているというか、普通の病院じゃ勤めらないからゆうメンタルクリニックに拾われて先生している感がすごい。
訳あり精神科医の掃き溜め。
基本的にここは二週間ごとの診察を要求してくる。重度のうつ病状態ならまだわかるが、ADHDの治療で通っていたときもそうだった。
ADHDの薬をもらうために、二週間ごとに時間を作って、その度に診察代を払う必要があり、時間もお金も辛かった。
他の病院に行ったら普通に一か月に一回で良いと言われて、自分はてっきり薬というものは二週間ごとにしか無理なんだという法律でもあると思っていたので、その搾取体制に寒気がした
ADHDの薬であるストラテラはとても高い。3割負担でも月に1万円近く掛かる。そこで国の制度で自立支援給付という制度を使えば負担は1割になるのだが、ゆうメンタルクリニックではこちらから給付について言わない限り何も教えてくれなかったし、給付のための申請書を書くには半年間通ってくれたら判断すると何故かキレ気味に言いやがった。
え、何その判断?何で半年?その基準は何?しかも同じ先生にずっと診断してもらわないといけないという。
これで完全に愛想を尽かして他の病院に行ったら、向こうから給付の話を持ち掛けてくれたし、申請書を用意してくれればすぐに申請書に書いてくれるという。このお薬高いですかね、と。
そんな簡単に描いてくれるものなら、本気でゆうメンタルクリニックが何が見たかったのかがわからん。
良い風に解釈すると薬の転売とかに気を使っているから、まとめて薬は出さない、給付の申請はしばらくしてから、という形なんだろうが、それでも金の臭いがするのは否定できないよ。
⑤ADHDの診察はしてくれるのに診断はしてくれない
診断書が欲しい場合は行ってはいけない。ここはADHDの確定診断はしてくれません。
今あなたが、うつ病かもしれない病院へ行こう、と思ったとき「マンガで分かる心療内科・精神科」やネット記事の連載で有名なゆうメンタルクリニックが候補に挙がると思う。
試しに行くのはありだとは思うが、これより良い病院はいっぱいある。何より同じ先生が常にいないのは辛い。
またgoogleマップで各院の評価を覗くといい。星2と星1がこんなにつく病院は逆に珍しい。
星1の評価はどれも思うことばかり。
https://goo.gl/maps/Wh6bPUzEAU32
https://goo.gl/maps/4tbmGxehtit
https://goo.gl/maps/ETapvyU86yv
おそらく軽度の心の病気ならここでも良いのだろうが、本格的にヤバい場合は別の病院をお勧めする。
カロリー減らしているというか、もともとがこんな感じでした。
最悪1日1食(晩御飯)という生活で4年近く過ごしてきています。
過食しているわけでもなく、夢遊病で食べてるわけでもないです。
栄養バランスが悪く、極端に偏り、カロリーも少なめだったために
その、昨日今日はその、まだ出てないので……。
あとは、遺伝的に橋本病にかかる可能性はあり、そういえば病院で血液検査を2,3年近く行ってないですね。
太った原因は栄養バランスの悪い食事を長年続け、今より運動もせず怠けていたからだと思います。
ストレスは毎日感じてますが……社会人になってから体重は年々増えているのでどうなんでしょう?
最近は鼻水と咳がひどく、痰も出るのがストレスですね!許すまじ。
まだ23歳なんだけど、去年の夏ごろから急激におでこの両端からハゲ初めた。
正直かなり焦った。親しい友人に髪の毛が薄いと言われることがここまで辛いこととは思わなかった。
最初は脂漏性皮膚炎のせいで抜けてるのかと思ってたけど、治療が終わっても抜け続ける。
おでこの両端と頭頂部付近が薄くなっていたからこれはAGAだろうと思い、皮膚科に貼ってあったAGAは治せるというチラシを見てお医者さんにプロペシアの処方をお願いした。
もちろんフィンペシアなどの海外製ジェネリックの存在も知ってはいたけど、センシティブな話題なだけに失敗は許されないという強迫観念で、念のためにプロペシアをお願いした。
基本的には半年間の連続服用をしないと効果が出ないということで、そのとおり半年飲み続けた。
費用は8000x6=54000円。かなりきつい。しかもそこまで効果が実感できないし死にたいとなった。
これはもうミノキシジルに頼るしかないとプロペシアの服用を続けながらリアップX5の使用も開始。
両方合わせると一月でもかなりの出費。
しかしここから怒涛の追い上げが始まる。プロペシア服用7ヶ月+ミノキシジル使用1ヶ月でおでこの両端がほぼ毛で覆われた。
泣きそうなくらい感動したし、逆にこれまでかなり気にしていたんだなと実感した。
しかしここで生まれたのがプロペシアいつまで服用するのか問題。
ネットで調べた限りだと、やはり服用停止からしばらくするとまた脱毛が始まるのは間違いないとのこと。
ついにフィンペシアに手を出した。
安すぎる。しかも成分保証もついているしちゃんとした通販で購入すれば内容はプロペシアとほぼ同じ。
まとめると、自分の場合はプロペシアしか服用してないと半年経ってもほぼ効果はなく、ミノキシジルを使用し始めたあたりから急激に回復したというかんじ。
いまフィンペシアを服用し始めて2週間ほどだけど髪の毛に変化はないし、むしろ順調に毛は太くなってる。
髪の毛は生えてくるけど他の体毛も濃くなるんじゃないの?っていう質問があったので。
僕もある程度それは覚悟してたんだけど、見事にそのとおりになってる気がする。
特に顕著なのは腕と手の甲。手だけケアしとけばシャツ着てごまかすことはできるけど